小説ウィザードリィ外伝4・「魔将の塔」
十一幕・祭壇へ
一
翌早朝。
まだ陽も昇らないうちから不動の塔探索隊の面々は定宿にしている松屋を出立していた。
今日の夕刻までに神器を回収して緋連城へ届けなければならないのである。
あとは最上層である天守閣の探索を残すのみとなったのだが、そこで何が待ち構えているのか想像も出来ない今の段階では、早くから行動して時間を稼ぐ必要があった。
「綱様、どうしても今日中に神器を探し出さないといけないんですか?」
大きなあくびを一つしながら、なみが聞いた。
「ええ。お城からの命とあっては受けない訳には行きませんからね。それに、三つの塔から神器を回収する頃合を他の探索隊と合わせる必要があるのです」
「どうしてですか?」
「自分の塔の神器を持ち去られた住人達が、神器を奪う為に他の塔へ攻め入ってしまうかも知れないからです。もしもそんな事になったら・・・」
「その塔の敵だけでも厄介なのに、他所の塔から新たな敵が押し寄せて来る、という訳ですね」
「挟み撃ちだけは勘弁してもらいたいものだな」
竜乃介が一言吐き捨てた。
「その通りです」
なみと竜乃介の答えに満足して、綱はにっこりと微笑んだ。
「それじゃあ今日は頑張らないと!」
一人張り切るなみ。
それとは対照的に朝から、いや正確には昨夜から、まりの心は重く沈んでいた。
一晩泣きはらした為に目は真っ赤、睡眠も満足に取っていない状態である。
沖田総司に自分の恋心を告白したもののその想いは届かなかった。
昨夜沖田と別れた後大泣きしてから松屋に戻ったまりを見て、驚いた静はまりに事情を聞いてみた。
しかしまりは「何でもない、大丈夫だから」を繰り返すばかり。
(大丈夫なはずがない)
その原因が沖田であるという事も間違いないだろうと静は思っていた。
そして沖田はと言うと、お互いに気まずいものを感じているのか、まりとは一言も言葉を交わしていなかった。
見ればこちらの方も昨夜は満足に寝てはいないようである。
(やれやれ)
静はそんな二人の様子に大きく溜息をついた。
「少し寄り道したい所があるのですが」
真っ直ぐに不動の塔四階への階段を目指していた一行の歩みを綱が制した。
「綱よ、急ぐのだろう。何処へ寄りたいというのだ?」
隊の先頭を歩く竜乃介が振り返って尋ねた。
「なーに、通り道ですよ。まり、見取り図を」
「・・・」
綱に呼ばれたまりだったが返事が無い。
「まり、どうしたのですか?」
「あっ、はい、何ですか?」
「見取り図をお願いしたいのですが・・・しっかりして下さいよ」
「すいません」
まりは慌てて見取り図を取り出して広げてみせた。
「やはり・・・」
綱は塔の三階の見取り図を見ながら頷いている。
「ほら、例の大広間の隣なんですが、ここにまだ進入していない空間があるでしょう」
「本当ですね」
まりが頷く。
綱が示したその空間とは、あの紐がたくさんぶら下がっていた大広間に隣接している小部屋程度の広さのものだった。
「何かあるとは思いませんか?」
綱はフフと笑った。
「よーし、行ってみるか」
竜乃介は大広間へと向かった。
「なみ、慎重にお願いしますよ」
「分かってます」
不動の塔三階の中央部にある大広間に入ると、まずなみが怪しいと思われる壁を調べ始めた。
「この向こう、やっぱり何かあるようですね。でも隠し扉がある訳じゃないし・・・」
「この紐を引いてみるか」
竜乃介が壁の前の紐を無造作に引いた。
すると。
なみが調べていた壁がスルリと動いて人の腰の高さぐらいの潜り戸が現れた。
「竜乃介、正解でしたね」
綱はその潜り戸を押し開けると小部屋へと入っていった。
「やはりいましたか」
そこにはあの男が立っていた。
「よくぞこの塔の地下迷宮を突破出来たものよ」
以前この大広間で一行を地下迷宮へと落とした男が満足気に頷いている。
「そち達の力量を見込んで頼みがある。聞いてはもらえぬかな?」
男は突然話を切り出してきた。
「まずはあなたの名前を伺いましょう」
「我が名はシュゲン。全ての忍びを束ねる者だ」
「ここで何を?」
「忍びの長とは何かと忙しいのでね」
シュゲンはニヤリと笑った。
「で、頼みとは?」
「うむ。頼みというのは他でもない。この塔の最上階にいる男を消してもらいたい。理由は聞くな。成功したら祭壇にて金を払う。どうだ、やってはくれぬか?」
「そうですねえ・・・」
眉一つ動かさずに話すシュゲンの顔からは、その腹の内を読み取る事は出来そうもない。
綱は腕組みしつつ、この男の申し出に対する返事を考えていた。
やがて。
「良いでしょう」
綱の返事は「申し出を受ける」というものである。
「おお、やってくれるか。それではこの手紙をラマ御前に渡してもらいたい。御前はこの上におわす。それでは頼んだぞ」
シュゲンが懐から取り出した手紙を受け取ると、一行はその部屋を離れた。
「綱様、宜しいので?」
静が怪訝な顔で綱に聞く。
「さてね。ここはまず相手の手に乗ってみようではないですか」
綱は何食わぬ顔で受け取った手紙を懐にしまった。
二
不動の塔四階への階段は大広間のすぐそばにあった。
一行が階段を昇りきると、目の前には鉄格子が行く手を阻んでいる。
鉄格子の、本来なら鍵穴がある部分が丸くえぐられている。
綱がこの塔の地下迷宮で入手しておいた玉をその凹みに合わせると、玉はピタリとそこに収まった。
ギギギと鈍い音がして鉄格子が開いていく。
「行きましょう」
綱の号令で一行は不動の塔の最上層、すなわち天守閣へと進んで行く。
途中にある小部屋などは取りあえず無視しておいて、ひたすら通路を奥へと進む。
塔の外から見ていて予想出来た事ではあったが、天守閣はそれほど広くもなく構造も簡単だった為、まりが作成する見取り図もすんなりと埋まっていく。
しかし・・・
祭壇まであと少しと思われる所で例によって鉄格子が立ち塞がっていた。
「鉄格子が好きですねえ。これを開ける鍵か仕掛けを探さないとですね」
やれやれといった表情で綱がぼやいた。
通路を戻りつつ、目に付いた扉を開けていく。
中には塔の下層にいた者よりもはるかに腕の立つ上級の侍や忍者らが待ち受けていたものの、ここまで数々の激戦を潜り抜けてきた探索隊の敵ではなかった。
しかし鉄格子の開錠に繋がるような物は発見出来ないでいた。
やがて一行はとある扉の前まで戻ってきていた。
扉の上の木製の看板には墨で「大奥の間」と書かれていた。
「綱様、大奥って何ですか?」
なみが看板の文字を指して聞く。
「こういった城などで将軍の奥方が住まう部屋の事です」
「とすると、ここに何とかって奥方がいるんですね」
「ラマ御前、といってましたね」
先程会ったシュゲンが奥方の名を「ラマ御前」と言っていた。
そして、地下迷宮であやめが「恐ろしい女」と言っていたのもまたラマ御前である。
「鬼が出るか蛇が出るか、まずは行ってみますか」
綱は竜乃介に扉を開けるように告げた。
むせ返るようなお香の匂い以外は特に何も無い部屋に入ると、一人の女性が目に入った。
女は、他の者とは違う高貴な雰囲気を醸し出していたものの、それと同時に一分の油断もならないようなずる賢い感じを持ち合わせていた。
この女こそが、沖田がこの世界に迷い込んだ時に、不動の塔の一室から鏡を用いた透視の術でその様子を覗いていた張本人なのである。
あの時女は「呼び寄せるのにしくじった・・・」というような事を話していたはずである。
という事は、沖田をこの世界へ召喚したのもこの女という事になるのだが・・・
もっとも、当の沖田はそのような事は想像すらしていなかった。
「ラマ御前ですね?」
「いかにも。わらわがラマ御前じゃ」
ラマ御前は突然部屋に入って来た綱達一行をなめ回すように見据えると、居丈高な態度を崩す事無く名乗った。
「あなたの夫はこの塔の将軍ですね・・・」
綱がその話を切り出すと、御前の顔がにわかに険しくなった。
「夫は将軍の器には非ず。名ばかりのお飾り将軍。浮気者の大うつけよ!」
ラマ御前は明らかに激昂している。
「下でシュゲンに会ったのであろう。密書は持ってきたかえ?」
「これですね」
ラマ御前は綱が差し出した密書を奪い取るようにするとそれに目を通し、フフンと鼻で笑ってそれを焼き捨ててしまった。
そして傍らから小刀を取り出した。
「これを持っていくが良い」
ラマ御前が差し出した小刀を綱が受け取る。
「それでは頼んだぞえ」
ラマ御前は奥の部屋へ消えたかと思うと何やら仕掛けのつまみを作動させたらしい。
遠くで鉄格子が開く時の鈍い音が響いていた。
「あの鉄格子が開いたのでしょう。行ってみましょう」
一行は大奥の間を後にした。
三
再び先程の場所まで戻ってみると、確かに鉄格子は開き、その先は将軍の間へと繋がっているようであった。
見取り図に残された空白から、その将軍の間の奥に神器を祀った祭壇があるのであろうという事は容易に推測される。
それを確認した綱は一行に「少し戻りましょう」と告げた。
いぶかしがる一行を尻目に綱は適当な小部屋へ入ると皆に続くようにと促した。
「約束の時刻までまだ少し余裕があるようです。ここで少し休みましょう」
所々にある明り取りの窓からは、まだ外が十分に明るいという事が見て取れた。
他の隊と打ち合わせた神器回収の時刻までははまだ一刻(約二時間)ほどあるであろう。
「特にまりは少し眠っておきなさい」
「綱様、わたしはべつに・・・」
「朝から足取りがふらふらしているじゃないですか。それとも、私達がいてはおちおち寝てられませんか?」
「いえ、そんな事は・・・」
まりは身体を固くして応えた。
「まり、男共が変な事をしないように私が見張っててあげるから。あんたは少し眠りな」
静はフッと笑うとまりの傍らに移動した。
「はい、殿方は向こうを向く」
静に言われて男達はまりに背中を向ける形になった。
「皆さん、すいません」
まりは身体を横たえると、間もなく寝息を立て始めた。
「さてと」
綱は先程ラマ御前から受け取った小刀を取り出し、その品定めを始めた。
司教という職は魔法使いと僧侶の両方の呪文に精通しているだけでなく、こういった武具や魔法の品々の鑑定も得意としているのである。
一同、じっと綱の鑑定結果を待つ。
やがて。
「危ない危ない。これは暗殺用の刀ですね。ここを御覧なさい」
綱が刀の柄の部分を指している。
「うっかり握り締めると、この部分から毒針が飛び出す仕組みになっています」
「あっ、なるほどー」
鞘や鍔(つば)そして柄などに一見華美な装飾がなされているその小刀には、よく見なければ分からないのだが、確かに柄の部分にそのような細工が施してあった。
なみは興味深そうにしげしげとその刀に見入っていた。
「さて皆さん、この事をどう思われますか? 地下迷宮にいたあやめは『ラマ御前はおそろしい女だ』と言ってました。その夫は『ガイラスを討ち取ってくれ』と言ってましたね。そしてラマ御前からは将軍の暗殺を依頼された。シュゲンはおそらく御前とつるんでいるのでしょう」
綱の問いかけに眠っているまり以外の面々がしばし考え込む。
やがて、最初に口を開いたのは沖田だった。
「我々は地下迷宮で会ったあやめ殿とその夫殿の無念を晴らすと約束したはずです。これだけは譲れないかと思われますが」
「確かにそうですね。それではその『仇』とは一体誰の事なのでしょう?」
「それは・・・現在のこの塔の主なのではないですか?」
「それじゃあラマ御前の言った通りに将軍を暗殺しちゃえば良いんじゃないかな」
なみの言葉に一同の視線は床に置いてある例の小刀に集まった。
「ちょっと待て。あやめは『ラマ御前に妖しの術で顔を奪われた』と言っていたはずだぞ」
竜乃介が言う。
「それならまず倒すべきは御前なのでしょうか?」
静も意見を述べた。
「それじゃあ将軍暗殺の依頼なんて受けちゃって良かったんですか?」
「良くはないでしょうねえ・・・」
なみの疑問に応えて綱は嘆息すると後はまた重い沈黙が一同に圧し掛かった。
「行くしかないでしょう」
沖田がその沈黙を破る。
「どのみち神器は将軍が持っているのでしょう。我々はそれを持ち帰らねばならないはずです。場合によっては将軍を斬って神器を奪ってでも」
「ですね。しかしその場合、ラマ御前から暗殺の依頼を受けた事を将軍に告げるべきか否か・・・」
「綱殿、それも行ってみなければ分からない事ですよ」
「分かりました。ここであれこれ言っていても始まらないようですね。まりが目覚めたら将軍に会いに行くとしましょう」
綱がそう宣言してこれで方針が決まった。
沖田はちらりとまりに視線を送った。
まりは今だ眠りの中にあった。
四
死霊の塔探索隊の方も今日は早くから活動を開始していた。
昨夜の事があって心配された沙羅の様子も特に問題は無いようである。
「忍者はいざという時の切り替えが出来る」
沙羅自身が確かにそう言っていた。
しかし・・・
(そんなにあっさりと切り替えられるものなのかしら?)
十六夜は自分の前を歩く沙羅の後姿を見ながらこう思っていた。
突然発覚した自分の父親の死の真相。
(もしも私だったらとても耐えられない)
十六夜は大きく首を振った。
「十六夜よ、ろうそく消すんじゃねえぞ」
「分かってるよ、お父ちゃん」
十六夜の手には普段は無い燭台(しょくだい)があった。
そこに立ててあるろうそくは一本で調度一刻(約二時間)もつようになっている。
今日の探索は夕刻までに神器を持ち帰らねばならない。
祭壇のある場所が地下では陽の傾きで時刻を推し量る事すら出来ない。
そこで一本が一刻で燃え尽きるろうそくを携帯して時刻を計るという訳である。
今日の探索にはこのろうそくを五本用意してある。
このろうそくを全て使い切る前に神器を回収しなければならないという訳であった。
「灯り取りだけなら呪文で十分なのにね」
十六夜はうっとおしそうにろうそくの火を見詰めていた。
死霊の塔地下三階は、地下一、二階部分よりもこじんまりとした造りになっているようであった。
それだけ探索は順調に進む。
しかし・・・
特に隠し扉がある訳でもないのに進入出来ない区域がやけに多いというのが気になるところではあった。
「壁の向こうに空間がある事は間違いないんだけどなあ」
沙羅は丁寧に壁を調べながらぼやいた。
「行ったところで何も無いかも知れん。さっさと祭壇を目指すぞ」
「分かった、お父ちゃん」
大牙と沙羅はいつものように探索を続けている。
その様子を後ろからじっと見守る十六夜。
(我が妹ながら大したもんだねえ)
普段とさして変わらない沙羅の様子に十六夜は感心するというよりもむしろ呆れていた。
(もう少し泣くとか落ち込むとかすれば可愛気もあるんだけど)
と思うと同時にまた
(無理してなきゃ良いけど・・・)
と不安になったりもする。
沙羅があまりにも平然としているので結局のところ何を考えているのか分からない、十六夜の困惑はそこにあった。
そう。
沙羅はあまりにも平然とし過ぎているのだ。
いつもの沙羅ならばもっとはしゃいだり文句を垂れたりするはずである。
しかし今日はそのような素振りは微塵も見られず、ただ淡々と探索に参加しているだけではないか。
「やっぱり・・・」
「えっ、お姉ちゃん何か言った?」
「ううん、別に何も」
「そう」
沙羅と交わした短い会話。
これもいつもならばもっともっと話が弾むはずである。
(傷付いていないはずがない、無理していないはずがないよ)
こんな時姉である自分は沙羅に何をしてあげれば良いんだろう?
十六夜もまた悩んでいた。
五
鉄格子の上に看板があり、そこにはこう書かれていた。
「不死の王」
死霊の塔地下三階を探索していてついにこの場所に辿り着いたのである。
ろうそくは既に三本目を使いきろうとしていた。
時間はまだ十分である。
十六夜はここでろうそくを新しい物に取り替えた。
「これが燃え尽きるまでには何とかなりそうだね」
「でも・・・」
珍しく花梨が不安気な声を上げる。
「簡単過ぎませんか? 敵もほとんど現れなかったし、見取り図も空白が多いですよね」
「飛鳥はどう思う?」
大牙が聞く。
エルフ族は時として人間族よりも鋭い「勘」を発揮する事がある。
今までの探索でも何度となくその「勘」に助けられた事があった。
「確かに花梨の言う事も一理あるかも知れぬ・・・が、だからと言ってここで引き返す道理もあるまい」
「俺も同じ意見だ」
男同士が顔を合わせてニヤリと笑った。
「それじゃあ鉄格子を開けるよ」
沙羅はらんから手に入れた例の金色の鍵を取り出した。
睨んだ通り、その鍵は祭壇へ続くと思われるこの鉄格子を開く事が出来た。
「不死の王とやらが出て来るかも知れん。気を付けろよ」
大牙はそれだけ言うと中へ入って行った。
そこには一人の僧侶の服装をした男がいた。
長身に長髪、がっしりとした体躯、年恰好はまだ二十代かと思われる。
男は沙羅達が見た事もない彫像の前で聞いた事もない呪文を唱えていた。
部屋の中はその彫像の他に生贄を必要とするような邪悪な儀式や暗黒魔術に用いると思われる道具などが所狭しと並んでいた。
チラチラと燃えるろうそくの炎がそれらの品々を不気味に照らし出している。
男の行っている儀式は、その場の雰囲気から正しい神への祈りではない事が何となく感じられる。
男は一行の気配を感じたようでゆっくりと振り返ると、儀式の邪魔をされたのが気に障ったのか、明らかに不機嫌そうな表情で沙羅達の前にやって来た。
「我が祈りを妨げるお前らは何者か?」
「邪魔して悪かったな。お前さんが不死の王って奴かい?」
相手は明らかに探索隊に対して悪意を抱いている。
大牙は強い警戒の色を打ち出しながら男に対応した。
「いかにも。我は不死の王なり。現世での名前はマジュラという」
マジュラはニヤリと口元を歪めた。
「我は今崇高なる実験の最中である」
「実験だと?」
「そう。不死と生命維持に関する実験である。死体を蘇生させたり、魂をこの世に繋ぎ留めたりわざと老化を早めたり・・・色々な実験だ」
「そんな・・・そのような生命の理を捻じ曲げるような行為は明らかに神に対する冒涜です」
僧侶である花梨が激昂する。
「何を愚かな事を。我こそが王であり神である。我の為す事に何の不満があるのか?」
マジュラは高らかに笑った。
「一つ聞きてえ。神器はここにあるのか?」
「いかにも。三種の神器の一つがここにある。しかし、何人たりともそれを持ち出す事は適わん! それではお前らも実験の材料に加えてくれよう」
マジュラが襲い掛かってきた。
探索隊の面々はこの部屋に入った時からいつでも闘えるように心構えてきた。
飛鳥は早くも矢を放ち、十六夜も火炎の呪文を唱え終わっていた。
しかし・・・
飛鳥の矢を右肩に受け、火炎の呪文に包まれてもマジュラは苦痛で顔を歪めるような事は無かった。
むしろこの闘いを楽しんでいるかのように下卑た笑みを浮かべている。
「化け物め」
大牙は槍を構えマジュラへと肉弾戦を挑んだ。
それと同時に沙羅がマジュラの背後から飛び掛る。
大牙の槍はマジュラの胴体へ、沙羅の忍者刀はマジュラの首へ。
それぞれが深く食い込んだ・・・はずである。
なのにマジュラは平然としている。
不死の実験を自らの身体にも施しているマジュラは痛みを感じるという事がない。
マジュラが軽く腕を振るうと、大牙と沙羅の身体は地面に叩きつけられていた。
「これならどうですか?」
花梨が得意の解呪の法(ディスペル)を試みた。
相手が不死の者なら絶大な効果を発揮する、僧侶ならではの攻撃である。
しかしマジュラはそれにも耐えた。
「それで終わりかあ?」
相手の攻撃を全て退けたとマジュラは悠然としている。
一歩、また一歩と歩み寄り、まだ倒れている沙羅の首を掴むとその身体を軽々と吊り上げた。
「くっ・・・」
沙羅は手足をばたつかせてもがくも、マジュラの怪力からは脱出出来ないでいた。
「苦しめ、苦しんで死ぬのだ」
マジュラの指に更に力が加えられた。
すると、沙羅の身体が動かなくなる・・・
「沙羅ー!」
走り出た十六夜がマジュラに対して呪文を放つ。
「十六夜、今呪文を使えば沙羅まで巻き込んでしまうぞ」
「・・・」
焦る大牙に対して十六夜は何も応えない。
ただ自分の呪文の成否をじっと見詰めていた。
十六夜の呪文を受けたマジュラの身体はやはり何事もなかったかのようである。
しかし・・・
沙羅を掴んでいる腕にひびが入り、粉々に砕け始めた。
「何!?」
マジュラの顔に驚愕の色が滲む。
炎でもない、冷気でもない、十六夜の放った呪文はやがてマジュラの身体全体を壊していった。
「壊呪の呪文(ジルワン)さ」
解呪ではなく壊呪。
魔法使いが習得し得るその呪文は不死の者の身体を粉々に砕いてしまうという、不死族に対する切り札である。
マジュラの腕から解放された沙羅は着地するや否や鋭くマジュラに対して飛び掛っていた。
「お返しだよ!」
逆手に持った忍者刀を鋭く振りぬく。
十六夜の呪文でひびの入ったマジュラの首は、今度こそ沙羅の一撃で刎ね飛ばされてしまった。
首を失った残りのマジュラの胴体は、壊呪の呪文の影響で粉々に砕け落ちていった。
「沙羅、平気?」
「うん、一瞬呼吸を止めて体力を温存させたからね。お姉ちゃん助かった」
忍者ならではの驚異的な肺活量で沙羅はマジュラの首締めを凌いでいたのだ。
そして脱出してからの鮮やかな反撃、沙羅が持っている天賦の才と日頃の鍛錬の賜物である。
六
粉々に砕け散ったマジュラの身体の破片は床に落ちると、やがてどす黒い染みを残して蒸発してしまった。
その跡に白銀に輝く鍵が落ちていた。
「これか・・・」
大牙はその鍵を拾い上げると部屋の奥へ視線を移した。
そこには上の方に「祭壇入り口」と札が掛けられた鉄格子があった。
大牙がその鍵で鉄格子を開けると、その中からは邪な妖気のようなものが漂ってきている。
一行はついに辿り着いたのだ。
神器が祀られている祭壇に。
宝石を散りばめた大理石で出来た祭壇の上に青白く輝く球体があった。
しかし、その球体は全く台座には接していない。
「調べてみるよ」
罠が無いかどうか、沙羅がその台座や球体を調べてみる。
特に怪しいものは無いようだが、球体が浮かんでいる仕掛けについては全く分からなかった。
「仕掛けなんざどうでもいい。それよりそこに浮かんでいる本が・・・」
「これが三種の神器のうちの一つなんだね」
球体の中に古びた本が一冊浮いていた。
この部屋全体に満ちている妖気はおそらくこの本から発せられているのだろう。
この本こそが三種の神器の一つ「生と死を示す書物」なのである。
「沙羅、本を取れ」
大牙が命じた。
「お父ちゃん、良いの?」
「ここまで来て本を取らないって道理があるか」
「分かった」
沙羅は慎重に球体に手を伸ばすと、そこに浮いている本を掴んだ。
その瞬間・・・
沙羅をはじめ探索隊の面々に氷のようなぞっとする感覚が襲いかかった。
そのまま一行は強いめまいを起こし、意識を失ってしまった・・・
どのくらい時が経ったのだろう、気がつくとそこは狭い小部屋の中だった。
「皆、無事か? そうだ沙羅、神器は?」
「大丈夫、ちゃんとあるよ」
沙羅は手にしていた本を大牙に見せるとそれを大事に懐にしまった。
「どこだ、ここは? まあいいか。十六夜、転移の呪文で脱出しよう」
「あいよ」
十六夜は転移の呪文をを唱えてみた、しかし・・・
「お父ちゃん駄目だ。呪文が封じられているよ」
十六夜は肩をすくめて言った。
「しょうがねえ。ここでじっとしてても埒が明かないからな。行くぞ」
大牙が小部屋の扉に手を掛けたその時、何者かの声が部屋の中に響き渡った。
「ふ〜り〜む〜く〜な〜」
「何だと?」
ギョッとして全員が顔を見合わせる。
どうやら空耳ではないらしい。
「どういう事だろうね?」
「だから、振り向くなってんだろ」
沙羅と十六夜がやり合っている横で花梨が恐る恐る口を開いた。
「皆さん、この部屋から一歩足を踏み出したら決して振り返ってはいけません。もしも振り返ってしまったら死者の世界に引きずり込まれてしまいます」
「何か心当たりでも?」
「ええ、西洋の神話にそんなお話があったかと」
「なるほどな」
飛鳥と花梨が頷き合っている。
「よし分かった。振り向かずに真っ直ぐ行けば良いんだな。時間も無いし走るぞ」
大牙が決断を下した。
そこはただただ真っ直ぐに伸びる通路だった。
どこまで行っても何の変化も無い、ただの真っ直ぐな通路。
しかし実際は違う。
死霊の塔地下三階の随所にあった空洞の部分。
あそこが全て真っ直ぐな通路に区切られ、それらが仕掛けられた転移地点で繋がっているのだ。
実際のところ、一行は地下三階のあちこちを走っているのだが、本人達はどこまでも続く真っ直ぐな通路を走っているとしか認識出来ていなかった。
時折死者の姿が視界を横切るも、それらには目もくれずに前だけを見つめてひたすら走る。
「あっ!」
十六夜の足がもつれて転んでしまった。
「お姉ちゃん!」
「振り向くんじゃないよ!!!」
前を走る沙羅が慌てて立ち止まって振り返りそうになるのを十六夜が叫んで止めた。
「私なら平気だから」
十六夜は何事も無かったかのように立ち上がるとまた走り始めた。
時刻を計る為に持っていたろうそくは何時の間にか紛失してしまっていた。
今何時なのか? あとどれくらい走れば良いのか?
様々な不安を抱えながら一行はひたすら走った。
そしてついに通路がひらけた。
真っ直ぐだった道はそこで途切れ、ちょっとした空間に出たのである。
しかしまだ安心は出来ない。
何故なら・・・
「本を返せー」
目の前にあの男がいたからである。
マジュラ。
奪われた神器を奪還すべく、マジュラがこの場所に現れたのだった。
しかしその身体は粉々に砕けたはずである。
とすると目の前のマジュラは・・・
「実体の無い幽体です」
花梨が指摘した。
「よし、沙羅よ、一気に突っ切るぞ」
「分かった」
大牙と沙羅はそれぞれの得物を構え躊躇する事なくマジュラへと突っ込んで行った。
二人がマジュラに激突するとマジュラの幽体は敢え無く霧散してしまう。
そこに花梨の解呪の法を受け、今度こそマジュラは心身共に完全に消滅してしまったのである。
「一気に地上を目指そう」
依然呪文は使えない状態だったが、地形は既に見知った物になっていた。
地下三階から二階、一階と抜けて地上階へ。
そして。
「外だ!」
扉を開けて塔の外へ出た一行を夕日が照らしていた。
死霊の塔からの脱出は無事に成功した。
それは死霊の塔から神器を持ち帰るという任務の成功をも意味していたのである。