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「奇麗ね……」

《ホントにキレイだ……》

 少年らしい感性で無邪気な感想を、シンジは心の中で口にした。

 彼女は妙に醒めた、醒めすぎて色香すら漂う眼差しを、街並みに向けて呟いた。そん
な彼女に見惚れて、一瞬反応が遅れたシンジは、『洗練』という表現から、二八親等ほ
ど隔たりのある態度で応えることがやっとだった。

「こっ、こ…、この街?
 そぉうだね。ここはもうすぐ、日本の首都になるらしいから……」

 彼女はそんなシンジの様子に、クスリと好意的な笑みを漏らし、少年の言葉を訂正し
た。

「ううん、違うよ」

「?」

「山と緑だよ。やっぱり、ただ広いだけの宇宙とは違うね」

「え?」

「宇宙はね、どこまでも拡がって吸い込まれそうなんだよ。
 ホントに何もかも吸い込まれそうな……、怖いぐらい」

 そして、またあの眼差し。今度は憂いの色が強い。そのため、シンジはなんと言葉を
掛けるべきか迷った。

「色んな事があったんだ……」

 数瞬の間を置き、シンジはどうにか返事を絞り出すことに成功した。

「そう……、なんだ」

 シンジの声色に何かを気付いたらしいマナは、一転して笑顔を作った。

「シンジ君が助けてくれたんだよね?」

 いや、作り出そうとしたと言うべきか。もっとも人生経験が足りなさすぎるシンジに
対しては、充分である。突如として雰囲気を一変させた少女にシンジは戸惑いながらも、
答えた。

「う……、うん」

「やっぱり、そうなんだ」

「誰かに聞いた?」

 実に彼らしい端的な事実と稚拙な反応。マナは静かに首を横に振った。

「違うよ…」

「じゃあ、どうして?」

「雰囲気…かな…」

「雰囲気?」

「そう。ワタシが最後に『助かった』って思ったときに、そんな感じがしたから」

「そ、そうかな? イタっ!」

 彼女を助けた。そんなある種の優越感を許されたシンジは、照れた。その動作の一環
として、頭に手を触れて呻く。マナはそんなシンジの動作から、普遍的な推論を行った。

「ワタシを助けるためにそんなケガをしたんだよね?」

 それは全くの誤解(とも言い切れないが)なのだが、さすがの鈍感魔王もこの場面で
それを言い出せるほど、人外の存在ではなかった。曖昧なシンジの様子を、肯定と受け
取った彼女の独白が続く。

「すごいなー、シンジ君って……。
 あたしね、生き残った人間なのに、なんにも出来なかったのが悔しい……、うらやま
 しいの、シンジ君が」

 どうにか、堪えようとしていたマナだったが、ソレが限界だった。

「ワタシは誰も助けられなかった……、隊長も、ムサシも、ケイタも、他のみんなも」

 マナはシンジの胸に抱きついた。

「ゴメン……、ゴメンね。もう少しだけ、こうさせてね……」

 そして、マナは泣き出した。

 シンジは途方に暮れるハメに陥った。







スーパー鉄人大戦F    
第九話〔潰乱:A thing to come after spring〕
Dパート


<第三新東京市・【ネルフ】付属病院二〇四号室>      

 シンジとマナが、屋上へ行く少し前。

 葛城ミサトは、くだんの彼女の元へと訪れていた。

 本来なら、現在【ネルフ】本部へ居る【ロンド・ベル】トップであるアムロ・レイも
同行すべきである。しかし、アムロは相手が年端もいかない女子少年兵であるという点
と、負傷しているという点を重視し、ミサトに用件を託した。同性の方がデリケートな
側面を察する事が出来るであろうという判断である。

 勿論、ミサトは快諾した。前日の顛末に多少の心理的抵抗を感じないわけではない。
しかし、託された用件は彼女の職責の一部でもあったし、(アムロの判断を明確に伝え
られたわけではなかったが)意図することは十分理解できたからである。

 そして、ミサトは彼女の元へと訪れた。

 当然それは、差し障りの無い官姓名の確認から始まり、彼女の個人的状態を経て、地
球圏ローカルの戦況へと流れる。そして、これに彼女へ今後のスケジュールを伝えて、
ミサトの用件は終了。……する予定がミサトの脳裏に組まれていた。

 しかし、予定は未定であることを決定したのは、彼女の一言だった。

「……聞いても良いですか」

「いいわ。言えることと言えないことがあるけど、古巣に免じて、大概のことには答え
 ちゃうわよん♪」

 マナは先程ミサトが戦自のOGだと聞いたことを思い出す。マナはそれについて何を
思ったか、複雑な笑みらしきものを浮かべた。

「ありがとう……ございます」

「いーわよぉ、そんなにシャチホコ張らなくても。で、何聞きたい?」

「地球軌道艦隊はどうなりましたか?」

 ミサトも聞かれるとは思っていた。しかし、それが一番最初の質問になるとは考えて
いなかった。ミサトは彼女自身がそうであったのに、十代の性急さを刻の流れの中で忘
れていたのだ。

 ミサトはいきなり本陣へ切り込まれた衝撃を、指揮官として身につけていた厚顔さで
なんとか押さえ込んだ。

「いきなりヘビーな事、聞くわねぇ」

「教えて貰えません……か?」

 落胆した様子を隠そうともしないマナへ微かな憐れみを感じた後、ミサトは言い聞か
せるように確認した。

「そんなことはないわ。
 ……覚悟はしているわね?」

 マナは首肯した。そんな彼女の様子を見ながら、ミサトは精神的圧迫を感じる事柄を
処理するクセで、酷く端的に述べた。

「手酷いことになっているわ」

「じゃあ、隊長は? ムサシは? 【デ・モイン】のみんなは?」

 もちろん、ミサトは真実を話した。

「詳細不明。ご免なさい、地球も月も混乱しきっているの。こんな地ベタからじゃあ、
 今はそこまで判らないわ」

「なら、戦自は……戦略自衛隊はどうしていますか?」

「戦自……ねぇ」

 ミサトは言い澱む。戦自はお世辞にも、活動しているとは言い難い。それどころか単
なる国内テロ掃討作戦すら、敵性体が跳梁する中、惨敗の上、事実上撤退。その後事態
を傍観するという信じ難い選択をしている。今の地球圏の状況にも、動き出す気配はな
い。その勇気ある選択は、ある種の驚嘆に値する。

 だが、それをそのまま彼女へ伝えるのは、刺激がありすぎる。もしかしたら、感動が
過ぎて傷に障るかも知れない。よって、ミサトにしては、珍しく迂遠な物言いをした。

「そうね……、私の観点で良ければ」

「はい」

「何もしてないわ」

「……」

 ミサトから、戦自の活躍具合を聞いた霧島マナ。彼女は全く持って混乱状態にあった
ことは言うまでもない。その時の彼女にあったのは、復讐心と焦燥感が全てだといって、
過言ではなかった。他の全ては付け足しに過ぎない。ただ、マナにそれらを区別する余
裕など無かったために、過剰な相互干渉が彼女の思考能力を喰い尽くしていたのである。

 そんな状態で、マナは先程の戦自首脳と別の意味で、勇気と決断力のありすぎる言葉
を口にした。

「葛城三佐……」

 マナの思い詰めた声に、何故か寒気を憶えながらミサトは応じる。

「な、なぁに?」

「ここに……、【ロンド・ベル】へ置いて貰えませんか」

 この時、ノックがあった。ドモンとの朝の鍛錬を終えてきた、シンジだ。これが誰に
とっての救い、あるいは僥倖であったかは当事者ですら判らなかった。



<日本・大阪心斎橋>      

 ここは宇宙開拓などそしらぬごとく、相も変わらず食と流通のるつぼだった。

 もっとも残念なことに、妙なラテン系活力と引換になったかどうかは定かではないが、
この地域は治安が余り良くないことで知られる。日本で暴動という言葉を聞くと、治安
関係者が真っ先に思い浮かべる地名は、この地域内にある。事故件数、犯罪件数なども、
常に日本内で上位へランクされるシード区だ。

 ならば、彼らがここにいることもある意味、必然であったかも知れない。

「全員、手筈は確認したな。マルタイは、ロボット持ち出して街を攻撃するような、頭
 の三三〇だ。
 所轄のデコスケがマルタイと接触した隙を衝いて、一気に確保する」

 彼らの隠語で、捕縛対象者が精神病患者であることを指摘して、確保手順を指示する
男。彼は官僚の海を泳ぎ渡ろうとする挑戦者だった。今のところ、負けはない。苛烈な
生存競争を生き残る術と、幾らかの運を持ち合わせているためだ。

 だがしかし、品性は疑わざるを得ない。先の発言もであるが、次の発言は何より彼と
いう人格を物語っていた。

「これは全国同時一斉作戦だ。気を引き締めていけ。失敗は許されない。以上」

『淡路班、了解!』

 イの一番の返事は矢鱈に張り切っていた。ヤマがあれば、初めて雪を見る犬のように
喜ぶ莫迦。彼は男を実に幸せなヤツだとおもっている。ヤマさえあれば、幸せなのだか
ら。その結果にまで、思慮を及ぼす知性を持ち合わせていない奴だから。遣い捨てても
胸が痛まない、誰にとっても幸せな奴だ。彼はそう割り切っていた。

『上新庄組、了解』
『南方セクション、了解』

 続いて変更のあった2つの返事はヴェテランのだ。淡々と事に当たり、淡々と処理す
る。男からすると、実に扱いやすく遣いでがある。部下とはかくあるものだと、彼をし
て思わしめていた。

『…崇禅寺チーム、了解』

《フン、負け犬が、もったいぶるな!》

 最後の返事が返ってくるまでにはかなり時間を必要とした。ヤツはまだ、昇進レース
に負けたことを根に持っているらしい。それはもう遠い過去のことなのに。

 もっとも、勝者が敗者にしたことは忘れても、敗者は勝者にされたことを忘れない。
彼はその事実を忘れていた。

 手柄が彼にもたらす利益に、内心の情動を一切覆い隠す興奮を胸に秘めて、彼は力強
く宣言した。

「全員、傾注!」

 鋭い眼光を持つ男女の視線が一点へと集中した。視線の先では、捕縛対象者、元コン
バトラーV・2号機【バトルクラッシャー】パイロット・浪速十三が、新聞を拡げて世
界の将来を案じていた。


    :

「しかし連邦軍、ホンマに大丈夫なんやろうな?」

 彼が拡げた古式ゆかしい紙媒体の新聞には『連邦軍、大敗か?』の字面が見られる。
もちろん、連邦軍の大敗は一部しか報じられていない。もっともこれは報道管制したと
言うよりは、当事者自身ですら全貌を把握しきれていない現状を、マスコミも把握でき
ていないためである。だが、それだけにマスコミは、いつものように表現の自由と視聴
率の獲得を半ば意識的に掛け違えて、自らの望む世界観へと世間を意識誘導しようとし、
それは日本国内においては半ば以上成功していた。市民が動揺するには十分だった。

「まぁ、イザとなったら、またワイが【コンバトラー】に乗って、チャッチャと片付け
 たらエエだけやけどな……
 ウン? 気のせいかいな。今日はヤケに視線を感じるでぇ」

 十三は数日前の出来事を思い出した。

「またワイのファンでも押し掛けよったか?
 フッ、ワイの男前振りは上がる一方みたいや。よっしゃあ、ここは一発カマしたら、
 イカンな」

 彼は数日前、街中で彼好みの女性の誘いをうけ、小旅行へ出かけていたのだ。その経
緯が幸運とするならば、道中での出来事は至福と云えるものだった。彼女曰く、一部の
アングラ紙へ書かれた彼の活躍を読み、ファンになったのだという。今思い出しても、
顔がニヤけてくる。彼の人生へ実りを与えることの少なかった南原コネクションでの経
歴だったが、この時ばかりは不覚にも感謝すらしてしまいそうになる程だった。

「何をブツクサ言うとんのか、十三」

「ん? おわ!?
 なんやっ、オッチャンか」

 十三へ呼び掛けたのは、彼へライフル射撃を教えた老刑事だった。試験の結果ではな
く、履きつぶした靴と試験で必要とされる以外の技能で、階級と棒の号数を稼いだ男だ。
どうしようもないゴロツキだった十三を更正させた、人生の恩師でもある。

 しかし、今の老刑事の表情は、何やら暗いモノを想像させる。こんな表情は南原コネ
クションに関わり合いになる以前にも見たことがない。

「どしたんや、オッチャン。コワイ顔して。なんぞあったんか?」

「十三、お前ここ数日何処へ行っていた?」

「イヤやなぁ、オッチャン。ワイにもプライベートってあるんやで」

「いいから、答えろぉっ!!」

 思わず周りが首をすくめて、止まってしまうほどの力の籠もった言葉だった。硬直し
てしまった十三を肩を抱き込んで、老刑事は一方的にまくし立て始めた。

「いいか、ワシはお前がやったとは思っとらん。
 だからこれから、何があっても決してやっていないことをやった、などと言うな。
 えぇか!?」

「何を言っとんのや、オッチャ……」

『カクホォー』

 その大音響と共に、十三は人の波に呑まれた。


            :

同刻:九州南部・鹿児島市内

 大男は仕事場として借りているマンションの一室で、ある悩みに悩まされていた。

「あそこは大丈夫でごわすか」

 この優しき大男の名は西川大作。

 元コンバトラーV・3号機【バトルタンク】パイロット。

 そんな過去を持つ少し特殊な執筆業(或いは芸術家)な彼が、心配している場所は、
東京湾に造成された人工島へ存在する、とあるイヴェント会場の安否だった。世界中に
いる彼らの同類達が聖地とも言うべき場所は、テロ一掃作戦の実施が大々的に報じられ
て以降、全く不明だった。お陰で、ここのところネームにも身が入らない。締め切りは
明後日だというのに。差し当たってそれは連邦軍が大敗したらしい、と言う噂よりよっ
ぽど重要だった。

「ばってん、気分がのらんね……
 気分転換でもせんといけんばい」

 彼の望みは望まぬ形で叶えられることになった。

「大作、あんた何したとっ!?」

 彼の母親が泣きはらして、後ろにいかめつらしい男を数人引き連れ、仕事場へと怒鳴
り込んできたのである。彼の気分転換は、少しばかり長くなりそうだった。


            :

同刻:静岡・南原コネクション

 門柱に看板が掛けられている。そこに刻まれた名は『磁力大系工学研究所』。だが、
だれもここをそんな名で呼ぶ事はない。

 『南原コネクション』

 ここを知る者は、すべからくそう呼ぶ。

 いわゆる『スーパーロボット研究所』なのであるが、半ば犯罪組織のように呼ばれる
にはワケがある。いや、ソレに相応しいというべきか、彼らと繋がりがあったのは犯罪
組織よりタチが悪かった。彼らは行政府・官公庁と繋がっていたのである。

 これは創立者である南原博士が、学者にあるまじき覚悟で――必要とあらば翌日の腰
の痛みすら省みず、月夜に悪魔とツイスタ踊る事すら厭わない程の――、自らの必要と
する資源、人員・資金 etc.,etc.を掻き集めた。

 実際には、もう少しボタンの掛け違いと無責任が絡むのであるが、それは当事者達に
取ってすら、もはやどうでも良いことだった。

 全くこう述べると、木っ端役人共の上前をはねるほどであるから、創立者の南原博士
は、さぞかし後ろ暗さを漂わせる人物のように思えるかも知れない。しかし、実態は全
く違う。

 実のところ、南原博士は全く人格者だった。本人は欠片も意識していないが、天性の
カリスマと才覚を持っており、特に官僚の海へ生息する高知識低知能陸棲哺乳類に対し
ては殆ど魔力めいた影響力を持っていた。それは国家財政へ与えた打撃から評価すると、
殆ど“呼吸する災害”と呼べるレベルだった。

 このような人物が鉄の意志を持って、超大型機動兵器開発・建造へ邁進したのである
から、たまらない。

 南原博士に魅入られた役人共は官僚らしい手口でコネクションへとあらゆる資源を注
ぎ込み、博士の望む未来へと伸びる道を納税者から搾り取った貴重な血税で舗装し続け
た。タチの悪いことに、これもいつもの如く、いつものように、各省庁間でメンツを掛
けた主導権争いに発展し、気が付いてみれば各省庁関係者皆が蒼くなるような資源・資
金・人材が、一般市民にはなんら関係のないところで消費されて続けていた。

 幸いにして、地球連邦後の混乱に乗じてロボットテロ組織を仕掛けてきた、自称キャ
ンベル星人達を排除に活躍(これは誰にとっても幸運だった。第一次地球圏大戦前の妙
な緊張状態にあった時期に、政府保有戦力に計上されていないでロボットテロ組織へ対
抗可能な上に、政府の成果として喧伝できるような組織は、唯一ここだけだったからだ)
し、無駄とはならなかったのではあるが。

 だが、そんな南原コネクションの夏は、3年ほど前に終わりを告げた。南原博士の死
によって、魔力で正気を喪っていた人々が呪縛から解き放たれ始めたのである。もちろ
ん、その傾向はキャンベリアンズ・テロの最中で、南原博士が鬼籍へ入った時から既に
見られていた。しかし、官僚特有の自己保身から、南原コネクションを害する理由と決
断に不足していたため、南原コネクションの夏は依然として続いていた。

 しかし、第二次地球圏大戦終結後、戦自のトップに君臨した南条は違った。彼は行政
府主権内に存在する、戦自以外の戦力へ掣肘を下す事にまったく躊躇しなかった。特に
政府への依存が強かった南原コネクションにとって、これは致命的だった。各省庁とも
雪崩をうつように補助金の締め付け、出向者の引き上げ、研究者の引き抜きをあからさ
まに行うようになった。他のスーパーロボット研究所でも同様の問題は起こったが、南
原コネクションほど致命的ではなかった。南原コネクションはいわば身内により、足下
を崩されたのである。

 南原コネクションの夏は、こうして終わりを告げた。

 そんな斜陽の研究所を久方ぶりに訪れた元コンバトラーチーム【バトルクラフト】パ
イロット・北小介(13)は、ある感慨に酔いきっていた。

 闘いの日々。頼れる熱血漢達に、麗しの姉。血は繋がってないが、家族以上の連携感
がここにはあった。運用のためには思考波を一致させ続ける必要がある機動兵器・超電
磁ロボ【コンバトラーV】のパイロットであるから、そうなることも当然ではあるのだが。

『本当に懐かしいですねぇ』

 小介は、こちらに向かってくる元コンバトラーチーム・リーダーと、チームの一員で
あり創立者の令嬢を見ながら、そんな感慨に耽っていた。

「よお、小介。久しぶりだな」

 リーダーは、あれから数年の時を経ても、殆ど変わりがなかった。多少逞しさを増し
たような気がしないでもないが、この気安さは呆れるほど変わらない。

 一方、創立者令嬢こと、南原ちずるは……。北小介的主観世界において、更に美しさ
を増していた。元々少年にとって、彼女は崇拝すべき女性であった。今、改めて出会っ
てみると、ソレ以上の存在へと昇華していることが実感できた。彼女の美しさは、少年
の内宇宙に存在するある種の感情へ強く作用する。崇拝すべき存在へその種の感情を向
けるという背徳感に、少年は三年近くを既に費やして、禊ぎを済ませていた。

「はい、こちらはどうですか、豹馬さん、ちずるさん。
 ちずるさんも、なんて言ったらよいか……、その……、相変わらず、キレイですね」

 最後のフレーズは、憧れであった(ひと)へ彼が渾身の努力で紡ぎだした言葉だ。

「あら、お上手。小介君も大きくなったわね。
 こっちの方は3年前から、変わりないわ」

 もっとも、個人的幸福を既に手に入れているちずるにとっては、子供が背伸びして生
意気言っている程度にしか、受け取れない。少年の努力はいつの世も報われないのであ
る。更にその上、彼女の個人的幸福に貢献し、少年の努力をフイにした元凶――葵豹馬
の言葉は、腹立たしいほどに呑気なモノだった。

「そうだな、超電磁学の研究を細々をやっているぐらいか」

 すこしばかり小介の言葉が、意地悪になるのも無理からぬであろう。

「やっぱり、コンバトラーの現役復帰はありませんか」

 もちろん、少年の悪意は空回りする。小介は豹馬にとり、2年経とうが、3年経とう
が、守るべき幼い被保護者であるからだ。決して、浪速十三のような、時に己同士をぶ
つけ合う対等な関係ではない。豹馬はあっけらかんと小介の言葉を肯定する。

「そうだな。一応維持整備はやってるけど、それが精一杯だ」

「予算も許可もないからね。まったく、イヤになっちゃうわ。
 四谷博士もそれで第二へ行っているの」

「小介、そういうお前はどうなんだ?」

 予想通りのいたわりに満ちた言葉は、むしろ小介の心中へ虚しさを憶えさせた。涙す
ら出そうになった。空回りする悪意ほど、惨めに感じさせるモノはない。ただ、そんな
情けのない姿を、憧れの女にだけは見せまいする最後の意地だけが、その時の小介の精
一杯だった。

「えぇっ、と一応大学で研究三昧ですけど」

「じゃ、今回は学会か何かか」

「いえ、講演に呼ばれたんですが……」

「へぇ〜、やるじゃねぇか」

「すごいわ、小介君」

「……でも、その講演は中止になりました」

「おや…」「まあ!」

「大丈夫か、せめて交通費は出たか?」

「それは大丈夫だったんですが、少し妙でした」

「一体何が妙だったの、小介君」

「はい……」

 そろそろ、小介の最後の意地すら、維持することが難しくなってきたその時。救いの
主は、意外なところから現れていた。

 豹馬のヴィジフォンがけたたましく存在を主張したのである。
『すいません、所長代理心得見習い』

「なんだ、来客中だぞ」

『それが……』

「そこを動くな。極悪人共」

「テメェは誰様だ」

「警察だ。台湾での破壊活動について聞きたいことがある。同行していただこう」

「話が見えねぇぜ」

「台湾で暴れたのは【コンバトラーV】だ」

「寝惚けるな。ここ一年【コンバトラー】は外に出して動かしてねぇよ」

「ほう、ならば、これを見ろ!」

 何やらプリントアウトされた紙を突きつけられる。依然として、国から資金的にも人
的にも支援を受けている南原コネクションでは、ある面では役所より役所らしいところ
がある。【コンバトラーV】の稼働記録などはその筆頭に挙げられるだろう。

「なんだ……!?
 ―――――っ!! 冗談じゃねぇ。ちずる!」

「えぇ、豹馬。……うそ、記録されてるわ」

「納得したようだな」

「確保だ、急げ」

「「「「はっ!!」」」」

「豹馬!」「豹馬さん」「まて、何かの間違いだ、何かのっ!!」

「そうだろうとも、間違いさ。お前らのな」

 生理的嫌悪感を呼ぶであろう嘲笑を顔に浮かべながら、男は呟いた。しかし、今の小
介はそんな笑みすら、許容できるのであった。手荒く拘束さえされていなければ、感謝
してしまいすらしてしまいそうだった。




<チベット・ラサ>      

 底知れない意志の力が漲る瞳だった。特に力込んで居るわけではない。己が定めた終
着地へと向かい続ける者にしてみれば、その様な気負いなどする必要もない。

 至高へと向かおうとする者【ティターンズ】総司令ジャミトフ・ハイマンは、静かに
独白した。

「そろそろか……」

 報告がてら、傍らに控えていたバスク・オム大佐は王の言に対応する事象を列挙する。
そして、最も現在に沿う件について口にした。

「はっ、そろそろコンバトラーチームの一斉検挙が始まっているはずであります」

 己が発言を正解であったか探るような気配のある禿頭の大男を、可笑しげに眺めるジャ
ミトフ。その口から出た言葉は、予想外に優しいモノだった。

「何とも気の毒な話だな」

「何がでしょうか?
 行政府に対する不満を最悪の形で行う連中です。即決裁判で銃殺しても、文句はない
 でありましょう」

「バスク、それは本心か?」

「はい、閣下。いいえ、違います」

「だろうな……」

「タカオシティーに現れたのは、DCあるいは異星人関連の擬装マシンでしょう」

「ほう、根拠は?」

「タカオシティーに現れたマシンの戦闘記録からです。
 あの“格闘する弾薬庫”(グラップリング・アーセナル)にしては、らしからぬ行動を。
 攻撃は、腕部からの火炎放射に、単純格闘が殆ど。まず、別物でしょう」

「そうだ、ほぼ確実にナンバラ・コネクションの仕業ではあるまい」

「ですがきゃつらは捕まえられると言う訳ですな」

「それが政治だ。贄は必要なのだよ。誰にでも判りやすい形で、連邦市民を納得させら
 れるな。特に今のような情勢では」

「はっ」

「とはいえ、これはチャンスだ。労せずして、強力な機動兵器を手に入れる」

「たとえば五七m級の、ですな?」

「そもそも、アレがお蔵入りしたのは旧かったからではない、強すぎたからだ。
 SDF(=JSSDF 戦自の事)のトップにはさぞ目障りだったのだろうな。一〇年以上、
 パイロット問題でロクに動きもせず陳腐化したマシンだが、全高五七mの巨体へ武装
 を押し込めて、兵装搭載量は通常MSの三〇倍、あのサイコガンダムですら優に三倍
 の優越を許している。動きさえすれば戦艦以上の戦力とみて間違いない。
 大したモノだな」

 極論する。つまるところ個々の戦力などというモノは、火力とその持続時間に尽きる。
戦闘において、速度とは火力の発揮機会を保障、防禦とはその持続時間を保障するもの
でしかない。ならば、火力と持続時間の積であるその兵装搭載量は、戦力としての価値
に直結する。

 その辺りのことを、理性ではなく本能で識っているバスクは、追従抜きで同意した。

「そうでしょう」

「多少古びてはいるが、戦力としては評価できる」

「はっ」

「では、日本行政府の手間を省いてやれ。さっさと我が隊への編入だ。なに、あの行政
 府だ。こちらからの要請を断る能力などありはせん。子供の使いで十分だ」

「全くです。では、手すきの者を使いに出します」

「よろしい」

 新たな戦力の算段を終えると、ジャミトフは難しい顔をした。

「さて、後の問題は反攻まで、どれだけ戦力蓄積と戦果の天秤を取るか……だな」



<ジオフロント・【ネルフ】本部第三ブリーフィングルーム>      

《ふむ……》

 なかばそうなる予感はあったが、本当にそうなってみると、それなりそれなりの感慨
を抱く。それはニュータイプであってすら、変わらない。

 アムロ・レイは、目の前に並ぶ三人の少年少女を見るに、そう思わざるを得なかった。

 今更言及する事も莫迦莫迦しいが、念のために述べておくと、出席義務があるのは少
年一人だ。それなのになぜ、人員比二〇〇%増し存在感四〇〇%増しの人員が存在して
いるか、それはあまり人のことは気にしない傾向のあるアムロをして、なかなかに楽し
ませる。

 もっとも楽しむために貴重な時間(長という者はどこでも忙しい。特にあちらこちら
から目の仇にされている組織のソレであるならば、尚更だ)を割いたわけではないので、
適当なところで切り上げさせねばならなかった。

「アテンション」

 アムロはおそらく目の前にいる人数の六割ほどに効果的であろう言葉を、謹厳に告げ
た。それに対して、期待値を裏切らず一名は全く反応せず、二名は半ば反射的にある行
動を取った。

 バネ仕掛けの人形のような勢いで、起立し敬礼したのである。

 そんな彼女達の様子に、シンジは目を白黒させた。

 アスカとレイは視線で、シンジにも自分達と同様の行動を促したが、残念なことに少
年は彼女達と視線で話が出来るほど、関係を熟醸させていなかった。

 そんな様子に思わずアムロの口元は弛む。それを取り繕うともせずにアムロはシンジ
に話しかけた。

「ほら、シンジ君も立って、敬礼だ」

「あ、はい。す、す、すいません!」

「いや、君がそう言うことを教えて貰っていないことは判っている。そのうちに、憶え
 ればいいさ」

「は、はい。」

「まぁ、それは今日の本題じゃない。今日は君に一番教えなければならない事を教える」

「はい」

 シンジの返事に肯いてみせると、アムロは話を始めた。

「……少し昔話をしよう」

 アスカのみならず、珍しくレイは少し怪訝な顔をした。懲罰のために行われる教育で
は、関係のない話のように思えたからだ。アムロもそれを判っているのか、どうかは知
らないが淡々と話を続けた。

「近代戦争の嚆矢と言われた戦いであった話だ。ある攻略戦で大損害を出し続けた軍司
 令官がいた。当然、大問題になった。そこで代わりの人間が派遣されたが、派遣され
 た人は曖昧な解決策を採ってしまった。軍司令を解任せずに、軍の指揮権を握ったん
 だ。彼らは軍司令を解任すべきだった。もしくは、軍司令を解任せずに軍の指揮権を
 握った人間を処罰するか。どちらにせよ、責任を明確化して、後世に規範を示すべき
 だった」

 何を言われるのか思いきや、そんな話に拍子抜けしたのか、アスカは全く呆れ果てた
ように口を挟んできた。

「全く、当然じゃない。なに当たり前のことを言っているのよ。そんな低能な連中の話
 をして、何が言いたいわけ?
 選ばれた者であるエヴァパイロット、チルドレンが聞くに相応しい話じゃないわ」

 これに対してアムロは、実に理性的な対応を行った。疑問を持つことはただ安穏と全
てを受け入れるより好ましい。だが、彼女の言動には武を揮うものとして、必要とされ
るべき姿勢を欠く。だから、アムロは敢えて、少女を咎めた。

「前にも言ったかも知れないな。他人の失敗を嗤い、自分を尊大に見せようとするのは
 感心しない、ソウリュウ君」

「な、なんですってぇ!?」

「あ、アスカ。押さえて」

 そんな少年少女の様子に微笑ましいモノを感じながらも、アムロは言うべき事を言っ
た。

「同じ人間だ。根本は変わらない。なら、その同じ人間がした行いとその結果は十分考
 察に値する。
 それとも、君は人間ではない何かなのか?」

 レイとシンジの視線がアスカへ向けられる。

「「……」」

 その視線に何故かアスカはたじろいだ。

「なによ……。こら、バカシンジ! 何でアンタがそんな目でアタシを見るのよ、コラ!」

「あぁ、ゴメン、アスカ〜ぁ」

 こんな場所でも戯れることの出来る二人に、呆れるアムロ。彼をして口にまで出るの
であるから、相当なレヴェルに達しているのであろう。

「本当に仲が良いんだな、君たちは」

「こ、根拠のないこと言わないでよ。私達の何処がそう見えるのよ! 単なるご主人様
 とそのしもべ以外の何者でもないんだから!!」

 アスカの発言が徹頭徹尾正しかったとしても、それはそれで問題なのであるが、今こ
こで指摘することでもない。だから、アムロはアスカの発言を肯定ことも、やぶさかで
はなかった。

「そうはおもえないんだが、君が言うならそうなんだろう」

「そうよ、さっさと話を元に戻して!」

「ああ、判っているさ」

 やっと、本筋に入れるなと心中で苦笑しながらも、アムロは少女の要望通り、本題に
戻ることにした。

「で、続きになるな。結果が出たのは、三〇年以上経ってからだ」

「気の長い話ね。いいじゃない、そんな後の事なんか、どうでも」

「その為に死んだ人間が一〇〇万程度では、利かなくてもかな?
 そのために不幸になった人間はどれぐらいになるだろう?
 一億か? 二億か? それとも……?
 わからない君じゃないと思いたいな」

「……」

「わかってくれて、僕は嬉しい。
 続きだ。彼らは先人を模倣して、あらゆる規則を自分達の都合のいいように解釈した。
 規則に書かれていないことに至っては、デタラメの一言だ。
 同盟条約の履行を妨害。クーデターの看過。挙げ句に、他の国で政府の意向を無視し
 てやりたい放題。
 知っているかい? 彼らは内部対立を防ぐために、戦術に関しての討論すら禁止して
 いたんだ。軍が軍として機能するために存在すべき手段が、軍の目的である抑止力の
 保持を、相対的に辞めさせている。これは戦術の進歩によっても戦力は向上するから
 だが、本末転倒も甚だしい。
 その結果は言うまでもないだろう? その国は滅びてしまった」

 これに対する反応は、各人それぞれ個性的ではあった。

「そうなんですか……」「フン、まぁ当然の結果よ」「そう……」

 各人の反応に一応の満足を憶えながら、アムロは本当に教えたかったことを述べた。

「だから、僕は君たちに教える。自分達がどんな存在であるかを。結果が全てじゃない。
 僕たちの立場では、経過すら重大な意味を持つ事がある。今のためだけじゃなく、そ
 の先の未来を考えておく必要があるんだ。憶えておいてくれ」

 そこまでいうと、彼は課題を少年に伝え、解散を宣言した。

 アムロは賑やかしい少年少女の声を聞きながら退室した。そして、彼は自嘲めいた言
葉を内心のみに向けて独白した。

《……もっとも、まともな軍人に言わせたら、僕たちも含めて大差ないだろうけどね》



<アラビア半島・アデン北東一二〇km>      

 彼は、現実問題として、比喩でも何でもなく、きな臭さ漂うその地へ佇んでいた。端
的に評して、場にそぐわない。彼が在るべきは豪奢な屋敷の中であるべきだった。片隅
とは言え、間違えても硝煙の類が漂う地へ在るべき人物には見えなかった。

 戦塵と砂塵が混ざり合う禍風に、柔らかな金色の髪を舞わせながら彼――カトル・ラ
バーバ・ウィナーは、戦場と思わしき方向へ視線を向けていた。

「カトル坊ちゃん、何を見ておられるのですか?」

 背後から声が掛かる。ウィナー家の私設部隊【マグアナック隊】隊長ラシードだ。ア
ラブの男性らしい見事に手入れされた髭が、カトルの目に付く。実際のところ、カトル
は自分の事を男性的魅力に欠けると感じている。華奢な身体、メリハリに欠ける顔立ち、
薄い体毛、全てだ。そんな事に常時悩むほど、暇でも愚かでも無かったが、こんな時に
それを感じてしまう自分に嫌悪感すら感じてしまう。

 それはさておき、忠実な僕に答えなければ行けない。それは奉仕を受けるモノの義務
だ。先程感じた何かを無理矢理抑え込んで、カトルはラシードに答えた。

「さぁ、僕は何を見ているように見えますか。ラシード?」

「そうですなぁ。取り敢えず、世界の未来と言ったところでしょう」

「かいかぶりは困ります、ラシード。僕は今、過去と向き合うためにここへ来ているの
 ですよ」

「過去は現在を経て、未来へと続きます。どれが欠けても成り立ちません。学のない私
 が坊ちゃんに言うまでもないでしょうが」

「いいえ。ラシードの経験がそう言わせるなら、それが聞けただけで、ここへ来た甲斐
 がありました」

「勿体ないお言葉です」

「ラシードがここへ来たと言うことは、何かありましたか?」

「はい」

 ラシードは恭しく返事をした。

「聞かせて貰えるでしょうか?」

 カトルはあらかじめ内容を判っているかのように、表情を曇らせる。ラシードは敢え
てそれを気付かないフリをして、報告を始めた。

「判ってらっしゃいますと思いますが、先程立て籠もっているDC残党軍と連邦軍に戦
 闘がありました」

「はい、ここでも聞こえました。かなり激しい戦闘だったみたいですね」

「その通りです。連邦軍側は【ティターンズ】の元キリマンジャロ駐留部隊を基幹とし
 ています。もちろん、指揮官を含めてです」

「そうですか。では、さぞかし彼らは異星人に基地を奪われた失点を回復したいでしょう。
 ……酷いことになりそうですね」

「はい、と言いたいところですが、さすがといったところでしょうか。
 DC残党軍が機制を先して先制攻撃を掛け、連邦軍出鼻を挫きました。
 現在でも戦力比は3を超えていますが、先の戦闘で怖じ気づいたらしく増援待ちを決
 め込んだようです。遠巻きに布陣を敷いて、厳重な警戒態勢を取ったまま半包囲して
 います」

「DC側指揮官は」

「ランバ・ラル。確定情報です」

 ランバ・ラル。おおよそ、ここ近年で有名で有能な作戦指揮官を挙げろ言われたなら
ば、三本の指に入ると言われる人物である。

 勇猛にして果敢。
 狐の狡猾さと獅子の勇気を矛盾無く両立させている男。
 不屈の戦意を持つ男。

 カトルは、並の指揮官であれば士気崩壊すら許容できてしまう状況で、人類圏屈指の
戦上手が行っているであろう行動を予測し、端的に述べた。

「では、逃げ出す算段を始めていますね」

「えぇ、間違いなく。彼らDC残党軍は基地守備隊をアッサリと降伏させました。その
 上で神出鬼没というゲリラの利点を捨ててまで基地に居座り、討伐隊すらを蹴散らし
 てみせたのです。十分な成果だと言えるでしょう。彼らの作戦目標は果たしたと見受
 けます」

「判ります。ならば、後は逃げるだけと言いたいのですね?」

「ご明察です。もっともランバ・ラルのことですから、ただでは逃げないでしょう」

「だから、未だに用済みの基地に引きこもっている……」

「今頃、手ぐすね引いて待ち構えているでしょうな」

「連邦軍はどうですか?」

「先程言ったようにキリマンジャロを追い出された【ティターンズ】残存が主力です。
 坊ちゃんが言われたように失点の回復も目論んでいるでしょうから、戦闘の激化は先
 程の比ではないでしょう」

「納得できますね」

「で、我々の行動方針ですが」

「そうですね。行政府からの委任状を盾に双方の足止めを狙います」

「ラル隊は逃げるでしょうし、【ティターンズ】がこちらの話を聞くとも思えません。
 最悪、両者から挟撃すら受けかねません」

「僕もそう思います。ですが僕の狙いは、彼らを通して地球圏の真実を見定めることに
 あります。ですから、それは支払うべき代償の一部なのでしょう。
 ラシード達には迷惑を掛け、心苦しいのですが」

 カトルの言葉に対して、ラシードはいつものように恭しく頭を垂れるのみだった。

「勿体ない言葉です、坊ちゃん」



<アラビア半島・元連邦軍アデン基地>      

 一方、ランバ・ラル隊では出撃した面々が帰還し、それぞれの無事をそれぞれなりに
喜んでいた。

「報告します。コズン・グラハム大尉、任務を果たし、只今戻りました」

 もちろん、それは隊を統括する面々に無条件で適用されるモノでは無い。彼らは一つ
の小さな勝利に無邪気な喜びを得られるような呑気な立場ではないからだ。敗残兵であ
るという事実はそれほど大きかった。いつ部隊崩壊してもおかしくないのである。

 そんな難事へ敢然として立ち向かい、あまつされ抗ってすら見せる男、第五〇一独立
機動大隊々長ランバ・ラルは、張りのある声で出撃隊長を迎えた。

「よく戻った。で、連中はどうだった?」

「それなりに訓練されています。まぁエリート部隊と言うだけはありました。襲撃後で
 泡喰ってるだけじゃなく、キチンと追撃してきましたから」

「で?」

「何機か損傷しましたが、全員無事です」

「そうか。戦果も聞かせてくれると、嬉しいのだがな。コズン」

「申し訳ありません、忘れてましたぁ。デポ(物資集積所)の破壊に成功。オマケです
 が、ついでにMS五機を完全破壊。勿論、追撃してきたヤツで返り討ちにしたモノは
 含めていません。
 確認は出来ませんが、攻勢に必要な物資と2個中隊弱二〇機前後のMSをスクラップ
 にしたと確信しております」

「妥当なところだ。
 取り敢えず、増援が到着するまでの時間はユックリ仕込みが出来そうだな、クランプ」

 ラルは得心したように肯き、傍らの副官へ意見を求めた。

「えぇ、歓迎委員会総出で掛かりきりになれます。実に素晴らしい」

「全くだ。
 コズン、よくやった。本日は休んでよろしい」

「はっ!」

 もちろん、戦闘集団というより闘争的氏族と表現する方が実状に沿う部隊である。休
息を与えられたからと言って、本当に休むモノは少ない。彼らのとっての安らぎとは、
家族と共に過ごすことだからだ。それはここにいる誰もが自覚している。だが、ある区
切りとして、彼らはそれを必要としていた。

 案の定、ラルは口調を変え、コズンに聞いた。

「ところで、あの娘はどうだった?」

 その口調は、好ましからぬ行動を取る子女に悩む親権者にしか見えない。ラルの質問
を予想していたコズンは、彼らしい口調で端的に述べた。

「サラの嬢ちゃんですか? まぁ、MS戦では結構な働きぶりでしたが……」

「が?」

「危なっかしいですぜ」

「そうか……。まだ、踏ん切りが着いていないか」

 サラ・ザビアロフ。第二次地球圏大戦末期ラル隊に拾われた娘だ。DC義勇兵だった
らしいのだが、よくわからない。彼女の原隊であるパプテマス・シロッコとかいう若手
指揮官に率いられた部隊は、第二次地球圏大戦末期あの【ロンド・ベル】との闘いで壊
滅している。そのため彼女は行き場を無くし、DCの各セクションをたらい回しになっ
ていたらしい。

 そんな彼女を拾ったラル達は地下組織を通じて、市民生活へと戻そうとしたが、本人
の強い抵抗に遭い、現在の所その目論見は頓挫している。そのため、半ば居着くような
形で彼らと共にいる。

 もっとも、原隊で何があったのか判らないが、ことある事に危地へと飛び込みたがる
ため、ラル達は扱いに困っているのだが。反面、それが皆の保護欲を刺激することから、
隊の結束を固めている一助となっている事は、ある意味皮肉としか言いようがなかった。

 もちろん今回も、彼女は強く志願して出撃に参加している。もっとも流石にMSパイ
ロット稼業よりよっぽど専門家色の強い歩兵戦には出せないため、作戦支援に出したM
Sのパイロットとして参加させていた。

 そんな男達に、匂い立つような麗しさに満たされた、艶のある声が響いた。

「あなた……」

「どうしたハモン?」

 事実上ランバ・ラルの妻であるクラウレ・ハモンだった。彼らの隊が未だに維持でき
ている要因の一つでもある。武骨な男には無理な気配りを、如何なる場所であろうとも
維持し続けることの出来る特殊技能の持ち主で、良人を支え続ける女性であった。そん
な彼女ももちろん、サラへは人一倍気を使っている。サラの姿は彼女の母性を強く刺激
していた。

「あの年頃は難しいのです。判ってあげてください」

「頭では判ったつもりなのだがな……。いつまでも、こんなところへ居て良い筈もない
 だろう」

「ご自分の創った場所を、こんなところですか」

 言っていることは正論なのだが、いや正論であるからこそ、ハモンはおかしかった。
伴侶という贔屓目を勘案してすら、偉大な男が漏らした卑小な言葉は、似つかわしくな
かった。揶揄するような言葉さえも、優しくなる。

 そんな荊妻の様子に、ラルは精一杯平静を装った。

「そうだ。ここは大人の場所だ。子供が居て良い場所ではないわ」

 無言で肯く面々。

「ハモン、すまんがこれまで以上に気を付けてやってくれ。ワシらでは……、その……、
 なんだ……」

 とうとう限界に達して妙に顔を赤らめるラル達に、ハモンはおかしげに笑みをもらし
ながら、鈴を転がすような声で返事した。

「はい、わかりました。アナタ」



<ジオフロント・第七機動兵器整備ブロック>      

 区画へ通じる機動兵器用エレベータ上に乗っかっているマシンを見ながら、兜甲児は大
きな呆れと共に呟いた。

「やっと着いたか」

「今回は記録を大幅に更新ね」

 感慨深げな兜甲児の独白が響く。しかし、それに応えた弓さやかの声には、呆れと驚
きと賞賛が見事に不協和音を成した言葉だった。

「記録? 何の記録だ」

 不思議そうに尋ねる甲児の質問には、彼のステディ、マリア・グレース・フリードが
答えた。

「到着までの経過時間、航跡距離、機能不全発生数、オマケの連中の数、etc.,etc.
 って、あたりかしら」

「なるほど。しかし何でそこまで判るんだよ、マリア」

「ダメねぇ、甲児。アストナージさんから連絡貰ったでしょう、憶えてないの?」

「あー、最初のくだりで莫迦莫迦しくなって、後は聞き流したからな」

「「……納得できるわ」」

 甲児の言葉に二人は力一杯納得してしまうのであった。そんな彼らの言葉に、いま一
人の彼女は、どのような態度取るべきか小さく困惑しつつ、呟いた。

「……あまりマサキをいじめないでやってくださいね」


            :

 エレベータから降りて、降機姿勢をとった地底世界ラ・ギアス製機動兵器【サイバス
ター】から出てきたマサキ・アンドーを、甲児は人の悪い笑みと含みのある言葉で迎え
た。

「よっ、マサキ。アストナージさんから聞いているぜ。地球を何周したんだって?」

 甲児の言葉を予想してはいたらしいが、実際聞くとなるとやはり堪えるらしい。マサ
キの言葉は短く素っ気ないモノだった。

「……聞くな」

 しかーし、甲児その程度で誤魔化されたり、惑わされたりするほど、純真ではなかっ
た。彼とて、汚れ続けている人間なのだ。

「ふむ、その反応から見るに。五周……」

 マサキは痙攣するかのように肩を振るわせた。厭な記憶を思い起こすかのように。だ
が、マサキには幾分安堵している様子がある。例えば、何倍しようが一向に変わらない
という奇蹟の点数を付けられたテスト結果が、採点ミスであったと宣告されたように。

 敏感にソレを読み取った甲児は厳かに発言を訂正した。

「いや、一〇周」

 マサキは胸を押さえて、跳ねた。だが、まだ甘い。真実に近付いてはいるらしいのだ
が、そうであるならば、今のリアクションに最低フィギュアスケーターの如き、トリプ
ルルッツ程度は加わっているだろう。甲児は心を鬼にして、真実を探求した。

「もしかして、一四周ぐらいいったか?」

 マサキは一人バックドロップで脳天に地面を直撃させた。だが、地面からの響きに真
摯さが足りない。まだ事の真相には到達していないようだ。甲児は情け容赦なく、事実
をえぐり出した。

「そーか、一五周も廻ったんだな」

 地面で激しく痙攣する彼の姿は、砂浜へ打ち上げられて断末魔に喘ぐ海棲哺乳類にし
か見えない。これは確実だ。ようやく、真実に辿り着いた。甲児はそんな満足感に浸っ
ていた。ついでにマサキは海棲哺乳類の道に浸っていた。だが、マサキは幸運だった。
そんな彼を陸棲哺乳類へと回帰させる奇蹟も、存在していたからだ。

「……あら、まぁ。たくさん回ったのねぇ」―ウェンディの登場

 無駄に和やかな口調が聞こえた。マサキは一瞬思考が停止した。ここはラングランで
はない。地上だ。彼女はここに居るはずの無い。

 だが、現実はどこまでも慈悲深かった。この件に対する彼の考察の一切を否定して世
界は、彼が耐えなければならない事実と驚喜すべき試練を提示するのみだった。

「ウ、ウェンディ!?」
「はい?」

「なんで」
「はい?」

 混乱と平静

「何で、何が、一体、何処が、どうして……」
「はい。はい。はい。はい。はい。……」

 疾風怒濤と春風駘蕩

 実に対照的な様子で応じる彼らの姿は、ある意味見物であったが、それも続きすぎる
と単なる目障りでしかない。特等席ギャラリーに陣取っていた甲児は、実に彼らしい解
決策でそれに終止符を打った。

 甲児はおもむろに転がっていたバット(球技用品に非ず。四角い金属皿の方である)
を拾いあげると、鬱陶しいとばかりに当事者の片割れを張り跳ばしたのである。

「やかましい」

「痛ぇっ!」

 金属板が不本意な歪みを強制される間抜けな音が、あたりに響いた。

 念のために述べるが、漢・兜甲児に無辜の女性を張り飛ばすような悪趣味の持ち合わ
せはない。

「何しやがる!!」

「喧しい」

 甲児はおどろ線を発散しつつ、マサキを威圧した。

「地上くんだりまで来て、(地球を)いつもより余計に回った挙げ句に、面白すぎる夫
 婦漫才してんじゃねぇぜ!!」

「誰と誰が夫婦漫才してるって!?」

「ほほぅ……」

「なんだ……」

「周りを見てみな」

「ん……、おわぁっ」

 鈴なりして見物していたご一同様、視線が彼らに向けられている。

 甲児は彼らに向かった公明正大に問いかけた。

「さっきのはどう見ても夫婦漫才だよな?」

 無言で肯く一同

 マサキが助けを求めて、視線を彷徨わせたが見つけたのは――

「あら、まぁ」

 頬を赤らめ、手をやるウェンディ。

 四面楚歌(一面が不必要に魅力的である事がむしろ効果的だった)に陥ったマサキは、
戦闘中に敵機に囲まれた時ですら生易しく思えるほど、切迫し混乱するのであった。


            :

「あったま、悪そう」

 少し離れた場所でそんなマサキの様子を見ていた、ウェンディの同行者クェス・パラ
ヤはいっそ愉快なほど、あきれ果てていた。もちろん、ウェンディの決意と苦労と“い
い人”で終わってしまった男共累々たるの屍の山を思ってである。

『なんだか、ウェンディも、途中の莫迦男共も、可哀想になって来ちゃった』

 人のことを思えるだけ、少女は優しくなれたようである。



<チベット・ラサ>      

 彼らは罪を犯した。とても重たい罪を犯した。彼らは罪を犯さぬよう努力はした。

 一人は事態を統括し、一人は事態の渦中で、共に努力をした。

 しかし、彼らの行った努力の過程が罪であったのではない。彼らの行った努力の結果
が、罪であっただけだ。それゆえ、彼らは咎めを受けるべく、ここにいる。

 少なくとも、彼ら自身はそう考えていた。

 ラサの地へと踏み入れ、口を開いた順は年功序列を守ったわけではあるまいが、ジョ
ン・コーウェン中将が先だった。

「さて、久しぶりの地上だが……」

 言い籠もった先の言葉を少しだけ補完するように、いま一人の同行者フョードル・ク
ルムキン准将が言葉を継いだ。

「少しばかり感慨深いものがありますな」

「感慨深いか……、確かにそうだ。
 混乱止まぬ司令部を置いて、こねばならなかったのだからな」

「それは私も同感です。ですが、大統領直々の命令ならば、どうしようもありますまい」

 コーウェンは、小さいが軍人らしい口調で断言した。

「所詮は番犬だからな」

「それも役立たずの。私が主人なら、処分すら考えるかも知れません。なにせ、この番
 犬には主人を弑虐する牙がある」

「笑えん話だな。きな臭い匂いがサイド7から流れてきておるしな」

 コーウェンは、地球圏で最後に建設されたコロニー群については感慨深いものがあった。

 サイド7。
 希望、あるいは災厄の地。
 彼の地から、 3i (第三次コロニー落とし)阻止戦の英雄・高野提督は出撃し、連邦最
初のニュータイプの足跡が刻まれた。

 今はまた、【ティターンズ】の蠢動が聞こえ、ライゾウ・カッシュ博士は氷の彫像と
なっている。これらが何を歴史に示すのか判らないが、何かを歴史に刻み込むことだけ
は本能的に理解できる。

 それはクルムキンも同様だった。クルムキンは断言した。

「ゆえに我々は、主人へ従い、咎を責め立てられ、罰を受けねばならないのです。
 他のモノへ対する示しのために」

「その対象が自分でなければ、感動的ですらあるな」

「はい」

 コーウェンの言葉にクルムキンが同意し、しばし無言の時間が過ぎる。そんな中でク
ルムキンは、自分達へ向かってくる気配があることを感じた。

「……おや?
 コーウェン中将、どなたかのアポイントメントを受けておりますか」

「いや。聞いていない」

 スーツ姿の男が真っ直ぐに近付いてくる。いぶかしんでいる二人の前まで来ると、男
は完璧な官僚口調で彼らに尋ねた。

「コーウェン中将にクルムキン准将ですね?」

 呼び掛けられた二人は、顔を見合わせる。二人とも心当たりがないことを視線で確認
した後、同時に肯いた。

「お迎えに上がりました、バウアー議員の使いの者です。議員がお待ちです」

《死を許されるだけでは、済まないようだな……》

 待ち人の名を聞いて、クルムキンは自らの命数が尽きる前に、更なる苦行が待ち構え
ていることを理解した。



<ジオフロント・第七機動兵器整備ブロック>      

 リィナ・アーシタ

 女性14歳
 コーカソイド系:ヘアカラー/ブラウン:アイカラー/グリーン
 身長・体重・スリーサイズ・出産経験は未確認。
 サイド1・コロニー【シャングリラ】出身。
 法律上の両親は行方不明。確認されている肉親は実兄のみ。家庭の生活レヴェルはD-
 現在は奨学金を得て、同サイド内のコロニー【ロンデニオン】へ存在する全寮制学校
 に在籍(ただし自主休校中)。

 何とも幸せに満ちているとは言い難い経歴であるが、今の彼女からそれを導き出すに
はかなりの人生経験を必要とすることは間違いない。

 今彼女は輝いていた。人の役に立てる喜びの顔だ。彼女は境遇の如何に関わらず、よ
り良い明日のために頑張れる側の人種だった。

 皆が少しずつ頑張れば、世界はきっと善くなる

 、と実に稚拙な論理に酔える幸せな人々の一人であるが、その論理そのものはある種
の真実を含んでいるため、説得力がある。ゆえにこの種の人々は、自らの行いへ他人を
も巻き込むことに躊躇しない。彼女もまた例外ではなかった。

 それを実兄ジュドー・アーシタに言わせれば、他人――肉親においては今更述べるま
でない――まで厳格に適用することは勘弁して欲しいと、実感の籠もりすぎる言葉で語
られるのである(しかし、それを嬉しそうな顔をして言うのであるから、全く説得力に
欠けている)。

 と、まぁ、そんなこんなで、リィナはより良い明日のため、今日も頑張っていた。



 ……もちろん、他人を巻き込んで。


            :

「精が出るね、リィナ」

 可愛らしい足音を響かせながら精勤するリィナへ、整備隊を指揮する女傑中尉モーラ・
バシットはねぎらいの言葉を掛けた。モーラの言葉に、リィナはこの年代の子供らしい
快活な発音で返事をする。

「はい、モーラさん。お兄ちゃん達がああだから、私が頑張らないと。じゃ、急ぎます
 からこれで」

 忙しい娘だね、と娘を持つ母親の気分を味わうモーラ。どうせ持つなら、こんな娘が
欲しいねと思いながら、モーラは注意を促し、少女を解放していた。

「怪我しないように気を付けるんだよ」

「ハーイ」

「イヤ、ホントにいい娘だね」

 その返事に再び気分を味わうモーラ。それが口にまで出ていたのは意外だったが、更
にソレへ返事がされたときは心臓が口から飛び出すかと思ったぐらい、驚いた。もっと
も、彼女の内宇宙的に限定してだ。

「ホント、ホント。モーラには負けるけどさ」

 実際のモーラがした反応は、冗談めかした言葉で相手の名を呼んだだけである。

「おや、チャック。嬉しいこと言ってくれるね」

 名を呼ばれた【ロンド・ベル】機動戦闘団【GMキャノンII】パイロット、チャック・
キースは何故か真実味を感じさせない口調と言う特技を駆使して、視線を上に向けた
(モーラの方が上背であるため)。彼の後ろにはコウ・ウラキとニナ・パープルトンも
居る。

「だって、ホントのことじゃん。
 あり、リィナちゃんがシンジ君を捕まえて、何か言ってら」

「うーん、リィナがシンジを口説いている訳じゃないみたいだけどねぇ……」

「確かにあれを口説かれてると思うには、かなり誤解する必要がありそうだけど」

 確かにこちらから見えるシンジの姿は、リィナの良いように使われようとしている、
としか見えない。実際、リィナには主体性と目的があり、シンジの側にはそれらが欠け
ているのであるから、結果は自ずと知れている。しかし――、

「あら、ソーリュー嬢ちゃんのおでましだよ」

 しかし、ここで問題となるのは少年にはご主人様が存在したことだった。このご主人
様は、シンジにえらく執心で、彼女以外が少年に構うことを、あまりいい顔をしない。
もちろん、外面は良いご主人様であるから、その鉾先は言わずと知れているが。

「いやー、アイツもそれなりにやってんだろうけど……」

 アスカに何やら怒られているシンジ。少年は訳が判らず、目を白黒させている。女心
を理解していないと、コウ以外の三人はアスカに同情すらした。

「まぁ、いわゆる『いい人』すぎるってのが難なんだよなぁ」

「あの年頃なら、あらゆる機会を利用して仲良くなろうとするぐらいの気概がないとダ
 メだろね」

 モーラの言葉は更に辛辣だった。ニナもソレに同意する。

「年下の娘に便利に使われているようでは……」

 しかし、こともあろうにシンジへの評価をしめたのは、シンジと同レヴェルのわから
んちん、コウだった。

「駄目だよね。ん?」

「「「…………」」」

 コウの発言に、残る三人は瞬間絶句した。とても、2年前に艦内ライブラリから「正
しい男女交際」「男と女の付き合い方ABC」「初めてのデート攻略法」etc.,etc. を
借り出した人物が言うべき言葉ではない。

 そもそも、コウがニナと付き合うことになる経過で周りがどれほど苦労したか、それ
は筆舌に著しがたい。キースのあおり、モーラの叱咤、そしてニナの同僚ルセット・オ
デビーが(少しばかり邪な目論見もないではなかったが)文字通り躯を張って男と女の
ABCを叩き込んだ結果である。なお、もう一方の当事者の艱難辛苦は当たり前だ。

 さて、そんな中学生と同レヴェル(或いはそれ以下)なニンジン嫌いの同僚が、今持っ
て少年と大差ないことを、友情溢れるキースとモーラは、指摘しなかった。

 残る約一名の女性ガンダムフリークの心中と行動については……。察しと思いやりを
適用するのが、人の道ではないだろうか。


            :

 しかし、光あるところに陰がある。人として子供達を見守る優しい視線の他に、人生
やめて畜生道まっしぐらなド外道が、不必要に熱い視線を向けていたことに、少年少女
達は気付くべきだった。

「なるほど、なるほど……、これはイケる!」

 ヤる気のありすぎる様子で、闘争本能以外の四大本能が天下御免の野生を誇る式部雅
人は、これ以上は無いぐらい鼻の穴を拡げて力んでいた。何を企んでいるのか、おおよ
そ見当が付くが、あまり口に出すべき類でないことは確実だ。あえて喩えるなら、鮎の
共釣りあたりを思い浮かべているのであろうか。

 もちろん、そんな理不尽を許すほど、世界は寛容ではない。

「何がイケるだ!」

「いてっ!!」

 三白眼の不機嫌魔神・藤原忍が、汚穢を蹴散らすべく降臨していたからだ。

「いつまでも、他でアブラ売ってんじゃねぇっ!」

「そ、そんなぁ〜〜〜」

 現象そのものは特に意図しているわけではない。だが実際問題、鬼畜は遠慮無く懲罰
を領収させられていた。誰も意図せず、結果がある。ならば、それが世界の意志である。



<コンフォート17 葛城宅>      

 葛城ミサト

 女性・自称永遠の二八
 モンゴロイド系:ヘアカラー/ブラック:アイカラー/ブラック
 身長・体重・スリーサイズ・出産経験はトップシークレット
 日本出身
 父親は3年前の事故で南極ラボと共に消失、行方不明。生存は絶望視されている。母
 親は存命中であるが、疎遠で連絡・接触もほとんど無し。
 生活レヴェルは【検閲削除】
 大学在籍時、足りない単位を得るために予備自衛官幹部養成課程(R.O.T.C.)受講
 幹部予備自衛官となる。
 第一次地球圏大戦勃発により、召集。陸上自衛隊・戦略自衛隊などで活躍し、正規自
 衛官へと転向。以後正規士官への道を進むこととなる。
 現在、特務機関【ネルフ】に所属し、【ロンド・ベル】へ出向中。戦術調整官の役に
 ある。
 チルドレン2名の保護者。

 何かと誤解されやすい人物ではあるが、実のところ彼女は一言で表すことが出来る明
快な存在である。

 『人』

 彼女は、(夢幻の肝臓を除いて)人間という存在のそのものであった。
 基本的に善人であるが、か弱い。気持ちの良いことは好きだが、艱難辛苦の類、特に
精神的なソレは避けて通る。負けが決まる前に負けてしまう。

 全く(夢幻の肝臓を別として)人間的な人物である、と言うしかない

 そんな(夢幻の肝臓を持つ)彼女であるが、克己心がないわけではない。彼女はごく
一般的な人がそうであるように、基本的には善き人なのであるから。ただ、弱いがため
に続かないだけだ。

 そんな彼女は、権利を行使するための義務を怠ったことにより、公的な碇シンジを奪
われた。

 それは彼女にとって軍人としてのみならず、人間としての矜持を傷つける痛恨事であっ
た。であるがために、彼女は彼女のプライドを保つために、彼女は私的な少年まで喪う
つもりは無かった。それをしてしまったら、人生の落伍者という烙印を、自らの手で自
分自身に刻印することと同義であったからだ。

 勿論、公的関係において既に半ば破綻しているだけに、出来ることはそう多くない。
彼女の選択は保護者であるという立場を利用して、少年少女との家族として絆を強化す
ることであった。

 彼女の選択は実に妥当なものであり、それなりに評価できないではなかった。致命的
に欠落した家事能力を鑑みない場合において、という但し書きが付くことは避けようも
なかったが。

 しかしながら彼女は、職業選択の結果からか、ある程度の障害はむしろ人生のスパイ
スと思うことが出来る。

 よって、彼女は殆ど唯一の目標達成手段となったコミュニケーションによる関係強化
を、堅く胸に誓い、目標達成へと邁進するのであった。勿論、それは世間一般で、犯罪
と規定される範疇へ踏み込まないレヴェルにおいてである。

 ……今のところは。


            :

 ミサトは大昔に帰化した幸福神の名を冠した缶入り麦酒をあおりながら、気易さを醸
し出そうと努力していた。たとえ、殆ど常態と変わりが無かろうと、彼女が彼女なりに
努力していたことだけは認めるべきだろう。少なくとも、そこに先日の命令違反に対す
る遺恨だけは、持ち込まれていなかったは歴然たる事実なのだから。

 ミサトはようやく帰宅したシンジに向かい、極力気易く聞こえるよう呼び掛けた。

「あ〜ら、シンちゃん。お帰り〜ぃ」

「あの、見舞いに行ってて……。その、今戻りました」

 シンジの言葉を聞いて、ミサトは咎めるような口調をシンジに向けた。

「駄目よ、シンちゃん」

「ご、ごめんなさい」

 反射的に謝るシンジ。ミサトはフっと表情を緩めて、優しい声で教えた。

「シンちゃん、違うわよ。
 『ただいま』でしょう?」

「え? あっ、はい。
 ……ただいま」

 ミサトは大仰に満足した表情と動作を行い、声にする。

「はい、お帰りなさい。
 アスカが今お風呂から出たところよ。シンちゃんも先にお風呂にするといいわ」

「はい、そうします」

「で、霧島さんは、元気にしてた?」

「……ええ、一応」

「なんか、も一つな返事ねぇ……。なにかあったの、シンちゃん?」

「気のせいかもしれないけど……」

「ん?」

「……なんか霧島さん無理しているように見えるんです」

「ん〜〜〜、そりゃまぁ……、しょうがないわね」

「どうしてですか! しょうがないで済ますなんて、あんまりじゃないですか」

「シンちゃん、優しいのね」

「誤魔化さないで下さい」

「違うわよ。おねーさんの話は最後まで聞くように」

 そこで一旦言葉を区切ると、ミサトはマナが経験してきたであろう内容を言って聞か
せた。もちろん、その渦中で少なからぬ仲間と永遠の別れをしたであろう事も。

「そう……、なんですか」

「そうなの。だから、シンちゃん」

「はい」

「霧島さんのこと、頼むわね。そうだ! 今度、霧島さんウチへ連れてきなさい。
 おねーさんが手ずから、ゴチソウしてあげよう。そうね、それがいいわ」

「……はい」

「あっら〜ぁ? 今の間は、どうしたのかなぁ?
 安心しないさい! オフィシャルな口実が出来たからって、プライベートなトコまで
 制限したりしないから。
 霧島さん、カノジョになんかしたちゃったりしても、おねーさん叱ったりしないわよ
 ん」

 シンジは反応は意外なものだった。ミサトの言葉を聞いて、むしろシンジはいっそう
心苦しそうな表情を浮かべたのである。だが、ミサトは浴室から聞こえた音に気を取ら
れて、それを見逃していた。

「ん? じゃあ、シンちゃん。お風呂入っていらっしゃい。風呂は心の洗濯なんだから。
 ごゆっくり〜ぃ」

「はい」

 そして、シンジは着替えを取りに自室へと向かった。入れ替わりに、アスカがランニ
ング・ショートパンツ姿で、ダイニングへ入ってくる。彼女は半ば咎めだてるように、
ミサトを詰問した。

「シンジ帰ってきたの?」

「ええ、助けた娘も元気してたそうよ」

「あら、そう」

「おんや〜ぁ? 気のない返事ねぇ」

「何が言いたいのよ。当たり前でしょ。シンジがどこで何してようが、アタシに関係あ
 る訳無いじゃない」

 既に論理が破綻していることにアスカは気付かない。今まで、度々公言している『下
僕の云々は主人が……』などと言う発言と、一八〇度違う。照れ隠しに脊髄反射で言っ
ていることは、出たてよりほのかに赤みを増しているお肌を見るまでも無いだろう。

 こういう部分に敏感なミサトが気付かない筈もなく、どう受け取ったかは次の行動が
雄弁に物語っていた。

「あ〜ら、そう? 助けた娘、霧島マナっていうんだけど、結構可愛いわよ?」

「だ、だから、どうだってのよ」

 あからさまに馬脚を顕わす。昔、この娘の扱いには散々苦労しただけに、ホンの少し
腹立たしいモノを感じないではないが、面白いからまぁいいか、とミサトは思う。もち
ろん、同時に更なる茶々も忘れない。

「どうなのかしらねぇ、ア・ス・カ」

 元々低い閾値をアッサリと突破してアスカが爆発しようとしたときだった。爆発した
のは葛城家風呂場方面だった。

『うっわーーーーーーーーっ!!』

 大噴火音が聞こえたかと思うと、シンジがダイニングへと飛び込んできた。

「うわ、うわ、ミサトさん!!」

「あら、どうしたのよ、シンちゃん」

「風呂に、お風呂に……」

 泡を喰って、壊れた幼児用玩具のように同一の台詞を繰り返すシンジを余所に、事態
は急転直下の結末を迎えた。

 ペンギンだ!

 見事な黒を基調に腹の白、ワンポイントに鶏冠の赤・飾り毛の黄・そして燃ゆる瞳の
碧。文句の付けようがない、素晴らしい『(おとこ)っぷり』だった。

『おう、兄ちゃん。兄ちゃんも男やろ。ピーピー騒いだるなや、コラ』

 ちなみにその眼は無言で能く語る気合いの入りようだった。

 元々、(何故か)沈黙していたアスカに加えて、ドーモーな野生動物のガンツケで泡
を喰っていたシンジも沈黙して、不気味な沈黙が漂う。

 重苦しい沈黙を苦ともせず、ペンギンは肩で風切り、玄関へと向かった。

『兄ちゃん、邪魔したで。ええ湯やったぞ。兄ちゃんもそんなトコでボーッとしとらん
 と、キリキリ入ったってや。風邪ぇ、ひくで』

 語るその背は、風震わすことなく問答無用に雄弁だった。



 しばし沈黙が続くが、ミサトはおもむろに口を開いた。

「アレは温泉ペンギン。アレはウチに時々来るヤツで、この辺の温泉ペンギン締めてい
 るボスらしいわよ。けど気にしないで。結構良いヤツだから。ちなみに私は、アレを
 【ペンペン】って呼んでるわ」

「どこが良いヤツなんですか!?」

「いやーぁ、良い呑みっぷりなのよ、アイツ」

「ペンギンにお酒呑ましているんですか!?」

「そうよ、何か問題ある?」

 何もかも問題なような気がするが、シンジはどこから文句を付けるべきか混乱してい
る。そんな少年を余所に、ミサトは盛大に口を滑らせている。

「ほら、ウチのお風呂、温泉使っているでしょう。
 温泉のあるところなら、何処にでも現れることから口の悪い連中は温泉ゴキブリって、
 呼んでいるわ。私も始め驚いたけど、まぁゴキブリよりはよっぽど愛嬌あるし……、
 ん? アスカどうしたの」

「き……」

「き?」

「き……」

 そこまで聞いて、ようやくミサトは気が付いた。ミサトはシンジの方を向いて口を開く。

「き?
 あぁ、シンちゃんね。シンちゃーん、お風呂、入ってきた方が良いわよ。風邪引くから」

「え? えぇ!?」

 ミサトに言われて、シンジは気が付いた。彼は風呂に入ったまま、ダイニングへと駆
け込んだ。あまりに気が動転していたため、途中にすべきことを全て省略していた。今
の彼の状態は、人類の始祖が好んだ(かどうかは知らないが)ファッションから、イチ
ジクの葉を召し上げた状態と等価だった。まぁ、些細なことではある。

 しかし、少年はなぜか手を前に組んで、恥ずかしげに風呂へと帰還した。ミサトは全
く気にしていないのに。

 ちなみに少女がまともな反応をしたのは、少年が風呂へと戻った、きっかり六二秒後
だった。

「きゃー、エッチ、チカン、Hentai!」

「もう、シンちゃんいないわよ」

「見りゃあ、判るわよ!!」

「あんら〜ぁ? もしかしてアスカ。見たの初めてぇ?」

「なに莫迦なこと言っているのよ。そんなワケ無いでしょう!
 あんなのだったら、カリキュラムで腐るほど見てるわよ」

「なるほど、それ以外では初めて、と」

「人の話を聴けぇ!!」

「でも、アスカ良かったわね」

「何がよ!!」

 ミサトは人の悪い笑みを浮かべて言った。

「ナニよ」

 確かに女性多数が告白するように、女性も同性だけであるとかなり身も蓋もない言動・
行動を取ることはよく知られている。だが、ミサトのそれは、前述の常識を勘案してす
ら、女性として間違った領域へ踏み込んでいる。少なくともアスカは強く思った。その
心情は次の一言がよく表しているだろう。

《このオヤヂ女わ……》

 勿論、賢明にして天才たる惣流アスカ・ラングレーが、その様な言葉で、自分の声帯
と、三十路に右足の小指を残してドッブリとハマり込んでいる女性の心臓を痛める愚を
犯すはずもない。

「……何か言いたそうね」

「気のせいでしょ!!」

 態度の出てしまうことは、許容範囲だろう。

 そんなアスカを睨み付けるミサトだったが、ふと表情を緩めて彼女へ呼び掛けた。

「アスカ」

「何よ! まだ、なんか用?」

「素直になった方がいいわよ」

「なっ、な、な、何のことよ」

「判らなければ、いいわ」

「ほ、ホントに何いってんのよ。わ、訳のわからないこと、言わないでよ。シ、シンジ
 のことなんか、これっぽちも気にしてないんだから。ホッ、ホントなんだから」

「ハイ、ハイ」

 航空母艦・惣流ラングレー。

 開放的で流麗なラインを持ち、小気味の良い動きは評価できる。だが、さざ波程度で
大騒ぎして、爆弾の一発など貰おうものならハデに誘爆する轟沈空母だった。


<参考>
→【蒼龍】
 旧日本海軍航空母艦(ただし二代目。初代は明治初期に建造された木造船)
 日本海軍空母の基本を確定した艦。以後の日本正規空母は、少なからずこの艦を基と
している。
 フネとして能力を求めた後に航空母艦としての能力を付与した設計で、一般的に優雅
なデザインだと評価されている。
 設計上の特徴として、閉鎖式格納庫を採用し、凌波性に優れていた。これは非常に限
定的な工業基盤で生産される口が裂けても十分な強度を持っているとは言えない日本製
艦載機の搭載と、日本近海の荒天に対応するためである。
 だが、条約制限枠から来る排水量問題から装甲が薄いだけではなく、機関部への通気
方式や爆圧に対する研究不足、ポンプを始めとする損害抑制設備が足りないなど、結局
間接防御に対する艦政本部当局の不理解が大きく響いて、損害に対して非常に弱い傾向
がある。

→【ラングレー】
 合衆国海軍航空母艦。
 CV-1という艦番号が示すように米国海軍初の空母。
 ただし、給炭艦からの改装空母で、当時海の物とも山の物とも知れない存在だった航
空母艦というもののノウハウを会得するために建造された実験艦。驚くべき事に就工時
から、既にカタパルトを搭載していた。もっとも、スペック的には後の護衛空母程度。
 船体の上に櫓を組んで飛行甲板を乗っけただけと言って良い構造で、その赤裸々なほ
ど大胆な設計は驚嘆に値する。
 米国が空母のことを
  航空機輸送艦(エアクラフトキャリアー)
 と呼ぶようになった原因が実に良く理解できるデザインで、そのデキを悪意のある端
的な一言で済ます人も多い。

 後に条約制限枠を空け新空母を建造するために、飛行甲板の1/3を剥ぎ取られ、水
上機母艦へ艦種変更された。

 なお、以上は一代目の話。一代目は日本海軍の攻撃により1942年に戦没しており、建
造中の巡洋艦を急遽設計変更した軽空母『インディペンス』級の一艦へ艦名は継承され
た。




<欧州ルクセンブルグ郊外>      

 セント・何某学院。世間一般に高度な知識だけでなく、知識に振り回されないための
智性を修得させることで有名な、いわゆる名学校と世間一般では認識されている。決し
て、意図的にそうしているわけではないが、必要とされる資質の幾つかと学費の問題か
ら就学生の殆どが名家・旧家・富豪等々の子女であるかなり敷居の高い学園と思われて
いたし、それは殆ど事実であった。

 そんな場所へ彼女は珍しく積極性を発揮して、飛び込んだ。
 当初その行動に、彼女へ遺伝子の半分を供与した男性親権者は、大いに困惑した。学
力はともかく、他に必要とされる資質――やる気だの、熱意だの、と呼ばれる陽性の人
格部品を、彼女が持ち合わせているとは、血縁者のみ許される偏向した価値判断を持っ
ても見出すことが出来なかったからである(なお言うまでもなく、山岸氏に遺伝子継承
者の学費へ糸目を付けるような卑下た性根の持ち合わせは無い)。

 つい先日までの認識では。

 何があったか教えてくれれない娘に、親の特権(ああ、父が悲しいぞ……)を行使し
つつ、願いを叶える機会を用意する山岸氏。勿論、職業上の習性から失敗時の対処まで
を織り込んで、万全を期したことは言うまでもない。

 気持ちは分からないないではないが、山岸氏は愛娘への情を示す機会を得たことに、
少しばかり浮かれすぎであったかもしれない。だが、そんな唯一の親権者の幸福感を余
所に、彼女は淡々とハードルをクリアしていった。

 そして今日、彼女は在籍名簿へ刻む込まれた名を呼ばれるために学院敷地へと足を踏
み入れていた。


            :

 校長と教頭の歓迎の言葉。彼らから紹介された担当教員。互いの名を告げた後、同性
から見ても実に魅力的と思える担任の第一声は、いたわりに満ちていた。少なからぬ興
味の色も否定できなかったが。

「詳しいことは知らないけど、大変だったみたいね」

 女教師の言葉は、彼女――山岸マユミ嬢にあの場所での思い出を呼び起こさせた。良
いことも悪いことも。

 他人ばかりか、自分ですら理解していなかったらしいが、年代相応の夢見る部分も多
分に持ち合わせているマユミである。彼の体験の収支バランスを示す天秤の片方からは
サラサラとこぼれ落ちて、傾きが極端になり始めていた。どちらに傾いているかは、そ
れは次の返答が如実に物語っていた。

「いえ……、その……、それだけではありませんでしたので……」

「あら? 運命の人でも見つけたの?」

 女教師は大抵の政財界有力者子女と同様に、彼女の反応などに特別期待してはいなかっ
た。非好意的な沈黙。差し障りのない返事。話題転換。あるいは血縁上に存在する『力』
を背景とした稚拙な恫喝。だが、ヤマギシ・マユミのソレは、いずれにも該当しなかっ
た。

「…………」

 俯いて、恥じらったのである。

 フェイクでも何でもないらしいこの反応で、女教師はある程度ヤマギシ・マユミとい
う人間の資質を見極めた。思わず、頬摺りして猫可愛がりしたくなるような絶滅危惧種
だ。もちろん、そこには扱いに困るという意味も含まれる。何かあったら、社会的環境
からのみならず、自分の良心からも責め立てられるからだ。

《彼女の世話役は……》

 生徒の中で、繊細すぎる彼女を任せる事の出来る者は、多いとは言えない。いや、皆
無といって良いだろう。何しろ、ここにいる者の殆どは少しばかり特殊な社会階級に属
している。そして、そこの住人に相応しい“礼節”に事欠いていないのであるから、女
教師の見立ては全く正しい。

 勿論、例外が居ないわけではないが。数少ない例外から、もっとも相応しい者の名を
女教師は声を出さずに呟いた。

《リリーナさんに任せましょう》

 理想主義過ぎるきらいはあるが、本当に人を思いやれるこの学園では宝石よりも貴重
な人材だ。出し惜しみはロクな結果をもたらさないことを十分理解する女教師は、躊躇
うことなくこの案を全会一致で採択した。

 そんな女教師の算段はさておいて、マユミの胸は期待と興奮でいっぱいだった。

『頑張って……、努力して……、生まれ変わった私を見て貰おう』

 言うまでもなく、彼女の願いは純粋に言葉そのものであった。それ以外の何者でもな
いのだが、世間一般の常識から述べると、非常に意味深いものに聞こえる。

『そして、夢のお手伝いが出来れば……』

 ちなみに彼女が少年の『夢』としているのは『ヒモ』だ。世間ではなく、紙と向かい
合って生きてきただけあって、多大な誤解を持ったまま、マユミはいささか問題のある
大志を抱いた。彼女はある少年を男と認識していた。別段深い意味はない。彼女の人間
認識には家族と男と女しか無かっただけだ。ならば、少年に対する多大な負債を返済す
るには、特上の何かが必要だと思っていた。彼女が選んだ特上の何かは『夢』だ。

 男の夢。『ヒモ』だ。

 どこかで何かを間違えた(ある意味、正解ではあるのだが)見当外れの方向へ、力一
杯邁進しようとしている彼女。だが、彼女は人生初の目標を持てた喜びに全く泥酔して
おり、自らの選択に毛ほどの疑いすら感じていない。

 しかし彼女は、世界が自らとその世話役、そしてそれぞれの保護者達へ与えるであろ
う災難について、まだ何も知らなかった。



<ベルファースト>      

 彼はいままでそうであったように、いままで通りいつものように、命令は肯定的に受
け取っていた。

『別命アルマデ、べるふぁうすとニテ待機セヨ』

 実に思いやり溢れる命令だった。これは、地球軌道の混乱の中から、貴重な【ティター
ンズ】艦隊戦力を持ち帰ったことの報償に違いなかった。【ティターンズ】では艦隊勤
務者への地球での任務命令は、休暇配置と考えられていたからだ。

 もちろん、ジャマイカンはその評価自体は全く正統なものであると考えている。
 何を考えているか考えることすらおぞましいあの命令を、愚直な指揮官が何の考え無
しに行った結果、歴史に残る大惨敗だ。

 幸いジャマイカンは、自らに与えられた権限の中で適切な指揮を行ったため、麾下の
有力艦二隻は持ち帰ることが出来たが、あのまま何も行わなかった時のことなど考えた
くもない。

 よって、現在の配置は、それを評価してくれている【ティターンズ】司令部の特別報
賞とも言うべきモノなのだろう。彼は司令部の配慮に安らぎを感じていた。

 しかしながら、自他共に認める『働き者』である、ジャマイカン・ダニンガン中佐に
とっては耐え難い時間だった。戦友が死を賭して戦っているというのに安穏と出来るほ
ど、ジャマイカン中佐殿は人非人ではなかった。

 彼は、今のような安らぎはもう少し後――たとえば、将帥としての活躍を終えた後に
味わうべきモノだと、規定していた。決して中佐ごときで味わって良い贅沢ではない。

 であるが故に、彼は別命を熱望していた。決して、絶え間ない潮風と肌寒さに辟易し
ていたわけではない。

「えぇい、いつまで待てばよいのだ!!」

「きゃあっ!!」

「おぉ!?」

 間近で起きた悲鳴に驚くジャマイカン。悲鳴をした方を見ると、マタニティドレスを
着たバタ臭い女が柳眉を逆立てていた。

「ちょっと、アンタ! 一体何よ! アタシに何か怨みでもあるわけ!?」

「い……、いや、そう言うわけでは……」

 そこでジャマイカンはハタと気付く。なんで地球連邦軍のエリート将校である自分が、
たかだか女子供風情に低姿勢を居る必要があるのかと。彼は、自分を敬意が払われるべ
き存在だとしていたし、それはある程度事実だった。

「おい、女」

「変な呼び方しないでよ! アタシにはミハルっていう立派な名があるんだ」

「ミハルだか、チハルだか知らんが……」

 ジャマイカンはそこまで口にして、更に気付いた。周りからの視線が不必要に熱い。

 人々は交互に見比べて、ジャマイカンへの抗議の視線が向けられる。ミハルとかいう
女の姿を見る。しまった、マタニティドレス姿だ。対して自分は軍服姿。確かに軍人は
敬意を払われている存在であるが、それは死すら厭わず、弱い者を守っているためだ。
けして強いからではない。ならば、乳児と並んで、最もか弱く、最も気高い存在である
妊婦への配慮を忘れた軍人がどう見られるかは、言うまでもないだろう。

 自分の間違いに気付いたジャマイカンの行動は、第一『世界』大戦『劈頭』に行われ
たユトランド沖海戦で突撃を命じたシェーア提督の様に、極めて迅速で決断に満ちたモ
ノだった。

 なお、この海戦で独高海艦隊はシェーア提督の死と引換に、英本国艦隊へ大打撃を与
えるのみならず、英海軍が以後の作戦行動を躊躇せざるを得ない程の戦略的勝利を得た。

        :

「いやー、今日はホント悪かったわね。助かったわ」

「いや……、なに……。連邦軍人として当然のことをしたまでですよ。
 はっはっは、は〜〜〜〜ぁ……」

 欧米系のクセしてニップな愛想笑いをするジャマイカンであったが、その笑いには、
いつもハリが無く消耗しきっていた。弱いが故に強い、とまるで彼の人生哲学ではあり
えない論理的矛盾をおこしている者が相手だっただけに、それもしょうがないといった
ところなのであろう。

 元々ジャマイカンと言う人間の人となりは、『長いモノには自分で巻き付いていく』
である。であるが、こんな論理的に存在し得ないためにいわゆる長短判別付き難い相手
では、巻き付くべきか離れるべきか常に迷わざるを得ない。であるならば、さっさと関
わりを辞めればよいのであるが、ソレもできない。

 ジャマイカン中佐殿は、殊の外“シャイ”であるからだ。

 一人で勝手に悶え苦しんでいるジャマイカンを余所に、ミハルとか言う女は振り返り、
あっけらかんと宣言した。

「ここまででいいわ。ありがとう」

「(ホッ……)、ん?」

 ミハルの言葉を聞いて、ジャマイカンはあからさまに安堵する。だが、彼は困惑した。
荷物を全て受け取ったにも関わらず、彼の目の前へミハルの手が突き出されたからであ
る。

「なんだね……、このこれは?」

「お駄賃だよ。貰っときな、感謝の気持ちだよ。今日は本当に助かったわ、ありがとう」

 彼女の手には、よく熟れている林檎が載せられていた。独特の甘い芳香をまき散らし
ながら、存在を誇示している。ミハルは、ジャマイカンへそれを手渡し、別れの言葉を
言った。

「じゃあね。軍人さんも頑張りなよ」

「……」

 手にした果実を何とも言えない表情で見つめるジャマイカンは、ミハルの言葉にも緩
慢な反応を示すだけだった。しばらく、手にした果実へ熱い視線を向けていたジャマイ
カンは、やおら笑い出した。彼はおかしくして、たまらなかった。宇宙艦隊すら率いた
ことのあるこの自分が、一日引きずり回されて得た代償がこんな果実一つだ。子供が手
伝いしてすら、容易に得ることが出来るであろう。

 しかし、その時ジャマイカンの胸中にあったモノは、何とも言えない満足感だった。
こんな硬貨一つもあれば買えてしまう林檎が、この世で最も得難い何かに見えてくる。
おかしくて、たまらなかった。

 ひとしきり、笑いを挙げると、ジャマイカンは近くのベンチへと腰掛けた。彼は果実
を上着の袖で磨くと、上機嫌でかじりつこうとした。その時――

「ん、あぁ、何だ!?」

 携帯通話機が存在を主張したのである。ジャマイカンの安寧に満ちた時間は終わりを
告げようとしていた。彼は林檎をこのまま食うべきか、即座に連絡を受けるべきか迷う。
彼にしては、自分でも分からない焦燥に駆られ、連絡を受けること躊躇った。しかし、
結局彼は林檎を傍らへ置き、通話ボタンを押下した。

「わたしだ」

『ジャマイカン・ダニンガン中佐?』

「そうだ。どうしたか?」

『ジャマイカン中佐へ命令です。封緘されて今届きしました』

 封緘された命令書。言うまでもなく、重要度が高いことを意味する。だが、重要度が
高いこと自体に大した意味はない。それは、ジャマイカンがまたあの世界へと回帰でき
る、と言う点においてのみ大きな意味を持つのである。彼は歓喜した。

「おぉ、そうか!!
 すぐに受け取りにいく! 待っていろ!!」

 そして、ジャマイカンは立ち去った。

 ベンチには、忘れられた林檎が木枯らしの中、物寂しく佇む。

 ジャマイカンは、今日が彼の人生に於ける最後の分水嶺であったことを、その生涯最
後まで知ることはなかった。



<第九話Dパート了>



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ver.-1.00 2001/11/25 公開
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<作者からの告知>    

作者  「今回は設定資料などの大幅な改版を行っております。
     不備が多々あると思われますが、お気づきの方はお知らせいただけると幸い
     です」



今回のオマケ。ぴっかーっとな


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