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 日本行政府防衛省のとある一室。

 ここでは、それなりに将来を見込まれた者達が、それなりに煩雑な業務を、それなり
の職業意識を持って“適当”に、勤労意欲の消費に勤しんでいた。

「さぁーて、と。ボンクラ連中の出してきたお仕事でも片付けますかね、二宮?」
「そーするか。莫迦社長の言うこと、太鼓持ち専務が安請け合い。そのお鉢はこっちに
 廻ってくる、と。そうだろ、三木」
「かくも本社勤めには艱難辛苦に満ちているのだろうか。私には、何故故にこのような
 地獄の向こう隣へ来たがるモノが存在するのか理解できない。この命題にどう答えて
 くれるだろうか、一本松」

「世の中、莫迦と阿呆に事欠いたことはないんだよ」
「じゃ、俺達は?」
「判ってて、在籍しているのであるから、救いようのない大莫迦。と、いうところだろ
 う」

「「「身に染みるねぇ」」」

 そこへ慎ましく電子音が割り込んだ。コンソール前に居た一本松と呼ばれた男は、軍
関係者らしい愚直なまでに率直で直感的な端末操作を行う。その手練に遊びはない。そ
して彼は、自らの操作の結果としてウィンドウに表示された文面に、目を通した。つら
れるように、二宮と呼ばれた男も、横から覗き込む。

「おっ、不幸のお知らせ。
 なになに……、発【ロンド・ベル】?」
「また、面白いところから来たな。ほー、ウチの少年兵拾ったと」
「……間の悪いヤツだ」

 最後の発言をした三木だ。彼ら自らが奉職する組織に対する評価が伺い知れる。それ
なりに期待されているだけあって、自分達の所属するところが、どのような存在である
かを、十二分にと言う訳ではないが、回顧録へ書ける程度は理解していた。

 要するに、彼女は呼び戻され、『消耗しても構わない戦力』の最右翼として扱われ、
トップの政治的思惑のために使い潰されるという事を、彼らは不承不承ながらも理解し
ていると言う事である

 自らの理解している内容に一本松も良心が咎めるのか、少し考え込む表情をして周り
を見回した。

「どうする」
「どうしようもないだろう。早急に何処かの神社へ祀りたくなるような莫迦から出てい
 ても、命令は命令だ」
「如何ともし難い……か。取り敢えず、今のところは」

 そう言って取り敢えず三木は、手元の携帯端末から人事データベースへ、彼女の名と
共に『所在判明・復帰命令発令』と、書き込んだ。






スーパー鉄人大戦F    
第九話〔潰乱:A thing to come after spring〕
Eパート


<ジオフロント【ネルフ】本部・休憩室>      

 さて唐突だが、各社入り乱れて哀れな獲物を蹂躙せんと組まれた自動販売機が横列の
前に、少年は居た。

 表情は険しいと言うより、痛ましい。その原因はある娘のことについてだった。もっ
とも、より正確に述べるなら、ある娘に対する自分の在りようである。

 元々、想いに耽る性癖のある少年碇シンジは、一旦そのスイッチが入ると、歯止めが
利かなくなる傾向がある事は、周知の事実だ。そんな少年が、今回人助けのためとはい
え、命令違反を犯し、ひと騒動巻き起こした。それは確かに少年へ、平々凡々という言
葉の対極に位置する得難い人生経験をもたらした。しかし、経験は時として望まぬもの
を所有者へ見せつける。

 今、シンジは自らの救出した少女・霧島マナへ、これ以上関わる事に大きな戸惑いを
みせていた。少年が戸惑い始めることになった原因は、らしいと言うべきか、少女が少
年へ見せた涙と好意だった。(主に紅毛碧眼な少女との体験から)少年は素直な好意に
慣れていない上に、(主に紅毛碧眼な少女との経験の結果)自らの行いがノーガードの
弱みにつけ込む好ましからざぬ卑怯なモノでは無いかと、(主に紅毛碧眼な少女の所為
で)疑問を持ってしまったのである。

 以前であれば、何の疑問もなく淡々と状況に流されるだけであったろうから、成長と
いえば成長かも知れないが、厄介な状態へとハマり込んだことは否めない。結局、彼は
馴染みの世界へ入り浸り、手慣れた手管で陰々滅々とするのであった。

 もっともそれをコンフォート17・コンフォート17内・葛城宅自室で行わなかった事を、他人への依存と
見るか、はたまた対外性を持ったと見るかは、実に微妙なところである(もちろん、そ
んな態度に苛つく紅毛碧眼な少女がもたらすであろうスキンシップを、逃走本能全開で
避けた事は疑いようがない)。何せ、この付近は【ロンド・ベル】の面々も多く利用す
る。彼らは【ネルフ】職員のように、他人の問題を見過ごすような優しさを持っていな
い残酷な人々である事は、これまでに少年も充分すぎるほど、経験したはずであるのだ
から。

 そして、その最右翼に名を連ねる者が、誘蛾灯に惹き寄せられる夏の虫のごとく、吸
い寄せられていた。

        :

 兜甲児は、明らかになんらかの失調がうかがえる少年に向けて、声をかけた。

「よっ、シンぼー。どうした、腹でも痛ぇのか?」

「……甲児さん」

「よー、メシ、ちゃんと食ってんか?
 顔色、悪りいぜ」

 シンジは無言で首を振った。その素っ気ないというか、人を苛立たせる態度に、甲児
は額に何か浮き上がる感覚を憶えたが、この男にしては珍しく自制を利かせた。甲児は
拳を震わせつつも、努めて優しく声を掛けた。

「言わねぇと、分からねぇだろうが。腹ン中溜め込んでねぇで、ちったぁ、自分の口で
 喋ってみる!」

 更にたっぷりと数分を掛け、甲児が額周辺へ数カ所の違和感を追加した辺りで、シン
ジはようやく口を開いた。

「……霧島さんが、動けるようになったんです」

 甲児は一瞬誰のことだか見当が付かなかったが、そのコンマ〇〇三秒後思い出す。確
か、少年が助けた【量産型ゼータガンダム】のパイロットだ。元々、怪我自体は大した
ことがないと聞いていたが、改めて回復を伝えられると心が躍る。人類の貴重な資産が、
甲児の手の届く範囲へと復帰したからだ。たとえそれが、なかなか気に入っている今を
失わないために、指をくわえて見ていなければならない類の存在であっても、存在して
いると事実だけで、単純に「よかったぜ」と思えるのが兜甲児という男だ。

 よって、彼の反応は実に素朴な一言だった。

「良かったじゃねぇか」

 だが、シンジの同意は得られなかったらしい。少年は何かを言うとして言い淀む。そ
んなことを何度か繰り返しつつも、ようやく明瞭な言葉を口にした。

「……僕が何かしてあげると、喜ぶんです。とっても」

 いまさら言うまでもないが、気っぷ良くかなりサッパリしている性格のため、周囲か
ら誤解されているいるのだが、実のところかなり嫉妬深いマリア・グレース・フリード
の厳しい査察下にある甲児である。そんな彼にしてみれば、シンジの発言は全くの嫌味
である。自然、シンジへの対応も暫時悪化していく。

「あー、そいつは良かった、良かった」

「……何もしなくても、近くにいるだけで微笑んでくれるんです。すごく可愛く」

「ほっ、ほう(怒) 全く持って、結構な話じゃねぇか」

 甲児は『バカヤロウ、オレだって、オレだって、マリアがなぁ……』などと喚きつつ、
盛大に八つ当たりしたくなる激情を必死で抑え込いる。だが、シンジの次の言葉を聞い
て、その必要が無くなった。

「でも、それは霧島さんが弱っているから……、心細いからなんです。多分…… いえ、
 間違いなく。
 僕は人の弱みにつけ込む、卑怯な人間なんです」

「……」

 静かだ。先程までの、たぎるような何かは既に無い。代わりに何かが満ちてきた。そ
んな甲児気付かないまま、シンジは実に思慮深い考察の発表を続けた。

「こんなの卑怯だ。良くないんだ。僕は霧島さんに近付いちゃいけないんだ!!」

「おい」

「えっ!?」

 甲児は、うつむき加減で頭を垂れるシンジの頭が上がるが早いか、問答無用で殴り飛
ばした。

「な、なにするんですか!!」

「……やかましい」

 あの甲児が、熱いと言うよりは、底冷えのする声でシンジへ言い返した。

「要するに、テメェはテメェに言い訳したいだけだろうが。そんなくだらねぇ悩みかた
 なんざぁするな。力いっぱい、ボテクリ転かしたくなる!」

「そ、そんな言い方しなくても」

「ほぉー、どんな言い方をすればいいってぇんだ? 助けが必要な女の子そっちのけで、
 必死に自分への言い訳探している卑怯モンによ」

「………」

 流石にこの時点で、甲児は頭に血が昇りすぎていたことを自覚していた。甲児は乱暴
に頭を掻いて、強引に気分を切り替え、言い聞かせるような口調でシンジを諭した。

「とにかく、オメェは考え過ぎなんだよ。たまには感じたまま、考える前に行動してみ
 ろ。卑怯だの、卑怯でないだのは、その後だ」



<チベット・ラサ 連邦政府議員会館 ジョン・バウアー執務室前>      

 狭くはない部屋

 品の良い調度類

 何よりも、扉向こうから漏れ出る重厚な威圧感

 と、言ったわけで地球連邦防衛省に所属するラナフ・ギャリオット監査官は、あまり
ここへは来たくなかった。

 億人単位での他人からの人気投票で決定される、軍や防衛省以外での将来を設計して
いる一部の同僚には、ここへ来たがる者も居ないではない。

 しかし、彼女はそうは思わない。彼女の将来設計は、まずもって行うべきイヴェント
が、今や遅しと待ちぼうけをし続けているからだ。そんな彼女にしてみれば気付かぬ内
に、ある種の腐臭が身に染みてしまったら、どうしてくれるのかと言いたくもなる。そ
んなことになれば、また遠のいてしまうではないか!

 そんな思いは、横にいる人物を見て一層強くなる。

「あら、ギャリオット監査官。何か?」

 横にいるのは、“氷結人形”だの“二足歩行型戦略機械”だのと呼ばれている女だ。
残念な事に士官学校の同期生だが、不可解なことに最近結婚した。士官学校での席次と
同じく、彼女も自分と同様に並み居る有象無象共を蹴散らして、難攻不落の女帝として
君臨してきたのだ。

 それなのに……、それなのに!
 しかし、これは自分が彼女に劣ったからではない、絶対に!!
 職場環境の違いが原因だ。そうに決まっている。間違いない。よし、転属願いを出そ
う。艦隊勤務だ。きっとそこには幸せの青いツバメがいるに違いない。

 希望の満ちた未来に少しは幸せな気分を味わったところで、さらに気分直しと腹いせ
を兼ねて何人かの年金査定へ公正な評価を書き加える事を誓う。そして幾ばくかの心理
的余裕を確保して、個人的な出師準備を終えたラナフは、学校生活以後の社会生活で修
得した笑みとともに応じた。

「いえ、貴女と会うのも久しぶりだと思って。キレイになったわね」

 最後のフレーズだけは、忌憚のない真実の言葉だった。もっとも、次の言葉のためで
あるが。

「あの噂が、ウソだと確信してしまいそう」

 この言葉を聞いて、彼女は口の端をひきつらせた。

「……何の噂か、チョット気になるかしら」

「いえ、大したことじゃないのよ。例えば、ハンドガン持って不貞をはたらく亭主を追
 いかけ回したとか」

「……それは根も葉もない噂ね」

「あら、そう?」

「ショットガンよ」

 彼女は表情を隠したまま、朴訥に述べた。

「はい?」

 余りの素っ気なさに、硬直した笑顔のままラナフは聞き返したが、それに彼女は応え
ず、続けた。圧倒的な意志の力をみなぎらせて。異論を挟ませることを許さなかった。

「事実ではないとはいえ、タチが悪いわ」

「そ、そうね。あら、こんなところに小ジワ。気を付けた方が良いわよ。これから、任
 務に夫婦生活、出産に育児も控えているのよ」

「ありがとう。あなたも結婚するなら、急いだ方が良いわ。
 歳を取ると、それはもう色々と大変だそうだから」

「……ご忠告、ありがとうします」

「フッフッフ」

「ホッホッホ」

「「オッホーッ、ホッホッホ」」

 なにげに魔界と化した控え室だったが、それも長くは続かなかった。一応ではあるが、
彼女達は自分達のいる場所を思い出したのである。自制心溢れる二人を賞賛するべきで
あろうか。それはともかく、ラナフは本題を切り出した。

「なんで貴女がここにいるの?」

「それを言いたいのは私。アナタこそ何のために?」

「私はバウアー議員に呼ばれたからよ」

「私もです。でなければ、来るはずもないでしょう?」

「お互いに、ね?」

 その通りだ。自分はここの臭気が嫌いなだけだが、彼女は筋金入りだ。『軍人たるも
の政治に関与せず』を、二重螺旋に織り込んでいるのではないかと、了解してしまうほ
どにその種の発言・行動を嫌悪する。まあ、同程度に自らの役割を誤解している政治家
も嫌ってはいるが。それは、士官学校生活での騒動から、十分わかっていた。

「中にいるのは、双軌道包囲戦ダブルポケットで……
 事実上の大敗をしたコーウェン中将やクルムキン准将」

「いまどき即決裁判で銃殺刑という訳はないでしょうけど」

 彼女は冗談めかすが、ラナフは違った。

「そんなわけないわ。そんな無法は、連邦法が許さない」

 連邦法にある種の忠誠を刷り込まれている監察官らしいラナフの発言に、彼女は羨ま
しそうな視線を向けた。彼女は、その発言を否定したわけではないが、無条件の全面的
な同意もしなかった。

「そうね……。それに銃殺になる人間に、最新の戦力表や戦力配置状況は必要ないわ」

「建艦計画や各種量産計画、開発計画もね」

「ということは……?」

「誰かが英雄を創ろうとしている」

「バウアー議員が?」

「あるいは、連邦議会が。あるいは、連邦軍幕僚本部か防衛省。あるいは連邦軍政府そ
 のもの。もしかしたら、それら全部」

「……かも知れない」

 そんな話をする彼女達へ冷や水をうつように、インターフォンが入った。

『君たち、入りたまえ』

 彼女達は、決して歴史年表には乗らないたぐいの、なにかへ立ち会う予感に震えた。



<【ネルフ】本部・休憩室>      

 少年はうなだれていた。理由は今さら述べるまでもない。対外的には、公明正大に意
気消沈する理由が増えただけであるが、本人は意識していない。しかし、無意識に理解
して、行動しているのであるから、いっそうタチが悪いと言えるかも知れない。

 さらに救いが無いと言えるのは、少年に呼び掛けたのが、タチの悪さでは人後に落ち
ない世界ランカーであったことだろう。

 彼はいつも通り掴み所のない様子で、飄々と声を掛けてきた。

「よぉ」

「加持さん」

 加持は相互認識が出来たことを確認すると、妙に嬉しそうな様子で続けた。

「青春しているようだな、シンジ君」

 日本語による会話で多々見られるように、その発言からも、欠けているモノが多々見
られた。しかし、それで通じる。少なくとも、当事者と事情通には。年月が流れ、伝承
者が純血を失おうとも、日本文化がしぶとく生き残っている証拠であるとも言える。そ
んな歴史観など、考えもせずに少年・碇シンジは同僚アルビノ少女の様に、素っ気なく
応えた。

「そんなじゃ、ありません」

「甲児君とやりあったと、聞いているぞ」

「一方的に怒られただけです」

 シンジから感じるのは微かな怒気。しかし、加持にとって、それはそよ風よりも快い
ものだ。彼本来の職務では、人類発祥以来からの先達たちの連綿たる努力の結果、反応
にストレートな感情を感じること自体がとんでも無い贅沢なのである。だから、加持は
相手に合わせて、ストレートな感情を含ませて、応じた。

「災難だったな」

 つまるところ、加持は一貫して飄々とした態度そのままだった。それを見て、少なか
らず気分を害したのか、シンジがまた押し黙る。

「……」

 加持は、そんな反応に、快さを感じてしまう壊れた自分を実感しながら、相手が自分
の言葉を無視できない程度に力を込めて、言い放った。

「だが、甲児君の気持ちも判る」

「そうですか」

「シンジ君が意識しているかどうかは、置いておくが、甲児君は大戦前から戦い続けて
 いる」

「そうですか」

「もちろん、色々あったと思うし、その色々あったことの一部ぐらいは知っている」

「そうですか」

「だがな、そんな事は些細なことだ。甲児君が凄いのは、そんな体験をした上で、義務
 だの責任だのとは無関係で、今の立場へ立ち続けていることだ」

「……今の立場ですか?」

「そうだ。【ロンド・ベル】設立以前から、精一杯、理不尽と不幸から守ろうとしている。
 少なくても、そう努力している」

「誰をですか?」

「さあ、誰だろうな。多分、本人も知らないだろう。まぁ、そんな理由がなければ、動
 けないようには見えないし、そんな必要もないんだろうさ」

「そうですか……」

 加持のその言葉を聞いてのシンジ言葉は先程と同じだった。しかし、そこに含まれる
モノは、殆ど一八〇度違っていた。それを感じ取った加持は、改めて聞いた。

「で、シンジ君はどうするのかな」

「えっ?」

「おいおい、霧島さんのことだよ。シンジ君はどうしたいんだい?」

「……えーと」

「大事なのはまずそこからだ。彼女の手助けをしたければ、それなりの苦しさや悩みも
 あるだろう。あるいは楽しみも。
 しかし、逃げるってのもありだ。所詮は他人事だからな。人が人にしてやれることは、
 本当のところそんなに無いんだ。出来るのはホンの少しだけの手助けさ。
 それすらも、しなけりゃダメってわけじゃない。
 他の人間に押しつけるってのも、手だな。それを職業にしているヤツもいる」

「そうなんですか……」

「そうなんだ。
 で、どうする」

「……加持さんだったら、どうしますか」

「おいおい、質問へ質問で返すのは禁じ手だぞ」

「……」

「まぁ、いいか。勿論、手助けするさ。幸い彼女は一時的な混乱状態になっているだけ
 だ。不治の病だの、何だのじゃない。適当に気晴らしさせてやれば、じきに回復する。
 大したことじゃない」

「それって、卑怯じゃないですか」

「方便って言うんだ、こういうのは」

「それが大人ですか?」

「人生30年もやってりゃあ、正しいだけじゃあダメなことが身に染みてね」

 一息吐く、加持。

「で、だ。人生の先輩から、とっておきのお知らせが二つある」

「はい?」

「一つは、明後日【ロンド・ベル】は当直を除いて休暇が与えられる」

「はぁ?」

「もう一つは、これだ」

「芦ノ湖?」

 加持リョウジが取り出したのは、芦ノ湖が観光案内パンフレットだった。

「その通りだ。多分、君にとっては何の面白味もないな」

 無言が加持の言葉を肯定する。

「だが、味気ない宇宙で苦労した娘には、自然とふれあいは、心安らぎ、気も晴れるっ
 てなものだろう。そうは思わないか、少年!」

 加持は、シンジが十全に理解してことを見越した上で付け加えた。

「つまりは、彼女をデートに誘ってやれと言っているんだぞ、オレは」

「――っ!!」

 加持はコロコロ変わる表情が面白いと感じてしまう。職業上の訓練と経験から、表情
筋ののみならず、不随筋の動き一つにも細心の注意を払う習慣を持ってしまっているか
ら、羨望すら感じてしまう。いや或いは妬みか。そんな気分を払拭するために、加持は
少年に年長者として、ある種の助言を与えた。

「それに、だ」

「?」

「やっぱり、怪我の養生には温泉だ。近くにある温泉郷に寄ってまったりする、という
 のもなかなかだと思うぞ?
 特に日本には混浴とかいう素晴らしい習慣もあるしな」

「加持さん!!」

 妙に白々しい笑いと共に去る加持。ひとしきり怒るポーズをとって、良心を満足させ
た後、シンジはパンフレットへ思いがけず手に入れた宝物へ向けるような視線を向けた。

「デート。デート……、に誘う?」

 しかし残念なことに、通路の陰から赫赫たる深紅の燭光を眼窩より煌めかせながら、
先程の話を聞いていた少女がいたことへ、シンジは全く気付く様子すらなかった。



<サイド2・3バンチ コロニー自警軍整備工廠>      

 ここ3バンチは、コロニー全体が工場のようなものである。サイド成立時最初期に建
造されたこの工業コロニーが、社会保障関連の工廠に指定されるのは、自然だ。それは
組織が成立した時点で内包されるものであるのだから。社会保障対策がない宇宙コロニー
など、対放射線防御のない原子炉と大差はない。

 で、あるならば、ここがサイド2コロニー自警軍駐留部隊の一大根拠地であるも、ま
た必然だった。

 言うまでもなく、連邦軍の大敗はここでも無関係であるでは無く、工廠の稼働率から
述べると、ここは既に戦争真っ直中そのものだと言えるだろう。

 コロニー内部のそこかしこで喧噪が見られるなか、特に騒々しい一区画に存在するM
S整備工廠。と言うよりも、騒音源そのものであるあるここでは、機動兵器を満艦飾と
いった有様でズラリと勢揃いさせていた。しかし、そこには工廠内のブロック別に明ら
かな温度差が見て取れる。

 妙な活力が感じられる一帯には、新鋭機かあるいは旧式機といえども入念な整備と改
装が施されていることが判る。

 どちらかというと妙な殺伐さが感じられる一帯には、揃いも揃って倉庫で埃を被って
いたような旧式機が雁首並べて立て掛けられているといった様子だった。

 その様子を見て、最近半ば飛び込む形でコロニー自警隊へ召集された若手テック 
ジャン・ジャック・ジャコブは、妙な感慨と共に眺めていた。

「ハァ……」

「どうした?」

「あっ、班長。
 イヤ、チョット……」

「ん、どうした? ウチの新しいカワイコちゃんを見て欲情したか?」

 ちなみに、その目はかなり本気が入っていた。

「しませんよ! オレはMSに欲情するような趣味はありません」

 それを聞いて、彼の上司は少し残念そうな表情をしつつも、聞き返す。

「そか……。じゃ、どした」

「ええ……、こっちのモビルスーツ、我々の自警軍用ですよね?」

 若手テックは、新鋭モビルスーツや改装モビルスーツが乱立するエリアを指差して、
そういった。彼の上司は怪訝な顔をしつつも、肯いた。

「そうだ」

「で、こっちのモビルスーツは……」

「あぁ……、連邦軍への増援だ。引き渡し整備が終わり次第、ドックの方で待っている
 駐留軍の巡航艦ごと連邦軍へ移譲される」

「巡航艦は現役のヤツですか」

「あぁ、こないだの負けでまともな艦艇戦力が激減したから、その補充用らしい。勝手
 なモンだぜ。まぁ、代わりに37バンチで係留されていた保管艦を何隻か、こっちへ
 所属変更して、現役復帰させる許可を取り付けたらしいがな」

「そうですか。でも、なんでMSは揃いも揃って保管機ばかりなんです。
 あれのままでは、役に立ちませんよ?」

「オメェ、莫迦か? 何でもかんでも、向こうに献上してどうすんだよ!」

「だって、連邦軍が負けたらどうするんですか」

「じゃ、なんでオメェは連邦軍へ志願せずに、ここへ来た」

「……、そりゃあここには……」

「そうだ、ここにはオメェにとって大事なモノがあるからだ。連邦への忠誠よりそれを
 取った。判るだろう?」

「……よく、わかりません」

 班長は嘆息した。

「たとえばの話だ」

「はい?」

 彼の上司は、声を潜めるようにして、言った。

「たとえばの話、連邦が負けたとする」

「は、班長」

「いいから、黙って聞け。たとえば、の話だ。そうなるっていう話じゃない」

「は、はい」

「もしも、だ。連邦が無くなったとき、取り敢えず決めるべき事がある。
 白旗振るか、銃を向けるかだ。
 降伏するにしても、手持ちの戦力があることはいいことだ。それだけで交渉の材料に
 なる。多少はマシな待遇にもなるだろう。
 それに、だ。戦うにしてもだ、このコロニー単独で戦えるか?
 無理だ、勝てない。だから、戦うなら、他のサイドや、DCなんぞと手を結ぶことに
 なるが、やっぱり戦力があるのとないのとじゃ、共同戦線内でも扱いが違う。意見に
 従うだけの首振り人形や、被害担当にならずに済むからな」

「はぁ……」

「ちったぁ、判ったか?」

「しかし、連邦が負けなければ……」

「判ってねぇヤツだな、オメェは」

 上司はこの物わかりの悪いヤツめ、といった感情を大袈裟に身振りで示すと、むしろ
優しげに言った。

「いいんだよ。そもそも連邦にはタップリと貸しがある。今回の分なんざあ、それに比
 べれば耳カスみたいなもんだ」

「貸し……? 何のことですか」

「いいか、俺たちのコロニー政府は連邦から色々とコイツらみたいなアブナイオモチャ
 を買っている」

「知っています」

「勿論、代金は払い済みだ。しかし、肝心の装備は半分も届いていないし、数年来音沙
 汰無し、って品もある」

「な、なんでですか!?」

「それが武器輸入している側の悲しさよ。供給している側の都合が優先されて、どうに
 もならねぇ。
 自軍への納入が優先されて、後回しにされているんだよ。
 他にもブラックボックスだの、契約規約上、手を入れることの出来ない部分だのが多
 すぎて、こっちじゃどうにもならん事もも少なくねぇし、直せる連中にお越し頂く費
 用も莫迦にならん。
 だれだ、輸入が安くつくとか云った連中は。安く見えるのは向こうが提示しているが
 イニシャルコストだけだからだ。保守・運用まで含めたら、絶対自国開発した方が安
 くつくぞ。
 もっとも、MS開発禁止契約まで結ばされている今では、どうしようもない話だがな」

 もう少しで子供が二、三人産めそうなぐらい一杯力んでいる上司だったが、何故か彼
に向ける部下若手テックの目は冷ややかだった。

「……で、本音のところは?」

「好き放題弄れねぇ機械なんざぁキレぇだ…… 何を言わす、この野郎!!」



<ジオフロント・【ネルフ】本部・R区画>      

 さて、一般人が清い躰のまま天寿を全うしたいなら、間違えても近付いてはならない
その場所で、女が二人、のどかに話へ華を咲かしていた。

「アスカとシンジくん、仲が良いようね」

「そうね。よくもまぁ、四六時中いつもいつも一緒にいるもんだとと思わないではないわ」

「だれでも、初めに手に入れたオモチャへ想いいれるものよ」

「随分、棘があるわね」

「ええ、保護者としての責任を果たして貰わないといけないから。ミサト、貴女あの娘
 を理解しているの?」

「?」

「あの娘、アメリカ国籍よ」

「知っているわよ、そんなこと」

「本当にそうかしら?
 アメリカ国籍を持つ娘。そして、かの国のとある州では男は14、女は12から、婚
 姻可能。言っている意味判るかしら?」

「……え?」

「アスカはシンジ君に固執しているわ。でも、いまその彼は他の娘に夢中」

「ちょっと待って。シンちゃんと霧島さんは……」

「ここで問題なのは、客観的な事実ではなく、アスカの主観よ。間違えないで」

「そりゃ、そうでしょうけど……」

「ご執心のオモチャを、他の娘に取られるのは面白くないでしょうね」

「まぁ、そうね……」

「で、それを止めさせる方法があるとすれば?」

 アスカの弁護をしようとする心と、軍人としての冷徹な事実に基づく判断がせめぎ合っ
ているのか、ミサトは答えない。しばらくして、ミサトは苦渋の色を滲ませながら、答
えを口にした。

「……やるわね、あの娘なら。たとえば、住所変更して婚姻届を役所へ出すとか」

「そう、たとえば『とある州』へ住所変更して、婚姻届を役所へ出すとか。
 アスカには知識と知恵がある。タチの悪いことに決断力も。
 そして、アメリカ。ビバ、アメリカ!
 あの素晴らしいアメリカですもの、お金を出せば何でもアリでしょう。
 どういう結果をもたらすかまで、言って欲しい?」

That girl is enfant terrible.あの娘はとんでもねー
 って、ところかしら」

「ミサトにしては、上々ね。」

「ありがとう。で、私に何をしろと?」

「“適当”にやるべきことをやって、頂戴。取り返しのつかない事態になる前に」

「適当に、ね」

「そう、“適当”。もちろん、貴女の専門分野における“適当”よ」

 誤解のないように述べると、ミサトの専門分野では、同じ言葉を使っても一般と異な
る意味を持つことが多々ある。今回の場合は“適当”という言葉がそれにあたる。この
分野に於ける“適当”とは、『持てる能力を全力発揮して、自分の判断で事を解決しろ』
という意味になる。

 当然ではあるが、世間一般の“適当”と違い、非常に覚悟の必要な言葉だ。

 ミサトは咽を鳴らして息を呑み、確認した。

「で、協力と支援は?」

 対して、ミサトの親友は即答した。

「私はエヴァへの運用で問題が起きた場合、その原因を作った犯人探しへ協力するでしょう。
 例えば、パイロットへ異性へのアプローチをするように焚き付けたのは誰であるとか」

 要は

『問題が起こるまでは、上に報告はしないから、お一人で片付けなさいな。オホホホー』

 ということである。いっそ爽やかなほど、麗しい友情であると言える。

 ミサトは、そんな友情を得た喜びを「とほほほー」と大いに表現するのであった。



<旧東京 シン・ザ・シティ>      

 数時間程度の仮眠では抜け切りようもない、ここ数日間の現状分析・計画立案・その
他諸々で不健康さ漂う顔を晒しながら、ブライトは事実上の作戦指揮所となっている軍
払い下げの天幕内へ現れた。

「任務ご苦労様です、ブライト・キャプテン」

 既に居たか、あるいは居続けたのか判らないが、問答無用の大富豪・破嵐万丈は気易
く声を掛けた。

「君の献身に比べれば、大したことはないよ。あ、すまない……」

「そいつはどうも」

 万丈は男から見ても必要以上に魅力的な笑みを浮かべてブライトと同じように、アシ
スタントの三条レイカから冷たい物を受け取った。もちろん、一々絵になる光景だから、
ブライトも反感の持ちようがない。取り敢えず、男としてやっかみを持つのは、当然の
権利として行使しているのであるが。だが、ブライトは余計なことを考えようとする脳
髄を力業でねじ伏せて、今現在最も確認されねばならない事項について、万丈を問い質
した。

「で、君の所見を聞こうか。向こう岸はどんな具合になっている?」

「変わりませんよ。あの悪趣味極まるモビルスーツがデク人形の如く突っ立ているだけ。
 時折、思い出したかのように動きますが……、あれならば良い就職先を紹介できそう
 です」

「良い就職先?」

「かかしです。さぞかし、田園で農家の皆様方に貢献してくれることでしょう」

 こういう発想が出るのは、地球上で生活しているためであろうか。

 この時代、既に食料生産はプラントで行うことが殆どだった。例外は時間と資金と捻
くれ曲がった神経を持ち合わせている地球上生活者だけだ。宇宙植民地生活者では、時
間と捻くれ曲がった神経を持ち合わせている者は少なくなかったが、残りの条件である
資金がどうにもならなかった。これは、コロニー環境下における土壌では、バクテリア
から植物までの限定的食物連鎖すら、維持するためには、気の遠くなるような資金を投
入し続ける必要があるためである。

 しかしブライトは、目の前の男は、たとえコロニー上であろうが食料生産を行えてし
まうであろう、無駄に大きい資金を持っていることを思い出した。モノは試しと、カマ
をかけてみる。

「君の畑はそんなに荒れているのか?」

「そりゃもう。レイカもビューティも、色々と手を出すのは好きなんですが、続かない。
 僕とギャリソンがいつも後始末をするハメに」

 こういともアッサリ答えられると、決して安からぬ(しかし高いとは言えない)俸給
を得ているブライトとしても、気持ちがよい。もっとも、直後に彼らは揃ってなかなか
得難い経験を得ることに気付いた。彼らは地雷を踏んでいたのである。

「万丈、何か言いまして?」

 絶対零度の礼儀が尽くされた言葉というものは、時として凶器である。それが控え目
に表現して知性溢るる麗人が発したものならば、なおの事である。
 さすがにブライトと万丈は(少なくとも)外見上ホンの少しだけ血色を悪くした程度
だったが、運悪く幕舎に居合わせた自衛官などは、大なり小なりまとめて震え上がって
いた。後にその恐怖から逃れるために、この時居合わせた隊有志によって、半ば本能的
に彼女のファン倶楽部が結成されたのはその余録である(畏れるモノを祭り上げて、無
害化するのは、この地に住まう者を祖とするの人々の種族的遺伝記憶レーシャルメモリー
である。
 それはともかく、冷や汗をたらしつつも、万丈は咳払いをして本題へ戻る事にした。
明日と言う日を満足に迎えるという僥倖を得るには、それが最も順当だと生存本能が全
力で主張していた。勿論、真に賢い男は本能からの警告を軽んじない。

「……冗談はさておき」

「そ、そうだな」

 持てる者の苦労を垣間見たブライトも言下に同意する。云うまでもないがブライトの
ことであるから、伴侶に恵まれたことを天に感謝することも忘れない。彼の妻はやや勝
ち気なきらいがあるものの、気立ての優しい穏やかな女性であったからだ(勿論、彼の
主観による)。

 心の中でタップリと、実時間でコンマ以下数秒の時間を消費して、感謝を終えた後、
ブライトは部隊司令として態度で、少しばかりスリリングな視察を終えてきた面々に確
認した。

「君たちの方の話が聞きたい。
 『視察』はどうだったか?
 問題なければ聞かせて貰いたい」

 問題がなければ、という言葉が付くには訳がある。といっても表面上はそれほどやや
こしい話ではない。単に彼らは万丈やブライトの指揮系に属していない。ただ、それだ
けである。

 内情は、と云うと、かなりややこしくなってくる。

 戦自を含む、彼ら各自衛隊は災害派遣の一環として視察派遣されていることになって
いる。災害派遣といっても、国レヴェルで行われたものでなく、地方自治体相当の存在
よりの要請を受けた災害区司令の判断による限定出動であるから、彼らの足並みはそれ
ぞれだった。

 まず、戦自はというと、一応人を出したという実績を作る程度の意味合いらしく、日
本古来からの“視察”そのもので、物見遊山の気配すらあった。

 対照的に、他自衛隊はかなり本気だった。“視察”と云うより“偵察”あるいは“強
行偵察”と呼んでも何の不都合もなく、曹以下の下士官レヴェルを中心に、戦闘装備で
かなりの数を注ぎ込んでいた。やはり主力は陸自だが、この街の特性上海自もかなりの
人数を送り込んでいたし、空自もイザというときのために、前線管制要員を機材込みで
送り込んで来ている。

 全く少し間違いがあったなら、クーデタの準備行動と誤解されてもまったく仕方のな
いことほどだ。

 そんな彼らだったから、未だに震え上がっている一部の気弱な者はともかく、特に選
抜されて『視察』に赴いていた、殆どの曹レヴェルのヴェテランは即座に反応した。彼
らが経験した好ましからざる得難い過去は、どのような状況であろうとそう言う反応を
行うよう条件付けている。

 彼らのまとめ役になっているらしい陸曹長が、地図を前にして予めまとめていたらし
い内容を口にした。

「ハッキリ言って、現在の状況は平穏だとすら言えます」

 ブライトが肯く。陸曹長は続けた。

「現状、連中の活動圏は旧東京・山手線外縁数キロ程度に縮小しています。時折『はぐ
 れ』が出ているようですが、まあこれは適時排除しています」

 ブライトが現状の表面的事情を端的にまとめた。

「活動が低下している……か?」

「このまま、ダンマリを決め込んでくれるなら、いいですがね」

 ブライトの発言に、万丈は彼なりのスタイルで意見した。要するにこの状況は一時的
であると云うことを、である。先程の陸曹長も万丈の云わんとすることに控え目な同意
を示した。

「我々もそう願いたいところですが」

「無理だと」

「自分たちはそう判断しています」

「同感だ」

「確かに活動圏は縮小しているようですが、自分はこれを戦力の再編成のためであると
 見ています」

「次のアクションを起こす準備行動か」

「納得の出来る意見だ」

「ならば、こちらもそれに合わせて準備をする必要がある」

「行動を起こす直前を狙って?」

 万丈の確認に、ブライトは無言で肯いた。昔から敵が集中したところを急襲して叩く
という戦法は、陳腐を通り越して古典的ですらある。もっとも、陸上における戦いとい
う儀式の作法に関しては紀元前五世紀にはほぼ完成しているのであるから、手法の古さ
は問題ではない。要は、状況に則した手段を用いる。それだけのことに過ぎない。

 ここで万丈は、あれこれと細かいことを反芻しているらしいブライトに、計画の根幹
となる件について再確認した。

「彼らの到着予定は」

「明後日より順次到着予定。最初は偵察要員だけだ。
 無人暴走機バーサーカーが相手だけに、無造作な戦力展開は禁物だと思える。
 私としても予想しえない結果は欲しくない」

「理解できますよ、ブライト・キャプテン。
 もっとも【ロンド・ベル】で予想しえた結果というのは、あまりお目に掛かったこと
 ありませんがね」

「まったく、残念だな」

 真面目な表情で、不面目な内容を言い切るブライト。他の一同から好意的な笑いが漏
れる。万丈は笑みを浮かべると、さらに突っ込んだ内容を一同と詰めた後、解散を告げ
た。新たな役割をこなすために、そこにいた大部分の面々はそこを後にする。

 そして残ったは、ブライトと、万丈と、連邦政府文化庁旧東京臨海副都心局々長の海
入深月だ。彼女は最初から居たが、自分の才能について知悉していることから、彼らの
専門分野に関する討議そのものには参加せず、オブザーバに徹していた。もっとも、既
に助言できることはし尽くしていたので、特に何も無かったが。その埋め合わせと云う
ことではないが、彼女は彼女手ずから煎れた珈琲を彼らに差し出した。手ずからといっ
てもインスタントではあるのだが。

「こりゃどうも」「ありがとうございます、海入局長」

「いえ、お口に合えばいいのですが……」

「――ほぅ」

 万丈はいつも通りの人好きする笑みを浮かべただけだったが、ブライトの口からは思
わぬ感嘆の声が挙がった。

「どうかされましたか?」

 飲食関連の技能については、可もなければ不可もないと自己評価している海入は、少
し怪訝な顔をした。これに対するブライトの反応は海入の予測の外を、大行進していた。

「ミライ……、いえ妻の煎れてくれるモノと同じだったもので。」

 その妙に場と乖離した単語に海入は過剰反応した。外見上はほとんど現れていなかっ
た事は、彼女の職業選択の賜物といえようか。もっとも、このように隙が外見へ出さな
いから、彼女は個人的幸福を逃がしている、ということもまた事実だった。彼女は内心
的には努めて平静に、外見的にはいつも通り知性の煌めきを見せながら応じた。

「ご夫人と同じ、ですか。ご結婚されているのですね。今はどちらへ」

「香港です。子供二人と一緒に」

「あら、それでは……」

 海入の続けようとした言葉を察したブライトは、さも残念そうな顔をする。

「逢いたいとは思いますが、時勢が時勢です。
 それに彼女は日本にあまり来たがらないのです」

 二拍ほどの間を置いて、万丈が納得した顔をした。確かに彼女にはここを忌避する理
由がある。

「……あぁ、そういえばそうでしたね」

「……?」

「えぇ、ここは彼女にとって捨てた過去ですから」


 だがその頃、話題の細君は捨てたはずの過去に縋り付かれようとしていた。


            :

同刻:香港・南沙大中華飯店

「ですから、いまさらなんです!」

 普段は柔和な笑顔を絶やさないブライト・ノアが配偶者ミライ・ノア、旧姓ミライ・
ヤシマは、笑顔の仮面を投げ捨てて憤った。

 憤りをぶつけられたのは、ヤシマグループの重鎮とされる男だった。何故かヤシマ重
工の時田シロウも横にいる。時田にしてみれば、なぜ技術部門の人間をこのような場所
へ同行させるのか、全く持って忌々しい限りだったが、至上命令とあれば仕方がない。

 そんな時田の内心など何の関心も払わず、男は重要な取引企業に対する謝罪を行うと
きよりも、儀式張った礼を尽くしつつ、彼女に許しを請うた。一応、時田も男を倣う。

「判っております。貴女が言われることはこちらとしても十分理解しております。です
 が、これにはヤシマ関連企業八百万の……」

 だが、男はそれが彼女を余計に憤らせているという現実を理解するほどの知性を見せ
なかった。敢えて、そうしている節すらある。それが既に彼女は彼らの構成体の一部で
あると宣告されているようで、ミライは殊更これをあげつらうしかなかった。

「その物言いがイヤだといっているのです。父が死んだとき、ヤシマとは縁を切りまし
 たし、今の私はミライ・ノアです。既にヤシマとは縁もゆかりもないじゃありません
 か!」

「ですが……」

「私にはあなた方に話し事はもうありません。引き取らせていただきます」

 頑ななミライの態度に、男は今日の交渉継続を断念した。

「……承知しました、今日の処はここまでということで。ですが、私達は待っておりま
 す。いつか良いお返事が戴ける事を」

「何度来ていただいても、答えは変わりません」

「……それではお見送りさせていただきます」

「結構です」

 ミライは頑なな態度を崩さぬまま、そこを後にした。

 タップリ数分、そのままの姿勢で彼女を見送った後、彼らはそれぞれの役職に応じた
態度で椅子に腰を下ろした。

「あの方が……?」

「八洲ミライ。いや、今はミライ・ノアだったかな?
 我々の長たるべき血筋の方だ」

「はぁ……」

 今は消滅したヤシマ宗家の血筋であることは、分かった。しかし、彼女はそれを望ん
で捨てていることもよく分かった。であるのならば、なぜ彼女へ強引な要請を行ってい
るか、それが時田には理解できなかった。彼の気のない返事は、それを要約してあまり
ある結果に過ぎなかった。

 一方のヤシマグループ重鎮たる男もそれなりの人物だ。説明をすべき事を説明すべき
人間へ施すことでで得られる利益についても、十分理解している。であるから、言った。

「君が知っているかどうかは知らん。先代がみまかって、何を思ったか宇宙へ飛び出し
 た挙げ句に、最初の大戦へ巻き込まれたと聞いた時は寿命が縮んだよ。聞くところに
 よると、第十三独立部隊とかいうところでDC総帥ビアンを倒したそうだ。実に誇る
 べき行いだ。それはいいのだが、そこで貧乏士官風情にかどわかされて、入籍してい
 るのはいただけない。全く……」

「……」

 何が全くだか、それなりの社会的階級出身者である時田にも理解できなかったが、そ
れを口にすることはない。男は続ける。大半を聞き流していたが、時田にとっても雲の
上の人間とも言うべき男は、最後にこんな事を口にした。

「時田くん、我々にはアイドルが必要なんだよ。正しき血統の正当な後継者のね。夫君
 は少し気に入らないが、まぁ許容範囲だ。我慢もできる」

「…………」

 その言葉は企業を通して財閥という名の怪物を理解している時田ですら、嫌悪を感じ
るほどの身勝手さが感じられた。




<第三新東京市ネルフ付属病院 304病室>      

「あ、シンジ君だーっ!」

 はしゃいでいるのか、無理に明るくみせているのか、あるいはその両方か。実に判断
が難しい声をあげて、霧島マナは見舞った碇シンジを迎えた。

「や、やぁ……」

 だがすぐに、少年の様子がおかしいことに気付く。マナは決して洗練された教育も、
高尚な知識も与えられてはなかったが、愚かであるわけではない。むしろ彼女は非常に
高い知性を持っている。そうでなければ、あらゆる面で高い能力を要求される幼年兵特
務課程などに組み込まれる筈もない。

 そんな彼女が見る限り、少年を一言で言い表すなら“ヘン”だった。妙に考え事をし
ているような、そうでないような。

 マナは不思議に思っていたが、少年が後ろ手にしているモノが目に入った。

 よく分からなかったが、どこかの観光パンフレットのように見える。

 マナは、直感的に理解した。同時に妙な違和感を感じる。心地良い違和感だ。これに
は、出自はともかく養育課程の問題から、彼女には男女の分けなく性別を意識する機会
に恵まれなかった事が、大きく影響している。有り体に言えば、彼女は男女間のそれに
ついては、シンジより更に未熟であるといってよい。よって、彼女が感じることが出来
たのは、人からの好意を感じることによる快さだけだった。ゆえに必要以上の気恥ずか
しさを感じることは無いのも道理である。

 マナは、面白そうなオモチャを見つけた子犬よりは多少婉曲さを感じさせる様子で、
期待で満艦飾に彩られている瞳をシンジへ向けた。

「ねぇ、ねぇ、聞いて」

「う、うん」

 この世代の少女の大部分であれば、間違いなく即座に興味を他に向けるであろう少年
の態度ではあった。にもかかわらず、マナは嬉しそうだ。貴重な資質と呼ぶべきか、奇
特と呼ぶべきか、あるいは数寄者と呼ぶべきか。判断に迷うことだらけの少女である。
もちろん、万事世の中そうであるように、少女はそんな他人からの価値など露ほども考
えず、先へ進むだけだ。

「私、もう退院できるんだって」

「えっ、そうなの?」

「うん、そう!」

「(えー……と)」

 シンジの次のリアクションを待つマナ。妙な圧迫感(プレッシャー)を感じて、対応
に迷うシンジ。

 見事にデッドロックしている状況を打破したのは、やはりマナだった。さすがは、立
ち塞がる困難を知恵と火力で噴き飛ばす、戦闘工兵技能の持ち主である。

「戻る前に、出来ればこの辺見て周りたいなぁー」

「今の時期、芦ノ湖とかキレイなんだろうねー」

「遊覧船にものってみたいなー」

 そして、そらしていた顔を少し動かし、ちらりと視線を向ける。シンジは、その視線
に耐えかねるようにして、反応した。

「き、霧島さん!」

「なに!?」

「明日、気晴らしに観光とかどうかなっ?」

「んー。条件によるかな…… 知らない人に連れてって貰ってもつまらないだろうし」

「ぼ、僕なんかどうかな…… 霧島さんさえ、良ければだけど」

「シンジ君が?」

「う、うん」

「連れてってくれるんだ…… うん、いいよ」

「ホント?」

「うん。ねぇ、あさっては何時にどこへ?」

「ちょ、ちょっと、待って……」

        :
        :
        :

 前以外に飛んでいく銃を持った少年と、的つきで銃口前へ飛び出す少女が織りなす愉
快な協奏曲は、何時終わるとも知れなかった。



<ジオフロント・地底湖々畔>      

 深呼吸する。
 手に人という字を書いて、呑み込む。
 無闇矢鱈に自分を尊大化してみる。

 ……と、まぁ、おおよそ無駄な行為を何回か繰り返した後、碇シンジは約束を果たさ
んが為、無謀にも己の師に敢然と挑み掛かった。

「お師さ……」
「なんだ」

 が、初っ端から轟沈状態だった。

 かなり以前から少年の存在に気付いていたらしい師ドモン・カッシュは、少年が言い
切る前に返答をよこしたからだ。まあこれは、切り出すまで辛抱強く待っていた師を賞
賛すべきだろう。彼にはそれだけの権利がある。

 それはともかく、出鼻を挫かれた云々にかかわらず、どこまでも弱気な弟子・シンジ
とは対照的に、師ドモンはどこまでも断定的な響きをもって、弟子の問いかけに応じた。

「あの……、あさっての朝稽古が終わったら、少し時間が欲しいんです」
「どうしてだ」

「えと……」
「うん?」

「その……」
「ほぅ」

「実は……」
「ふむふむ」

「それで……」
「なるほど」

「えっ、お師さま、今ので判ったんですか?」
「はっはっは」

 ドモンは不必要に健康的な笑いをたてて、言い放った。

「判らん」

 シンジは少しくじけた。

「じゃあ、変な相づちしないでください!」

「では、師に向かって、訳の分からない話し方もするな。
 俺は魔法使いでもなければ、仙人でもない。キチンと判るように話さないでは、判り
 ようがない。
 そもそも、誰が誰にものを頼んでいる?
 頼む側が道理をつくす。俺はそう思っている」

「……すません」

「では最初からだ。何がどうした? お前も理由無くそんなことを言っているのではな
 い筈だ。聞かせてみせろ」

「は、はい」

 結局、言いたくないことまでキレイに洗いざらい白状させられた少年だった。

 ちなみに、代償は朝稽古量二割増・一週間だった。



<ジオフロント・第七機動兵器整備ブロック>      

 あちらこちらで騒々しい中、兜甲児は、地底世界ラングランよりの帰省中であるマサ
キ・アンドーを連れて、暇潰しついでの【ロンド・ベル】案内をしていた。

 そして、愛機の整備をしているウェンディへ二言三言挨拶した後、マサキは所感を端
的に述べた。

「しばらく、見ない内に新顔が増えたな」

「あぁ。ま、いつもの通りだ」

「じゃ、まともなヤツは、俺以外いないな。類友で、変なヤツばっかりだから」

「何いってやがる。その筆頭なクセして」

「元凶がスカすなよ……、ん? 何の騒ぎだ」

 マサキが目を向けた方向には、いかな【ロンド・ベル】であろうとも、奇天烈と表現
すべき光景が繰り広げられようとしていた。


            :

 控え目に述べて、アナハイム・エレクトロニクスより出向してきているMSエンジニ
ア、ニナ・パープルトンは、美人である。だが、彼女はソレ以上に、怒るとなかなか怖
い人物として隊内に知れていた。そして今日もその評価を裏付けるかのように、声を張
り上げ、荒れていた。

「舐めるように、って修飾的表現の段階ならともかく、本当に舐めないでくださいっ!!
 ふしだらです!」

 怒りの鉾先は、あの変態テックだった。変態テックは、ニナの言葉を聞いて一瞬懐か
しそうな顔をした。だが、ソレも本当に一瞬。次の瞬間にはいつもの――軟体動物です
ら比較を忌避するであろう動きと、見ざるべき世界を見たために物理的治療の出来ない
種類の病へかかった人物特有の調子で、妖しく囁いた。

「おや、いけませんねぇ。貴女はご自分が手塩にかける存在を愛していないのですか?
 いいえ、きっとそう。そう、そう、そう。貴女には愛がないのぉ〜っ」

 謳うようにのたまいながら変態テックは、【Zetaプラス】の周囲の片隅で、自動的な
の踊りに興ずる。

 さすがは“錯乱舞踏”と称えられる変態ではある。

 対して、“ゴージャス”ニナは渾身の力を振り絞って、反論した。

(ちなみに“ゴージャス”の由来は、本人の容貌もあるが、大部分は酷く値の張る部品
を多々使用する【ガンダム】の整備に際して、遠慮仮借無く部品交換し倒した過去が原
因だ(もっともこれは、開発畑にいたマスタークラスのテックなのであるから、ある程
度は理解できる。ただ程度が程度であっただけだ)。第十三独立部隊設立当時からの古
参テックなどは、呆れるを通り越して恐れ入るばかりであったという。勿論、そのニナ
も現在は、涙無しには語れない【ロンド・ベル】補給事情で鍛えられ、以前ほど“ゴー
ジャス”はしなくなり、“エレガント”ニナに改名する日も近いと噂されている)

 彼女は、実に勇敢にも許されざるべき人倫の敵に、蛮勇とも呼べるような気迫を伴っ
て、熱弁した。

「そんなことはないわ! 私は直接面倒を見てる【ガンダム】だけでなく、全ての【ガ
 ンダム】を愛しているわ!!」

 彼女の発言に『僕も負けないぞ。ガンダム好きだ!』と拳を震わして音無く大主張す
る彼氏約一名いたが、心優しい同僚達は『お前、そこは落ち込むところだぞ』と、内心
でツッコミ入れつつも、敬意を払って放置する。

「では、彼らのお肌を指で撫でてウットリしたり、思い余って頬摺りすることは無いと
 言い切れる? 言い切れないでしょう。ほら、本当のことをこの私ワタマン、イワタ
 マンに告白するのです。さぁ、さぁぁぁぁああぁっ!」

「そっ、それはあるかも知れないけど……」

 ニナが怯んだその隙を、特選☆国家非公認特級変態技能士は逃さなかった。

「そうでしょう! そうなんですよ!! ソレしかあり得ない!!!
 だから、このイワタマンが奇蹟の手管で揮う時、『ソレ』が起こっても全く問題ない
 のでぇぇす。
 そぉれ、素敵にィ、もっとステキにぃぃ!
 ペろォォぉぉぉっん」

 ニナは、己の大事なモノが穢される光景に絶叫した。

「いやぁぁぁっっつっ!! あたしのガンダムぅぅっ!!!」

 誤解の無いよう述べておくが、彼らの論議の対象となっている RGZ-86D【Zetaプラス】
は地球連邦軍地球軌道艦隊の資産である。


            :

 硬質な足音。
 整備兵テックの足音ではない。
 彼らの足下は、こんな衝撃吸収性から隔絶した存在に包まれていない。0G環境下で
の着地は、彼らの肉体に着実なる破壊因子を刻み入れていく。それを逃れるための第一
歩として、彼らの靴底は適度な柔軟性と驚くほどの衝撃吸収性を持たされており、それ
は結果として、ひどく静かな足音というかたちで提示される。

 その場所にそぐわぬ足音は、ある場所から少し離れたところで終焉を迎え、音源は、
1m半ばほど上方からの何かによって置き換えられた。

「ドモン・カッシュ」

 置き換えられた何かに触発された漢は、そのキツイ眼差しを向けた。あの女だ。
 漢――ドモン・カッシュは何かを予感した。知らぬ内に拳が震える。もっともこの漢
の場合、本気で闘いを予感すると、拳が光って唸ったり、輝き叫んだりするので、その
程度であるとも言える。漢は馴染みのある感覚に笑みを漏らしつつ、女の姓を呼んだ。

「赤木とか云ったな」

「えぇ、そうよ。……少しお時間を貰えるかしら」

「イヤだ……、といったら?」

「奪い取るわ」

「フッ……」

「フフッ……」

 声なき笑いの応酬。ここに至って、彼らの間へ誤解のしようがない共通認識が誕生した。

 闘いだ!

『「退避〜、退避〜っ!!」』

 この時点でこの整備ブロックでは、危機管理能力に致命的な欠落を持つか、危機抑制
能力に卓抜しすぎた自信を持つ者以外、見事に居なくなっていた。この点は機動部隊の
クセして、複数回に及ぶ肉弾白兵戦まで経験している歴戦の部隊だけあって、薫陶よろ
しく見事と言うしかない。

 機は熟した。場の雰囲気を、五感ではないそれ以外の何かで感じ取っている両者だっ
たが、先に動いたのはリツコだった。

「科学のためには、敢えて汚れるときもあるのよ……
 カマンッ、ゼロゼロヤス!!」

「ま゛」

 人から出てはいけない声を出しながら、顔へ縦線引いた白衣の男が上から降ってきた。
ヤツがゼロゼロヤスか……、ドモンと思う間もなく、ゼロゼロヤスは十の指先を揃えて、
ドモン・カッシュへ向けた。

 その無闇にヤナ予感を喚起させる指先から、期待を裏切らない極小の閃光が連続する!

 たちまち、ドモン周辺の床面から、妙に重々しい土砂降りを想起させる大合唱が始
まった。

「ま゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛゛っ」

 抑揚を付けて、間抜けな声を垂れ流すゼロゼロヤス。

 しかし、相手がどのようにやろうが、結果に変わりはない。

 ドモンの周辺では小口径高速弾の嵐が続ける。樹脂系の粘着非殺傷弾とはいえ、いや
むしろ貫通せずにエネルギーを効率よく衝撃波へ変えるからこそ、弾雨に一度捕まれば
お終いだ。スーパーヘビー級プロボクサーの袋叩きに合うようなものだからだ。

 そんな、常人であれば即刻お引き取り願いたい、苛烈な接待を器用に避けながらも、
ドモンの顔には余裕がある。本人にしてみれば適当ではあるが、常人からしてみれば目
で追うことすら出来ぬデタラメな動きをするドモン。面倒臭げな表情の中にも、いつ獲
物を仕留めようかという喜びの色が滲む。どう仕留めるかではない。漢が人外の修行に
よって圧倒的な“力”得ており、其処まで極みながらも、力を揮わずには居られないと
いう、未だ境地に至ってないことの証左であった。

 だが取り敢えず、ここでそれは重要でも何でもなかった。

「見切ったっ!!」

 改造部員ゼロゼロヤスとの距離は殆ど一呼吸で無となった。

「―――――っ!」

 ゼロゼロヤスが知覚できたのは、自分の懐で不敵に歪むドモンの口端だけだ。

「せぇい!!」

 次の瞬間、ゼロゼロヤスは右二〇mほど先に立て掛けられていた【ReGZ】装甲廃
材に叩き付けられていた。打突されたらしい胸部には激しい歪みがある。おそらく装甲
化されているであろう外装のみならず、構造そのものにまで損傷が達している事は間違
いない。

 それを見て、リツコは驚愕した。

「ウソ!! ゼロゼロヤスなら、対物ライフル程度なら弾いて、象が踏んでも大丈夫な
 のにっ!?」

 しかし、取り乱したのは一瞬。計算違いがあったことを冷静に受け止めた彼女は命令
した。

「(ちぃ!!)ゼロゼロヤス、良心回路停止!
 リミッタ・カットオフ!
 Vマックス!!」

「Ready!!」

 真の能力を開放する主命を受け、ゼロゼロヤスは歓喜した。無意味に、目から光線を
飛ばして、全身からスパークを迸らせながら、ゼロゼロヤスは立った、立ち上がった!!

 拳を振り上げ、ドモンを見据えて立つその姿は、ある種の美すら秘めている。

 対してドモンは変わらない。いつものように不機嫌に、むしろいつもよりもゆるりと
した足取りだ。そして、朴訥ではあるが、どこか楽しげ響きが聞こえそうな様子で呟いた。

「さて、やっと本気を出してくれるか……」

「―――――っ!!」

 既に、人類としてあるべき領域から大きく逸脱して、人の聞き取れない領域で高らか
に雄叫びをあげると、ゼロゼロヤスは腕を交差させる。ドモンも無言で構えた。

 次の瞬間、ゼロゼロヤスの姿は爆発的な光を発していた。

「「おわっ!!」」
「「きゃーっ!!」」

 ちゃっかりと安地で鈴なりしているギャラリーからも、驚きの声が挙がる。
 一瞬の間も置かず、ゼロゼロヤスの義体各所が開放され、マイクロミサイルの全弾斉
射、火山の噴火を思わせるような光景となる。太陽になったり、火山になったり忙しい
宿主から解放されたそれらは各々にデタラメな軌道を描き、ドモンへ向かう。そして、
その着弾タイミングを合わせ、ゼロゼロヤスは閃光をたなびかせて特攻した。

「終わったわね」

 ちゃっかり遮光グラスを掛けているリツコは、ひとりごちた。アレで終わりだ。エネ
ルギーバーストに包まれたゼロゼロヤスに擦り潰されるか、ミサイルの雨に焼かれるか
知ったことではないが、あの漢の負けは間違いない。科学の勝利だ。偉大なる科学の礎
となるのであろうからあの二人も本望だろうと、露ほどの疑問も持たずリツコは感涙し
た。後はフィナーレを聞くだけだ。

 だが、リツコが聞いたのは、フィナーレでも、ましてや漢の許し乞いでもなかった。

「それでこそ! こちらもそれなりの礼を持って応えよう!」

 溢れでる気迫が、怒濤となり、漢を核とした嵐となる。

「流派東方不敗! 超級! 覇王! 電影弾ーっ!!!」

 その超絶した気の嵐が、怒濤の裂帛と共に、光焔の奔流を真っ向から迎え撃った。

 人間台風ヒューマノイド・タイフーン爆滅部員バニッシング・テックの激突。

 それは持てるエネルギーの殆どを、大爆炎と大音響と大激震に変換して辺り一帯を埋
め尽くした。

 反響が静まりかえり、爆煙は晴れた後、佇む人影が一つ。


 ドモン・カッシュだった。


 その足下には、至るところで金属やら何やらの地金を剥き出しにしながら、改造部員
ゼロゼロヤスが、というより辛うじて原型を保っているゼロゼロヤスの残骸が横たわっ
ている。

「終わりか……、ムッ?」

 終わっていなかった。なぜか嘲笑うかのような表情に見えるゼロゼロヤスの額に輝く
数字が二桁。02。それは無感動に数字を減らす。
 01
 00。

 再び、大爆炎と大音響と大激震が巻き起こった。

『我が科学に一辺の悔い無し!!』

 災厄の直前、なにやら言葉が聞こえたような気がしたが、そんなこと、その場にいる
殆どの人間(それ以外の知的存在を含む)にとって、どうでもいい事だった。

 けぶるなか、何もかも凍り付いたような静けさを破ったのは、リツコだった。少しく
たびれた様子がうかがえる対弾・対爆・対科学戦仕様に加えて、血が付いてもシミにな
らないという、何とも言えないお得さまで備える白衣をなびかせながら、呟いた。

「終わったは、何もかも。全て、終わりよ……」

 その戯言を抜かす狂科学者の胸倉を掴み挙げたのは、交友歴一〇有余年を重ねて、未
だに一〇〇%生・処理なし・未改造という輝かしい実績を持つ大親友、葛城ミサトだった。

「なに、カッコつけてんのよっ!! 【シャイニング・ガンダム】のパイロットは、ア
 ンタの部下は!?」

 彼女は局所的にスクラップヤードと化した整備ブロックの一角に目をやり、判りきっ
ている恐るべき結果について、詰問した。

「あのガンダムのパイロットは……?」

 リツコはフッとおかしげに笑うと、愚問とばかりに即答した。

「あの辺で消し炭になって転がっていると思うわ」

「あぁ……」

 予想通りの最悪の答えに、ミサトはそれが精一杯だった。
 その時、彼女の脳裏に様々な事柄が超特急で駆け巡った。

 ― 不始末、監督責任。
   もしかして特殊な慰問活動が主任務で公式には無いこととされている、
   Riveter Rosies 特別兵站大隊へ転出?
   それは無いとしても、もしかして、クビ!?
                        Ans.そうだといいですね
 ― 懲戒免職だから、年金は無し……      Ans.その通りです
 ― 私のビールは?              Ans.買えません
 ― ローンの残りは?             Ans.払えません
   でも、現住所は第三新東京市番外地アーガマだから(日本における艦隊勤務者の
   通例)、大丈夫。
   借金取りは追ってこない等

 ………じゃ、ない!!

 ― 口封じよ。皆殺しよ
 ― ああ……、私には出来ない。こんなカワイイ子達を手に掛けるだなんて。
   葛城ミサト、一世一代の大勝負よ。
   さて、今日は一体何人相手にすればいいのかしら。
   足腰立たなくなって泣きが入るまで、ヤったろうじゃないわよ

 などと、最後には考えていることの 1% が漏れただけで、予備役編入されてしまうで
あろう豪快なトリップしている彼女だったが、しかし――、

「「……?」」

 ふと気付くと、二人の横に気配があった。

「「ひっ!?」」

 ドモンだった。情け容赦なく埃一つ付いてない、いつも通りの様子で、漢が居た。漢
は調理の火加減について論じるように、淡々と述べた。

「爆圧にムラがある。避ける必要すらなかったな」

 ドモンは、矢立と懐紙を取り出して、見事な筆運びで墨書した。

「3点だ」

 ドモンは、それをビタンとリツコの額に貼り付け、立ち去った。

「さ……、三点」

 リツコはうなされるように呻いた。

「参点なのよ……」

 人事不省となっていたミサトであったが、下らぬことをうわごとのように呟く親友の
姿を知覚して、再起動した。

「―――っ、アンタねぇ!! 人を何だと思っているのよ!?
 それじゃあ、死んだアンタんトコの部員も浮かばれないじゃない」

 暴走気味ではあったが、言っていること自体はかなりまともだった。自分の親友が、
部下の安否よりも、下された評価に正体をなくすようなそんな情けない人間だったとは、
思いたくなかったのである。
 一方、ミサトの言葉にリツコは呆然とした口調のまま、心ここにあらずといった様子
で応じた。

「死んだ……、誰がどこで死んだの?」

「シッカリ、キッチリ、死んでんでしょうが、今ここで!」

「ああ、……」

 リツコは判ったか判らないか全く判らない返事をして、唐突に聞き返した。

「ミサト、貴女はテイスティングしないの?」

「何言ってんの!!」

「するの、しないの?」

「す、するわよ。私には基本的にワインは合わないから、最低限テイスティングは絶対
 必要よ」

「でしょう。だからよ」

「は?」

 ミサトにはリツコが何を言っているのか全く理解できなかった。

 そんなミサトを余所に、リツコはその話題はもう終わったとばかりに、ゼロゼロヤス
の残骸を手にしてボロボロと泣きはじめた。

「ほらみて、このフレームが描く曲面の見事さを。苦労したのよ。
 鋳造チタンインゴットから、丹誠込めての削り出した逸品……」

「……」

 ミサトは無言だ。そんなミサトの様子にも全く構わず、リツコは、次に手にした外郭
装甲の破片らしき断片へ目を向ける。

「このハイパーカーボンの見事な焼き上がりはどう?
 荒れ狂う獄熱と獄熱の狭間で完璧な温度圧力管理がもたらした奇跡を」

 そして、リツコの視線は、爆発痕残るフロアへ。

「絶大な火力と【人並】の能力が織りなすハーモニーだったのに……」

 ミサトはリツコが吐き出した最後のフレーズに、奇妙なほど反応する自分を押さえら
れなかった。

「……人並み?」

「ええそう、人並みよ」

「アンタ、何考えてるの!」

 ミサトの剣幕も何のその、シレっとのたまう科学の女。

「人型は人並みに造るのが一番難しいのよ」

「アレが人並みか、ってーのよっ!!
 人並みの機械人間に、人外の人間相手にさせるなーぁっ!!」

「……そういえば、そうね。
 なら、次は機動兵器ベースの改造部員でも用意しようかしら……」

「はい、はい、そーしたんなさい(どうせ直ぐにスクラップよ)
 ……って、ちがーう!!」

 だがこの場にいる彼ら彼女達は、ミサトが最後辺りに小さく独白した言葉が冗談でも
何でもないことを、(幸運なことに)まだ知らなかった。


            :

「レイン」

「なに?」

「気のせいかも知れんが、そこはかとなくかなり失礼なことを言われている気がするな。
 俺の気のせいか?」

「えぇ……、えーと……」

「ん?」

 漢は口少なくして、威風堂々だった。その無駄に偉そうな態度に、レインは困惑する。
なるべくなら、漢へ弁護なり賞賛なりを向けてやるのが筋と思えるのだが、心情的には
向こうにいる金髪黒眉した同性の意見に深い共感を覚えていたからだ。

 彼女の苦悩は、一瞬で終焉を迎えた。いや、結末が来た、というべきか。それは実在
の存在として、彼らの前へ現れた。

「いやー、ドーモ、ウチの部長がご迷惑掛けましたようで……」

「ヒィッ……」

 レインは現れた人物を見て、小娘のように悲鳴を上げそうになった。気を失うまでで
はなかったが、なにげに生暖かい気配がした。少し湿気ったかも知れない。

 一方、ドモンはユラリと険しい気配を立ち上らせ、ゴキゴキと関節を鳴らして拳を固
めた。

「迷う間も無く、化けて出るとはいい度胸だ。成仏させてやるから、そこを動くな……」

 彼らの前に現れたのは、ゼロゼロヤスだった。

「チョッ、チョぉっと、タイム!」

 彼はドモンから殺気というよりは、崇高な義務感ともいうべき強い気配を感じて、慌
てた。化けて出たにしては、根性がない。ドモンは、そんなヤスの様子を斟酌せず、最
後通告する。

「言い残す言葉があるなら、早くしろ。世へ害する前に片付ける」

 ヤスは泣きそうになりながら、弁解した。

「だから〜ぁ、誤解なんですってば」

「誤解?」

「ほら、チャンと見て下さい。私には目の下の縦線も無いですし、頭に包帯もしてます。
 さっきのとはちがうでしょう。私はオリジナルです」

「おりぢなる?」

 何気にドモンも調子をハズしはじめているらしい。妙なイントネーションでオウム返
ししている。

「そうです。確かに先日まで私は、というより私の脳ミソはあのボディに入っていました」

「ほう……」

「ですが、今回のコトで万が一にも破壊される可能性を考えて、部長はあのボディへAI
 を組み込んで、私のノーミソは保存してあった元の身体へ戻したんです」

「なるほど……」

「なによ? それじゃあ、貴方は改造されて、機械の身体にされた挙げ句に、その身体
 取り上げられて、元の身体へ戻されたの?」

「全く持ってその通りです。さすがは赤木部長ですよ、科学的な判断です」

「無様だな」

「いやこれは手厳しい」

「そう言う問題かしら……?」

 何とも言い難い表情で呟くレインに、ヤスは朗らかに断言した。

「問題はありません。科学の前に科学無く、科学の後に科学無し!
 赤木部長の手に掛かって、科学の礎となるのであれば、思い残すことはありません」

「「……」」

「まぁ、そんな本音はどうでもいいです。本日はどうも部長にお付き合いいただきあり
 がとうございました。これはホンの気持ちです」

 ヤスから差し出された詰め折りを、レインは恐々と受け取った。

「ど、どうも……」

「それでは、今日はこれで……。また部長がご迷惑掛けるかも知れませんが、その時は
 よろしく」

 人生経験の奇抜さは別として、どこまでも腰の低い彼であった。


            :

 甲児とマサキは、そんな光景を横目で見つつ、顔を突き合わせた。

「……本当に愉快なトコだな、ここは」

「……俺もいま激烈にそう思い始めたぜ」

 二人の呟きには、ある種の達観を得た者に共通する響きがあった。




<サイド1・30バンチ>      

「ヒイロ、ヒイロは居るか?」

 猫背の老人が人を呼ぶ。趣味の悪すぎる奇怪な遮光メガネのようなものをかけている
ため、表情はよくわからない。が、その雰囲気は明らかに常軌を逸していた。正直なと
ころ、余り関わり合いになりたくないと言う所感を大半の人間が持つであろう。ありて
いに云って、奇人変人のたぐい――それも最上級の――であった。

 その老人――Dr.Jは、その年代の人間特有の間でモゴモゴと言った後、仕方が無さ
そうに呟いた。

「やれやれ……
 アイツめ、何処へ行きよった」

 Dr.Jが、そう呟くとほぼ同時に後ろから声が掛けられた。

「呼んだか?」

 気配一つ見せず、虚無より出現したかのようなヒイロの登場にも、Dr.Jは眉一つ動
かしていなかった。

「呼んだとも、何処へ行っておった。肝心の時にいなければしょうがない」

 老人の問い質しにも、ヒイロは平然……、と云うよりは冷徹に答える。

「任務の指示なら、他に幾ら方法はある。直接下す必要はないはずだ、Dr.J」

「愛想のない奴じゃのう、ヒイロ・ユイ」

「愛想で任務は果たせない」

「青い事を言う……」

「…無駄話をするために呼んだのなら、帰るぞ」

「ほう、帰るか。じゃが儂の所以外の何処に帰ると言うのだ、宿無し根無し草のお前が」

「この宇宙の何処かだ。
 それだけか? では……」

「えぇい、若い者はせっかちでいかん。
 任務だ、任務を伝える」

「任務……
 了解した、任務を確認する」

「お前の任務はこの娘を処理することだ」

 老人は写真を投げ出した。そこに写っているのはキリリとした印象を与えるうら若き
女性だった。おおよそ、この世で認められている美的要素に不足してない顔立ちだが、
凛々しいというか、主張の激しい眉が、なによりも印象的すぎ、単純に美少女(あるい
は美女)と表現するには、微妙な判断を必要するだろう。

「ドロシー・カタロニア。いうまでもないがロームフェラー財閥の実力者デルマイユ公
 血縁の娘だ。若いが政治活動に関心を持っており、能力は勿論、なにより行動力があ
 る。公はこの娘に適当な相手を娶せて、実質的な彼の跡継ぎにしたいらしい」

「地球優先主義者のパトロン、デルマイユの後継者か……」

「そうだ。この娘には申し訳ないが見せしめになって貰う。後継者の喪失にデルマイユ
 は多大な心理的ダメージを受けるだろう。そして、連中の臆病な者共は恐怖に震え、
 何より将来の禍根を取り除くことが出来る。うまくすれば、指針を喪った地球優先主
 義者連中を異星人との戦いに努力を向けさせる事も出来るやも知れん………、と言う
 訳だ。
 ヒャッ、ヒャッ、ヒャ」

「それは希望的観測だ。希望は人に過ちを犯させる。
 最も悲惨な結末には、まず間違いなく希望が満ちていた」

 流石に老人もはしゃぎ過ぎたという自覚があるのだろう。間を置いて返された返答は
渋みに満ちていた。

「……判っておる。望みうる可能性を口にしたに過ぎん」

「ならばいい。手筈は?」

「まずは地球へ降りて貰う。準備に暫く掛かるがな。全てはそれからだ」

「任務了解」

 ヒイロは自分の成すべき事を、明確に認識したことを宣言する。

 これは儀式だ。

 この瞬間から彼は一個の歯車と化す。
 歯車は考えない。
 与えられた場所で、唯心すらなく廻り続けるだけだ。


※唯心……心だけが実在の存在であると考える倫理における、その唯一の存在。



<第三新東京市 コンフォート17内・葛城宅>      

 団欒の一時。それは家族が家族であるために必要な時間である。そこには人の繋がり
がある。そこには人の温かさがある。だが、残念なことに、本日葛城家の昼食時食卓た
るそこには、少しばかり不穏当な空気も存在していた。

 霧島マナが居たためである。

「ホントに嬉しいです。三佐手ずから腕を振るっての、もてなし、感動です!」
「なに、古巣のよしみよ。気にしないで」

 このような小娘と古娘の歓談を、アスカは中立的な態度を取りつつ、非友好的な目で
見、敵対的な思いを馳せていた。

《ハン。心にもないこと、言っているが良いわ。あんたの先輩がもたらす恐怖、魂に刻
 みなさい!》

 ちなみにアスカは、表面上はどうにか取り繕っているものの、今にも震え出し泣き叫
びそうな恐怖と戦っている。全ては、目の前に鎮座するユーラシア大陸中央南部が発祥
といわれる、香辛料の重複合構成体メガコンプレックスが原因だった。

 だが、それゆえに意味を持つ。妙に嬉しげな下僕を締め上げて、敵が野に放たれたと
ころを迅速に確保するほどに。

「ほら、みんなたくさんあるから、遠慮しないで。ジャンジャン、食べて頂戴」

「そ、そうよ。アンタ、今日は客なんだから、一番最初に食べなさいよ」

 マナはそんなアスカの態度を、感情表現が下手な少女なりの歓待であると、誤解して
(感情表現云々は誤解とは言い難かったが)、礼を述べて、彼女の薦めに従った。

「……」

 アスカは、罠へと飛び込む哀れな彼女の断末魔を、ただ一音も逃さすよう耳を傾けて
いる。それのみが、資産の保全に心を痛めた彼女を癒すのだから。

 ――しかし、

「……うん、とっても美味しいです、葛城三佐」

《えっ!?》

 彼女の反応は、アスカの予想をまったく裏切っていた。

「そうでしょう。ありがとう」

「ホントに美味しいです。この味わい深さはそこらじゃあ、口に出来ません」

《う、嘘よ》

 彼女は混乱していた。全く予想外の出来事に、パニックを起こしていた。であるから
かも、しれない。彼女があれほど恐怖を感じていた物体を、摂受したのは。

「そりゃそうよ。なにせ、隊(戦自)仕込みだから……」

 そこまでがアスカが認識出来た限界だった。



<火星軌道 【ゲスト】根拠地>      

 その頃、地球を混乱の坩堝へと陥れた直接の当事者達は、新たなる行動について自ら
の立場に都合がよいコンセンサスを作り出そうと、冥い政治的遊戯に興じていた。

「さて、今回の件についてはおおよその成果が得られましたな、ゼゼーナン卿」

「貴官の協力があればこそですよ、ギワザ殿」

「いやいや、何をおっしゃる」

 表面上は穏やかな、だが水面下では熱核反応すら色褪せるであろう熾烈な駆け引きが
なさる。一応、(表面上だけではあるが)無茶な要求が出てこないことに満足したギワ
ザは、あえてに懸念事項に触れることにした。

「まあ、それはそれとして、【チキュウ】占領区への施策は意外でしたな」

「ほう、そんなに意外でしたかな」

 ギワザの言にゼゼーナンは殊の外意外な顔をした。それには【ゲスト】が、今回の作
戦で確保した占領区にした施政が影響していた。


 【ゲスト】は占領区に対して、事実上何もしなかったのである。


 勿論、軍事拠点の占拠は行った。連邦首都ダカールの占領も行った。が、ソレ以上は
【ゲスト】が行った行動の正当化や“正しい”文化への恭順を呼び掛ける程度の、無人
機やメディアジャック主体の宣伝活動に終始していた。ありがちな協力的被占領区人民
の取り込みや、戸籍情報の整理を初めとする諜報網整備など、行わないどころか、自軍・
友軍兵士に対してすら接触の禁止を命令するほどだった。

 これは、戦慣れしていないという点を差し引いても、ギワザへ強い違和感を感じさせ
ていた。彼は、ペンタゴナ星団の反乱分子掃討作戦などで、(元からかなり圧制者向き
ではあった)人格へ更なる変容を強要されるほどの経験があったからだ。

 これに対して、ゼゼーナンの回答は明快だった。

「失礼だが、貴軍の慣習は問題がある」

 このゼゼーナンの言葉は、聞く者が杓子定規な何者かであったなら無用の混乱を招く
原因となっただろう。だが、相手はギワザだった。彼はこれを唯の一言で済ませた。

「なるほど……」

 確かにある程度の合理性を持った判断だ。

 今回【ゲスト】側には最低限の人的資源しか割り当てられていない。これはゼゼーナ
ンの統率する地球文化矯正プログラム執行団(PEGCCT)に課せられた任務が大きく影響
している。

 【ゲスト】は不得手な任務へ、更なる困難を持ち込むほど愚かではなかった(もっと
も賢いとも言い難いが)、よって彼らに課せられた任務は地球圏武装組織に対する無力
化のみであった。この判断は、PEGCCTへ任務に特化した構成を強要し、これに投入され
る人員も局限化された。これには、暴走を未然に阻止する観点による措置であろう事も
想像に難くない。少なくともゼゼーナンはそう考えていた。

 であるならば、占領区での活動主力はポセイダル王朝軍と言うことになる。地球文化
矯正プログラム執行団(PEGCCT)の人員は執行上最低限の員数しかいないから、そちら
の任務へは振り向けられない。振り向けた途端、あらゆる行動が立ち行かなくなる。
(地球圏市民の言うところの)“戦争”とは、弾と悪意の飛ばし合いのみではないのだ。
むしろ戦争とは、自陣営の保有資産を如何に効率的に流通させ、消費し、代償を得るか
が、大目的達成の鍵となる。

 しかしながらPEGCCTの面々は、活動に使用される戦艦からちり紙一枚に至るまで、稟
議書と連日連夜格闘して、自領域圏より持ち込む必要が宿命的に存在しているのである。
よって、彼らは絶対使えない。

 その一方で、星間傭兵団の人員も、その種の任務に使えない。理由は更に単純で、契
約上の問題から、彼らは占領継続活動に投入できないからだ。

 よって、実に不本意な消去法の元、“使える”人的資源はポセイダル王朝軍のみとな
るのである。

 ここで一番の問題は、ポセイダル王朝軍は洗練されている、という言葉からかけ離れ
ている面も、多々持ち合わせている軍事集団であることだ。例えば、占領区へ対しての
収奪行為など。ポセイダル王朝軍の面々にしてみれば、見せしめのために頑強な抵抗を
示した民族を根絶やしにしたことすらあるのだから、まだ“手優しい”ぐらいで、殆ど
当然の行いではあるのだが、軟弱な【ゲスト】の倫理では許容しがたいのであろう。ギ
ワザはそう理解したし、それは殆ど正しかった。

 勿論、この理解には今回の強制執行で確保した月面拠点【アンマン】へのギワザのや
りように、ゼゼーナンが全く口出しをしてきていない、という事実も大きく影響してい
た。彼の地は、いまやギワザの個人的未来に貢献すべき、約束の地への歩みを始めてい
る。【チキュウ】と戦争の今後に関してはある種の確信を持っているギワザにしてみれ
ば、得るモノが保証されているのであれば、いかほどの問題も割り切れるというもので
あろう。

 もっともギワザもその確信が、現実の問題として確報せねばならぬであろう日を、出
来うる限り未来の問題として確定できるよう、努力を怠るような人物ではないのだが。

 ギワザはそれを確認という形で始めようとした。

「しかし、今少しの手だてもあるかと思われますまいか」

「どのような?」

「そこまでは。私どもは陛下の命を受け、貴公らへの協力を命じられた身。
 その様な大事(だいじ)にまで口を挟むほど、身の程知らずではありませんな」

 内心で舌打ちしつつ、ゼゼーナンは朗らかに応えた。

「ポセイダル陛下も良き臣下を持たれましたな。全く羨ましい限り」

 しかし、ゼゼーナンは苦渋の表情を作って、告白した。

「しかし、我らだけの問題ではなくなってきている」

「何かありましたか、ゼゼーナン卿」

「本国より船が出ました。勿論、補給船団ではなく、行き先は我々の元と聞き及んでお
 ります」

「ほう、それは奇特な……」

「個人的には貴官の意見に賛同できなくもないが、私の職掌がそれを許さない」

「と、言われますと?」

「その船で来るのは、執行査察委員会の方々だ。この度の強制執行での結果がお気に召
 さないらしい」

「少し、無礼な口利きを許されてはくださるまいか」

「結構」

「そちらのお国には、太平楽な方々が多すぎるようですな」

 こればかりは珍しく素直な感想だった。さすがのギワザも、安全な場所から無神経極
まりないクレームを付けられるのは、腹に据えかねるモノを感じたようである。数々の
物資・戦力とある種の将来展望を浪費して得た成果だけになおさらだ。一方のゼゼーナ
ンは、成果を得るための行動を強要しただけに、その反応は実に穏やかなものであった。

「率直な意見だ」

「申し訳ござらん」

「しかし、傾聴に値する言葉でもある」

「如何なされるおつもりか?」

 これを聞いてゼゼーナンは殊更真摯な表情を見せて、述懐した。

「どうもしようがない。彼らが望むのだ。であるならば、彼らに現場の現実を見せてあ
 げて欲しい」

 ギワザも裏に含まれたものに気付いて、判りきったことを確認する。

「現場?」

「君たちの言葉で言うなら戦場だ」

「悪意が現実の存在として飛び交う、戦場の現実を?」

「その通りだ。多少の不幸は……、どうしようもないだろう。それが我々の現実だ。彼
 らもそれを覚悟していると確信しているよ」

 そして爽やかな笑顔。不自然な何かを持っていようと完璧に覆い尽くし、霞ませる類
の。それに対してギワザもまた同種の笑みを持って受け入れ、朗らかに答えた。

「あなたの庭の話だ。あなたがそういわれるなら、その通りなのでしょう」

 そうか。では、君の庭の方はどうなのかな? と、ゼゼーナンは締め括った。ギワザ
は苦笑にて答えるだけだった。


            :

 さて、客人まれびとに揶揄された庭であるが……

「くそぉっ!! なぜだ! なぜ、わたしばかりが、こうも無様な道化とならねばなら
 ん!!」

 激情を隠そうともしないこの男の名はチャイ・チャー。十三人衆の一人で、かつては
ギワザと激しいポスト争いを繰り広げた一角の策略家である。争いに敗れた後も、人と
なりに通じるものがある為か、未だにギワザに対しての何かを燻らせ続けている事は、
彼を知るものであれば、知らぬものはない。更にそれ良く知るのはギワザだった。この
種の機微に異常なほど敏感なギワザであるのだから、当然といえば当然である。

 であるから、今回原住民が【ゆーらしあ】と呼ぶ大陸東部一帯の占領任務を帯びた第
四挺団チャイ・チャー隊が、殆ど潰走する形で火星軌道根拠地へ帰還したことも、ある
意味必然と呼べる結果だったかも知れない。チャイも、水準以上の戦闘能力と用兵能力
に、水準を大きく上回る自尊心を持つ人物ではある。が、麾下戦力の大部分が地上作戦
のためのものであるという点と、突入ポイントとルナ2と位置関係、この2点が彼へ災
いをもたらした。彼の持つ戦力は第四挺団各隊の中で最大のモノであったが、彼らの針
路は殆ど狂犬と呼べるような戦意で跳び掛かってくる地球連邦軍地球軌道艦隊の真正面
だったのである。チャイ隊は接触開始当初は、どうにか対処したものの、間断なく襲い
かかってくる地球連邦軍によって、見る間に戦力を細切れにされ、擂り潰された。

 これはチャイにとっては致命的だった。

 別に麾下戦力を文字通り粉砕されたことが、ではない。最大戦力を持ちながら、実質
上作戦に何の貢献も出来ず、還ってきたことが問題だったのである。これならば、余程
捕虜にでもなり、身柄交換された方がマシといえる。彼に任された部隊からの未帰還者
が少ないはずもないのだが、悪いことにそこに名を連ねるのが士官以上の階級に属する
者も多々見られた。下士官・兵程度なら、塵芥と変わりのない消耗品だと笑い飛ばす事
も出来たが、士官以上はそうも行かない。縁故主義がはびこるポセイダル王朝軍だけに、
彼らの多くはそれなりの社会的身分を持ち、将来は宮廷序列でさえ上から数える方が早
いであろうと思われる者も少なくなかった。楽観的に述べて、彼のポセイダル王朝軍内
における影響力は壊滅したと見るべきだ。親族を亡きものとされた、遺族によるの有形
無形での報復さえ、当然といえる。それが彼らの常識だった。

 そこに辿り着いて、チャイ・チャーはようやく得心した。

「ギワザめ、そこまでして私を葬りたいか!?」

 ギワザがなぜ最大戦力をそこに向けたのか。そして、それをどうして政敵である自分
に指揮させたのか。さらにはどうしてこんな先の無い刹那的な優位しか得られない作戦
を強行したのか。すべては織り込み済みで当然の帰結なのだ。

「薄汚い敗北主義者が……、見ていろ!
 ポセイダル陛下への叛意、この私が知らぬとでも思っているのか!!
 必ず貴様を地獄へ叩き堕としてやる」

 チャイは己の足りぬモノを、敬愛してもいない君主に求め、驕敵の誅滅を吐き捨てた。



<第三新東京市 コンフォート17内・葛城宅リヴィング>      

 さて、幼少の頃の経験か、数時間の強制休養にて意識を回復させたアスカだった。が、
さすがに体調の方は如何ともし難く、床に伏せっている。しかし、何故かその場所はリ
ヴィング。もちろん、彼女の下僕は定位置だ。

 しかし、これが彼女自身の首を絞めることになろうとは、聡明な彼女をして誤算であっ
たのだろう。

 呼び出し音。

「あっ、ゴメン。電話だ」

 アスカは応えない。ただ、シンジの裾を離さないだけだ。経験上シンジは、彼女の意
思を尊重しない場合、その後でとても楽しくない事になってしまうことを身体で憶えて
いる。だから、少年はいささか気まずい思いをしつつも、その場で携帯電話に出た。

『ヤッホー』

 羨ましいぐらいの、無用な元気さ。彼女だ。シンジは今までに経験したことのない、
柔らかな、そしてどこまでも優しい焦燥感を感じつつ、返事をした。

「や、やぁ……、霧島さん」

 電話に気を取られているシンジは、あるポイントからの引っ張り圧力が暫増している
ことに気付かない。少年はそのまま、ここにはいない少女と語らっている。ここにいる
少女の心中を理解しないまま。

 話はなおも続くのであった。

 なるほど少年は、穴深の方が好みらしく、その掘削に余念がないと云えよう。



<ジオフロント・【ネルフ】本部>      

 ここに少女が居る。彼女はその生い立ちから非常に特殊な感性を持ち、偏り倒した知
識と経験を得ている。そのため、食べていくために必要な資金を得るための特殊技能に
事欠いては居ないし、実際容易く得ている。しかし、得た資金を食べることにつなぐと
いう行動のため、それこそ家一軒が建ってしまうのではないかとほどの労力を必要とす
る。あくまでも比喩表現であるが、そんな一面を彼女は持っている。

 くだんの彼女こと綾波レイ嬢は、いままさにそのような個人的内宇宙に拡がる泥濘へ
真っ向から突入していた。


 彼女は、同僚の少年と、どうでもよい内職持ちの保安部員との会話で出てきた

  『でぇと』

 という言葉に、抗い難い魔力を感じていたのである。


 念のため述べておくが、彼女はその言葉を理解していない。文献資料でも見かけたこ
とはあるが、さして気にも留めていなかったため、不明確なイメージ程度しか持ち合わ
せてない。

 そのこと自体を実に不幸であると表現するか、はたまた可愛気があると表現すべきか
は悩むところであるが、取り敢えず不問とする。彼女にとってはどうでも良い話だから
だ。彼女はすべからく、同世代の人間が意味不明な言葉に対する理解を欲した場合に行
われるであろう、普遍的な行動を取った。辞書で意味を引いたのである。因みにこの時
代にあって、紙媒体のソレを使用していたのは、彼女の事実的女性親権者のポリシーに
由来する。まぁ本当にどうでもよい話ではあるだが。

 彼女は、手開いた頁を食い入るようにして、黙読した。

<国語辞典>
(1)日付。「デートスタンプ(=日付印)」


 意味不明だ。彼女は後述の文へ目をやる。


(2)《自動詞。「する」と結合してサ変動詞としても用いる》─日時を約束して異性と会うこと。また、その約束。《類義語》あいびき。しのび逢(ア)い。▽date

 ……よく判らなかった。安価な紙が使用されていたのか、頁が破れてしまったためだ。
仕方がないので、その頁を細切れにしてくずかごへ。プライバシーの保護のためだ。伊
吹マヤから、そう教えられた。身近な布製品に対する指導であったような気がしないで
もないが、紙でも布でも太古の昔から人類の友だ、大差はない。彼女は、教えを実践し
た満足感で少しだけ気分がスッキリした。

 それはともかく、何故か無駄に探求心溢れる今日の彼女は、搦め手から攻めることに
した。敵の強力な抵抗に遭った場合、一旦退いて側面から攻めることは戦術の初歩の初
歩だ。彼女は類義語を検索した。

あいびき【合(い)挽(き)】〔歴史的かな遣い〕あひびき
牛とぶたの肉をあわせてひいたもの。


 さすがにこれは違うと判断した。次を探す。

しのびあい【忍び逢い・忍び会い】〔歴史的かな遣い〕しのびあひ
しのびあうこと。あいびき。密会。─用例(永井荷風)


 『しのびあうこと』でわかるなら、『しのびあい』で意味を調べるわけがない。頭の
悪い著者に漫然とした怒りを憶えながら、彼女はさらに唯一の新情報『密会』を調べた。



みっかい【密会】〔歴史的かな遣い〕みっくゎい
《名詞・自動詞。「する」と結合してサ変動詞としても用いる》─人目をさけて、ひそかに会うこと。特に男女がこっそり会うこと。─用例(井上光晴)《類義語》あいびき。しのびあい。

 弾けるような音がした。また粗悪な紙が破れたらしい。ダメな辞書だと思いつつも、
今は調査を優先した。彼女は目的と手段を履き違えない。

 しかし、『しのびあい』は先程調べた、もう新しい情報はないかのように思えたが、
彼女は自分が失念していたことに気付いた。『あいびき』は同音のものがあったのだ。
何故気付かなかったのだろう。彼女は深呼吸をして精神的安定の回復をはかり、もう一
度調べることにした。

あいびき【逢引・媾曳】〔歴史的かな遣い〕あひびき
《名詞・自動詞。「する」と結合してサ変動詞としても用いる》─〔恋をしている〕男女がこっそりあうこと。ランデブー。─用例(堀辰雄・徳田秋声)《類義語》密会。しのびあい。

 重大な発見だった。

 彼女の保有する薄桃色に色付いたシナプス群では、ランデブーと言う単語とドッキン
グと言う単語は、極々近距離――SI単位で述べるとナノメートル・レヴェル以下のオー
ダーで神経接続されている。彼女に課せられた任務上、必要であるのだから(彼女が駆
るEVAは、汎用決戦兵器――あらゆる場所で戦えと云われている器用貧乏を宿命付け
られた兵器である、宇宙作業関連にも造詣の深いことは、何の不思議もない。当然、そ
の片方に入力があれば、確率論的に述べて極めて大確率でもう片方に辿り着く。もちろ
ん、ドッキングという言葉も何かしらの単語と神経接続されているわけであるが、これ
は彼女本人すら意識のしていない領域へ接続されていたので、誰にも判らない。

 判るのは、彼女の感情内へ非常に不愉快なモノが蠢いたと言うことと、顔の毛細血管
径が多少増したことぐらいだった。

 彼女はいつものように冷静な顔で、いつものように静かに佇み、本人さえ判らぬまま
混乱した。混乱の余り、【ロンド・ベル】の電子掲示板に、彼女なりの解釈が施された
――要するに端的な表現とした――情報を書き込んでしまったことは、実に彼女らしか
らぬ混乱ぶりと云える。

 そんな彼女が、どういう思考の元に とある日(D-Day)の行動を芦ノ湖近辺に決定した
のかは、余人をもって知る由もなかった。



<第三新東京市 コンフォート17内・葛城宅>      

 さて、何故か生傷が散見される碇シンジであったが、家事は当然こなさなければなら
ない。他の家庭ではどうあるかは知らないが、とりあえずここではそういうことになっ
ている。少年の未来に設定された抵当権に比べれば、大した問題ではない。

「出来た」

 少年は誰に聞かせるでもなく、ごく簡潔に作業の終了を告げた。

「ミサトさん、アスカー」

 シンジは、自称・被保護者と自称・主権者(何のとは聞かないであげて欲しい)の名
を呼んだ。

 心暖まる食事の始まりだ。

 ミサトは焼き魚を肴に麦酒をあおる。

 まだ調子の悪いアスカは本人の要求に従いオートミールだ。取り敢えず、作ってはみ
たものの、初めて目にするモノだけに不気味だ。ついでにチョット舐めても見たが、美
味しいなどという次元の問題ではなく、新手のイジメかと思えるほどだった。まるで犬
のエサだ。(ちなみにアスカが、ミサトの絡みで初めてお粥を見たときと同じようなこ
とを思ったとは、少年が知るよしもない)

 シンジ自身はいつものように、燃料補給作業と呼べるような冷ややかな熱意の元に、
焼き魚を主菜とした比較的質素な食事を摂取していた。

 しかし、アスカの不機嫌さは留まるところを知らない。次から次へと、実に多彩かつ
多岐にわたって、文句を付ける。内容を聞き流して、千変万化な言葉へ感心していたシ
ンジだったが、ある話題には傾注せざるを得なかった。

「まったく、もーあの女の所為で酷い目にあったわ!
 アレは絶対、オールドジャパニーズアーミーの亡霊が、【ネルフ】に送り込んだ非合
 法工作員に間違いないわよ」

「あの女?」

 ミサトがチェシャ猫のような笑みをしながら、聞き返す。アスカは案の定、血圧を無
駄にあげながら、答えた。

「そう、あの女よ。霧島マナとかいう、あの墜落娘よ!」

「ああ、霧島さんのこと?
 良い娘じゃない」

「その評価の根拠は何よ!」

「昼間の食べっぷりよ」

「却下!」

「却下って……、あのねぇ……。
 じゃあ、アスカの意見の根拠はどうなのよ?」

 意外に鋭いミサトの舌鋒に、アスカは一瞬反応が遅れる。そんな自分に気が付いてし
まったためにイラついたのか、叩き付けるようにアスカは言い返した。

「昼間の食べっぷりよ!」

 白手袋で頬を叩かれたかのように、ミサトはチョット驚いた顔をした。

 確かにアスカの性格は穏やかとは言えない。さりとて、活火山の如き、と言う訳では
なく、むしろ極北の海に漂う巨大氷塊よろしく穏やかに凍えるような絶対否定が、彼女
のスタイルであったはずだ。

 だが、目の前の彼女は、ありとあらゆる事情を斟酌して、来日以前のアスカのイメー
ジに沿った曲解を行って上ですら、嫉妬を扱いかねて混乱している小娘にしか見えない。

 こんなマトモなカタチでの、コミュニケーションが成立するとは、数年前の同居時代
には思いつきもしなかっただろう。

 そんな感慨に襲われたため、ミサトは怒るよりも、むしろ、微笑ましさに包まれてし
まっていた。

 シンジと霧島准尉の仲が進めば(勿論、そうするのであるが)、この小憎たらしい小
娘も、少しは世間の侭なら無さを味わうことではあるし――

《実にワタシって、素晴らしい》

 ミサトは色々な喜びを味わえる幸福に酔いしれる。

「……? 何ニヤニヤしてんのよ、気持ちが悪い」

「フフン……、どうしてかしらね。
 まぁ、いいわ。
 あ、シンちゃん、ごちそうさま。じゃ、ワタシはオフロにでも、行くとしますか」

「せいぜい無駄に、スキンケアでもしなてなさい、ミサト」

「はいはい」

 慣れているミサトは軽く受け流して、ダイニングを後にした。アスカは、やや八つ当
たり気味に、シンジへ言う。

「何か言いたそうね」

「別に……」

 シンジの素っ気ない態度に、アスカのこめかみで、静脈がごく控え目に存在を主張し
た。しかし、それ以上はない。する余裕が無かったと言うべきか。バルバロッサ作戦に
直面しようとしている独軍のように、彼女は今、その程度の些末事などにかかずりあっ
ていられない状況だったのである。

「シンジ」

 アスカの全軍前進命令は、実に即物的なモノだった。作戦目標そのものだったからだ。

「アンタ、キスしたことあるの?」

 シンジは面食らった。思わずレイとの一件を思い出し、現実逃避してしまうほどに。
シンジにしてみれば、殆ど事故だったが、世間的に評価してみれば、多分経験者という
ことになるのであろう。色々な意味で、悩むところではあるが。

「……な、なんでだよ」

 シンジはどうにか現世を復帰して、最低限ギリギリの返答を返した。これまでのアス
カとの経験は、偉大だったというところだろう。

「私の下僕ともあろうものが、女の一人もデートに誘ってキスの一つも知らないってい
 うんじゃあ、主人の名折れだからよ!」

「な、名折れって……、それにデートって、ちょっと気分転換にその辺案内するだけじゃ
 ない……」

 『か』、と言いたかったがシンジであったが、肝心の相手はそんなどうでも良い返答
など、コンマ1秒も待つ気はなかった。

「で、どうなのよ」

 多分、2週間ほど絶食していた肉食動物と顔を突き合わせたらこのような気分を味わ
えるのかな、と本格的な現実と精神の乖離が見受けられ始める少年。脳髄は酸素を莫迦
喰いしているだけで、まともに制御信号出していない。肉体の方は、そんな垂れ流して
いる、という表現すらおこがましい指示を無意味に実行する。

「えーと……、あ……、いや、だから……、その……」

 少年の逃避は続く。

「どうなのよ!」

 だが、少年の主人はそれさえ許さなかった。圧倒的な“力”で少年の精神を現実へと
叩き落とし、答えを強制した。

「ないよ!」

 フッとアスカの身体から、力みが抜けるのが判る。

「そう……」

「そうだよ」

 そして、彼女は気怠げにのたまった。

「……じゃ、キスしようか?」

 シンジは自分の理性を疑った。

「え?」

 突拍子もない、というより突き抜け倒した彼女の発言が理解できない。異常事態を理
性で無理に理解しようとするものだから、当然だ。シンジは本格的に混乱しようとして
いた。

 判らない。何を。何が。何故なら。何故に。そして、なら……

 無意味に流れる時間。

『シンちゃーん、シャンプー切れちゃったみたい。新しいの持ってきてくれるーっ?』

 そんな呼び掛けも聞こえたような気がする。しかし、全ては静寂な混乱の渦中へと消えた。




<黒竜江河口沖三〇km>      

 彼らはあらゆる意味で、まさに鴨だった。必死に目的地へと旅を続けるべくその裡に
蓄えられた滋養は、狙われるだけの正当性を襲撃者に与える。襲われれば全滅は必死。
それだけに彼らは、真摯な態度で堅密な編隊を維持し続けていた。

 勿論、そんな彼らを率いる母鴨の苦労はそれだけではない。彼女には群れの子供達を
守るために、一時の逡巡も許されていない。

 そんな事を漠然と考えながら、輸送隊司令マチルダ・アジャン中佐はおもむろにイン
カムの回線を隊内通信へと継ぎ、宣言した

「マザーグースより、グース各機へ。
 LINK62開け。
 符丁ゴルフスリーG3
 コースの変更を行う。繰り返す……、」

『了解』

「マチルダ中佐、よろしいのですか?」

 突如発した彼女の命令に、腹心たるサリィ・ポーすらも驚きを禁じ得なかったらしい。

 もっともだ。普段彼女はこのような型破りな命令を発する人物ではないからだ。しか
し、全くしないわけでもない。

 たとえば、行方に困難が予想されるときなど。

 そうでなければ、危険と表現するには苛烈すぎる、最前線での戦術輸送任務を、数百
ソーティもこなせるわけがない。

 彼女は諭すように告げた。

「用心に越したことはありません、サリィ・ポー。肝に銘じて置きなさい、既に戦争は
 始まっているのですよ」

「……? イエス、マム」

 もっともマチルダ・アジャンがその相手が誰であるかを、口にしなかったのは、彼女
なりの思いやりであったかも知れない。勿論、思いやる対象は哀れな部下達である。

 彼女達の世界は既に、常日頃ならぬ世界であっても許されざる論理で動き始めていた。


<第九話Eパート了>



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ver.-1.00 2003/01/29 公開
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<作者からの告知>    

作者  「皆様お久しぶりです。
     色々とありましたが、またよろしくお願いします。」




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