SS「雨の日の七夕伝説」 ----------------------------------------------------------------------------- 雨が降っていた。 夕暮れ時も近い刻限。 学校の帰り、外の営業、遊びに出ている人・・・。 そのほとんどが、突然降り出す雨を予測していなかった。 雨は降りつづけた。 激しさも増した。 道行く人は、軒下やお店の中へと避難した。 行き交うは車のみになった。 ここは、商店街。 天気予報でも告げられていなかった雨が、買い物客を足早に帰らせた。 それが適わぬ人は、軒下へと逃げた。 そして、ここ、呉服屋の軒下でも、そんな人々が数人、降り止まぬ雨を見つめていた。 「あぁーあ・・・せっかくの休みなのになぁ・・・」 雨に打たれてぬれてしまった服が、肌に絡み付いて気持ち悪い。 夏休みに入って、地元に帰ってきたあたしは、一人で、商店街を歩いていた。 ・・・なんで、今時のショップとかじゃなくて、商店街なのかと言えば、 ここは、あたしの思い出の場所だったから。 そう、6年前のあの日も、最後はこんな天気になったっけ・・・。 1998年 8/7 昼 商店街---------------------------------------------- 「ねぇー、お兄ちゃんッ、早く早くぅ!!」 「急ぐなよ、他の人にぶつかるぞ?」 この商店街では、年に一度、8/7に、面白いイベントが行われていた。 天と地で別たれた、一人の青年と、一人の天女が、年に一度だけ、会うことを 許された日。 ・・・俗に言う、「七夕」。 普通なら、七夕といえば7/7にやるものだけど、この地方では、旧暦に従い、 一月後れで、七夕の行事が執り行われている。 この商店街で行われるのは、そんな、月後れの七夕のイベントだった。 近くに、お祭りをやる神社がないこの地方にとって、あたしが、浴衣を着るのは、 この場所だけだった。 ・・・そして、浴衣姿を、一番間近で見ていたのは、「お兄ちゃん」だった。 本当の兄妹じゃなかったけれど、あたしは、お兄ちゃんのことが大好きで、 いつも、お兄ちゃんって呼んでいた。 お兄ちゃんは、とても頼りになる人だった。 あたしより、6つ年上だった。 かっこいいとさえ、思っていた。 あたしに、いつも優しくしてくれた。 ・・・好き・・・と言うより、あれが、初恋だったのかも。 そんなお兄ちゃんが、しばらくの間、あたしだけのお兄ちゃんでいてくれる。 まるで、彦星と織姫が、一年に一度だけ巡り合える、七夕のように。 だから、七夕と言うイベントは、あたしにとって、大切なものだった。 だから、あたしは、イベントが始まる前から、こんなにもはしゃいでいた。 それが、お兄ちゃんにとっては、うれしくもあって、同時に心配でもあったみたいだった。 急いで、あたしの後を追いかけてくる。 「いやぁー、お兄ちゃんにつかまっちゃうぅ〜!!」 あたしは、楽しげに声を挙げながら、尚も走った。 お兄ちゃんも、まるで、恋人にでもするかのような感じで、あたしを追って来た。 しばらく時間が経って。 「――あ。」 お兄ちゃんが、何かを思い出したかのように、立ち止まって、変な声を挙げた。 「どうしたの?」 あたしも、立ち止まる。 お兄ちゃんはしばらくしてから、答えてくれた。 「・・・おつかい、忘れてた」 「――あ。」 今度はあたしが変な声を挙げた。 そう言えば、今は、おつかいで来てたんだった。 お買い物を済ませた帰り。 お兄ちゃんは、あたしの方をまじまじと見てから、訊いた。 「なあ・・・今日、七夕来れる・・・かな?」 あまりにも突然の質問に、あたしは一瞬、首をかしげた。 ――毎年来ているのだもの、当たり前じゃない。 言おうとしたけど、ちょうど通った大型トラックの音に、かき消されちゃった。 ・・・結局、それから、お兄ちゃんとあたしとの間に、会話はなかった。 1998年 8/7 夕方 自宅----------------------------------------------------- 「お母さん、浴衣どこぉ〜?」 「おっかしいわねぇ・・・確かこの引き出しに・・・」 もうすぐイベントが始まるのに、何故か、浴衣が見つからない。 せっかくの日なのに、今日に限って、どこにも見当たらない。 あたしは泣きそうになりながら、一度調べた場所を、もう一度調べた。 でも、お母さんは、もう、探すのを止めた。 「今年は、お出かけ服で行っておいで・・・浴衣は、また今度・・・」 そう言って、いそいそと、キッチンに入って行ってしまった。 あたしは泣いた。 あれを着て行かないといけないのに。 あれがないと、七夕にならないのに。 そんな、子供の、勝手な思いこみは・・・ 1998年 8/7 夕方 イベント会場---------------------------------------------- 結局、浴衣は見つからなかった。 お母さんに言われたとおり、おでかけ用の服で、商店街の入り口にいた。 ここで待っていれば、いつもなら、あと少しで、お兄ちゃんはやってくる。 浴衣は悔しかったけど、お兄ちゃんとのデートに対する気持ちが、それを、 徐々にかき消して行った。 もう少しで、お兄ちゃんが、あたしだけのお兄ちゃんとして現れる。 ・・・今年こそ、告白しよう。 あたしの思いこみじゃなくて、本当に「恋人」になりたい。 もう、抑えられない。 言おう。 言おう。 絶対に、告白しよう。 ・・・でも、お兄ちゃんは、いつまで経っても、姿を見せなかった。 高鳴っていた鼓動も、今では、寂しさと泣きたい気持ちに変わっていた。 ・・・ううん・・・もう、泣いていた。 商店街の中を捜す。 商店街の中を、捜しつづけた。 ・・・でも、お兄ちゃんはいなかった。 そして、雨が降ってきた。 誰も予想していなかった、突然の雨だった。 商店街の近くに家がある人は、みんな、駆け足で帰って行った。 ・・・それから、七夕のイベントは、途中で中止になってしまった。 1998年 8/7 夜8時 呉服屋-------------------------------------------- 雨は、一向に止む気配がなかった。 あたしは、持たされていたPHSで、お母さんに電話をかけた。 ・・・でも、いつまで経っても、お母さんは電話に出なかった。 雨にぬれた体が、徐々に、震え始めた。 でも、体をぬらしていたのは、雨だけじゃなかった。 ・・・全てに裏切られたような、絶望感から沸き立つ涙。 あたしの顔をぬらしたのは、雨より、むしろそっちだった。 ・・・あたしは、一人で帰ることにした。 1998年 8/7 夜??時 道路--------------------------------------------- まだ、雨は止んでいなかった。 雨にぬれて、あたしは今にも、風邪をひきそうだった。 「さむい・・・よ・・・」 雨のせいか、あたしは、真夏なのに寒さを感じていた。 夜の道路・・・怖かった。 怖くて、懸命に歩いた。 でも、この日に限って、家までの距離が、妙に遠く感じた。 近づいているはずなのに、全然着かない。 むしろ、遠ざかっている・・・そんな気さえ、してきた。 いつのまにか、あたしの頭の中から、考えていたものが消えていた。 考えることも、できなくなった。 あたしの横から、けたたましいクラクションの音が聞こえたのは、その直後だった。 ――ドン。 何かがぶつかって、あたしの視界が弾けた。 足から、地面を踏みしめる感覚が消え、代わりに、全身に、一瞬、痛みが走った。 ・・・激しい痛みの中、どこからか、男の人と、女の人の声が聞こえる・・・。 その中に混じって、もう一人、男の人の声がしていた。 聞き覚えのある・・・温かい・・・聞きたかった声が聞こえた。 「ごめんな・・・僕が・・・美紀は・・・い・・・」 え・・・? お、お兄ちゃんの声が・・・なんで、そんな声が聞こえるんだろう・・・。 救急車らしき車のサイレンが聞こえたのは、しばらく経ってからのことだった。 初めての救急車・・・。 でも・・・。 乗せられる直前で、あたしの意識は落ちた。 ・・・次に気がついた時には、病院のベッドの上だった。 知らせを聞きつけたお母さんとお父さんが、目を開けたあたしを見て、 泣きながら大喜びしていた。 1998年 8/14 病院------------------------------------------ あたしは、未だに、病院の中にいた。 幸い、後遺症は残らなかったけど、それでも、全治1ヶ月だって・・・。 学校、行けないな・・・。 お兄ちゃんにも、逢えないな・・・。 ・・・そうだ・・・。 お兄ちゃん、あれから、どうしているんだろう? あたしは、お見舞いに来ていたお母さんに、尋ねた。 「ねえ、お兄ちゃん、どうしてるかな・・・」 その瞬間、お母さんの顔が、凍りついた。 そして、しばらく経ってから、言う。 「お兄ちゃんなら、暇な時にお見舞いに来てくれるって言ってたわ。」 ・・・でも、その言葉の歯切れは、すごく悪かった。 もう一度、聞く。 「本当に、お兄ちゃん、来てくれるの・・・?」 お母さんが怒ったのは、その質問の後だった。 「何度も言わせないでッ!!しつこい子は嫌いだよッ!!!」 ・・・いやな予感がした。 ・・・そして、その予感は、的中した。 お兄ちゃんは、それから、二度と、姿を見せてくれなかった。 ------------------------------------------------------------- 2004年 8/7 夕方 呉服屋の軒下--------------------------------- あれから、お兄ちゃんが、どこに行ったのか、誰も教えてくれなかった。 体の傷は癒えて、それから、あたしは、いつもの生活に戻り、中学へ、 そして、高校へと進み、今に至っている。 雨は、まだ止みそうになかった。 「ハァ・・・そろそろ、お母さん帰ってきてる頃よね・・・」 流行りのマスコットのストラップをつまみ上げ、携帯を取り出す。 かけた先は、自宅。 ・・・5回くらい鳴らすと、誰かが受話器を取った。 「もしもし、お母さ――」 「――久しぶり。美紀ちゃん。」 ・・・聞こえてきたのは、お兄ちゃんの声だった。 「お、お兄ちゃん!?」 ・・・信じられなかった。 本当にお兄ちゃんなのか、何度も確認した。 そのたびに、お兄ちゃんは「そうだよ」と返してくれた。 それから、我を忘れて、電話越しのお兄ちゃんと、いっぱいお話をした。 料金なんか、気にしていられなかった。 あれからどうしていたのか、とか、今、何をしているのか、とか・・・。 とにかく、いっぱい、話をした。 ・・・でも、お兄ちゃんが話してくれた近況は、矛盾することばかりだった。 時間軸が、合っていない。 1998年の当時のままのことしか、言ってなかった。 しばらく、聞いていたけど。 あたしは、意を決して、聞いてみた。 「お兄ちゃん・・・。怒らないで聞いてね?今、どこに、いるの?」 あたしだって、あの頃と比べたら、ずっと大人になった。 人間の汚い部分にも、目を背けずにいられるようになった。 悪く言うと、「汚れた」って言うんだろう。 ・・・だから、あたしは、お兄ちゃんの「矛盾」を、甘受できなかった。 しばらく、言葉が途切れた。 電話越しからは、何も聞こえてこない。 「お兄ちゃん!?」 ・・・答えが、返ってきた。 ・・・・・・信じられない、答えが。 「美紀ちゃんの、隣だよ。」 はっとして、振り向く。 ・・・お兄ちゃんは、そこに、居た―― 涙が止まらなかった。 そこにいたお兄ちゃんの姿が、6年前のままだったから。 そして・・・今にも、消えそうだったから。 「あははは・・・。大きくなったね・・・。 もう、僕と、同い年か。」 恥ずかしそうにしながら、お兄ちゃんは、片手を、頭の後ろに回した。 「ねえ・・・何の、冗談なのよ?」 目の前の光景が、信じられなくて。 「冗談・・・だったら、よかったのに、な・・・。」 お兄ちゃんが、後ろに回した手を落とし、あたしから目をそらした。 「・・・まさか・・・」 ・・・信じたくなかったけど、あたしの頭の中では、お兄ちゃんの、 今の状態を表す言葉だけが渦巻いていた。 「うん。美紀ちゃんが轢かれた日・・・。僕も、轢かれちゃって、な。 ・・・ごめんな?あの時、僕が、美紀ちゃんの隣に居たら、あんなことには。」 悪夢のようだった。 お兄ちゃんは、死んでいた―― --------------------------------------------------------------- それからと言うもの・・・。 あたしは、8/7になると、お兄ちゃんのお墓にいくようになった。 お兄ちゃんに、逢うため。 一年に一度、逢うため。 役が逆だけど、それは、まるで、彦星と、織姫のように――。
End