意 見 陳 述 書(第1回審尋へもどる)
陳 述 人 木 村 義 美
1.私は昭和4年に生まれてからずっと笠間市福田に住んで来ました。本件最終処分場の建設予定地から北側にわずか100メートルの所です。私は、昭和47年ころから石原砕石産業という会社に勤務して、本件最終処分場の計画がある場所で砕石作業に従事していました。昭和50年頃からは、2、3人で1日1回、10〜15本のダイナマイトで発破をかけながら、機械を使って地下を掘り始めるようになりました。
2.その後、昭和56、7年頃に地下を20メートルくらい掘り進み、石灰岩が出始めた所で、地下水が湧き出てきたのです。水は石の間から湧いてきて、掘っている穴の底に20pくらい溜まりました。私たち作業員は、直径4インチのポンプで毎日昼夜に渡って水を排出しなければ砕石作業ができない状況でした。石原砕石産業は、昭和61年7月に倒産して、砕石作業は中止されたのですが、私は、倒産後もちょくちょく砕石現場を見に行っていました。地下水はだんだん砕石現場の跡地に溜まり、作業中止から1年くらいで一杯になり、外へあふれ出るようになったのです。こうして、現在「ふじみ湖」と呼ばれる湖ができたのです。
3.私の家では、昔から敷地内にある井戸の井戸水だけで生活してきました。一応水道も通っているのですが、今まで全く水道水を使ったことはありません。以前から使っていた井戸は、前に述べた採石場で地下を掘り始めた昭和50年頃からだんだん水の出が悪くなりその後使えなくなりました。これは砕石場の湧水のせいだと思います。そのため、私は、平成元年ころ、敷地内に深さ6メートル50センチほどのもう1本の井戸を掘り、この井戸の水を現在まで生活水として使ってきました。
4.ところが、平成14年10月から本件最終処分場の工事としてふじみ湖の水の抜き取り工事が始まると、新しく掘った私の家の井戸の水位が下がりだしたのです。 私は、工事が始まった直後から、井戸の中にひもを降ろし水面までの距離を測るという方法で、井戸の水位の変化を記録してきました。それによると、工事の始めから現在まで、およそ1メートルも水位が下がっています。このように水位が下がったのは今までありませんでした。井戸水を風呂の水として一時に大量に使っても、せいぜい30センチほど水位が下がる程度で、しかも水位はすぐに元に戻っていました。このようなことから、ふじみ湖には湧水がでており、私の井戸もそれとつながっていると考えられます。このまま危険な最終処分場を建設すれば、私が大切な井戸水として使用している井戸が汚染されることは明らかというべきであります。
裁判所におかれては、私の意をお酌み取りいただき、速やかに建設差止めの決定をお出しいただくようにお願いするものです。
以上