河内山 仁左衛門の河内山 2004.11.12 W39

6日、歌舞伎座夜の部を見てきました。

主な配役
河内山宗俊 仁左衛門
泉屋清兵衛 段四郎
おまき 東蔵
高木小左衛門 左團次
浪路 孝太郎
北村大膳 芦燕
松江出雲守 梅玉

「河内山」のあらすじはこちらをご覧下さい。

仁左衛門初役の河内山は、切れ味の良い台詞廻しで堪能させてくれました。今回仁左衛門が、生粋の江戸っ子・河内山をはたしてどのように演じるのか、とても楽しみにしていました。

CDで繰り返し聞いた十一代目團十郎の「おい、江戸っ子は気が短けえんだ。早くしてくんねぇ」という何とも小気味の良い台詞廻しが脳裏にしみこんでいる私には、吉右衛門の河内山は太っ腹で幡隋院長兵衛のようだし、又幸四郎の河内山はあまりにも理詰めに感じられ、だれかあの感じを再現してくれないものかしらと思っていました。

まず上州屋店先で花道を出てきた仁左衛門、ちょっと良い男過ぎますが、眉間のしわや、おまきに「いくらなら金を出せるのか」と聞く時の縁の赤い眼に凄みがある、胡散臭げな小悪党。話をしている間中、ほとんど手元も見ずに煙管を吸い続けていたのが、目をひきました。

松江邸にのりこむところで、登場した頭を綺麗に剃って緋の衣をまとった河内山は、「やっぱり清玄が見たい」と思ってしまうほど美しいお坊様です。

松江候に譲歩させるまでの駆け引きは、少々長く感じられましたが、その後家来たちに「願わくば、山吹色のお茶を一服所望申す」というところで、顔は動かさずに横目遣いで見たのが、いかにも悪党らしい茶目っ気がありました。

眼目の見顕しの場面は、まず笑い方が潔くスカッとしていて、高低差のある台詞廻しが楽しめました。「ただこのままにゃぁ」を時代に張り、「けえられねぇよ」を世話に落とす具合も絶妙。

玄関にどっかと座り込む時、緋の衣を尻っぱしょりにしましたが、高木に「お使い僧にまちがいない」と言われて、そっと衣を直すところなどに仁左衛門の愛嬌があります。最後の「馬鹿め!」はするどく一喝。その後してやったりと引き上げていくところはいかにも上機嫌で、気持ちよい幕切れでした。

梅玉の松江候は、短気でわがままなお殿様そのものです。北村大膳は芦燕でしたが、肝心な台詞「逃れぬ証拠は覚えある、左の高頬に一つのほくろ」これにつまったのには、困りました。泉屋清兵衛の段四郎は、今月も初役ばかりだそうですが、無事に演じていました。

そのほかには「菊畑」。吉右衛門の知恵内は余裕たっぷりと言った感じです。虎蔵の芝翫とのやりとりは緊迫感があって、見ごたえ充分でした。

鬼一法眼の富十郎はまだ始まったばかりのせいか、座った場面にプロンプターが全部ついて、そのため台詞に妙な間が出来るのが残念でした。眼鏡を取り出して菊を見て回るところなどは、この場でしか見られない独特の優雅な味わいが感じられました。

「吉田屋」はこのところ仁左衛門だけしか演じていませんでしたが、鴈治郎の「吉田屋」はあちこちが少しずつ違い、興味深かったです。

伊左衛門の出では仁左衛門は「差出し」を使いますが、鴈治郎は使いませんし、吉田屋の門口にたったとき、出てくる男衆の人数も一人だけでした。一番興味を惹かれたのは伊左衛門と夕霧の間の子供のことについて、伊左衛門が言及することです。

それから伊左衛門の話を聞くのがおきさ一人でしたが、仁左衛門の方が喜左衛門と二人なのと比べてシンプルでした。このおきさを演じた秀太郎、この役はこの人しか考えられないほどのはまり役です。

夕霧の雀右衛門は、一枚口でとった懐紙を町人の女房が帯にはさんでいる手拭のように折って使っていました。雀右衛門のインタビューによると、懐紙の使い方は先代京屋の型で、夕霧の気持ちがこめられているのだそうです。

それに台詞も少し違っていて、「わしゃ、わずろうてな」も、「わしゃ、このようにわずろうてな」となっていました。二人の仲をとりもつ幇間もでてきませんし、鴈治郎型は思いの他さっぱりしたものです。

夕霧の打掛は最初が黒地に雪持ちの枝、流水に白鷺と渋いもので、後のは紫に流水、鼓と杯、桜と紅葉とあでやかでした。

この日の大向う

「菊畑」「廓文章」「河内山」と顔見世らしい見ごたえのある狂言が揃ったせいでしょうか、この日は大勢の方の声がかかりました。大向うの会の方が総勢8人、それに幕見にも3人の掛け声愛好家の方がみえていたそうです。

吉田屋で伊左衛門と夕霧太夫が打掛を左右から引き合っての極まりで、「ご両人!」と声がかかりました。

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