双蝶々曲輪日記 関西・歌舞伎を愛する会 2010.7.19 W274 | ||||||||||||||||||||||
大阪松竹座の7月大歌舞伎夜の部を5日、昼の部を6日に見てきました。
「双蝶々曲輪日記」のあらすじ この井筒屋に呼ばれてきた藤屋の抱えの二人の遊女。都には南与兵衛、吾妻には山崎屋の若旦那与五郎という将来を約束した恋人がいるのだが、都は山崎屋の番頭・権九郎、吾妻は平岡郷左衛門に横恋慕されて、今にも身請けされそうになっている。殺された佐渡七はこの企みに加担していたのだ。 都は井筒屋の主人から権九郎と身請けの話がまとまったと聞かされ驚くが、もとより承知するはずはない。 そこへ小指を失った与五郎が忍んでくる。実は与五郎は与兵衛と一緒に九軒にやってきたところ、大勢のならずものをひき連れた佐渡七と争いになり、与五郎は佐渡七に指をくいちぎられ、それを救おうとした与兵衛が佐渡七を斬ったのだ。 都はこの話を聞いて与五郎を匿おうとする。そこへ吾妻を追いかけて権九郎があらわれ、身請けしようとしつこく都を口説くので、都はそれなら自分への心中だてに小指を切ってみせてくれと権九郎にせまる。権九郎はいやいやながら自分の小指を切りおとす。 するとそこへ佐渡七殺しの犯人を詮議する役人がやってきて、小指のない権九郎を下手人としてひったてていく。与五郎を助けるために考えた都の苦肉の策だった。 都が吾妻と与五郎を残して立ち去ったあと、吾妻を身請けしたいと画策している郷左衛門と有右衛門があらわれ、吾妻をむりやり連れ去ろうとする。 あわやという時、相撲取りの濡髪長五郎が、与五郎に頼まれていた吾妻の身請けに必要な手付け金を持って駈けつける。そこで郷左衛門は放駒長吉を呼び出す。郷左衛門に恩のある長吉は、手付けの金百両を藤屋の主人に渡してきたのだ。 長五郎と長吉はお互いの面子をかけて譲らない。そこで長吉は改めて決着をつけようと長五郎に申し入れ、立ち去っていく。
今年で30回目を迎える「関西・歌舞伎を愛する会」の公演は、仁左衛門を座頭に若手の染五郎、翫雀、孝太郎たちが奮闘する活気あふれる舞台でした。 なかでも夜の部の最初の、昭和28年から上演されていない「井筒屋」(角力場のすぐ後の三段目)が出た「双蝶々曲輪日記」の半通しが、筋がとてもわかりやすく観客に親切で面白かったです。「引窓」ですでに武士南与兵衛の妻お早となっている姿しか見たことがない都の、遊女時代のエピソードが語られていますが、与五郎を助けるために、敵権九郎をだましてその小指を切り落とす都の機転と気丈さにはびっくりで、今までお早にいだいていたイメージががらっと変わりました。 この「新町井筒屋の段」が元の浄瑠璃ではどうなっているか調べてみましたら、指を食いちぎられるのは与兵衛で、匿う方も都でなくて吾妻になっていました。歌舞伎では与五郎と都になっているのは、与兵衛はその後にも登場するので指がなくては困るということなのかとちょっと面白く思いました。(小学館「浄瑠璃集77」) 与五郎の愛之助が下手から血にそまった手をかばいながら走りでてきた時は、一瞬仁左衛門かと見間違えるほど雰囲気がよく似ていて、叔父仁左衛門の芸質をよく掴んでいると思いました。 染五郎の濡髪は着肉のせいかちょっと猫背に見えましたが、なかなか堂々たる美丈夫。ただ引窓で濡髪の水に映った姿を十治兵衛がみとがめる場面で、濡髪が障子を全開して立っていたのは、後で言うように階下での話を聞いていたなら当然警戒しているはずなのにと、ちょっと不自然に思いました。 仁左衛門は、与兵衛を演じる時は軽妙な味の世話に、南方十治兵衛になるときはきっぱりと時代にと変化がくっきりと鮮やかでしかも自然でした。濡髪が義母の実の息子だと気付いた時も、けっして老いた母を責めるような調子にはならず優しさを感じさせます。仁左衛門がこの役を演じるのは巡業を入れて4回目だそうですが、声の質から言っても非常に合った役ですし、もっとたびたび見せてもらいたいものです。 遊女都のちの与兵衛女房お早を孝太郎が魅力的に演じていました。母・お幸を竹三郎がしっかりと見せ、長吉の翫雀、長吉姉の吉弥、吾妻の春猿、二人の侍の猿弥と段治郎、それぞれ役にぴったりあった雰囲気を出していました。 休憩をはさんで勘三郎襲名でも見たことがあるような「弥栄芝居賑」(いやさかえしばいのにぎわい)。道頓堀の芝居小屋の前に太夫元の仁左衛門他たくさんの人が集まって、次々に「関西歌舞伎を愛する会結成30周年」を祝う口上を立ったままでのべ、手ぬぐいをまいて、上方式の手締めをしました。久しぶりにゲットしたのは今までのものとちょっと違うデザインの手ぬぐいでしたので写真をはってみます。 夜の部の三幕目は染五郎の「竜馬がゆく・風雲篇」。歌舞伎座で平成20年に上演された「竜馬がゆく」の第二部の再演です。染五郎は竜馬を生き生きと演じていてはまり役。こういうものをやらせると染五郎の魅力が100%発揮されます。西郷吉之助を演じた猿弥も、西郷らしいふところの深さを感じさせました。武智半平太は愛之助、おりょうは孝太郎。吉弥が寺田屋のおかみを好演。 翌日6日の昼の部はまず妹背山の「三笠山御殿の場」から。幕が開くと中央に置いてある菊の花が全てグンニャリしおれているので鱶七はもうやってきたのだとわかり、橘姫が帰宅するところから、始まりました。 求女実は藤原淡海を演じた段治郎、膝の調子が悪くて長い休養期間をとっていたのが復帰したのは喜ばしいことですが、実際痩せたのか、それとも鬘が似合わないのか、胸が妙に薄い感じがしたのが残念でした。 次ぎが翫雀の「大原女・国奴」。ぽっちゃりした大原女から、粋な国奴へと一気に変身するこの踊りは見ていてとても楽しい踊りです。 昼の部の最後は「御浜御殿綱豊卿」。仁左衛門は染五郎の富森助右衛門でこれまでに2回綱豊卿を勤めており、3回目の今回、染五郎のつっこみのするどい演技を受けて、胸のすくくらい見事な綱豊卿だったと思います。この組み合わせは予想外に面白く、さらなる発展が期待できそうです。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||||||||||||
5日夜の部は初音会の大向こうさんが3人見えていて、関西歌舞伎を愛する会30周年記念の口上がある「芝居前」では特に華やかに声を掛けていらっしゃいました。打ち上げ花火を想わせる上方式の掛け声を聞くと、いかにも関西に来たんだなぁという感じがします。若々しくきっぱりと掛かった声も印象にのこりました。一般の方も柝の頭などでは3人位掛けていらしたように思います。 6日昼の部は、名古屋からお一人大向こうさんが見えていて、特に「三笠山御殿」にきっちりと声を掛けていらっしゃいました。この日は全体に掛け声は少なめでした。 |
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7月松竹座演目メモ | ||||||||||||||||||||||
昼の部 |
壁紙:まさん房 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」