引窓 三津五郎の十次兵衛 2009.12.30 W262

13日、歌舞伎座夜の部を見てきました。

主な配役
濡髪長五郎 橋之助
南方十次兵衛 三津五郎
お早 扇雀
お幸 右之助

「引窓」のあらすじはこちらです。

三津五郎が南方十次兵衛を、そして橋之助が濡髪長五郎を初めて演じた今回の引窓は、四人が醸し出すそれぞれの雰囲気が調和して、地味ながらほのぼのとした舞台だったと思います。

三津五郎の十次兵衛は、家に戻った時の嬉しそうな小市民ぶりがほほえましく、その後濡髪を発見し羽織を脱ぎながらするきっぱりとした格調の高い見得、母親が何を考えているのかようやく察しがついた時の台詞などになんとも言えず深い味わいがあり、はまり役だと思えました。

「狐川を左に取り、右へわたって山越しに」という台詞も朗々とした名調子で、充分に満足させてくれました。

濡髪を演じた橋之助も、相撲取りらしいおおような身体の動かし方、「運が良いのと悪いのと」も声をきかせつつ、内心の苦脳をにじませて好演。かといってしんみりしすぎることなく、明るい持ち味が上手く合っていました。

扇雀は女房を演じると一番しっくりくる役者さんだと思いますが、もと遊女で今は侍の女房という変わりようが自然に思え、母お幸の心情を察して夫に物を言っているのだということがとてもよく分かりました。十兵衛とお幸、お早の三人の場面は、序じょに解き明かされていく心理が面白かったです。

お幸の右之助が充分に芝居をした結果、四人の関係がしっかりと噛み合う面白い展開が生まれたように思います。「引窓」は本当によくできたお芝居だと改めて感じました。

次ぎは芝翫が6人の孫たちと踊る「雪傾城」。七之助と勘太郎が、すっかり信頼のおける役者に成長していて、小さな従弟たちを暖かく見守っているような雰囲気が印象的でした。遊女を踊った児太郎が大きくなっていたのにはびっくり。国生、宗生、宜生たちはそれぞれにしっかりと踊っていました。滝夜叉の雪女版のような怪しい女を演じた芝翫の横顔は、古怪という言葉がぴったりでした。

「野田版・鼠小僧」が初演されたのはついこの間のような気がしますが、もう6年も前になるとか。当時はその前に上演された「研辰の討たれ」の印象があまりにも鮮烈だったので、それに比べるとちょっとがっかりしたという記憶があります。

しかしながら今回改めて見て、前回よりもぐっと締まって良くなったなぁと思いました。ひとつには前回勘三郎が役者の稲葉幸蔵も演じて早替わりでも忙しく走りまわっていたのにくらべ、役を減らし、竹仙にも化けなかった?のがかえってよかったです。

主な役はほとんど同じメンバーで上演されたわけですが、なんとなくすっきりした印象。そうなるとだじゃれというか地口というか、言葉の遊びが息もつかさないスピードでどんどん出てくるこのお芝居は、全体として非常に都会的な雰囲気という気がします。

ポンポンとびだすダジャレはたとえば「十二夜」の捨助のようなシェークスピアの道化役を連想させ、結末に向かって求心的に突き進んでいくこのお芝居は、昼の「大江戸りびんぐでっど」とは全く違った肌合いのものだということがよくわかりました。

この日の大向こう

「引窓」には良い具合に声が掛かっていました。会の方はふたりいらしていたそうです。長五郎の長台詞のきっかけ「さればいのう」で4~5人の方が一斉に声をかけられるまではほとんどかかりませんでした。三津五郎さんの十次兵衛が二人の侍を伴って帰ってきた時も、家に入って「ただ今立ち帰った」というところでやはり数人の方が同時に声を掛けるまでは掛からず、皆さん、予習していらっしゃるのかしらと感心しました。

十次兵衛の名台詞「右へ渡って山超えに」にはきちんと声がかかりましたが、最後に長五郎が花道を逃げていくところでは柝の頭から終わりまでほとんどの声が「成駒屋」で、この芝居はやっぱり長五郎の芝居なのかなぁと思いました。

鼠小僧が終わると、追い出し大鼓が「デテケデテケ」と鳴っているのにもかかわらず、カーテンコールがあるものだと決めてかかっている観客は拍手をやめず、しばらくたってから幕が開くと勘三郎さんと宜生君の二人だけ立っていて申し訳なさそうにおじぎしていました。

12月歌舞伎座夜の部演目メモ

「引窓」―橋之助、三津五郎、扇雀、右之助、巳之助、秀調
「雪傾城」―芝翫、勘太郎、七之助、児太郎、国生、宗生、宜生
「野田版・鼠小僧」―勘三郎、三津五郎、福助、橋之助、扇雀、宜生、染五郎、勘太郎、七之助、井之上隆志、彌十郎、亀蔵

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