すし屋 海老蔵の権太 2009.1.27 W235

27日、千穐楽の新橋演舞場へ新春花形歌舞伎昼の部を見に行ってきました。

主な配役
権太 海老蔵
小せん 笑三郎
梶原 獅童
お里 春猿
弥助実は維盛 門之助
若葉の内侍 笑也
小金吾 段治郎
おくら 右之助
弥左衛門 左團次

「木の実」「小金吾討死」「すし屋」のあらすじはこちらです。

海老蔵初役のいがみの権太はいかにも与太者という雰囲気があり、良かったと思います。この役はニンに合わない人がやるととても退屈な話になってしまいますが、海老蔵は権太を自分のものにしていて面白く見せてくれました。最近立て続けに大役を初役で演じてきた海老蔵、雑になるのではないかと心配しましたが、そんなことはなくてどの役にも真正面からぶつかっていく姿勢は高く評価できると思います。

「木の実」では自分と等身大の男という感じで権太を演じた海老蔵、黒い道中合羽で出てきて、中には黒に鮮やかな紫の肩入れを着ていましたが、この紫が(当時こんな色があったのかは疑問ですが)やくざ者という感じを表していました。眉毛がきりっと強くひいてあり、ほほとあごにうっすらと髭があったのも権太という男に似合っていると感じました。海老蔵の権太は江戸弁で、時代に言った後ぱっと世話にきりかえたりするところが気分よくて上手いと思いました。

小金吾の段治郎は小姓というイメージにはちょっと背が高すぎると思いましたが、権太が切りかかろうとする小金吾を足でとめるところなどは迫力があり、りりしくきまっていました。高い声を叫んでしまったのは惜しかったと思いますが、討死の場は悲愴で、立ち廻りにも魅力がありました。

笑也の若葉の内侍はちょっとそっけない感じで、最後に瀕死の権太の前を通って上手に座るとき小走りでしたが、町人の格好をしていても高貴な身分なのだから優雅に歩いてほしいと思いました。

権太の女房小せんの笑三郎は、文章のお終いの言い方が上手いなと感じました。姉さん女房的なおちつきがあり、お主の身替わりをかって出たのも自然に思えます。笑三郎はすそをひいた上方風の着付でした。

権太が梶原一行に連れていかれる女房と息子と別れる場面では観ていて思わず涙が出てきましたが、笑三郎はたった一度さっとふりむいただけで今生の別れの切なさを十分に出していました。

このあと、「褒美の金をおたのもうします。・・おたのもうします。」と権太が犠牲にした女房と息子を断腸の想いで見送っている間に弥左衛門に後ろからばっさりと袈裟掛けに切られたのにはびっくり。これは初めて見ました。いつもは突かれるだけではないかと思います。

最後の権太のモドリ、海老蔵は意外にあっさりと演じていました。「可愛や女房倅めが、わっとひと声、その時は、コレ、ちちちち血・・・」(を吐きました)というところでは(録音でしか聞いたことはないのですが)二代目松緑の権太を彷彿とさせました。

すし屋の後半の竹本は葵太夫でしたが、これが非常に良かったです。御簾内でしたが内容が明瞭に伝わり、役者との連携もよく舞台をひきしめながら最後までもっていったのには、ひさしぶりに感心しました。

お里の春猿も色気があって良かったですが、「兄さん、ビビビビビ~」のところだけはなぜかタイミングがうまく合っていなかったように感じました。母おくらの右之助も台詞を強めに言ったのがこの場に合っていました。父・弥左衛門の左團次は「木の実」の最後で小金吾の首を討とうとしたとき、足をガタガタふるわせるのはあまり良いと思えませんでしたが、すし屋では存在感のある弥左衛門でした。

首実験の場面では松明を使っていませんでしたので権太は「煙たいなぁ」と家族と別れる涙をかくしてぬぐうことはしません。首実験の間権太は中腰で右の袖を肩までたくしあげ、「相違ない」と言われると、はらっと袖を落とす音羽屋の型が、自然にきまっていました。梶原は獅童でしたが、顔に少し迫力が足りませんでした。

昼の部の最初は澤瀉屋の役者だけで踊る「二人三番叟」。三番叟の右近はきれの良い踊りで猿弥とともに楽しそうに踊っていました。段治郎の翁には品があり、千歳の笑也も行儀よくそれぞれがんばっていたと思います。

その後すぐに海老蔵の口上。お正月ということでにらみを演じました。テレビのインタビューで海老蔵が「にらみをするとプチプチ毛細血管が切れる音が聞こえる」というのを聞いて、これを一ヵ月やるのも大変なことだと思いましたが、お正月らしさは一層盛り上がりました。

最後が全員による舞踊「お祭り」。澤瀉屋の面々がひとくさり踊ったあと、海老蔵が花道からでてきてごく短く踊り、手ぬぐい撒きを全員でしてお終いになりました。しかし海老蔵はこの鳶頭が一番さまになっていなかったように思います。職人らしい如才なさを出そうとして上手くいかなかったというところなのか、難しいものだと思いました。

夜の部は17日に見ました。今月親子で歌舞伎十八番の内から珍しいものを演じるのが評判だった海老蔵の「七つ面」は案外と盛り上がりにかける演目。けれどもせっかく復活したのですから良いものになるように練り上げていっていただきたいと思います。

獅童の「封印切」は最初の花道の出が難しいと思いますが、つっころばしの忠兵衛を獅童はなかなか雰囲気をつかんで演じていました。しかしながら獅童は特にこのお芝居で声の悪さが目立ち、聞いているのが辛く感じました。梅川の笑三郎はしっかりしすぎていて心もとない感じが薄いように思いましたが、後になるにしたがってなじんできました。八右衛門の猿弥は卑怯でずるがしこい男という感じは薄かったですが、台詞の間が良く封印切の場面がもりあがりました。

最後が「弁天娘女男白浪」。立役の海老蔵が演じる弁天小僧は、少々男らしいお嬢様ですが居直ったあとに独特の華やかな雰囲気があって面白く、台詞廻しも気持ちよく聞かせてくれました。

勢瀬川勢ぞろいの場で、花道から本舞台へ行く時、他の全員が傘を持ちかえて「志ら浪志ら」の字をそろえていたのに左團次だけがそのままだったのは、変えない主義なんだろうかと細かいことですが不思議に思いました。極楽寺の大屋根での弁天小僧の立ち廻りで、海老蔵はぞんぶんにその美しさを発揮していました。

この日の大向こう 

最初の「二人三番叟」ではほとんど声がかからず、二三回小さく「澤瀉屋」とかかっただけで今日は掛ける方がいらっしゃらないのかとがっかりしました。おまけにこの踊りの最後には口笛を吹く人まであらわれ、せっかくの格調高い踊りになんということかと幻滅を感じました。

口上になると渋い「成田屋」の声があちこちからかかり、やれやれとほっとしました。大向こうの方は「すし屋」の終わりころにお二人みえたそうです。このタイミングでいらしたのは「お祭り」の「まってました」のためなのかしらと思いましたが、今回は特別バージョンでそれを掛けるところはありませんでした。

澤瀉屋の役者さんたちも皆がんばっていたのに、ほとんど声がかからなくて気の毒でした。澤瀉屋のファンには声を掛けるという習慣があまりないのかもしれませんが、今回のような演目の場合、声を掛ければ、役者さんたちにも歓迎されたでしょう。たとえ皆同じ屋号でも、主として演じている時に掛ければわかるものだと思います。

1月新橋演舞場演目メモ
昼の部
「二人三番叟」―右近、猿弥、弘太郎、笑也、段治郎
「口上」―海老蔵
「木の実」「小金吾討死」「すし屋」―海老蔵、段治郎、笑也、笑三郎、春猿、門之助、右之助、左團次、獅童
「お祭り」―海老蔵、右近、段治郎、猿弥、笑三郎、春猿、笑也、門之助、獅童
夜の部
「七つ面」―海老蔵、段治郎、笑也、春猿、右近、猿弥、弘太郎
「封印切」―獅童、笑三郎、寿猿、門之助、猿弥
「弁天娘女男白浪」―海老蔵、獅童、右之助、弘太郎、段治郎、春猿、左團次

目次 トップページ 掲示板

壁紙:「まさん房」 ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」