白浪五人男 弁天小僧の長台詞 2004.4.10 W71

3日、歌舞伎座夜の部を見てきました。

 
主な配役
弁天小僧菊之助 勘九郎
南郷力丸 三津五郎
日本駄右衛門 仁左衛門
忠信利平 信二郎
赤星十三郎 福助
千寿姫・宗之助 七之助
浜松屋幸兵衛 弥十郎
番頭与九郎 四郎五郎
狼の悪次郎 助五郎
鳶頭清次 市蔵

「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうしはなのにしきえ)あらすじ
序幕
第一場 初瀬寺花見の場
ここは桜の花が満開の初瀬寺。小山判官の娘千寿姫が参詣に来ている。千寿姫には信田小太郎(しだのこたろう)という許婚があったが、信田家がお家断絶になり、このほど小太郎は他国で病死したという知らせが届いた。

悲しみの底へつきおとされた千寿姫は、結納として信田家から贈られた「胡蝶の香合」を仏前にそなえ小太郎と亡父の法要をいとなんだうえ、尼になろうと考えている。ところが家臣の薩島典蔵らは、姫を信田家を陥れた張本人である三浦泰村と縁組させたうえ、お家を乗っ取ろうと画策している。

一行がお堂の中へと入っていった後、ここへやってきた赤星十三郎は叔父の赤星頼母と出会う。頼母は信田家の家来で、主人亡き後、後室の世話をしていたが、その後室が病気になり高価な薬が必要だという。その話を聞いた十三郎は金の調達を引き受ける。

法要をすませて出てきた姫の前に、奴を伴った美しい若殿がやってくる。奴に尋ねると、この若殿こそ恋焦がれていた信田小太郎だというので、すっかりそれを信じた千寿姫は二人でそばの茶屋へと入っていく。

一方故主のためにと、仏前に供えられた百両を盗みだした赤星十三郎は薩島たちに捕まえられ殺されそうになる。ところが彼らは、姫が男と茶屋に入ったことを聞きつけ、赤星を放り出して茶屋に踏み込む。しかし中にいたのは忠信利平という男一人。見るからにかないそうもないと、薩島らは赤星から奪った百両を忠信に渡して逃げていく。

薩島たちが胡蝶の香合を狙っていることを知った千寿姫は、それを小太郎に預ける。そして一緒に連れて行ってほしいと頼む。奴駒平のとりなしもあって、二人は駆け落ちする。

駒平は忠信の百両を奪おうとして斬りあいになる。駒平は実は盗賊、南郷力丸だった。

第二場 神輿ヶ嶽の場
千寿姫と小太郎は寂しい神輿がヶ嶽の山中へやってくる。ここで小太郎は、実は自分は弁天小僧菊之助という盗賊だと、正体を顕す。本物の小太郎が旅先で行き倒れていたのを介抱したが、「結納として千寿姫から受け取った千鳥の名笛を姫に返し、かわりに千鳥の香合を受け取って、菩提所に収めてほしい」と菊之助に頼んで死んだと話す。

「これからは自分の女房になれ」と迫る菊之助を拒んで、千寿姫は谷底へと身を投げる。すると傍らの辻堂の中から修験者が現れ、「香合を渡せ」という。菊之助はこれと争うが、とてもかなう相手ではない。もはやこれまでと覚悟を決めると、「手下になるなら香合はいらない」と修験者は言う。

この男こそ、大盗賊として名高い日本駄右衛門だったのだ。菊之助は手下になることを承知し、血判を押す。

第三場 稲瀬川谷間の場
谷底に身を投げた千寿姫は、一命を取り留める。そこへ失意の赤星十三郎が谷川に身を投げようとやってくる。千寿姫に声を掛けられ二人はお互いの身の上を嘆きあうが、姫は谷川へと身を投げてしまう。

自分も死のうと刀を抜く赤星を、後をつけてきた忠信利平が止める。実は忠信利平の父親は、赤星家に仕えていたが、二百両という金を横領して逃げたのだ。忠信は最前の百両の金を差し出して、自分が日本駄右衛門の手下であることを打ち明ける。赤星は、自分も駄右衛門の手下になろうと決心する。

二幕目
第一場 雪の下浜松屋の場
鎌倉雪の下の呉服屋、浜松屋へ中間をつれた武家の娘がやってくる。嫁入り支度だといって着物や緋鹿子を見るが、緋鹿子を懐に入れるところを店の者に見つかり、番頭にそろばんで額を殴られる。

ところが万引きだと見えた品物は他所の店で買った品。鳶頭清次が間に入って十両で手を打とうとするが中間は納得せず、皆の首を打って切腹するといい出す。とうとう百両だせば料簡するというので、主人が払って、娘と中間は引き上げようとする。

その時、奥から声がかかり、二階堂家中の玉島逸当と名乗る侍が現れ、「その娘は男だ」とすっぱ抜く。はじめはしらを切っていた娘だが、二の腕の刺青が証拠と決め付けられ、とうとう尻尾を出す。

振袖をさっさと脱いで片肌脱ぎになったのは、まぎれもなく弁天小僧菊之助と名乗る若い男。中間は仲間の南郷力丸だった。それからひたいの怪我の膏薬代をねだる二人だが、なにやら玉島逸当の方を気にしている。

結局二十両の金を受け取って二人は引き上げる。主人幸兵衛は玉島をもてなそうと奥の座敷に誘う。後に残った番頭の与九郎は店の金をくすねていることがばれるのを恐れ、有り金盗んで逃げようとするところを丁稚たちに見咎められる。

第二場 雪の下蔵前の場
幸兵衛と宗之助が玉島に礼をしようとすると、玉島は日本駄右衛門の正体を顕し、「店の金を全部よこせ」と言い出す。そこへ先ほどの騙りの二人組、菊之助と南郷も押し入ってくる。幸兵衛が「今は少ししか金を置いていない」というとそれなら息子を殺すぞと刀を突きつける。

すると幸兵衛は「宗之助は実は自分の子ではないのでどうぞ殺さない」でほしいと頼む。 事情を聴いてみると、なんと宗之助は駄右衛門が17年前に捨てた実の子ども。さらにその時取り違えられた幸兵衛の実の息子というのは菊之助だったのだ。

17年ぶりの再会に涙する4人だったが、追っ手はもう近くまで迫っていた。元は小山家に仕える武士であった幸兵衛は、紛失した「胡蝶の香合」を探してほしいと菊之助に頼む。

第三場 稲瀬川勢揃いの場
幸兵衛に餞にもらった小袖を着た駄右衛門ら五人は稲瀬川のほとりへとやってくる。それぞれに名乗りをあげて、取り囲む大勢の取り方と戦う。

大詰
第一場 極楽寺屋根立腹の場
「胡蝶の香合」を実の父幸兵衛に届けようとした菊之助だったが、捕り手に囲まれて極楽寺の大屋根へと追い詰められる。そこへ裏切り者の悪次郎がやってきて香合を奪い、屋根から投げ捨てる。もうこれまでと菊之助は立ったまま腹を切る。

第二場 極楽寺山門の場
駄右衛門は山門の上にいた。そこへ手下が菊之助の最期を知らせにくる。ところが手下と思っていた二人は青砥左衛門の配下のもので、突然切り掛かってくるが、簡単に退けてしまう駄右衛門。

第三場 滑川(なめりがわ)土橋の場
山門の下に流れている滑川では、青砥藤綱が捕り物の指揮をとっていた。左衛門は川に落とした十文を拾わせていたとき、胡蝶の香合を拾い上げたのだ。藤綱が
「胡蝶の香合」を信田家へ返すことを約束すると、駄右衛門は感謝する。そして縛につこうとするが、「窮鳥懐に入る時は、猟師もこれを取らず」と言って、藤綱は捕らえようとしない。駄右衛門は再会の約束をして立ち去るのだった。

 

河竹黙阿弥作「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうしはなのにしきえ)通称「白浪五人男」は1862年、市村座で五代目菊五郎の弁天小僧(当時19歳)で初演されました。

自伝「五代尾上菊五郎」の巻頭に、この芝居をやることになったいきさつが書かれています。「絵草子に自分の弁天小僧で面白い拵えをしているのがあったので、その絵ををもとに基水(後の河竹黙阿弥)に書いてもらった」という話で、本名題の「花紅彩画」という部分は見立て絵がもとになったということを暗示しているそうです。

ところで服部幸雄著「歌舞伎歳時記」(新潮選書)によると「この絵はこんにち見ることができるが、似顔と画面の飾り文様から、見立ては菊五郎ではなく、明らかに岩井粂三郎(後の岩井半四郎)だから、その点は菊五郎の記憶違いだったと思われる。」ということです。

「黙阿弥が豊国にたのんでこの見立て絵を描いてもらったのだ」と言う説もあり、「初代仲蔵の定九郎の拵えが、実は五代目團十郎の創案だった」という話同様、伝説と化したエピソードの裏話には大いに興味を引かれます。

勘九郎の弁天小僧、緋鹿子を自分の懐からだして「ゆすりのネタを仕込む」ことをしなかったのには、驚きました。観客にわからないように仕込むやり方もあるそうですが、見ていて納得がいかない思いがしました。

それから男と見顕されてカパッと顔を伏せた時、音羽屋だと簪を糸を引っ張って抜きますが、勘九郎は簪の長い房に手を掛けて、憤怒の形相でゆっくり顔を上げると同時に簪が抜け落ちるというやり方をしていたのが、面白かったです。

本当は「コウ南郷、もう化けちゃいらえねぇ」と正体を顕す直前に簪がポトンと抜け落ちると良いように思うのですが、そういう風にはなっていないようです。

「知らざぁ言って聞かせやしょう」は途中でわけず一息に言い、「悪事は上る上の宮」や「それから島を追い出され」を「あくじゃ〜」とか「しま〜ぉ」とかいう風にくずさないで、きちんと言うのは梅幸や菊五郎と違うところです。「ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた爺さんの・・・」と言っていたのが、「勘九郎は六代目菊五郎の実の孫だ」ということを思い出させました。

勘九郎のこの長台詞は全体に速度が少し速いように思いましたが、最後に片肌脱いで刺青を見せる「弁天小僧菊之助たぁ、おれのことだ」のところへかけてのイキの良さはいかにも江戸っ子、胸がすくようで、片肌脱ぐすばやさは、あっという間でした。

この台詞のスピードは人によってずいぶん違いますが、以前新之助の、現代ばなれしたゆっくりした速さの録音を聞いたことがあり、新鮮な印象を受けました。

ところで南郷力丸の三津五郎、はじめは柄にあわないのではと思ったのですが、勘九郎とのイキもぴったりで魅力的な南郷でした。忠信利平の信二郎は「谷間の場」でちょっとコミカルなところが信二郎らしく、日本駄右衛門の仁左衛門は、頭目としての貫禄十分。「谷間の場」のだんまりでは児雷也風の拵えが良く似合っていて、こういう役もいいのではと思いました。

七之助は千寿姫も浜松屋せがれ宗之助もいかにもそれらしくてお芝居の中にぴったりはまっていました。

蔵前の場で宗之助はじつは駄右衛門が捨てた息子、弁天小僧は浜松屋幸兵衛の生き別れになっ息子ということがわかった時、役者さんたちは大真面目に芝居をしているのですが、お話のあまりの都合のよさに客席は爆笑の連続。ここで弁天小僧たちは、この話の元になったという「見立て絵」のポーズ同様、置いてある荷に片足を組んで腰掛け、刀をそばに突き刺すのが目を引きます。

それはそうと「稲瀬川勢揃いの場」で後ろを向いた時に見える傘の文字が右から「志・ら・浪・志・ら」となるお約束がありますが、そうはなっていなかったようです。そうやっている方とやっていない方がいましたが、やったほうがやはり綺麗だと私は思います。

それから「浜松屋」で主人幸兵衛と玉島逸当が普通は奥からでてくるのに、上手屋体からでてきたのにはちょっとびっくり。浜松屋の場の最後で番頭が見せの金を持ち逃げしようとするのを、丁稚たちがとめるところで、「アメリカに松井やイチローを見に行きたい」とか、サッカーのネタ、七月の平成中村座のニューヨーク公演の話題などが出ていました。

今回の通し上演、全体の人間関係が良くわかり、全員の台詞の間合いが小気味よく、とても面白かったですし、大セリや大屋根が後ろへ煽られて山門が現る「がんどう返し」などでも大いに楽しませてくれました。欲を言えば昔風のゆったりとした台詞廻しで名台詞を味わってみたかったというところでしょうか。

この日の大向こう

二日目で土曜日の夜ということもあってか、たくさん声がかかっていました。会の方も5人ほど見えていたようです。

三津五郎さんと信二郎さんの立ち回りでは、二人そろっての付け入りの見得の時、最初のツケで「大和屋」二つ目のツケで「萬屋」、もしくはその反対というぐあいに両方に声が掛かっていました。どちらに先に掛けるかというのは、たとえば階段の上で見得をするほうを先にとか、大きい見得をするほうに先にという感じだったように思います。

ところで、「稲瀬川勢ぞろいの場」あたりでは声を掛ける方がとても多くなり、そうなるとやはりタイミングがドンドン早くなって、仁左衛門さんがまだ目をつぶって首をまわそうかというときに「松島屋」と掛かっていたのは、なんとも気持ちが悪かったです。役者さんもおそらくやりにくいのではと思いました。

それから舞台で幸右衛門さんがしんみりと話している時、大きい声で「高麗屋」と掛けられた方がいましたが、疑問を感じました。長台詞の前というタイミングでしたが、舞台の邪魔にならない声の大きさを考える必要があると思います。

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