「ふるあめりかに袖はぬらさじ」 玉三郎のお園 2007.12.30 W206

19日に歌舞伎座昼の部、25日に夜の部をみてきました。

主な配役
芸者お園 玉三郎
遊女・亀遊 七之助
通辞・藤吉 獅童
大種屋
市蔵
唐人口遊女 福助
松也
新吾
芝のぶ
笑也
吉弥
外人客・イルウス 彌十郎
たいこもち 猿弥
浪人客 海老蔵
右近
権十郎
思誠塾の面々 三津五郎
段治郎
勘太郎
門之助
橋之助
岩亀楼主人 勘三郎

「ふるあめりかに袖はぬらさじ」のあらすじ
横浜の遊郭・岩亀楼の行灯部屋。遊女・亀遊が病の床についているのを、吉原の頃から顔なじみの芸者・お園が見舞いに訪れる。お園は瓦版があるのに気がつき、亀遊は読み書きができないのになぜ瓦版があるのかと不思議に思う。

そこへ遊郭の通辞・藤吉がやってくる。医者になる志を持つ藤吉から薬をもらって飲んだらよくなってきたと嬉しそうに笑う亀遊を見て、お園は喜ぶ。

亀遊が手洗いにたった時に、お園は藤吉が医者になるためにアメリカに渡ろうとしていることを聞き出す。お園が立ち去った後、亀遊は藤吉のために何もしてやれないことを詫びる。外国人相手の唐人口遊女になれば金は稼げるがそれだけはしたくないと語る亀遊はせめて誠を示そうと本名を明かし、ふたりは抱き合う。

それから3ヶ月後のある日、岩亀楼にアメリカ人のイルウスが薬種問屋の大種屋に連れられてくる。唐人口の遊女たちが呼ばれ藤吉が通訳するが、イルウスの気にいる遊女はいない。そこへ大種屋の相方として病の癒えた亀遊が姿を見せると、イルウスは亀遊をぜひ相方にと望む。

だが他でもない藤吉がそれを通訳するのを見て、気分の悪くなった亀遊は部屋へ帰ってしまう。皆が興ざめしているところへお園がやってくる。亀遊に執着するイルウスに、岩亀楼の主人はもし亀遊を身請けするのならイルウスに売ろうと高く吹っかける。

ところがイルウスは二つ返事でこれを承知する。このことを知ったお園はそれだけは許してやってくれと岩亀楼の主人に頼みこむが聞き入れらない。お園が亀遊の部屋へ行ってみると、亀遊は剃刀で自害していた。

それから二ヶ月がたち、もうすぐアメリカにわたるという藤吉を、お園はなぜあの時亀遊と逃げなかったかとなじる。しかし藤吉は二人で逃げれば自分の志がたたなくなり、亀遊の病気がなおったらもう会えなくなると泣いて別れた次の日にあのような形で会おうとは思ってもみなかったと話す。

そこへ亀遊の自殺について書かれた瓦版が出たという知らせがくる。瓦版では亀遊はイルウスの身請けを拒んで懐剣で自殺したと書かれていて、枕元には辞世の句「露をだにいとふ大和の女郎花ふるあめりかに袖はぬらさじ」があったとされていて、事実とあまりに違うのに二人は驚く。

しかもお園にはこの歌をきいた覚えがあり、かつてアメリカ人の身請けを拒んだ吉原の遊女・桜木が読んだ和歌だということを思い出す。だがこの瓦版を読んだ人々がおしかけ、亀遊はすっかり攘夷女郎にまつりあげられてしまう。岩亀楼の主人は亀遊の死んだ部屋を立派な部間だったことにして、名も「亀勇」と改め、お園は訪れる人々に亀遊の脚色された生涯を劇的に語ることとなる。

5年後、攘夷派・思誠塾の師・大橋訥庵の命日に塾生らが岩亀楼に集まる。外国人が優遇されるようになった昨今を嘆く彼らは、攘夷女郎の話を聞こうとお園を呼ぶ。

やってきたお園が流暢に亀遊の話を語って聞かせると、塾生たちは大橋先生は良い時代に死んだと言う。それを聞いたお園は、吉原にいた時分、大橋先生から習った歌だといって、亀遊の辞世とされている歌を歌う。

すると思誠塾の面々は10年前に大橋から習ったというその歌が5年前に死んだ亀遊の辞世の句と同じであるはずがないと、怒ってお園に切りかかる。命からがらお園がことの真実を物語ると、岡田という武士がその歌を大橋にならったという話を金で買うから今後は一切するなと言い、皆は立ち去る。

ようやく助かったお園は、降る雨をながめながら一人酒をあおるのだった。

夜の部の最後、有吉佐和子作「ふるあめりかに袖はぬらさじ」のお園は文学座の杉村春子が昭和47年に初演して以来当たり役としていましたが、昭和63年から玉三郎が上演。今回が初の歌舞伎座での歌舞伎役者だけによる上演です。

一座総出演による賑やかな舞台で、最初は普段着、後半は絵に描いたような芸者姿の玉三郎はお園を楽しげに演じていました。計算高い岩亀楼主人:勘三郎をはじめ、はかなげな遊女亀遊:七之助、亀遊が慕う通訳:獅童、無頼な浪人客:海老蔵、思誠塾のメンバーで若く血気さかんな侍:勘太郎、攘夷一途にこりかたまった侍:段治郎、おおような侍:橋之助、年嵩で思慮深い侍:三津五郎、などなど。とても上手く合った配役がこの芝居を密度の濃いものにしていました。

最初は流布されている話が事実と違うと言っていたのに亀遊が死んでから5年たち、まるで女講釈師のように脚色された亀遊の死の真相をとうとうと語るお園。その玉三郎の語り口は独特のねばり気のある不思議な口跡で、催眠術であやつられているようで、最後にとうとう嘘がばれてひどい目にあうお園の人生のほろ苦さをかみしめる姿が印象的でした。

夜の部の最初は勘三郎初役の松王丸で「寺子屋」。源蔵の海老蔵は二回目ということですが、花道を出てきた時はきりっとしていて良いと思いましたが、深い悩みを抱えているにしては足取りが軽かったと思いました。その後戸浪と二人で上手屋体に入る時も、小太郎の首を討ちに奥へ入る時もせっかちに走りこむというのが気になりました。「せまじきものは宮づかえじゃなあ〜」と自分で言うのが海老蔵のやり方でしたが、裏声を多用する海老蔵の台詞廻しは今一源蔵には合わないなぁと感じました。

勘三郎の松王は前半は声の高さが役の求める重厚さに欠けるように思いました。しかし後半モドリになってからの「桜丸が不憫でござる。源蔵どの、ごめんくだされ」と大落しにいたる感情の高まりは真に迫っていて、思わず涙がでました。

夜の部の二幕目は三津五郎と橋之助で舞踊「粟餅」。大道芸人のような曲搗きや曲投げが見ものなのかと思えば、そういうところはほとんどなく、吉原の遊女や客の様子を手踊りで見せる方に重心がおかれた踊りでした。三津五郎の生き生きとした踊りに、橋之助が一生懸命つきあっていました。

昼の部の序幕は福助の時姫で「鎌倉三代記」。福助は声をいためたのか、変声期の中学生のようにガリガリと聞きづらく、台詞を味わうどころではなかったのが、姉さんかぶりで奥から出てきた姿が綺麗だっただけに残念でした。歌江、鐡之助二人の局がいかにも少しの出番にもかかわらず歌舞伎らしい味を出していました。

この芝居であっと驚いたのは、三津五郎の佐々木高綱。前半の半道敵・安達藤三郎(実は高綱)は軽いなと思いましたが、白と紫の仁王襷に菱皮の鬘という「鳥居前」の忠信のような荒事の拵えで井戸から現れた高綱にはびっくり仰天!いっぺんで目が覚めました。

三津五郎は高合引に腰をかけたまま長台詞を言い、「地獄の上の一足飛び」の右足を上げ両手を幽霊のようにして舌を出す幽霊見得もそのままで演じていました。所作も台詞まわしも豪快な三津五郎の高綱は、複雑怪奇なこの狂言の面白さを充分に味わわせてくれました。

「三津五郎の演じた高綱は、祖父・八代目が51年前に四代目芝翫が明治期に演じたのを見覚えていた七代目から教わって演じた型で、八代目はこれを『芝翫型』と言っているが、四代目芝翫が初めたものではなく昔はこれが普通だったと推測されるが、七代目三津五郎がこの型を演じた大正半ばにはすでに珍型という批評があった」(要約)と筋書きの上村以和於氏の文にあるのを興味深く読みました。

玉三郎の「信濃路紅葉鬼揃」(しなのじもみじのおにぞろい)は原点の能を意識した新演出。最初から音楽も台詞も能がかりで、松羽目ものの背景、能舞台のような屋根がつき、更科姫や腰元たちは大口袴をつけているなど、見た目もいつもの「紅葉狩」とはだいぶ違いました。維茂が出てきてからも、舞台に残るのは維茂だけで従者はすぐに下手にひっこんでしまいます。

逆三角の隊列を組んで踊る鬼女たちの衣装の配色が、手前から美しくグラデーションになるように考えられていたのが、いかにも玉三郎らしいと思いました。鬼の本性を顕した姫はセリで消えて又セリからあわられるのも独自の方法。この新演出の一番華やかなところは侍女たちも皆鬼となって集団で毛振りを見せるところで、まわりからもホーッというため息が聞こえていました。

すっぽんから登場した山神の勘太郎は溌剌と踊って楽しませてくれました。維茂の海老蔵は貴公子にぴったりでしたが、この演出では演どころはほとんどなかったように思います。

こういう新しい試みも時にはあって良いと思いますが、玉三郎の過去の新演出の演目と比較しても今一魅力に乏しく、このままではもう一度見たいとは思えませんでした。

昼の部の最後は黙阿弥作「水天宮利生深川」(すいてんぐうめぐみのふかがわ)。

―ご維新後、元武士の幸兵衛は深川浄心寺裏にある長屋で筆職人をしながらほそぼそと家族を養っている。そんな幸兵衛に、妻が産後の肥立ちが悪く他界し、姉娘のお雪は目をわずらって失明するという不幸が重なる。

幸い長屋の人たちは親切で、なにかと子供たちの面倒を見てくれている。そこへ幸兵衛が、昨日お雪が危ういところを助けられその上一円の施しを受けたことや、今日は自分がある家で息子の幸太郎のために乳をもらい亡くなった子供の産着や一円の金を恵んでもらったことをありがたく思いながら家に帰ってくる。

親子四人水天宮様に感謝しつつ拝んでいるところへ、金貸しの金兵衛と代言人の安蔵がやってきて、貸した金二円をとりたてようとする。すぐには返せないと言うと、抵当に入っている家財道具一式を持っていくという金兵衛は貸した金はすでに十円になっているとすごむ。お雪はおもわず家賃にあてようと取っておいた一円をさしだすが、金兵衛は家財全てと、幸太郎がもらったばかりの産着まではいで持っていってしまう。

あまりにあこぎな金兵衛たちのやり口にハラをたてた家主・与兵衛は、せめて抵当に入っていない産着だけでも取り戻そうと後を追う。

幸兵衛はまっとうに生きてきたのにもかかわらず、ここまで零落したのは神仏に見放されたかと嘆く。そこへ隣家から息子の誕生祝にやとった清元の声が聞こえてくる。それを聞いた幸兵衛は絶望し自害しようとし、子供たちも自分たちも一緒に死にたいと申し出る。

幸兵衛はまず赤ん坊の幸太郎から手にかけようとするが、にっこり笑っている幸太郎を殺すことはできない。泣き出した幸兵衛は、ついに発狂してしまう。ちょうど訪ねてきた萩原正作の妻・おむらが幸太郎に乳をやろうと幸太郎を抱き上げると、幸太郎が奪われると思い込んだ幸兵衛は子供をひったくって外に飛び出していく。

幸兵衛は幸太郎を抱いたまま川へ身を投げるが、幸い助けられて正気を取り戻す。皆が幸兵衛が助かったことを喜んでいると、おむらは持参した古着とお金を幸兵衛に差し出す。そこへ地主の使いが親孝行なお雪にと衣類と目薬さらに五円の金を持ってきて、金貸しの金兵衛は悪事が露見し捕らえられたと話す。

幸兵衛は皆の好意をありがたく思い、命が助かったのも全て水天宮様のおかげと感謝するのだった。―

勘三郎初役の筆幸、貧に窮し尾羽うちからした元武士の幸兵衛はとてもリアルで、今まで見たことがない一面が見られ良かったと思いました。目を病んでいるお雪を演じた鶴松が貧しくても武士の娘という健気さで涙を誘い、はまり役でした。

勘三郎は気が狂ったあとの表情に、若干いつもの勘三郎を感じてしまうところもありましたが、いままでとは違う役に挑戦した気概は充分に感じられる新鮮な幸兵衛でした。おむらを演じた福助もしっとりと落ち着いた良家の若妻で、この役だと声になんの違和感もなくほっとしました。

この日の大向こう

19日昼の部は、少々大向こうの聞こえにくい席に座っていたのですが、「鎌倉三代記」にはきまり毎に4〜5人の声が掛かっていたのにその次の踊りにはほとんど掛かりませんでした。「筆幸」になると途端に華やかに掛かっていました。会の方は3人ということでした。

25日夜の部はおなじみの演目「寺子屋」に多いときには10人以上かと思われるほど、どっと声が掛かりました。会の方も3人いらしていたそうです。踊りになるとガクッと声は掛からなくなり、一般の方2人くらいでした。

「ふるあめりかに袖はぬらさじ」では最初から全く声はかかりませんでしたが、最後のお園の台詞「それにしてもよく降る雨だねぇ」と言い終わった途端、大きな声で「大和屋」と掛かり、後ろ姿の玉三郎さんは一瞬ギクッとしたように見えました。

柝の頭と拍手とともにもうお一人声を掛けられただけで、掛け声はこのお芝居には求められていないようだと思いました。

12月歌舞伎座演目メモ
昼の部
「鎌倉三代記」 三津五郎、橋之助、福助、秀調、亀蔵、
信濃路紅葉鬼揃」 玉三郎、海老蔵、勘太郎、門之助、右近、猿弥、
水天宮利生深川」  勘三郎、橋之助、福助、彌十郎、獅童、猿弥、市蔵、鶴松
夜の部
「寺子屋」 勘三郎、海老蔵、福助、勘太郎、市蔵、亀蔵、松也
「粟餅」 三津五郎、橋之助
「ふるあめりかに袖はぬらさじ」 玉三郎、勘三郎、三津五郎、獅童、七之助、福助、勘太郎、門之助、彌十郎、権十郎、海老蔵、段治郎、右近、市蔵、

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