寺子屋 充実した大舞台 2004.6.8 

4日、歌舞伎座昼の部をみてきました。

主な配役
松王丸 仁左衛門
千代 玉三郎
源蔵 勘九郎
戸浪 福助
春藤玄蕃 彦三郎
園生の前 秀太郎

これまで
延喜の帝の御世、菅原道真は宰相大臣(相丞)として帝の信頼を得ていた。そこでかねてから謀反を志を抱く藤原時平は、菅相丞を陥れようと画策する。

菅相丞の恩顧を受けた白太夫には三つ子の息子があった。菅相丞の舎人・梅王丸、時平の舎人・松王丸、帝の弟・斎世(ときよ)親王の舎人・桜丸である。一方菅相丞の娘・苅屋姫と斎世親王は恋仲で、帝の病気平癒を願う神事の最中に、桜丸の手引きで二人は逢引する。

ところがそれを時平方にみつけられてしまう。時平は菅相丞に謀反の汚名を着せ、大宰府へ島流しにする。三つ子の兄弟の仲は険悪になり、桜丸は主家を没落させた申し訳なさに自害する。

菅相丞は不義の罪で勘当した愛弟子、武部源蔵を呼び寄せ、菅家の筆法を伝授する。源蔵は相丞の息子、菅秀才をひそかに預かり、自分が開いている寺子屋へと連れ帰る。

寺子屋」のあらすじ
ここは芹生の里の源蔵の家。菅秀才と寺子たちが勉強している。師匠の源蔵は庄屋に呼び出されていて留守である。(ここへ新しく弟子入りした小太郎がが母親の千代に連れられてやってくる。源蔵の妻、戸浪が小太郎を預かり、千代は隣村へと出かける。)

そこへ源蔵が沈鬱な顔で戻ってくる。源蔵が菅秀才を匿っていることが、時平方に知れてしまい、菅秀才の首を討って差し出せと難題を吹きかけられたのだ。

苦し紛れに身代わりにできる子供はいないかと寺子の顔を見回してみても、育ちの違いはどうしようもなく、身代わりにできそうな子どもはいない。ところが寺入りしたばかりの小太郎を見ると、身代りにしても通る品の良い顔立ちをしている。源蔵と戸浪の夫婦は小太郎を菅秀才の身代わりにすることを決心する。

そうするところへ時平方の春藤玄蕃と病みあがりの松王丸が乗り込んでくる。玄蕃は菅秀才の顔を知らず、そのため顔を知っている松王丸を伴ってきたのだ。進退窮まった源蔵は小太郎の首を討って、松王に首実検させる。すると、松王は「本物に間違いない」というので、玄蕃は首を持ち帰り、松王も去る。

そこへ小太郎の母・千代がやってくる。小太郎を菅秀才の身代わりに殺してしまったことを知られまいと、源蔵は千代を切ろうとする。ところが千代は思いがけず「身代わりのお役に立ててくださったか」と言う。源蔵は驚き怪しむが、そこへ帰ったはずの松王が入ってくるので「さては身代わりが露見したか」と源蔵はあせる。

松王の話を聞いてみれば、なんと小太郎は松王と千代夫婦の子供で、夫婦は相談の上、子供にも言い含めて覚悟の身代わりを買って出たというのだ。

松王は三兄弟の中で、ただ一人時平の家来であったので、心ならずも旧主・菅相丞に敵対する立場に立たされたことで長い間悩んできた。菅相丞の「梅は飛び桜は枯るる世の中に、なにとて松のつれなかるらん」という歌を、世間では「松はつれない」とうわさするのも心苦しく、なんとかして汚名を挽回したいと思っていたのだ。

松王は源蔵に小太郎の最期の様子を聞く。すると源蔵は「にっこり笑って、潔く首を討たれた」というので、天晴れお主の役にたって死んでいった小太郎にひきかえ、非業の最期を遂げた弟・桜丸の不憫さを想い、松王は号泣する。

そこへ菅秀才が出てきて、松王に慰めの言葉をかける。松王が外に合図を送ると菅秀才の母親・園生の前が現れ、親子で再会をよろこびあう。松王夫婦はわが子の死を覚悟して、下に白装束を着こんでいた。小太郎の遺体は菅秀才の遺体として野辺送りされるのだった。

「寺子屋」は「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ)の九幕目で、元は竹田出雲、三好松洛、並木千柳らの合作で作られた時代浄瑠璃の全五段目中四段目にあたります。

「寺子屋」は「勧進帳」「熊谷陣屋」とならんでよく演じられる演目ですが、またかというほど何度も繰り返し上演されてきたこの演目が、今回はとても新鮮に感じられました。まず源蔵の勘九郎は茶の濃淡の着付けと羽織で斧のぶっちがいに菊の紋という菊五郎型の拵えで出てきました。

源蔵が花道から初めて登場する「源蔵戻り」では先人達がいろいろな型を残しているそうですが、勘九郎は七三までは腕を組んで鎮痛な面持ちでゆっくり歩き、おこついて家を見、腕をくんだまま早足で門口までいってから後ろを振り向いて様子を伺うというやり方だったと思います。

これは勘九郎自身の工夫によるものだとか。このあと小太郎を見てはっと目を見開くとき、あまり目をむいたので客席から笑い。こういうところではいつも愛嬌たっぷりという勘九郎の個性が裏目に出るように思います。「せまじきものは宮づかえじゃなぁ」というところは今まで聞いた源蔵は、義太夫のとおり全部または途中から竹本がとるのが多かったですが、勘九郎は全部自分で言っていたのが珍しかったです。

福助の戸浪は源蔵から「小太郎を菅秀才の身代わりにする」という決意を聞いたとき、ちょっと甲高い声で泣き過ぎるように思いましたが、子供の母親を「女子同士の口先でちょぼくさだましてみましょうぞ」ということろで妙にはりきる戸浪よりも好感がもてます。

玄蕃たちがやってきたとき、いつも源蔵が神棚から筆法伝授を取り出して隠すのに、それをしなかったのでおやと思いました。

松王の仁左衛門は五十日鬘や黒地に雪持松の模様の衣装をどっしりと着こなしていて、立派でした。呂の声も好調で咳き込むところなども、実に上手かったです。首実検では首桶の中に自分の息子の首が入っているのを見た上で「でかした!」と本当は小太郎の首向かってに言いながら、「源蔵よくやった」というところなど松王の心理が手に取るようにでした。

源蔵との掛け合いはまさに火花が散るようで、千代に「ほえるな(泣くな)」というところにも妻に対する心遣いが感じられ、仁左衛門は人間味あふれた松王を演じて見せてくれました。

しかし首実検を終え、源蔵の家の戸をピシャンと閉めた後、もう仮病を使う必要もないとばかりにスタスタ歩きだしたところでは、あまりに変わり身が早すぎるように感じました。

千代の玉三郎も小太郎を連れてくる「寺入り」がカットされたので途中からの参加と言う感じでしたが、小太郎がもう殺されたと悟ったときの心の動きや、お主のために子供を犠牲にせざるを得なかった悲しみがよくわかり、千代のくどきでは客席からすすり泣きがあちこちから聞こえました。

今回の「寺子屋」は配役のバランスがよく、今までは見過ごしていた登場人物の心理が透けて見えるような舞台だったと思います。

今月の襲名口上では菊五郎が「海老蔵君には古典もですが、書き物(新作)を演じてほしい。菊五郎劇団も応援しますから。」と言ったのが、だれにも言えることじゃないなぁと頼もしく思いました。海老蔵は先月の「今日から海老蔵でござりまする」といった型破りなところはなく、堅実に口上をのべました。

海老蔵の「鏡獅子」、めったにみられない女形でどんなものかと思っていましたが、九代目の写真から考えたという黒より雰囲気の柔らかい茄子紺の衣装が良く似合って、清楚なお小姓・弥生に見えました。

途中で帯にはさんでいた袱紗が落ちるというアクシデントがあり、どうするかと思っていたら、さっと後見の升寿が飛んできて拾い上げ一度後見の座へ下がり、しばらくして海老蔵が後ろを向いて踊っている時にまた近づいてきて帯にはさみこんでいましたが、その手際はあざやかなものでした。海老蔵はそれで動揺したためかと思うほど、そのあとの袱紗を捌くところが、なんだかめまぐるしかったです。

一階で見ていたので、私は弥生の伏し目がちな目を「夢見るようなまなざし」と思ったのですが、同じ時に幕見でご覧になっていた友人Sさんは後で「目をつぶっているのかなと思った」と話していらっしゃいました。

手に持った獅子の頭が勝手に蝶を追っていると気がついたときの驚きとわななきは真にせまっていましたが、花道に走り出て来たところは男っぽく見えてしまいました。

後ジテは、揚幕があがって登場した瞬間、顔が「だれの獅子とも違う!」という印象でした。獅子というよりライオンのよう。きりっとしていて有無をいわさぬ気迫に満ちていました。毛振りも勢いがあって見事!20回目からスピードをあげて50回振ったので、その間グルグル回っていた児太郎と隼人の胡蝶たちはすっかり疲れてしまったようです。

もう一つは松緑の「外郎売」。剥き身隈が良く似合っていて、眼目の言い立ては早口というほど速くはなかったですが、確実に演じていて、團十郎の代わりを立派に務めていました。化粧坂少将の七之助の肩の線の美しさが、4人並んだ傾城の中で特に目立ちました。

この日の大向こう

「外郎売」には2〜3人の方が声を掛けていらっしゃいました。大向こうの会の方は2人ほど見えていて、襲名公演らしく法被をきていらっしゃいました。後になるにしたがってだんだん掛け声が多くなってきて鏡獅子には大勢の声が掛かりました。

鏡獅子のときは「十一代目」という声がたくさん掛かりましたが、まだ掛けるほうも慣れないのか、少しぎこちなく感じました。

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