「赤い陣羽織」 民話の味わい 2007.10.31 W199

26日に歌舞伎座昼の部を見てきました。

主な配役
代官 翫雀
こぶん 亀鶴
おやじ 錦之助
女房 孝太郎
奥方 吉弥

「赤い陣羽織」のあらすじ
ある村に若くもなく、ゲジゲジまゆげに猫背と見た目も冴えないおやじが住んでいた。しかしおやじの性格の良さは村一番。おやじの美しい女房もそこに惚れこんでいて、馬の孫太郎とともに仲睦まじくくらしていた。

そこへ赤い陣羽織を着た村の代官がこぶんを連れて見回りにくる。この代官、みかけはおやじに瓜二つだが、狡猾なうえに好色で、あわよくばおやじの女房に言い寄ろうと狙っているのだ。

そこでおやじは代官を少しからかってやろうと、馬小屋の天井に隠れる。おやじがいないと知った代官は、家の中へはいって女房と世間話を始めるが、まもなくおやじが戻ると聞くと帰っていく。

おやじと女房が代官の様子を笑いあって晩酌をしていると、村の庄屋がやってきておやじを捕らえて無理やり引っ立てていく。これは代官の差し金に違いないと察した女房は戸締りを厳重にして、鍬を片手に代官を待ち構える。

真夜中、おやじがほうほうのていで庄屋のところから逃げ出してくると、家の戸は開いていて、炉辺には代官の濡れた着物や赤い陣羽織が干してあり、奥の部屋から代官の声が聞こえる。

それを見たおやじは女房が代官に寝取られたと思い込んで怒りくるい、仕返しに赤い陣羽織を着て代官になりすまし、代官の奥方を寝取ってやろうと考え付く。袴の着方も滅茶苦茶なまま、おやじは代官の屋敷へ乗り込んでいく。

だが実は代官は川にはまってずぶぬれになったあげく、おやじの女房に鍬で殴られて気絶していたのだ。ようやく奥の部屋からでてきた代官は着物や陣羽織が無くなっているのに気がつき慌てるが、しかたなくぬぎすててあったおやじの着物を着る。

ここへおやじの女房が庄屋と帰ってくる。庄屋は代官をおやじと思い込み、締め上げる。皆から話を聞いた代官はおやじが仕返しに奥方を寝取ろうとしていることに気がつき、急いで館に引き返す。

代官が館へつくと、案の定「代官はさきほど戻ったから門は開けられない」と中へ入れてもらえない。皆が困り果てていると門が開き、代官の奥方が武装した腰元たちを伴って現れ、代官をとっちめる。

奥方は「おやじが自分を信じてくれず、とんでもないことをしでかした」と嘆く女房に、おやじを奥の部屋には通したけれど、様子が変なのでたずねると逃げ出し、たった今捕まえたところだから心配には及ばないと話す。そして奥方は、悪事に加担した庄屋とこぶんを追放する。そして心配してかけつけた馬の孫太郎と一緒に家路をたどるおやじと女房だった。

昭和22年に発表された木下順二作「赤い陣羽織」は昭和30年に歌舞伎化され、その後映画やオペラにもなっている人気作品で、民話のようなほのぼのとした雰囲気のお話です。

翫雀の代官はぴったりのはまり役で、まるで「まんが日本昔話」にでてくるお代官様のようでした。二枚目の錦之助が冴えないおやじではあんまり気の毒ではないかと思いましたが、楽しんで演じていたように思います。女房の孝太郎は可愛らしかったですが元気すぎて、もうちょっとおっとりした感じのほうが良かったのではと思います。

しかしながら「村一番性格が良い」というおやじが屋根裏に隠れて代官をからかったり、女房を寝取られたと早合点して仕返しに奥方を寝取ろうとする展開に、わざわざ「性格が良い」と言うのは皮肉かしらと思うところもありました。

代官のこぶんの亀鶴は歩き方にいかにも下っ端の軽さが出ていて良かったです。奥方の吉弥は声も怖い奥さんという役柄に合っていました。このお芝居で活躍するのが馬の孫太郎、自分の意思でおやじと女房を追いかけ助けにいったり、女房の歌に合わせて首をゆらゆらさせたり足ぶみしたり愛嬌一杯のかわいい馬でした。

次が藤十郎の「封印切」と「新口村」。梅川の時蔵は特に「新口村」のはかなげな風情が素敵でした。藤十郎の忠兵衛はこれぞ和事という濃密な芝居。封印を切るところは、火鉢に金包みをコンコン打ち付けている間に、包みが破れてしまい、それを見て覚悟を決め金をばらまくというやり方で、この時の見得が以前よりも幾分控えめになっているように感じました。見つかってはまずい包み紙のほとんどを自分のお尻の下に隠してしまい、ただ一枚だけ後ろに残す時の自然さに、熟練の腕の冴えを感じました。

八右衛門の三津五郎は、上方言葉を流暢に使っているなとは思いましたが、なんというか遊びがなく肝心な忠兵衛とのやりとりが今一面白くなかったのは残念でした。おえんの秀太郎の着物の着こなしの粋なことや、廓の女将らしい雰囲気が印象的でした。

「新口村」は松嶋屋がよく演じますが、藤十郎のやり方は大道具からしてちょっと違い、大詰で孫右衛門がつきあたって雪がどさっと落ちてくる松の木が最初は隠されていて、二人が忠三郎の家に入っていき裏口から逃げるところで左右にひかれて松が見えてくるというやり方でした。忠三郎の家の入り口におそばやさんのような縄のれんがかかっているのも珍しいです。

おちていく二人は松嶋屋のように遠見の子役を使わず、藤十郎と時蔵がそのまま遠ざかっていくのは写実的なやり方だと思いました。ところで仁左衛門と同じかと思った我當の孫右衛門もだいぶ違ったようです。

とぼとぼと揚幕を出てきた孫右衛門が花道七三あたりで手のひらで鼻水をすすったり、浄瑠璃にあわせて曲がった腰を伸ばしたりする演出もなく、ちょっと物足らなく感じました。「覚悟きわめて名乗って出い!」と孫右衛門がいうところで、走り出ようとする忠兵衛を「や、今じゃない今じゃない」と止める台詞が妙に冷たく聞こえ、客席からも笑い声がもれていましたが、あそこで笑いが起きたことなど今まで一度も経験がなく、微妙な齟齬を感じました。

「あんなどら息子を養子にやってしまったのは目が高い」と人に言われる「目水晶」という言葉を、わかりやすいようにという配慮からでしょうか「孫右衛門でかした!」と言い変えていましたが、変える必要はないのではと思いました。たしかにわかりやすくはなりましたが、大切な情感がなくなってしまったように思います。

昼の部の最後は玉三郎の「羽衣」。7月に大阪で修羅場を乗り切った愛之助が漁師・伯竜を端正に踊りました。

天女の玉三郎は冴え冴えとした美しさ。能のようなゆっくりとした踊りが魅力的で引きつけられました。うすい鴇色の地に貝合わせの模様の着物に文庫結びの帯、女剣士風のきりっとした下げ髪にアンティークのような繊細な髪飾りがよく似合っていました。

この日の大向こう
千穐楽のこの日は会の方も5人見えていて、「封印切」などで多いときは一般の方も掛けられたので、10人以上の声がどっと聞こえてとても華やかでした。しかし「羽衣」でほとんど声が掛からなかったのは、踊りの雰囲気にあわせた大向こうさんたちの判断かと思います。
10月歌舞伎座昼の部演目メモ
「赤い陣羽織」 翫雀、孝太郎、錦之助、吉弥、亀鶴
「恋飛脚大和往来」より「封印切」「新口村」 藤十郎、時蔵、我當、秀太郎、竹三郎、歌六
「奴道成寺」 三津五郎

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