新口村 義太夫狂言の面白さ W70 2004.3.15

3月10日、歌舞伎座昼の部を見てきました。

 
主な配役
忠兵衛・孫右衛門 仁左衛門
梅川 雀右衛門

「新口村」(にのくちむら)のあらすじ
それまでのあらすじ
大和の国、新口村の百姓孫右衛門の息子忠兵衛は、大阪の飛脚問屋の亀屋へ養子にいっていた。ところが忠兵衛は、大阪新町の遊女、梅川となじみ、これを請け出そうと八右衛門と争ううち、ひょんなことから店で預かっていた為替の金の封印を切ってしまう。預かり金の封を切れば死罪は免れない。梅川と忠兵衛は逃避行を続けた末に、故郷の新口村へたどり着く。

新口村
ここは新口村の忠三郎の家の前。忠兵衛は父親孫右衛門に一目いとまごいをしたいと思うのだが、不孝を思うと会いに行く事ができないで、「忠三は親爺様の家来のようなものだから、きっと泊めてくれるだろう」とこの家を訪ねてきたのだ。出てきた女房は、嫁にきたばかりで何も事情を知らないままに、「大阪者(忠兵衛たち)を探すために忠三は呼び出されている」と話す。

忠三を呼びにいってもらう間、二人は家の中で待つ。そこへ忠兵衛の父親、孫右衛門が通りかかる。遠くから手を合わせていとまごいする二人だったが、孫右衛門が道に張った氷に足を取られて転び、下駄の鼻緒を切ってしまったので梅川が飛び出していって助け起し、「鼻緒をすげてあげましょう」と申しでる。

「自分の連れ合いの父親におもざしが似ているから」と言って、世話をする梅川は、孫右衛門の取り出したちり紙と、自分のと取り替えて欲しい。連れ合いに形見に持たせたいからと言いだす。

そんな様子を見ていて、孫右衛門は梅川が「倅忠兵衛の嫁だ」と気がつく。

孫右衛門は梅川に自分の気持ちをせつせつと語る。「養子にいって縁が切れているといっても、実の親子なんだからお金が要ると言ってくれれば田畑を売っても都合してやったのにと思うと悔しくてならない。養い親の妙見様が捕まっているので、もし目の前に現れたら、養い親への義理から、自分で縄を掛けて渡さなくてはならない。だから『どうぞ来てくれないように』と願っているが、やっぱり子供は可愛い」と。

そして忠兵衛に聞かせようと、「いつか死ぬのは人間のならい。妙見さまを早く牢屋から出すために名乗ってでい」と言うが、せめてどこか遠くで縄にかかってほしいと、梅川に路金の足しにと金を渡す。

それを聞いた梅川は「最後に一目忠兵衛にあって欲しい」というが、孫右衛門は「やくたいもない」と断る。そこで梅川は孫右衛門に目隠してあわせることにする。

親子は言葉を交わさずにただひしと抱き合って別れを惜しむが、見かねた梅川は孫右衛門の目隠しをそっとはずして親子を対面させる。

そこへ追っ手の声が聞こえ、孫右衛門は急いで二人を逃がす。雪の中を名残を惜しみながらだんだん遠ざかっていく二人をいつまでも孫右衛門は見送るのだった。

 

「新口村」は「恋飛脚大和往来」(こいびきゃくやまとおうらい)の下の巻。近松門左衛門作の浄瑠璃「冥土の飛脚」の改作「けいせい恋飛脚」をもとにして歌舞伎へ移され、1796年大阪角の芝居で初演。

仁左衛門が忠兵衛とその父親孫右衛門の二役を早替わりで演じました。

お揃いの着物を着た雀右衛門の梅川と仁左衛門の忠兵衛が、素足で雪景色の中に立った姿は、くっきりと際立っていて美しい一対です。京屋結びと追いかけ五枚銀杏の比翼紋のついた、梅と流水の裾模様の黒の着物からのぞく梅川の襦袢の赤が鮮烈でした。

梅川の雀右衛門は忠三の女房や孫右衛門に「傾城」と言われると、悲しそうにうつむいて身のおきどころがないといった風情がなんともいえず良かったと思います。優しくて、いじらしくて、はかなげな梅川でした。

仁左衛門の忠兵衛は今回、姿も声も文句のつけようがない完璧な忠兵衛でした。冷えた手を暖めあおうとしてお互いの袖の中に手を入れるところなど、いかにも相思相愛の二人という感じで、品の良い色気がありました。

仁左衛門が早替わりで忠兵衛から孫右衛門になるために、吹き替えを上村吉弥がやりましたが、仁左衛門と雰囲気がよく似ていて顔が出ても違和感がなくてとてもよかったです。

さて二役目の孫右衛門、5年前に見たときは「やめてもらいたい」と思ったものです。しかし今回は杖にすがりながら花道を出てきて、七三で竹本の「孫右衛門の老足(ろうそく)の、休み、あ・あ・あ・あ・あ〜(と言ううめき声)、休み」という文句に合わせて、ギィ〜ッと曲がった腰を伸ばすところや、手のひらで鼻をすすり上げるところなど、とても自然で上手いなぁと感じました。

この竹本の「あ・あ・あ・あ・あ〜」といううめき声は義太夫にはなく歌舞伎だけの入れごとのようですが、実に感じがよく出ていました。(竹本喜太夫)

梅川と出会い、げたの鼻緒を直してもらうところも、情があってとてもよかったです。こうしてみると改めて、「新口村」の主人公は孫右衛門なんだなぁと納得できます。上方の芝居には老人が主役というのがけっこうありますが、仁左衛門はこの役を積極的に楽しんで演じているように見えました。しかしその後の長ゼリフにはちょっと疑問を感じるところもありました。

―養子にやった息子が利発で、よく働き身代を大きくして、「あんたはあんな良い息子を勘当してしまって、たわけ者だ」と言われたらその嬉しさはどうであろう。今にも捕まって縄をかけられ「あんな息子、さっさと縁を切ってしまって、さすがに孫右衛門は目水晶」と誉められるのが悲しい―というような意味のセリフがありますが、一体誰がしゃべっているのか判らなくなるような瞬間があるのです。第三者のセリフをあまりにもリアルに言いすぎるからではないかと思います。

最後に二人がだんだん遠ざかっていくところでは、歌舞伎独特の手法である「遠見の子役」がでましたが、梅川忠兵衛の雰囲気がそのまま維持されていて良かったです。

幕切れで座り込んだ孫右衛門が両手で頭を抱えていましたが、夜の部の「すしや」で弥左衛門も同じようにやっていたので、ちょっと気になりました。

その他には、「伽羅先代萩」。菊五郎の政岡は、女形でも声が自然で聞きやすかったです。千松が「おなかがすいても、ひもじゅうない」というのを見ている様子に、息子に対する愛情が感じられました。菊五郎の政岡は烈女ではなく、普通の母親だったように思います。

毒殺されそうな鶴千代のために政岡が茶道具で御飯を炊くという「飯炊き」がカットされていましたが、不自然には感じられませんでした。八汐の段四郎は皮肉たっぷりではあるけれど、あまり憎々しすぎなかったのが良かったです。

沖の井の時蔵は、八汐をやり込めるところでの胸がすくような凛としたところや、千松がむざむざなぶり殺しにされているのを、なすすべもなく見ている時の、無念さをこらえている様子が秀逸で、いつか時蔵の政岡を見てみたいと思いました。

荒獅子男之助を演じた富十郎、出番は短いですが、よく響く声で、さすが存在感があります。絹川谷蔵の松緑、濡髪と同じような相撲取りの鬘が似合っていました。

踊りは芝翫の「藤娘」。演者を小さく見せるための、大きな松の木と、これまた大きな藤の花房が真っ暗な中から忽然と現れる、六代目の演出。襦袢の模様が鹿の子絞りをとても大きく拡大したものでしたが、これも自分を小さく見せるという演出の一環なのかと思いながら見ていました。胸の辺りに視線を固定して見ていると、しぐさや全体の姿が本当に若い娘のように見えました。

この日の大向こう

いつも下手にいらっしゃることが多いと思う壽会の田中さんの声が、一番上手からさかんに聞こえていました。他に会の方が2〜3人みえていたそうです。

「新口村」で身を包んでいた茣蓙から二人が初めて顔を見せるところでは、最初に「京屋」の声が多く掛かりました。続いて「松嶋屋」の声。この場の梅川は忠兵衛よりも重いですし、雀右衛門さんは歌舞伎界の最長老ですので、先にということなのかなと思いながら聞いていました。

動きにきっかけはなかったのですが、梅川のクドキの前に「京屋」と二三人、声がかかりました。

「先代萩」で政岡が鶴千代へ言い聞かせるところ「よおお聞きあそばせや」の後で「ぉとわや」と掛かったのは、長セリフの前ということかなと思います。

「竹の間」で曲者の團蔵が花道へ走りでて来て止まると、すぐ「三河屋」と掛かったのはどうしてなのかなと思いましたが、これは七三の見得の後、間をおかず動きはじめるからかなと思います。

私の見た日は何も問題はなかったのですが、知人が初日に観劇したときに、「先代萩」の政岡のクドキの前に、「まってました」「愁嘆場」と声が掛かったと話していました。いくら有名なセリフだといっても、悲しい場面での「まってました」は不適切ではないかと思います。「寺子屋」の「いろは送り」の時も「まってました」と声が掛かる事がありますが、同じく合わないなぁと私は思います。

ましてや、「愁嘆場」などというのは芝居の妨げになるだけではないでしょうか。もっとお芝居の内容を大切に考えて掛けて欲しいと、この話を聞いて思いました。

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