寺子屋 兄弟の対決 2006.9.8 W162 | ||||||||||||||||||||
7日、歌舞伎座昼の部をみてきました。
「寺子屋」のあらすじはこちらをご覧下さい。 今月は初代吉右衛門の生誕120年を記念し「秀山祭」と名づけられ、初代吉右衛門ゆかりの演目が二代目を中心に演じられています。 幸四郎と吉右衛門兄弟が12年ぶりに共演する「寺子屋」は今月一番注目される演目。「兄とは役柄が同じなため日頃共演する機会がありませんでした。今回協力してもらえて、こんなにうれしいことはありません」と吉右衛門が記者会見で述べています。それぞれが相手の演じる役も熟知しているだけに、二人がしのぎを削る「寺子屋」は期待通り見ごたえがありました。 今回吉右衛門はめったに演じない源蔵を演じましたが、それぞれの強烈な個性がぶつかることで、文字通り息をのむような瞬間を見ることができたのは共演しがいがあったというものでしょう。あくの強い幸四郎の芸を受け止める、吉右衛門のふところの深さを感じた一幕でした。 千代と小太郎の寺入りはカットされ、源蔵戻りからの上演でした。吉右衛門が七三まで鬱々として考えながら行き、そこではっとしたと思ったら一気に家まで戻るのを見て、展開が速いなと思いました。宗生の小太郎がお師匠様に挨拶する時、最初からずっと顔を斜めに源蔵の方へかしげてたのは、ちょっと不思議に思いました。 この場でよだれくりを演じた松江ですが、いつものよだれくりよりちょっと少年ぽくて可愛らしかったです。段四郎の春藤玄蕃は線が太く重みのある敵役でした。戸浪の魁春はうなじの線が綺麗で、いかにも源蔵の恋女房というところ。 吉右衛門の源蔵が小太郎を見る時ぴくりと眉を上げるところや、「せまじきものは宮づかえじゃなぁ」という台詞を自分で言うところ、筆法伝授を神棚から取り出さないところなどが勘三郎のやり方によく似ていましたが、初代吉右衛門は当代勘三郎の叔父にあたるわけで似ていて当然かもしれません。 幸四郎の松王は刀をとんとついて肘を直角にのせ頬杖をつく見得がとても大きく立派でした。小太郎の首を見て、思わず泣いてしまうのがいかにも幸四郎らしくて、「陣門・組討」の熊谷を演じた時、真実が暴露されそうなくらい嘆いていたのを思い出しました。しかし首実験のあとの運びは手早くてだれるということはなく、松王丸の大落としでも幸四郎は大声をあげて豪快に泣いていました。 「車引」では松緑の梅王丸が好演。飛び六方での花道の引っ込みも勇壮でしたし、荒事の声にも余裕があり、筋隈も似あっていましたが、もっと思い切ってぼかしてもいいのではとは思いました。 亀治郎は桜丸を手堅く演じていましたし、染五郎の松王丸がこれまた意外なほど顔が良かったです。地声が高い人なのでどうなることかと思いましたが、この役はものすごくがんばって松王の声にしていました。しかしやはり無理をしているのか、文屋や夜の虎蔵の時は、声がかすれてしまっていたようです。荒事の声は本当に難しいと思いました。松王の染五郎が足の親指を思いっきりピンと上げ続けていたのは、つらないかしらと心配になるほどで、立派に荒事を演じきろうという覚悟が見えました。 「引窓」は与兵衛の気持ちの温かさがいかにも吉右衛門らしく表現されていて、母お幸に「おのぞみなれば、へへ、あげましょうかい」と濡髪の人相書きをやるところなどに、他の人にはない独特の味が感じられます。 羽織をぬぎながらきまった姿も堂々とした吉右衛門、二階にいる濡髪に聞かせる「狐川を左にとり、右へ渡って山越えに」の名台詞を思い切り朗々と聞かせてくれました。 身体の大きさから言ったら逆ではないかと思う富十郎の濡髪には、充分相撲とりとして納得させられる大きさがありました。「おちやんす。剃りやんす。」とたたみかけるところなどに、リズム感抜群の富十郎の巧さを感じます。 お幸の吉之丞は最初のうちは良かったですが、台詞まわしが単調で後半ちょっとだれ気味になったのは残念でした。お早の芝雀は遊女あがりで今は武士の妻という役を丁寧に気持ちをこめて演じました。 舞踊は雀右衛門と梅玉の「業平小町」と染五郎の「文屋」。業平小町は長唄をバックにゆったりとした踊りで王朝風な気分をかもし出していました。染五郎の「文屋」は、表情をほとんど動かさないのに、可笑しさがちゃんと出ていたのには感心しました。 |
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この日の大向こう | ||||||||||||||||||||
この日も声はたくさん掛かっていました。会の方も5人いらしていたそうです。 「車引」で笠を被った梅王丸と桜丸が花道揚幕と上手の揚幕から同時に出るところでは、大向こうさんの声が掛かっていました。 「引窓」の濡髪の筵にくるまった花道の出は、花道七三で振り返り筵を広げて顔を見せるまで声は掛かりませんでした。 「寺小屋」の源蔵の出はお約束どおり声はかからず、花道七三ではっと何かを思いついた時に初めて声が掛かりました。松王丸が源蔵と初めて顔を合わせるところではいっせいに「高麗屋」という声が掛かり、あたりまえながら「この芝居の主役は松王丸なのだ」ということを実感しました。 幕切れ近くの「いろは送り」の前に、「まってやした」とお二人ほど声を掛けられましたが、やはり「子供が死んで嘆いている時に、まってましたはないだろう」とがっかりしました。どうせ掛けるなら語っている太夫さんの名前で「喜太夫!」とかけたほうが太夫さんにも喜ばれるのではないかと思います。 |
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歌舞伎座九月昼の部演目メモ | ||||||||||||||||||||
●「車引」 松緑、染五郎、亀治郎、段四郎 |
壁紙&ライン:「和風素材&歌舞伎It's just so so」