『 待つ人 ― (3) ― 』
ざわさわ ・・・ ほほほ ・・・ カチャ ・・・ ははは ・・・・
ティーパーティとはいえ、大広間には多くの客たちが華やかに集ってきていた。
「 フランソワーズ ・・・ あら? お暑いのじゃなくて。 」
「 あ ・・・ いえ ・・・ その ・・・ 」
大広間の隅で ムッシュウ・ジロウと談笑していると、当家の女主人がにこやかに近づいてきた。
「 姉様 ・・・ 」
「 お顔の色がすごく魅惑的になったけど。 少し暑すぎるかしら。
ねえ 少し外の風にでも当たっていらっしゃいな。 でもまだ花がなくて淋しいわねえ・・・
ああ そうだわ! ジロウ、 庭の温室でも御案内して? 」
「 あ それはいいですね、 姉様。 この薔薇以外にもたくさん花がありましたよ。 」
ジロウはフランソワーズのドレスにつけた白薔薇にそっと触れた。
「 そうよ そうよ。 是非、ご案内して頂戴。 温室も今が最高の時期だわ。
ふふふ 大丈夫よ、 メインのケーキに時間にはちゃんと呼びに行かせるから 安心して? 」
「 ふふふ わかってますよ、姉様。 さあ それじゃマドモアゼル、 行きましょうか。 」
青年はにっこり笑うと彼女に腕を差出した。
「 あ あの ・・・? 」
「 ほんの少しの旅のお供を。 庭の温室まで御案内します。 」
「 フランソワーズ? わたくしの自慢の温室をご覧になってね。 」
「 まあ ・・・・ あ? うふふ ・・・ それじゃお願いいたします。 」
「 御意。 」
2人は脇の出口から庭に降りて行った。
キ ・・・・! ガラス張りのドアが開くと ふんわり温かい空気が流れてきた。
「 ・・・ あら ・・・ いい香りが ・・・ 」
フランソワーズはそっと戸口を潜り深く息を吸った。
温かい湿った空気には ほんのり甘い香りが含まれていた。
「 うん? ・・・ ああ これはいろいろな花の香りが交じり合っているんですよ。
ほら こちらの畝なら今、水仙が花盛りですし。 果樹のある奥は薔薇園です。 」
ジロウは立ち止まると、広い温室内を指してざっと説明をした。
「 まあ それで・・・ ふう〜〜ん ・・・ 春の香ですわね。 」
「 ・・・ この香りの中で 貴女は春の女神です。 」
「 ・・・ あら ・・・ 」
まっすぐに見詰めて 真顔で褒め言葉を並べるジロウに フランソワーズはいつも赤面してしまう。
「 やだ ・・・ そんな ・・・ 」
「 いいえ 本当ですよ ・・・ そのドレス ・・・ 姉よりもよくお似合いです。
春の女神がこの温室に舞い降りてきました ・・・ 」
「 もう ・・・ 」
たしかに白やら黄色の水仙が群れ咲く中、 ペイル・ブルーのドレスに金の髪を揺らす彼女の姿は
まさに春の女神だった。
「 ね ・・・ ステキな温室ですのね。 広いし ・・・ お姉様のご趣味ですか? 」
「 いえ。 これは義兄の趣味です。 というより姉のために義兄が作った HOT HOUSE、
高温を保つために本格的な暖房設備もあります。 」
「 まあ そうですの? ステキ ・・・ あら? こちらはイチゴですね。 」
「 そうですよ、お一つ、如何? 」
青年なひょい、と身をかがめると 畝の一つから真っ赤な実を摘み取った。
「 ほら。 冬のイチゴです。 」
「 まあ ・・・ きれい! 宝石みたい・・・ 」
「 生きている宝玉ですよね。 冷たい石よりも僕は好きです。
・・・ほら フランソワ−ズ゙? 貴女にぴったりですよ。 」
彼は摘み取ったイチゴを 彼女の耳元に揺らした。
「 え ・・・ あら 耳飾? うふふ ・・・ 甘い耳飾ね。 」
「 ああ あなたの笑顔にイチゴも目立たなくなってしまう ・・・ 」
「 ・・・ もう ・・・ 」
「 さあ こちらへ。 お好きなだけ花束を作ってくださって構いません。 」
青年はフランソワーズの手を取って歩き始めた。
サク サク サク ・・・・ ぽふ ぽふ ぽふ
湿った土の上に2人の靴が優しい音を残す。
「 本当にステキな温室ですのね。 ・・・ よくお手入れもしてあって ・・・
あら? あちらは ・・・ オレンジ かしら。 」
「 ええ ・・・ あの一角は果樹を多く植えてあります。 オレンジやレモン・・・・
季節には葡萄やフランボワーズも採れます。 」
「 まあ ・・・ お姉様のご丹精の賜物ですわね。 」
「 ここは 義兄が姉のために・・・って特別に造らせた温室なんです。
普通の家よりも手を掛けた、と自慢していましたよ。
姉も花が好きですから 寒い季節でも花を楽しめるようにっていろいろ工夫したらしいです。 」
「 まあ ステキな方 ・・・ それじゃここはお姉様の休息場所、なんですね 」
「 ええ まあ ・・・ 義兄が帰るまでずっときちんと管理をしておくんだ・・・って
今じゃ姉の丹精の方が多いでしょうね。 」
「 そうなんですか? あら ・・・ いい香 ・・・ これは 百合 かしら。
百合も植えていらっしゃいますの? 」
「 鋭いですね。 こっちですよ。 姉はよく教会に寄付していますけど。 」
「 ふぅ 〜〜〜ん ・・・ いい香り ・・・ お姉様が羨ましいわ。 」
「 羨ましい・・・? 」
「 ええ。 だって ご主人がこんなに立派な温室を作ってくださったのでしょう?
きっと熱愛していらっしゃるのね。 」
「 ・・・ 姉は ― 少なくとも姉は義兄のことを熱愛していますよ。
だから ・・・ 姉は。 彼女はずっと待っている ・・・ ずっと ・・・ 」
「 ? 長いご予定で帰国なさったの? 」
「 ・・・ さあ ・・・ 僕には詳しいことはわかりません。 姉に根問いしたこともないし・・・
だけど 姉は待っているのです。 」
「 ・・・ そう ・・・ 」
これ以上 プライベートなことを聞くのも失礼か、とフランソワーズは口を噤んだ。
「 ・・・ ああ 本当にステキな温室ですね。
わたしが今 住んでいる家の裏手にも温室がありますけど 実用一点張りで
・・・ ふふふ 野菜が主なの、 可愛いものはイチゴくらいですの。
わたしとしてはもっとお花を植えたいのだけれど・・・ 」
「 ― 花は 貴女ですよ、フランソワーズ。 」
「 ま まあ ・・・ 」
俯いてしまった彼女の肩に 大きな手がやさしく掛かる。
「 ・・・ 君も 待つ人 なのだろう? 」
「 え ・・・? 」
「 君も 誰かを待っていて ずっと待っていて ・・・ あの地を歩いていた よね? 」
「 ・・・ 待つ人 ・・・ ? そうね、待ってくれている人が ・・・ いる ・・・ ううん いた の。」
「 いた ? 」
「 ・・・ ええ。 今は もう ・・・ 」
ぽとり。 足元の黒土に涙が落ちた。
「 そう ・・・ ですか。 」
「 ・・・ ジロウ、 あなたは? 」
「 ・・・・・・・ 」
ジロウは淡く微笑むと 彼女の手を取った。
「 僕も待っています。 待って 待って 待って ・・・ 一生待っても − 振り向いてもらえない。」
「 ・・・ まあ ・・・ そんな。 あなたほどの方を 」
「 ここは ここには 待つ人 が集まってきます。 この屋敷は 待つ人の家 なのです。
皆 次の船が出るのを 待っているのです。 」
「 ― 待つ人の 家 ・・・ 」
「 ・・・ 一緒に行きませんか。 一人では 淋しすぎる ・・・ 」
「 ジロウ ― 」
2人はただ ただ見つめ合う。 耳に入るのは ・・・ 近く遠くに囁くミツバチの羽音だけ ・・・
「 マダム? 弟君とあのお嬢さんは? 」
「 ええ ・・・ 庭の温室を御案内しましたの。 さあ〜〜 新しい客人がみえますわ。 」
「 まあ 〜〜 ステキ! 」
「 ほほう〜〜 それは楽しみな ・・・ 」
「 また可愛いお嬢さんかしら? 」
「 あらステキな殿方かもしれなくてよ? 」
「 今度はどちらからのお越しかね。 」
広間にいた人々の間から キラキラした期待の気持ちが立ち昇る。
「 うふふ ・・・ きっと皆様 お気に召すとおもいますわ。
今 ― ご案内しますから ・・・ お相手 お願いいたしますね。 」
マダムは艶然と微笑み 執事の男性を呼びなにやら耳打ちをしていた。
もまなく正面のドアから 男性が三人、静かに入ってきた。
パーティに集う人々は穏やかな微笑で迎え入れた。
「 ・・・ すごいな。 」
大広間に入ると アルベルトがぼそ・・・っと言った。
「 え ・・・ あ うん。 普通の家にこんな広い部屋あるんだねえ ・・・ 」
ジョーも感心した顔つきで きょろきょろ辺りを見回している。
「 boy ? こらこら ・・・ みっともないぞ。
広さだけじゃない。 あの ・・・ 照明器具を見てみろ。
あれはおそらくホンモノのクリスタルだろうな。 壁紙の意匠も凝っている。
普請に相当金を掛けているな。 当主はかなりの資産家だろうよ。 」
「 ああ。 しかし ・・・ 時代が少々 」
「 時代? 」
「 ― だな。 わざわざそういう趣味なのか はたまた・・・ 」
「 サー ? 」
衣擦れの音に グレートはゆっくりと振り向いた。
「 おお これはマダム。 ご招待、ありがとうございました。
いやあ ・・・ 先ほども思いましたが 立派なお屋敷ですなあ。 」
「 ありがとうございます。 主人が凝りましてね、こちらのお国でもいろいろと
逸品、といわれるものを調達しましたの。 」
「 住まわれている方も お友達の方々も 皆様 素晴しいですな。 」
≪ おい ジョー! なに呆けた顔 してるんだ! ≫
≪ え ・・・ あ ・・・アルベルト ・・・ グレートって凄いなあ〜〜って思ってさ。 ≫
≪ すごい ? ≫
≪ ウン。 ・・・ すげ〜お世辞、平気でぺらぺら ・・・ ≫
≪ あのなあ お前、社交術って知らんのか ≫
≪ ??? 何 それ?? ≫
≪ ・・・ もういい。 大人しく聞いてろ ≫
≪ ??? うん ・・・ ≫
平成ボーイはだまってにこにこ・・・ に徹することにした。
「 ― あら? どこかで耳にしたお声・・・と思っていましたけれど。
もしかして ・・・ 舞台の方 かしら。 」
「 これはマダム。 お目が高い。 いや、 敏いお耳、と申すべきですかな。
― いかにも拙者、 役者をしておりました。 」
「 まあ〜〜 やっぱり? とても口跡がよくて・・・先ほどから聞きほれておりまたのよ。 」
「 おお これはこれは。 過分なお言葉、恭悦至極 ・・・ 」
「 ほほほ ・・・ 踊っていただけませんこと? 」
「 我輩でよろしければ 喜んでお相手仕りますぞ。 ― では 」
グレートは彼女を巧みにリードして 広間の中央の方まで人々の間をすり抜けてゆく。
「 ほほほ ・・・ わたくしも久し振りで気持ちよく踊りたいのですけれど。
ああ ちょっとお待ちになって。 マダム? こちらはね ・・・ 」
< 新しい友人 > と 当家の女主人は彼らをパーティに集う客たちに紹介して回っていた。
「 あら ステキなムッシュウですこと。 」
「 皆様、 それでこの方々が教えていただきたいことがある ・・・って仰るの ・・・ 」
「 ほほう ・・・? お尋ねは何事ですかな。 」
「 あ その前に ・・・ ああ お願いね。 」
マダムは部屋の端に控える執事に 合図を送った。
「 − は。 」
彼は軽くアタマを下げると ― ・・・・
−−−− −−−−− 〜〜〜〜 ・・・・
「 ・・・ うん? おお これは懐かしい音ですな。 」
すぐにアルベルトが反応した。 広間の隅から 滑らかなワルツの音が流れ始めたのだ。
「 うむ。 レコード・・・ かな? 保存状態も完璧だ。 」
「 うふふ ・・・ 主人のコレクションですの。 執事に持ってこさせました。 」
「 ほう? もしかして ― プレイヤー? 」
「 ぷれ ・・・?? アレは本国から持ってきたものですの。 お気に召しまして?
― では 一曲、踊っていただけませんこと? 」
「 我輩でよろしいのですか 。 」
「 ええ。 ステキな俳優さん。 」
グレートはマダムをリードしつつ するすると広間の中を進んでゆく。
「 ・・・ お上手ですね、 マダム。 」
「 娘時代からダンスは得意でしたの。 うふふ・・・主人とはダンス・パーティで知り合いました。 」
「 それは それは ・・・ ムッシュウもさぞかしダンスの名手と ・・・ 」
「 いいえェ それがねえ 全然 ・・・ もう彼と踊るときはわたくしがこっそりリードしていました。 」
「 それは それは ・・・ ははは我輩の後輩にも同じようなヤツがおりまして。
ヤツも踊りなんぞはてんでダメ しかるにヤツの想い人は最高の舞姫なんですが
― おそらく彼女にずっとリードされ続けるのでしょうなあ。 人生共々 ・・・ 」
「 うふふ・・・ それでお幸せなら結構なことだと思いますわ。 」
「 はっはっは 御意・・・ しかしね、まだコクハクもできずにうじうじしておりますので ・・・ 」
「 あらまあ ・・・ 長い春になりそうですわね? ・・・ ああ 次はあの方をお願いしますわ。 」
「 ― は? 」
「 踊って差し上げてくださいな。 」
マダムは ぱっとグレートのホールドから逃れると、 隅のソファに掛けていた女性の側に
小走りに近づいた。
「 ― どうぞ? こちらのムッシュウ、とてもお上手ですから ・・・ 」
「 ・・・ ありがとうございます ・・・ 」
「 サー? こちらのお嬢さんのお相手、お願いできまして? 」
「 ・・・ あ え ええ 喜んで ・・・ え〜〜 ミス? 」
「 ・・・・・・・ 」
その若い女性はす・・・っとグレートと組むと彼の肩越しに視線を逸らせてしまった。
茶色の髪がさらさらと彼の目の前で揺れている。
・・・? 内気なのかな。
お ・・・ ステップはなかなか達者だなあ ・・・
ちゃんと我輩のリードに合わせている
・・・ うん ・・・?
この音のとり方 ・・・ どこかで 知っている ぞ?
「 ・・・あ〜〜 ミス? 」
「 ― 待っていたの。 」
「 は? 」
「 待っていたの。 ずっと ずっと ・・・ 」
「 ・・・ はあ ・・・ 」
「 わかっていたのよ。 私じゃダメなんだ・・・って。 私は邪魔なんだ・・・って。
でも ・・・ 待っていたの。 待っていたかったの ・・・ ずっと ずっと ・・・ 」
「 ・・・ なにを ・・・ 言っておられるのか ・・・ 」
「 あのヒトと暮しても あのコが生まれも ― 待っていたの ・・・ 」
「 貴女 は い いや、 き 君 は ― 」
「 ・・・ お願い。 今だけでいいの。 この一時 アナタの腕に抱かれて踊りたい・・・ 」
「 ・・・ ミス ・・・ な なにをおっしゃる やら ・・・ 」
「 待っていたの ― あなた ・・・ 」
女性は顔を上げた。 茶色の瞳がじっとグレートを見つめる。
「 ?! ・・・ き きみ は ・・・! 」
「 ・・・・・ ・・・・・・・ 」
彼女は黙って彼を見つめ続け 彼もまた視線を外すことなどできるはずもなく ・・・
変化の術を身につけたサイボーグは 今、 ただの一人のオトコとして彼女と踊る。
待っていたのよ ずっと ずっと ・・・ わかっていたわ でも
待っていたの
・・・ 知っていたよ。 わかっていたさ
そうさ、 俺は最低のオトコなんだ。
ああ ああ この身体になったのは当然の報いだな ・・・
― 俺は 地獄に落ちる
もう いいの。 ・・・ 待っていたの あなたは来てくれたわ
だから この地で暮しましょう ― 一緒に。
そして 次の船で 帰りましょう ・・・
・・・・・ ソフィ − ・・・・
緩やかに古い古い歌が流れ 老優とその恋人はゆるゆると踊り続けていた。
彼らの遠い春の日々を思い浮かべ その日々に戻りつつ ・・・
「 あら ここにいらっしゃいましたの? 」
「 ― はあ ・・・ 」
アルベルトは一瞬、 しまった・・・! と思った。
「 ま ・・・ 」
マダムが少しだけ引くのが感じられた。 多分無愛想な顔がますます険悪になったのだろう。
「 まあ ほほほ ・・・ そんな顔、なさるものじゃありませんわよ。 」
しかし彼女はすぐに何の意にも介さず、朗かな笑顔をみせている。
「 ・・・ 失礼しました。 少し考えごとをしていましたので ・・・
ご不快の念、申し訳ありませんな。 」
「 あらあら ・・・ お詫びでしたら ― そうね、 これをお願いしようかしら。 」
「 ・・・?? 」
マダムは壁際へとすたすた歩いてゆく。
「 ・・・ あ ・・・ その ・・・ 」
この広間に入ってきてから アルベルトは少しづつ ― 巧みに移動し壁際のピアノの側へと
移っていたのだ。
彼女は艶々と光るグランド・ピアノの横にたち にっこりと微笑みかける。
「 ― ピアノ。 お願いしてもよろしくて? 」
「 は? 」
「 スタインウェイの特注品ですの。 調律もちゃんとしてありますわ。 ― ね? 」
( いらぬ注 : スタインウェイの〜 ・・・ ドイツ製の銘品・ピアノ )
「 ・・・・・・・ 」
なぜかひと言も発することもできずに アルベルトは静かにピアノの蓋を開けた。
こそ ・・っと 黒革の手袋の指を鍵盤に置いてみる。
― ・・・ 懐かしい ・・・!
ああ この感覚だ。 指が 吸い付いてゆく。
「 ・・・っと。 勝手に触れてしまって 失礼しました。 」
「 いいえ とんでもない。 ね? 伴奏をお願いいたしますわ。 」
「 ・・・ 伴奏? 」
「 ええ。 ちょっとお待ちになってね。 」
マダムは絹の裳裾を翻すと 身軽にホールの中央に戻っていった。
ふうん ・・・ 今時 こんなピアノにお目にかかれるとはな・・・
こりゃ 確かに スタインウェイだ。 それも ・・・ 特注品だな
・・・ お? この鍵盤 ・・・ もしや象牙か??
アルベルトは軽く音を抑えてワルツを弾き始めた。
誰もが知っているスプリング・ソナタ が密やかに流れだす。
近くに居た人々が お? ・・・と視線をこちらに向けている。
ごく低い音だけれど ホールの中にゆるゆると満ちてゆく ・・・ 軽くメロディーを口ずさむ人もいた。
「 まあまあ・・・ ステキなソナタですこと。 」
当家の女主人がいつの間にかピアノの側に戻ってきていた。
「 ・・・ この季節には相応しいか、と。 春を待つ月に ・・・ 」
「 本当に ・・・ この地域は比較的温暖ですけれど 本格的は春はまだですものね。 」
「 ・・・ 素晴しいピアノですね。 」
「 ありがとうございます。 素晴しい弾き手にであってこのピアノも喜んでいますわ。 」
「 ・・・・・・・ 」
アルベルトは黙って鍵盤の上に指を走らせる。
「 ね? ひとつお願いがありますの。 」
「 リクエストですか。 現代のものでなければ ― なんなりと。 」
「 まあ ステキ♪ あの ね。 こちらの方の伴奏をお願いいたします。 」
「 え? 」
す・・・っと 白いドレスの女性が歩み寄ってきた。
白、といってもオフ・ホワイトのドレスでドレープには浅緑の陰が溜まる。
襟とウェストの部分にミモザの花枝をコサージュ風に飾っていた。
軽く会釈をすると、彼女はにこやかに口を開いた。
「 あの ・・・ 伴奏ではなくて合奏 ・・・ お願いできますか? 」
「 合奏 ― ですか。 楽器は 」
「 私、 ヴァイオリニストの卵なんです。 」
彼女は襟からミモザを外すとそっとピアノの上に置いた。 そして ―
「 こちらのマダムに ― 拝借しました。 ・・・ こんな名器 ・・・ 触るのも初めてですわ。 」
大切に両手で持ち上げたのは かの超有名なヴァイオリンだった。
「 ほう ・・・ これは ・・・ 」
「 ええ。 手が震えそうです。 」
心細そうな口ぶりだが その指はしなやかにして強靭そうで ― 名器に挑む意志に満ちている。
「 では 何を? 」
「 ええ。 先ほど貴方が弾いていらした スプリング・ソナタ を。 」
「 ヤ ー 」
低く応えると 彼はその若い女性とまずかるくチューニングをし音を合わせた。
「 よろしくお願いします。 」
彼女はヴァイオリンを一旦はずし、ぺこりとお辞儀をした。
「 ・・・・・・・ 」
アルベルトは無言だがしっかりと頷くと 静かに弾き始めた。
・・・ ふん ・・・ なかなか達者だな
しかしまだその名器には ちょいと ・・・
うん? ・・・ いい音だな ・・・
テクはまだまだだが ― センスが いい
感覚がいいのか ・・・
ヴァイオリンの音に耳を傾けつつ ちらちらそんな想いにふけっていたのは ほんの初めだけで
アルベルトは次第に のめりこんでゆく。
『 スプリング・ソナタ 』 は ピアノとヴァイオリンの一種掛け合い風なところがあるのだが
彼は純粋にヴァイオリンとの ・・・ いや 彼女との音の会話に引きこまれていった。
・・・ う ? なん だ ・・・?
誰かが 呼んでいる ・・・ 俺 を ・・・
私 よ ? ・・・ 私。
待っていたの ずっと ずっと ・・・・
!? だ 誰だ ・・?
私よ。 ねえ 待っていたの。
音の世界に貴方が戻ってくるのを ・・・
ずっと ずっと 待っていたのよ
音の ・・・ 世界 ・・・?
そうよ。
貴方、戻ってこなんですもの ねえ 忘れていたの?
俺 は ― もうピアノ は この手では・・・
あら ちゃんとこうして弾いているわ?
そのピアノ 貴方に相応しい名器ね
・・・ そのヴァイオリンも キミに ・・・
キミは 誰だ 誰なんだ ・・?!
うふふ うふふふ ・・・・
いやだわ、からかって。 悪戯っこさん
誰 ・・・いや ・・・ き キミは ・・・!
目の前で共に音の世界にたゆたう若い女性 ― その横顔は ・・・
間違えるはずなどあるわけも無く。 その生涯忘れえぬ面影は今も心に鮮やかだ。
! ・・・ ヒルダ ・・・!
稀有な名器を自在に弾きこなす彼女は いつしか彼の最愛の人に重なっていた。
お前 ・・・ こんなトコロに いたの・・・か ・・??
待っていたわ あなた。 ずっと ずっと
・・・ ・・・・ ・・・・!
ねえ ここで 音の世界で 暮しましょう
待っていたのよ、あなたが来ることを ・・・
さあ 春の歌に乗って
ねえ 2人で次の船で ― 帰りましょう ・・・
・・・ ヒルダ ・・・ !
ピアノとヴァイオリンは 熱い熱い想いの丈を存分に語りあうのだった。
「 ・・・これは 素晴しいですな ・・・ 」
「 ええ ええ。 あの銀髪のピアニストさんはどちらのお方? 」
「 ヴァイオリニストのお嬢さんと まあ 息がぴったり! 」
「 いや はや 素晴しいコンサートだ ・・・!
御宅のスタインウェイとガタニーニも 喜んでおりますぞ。 」
( いらぬ注 : ガタニーニ ・・・ ヴァイオリンの名品 )
客人達は次第次第に ピアノの周辺に集まって来、 絶賛の囁きが漏れる。
「 マダム ・・・ 相変わらず、素晴しいお知り合いをお持ちですな。 」
「 ほほほ ・・・ ありがとうございます。
本当に この屋敷に相応しい二人でしょう? ほほほ ほほほ ・・・ 」
2人の演奏に 人々は皆、春の夢に酔っていた。
「 ・・・ あ 〜ああ ・・・・ 」
ジョーは大広間の隅っこのそのまた隅っこ ― 緞子のカーテンの陰にぼんやり佇んでいた。
「 ・・・ 早く帰ろうよ〜〜 ォ ・・・ ここにはフランは居ないんだよ〜〜 」
ボソっと呟いてみたけれど、勿論誰も反応してくれるはずもなく。
「 ・・・ ふぁ〜〜〜 ・・・ ぼくってさ〜 つくづく浮きまくっているよなあ〜〜 」
ザワザワ ・・・ うふふふ ・・・・ カチン ・・・ ははは ・・・
小声の談笑と グラスの合う音 ・・・ 優しい囁きに気の利いたウィット ・・・
ジョーには全てが初めてで ― 彼はずっともじもじし通しだった。
そもそも < 社交 > なるものに縁も所縁もなく、さらに口下手 ・・・ そんな18歳の
日本男児にできることは ただ にっこり笑って立っていることだけ だった。
― トサ ・・・! 立っているのにも飽きて手近なソファの端っこに座った。
「 ・・・ あ ・・・ なんか 踊ってる・・・ フォークダンス ・・・ じゃないよなあ ・・・
え〜〜 アレってば グレート??? すげ〜〜〜 ・・・ ! 」
広間の中央では 年配の仲間が歳若い令嬢を腕に華麗なステップを披露している。
「 ・・・ グレートってばあんな特技があったんだ??
あ! それとも 誰かに変身してるのかなあ〜〜 ミュージカル・スター??
あ! 劇団 四〇 かも 〜〜〜 」
社交ダンスなどまるっきり縁のない世界でそだった18歳は ひたすら感心して眺めていた。
― ファサ ・・・
ジョーの脚のすぐ側を 中年の女性が一人、裳裾を揺らして通りかかった。
「 ・・・ あ ・・・ ごめんなさい? 」
「 ・・・ え? あ いえ あの なにも ・・・ 」
彼女はジョーの前を通り過ぎてから 少し驚いた風に振り返った。
「 あの ・・・ 私のドレスが貴方の邪魔になってしまいましたわ。 ごめんなさい。 」
「 え ?? い い いえ ・・・ ぼくこそ ぼ〜〜っと座ってて・・・ すいません 」
ジョーの方がかえって驚いてしまい、へどもどと言い訳をしてしまった。
「 あら 謝るのは私の方ですわ。 ・・・ でもお若い方がこんな隅っこに隠れているなんて。
ほら 中央にどうぞ? 美味しいワインもカナッペも ありますわ。 」
「 い いえ ・・・ あの。 ぼくはここで ・・・ 」
「 そう? ああ こういう集まりはあまりお得意じゃないのかしら。 」
「 え ええ まあ ・・・ 」
ジョーは思わず苦笑して やっと相手の顔をはっきりと眺めた。
「 今日は友人の付き合いで・・・ ぼくは <オマケ> なんです。 >
「 オマケ?? まあ 可笑しなことをおっしゃるのね。 ステキなセピアの瞳、もったいないわ。 」
失礼 ・・・と 彼女はすい、と手を伸ばし、ジョーの長めの前髪をさらり、と払った。
「 ・・・ え ・・・ 」
「 ・・・・・ 」
低く息を飲む音がした。
「 あ あの ・・・ ぼく、なにか失礼なコト、言いましたか? 」
「 ― え? あ ・・・ い いいえ ・・・ そんなことじゃないわ。 」
その女性は半歩彼に近寄ると今度は まじまじと見詰めてきた。
「 ・・・ え〜〜〜 あの? 」
「 ねえ あなた。 もしかしたら ・・・ マーサの ・・・ 息子さん? 」
「 ・・・ え?! 」
「 いきなりごめんなさいね。 でも ・・・ 私、あなたにとてもよく似た面差しの女性を知っている
・・・ いえ ・・・ いた、のよ。 」
「 ぼくに 似た ・・・? 」
「 そうなの。 よく散歩中にお目にかかったわ。 そうよ、ほら・・・ あの公園で・・・
高台にありますでしょう? あそこで海を眺めていらっしゃることが多かったの。 」
「 ・・・ う 海 を ・・? 」
「 そうよ。 そして ・・・ そうよ! 可愛らしい赤ちゃんを抱いていらしたの。 」
「 ・・・ ・・・!? 」
「 もしかして ・・・ あの赤ちゃんは 貴方? セピアの髪と瞳の 優しい顔立ちだったわ。
そうなのよ、そしてね、彼女に ― お母さんにとてもよく似ていたの。 」
「 ・・・・・・ 」
ジョーは何も言わずに 曖昧に微笑み突っ立ったままだ。
「 ね! ほら やっぱり。 貴方、マーサの息子さんね!
私たち、よくお喋りしましたの。 ほらあの公園ってベンチがたくさんありますでしょ。
あのベンチで 明るい春の海やら きらきらする夏の白波を眺めながら ・・・
小さな貴方をあやしたり すうすう眠ってしまった時には抱っこもしたわ。 」
「 ・・・ ・・・・ 」
「 ほうら やっぱり。 その横顔、 マーサにとてもよく似ているわ。
彼女 ・・・ いつも微笑んでいたの、いつも いつも ・・・ 」
「 ・・・ そ そう ですか ・・・ 」
「 それである時 ・・・ 引っ越すかもしれない、と言っていたわ。 」
「 引っ越す? 」
「 ええ。 赤ちゃんのお父さんを待ちながら 仕事をしなくちゃ・・・って。
ずっと ずっと ・・・ 待っているために、 ってね。 」
「 ち 父を ・・・ 待つ? 」
「 そうなのよ、次の船が出るのを待っていたのだけれど ・・・
なかなかその日がこないので 仕事をしながら待つつもりだって。 」
「 そ ・・・ それで ・・・ その人は ・・・? 」
「 ええ それがね。 秋も終わりの頃にお目にかかったきりなの。
ほら あのいつもの公園でお気に入りにベンチでね、 2人で海を眺めつつおしゃべりしたの。
あ ・・・ ふふふ ・・・ < 2人 > じゃないわね、 貴方もいたから三人、ね?
彼女 ・・・ ず〜っと赤ちゃんを抱っこしていたの。 」
「 ・・・ そ それで それから ・・・ どうしたのです か 」
「 ええ。 引越し先に落ち着いたら連絡します・・・って。
そうね はっきり覚えているわ。 もう寒いくらいだったけど素晴しく晴れた日で ・・・
遠くまで海が見渡せたの。 」
「 ・・・ そう ですか ・・・ 」
「 あの。 伺ってもいいかしら。 マーサは ― あなたのお母様はその後 ・・ お元気? 」
その中年の女性は少々饒舌だったけれど、気のよい有閑マダム然として見えた。
「 え あ あの ・・・ 母とは その ・・・ 」
「 次の船が出ないので 私もずっとこの地に逗留しているのですけれど。 」
「 そ そうなんですか。 あの 実はぼくは ― 母のことは ほとんど覚えていなくて。 」
「 まあ ・・・ じゃあ 彼女は貴方をどこかに預けたのね?
そうなの ・・・ ええ でも大丈夫ですわ。 」
彼女は ゆったりと頷き、ジョーに満面の笑顔向ける。
― ええ。 マーサは待っていますわ。 ―
「 ・・・待って いる ・・・? なに ・・・ を ・・・? 」
「 あなた を。 」
トクン ・・・! ジョーの心が大きく波打った。
「 ! ・・・え あ・・・ ちょっと失礼します。 あの ・・・ ワインでも頼んできますから ・・・ 」
「 まあ ありがとう ・・・ 」
ジョーは女性にソファを譲り大広間の反対側へと脚を速めた。
出入り口のドアの付近に 給仕たちが控えていた。
「 ・・・ あの すみません。 ワインかシェリーか ・・・ お願いできますか。 」
「 かしこまりました。 お一つで? 」
「 いや ・・・ 2人分 ・・・ 向こうの隅のソファに居ますから。 」
「 はい、すぐにお持ちいたします。 」
恭しく会釈をして下がる給仕を見送ってから ジョーはまた広間に視線をもどした。
黄金色 ( こがねいろ ) の柔らかな光の中、着飾った人々が緩やかに談笑している。
中央では グレートが華麗なステップを披露し 流れてくる音楽はアルベルトが奏でているのだ。
皆 ・・・ どうしちゃったんだ?
< マーサは 待っているの >
突然 先ほどの女性の言葉が耳の奥に蘇る。
「 ・・・・・・・・ 」
広間の人々を隔てて眺めれば あのソファにはちゃんと彼女が掛けていて ・・・ 友人と
おぼしき婦人とお喋りをしている。
その女性はジョーの方に背を向けているので 顔貌はわからないが艶やかな黒髪を軽く結い上げて、
春らしい柄のキモノを着ていた。
からかわれた ・・・ のか??
でも ・・・ それにしては 随分詳しくいろいろ ・・・
そうさ その冬にぼくは ― 神父様に 拾われたんだもの
ジョーは きゅ・・・っと唇を噛んだ。
「 ・・・ 本当に ― そんな風にしていたのかな。 海を眺めて ・・・ 」
ふ・・・っとなにかとても温かいモノが ジョーを包んでゆく。
自然に彼の視線は 広間の奥 ― さきほどのソファの所にいる黒髪の女性から離れなくなる。
・・・ きっとあんなカンジな人だったのかな ― お かあ さん ・・・
このまま ぼくも ここに居れば ・・・お母さんのことが判るかも・・・
ここで 待っていれば 待って ・・・ 次の船は ・・・
・・・ 船 、 だって ・・・? この時代に ・・・?
― !! おい ちょっと 待てよ?
少し 妙じゃないか?
― 突如 なにかが彼の目を開かせた。
いつも海を眺めていた ・・・って言ってたよな。
― 海 ・・・?
いや あそこからは海はもう見えないはずだ ・・・
あの公園からはるかにヨコハマの海を見渡せたのは
・・・ もう 何十年も、いや 百年近く前の話 !
「 そうだ。 そうなんだ ― 待っているはずなんか ない。 」
マーサは待っているわ とあの婦人は言った。
赤ん坊を連れてその父親に会うために 次の船を待っているのだ ・・・と。
息子の父と再会する日を 待っているのだ ・・・ と。
で も。 ジョーは かっきりと目を開いた。
「 ― ちがう。 ちがう。 ぼくのお母さんは ・・・ 死んだんだ! 」
低くつぶやくと 彼はトンと床を踏んだ。 ジョーの心からなにかが ・・・ 落ちた。
「 ワインとシェリーをお持ちしました。 あの どちらにお運びしますか? 」
給仕人がひそ・・・と彼に尋ねる。
「 あ ・・・ ありがとうございます。 あちらの ・・・ 広間の 反対側のソファにいらっしゃる方へ
お願いします。 」
「 は ・・・? 」
給仕人はジョーが指した方向を眺めたが 怪訝な面持ちだ。
「 女性が2人、いらっしゃるので ― 」
「 あの 失礼ですが。 どなたもいらっしゃいませんが。 それに反対側にはソファは
ありません。 暖炉がありますので ・・・ 」
「 ― え?? 」
ジョーは改めて目を凝らしたが ― 先ほどの場所には まだ火を焚いていない暖炉があるだけだった。
「 ・・・ あ ・・・ すいません ・・・ ぼくのカン違い ・・・ え〜〜と・・・ あ!
あの! ほら、ピアノの所の2人、 あの人たちにお願いします。 」
「 はい、かしこまりました。 」
給仕人は軽く頭を下げると 滑るがごとき足取りで広間を横切っていった。
「 ・・・ なんなんだ?? 確かにさっきまで ― ソファはあったんだ!
暖炉なんて なかったぞ? ・・・ しかし あの暖炉 ・・・ ディスプレイじゃない・・・
ちゃんと使う準備がしていある ・・・ 」
確かに暖炉中には薪がきちんと組み上げてある。
暖房用 ・・・? まさか ・・・
いや でも。 この屋敷は他に暖房設備が見当たらないぞ?
・・・ ちょっと ヘンだ。 なにもかも。
いくらなんでも この屋敷は ここの人達は ― < 古い >
ジョーは目立たぬように ゆっくりとメインのドアの方に移動してゆく。
途中、沢山の会話の切れ端を拾った。
「 ねえ あの亜麻色の髪の素晴しく美しいお嬢さんは? 」
「 ああ わたくしの弟が庭の温室を御案内していますの。 」
「 ほう それはいい。 ・・・なかなかお似合いの2人、と見ましたぞ? 」
「 そうそう。 弟さんもぞっこん ・・・ じゃありませんこと? 」
「 いやいや あの魅惑的なお嬢さんなら 誰だって。 」
!! ・・・ フラン! やっぱりここに来たんだ・・・!
温室 だって?? ようし ・・・
彼は何気ない風に大広間からすべり出た。
廊下で給仕の一人とすれ違った。
「 ムッシュウ ・・・ 化粧室はその角でございます。 」
「 あ ああ ありがとう ・・・ 」
ジョーはすたすた廊下を歩いていった。
温室の温度は 上がっていたのかもしれない。
・・・ 暑い ・・・わ ・・・
「 ― pardon ・・・ 」
フランソワーズはさり気無くジロウの手を外した。
そして滲みでてくる汗を そっとハンカチで拭った。
いや 暑いのは温室の暖房のせいでは ― ない ・・・
「 あの ・・・ ムッシュウ・ジロウ ・・・ 」
「 ・・・・・ 」
彼はじっと彼女を見つめたままだ。
「 あの ・・・ 」
「 フランソワーズ。 貴女の兄上という方 ・・・ こちらにお見えになるかもしれません。 」
「 え?? 」
「 ここは ― 待つ人 が集うところですから。 」
「 ・・・・・・・ 」
― コトン。 彼女の心が 目を覚ませた。
ここは ― なにかヘンだわ。
そう ・・・ 悪意は感じられないけれど ― なにかが違う。
だって わたし。
お兄さんのこと、ひと言だって口にしていないのに
― どうして 知っているの?
それに ・・・ この温室も。 設備が古めかし過ぎる ・・・
「 どうかなさいましたか? マドモアゼル・フランソワーズ? 」
「 あ ・・・ ええ ちょっと 温室の熱気に中ったのかもしれませんわ・・・
外に出てもかまいませんかしら。 」
「 ええ ― ではお供しましょう。 」
「 ・・・ いえ 一人でも ― え? 」
不意に腕を引かれ ― 気がつけば抱きすくめられていた。
「 ・・・ ムッシュウ・・・ なにを ・・・! 」
「 一緒に 行きましょう! 僕もずっと待っているけれど ・・・ 一生待っても 姉は
振り向いてはくれません。 だから 君を連れて行く。 次の船に乗ろう! 」
「 や めて ・・・! わたし ― 行かないわ! 」
ガタン − ・・・!! 入り口のドアが勢いよく開いた。
「 フランソワーズ −−−−−− !!! 」
セピアの髪を揺らして 青年が飛び込んできた。
「 !? ジョー ?!? 」
「 フラン! ぼくが ― ぼくが いるから! 」
「 ・・・ え ?? 」
「 ここに居てはいけない! ここの人々に引き込まれてはダメだ! 」
ジョーはつかつかつ歩み寄ってくると むんず! と彼女の手を握った。
「 ― ぼくは知っていたから。 待っても 待っても ・・・ 誰も来ないことを ね。
ぼくの母は 死んだ。 フラン、 きみは ― この時代に生きているんだ! 」
「 ・・・ ジョー ・・・ 」
「 でも! フランソワーズ。 一人じゃない。
ぼく が。 ぼくがきみを待っているから。 絶対に待っているから ! 」
帰っておいで。 ううん! 一緒に 帰ろう!
「 あ ・・・ ムッシュ・ジロウ ・・・? 」
彼女が振り返ったとき、 ジロウは深い深い瞳で彼女をじっと見つめていた。
「 ・・・ 君が 行きたいのなら。 僕は止めることはできない ・・・ 」
「 ごめんなさい ・・・ 」
「 ― 幸せに ・・・ 」
ジロウは足元に咲いていたヴィオラを一輪摘み取ると ぽ〜んと彼女に投げかけた。
「 あ ・・・ 」
「 フラン。 行こう。 ずっとぼくが一緒だよ! 」
「 ジョー 。 」
パサ ・・・・ ヴィオラの花は空中で散っていった。
「 ぼく。 彼女を幸せにしますから。 あの ・・・ ありがとう! 」
ジョーは ぺこり、とお辞儀をすると ―
「 フラン ・・・ごめん! 」
「 え? あ ・・・ きゃ ・・・ 」
彼女を抱き寄せいきなりキスをするとひょいと抱き上げ ・・・ そのまま走りだした。
「 ・・・ ジョー !! 」
「 このまま 帰るんだ。 帰りたいって強く思ってくれる!? 」
「 え ええ いいわ。 わたし ― あの崖の上のお家に帰りたい・・・! 」
「 ― 行くよ! 」
ジョーは 自分自身の脚で力の限り駆け出した。
気がつけば ― 荒れ果てた墓地の一角に 彼らはぼんやりと佇んでいた。
グレートも アルベルトも そして ジョーとフランソワーズも。
「 ・・・ クッシュン ・・・! 」
「 あ ・・・ 寒くないかい? 」
「 ・・・だ 大丈夫 ・・・ クッシュン ・・・! 」
「 大丈夫じゃないよ〜〜 ほら、 これ 着ろよ ・・・ 」
「 ん ・・・ ありがとう・・・ 」
ジョーは自分のジャケットでフランソワーズを包むと肩を抱いて歩き出した。
「 先、帰るね〜 フランが風邪ひきそうだから〜〜 」
「 ・・・ あ ああ ・・・ 」
「 boy? しっかりエスコートしろよ。 」
「 当ったり前さあ〜〜 じゃ! 」
若いカップルは 振り返りもせずに坂道を降りていった。
コツン ・・・ 錆びたアイアン・レースの柵に グレートがそっと手を掛けた。
「 ここは ・・・ <待つ人々> が 眠っている地だ ・・・ 」
「 ああ そうだな。 我々の想いが 彼らのこころを呼んだのかもしれぬ。 」
グレートは ふと身を屈めると 足元から錆びて半ば朽ち果てたボタンを拾った。
「 ・・・ふ ・・・ こんなボタン ・・・ よく付け直してもらったもんだ ・・・ 」
アルベルトは かの春の歌を口笛で低く吹いた。
「 ・・・ ふん ・・・ いい夢を 早春の夢をみせてもらった ・・・ 」
「 左様 左様 ― いつか ・・・ あっちに行く日まで 」
「 ああ。 待っていてくれるさ。 」
「 ・・・ だ な。 」
待っているわ あなた ・・・ ずっと ずっと ・・・・
吹きぬける季節の風に 愛しい人の声が聞こえるのかもしれない。
・・・ 待っていてくれるか ・・・
その日まで 待っていてくれ ・・・
枯れ草の中から 新しい芽が、 春には青い芽が吹き出し始めている。
新しい生命の息吹をながめつつ ― 彼らは静かにその地を後にした。
****************************** Fin. *****************************
Last
updated : 03,12,2013.
back
/
index
*********** ひと言 *********
書いている間にどんどん ( 例によって ) 009 から遠ざかってゆき・・・
こりゃ あのオハナシ とは全然ちがうです・・・すいません <(_
_)>
< ただ春の夜の夢のごとし > ・・・ってことで ご勘弁くださいませ〜〜