『  桃源郷  ― (3) ―  』

 

 

 

 

 

 

       ・・・ え ・・・!? 

 

  ―  翌日の朝 ・・・ といっても まだお日様が昇る前 ・・・

ジョーは ベッドの中で文字通り 凍り付いていた。

 

      ・・・・ い  いない ・・??

 

隣に伸ばした手は ひんやりしたリネンの上をむなしく行き来するだけだった。

 

明け方前に またあの夢をみた。

父と母は まばゆい光の向こうに立っていて どうしてもどうしてもその顔を見ることができない。

急がなければ二人とも行ってしまうのに・・・ 急いで追いつかなくちゃ!

   それなのに。

ジョーの脚は根がはえたみたいに地面にへばりついていた。

 

夢の中で少年の自分に またあの夢だ ・・・・ これは夢、ただの悪夢なのだ・・・と

何回も何回も言い聞かせた。

 

     眼を覚ますんだ・・・! そうすれば悪夢は 消えてゆく・・・

     そうさ・・・・ ぼくは  もう一人じゃ  ない・・!

     ひとりぼっちじゃないんだよ!

 

必死で意識を盛りたて 覚醒させようとまたまた冷や汗をながし 

やっとのことで眼を覚ませ なんとか腕をうごかし ・・・ 彼女をさがした。

フランソワーズ・・! 

彼女の額か頬・・・ そう腕か肩でもいい、ちょっとだけ ほんのちょっとでいい。

触れることさえできれば それで安心できる。

「 きみの存在を 感じさせてくれ。 それだけで・・・それだけで ・・・ いい 」

   しかし ・・・

リネンに沿って隣に伸ばした手は ・・・ 冷たい空間をうろうろするだけだった。

いつもそこに居る あたたかく ・ やわらかく ・ やさしく 彼の気持ちを鎮めてくれる存在は ― 

 どこにも なかった。

 

「 ?? ふ、 フラン ッ ! 」

 

彼は夏掛けを跳ね飛ばし起き上った。 ・・・ 隣の寝床はきちんと枕を整え、夏掛けは畳まれていた。

「 ・・・ い いない?  いや・・・一緒に寝た・・・そうさ、ぼくはこの腕に彼女を抱いて・・・

 そのまま 眠ったじゃないか! 

ジョーは飛び起きたまま ぺったり座り込みまじまじと隣をみつめている。

まだ薄暗い部屋の中、空気は落ち着いていた。  動いているのはジョーだけだ。

彼は おそるおそる部屋中を見回す ― なにか変わったことが ・・・あるのか・??

 

「 ・・・ なにも ない・・・ うん、いつもと同じだ。 

 あ ・・・ トイレかな。  ちがう・・・これ・・・彼女のネグリジェだもの。 きちんと畳んであるよ・・ 」

彼はそっと・・・彼女の夜着を撫でる。

さらり、とした手触り、シンプルな形の木綿のネグリジェ ・・・ 仄かに彼女のボディ・ソープが香る・・・

そう ・・・ 昨夜。 わくわくしつつ あの白い肩からすべり落としたのはたしかにこの寝間着だ。

甘い一夜の幕開きを彩ってくれた夜着は いま空蝉の羽みたいにくたり、と横たわっていた。

「 フラン  もう起きたんだ ・・・ どこかへ出かけたのか? 

 あ ・・・ 舞台の手伝いとか??  いや ・・・ なにも聞いてないぞ?  

 チビ達の学校の行事か?   いや ・・・ 今は夏休みじゃないか!  」

ジョーはあれこれ必死に考えているのだが 辿りつくのは最悪の結果ばかりなのだ。

「 出て ・・・行った?  まさか・・・! いや でも・・・

 こんなトコはもうイヤだ・・・って。 家事ばかりの生活なんてもう沢山・・・って。

 思いっ切り踊れてすきな勉強ができる日々を送りたい ・・・って。

 ・・・ きっと ずっとそう思ってたんだ。  ぼくが ・・・ 気づいてやらなかったんだよ。

 昨日 ・・・ あんなに熱心セミナーを聴いて 見学してたよね。

 活き活きとしてて とってもキレイだった・・・

 ああいう研究者としての生活を 送りたかったのかもしれないんだ。 」

彼はますます頭を抱え込んでしまった。

「 そうだよ・・・! いつか話してくれたよな 子供の頃夏には田舎の別荘で暮らしてた・・・って ・・・ 

 うん ・・・ きっとそんな生活がきみには相応しいんだ・・・ 

 きみなら これからだって充分、幸せな人生を や・・・やり直せる よなあ ・・・ 」

 

     ・・・ やり直す・・?  幸せな人生 ・・??

 

ふ・・・っと 興奮していたアタマが 冷えた。

「 そっか きみにはきみ自身の人生を生きる権利、あるもんな。

 そうだよ ・・・ だいたい、ぼくなんかの側にいてくれたほうが可笑しいんじゃないか。

 ・・・ きみは  フラン。  ぼくなんかには勿体無い女性 ( ひと ) なんだよね。 」

重い吐息が ゆらり・・・っと心のそこから立ち昇る。

 

    ごめん ・・・ 今まで なにを見てたんだろう ・・・

    きみは ・・・ きみってヒトは

    こんな頼りないぼくの側にいてくれたんだね。

 

    フラン ・・・! 

    き きみが  こんな生活を捨てていっても当然かもしれないね 

    故郷に ・・・ パリに帰ったほうがシアワセか・・・?

 

じっとりと冷たい汗が全身をぬらす。

飛び起きて 家中を駆け回ってさがしたい・・・! 

 

    でも  もし。  本当に 誰もいなかったら・・?

 

 その時を考えると 彼は全身が硬直してしまう。

「 ・・・ くそぅ〜〜!  ジョー! お前はそんなに臆病者だったのか!

 しまむら ジョー !!  しっかりしろっ!  」

彼は必死に自分自身を罵倒し、全身の力を込めて一歩 踏み出した。

 

「 ・・・ ま 負けるものか! きちんと現実を見つめなくちゃ・・!

 ど どんなことだっても・・・!  」

 

ベッドから降り立ち ジョーは脚を交互に強引に動かし続けた。

廊下には まだ夜の雰囲気がただよっている。

もちろん 誰もいないし物音も聞こえない。

夏の夜明け前、 まだ東の空が明るくなるほんの少し前の時間 ・・・ 家中は、いや世界中は

し・・・・んと静まり返っていた。

 

       カタ  カタ カタ ・・・

 

   ―  彼の耳が ほんの小さな音を拾った。

 

「 ・・・ うん? なんだ?  カーテンが揺れているのかな・・・・窓、開いていたっけか? 」

ジョーはゆっくりと廊下を辿り階段を降りた。

途中、ちら・・・っと子供部屋を覗いたが、すうすう・・・穏やかな寝息が二組聞こえただけだった。

玄関の施錠を確かめ リビングの前に来た。

「 ・・・・? 」

 

    カタ カタカタカタ ・・・・  カタ ・・・

 

薄暗いリビングからかすかな音がする。

「 ・・? PCの音だぞ   子供たち・・・ はぐっすり寝てたよな。 博士? まさか な・・・ 」

ジョーはゆっくりとドアを開け リビングに滑り込んだ。

薄暗い部屋の片隅に ―  見慣れた背中があった。

 

「 ・・・ あ〜 ・・・ ちがうちがうわ。 そうじゃないわね・・・ うん ・・・ 」

カタ カタカタカタ ・・・・

 

    ・・・ フラン ・・・!!!

 

思わず彼は駆け寄りそうになり ・・・ 寸でのところで踏みとどまった。

あまりに熱中してる姿に 声を掛けては申し訳ない気がしたのだ。

フランソワーズは一生懸命 キーボードを打ったりモニターをじっと見つめたり。

手元のデータをがさがさ捲ったり している。

 

    ああ ・・・ よかった・・・・!  

    ともかく彼女はここに居るんだ・・・

 

ジョーは必死で自分の口を押さえた。  だって 叫びだしそうだったから・・・

「 え〜と・・・ ああ そうね、そういう方法もあるのねえ・・・ 

 ふうん ・・・ちっとも知らなかった・・・ !  わたし、何をしていたのかしら・・・ 」

独り言まで楽し気に 彼女はモニターに集中している。

「 新しい世界、ね。 ・・・わたしにだって・・・できるわ・・・! 

 せまい世界を飛び出すの ・・・ そうよ、やりたいことを出来るときに やるわ。

おそらく 彼女は無意識で声を出しているのだろう。  独り言、というより呟きにちかい。

しかし

彼女のひと言ひと言は がんがんとジョーの心に響き 突き刺さる。

 

    ・・・ え ・・・  飛び出す・・・って・・・ そうか。 そうだよね・・・

    ああ ・・・ やっぱりきみは 家庭に埋もれているヒトじゃなかったんだ・・・

 

 

 

ジョーはこそ・・・っと脚を戻した。

足音と気配を消して ゆっくりと階段を登り廊下を伝い寝室に戻った。

とにかく彼女は この家にいる ・・・ 少なくとも今は。

 

「 ・・・ うん ・・・ きみにはきみの幸せがあるんだよね。

 そんなコトに気がつかないで・・・ ずっと家事や育児に縛りつけていたんだ・・・

 ぼくには最高に幸せでも  きみには そうじゃない かもしれない。 」

重い足でベッドに戻る。

出来れば 今、 リビングに駆けてゆき彼女を抱き締めたい。

抱き締めて ・・・ ずっとここに居て・・・と言いたい。

 

「 だけど。  それは出来ないよ。  望んではいけないんだ。

 フランは ・・・ ぼくの母親じゃ ・・・ ない ・・・

 ぼくは きみの幸せを一番大切にするって 誓ったんだもの。 

 きみを幸せにするって神様の前で誓ったんだ・・・! 」

ジョーはゆっくりと寝室を見回した。

ここは彼にとって幸せの象徴みたいな場所なのだ。

愛するヒトと二人だけで愛の一時をすごす・・・ 彼には至福の場所 ― 

 

    ・・・ 10年 ・・・ 10年か・・・

    そんなに最高の日々が続いてたんだなあ・・・

    ・・・ あっと言う間だった ・・・ 本当に・・・

 

階下へ降りてまた戻ってきて。 

たったそれだけのことなのに ジョーは身体中が重かった。 足が床のめり込む気がした。

投げ出すようにベッドに倒れこみ ・・・ そっと隣の手をのばす。

 

     ここに ・・・ 帰ってきて ・・・くれるかな 

     もう一度 ・・・ だけ ・・・

 

彼女の枕を引き寄せ、顔を埋めるとジョーは眠りの深い淵に落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

「 すぴかさん! おでかけするなら お帽子、忘れないの! 

 すばる? また今日もず〜〜っと掘っ立て小屋に篭っているつもりなの? 」

「 アタシ〜〜 ちゃんと 持ってるもん〜〜 ! 」

「 ・・・・! ・・・・!! 」

「 持ってるだけじゃなくて! 被らなくちゃだめ〜〜 すぴか〜〜・・・!!

 ああ もう行っちゃった・・・ まったく! 毎日プール、プールって・・・

 あれ以上真っ黒になってどうするつもりなのかしら・・・ 女の子なのに!

 すばる〜〜?! 聞こえましたか!? 掘っ立て小屋にいるのでしょ? 」

「 お母さん・・・・ !! ・・・・  ・・・・ !!! 」

「 ・・・ え? ・・・ ああ ごめんなさい、 ひみつ基地 ね。 でも掘っ立て小屋よね・・

 ・・・え?  そうなの? それじゃ そこで宿題! ちゃんとやりなさい。  いい? 

 わたなべ君とみせっこしてもいいから。 」

「 ・・・・ ・・・・・・ ・・・・・? 」

「 え? ・・・ だから・・隊員諸君は協同で任務に当たる!  オッケー? 

 ・・・ わかったのッ  二人とも〜〜  お返事はぁ!? 」

「 ・・・・・・・ 」

「  〜〜!!  しまむら隊員! わたなべ隊員! 応答せよ! 

 諸君は協同で直ちに 宿題撲滅作戦 にかかれ! 」

「 りょうかい ッ !!! 」

「 ・・・ もう〜〜〜 ちゃんと聞こえているのに・・! 」

 

 

 

少しだけ開けたドアから 階下の話し声がぴんぴん響いてくる。

朝になって 目が醒めてジョーはベッドを滑りでた。

   ― 隣は 相変わらず ・・・  もぬけの殻。

ジョーは そうっとそうっと・・・ 抜き足・差し足・・・で 自分達の寝室のドアに寄り、

こそ・・・っと開けた隙間からじ・・・っと耳を澄ませていたのだ。

この家中の音を洩らさず拾いまくりたい ・・・ そんな気持ちでドアと壁の間に耳を押し付けていた。

 

    ・・・ なにか音が  できれば 声が聞こえますように・・・

    フランの声 が・・ 聞こえますように!

    フラン ・・・ きみが居てくれますように ・・・!

 

最初は半ば祈りに似た気持ちだった。

掌はじっとりと汗ばみ、背筋を冷たい汗がころげおちる。

どんなに絶望的な戦闘でも こんなに緊張した覚えはなかった。

やっとこの手で 掴んだ、と思っていた大切な大切な タカラモノ ・・・

それを失なうのは ― 正直恐かった。 

意気地なしと謗られようと 女々しいヤツと哂われようと 彼は恐かったのだ。

 

    ・・・ た  たのむ ・・・!

    掴み損なうのは 夢の中だけで いい ・・・!

    ・・・ 失くすのは もうたくさんだ ・・・

 

ずっと一人ぼっちだった彼は ずっと  強いジョー   だった。

なにも持っていない時 恐いものなどなにもないからだ。

失うものを持たない者は 恐れる対象などない。

逆に だから一人でも生きてこられたのかもしれない・・・

しかし  いま。  

彼は命より大切なタカタモノをその手に掴んでしまっている。

 

 

 

ジョーは全身を耳にしていた  ― そして 

 

階下から響いてくる <家庭の騒音> を  <ウチのヒト達> の声を全身で聞いた。

「 ・・・ あ ・・・ ああ ・・・ フラン、ちゃんとウチにいるんだ・・・・

 いつもどおりの朝なんだ・・・ 」

ふうう〜〜〜・・・・ 大きく吐息をつくと ジョーはその場にふなふな座りこんでしまった。

「 ・・・ぼくのウチは  いつもと同じ ・・・ ぼくのウチだ・・・! 」

多少 意味不明の言葉をぶつぶつ呟きつつ ジョーはきゅ・・・っと自分の膝を抱えこむ。

 

    ああ ・・・  よかった・・・!

 

パジャマのまま、 二児の父は心底ほっとしていたのである。

日曜日の朝、島村さんちの旦那さんは 膝を抱えてその目尻にはうれし涙すら滲ませていたのだ・・!

 

 

 

 

 

         ジュ ・・・!  カチャカチャ ・・・  ジュワ〜〜〜 ・・・!!

賑やかな音と一緒に ふわ〜・・・んと温かい匂いが漂ってきた。

 

   ・・・ あ。  卵焼きのニオイだ ・・・・

   うん ・・・ 夢の中にでてくるのと同じだ

 

ジョーは顔をあげた。

「 ・・・ だらしないぞ ジョー。 お前。  今までどれだけ最高の時間をすごしてきたんだよ

 だまって縮こまっているだけなんて 赤ん坊と同じじゃないか 」

彼は ゆっくりと寝室を見回した。

お日様はもう大分前にぎらぎらと照りつけはじめていて すっかり明るくなっている。

ジョーの大好きな部屋は いつも通りの顔をみせている。

「 なんて贅沢な時間をすごしてきたんだろう ・・ ぼくは・・・

 きみと一緒にいられるのが当たり前だって思ってた。  

 ぼくは今の幸せに酔っていて ・・・ きみの気持ちを思うこと、わすれてた・・・ 」

「 きみはいつだって どんな時だって しゃんと背筋をのばしてまっすぐに前を見ているよね。

 こら ジョー・・・! ウジウジして・・・ 彼女に恥ずかしいだろ! 」

静かに立ち上がると 彼はベッドをざっと整えた。

「 ごめん。  こんなぼくと一緒にいてくれて本当にありがとう。  

 ・・・ 今度は きみがきみの幸せを追いかけるんだ。 

 ぼくは そのためにならなんだってする・・・!

 それが ぼくがきみの為にできる唯一のことなんだ。  ・・・うん! 」

ジョーはパジャマを着替えると 静かに寝室から出て行った。

 

 

   ああ ・・・ いいなあ・・・

   ・・・ 日曜日の朝 か・・・

   卵焼きの匂いがして  美味しい朝御飯がまっていて。

   いつもより寝坊しても いいんだ 

   ・・・ 時間もゆっくり流れるんだよね ・・・

   

   こんな日曜日って 憧れてたっけ・・・ ずっと ずっと

 

 

 パタン パタン パタン ・・・・

スリッパの足音が ゆっくり階段をおりてゆく。

リビングへのドアは開けっ放し、 玄関にはすぴかの帽子が転がっていた。

「 ああ ・・・ また忘れて・・・ お母さんに叱られるぞ・・・  」

ジョーはちょっと笑って お転婆娘の帽子を拾いあげた。

 

    しまむら すぴか 

 

大きな字で くっきり名前が書いてある。

「 しまむら すぴか ・・・  ぼくのタカラモノだ・・・ ありがとう、きみがくれた最高のプレゼントだよ。 」

 

   ―  バタ −−−− ン !!

 

玄関のドアを開けて すばるがひょっこり顔をだした。

「 あ! お父さ〜ん おはよ。  ね〜〜 ペット、とってきて〜〜

 冷蔵庫で凍らせてあるんだ〜〜  わたなべ隊員の分もあるからさあ! 」

「 おう、お早う、すばる。  なんだ お前たち、また掘っ立て小屋に入り浸っているのかい。 」

「 ひ み つ 基地!!! 掘っ立て小屋じゃないよ!

 ねえねえ ペット・ボトル〜〜  持ってきて。 」

「 自分で行きなさい。 」

「 え〜〜 だってさ〜  ・・・ おか〜〜さ〜〜ん! ペットボトル もってきてよ〜 」

すばるは玄関口から キッチンにむかって叫んだ。

そして すぐに ・・・  これも大声が返ってきた。

「 自分で取りにいらっしゃい!! 」

「 ほうら・・・ お母さんも同じ意見だぞ。  」

「 ちぇ〜〜  お父さんのケチ〜〜 」

すばるは靴を脱ぎ飛ばすと どたばたキッチンにむかって駆け込んでいった。

「 ・・・ったくなあ。  ああ ・・・ 泥足で・・・ どこ、歩いてきたんだ?

 またお母さんにしかれらるぞ・・・ 」

ジョーは跳ねとんだスニーカーを拾い集め、上がり框をみて溜息をついた。

綺麗に磨きこまれたフローリングの上に くっきり足跡が残っている。

「 ・・・ あ〜あ・・・まったくなああ・・・

 ・・・そうか ・・・ いっつもフランが綺麗にしてくれてたんだ・・・ 

 玄関がぴかぴかで リビングが片付いているのが当たり前・・・って思ってたんだ。 」

ジョーはふか〜〜い溜息をついた。

 

 

「 今週の 片付け当番 は ジョーですよ。 ほら・・・学習室がまだ終ってませんね。 」

「 お掃除当番〜〜  玲ちゃん、玄関も忘れちゃだめ。 」

「 ほらほら・・・三年生はちびちゃん達のお世話をして。 」

少年時代、神父さまや寮母さん達から年中 小言がとんできた。

ジョーの育った施設は規模は大きくなかったけれど、小さな子供たちもそれぞれの<仕事>があり、

皆で分担して 日々の雑事を片付けていた。

そうしなければ 集団生活は上手くゆかなかった。 そしてそれは当たり前と思っていた。

 

    ・・・ それなのに。  今のぼくは・・・

    こんなに大切な タカラモノいっぱいの日々なのに。

  

    なにもかも・・・フランに押し付けてるじゃないか・・・!

 

「 忙しい・・・なんて 言い訳だよなあ ・・・ 

ドタドタドタ −−−−−− !

溜息をついている父の脇を すばるが駆け抜けてゆく。 両手にしっかりペットボトルを持って・・・

「 あ・・ おい、すばる! ちょっと待て。  お前 足どろだらけだぞ。 

 そにれほら。 ここ・・・ 雑巾で拭いてゆけよ。 」

「 え? なに、お父さん?  僕たち 今重要な任務の最中で忙しいんだ!

 衛星だいち〜〜 すぐに戻るぞ〜〜 ! 

「 あ ・・・すばる! すばるってば・・・・ あ〜あ・・・ 」

ドタバタバタ −−−−−−!

ジョーの息子は 彼によく似たセピア色のくせっ毛を揺らせてたちまち玄関から出ていってしまった。

「 っとになあ・・・ 全然聞かないんだから・・・ 」

ジョーは玄関マットでちょいと床を擦ってみた。  ・・・ よごれはかえって広がってしまった・・・

「 ・・・あ ・・・ ヤバ・・・・  仕方ないな。 あとで徹底掃除だ・・・ 」

うんうん・・・と頷きつつ振り向いた。 

 

「 すばるっ!! お雑巾持ってゆきなさいっ!  ・・・わ! 」

「 お・・・っと・・・! 」

飛び出してきたフランソワーズと危なく正面衝突するところだった。

「 あ・・・ああ ジョー・・・ ああ びっくりした・・・ 」

「 ご ごめん ・・・ あいつ〜〜 足、泥だらけだな。 」

「 ええ! もういっくら言っても拭かないのよっ! 男の子って〜〜〜・・・ 

 あ・・・ あら お早う、 よく眠れた? 」

フランソワーズは にっこり微笑むとジョーの首に腕を絡めてきた。

笑顔が ・・・ 眩しい。  この微笑が 彼のエネルギーの源でもあるのだ。

ジョーはぱちぱち瞬きをし、彼のタカラモノを抱き締めた。

 

    ・・・ ああ ・・・!  ああ ああ ・・・!

    きみはちゃんとここに居てくれるんだ!

    ああ・・・ ありがとう ・・・!

 

いつもならすぐに顔を寄せてくるジョーなのだが、今朝はじっと彼女を見つめている。

「 あ ・・・ うん。  おはよう ・・・  ごめんね。 」

「 え?? 」

「 ・・・ なでもない。  おはよう ・・・! 」

やっと彼は愛妻にキスをした。

 

    ・・・ ジョー??? どうしたの。

    なにか あったの。 

    具合が悪い風にはみえないけれど・・・

 

フランソワーズは首を傾げつつも朝の挨拶を交わした。

< お早うのキス > と < ただいまのキス > 

これは 島村さんち の絶対・不可欠・不文律で 二人が結婚したその日からず〜っと続いている。

どんな時も ― ミッション中も 具合が悪いときも、 そして 双子の子供たちが生まれた朝も。

ジョーとフランソワーズは 微笑んでキスを交わしてきた。

 

ジョーは彼の細君の身体を離すと まっすぐに彼女を見つめてた。

「 あの。  ・・・ 10年間  ありがとう、フランソワーズ。 」

「 ・・・ はい?? 」

「 ごめんね。  ぼくは少しも気がつかなくて。

 10年、きみはぼくに幸せをくれた。  だから 今度はきみの番だ。 」

「 ・・・ は  はあ・・?? 」

「 さ! あとはぼくがやるから。 きみはきみの人生を生きるんだ。 

 え〜と・・・ チビたちの昼ごはんでも作るか。 」

「 あの。  すぴかはお弁当を持ってもうプールに行ったわ。

 すばるもね お弁当持ちで庭の掘っ立て・・じゃなくてひみつ基地に篭っているの。

 ええ わたなべ君もいっしょよ。 」

「 そ・・・そうか ・・・  それじゃ・・・ あ! 皿洗い引き受けるよ。 」

「 ・・・ もう全部洗っちゃったわ。  残っているのはあなたの朝御飯の分だけ。 」

「 あ ・・・ そ、そうなんだ? あは・・・ご ごめん・・・せ、洗濯するよ! 」

「 とっくに終ってるわ、ほとんどもう乾いていると思うけど・・・ 」

「 え ・・・あ〜〜 う〜ん・・・ そ、それじゃ・・・さっさと食べて片付けるな。 

ジョーは しおしおとキッチンに行った。

「 ? フラン〜〜 卵焼きがないんだけど?  今朝 良い匂いがしてたよねえ・・・ 」

「 卵焼き? ・・・ ああ あれは子供たちのお弁当用よ。

 ジョーの朝御飯は冷蔵庫に入っているわよ?  ハムとサラダ。 オレンジも冷えているわ。 」

「 ・・・ あ   そ、そうなんだ・・・ うん  アリガト ・・・ 」

かなりトーンの下がった声がきこえ あとは大人しくなった。

「 ??? ヘンねえ・・・ あのハム、ジョーの大好物なのに・・・ 

 あ・・・ もしかして昨日の暑さが堪えたのかしら・・・ ジョーもトシなのねえ・・・

 ま・・・ いっか。 」

フランソワーズは ちょっと肩を竦めると リビングを片付け始めた。

 

「 ・・・ 暑さがどうかしたかね。  チビさん達、大丈夫かの。 」

ギルモア博士が ひょいと戸口から顔を出した。

「 博士 ・・・ いえ、子供たちは元気いっぱいですわ。  ジョーがね なんかヘンなんです。 

 あら なにか・・・? 」

博士は帽子を被り出かける恰好をしていた。

「 ああ  お前、切手を持っているかい。 ちょいと切らしてしまってなあ。 」

「 切手? はい、 ありますわ。  この前 綺麗な記念切手を買いましたの。 

 ちょっと待ってくださいね。 この引き出しに入っているはず・・・ 」

「 おお すまんね。   ・・・ おい ジョーはどうかしたのかね。 」

博士はちらり、とキッチンを覗きびっくり顔だ。

「 え・・・・?  いつもどおりに寝坊しただけ・・・のはずですけど・・・ あら?? 

フランソワーズもキッチンを見て 眼を見張った。

ジョーは さっさと朝食を済ませ、なんとキッチンの床を磨いていた・・・

「 あら〜〜・・・ どういう風の吹き回しかしら・・・ 

 そういえば さっきもなにか妙なこと 言ってたわねえ・・・ 

 きみはきみの人生を生きろ、とか。 ・・・ 大丈夫かしら・・・ 」

「 ああ? またなにかドラマでも見たんじゃないのかね?

 ま・・・ 調度よかったじゃないか。  やらせておけ。 」

「 ええ ・・・  あ、はい、切手。  珍しいですわね、お手紙ですか。 」

「 おお ありがとう。 ・・ やあ これは綺麗じゃなあ・・・

 うん? ああ ワシらには手紙の方が気持ちが籠め易いのでなあ。

 実は昨日 相模原でなあ ちょいと懐かしい顔に会ってな。 まあ ・・・近況報告をしておくよ。 」

「 まあ・・・ あの ・・・ 大丈夫、なのですか。 あの・・・ 」

「 心配いらんよ。  現在 所属しておる学会つながりの旧い知り合いじゃ。

 彼は宇宙工学畑なんじゃが ・・・ 先年現役をしりぞいて今は広報活動に専念しておるそうじゃよ。

 いや 実に楽しそうじゃった。 」

「 そうなんですか・・・  お付き合いが広がりますわね。 」

「 まあな。  ワシはチビさん達と一緒じゃったで、回りには単なる顔見知りと見えただけじゃろ。 

 お孫さんですか、と聞かれて・・・ のんびりやっておるよ、と言っておいたよ。 

 ま 彼にはあの研究所は桃源郷じゃからなあ・・・ 」

「 とうげんきょう・・・? 」

「 うむ。  ユートピア といったところかの。 ワシはこの字で書くほうが好きじゃながな。 」

博士は 投げ出してあった新聞紙のすみにさらさらと書いてみせた。

「 ほら な。 」

「 ・・・ 桃の生まれ故郷・・・ みたいな字ですね。 なんだか可愛いわ。 」

「 ふふふ・・・ そうじゃなあ。 こう・・・一面に桃の木があってゆったりと時間がながれておるのじゃろうな。

 ま・・・今のワシにとっては ここが桃源郷みたいなものじゃわい。 」

「 あらあら ・・・ 散らかり放題のユートピアでごめんなさい。 

 もう〜 子供達ってば朝から大騒ぎなんです。 昨日の興奮がまだ残っているのかしら。 」

「 ははは・・・・ 子供はいつでも元気で賑やかなものさ。

 ちょいと散歩がてら これをポストに放り込んでくるよ。 」

「 はい 行ってらっしゃい。  ああ 暑いですから〜〜 お気をつけになってくださいね。 」

博士は 大きく手を振って出かけていった。

 

「 ・・・ 桃源郷 か。 ふうん・・・ 甘くて爽やかな空気でいっぱいの場所みたいね。 

 ふふふ・・・わたしには このお家かしらね。 」

フランソワーズは 博士が書いてくれた字面を眺めてなんとなくほっこりした気分になっていた。

もう ・・・ 10年。 いやそれ以上この地で暮らしてきた。

幸い 大きなミッションに巻き込まれることはなかったけれど、

そのかわり人生の大波・小波にはしっかりと洗われてきた ・・・ 

<普通の暮らし> とは、平穏なだけの日々じゃない! 時には大波をモロに被ったりもしたし、

いつだって油断すれば足元の小さな波に掬われてしまう。

「 だけど 一人じゃないもの。 ジョーと一緒だもの。  どんな波だって・・・平気よ。 

 あら? そういえば ジョーってばキッチンでなにをやっているのかしら。 」

掃除機を手にとりつつも 彼女はキッチンの方を伸び上がってみた。 

「 ・・・ 掃除してくれたのかしら。  あら???  ・・・良い匂いがするけど・・・

 お肉? ・・・・ !! ちょっと・・・! あのお肉は明日使うつもりで冷凍してあるのに・・・ 

 ・・・ まあ いいわ。  好きは風にやってくださいな・・・ 

フランソワーズはそう・・・っと溜息をつくと 掃除機のスイッチを入れた。

「 さあ・・・! 皆がいないうちに ここをキレイにしておかなくちゃ・・! 」

 

 

 

   ジュワ 〜〜〜・・・・! ジュジュジュ 〜〜〜

 

いい匂いがうわ〜〜っとキッチン中にひろがった。

「 ・・・お 美味そう〜 ♪ 」

さっき朝食を終えたばかりなのに、ジョーはごっくん・・・と唾を飲んだ。

「 ヤベ・・・ でもなあ〜 肉は別だよ、うん。 女性は甘いモノは別っていうけどさ・・・

 オトコはやっぱ 肉だよなあ・・・ おっと・・・ 焦がすなよ、ジョー ・・・ 」

なかなか器用に菜箸を動かし、 彼はフライパンを見つめている。

昼食にしろ 夕食にしろ 今から肉を焼いてしまってどうするのか ― そんな考えは微塵も浮かんでは

こないらしい。

   ― ぼくが家事をやるんだ !  そのことだけをジョーは思い詰めていた。

 

「 キッチンの床も磨いたしな。  うん こうやって休日はしっかり料理をする!

 ・・・ そうさ、アイツらの弁当だって作ってやれる・・!

 あ! アイツらさ、朝 ・・・ 早いんだよなあ・・・・ 

ふうう〜〜〜・・・・  ジョーは天井を睨み溜息・吐息の連続だ。

「 いや! 5時起き・・・いや、4時に起きれば 二人の弁当を作ってやれるさ。 」

ジョーのアタマの中には 薄暗いキッチンで奮戦する彼自身の姿がばっちり見えている。

 

 

 

「 うは・・・・夜明け前はさすがに寒いな!  ぶるるるる・・・ 早くガスを使おう。 」

ジョーはごしごし両手を擦り、真っ暗なキッチンに入ってきた。 日の出までにはまだ間がある。

カチン・・・と ガスを点けともかくヤカンをかける。

「 よ〜し! 弁当作戦、開始!  

 さ・・・御飯は・・・うん、炊けているな。 メインは昨夜のハンバーグの残りだけど。

 今日は! たまご焼きに挑戦だ! ・・・ 喜ぶぞ〜〜アイツら・・・ 」

ふんふんふん〜〜♪ ハナウタなんぞと一緒に 彼は卵を割り始めた。

 

    シュワ〜〜〜・・・・ !  

 

「 ・・・お♪ なかなかいい感じじゃないか。 これで・・・え〜と・・ 端っこから巻く・・・

 まく〜〜・・・ あ! 破ける・・・! 

ジョーの奮戦が続くうちに キッチンの窓の外は白々と明け始めた。

「 ・・・ よし! これであとは詰め込むだけだ。 ふふふ〜ん 楽勝だぞ。

 は・・・ 我ながら大分手際がよくなったよなあ・・・ 

自分の分も含めて 弁当箱を三つ並べると、ジョーはさっささか詰め始めた。

 

   パタパタパタ ・・・・ パタパタ ・・・

 

軽い足音が階段を駆け下りてくる。

「 ・・・うん? あれは すぴかだな。 ああ アイツ、今朝は部活の朝連とか言ってたな・・ 」

「 お父さん! わあ〜〜 お弁当、もうできてるの? 

「 おう、すぴか。 お早う! ばっちりさ、朝連に間に合うだろ。 」

「 うん! ・・・うわ・・・美味しそう〜〜♪ お父さんってば、腕あげたね! 」

「 サンキュ♪ まあな、こ〜ゆ〜のは慣れってもんさ。 3年もやってればなあ。 」

「 ・・・ うん・・・  あ  たまご焼きだ・・・ 」

「 ああ。 すぴかのリクエストだからな! ちょいと自信作なんだ〜 」

「 ・・・ たまご焼き ・・・ 」

すぴかは じ〜〜っとお弁当箱をみつめている。

制服の襟に 亜麻色のお下げがぱさ・・・っと垂れた。

  ― しかし 小五のすぴかがなぜ女子中学生なのか・・??

その辺りについて ジョーは不思議にも思ってないようだ・・・

「 すばるもず〜〜っとリクエストしてたからな。 お父さん、頑張ってみたぞ。 」

「 ウン ・・・ 」

「 ・・・ あれ。 どうした? 」

ぽとり ・・・ 俯いているすぴかの頬から涙が お弁当箱の脇に落ちる。

「 ・・・ アタシ。  卵焼き ・・・ 食べたい  な ・・・ 」

「 なんだ〜  じゃあ ほら。 お父さんの分、食べていいぞ? 」

「 ・・・ ううん ・・・ちがうの。  ・・・卵焼き ・・・ オムレツをぺちゃんこにしたみたいなたまごやき・・・

 アタシ 食べたい・・・ お母さんの卵焼き・・・ お母さんの ・・・ 」

ぽと ぽと ぽと・・・・ 大粒の涙がキッチンのテーブルに落ちる。

「 ・・・ すぴか・・・ 」

「 ・・・ お母さん ・・・ お母さん ・・・! か ・・ 帰ってきて・・・ 」

「 すぴか。  お母さんはな。 お母さんの人生を生きる権利があるんだ。

 お母さんの < バレリーナ  or   宇宙飛行士 >( ← 任意選択 )

としての活躍を喜んであげなくちゃな・・・ 」

「 で でも ・・・アタシ。 前みたくおじいちゃまとお父さんとお母さんと すばると。

 皆で暮らしたいのに・・・ お母さんの 御飯 たべたいのに・・・ 

「 ・・・ すぴか ・・・ 」

「 姉貴。  母さんが幸せなら。 それが僕たちの幸せだろ。 」

「 すばる・・・ 」

なぜか ひょろ〜んと背の伸びたすばるが 憮然としてキッチンの入り口に立っていた。

・・・甘ったれの息子とは思えない発言なのだが・・・ ジョーは滅茶苦茶に納得している。

「 そうだ。 すばる、いいコト言うな。  さすが俺の息子だ。

 皆で お母さんの活躍を そして幸せを見守ってゆこうな・・・ 

 

   お母さんの幸せを ・・・・  ああ フラン・・・! ぼくだってきみに会いたいんだよ・・・

   ・・・・フラン・・・! きみの卵焼きが食べたいんだ・・・!

 

ジョーはすっかり背の伸びた子供たちを 両腕でしっかりと抱き寄せた。

「  お前たちには お父さんがいるじゃないか。

 それにな、どこにいたって。 お母さんはお前たちのお母さんさ。  フランソワーズは・・・! 」

 

 

 

「 はい、なあに?  ジョー キッチンの床みがき、ありがとう! 」

いきなり視界に 碧い瞳が入ってきた。

ジョーは ― 歴戦の勇士である009は 飛び上がるほどびっくりしてしまった。

「 お母さんは ・・・・ ???  ええええ???

 フラン 〜〜!! 帰ってきてくれたのかい?? 

「 ・・・ は・・・あ?? わたし どこにも出かけていないわよ? 」

「 ・・・え ・・・・あ ・・・・ ああ・・・ ゆ 夢・・・かあ・・・・ 」

「 ?? なあに、居眠りでもしていたの?  ・・・ ああ ・・・ お肉が〜〜 」

「 あ・・・ ごめ・・・ いや あの! ぼくは弁当だってちゃんと作れるから。

 きみはきみの人生を生きてくれ。 

 ・・・ 今まで ・・・ 本当にありがとう・・・!  感謝してるよ、心から ・・・ 」

ジョーは焦げたフライパンをさりげなく隠し、フランソワーズの手をとった。

「 フラン。 さっきも言ったけど。 今度はきみがきみの生きたいように生きる番だよ。 」

「 ・・・ ジョー。  それって。 わたし・・・ もう必要がない、ってこと? 」

フランソワーズは眼を見張りつつも 微笑んでいたが、す・・・っと頬が強張った。

するり、と白い手がジョーの手の中から抜けてゆく。

「 フランソワーズ。 ひとつだけお願いがあるんだ。

 ぼくがしっかり育てるから。  たまご焼きの入った弁当もちゃんとつくるから。

 ・・・ あの子達を ぼくから取り上げないでくれ。 」

「 ・・・ は あ????  ジョー・・・あなた、何を言っているの? 」

「 ちゃんと面倒をみる! 淋しい思いもさせないさ。 だから ・・・ 連れてゆくな。 

 頼むよ・・・  きみは きみの望んだ人生を生きてくれ。 

「 ジョー ・・・ 本気で言ってるの。 」

「 当たり前だろ。 ずっと気がつかなくてごめん。 

 10年も ・・・ こんなぼくの側にいてくれて ありがとう・・・・ 

 アイツらを ぼくに抱かせてくれて・・・ありがとう・・・ 」

「 ・・・ ジョー。  ちょっと顔、上げてくれる? 」

「 え? あ ああ・・・ なんだい?   ・・・ ?? 」

  

    ぱっち −−−−−−− ん っ !!!!

 

「 う・・・わぁ・〜〜〜・・・・・!!!! 」

フランソワーズの平手打ちが ジョーのほっぺたに炸裂した。

「 ・・・ぅ   な なんだよ〜〜 い  いきなり ・・・ 」

「 目、醒めた?  お寝坊さん。 

「 ! ね、寝ぼけてなんかいないぞ! ・・・・いって〜〜〜 いきなり平手打ちかよ・・・ 」

「 だって!  ジョーったらわけのわからないこと、一人で喋りまくっているんですもの。 」

「 わけわからなくないよ!  きみのことなんだよ、フラン。 」

「 だから なんなの?? わたしの人生がどうのこうの・・・・って・・・

 そんなに わたしが ・・・邪魔?? 」

「 じゃ、邪魔?? そんなこと 言ってないぞ。 」

 

     うわ〜〜・・・・ き きれい だなあ・・・・

 

ジョーは自分をまっすぐに見つめている瞳の輝きに惚れ惚れと見入ってしまった。

碧い・・・炎が燃えていた。  彼女は本気で怒っているのだ・・・

「 じゃあ なんでいきなりあんなこと、言うの?

 ジョー・・・あなた、 昨日の暑さでどうかしたのじゃないの。 」

「 ! おい! ぼくは真面目な話をしているんだぞ!

 10年も ・・・ きみを家事に縛り付けておいて悪かったよ。

 昨日のきみを見ていてよくわかった・・・ ぼくはなんにも見てなかったんだ・・って。 」

「 ええ そうね。  一人で勝手に思い込んで!

 わたしの望む人生ってなんのことよ?! 」

「 ・・・ だから バレリーナとして生きる とか 専攻していた研究を続ける とか・・・

 あの相模原の研究所の人たちみたいに、望む道に邁進したらいいんだよ。 」

「 ?!  勝手にヒトの人生、決めないでくれる? 」

「 だって・・・ 言ってたじゃないか。

 子供の頃、夏の休暇には田舎のコテージでのんびり過した・・・って。

 そんな夏休み、送りたいんだろう? 

「 ・・・ あれは思い出話よ?  わたし ・・・ いつ、今の生活がイヤって言いましたか? 

「 ・・・ でも ・・・ きみ 自分の時間がちっとも取れないって・・・言ってたじゃないか。 」

「 早起きすることにしたの。  ちょっとだけでも好きなことが出来て 満足よ。 」

「 ・・ ずっと好きなこと、やりたいんだろう?  バレエとか勉強とか・・・ 」

「 それは・・・今は仕方ないわ。 子供たちもまだまだ手がかかるし。

 それにね、 ・・・ 今だけ なのよ? 」

「 今だけ ・・・? 」

「 そうよ。  子供たちを叱ったり笑ったり・・・・そりゃ泣いたり怒ったりもするけど。

 それが普通の生活 でしょう?  わたし 好きよ、こんな毎日が・・・ 」

「 フラン ・・・ 」

「 夏休みだってウチの夏休み、好きよ。 ・・・ それじゃ、ジョーはどんな風に過したいの? 」

「 ぼくは ・・・ ぼくは。  ・・・・ この家で家族みんなで過したいんだ。

 一緒に御飯食べて きみの買い物につきあったりチビ達の宿題を手伝ったり・・・

 すばると一緒に風呂に入ったりすぴかと星を眺めたり・・・さ・・・ 

「 ・・・ ジョー ・・・・ 」

「 きみにとっては当たり前の日常かもしれないけど。

 ぼ・・・ぼくには ・・・ぼくはずっと憧れた日々なんだ。 ずっと ず〜〜〜っと・・・ 

 やっと現実になって物凄く嬉しいんだ。

 ・・・ 信じられないかもしれないけど、 ぼくはきみと結婚して 初めて日曜とか休みって

 楽しいんだな・・・って思えたのさ ・・・ 」

「 ・・・・・・・・ 」

フランソワーズは 言葉が出てこなかった。

 

    ・・・ このヒトは ・・・ ずっと お休みの楽しさ も知らなかったの・・・??

    わたし ・・・ 考えてもみなかったわ・・・

 

「 ・・・ ジョー ・・・ ごめんなさい・・・ なんにも見てなかったのは わたしの方だわ・・・ 」 

「 フラン。 それはぼくも同じだよ。 きみの望んでいる人生って・・・ それじゃ・・・ 」

ジョーはゆっくりと彼女の肩を引き寄せた。

「 わたしの望みは ね。 」

するり、と白い腕が彼の首に絡まってくる。

「 ・・・ このとんでもないヒトの側にいて 毎日子供たちも一緒に賑やかに暮らしてゆくこと、よ。 」

「 フラン・・・! 

「 ・・・ ごめんなさい わたし・・・ ジョーのことちっともわかってなかった・・・ 」

ぽと ・・・ ぽと ぽと ぽと・・・・

熱い雫が ジョーの胸に落ちる。

「 あ・・・ 泣くなよ。  ばぁか・・・・ 」

「 ・・・ふふふ ・・・ お兄ちゃんみたい・・・ 」

「 フラン、 えっと・・・そのぅ・・・  きみの兄さんになってやってもいいぞ ・・・たまに、だけど。 」

「 ・・・うふ・・・じゃあね、ちょっと後ろ向いてくれる? 」

「 え・・・いいけど。  ・・・ こんな感じかい? 」

「 ええ。 そのままでいてね。   ・・・ お兄ちゃん・・・! 」

「 ・・・うわ ・・・! 」

とん・・・! とジョーの背中から < いもうと > が抱きついてきた。

「 ね・・・  こんな風にケンカしたの  初めてね  わたし達  」

「 ・・・   うん  ま、たまにはいいか。 兄妹喧嘩もな・・・ 

「 そうね ・・・ お兄ちゃん ・・・! 」

「 おっと・・・。 今からは < ジョー > に戻るぞ。 」

「 え ・・? 」

「 きみはぼくの愛する妻さ。  ・・・ おいで。 」

「 ・・・ ちょっと・・・! こんな時間に ・・・ 子供達が帰ってくるわ。 」

「 大丈夫 二人ともお昼すぎまで戻ってこないよ。 

 ・・・ ぼく 朝から元気だから。 」

「 ・・・ ま ・・・ ジョーったら・・・ 」

二人は 絡まりあいつつソファに倒れこんだ。

 

  ふわ  −−−−−  ん ・・・・

 

朝の風が リビングのカーテンを大きく揺らしていた。

 

 

 

「 ・・・やれやれ・・・ まったく犬も喰わん、とはよく言ったものじゃ・・・ 」

リビングのドアの外で 博士が大溜息をついていた。

「 おじいちゃま?? どうしたの??  アタシ、 水筒忘れてさあ〜〜 」

「 マヨネーズ あるう〜〜 ?  あれ。 おじいちゃま どうしたの? 」

気がつけば後ろから 子供たちが博士を見つめていた。

「 ああ ・・・ お前たち ・・・ ちょっとワシと買い物にでも行こうか。

 父さんと母さんはその・・・いろいろ話し合いがあるみたいだしなあ・・・ 」

「 おじいちゃま! お父さんとお母さん、 喧嘩してるんでしょ? 」

「 え・・・ あ ああ。 まあ ちょっと意見の食い違い、じゃよ  なに、心配はいらん。 」

「 え〜〜心配なんかしてないよ〜〜 ね、すばる? 」

「 うん。  おじいちゃま〜 仲良しだと喧嘩するんだよ? 知ってた? 」

「 あ ・・・ ああ。 」

「 アタシとすばる、年中喧嘩してるもんね〜〜 でも仲良しなんだ♪ 」

「 すぴか・・・おっかないケド・・・ わたなべ君とも <意見こうかん> するよ〜

 あたらしいこと、みつかるもん。  え〜〜???って思ったりさあ。 」

「「 お父さんとお母さん らぶらぶだも〜〜ん♪ じゃましちゃだめだよお〜〜  」」

「 は・・・ははは ・・・そうじゃ なあ・・・ 

 それじゃ・・・ うん、わたなべ君も一緒にアイス・クリームでも食べにゆくか。 」

「「 うわ〜〜〜〜い♪♪  夏休みって さ〜いこ〜う♪♪ 」」

子供たちは博士の手を引っ張り  どたどたと出ていった。

 

 

 

 

「 ・・・ ねえ ジョー。 ・・・・桃源郷 って 知ってる? 」

朝っぱらから  <熱い汗> を流し 二人は気だるく寄り添っている。

「 ・・・ とうげんきょう? ・・・ああ ユートピアみたいなトコだろ。 」

「 そうよ。  ね ・・・ わたしには ここが・・・ 桃源郷なの。 」

「 え・・・ このウチが? 」

「 う〜ん・・・今はね。 でも ・・・ 永遠の桃源郷は  ・・・ ジョーの側 なの。 」

「 ・・・ とう げん きょう ・・・ 」

「 ね・・ ジョーは?   ・・・・ あら。 寝ちゃったの?

 まあ〜〜 よく寝るヒトねえ ・・・ 赤ちゃんみたい・・・ 」

クス・・・っと笑って。

フランソワーズは ジョーの前髪を玩ぶ。

 

    ねえ? わたし ね。 ちゃんと夢は叶っているのよ?

    わたしはちゃんとママンみたいなママンになっているわ

    オトコノコ と オンナノコ に恵まれて。

    ・・・ パパみたいに優しくてかっこいい ジョーが・・・わたしの旦那様がいるの。

 

    ジョー ・・・ 

    わたし。  し あ わ せ よ。

 

ちゅ・・・ 島村夫人は彼女のご亭主のオデコに キスをした。

 

   今日も ― 暑い ・・・!!!

 

 

 

 

夏休み ― 岬の突端にある洋館は 相変わらず賑やかだ。

 

「 すばる〜〜〜 お雑巾 持ってらっしゃい!  すぴか! お洗濯もの、畳んでからよ!

 ・・・ ジョー〜〜〜〜!!! 雑誌はちゃんとモトの場所に戻して! 」

「 はあい 」

「 は〜い 」

「 あ ごめん〜〜 」

素晴しくいいお返事がすぐに帰ってきた。 そう ・・・ お返事だけ、が。

島村さんちの奥さんは 玄関の板の間を拭き、 取り込んだ洗濯物をたたみ。

出しっぱなしの雑誌をラックに片付けたる。  今日も ・・・ 明日も 明後日も ・・・

 

「 もう〜〜〜 夏休みなんて ・・・ 大きらいよォ〜〜 」

 

   ― ユートピアにだって ひとつくらいは欠点はあるのだ。

 

 

 

 

*****************************    Fin.    *************************

 

Last updated : 09,07,2010.              back         /        index

 

 

*************   ひと言  ************

やっと終わりました・・・・

結局 な〜〜んにも事件は起きません、皆元気でしあわせです。

たまには この二人に本気で喧嘩してもらってもいいかな〜と思って・・・

相変わらずの 妄想カップル です〜〜(^.^)

 

夏休みは どこのおうちでもお母さんが一番大変ですよね。