『  うたかたの日々  −(7)− 』  

 

 

 

 

「 さあ。 コレをご覧な。 」

いきなり頬を張り飛ばされて 仰天している青年の前に

老婆は風呂敷包みをどさり、と置いた。

「 あんたの奥さんが、フランちゃんが昼過ぎに届けに来たんだよ。 」

ねえ?と老婆は連れの中年女に振り返る。

「 ああ、そうなんだ。 いつも彼女に頼んでる分なんだけど。

 今回はほら・・・あんな騒動があったからどっかに紛れちゃったろう・・・って諦めてた。

 そしたら。 期限の今日の午後、ちゃんとフランちゃんは持ってきてくれたよ。 」

「 ・・・え・・・ フラ・・いや、彼女自身が、ですか。 」

「 そうだよっ! どうしてたんだい、って聞いてもごめんなさいって淋しそうに微笑むだけでさ。

 御代はあんたに届けてくれって言って・・・帰っちゃったんだ。 」

「 あの・・・ すごい毛皮のコ−トで・・・? 」

「 毛皮? うんにゃ。 この寒空にコ−ト無しで・・・ショ−ル、いやアレはスカ−フかね?

 白いヤツでさ、それだけだったよ。 寒くないのかいって言ったんだけど。 」

「 それで、その仕立物の中に、ねえ? 」

老婆がせっかちにつんつんと中年女を促した。

「 ああ・・・そうそう。 一番下にね・・・ほら、これ、このジャンパ−。

 最近彼女が着てたけど・・・ 島ちゃんのだろ? それに手紙が入ってたんだ。 」

「 ・・・ 手紙? 」

手渡されたジャンパ−は 確かに少女に着せたもので青年は思わずぎゅっと握り締めた。

・・・ まるでそこに少女自身がいるかのように。

 

「 <お別れです。 大変お世話になりまた、本当にありがとうございます> ・・・・

 ねえっ?! お別れって・・・どういうことなのさっ? 」

中年女は ばん、っと便箋を青年の前に突き出した。

「 ・・・ その文面通り・・・ なんじゃないですか。 」

「 文面どおりって ・・・ アンタ ・・・ 」

「 さっき、ここにも来ましたよ。 すごい毛皮のコ−ト着て・・・ つん、と澄まして・・・

 もう貧乏には飽き飽きしたってね。 そう言って・・・清々した顔で出て行ったから。 

 ぼくとは・・・もう関係のないヒトです。 」

「 ・・・ 島ちゃん。 ・・・アンタってヒトはまあ・・・。 」

老婆は 大きく溜息を吐くと青年の腕をぐい、と引っ張った。

「 ・・・・さあ、よく見てご覧。 その節穴の目でも ・・・ 見えるだろう? 」

そんまま 青年に狭い流しやらガス台の前を指し示した。

「 この・・・台所を見なよ! ぴかぴかじゃないか。 どこの世界に・・・愛想尽かして出てゆく前に・・・

 こんなに 綺麗に掃除してゆくニンゲンがいるかね? 」

「 島ちゃん。 貧乏に飽きた子が・・・内職の仕立物をこんなに丁寧に・・・仕上げるかい?

 金持ちがいいのなら・・・こんなモノはうっちゃって行くだろう? 」

中年女は 少女が仕上げたベビ−服を愛しそうにそっと撫でた。

「 フランちゃんの仕事は・・・一針一針に優しい気持ちが込められてる・・・。

 それが着る赤ん坊には一番に伝わるんだろうよ、すごく評判がいいんだ。 」

そ・・・っと手を伸ばし、青年はおそるおそるその小さな服に触れた。

 

 ・・・ 柔らかい ・・・・ ああ・・・ これは フランの温もりだ・・・

 

それにさ、と中年女はさっきの便箋を指で示した。

「 ・・・ これは涙の痕じゃないか。 フランちゃんは泣きながらコレを書いたんだ、きっと。 」

「 そうだよ! なにか・・・こう、どうしようもない立場に追い込まれたんじゃないかい。

 あんたの奥さんは・・・ あんたに迷惑をかけまいと愛想尽かしを言ってみせたんだよ。 」

「 ・・・・・・・・ 」

 

「 失礼するよ、島村君。 」

開いたままの戸口から 大家の老人がのそり、と姿を現した。

「 あ、 大家さん・・・ 」

「 やあ・・・ みなさん、今晩は。 どうもウチの店子( たなこ )がお世話になっとります。 」

「 おお、ギルモアの爺様。 遅くに騒がしてすみませんね。

 さあ・・・あんたからも このわからず屋に一言いってやってくださいな。 」

口々に言い立てる女性たちに 老人は鷹揚に頷くと穏やかに青年に語りかけた。

 

「 フランソワ−ズさん、な。 昼すぎに来ての。 ワシに挨拶をしてから・・・ずっとなにやら

 お前さん部屋でカタカタやっておったぞ? 」

老人は青年の部屋をぐるりと見回し、深く溜息をついた。

「 その時にコレをワシに託し行ったよ。 お願いします、とだけ言ってな・・・。

 ほれ・・・ この土地の権利書じゃ。 」

「 権利書? え、じゃあ・・・あのなんとか言う横文字の大会社がこの辺一帯を

 買い上げるって噂は 本当なのかね? 」

「 エッカ−マン海運、じゃろ。 だがな。 これは、この権利書は少々怪しい。 

 ワシを老いぼれと踏んで侮ったんじゃろうが・・・。 早速 専門家に見てもらったよ。」

老人は書類を指差してから、戸口に向かって声をかけた。

「 すまんね、ジェロニモ君・・・。ちょっとこの人たちにも説明してやってくれ。 」

「 ・・・ 失礼します。 」

ぬ・・・っと 浅黒い肌の巨漢が頭を屈めて入ってきた。

「 弁護士の・・・ ジェロニモ君じゃ。 」

「 ジェロニモ・Jr. といいます。 先生には昔大変お世話になりました。

 現在、エッカ−マン海運の不正を追っております。 」

「 ひぇ〜 ・・・ 弁護士のセンセイかね〜 」

「 ・・・ トメさん・・・ 」

頓狂な声を上げた老婆の袖を 中年女が引いて嗜めた。

二人とも部屋の片隅に座りこんで固唾を呑んでいる。

 

「 ギルモア先生も・・・ 皆さんも聞いてください。

 この書類が重要な証拠になります。 よく、手に入りましたね。 」

「 こちらの・・・ 島村君の奥方が、ワシに委ねてくれてのう。 」

「 そうですか。 大丈夫、土地の不正買収は出来ません。 不可能です。 」

おお・・・と安堵の溜息が部屋にみちた。

「 当事例を端緒にして、あの企業の不正解明・糾弾を目指します。」

任せて下さい、と胸を張り丁寧に礼を述べると巨漢弁護士は静かに去っていった。

 

「 ・・・ 島村君。 聞いてのとおりじゃ。 」

老人は大きく溜息をついた。

「 ・・・ すみません、大家さん、皆さん。 ご迷惑ばかりかけて・・・。 」

ずっと押し黙っていた青年は 部屋の真ん中にでて頭をさげた。

「 あのね、島ちゃん。 困っているときは素直に 助けて って言うものさ。

 みんな喜んで手を貸すよ? ・・・次に困るのは自分かもしれないし。 お互いさま、だよ。 」

「 そうだよ、トメさんの言うとおりさ。

 ・・・さ! あんた、なんとしてもフランちゃんを、奥さんを取り戻すんだ。 」

 

「 ごめん、島村君。 僕も気になったのでちょっと調べてみたんだけど。 」

「 ピュンマ君 ?! 」

ドアからひょっこりと顔を出したピュンマに 青年は驚いて振り返った。

精悍だが、穏やかな顔に 白い歯が印象的である。

「 バイト仲間からの情報もあって。 エッカ−マン海運の若社長が急に挙式するって

 噂だよ。 邸はいま、大騒ぎらしい。 」

「 ・・・ 挙式 ? 」

「 うん。 あの若社長ならやりかねないね。 ワンマンっていうか唯我独尊みたいな

 ヤツらしいから。 」

「 フラン・・・ もしかして、さっきの書類のために・・・ 」

「 それは充分に有り得るな。 あの権利書を盾に結婚を承諾させたのかもしれない。 」

「 ・・・ くそ・・・っ! ぼくは・・・ どうしてあの時・・・! 」

青年は唇を噛み、握った拳を震わせる。

「 みんなで、こころを一つにして。 彼女を取り戻そう。 ・・・ 負けやしないよ。 」

気負った言葉ではないが、真摯な思いがこもったピュンマの言葉は 青年のこころに深く響いた。

「 ・・・ありがとう。 ピュンマ君・・・ みなさん・・・ 」

 

「 島ちゃん。 お節介だけど・・・。 挙式の日ってのは案外盲点なんだよ。

 ・・・ 狙い目、かもしれない。 」

「 トメさん?? 」

ひそ・・・っと隅から声をかけた老婆に みんなが驚いて振り向いた。

「 ・・・なんだってそんなコト・・・? 」

「 ふふふ・・・ あたしゃね、祝言の前の晩に 死んだ爺ちゃんと駆け落ちしたんだよ。 」

「 駆け落ち〜〜〜?!」

「 親が決めた許婚は・・・立派ないいヒトだったけどさ。 爺ちゃんに惚れてたから。

 いなせでこう・・・男前でさ。 腕と気風のいい大工だったけど、財産もなにもない孤児( みなしご )でさ。

 ・・・親が許さなかった。 」

「 ・・・それで ・・・ 駆け落ち、ですか・・・ 」

「 ああ。 手に手をとって・・・ってヤツさ。 」

妙な声音で芝居がかったシナをつくってみせた老婆に 皆呆気にとられている。

「 ・・・ そのう ・・・ ご苦労なさったでしょうね。 」

「 うふふ・・・ 二人一緒なら苦労も楽しいさ。 そんなの帳消しになるっくらい幸せだったねェ・・・ 」

「 ・・・・ はあ ・・・ 」

呆然としている人々を尻目に、老婆は大家の老人の前に歩み寄った。

 

「 あの時は・・・すまなかったね。 ギルモアさん、あんたが嫌いだったわけじゃァない。

 爺ちゃんのが素敵だっただけさ。 」

「 ・・・ そうか。 トメさん、ありがとう。 あんたのその一言でワシは青春を取り戻せるよ。 」

「 ・・・ええ 〜〜〜〜 」

 

周囲の驚愕の声をよそに 老人達は穏やかに微笑み合っていた。

 

 

 

 

「 フランソワ−ズッ ! 」

ばん、と乱暴にドアが開き、一人の青年が飛び込んできた。

「 ・・・! ・・・ お兄さんっ ・・・・! 」

「 どういうことなんだ?? きみは ・・・ 島村君と結婚するんだろう? 」

兄はドレッサ−の前に座っていた妹の側に詰め寄った。

「 お兄さん・・・ よく、入れてもらえましたね。 」

「 ・・・アイツは 僕には手出しできない。 結構遠回りに妨害はされたけど・・・

 そんなことより。 ・・・・ どうして?! 」

「 ・・・ お兄さん ・・・ 」

「 カ−ルの手口はだいたいわかるけれど、なんだってお前は! 」

「 お兄さん。 わたし、ジョ−に拾われたのよ。 命を・・・拾ってもらったの。 」

「 ・・・ どういうことだ。 」

「 神父様が亡くなって・・・ もう何処にも行くところがなくて。 

 わたしの居場所は・・・どこにも無いって・・・ 死のうとしたときに、ジョ−が。

 きみが必要なんだって、手を引き戻してくれたのよ。 」

「 ・・・ ファン ・・・・! 」

兄はたまらなくなって妹の身体を抱き寄せた。

「 貧しいのは少しも苦にならなかったけど、わたしのことを必要としてくるヒトが ・・・

 誰もいないのが・・・ 辛かったわ。 いらないニンゲンなんだって・・・ 」

「 ファン! そんな、そんな風に思っちゃいけない! そんな・・・いらない、だなんて。 」

「 お兄さん・・・。 ジョ−も そう言って・・・ わたしを・・・抱きしめてくれたの。

 ・・・わたし、やっと自分の居場所を見つけられたのよ・・・ 」

「 だったら! ああ、彼はいいヤツだね。 朴訥として口下手だけど・・・あの誠実さと

 お前への愛情は ホンモノだ。 」

「 ・・・・・・ 」

兄の腕の中で 少女は何回も何回もうなづいた。

涙が 水晶のしずくとなって飛び散った。

 

「 ファンは・・・ いいヤツを見つけたな、って・・・お兄ちゃんは本当に安心したんだ。

 なのに・・・。 ・・・カ−ルが・・・その・・・なにかしたのか? 」

「 お兄さん・・・ 」

すっと身体を離すと 少女はまっすぐに兄を見つめた。

「 お兄さん。 わたし、ジョ−を愛してます。 一生、愛するひとはカレだけ。

 でも・・・。 今のわたし。 ジョ−の重荷でしかないわ。 足かせよ、彼を縛るだけだわ。 」

きらり・・・と最後の一滴が彼女の頬を伝った。

「 ジョ−に・・・彼の夢を叶えてほしいの。 ・・・幸せになって欲しい・・・

 わたしが・・・邪魔なら、重荷なら ・・・消えるわ。 

 ジョ−が気にしないように、せめて・・・ 嫌われて別れれば・・・ 」

もう涙は見せまいと少女は く・・・っと唇をかんだ。

俯いた頬が 肩が 細かく震えている。

 

「 ・・・ ファン・・・ お前・・・ バカだなぁ・・・ 」

「 ・・・ え ? 」

穏やかな声音とともに 兄の大きな手がくしゃり、と少女の髪に当てられた。

「 お前・・・ <ちっちゃなファン>のまんまなんだなぁ・・・  ん? 」

「 ・・・ お兄ちゃん ・・・ 」

「 そうそう、そんな風に僕の後を始終追っかけてきてた頃と おんなじだ。 」

兄は 懐かしそうに妹を眺めると、そっとくしゃくしゃになった彼女の頭を抱いた。

「 自分は寒くてがちがち震えているのに 僕がスキ−に夢中なんで『 ちっとも寒くない 』

 なんて言ってず〜っとゲレンデにいたよね。 あとでお前が大熱出して・・・

 僕はママにとても叱られたよ。 覚えてるかい。 」

「 そんなこと、あったわね・・・ 」

兄の胸でくぐもった声が 懐かしそうに響いた。

兄は妹の豊かな亜麻色の髪を しずかに梳いた。

「 あのな。 男はな、荷物を背負うたびに強くなるんだぞ。 

 背負う重荷で 成長するんだ。 」

「 ・・・ 重荷で ・・・? 」

ああ、と兄は大きく頷いた。

「 兄さんが生きてこれたのは、なんとしてもお前を探し出したかったからなんだ。

 お前は絶対に死んではいない、きっとどこかに生きているって・・・信じて・・・

 どんなことをしても、見つけるんだって誓ってた。 」

妹はそっと兄の腕を外し、顔を上げた。

「 そのためには、何だってするってな。 」

「 ・・・お兄さん ・・・ わたし。 

 でも・・・ あの土地やら ジョ−のお仕事に掛かる費用とか・・・

 わたしが・・・ココに来れば全部 ・・・・ 誰も心配する必要がなくなるわ。」

「 ファン・・・ お兄ちゃんが払ってやる。

 お前さえいれば お前が幸せなら 財産なんか要らないよ。

 ・・・ また、イチから始めればいい。 パパやママも笑って見守っていてくれるさ。 」

「 ・・・ お兄さん ・・・・! とっても・・・嬉しいわ。 ありがとう・・・

 だけど、わたし・・・ひとりだけ幸せにはなれない。 

 わたしが・・・ あのヒトのところに行けば ・・・ それで みんなが幸せになるなら。 」

「 フランソワ−ズ。 」

「 お兄さん。 わたし、無理矢理結婚させられるんじゃないのよ。

 わたし・・・ わたしの意志で、決めたの。 」

少女は 晴れやかに微笑んでみせた。

「 わたし。 ジョ−のためなら、どんなことでも出来るわ。 」

「 お前は それで本当に・・・いいのか ・・・・ 」

「 ・・・・・・・ 」

黙って強い光を秘めた瞳で頷くと 少女は穏やかに兄を見つめていた。

 

 

 

きし・・・・。

青年はゆっくりとドアを閉め、カギをそっと回した。

細心の注意を払って廊下を進み、階段を下りる前に大家の部屋の方へぺこり、と頭を下げた。

 

きいきいきしむ共同玄関のドアを、これも注意しつつ開けて裏手に回った。

八つ手の陰に隠しておいた中古のバイクを引き出した。

それはかつて徒党を組んで大型マシンを転がしていた青年にとっては 随分と小型で

少々心もとなかったが手元の資金で買える精一杯のモノだった。

 

 − これで・・・ なんとか。 フランを! あとは、ぼくの腕と ・・・ 勇気だけ、か。

 

 

エッカ−マン海運の若社長の挙式の話で 世間はもちきりだった。

大都会の隅っこのこの町でも 人々は寄ると触るとあまりに急な、そして金に糸目をつけない

豪華さにひそひそと噂の花を咲かせていた。

本人の、あるいはその会社の運営方法の故か、好意的なものはごく少ないようだった。

 

・・・だけどね。 その花嫁ってヒト。 全然素性について情報が流れてこないんだって。

そうらしい。 でも、とにかく猛烈に美人らしいよ。

へえ・・・・

 

様々な憶測が流れる中で さすがに大会社のガ−ドは固く、

青年は直接には何もなす術もなく歯噛みをしつつ、ついに挙式当日を迎えてしまった。

チャンスは ・・・ たった一度、今日しかない。

 

・・・ 今日はきみの誕生日だね。

ずっと、約束してた。 ・・・ 今日という日にぼくは正式にきみを貰うよ。

 

青年は一息深呼吸をすると、引き出したバイクのアクセルをぐ・・・っと握ろうとした。

  ・・・ その瞬間 。

不意に人影がわき道から現れ、黒革の手袋ががっしりと中古バイクのハンドルを抑えた。

 

「 ・・・・ 監督 ?! 」

「 よう。 なんだか勇ましいな。 」

手袋と同じジャンパ−の銀髪の男が青年に に・・・っと笑いかけた。

 

「 え・・・あの。 その。 」

「 事情は聞いた。 屋台のオヤジ、張大人が教えてくれたよ。 」

「 ・・・張さんが ・・・ 」

乗れ、とその男は青年にわき道の方を顎で示した。

荷台に道路工事用の機材をのせた小型トラックが停まっている。

「 そのカワイイのよりも・・・こっちのがいいだろうよ。 送ってやる。 乗れ。 」

「 ・・・・・・ 」

青年は黙って頭を下げると 現場監督氏に従った。

「 例の・・・札ビラ切ってる若造の、だろ。 急いだほうがいい。 」

「 はい。 すみません。 」

ふん、しゃらくせぇ・・・ 鼻先で哂い飛ばすと、現場監督氏はトラックを急発進させた。

 

 

 

 

「 ・・・ どうぞ。 」

気取ったノックに すっと顔をこわばらせ、花嫁は固い声で答えた。

「 失礼。 準備は・・・出来たようですね。 」

「 ・・・・ 」

ぴったりと身についた白いタキシ−ドの青年が入ってきたが、花嫁は伏せた長い睫毛を

上げようともしなかった。

「 おお・・・・。 さすがに。 大至急で作らせた衣装ですがあなたにぴったりですね。

 まさに光かがやく様な ・・・ 花嫁だ・・・ 」

「 ・・・・・ 」

薔薇の花を一輪、胸に飾った花婿は上機嫌で 俯いている花嫁の頬を両手で掬った。

「 まさに。 大輪の白薔薇だ。 すばらしい・・・。 」

感嘆の溜息を吐く花婿を前に、花嫁は陶器の人形のようにただじっと座っていた。

「 これで・・・あの微笑が加われば完璧な美です。 僕の・・・至宝だ・・・ 

 さあ、微笑んでください。 最高の貴女を見せてください。

 ・・・ フランソワ−ズ ― きみは僕のものだ ・・・! 」

花婿は自分自身の言葉に陶酔し、恍惚として喋り続けている。

花嫁はゆっくりと瞳をひらくと、目の前のオトコをまっすぐに見つめた。

 

「 ・・・あなたには感謝しています。 」

「 感謝? 愛している、とは言ってくれないのですか。 僕は君の夫になる人物ですよ。 」

「 愛に・・・ 強制はできません。 」

喜びも悲しみも。 ・・・ 侮蔑すらこもっていないその声に花婿は初めて苛立ちを見せた。

「 どうして・・・なんだ。 君は僕のものなのに・・・! ・・・なぜ? 

 わからない・・・・ 」

「 <自分のものにする>のは 愛とはちがうわ。

 自分が愛さなければ、誰にも愛されることは出来ないわ。 」

「 ・・・ きみは。 そんな、愛してもいない男の妻になるというのか! 」

「 わたしが愛しているは ジョ−だけです。 

 彼の、彼の幸せのためなら・・・わたしは なんだってできます。 」

「 ・・・ どうし・・・て・・・ 」

 

「  愛しているから。  」

 

冷たかった白磁の頬が ほんのりと朱鷺色に染まった。

 

 

「 ・・・あの。 そろそろお時間ですので。 花婿さまは・・・お席の方へお願いします。 」

遠慮がちなノックとともに、ドアの外から声がかかった。

「 ・・・ わかった。 」

尊大に一言返し、花婿はそのまま振り返りもせずに控え室を出ていった。

 

「 ・・・ ファン? ちょっと・・・ いいかい? 」

「 お兄さん? ええ、どうぞ。 」

兄がそっと顔を覗かせた。 

「 お前・・・ 本当に介添えはいらないのかい。 その・・・歩けるか? 」

「 お兄さん・・・ 」

とても妹の晴れの日、とは思えない表情の兄に、彼女はひっそりと微笑みかけた。

「 大丈夫。 わたしはわたしの意志で ・・・ あのヒトのところへ行くの。 」

「 ・・・ そうか。 」

兄はぽつりと言って妹とよく似た空色の瞳を伏せたが すぐにまたじっと彼女を見つめた。

「 お兄ちゃんは。 どんな時でも、いつでも。 ファンの味方だから。

 ファンの幸せだけを ・・・ こころから祈っているから・・・ 」

「 ・・・ ありがとう・・・ お兄ちゃん ・・・ 」

静かに去ってゆく兄に、妹はこころをこめて礼を述べた。

 

 

 

一筋の白い道を 少女が歩んでゆく。

ぎこちなく、身体を揺らし、ゆっくりと一歩一歩確かめるように・・・。

初め、好奇と憐憫、そして軽い侮蔑の視線を投げていた参列者たちは

次第に彼女の美しさに釘付けになっていった。

 

容貌の美だけでなく。

その張り詰め、そして全てを呑み込み澄みきった表情はなによりも人々のこころを打った。

あと、すこし。

皆が息を詰めて見つめるなか ・・・ 少女は ・・・

 

 

  ― ばんっ!

 

突如、聖堂の後ろのドアが大きく開いた。

一人の青年が そこに立っていた。

 

「 フランソワ−ズ !! 」

 

聞きなれた、懐かしい声が 花嫁の背後から響いてきた。

静かな音楽だけが流れていた教会の中は 一瞬、しん・・・と静まりかえってしまった。

 

花嫁の足音が 止まった。

 

「 ・・・・・ ? ・・・・ まさ・・・か ・・・ 」

 

「 フランソワ−ズ ! 

 きみを愛してる。 なにもいらない、きみがいればそれでいい。 」

「 ・・・・ ジョ− ・・・・ 」

「 ぼくはなにも持ってない。 きみへの愛だけだ。

  ・・・こっちへおいで! 」

 

「 ・・・ ジョ− −−−−− !! 」

 

 

薔薇だらけのブ−ケが 足元に転がった。

よろり、と踏み出した足から華奢で豪華なハイヒ−ルが脱げ落ちた。

ベ−ルをかなぐり捨て、手袋を引き毟るように脱ぎ捨て。

花嫁は ・・・ はしる。 自分の足で 自分の意思で ヴァ−ジン・ロ−ドを逆戻りしてゆく。

 

ばさり・・・・。

 

駆け寄った青年の腕に 花嫁は、いや、少女は身を投げて飛び込んだ。

 

「 ・・・ ジョ− ・・・ !! 」

「 フランソワ−ズ っ ! 」

 

「 さあ。 行こう! 」

 

 

「 − 島村 っ ! 」

教会の出口で あっけに取られている人々の間からびん、と張りのある声が響いた。

「  ?  監督 ?! 」

振り向いた青年めがけて ひゅん・・・っと空気を切って飛んでくるものがあった。

「 ・・・?!  キィ ? 」

「 オレの750 ( ナナハン ) だ。 乗ってけ。 」

「 監督・・・! 」

「 島村。 ・・・ 惚れた女は どんなことがあっても 離すなよっ! 」

 

「 ジョ−! ちょっと待って。 」

「 ・・・え・・・ えええ ?? 」

バイクの前に立っていた花嫁は ぱっと長い裳裾を捲り上げた。

そして・・・ 真っ赤になっている青年を尻目にべりべりと豪華なペチコ−トを引き摺り落とした。

「 さ。 これでオッケ−よ。 」

「 ・・・あ・・・う、うんっ! よし・・・っ! 」

 

しっかり掴まってろよっ!!

・・・ 死んだって離さないわっ!

 

ようし。 いい覚悟だ。 ・・・ いくぞっ!

 

 

轟音を残して 固まっている人々を残して。

ひらひらと白い裳裾をひるがえし。 最高の笑顔をみせて。

しっかりと背にしがみつく少女を乗せ 青年の大型バイクは ・・・

あっと言う間に視界から消えていった。

 

 

・・・ほう ・・・・ 

誰からともなく、群集の間から吐息が漏れ聞こえはじめた。

立ち尽くし、コトの成り行きを見つめていた人々は ざわざわと動きだした。

 

・・・ やるじゃん?

ああ。 ・・・ よかったな、彼女。

カッコいいね・・・ 彼氏・・・

・・・ 幸せになるといいね。

うん、きっと大丈夫。

・・・ そうだね ・・・・

 

とんでもない出来事を目の当たりにした人々からは なぜかほっとした空気が溢れていた。

誰もが ごく自然に走り去った二人の幸せを祈っていた。

 

 

呆気にとられていたエッカ−マン海運の社員が ようやく我に返り社長の許に飛んでいった。

「 坊ちゃま! 追わせますから。 花嫁さまには・・・ 戻って頂かないと! 」

「 ・・・いい。  もう、 いい。 」

「 は? いいって・・・・ 」

「 ・・・・ あの笑顔 ・・・ とうとう一回も僕にはあの笑顔を見せてはくれなかった・・・・ 」

「 笑顔、ですか。 」

ぽかん、とした社員に カ−ルは苦く笑って独り言のように呟いた。

 

「 彼女が ・・・ この世のどこかであの微笑を浮かべていると思えば・・・それでいい。

 去るものは追わず、だ。 ・・・僕にも、ソレくらいのプライドは・・・ある。 」

カ−ルは 転がっていた華奢なハイヒ−ルをそっと拾った。

「 この靴を履いていたシンデレラは ・・・ 見つからない。 それで・・・ いいんだ。 」

 

ひらり・・・とブライダル・ブ−ケからこぼれ散った花びらがひとひら、風にさらわれて行った。

 

 

 

******    Fin.    ******

 

 

 

 

 

 

 『  おまけ  』

 

 

 え・・・

 オマケってか後日談???

 そう、あれから、一年半くらいたったころ、と思ってください。

 ( 季節的に合わないのは ・・・ 目を瞑って〜〜(^_^;) )

 

 

 

 

昼間には陽だまりで居眠りする猫を見かけるようになっても 夜の帳が降りれば

まだまだ木枯らしがハバを効かせている季節である。

人々は背を丸め外套の襟をたてて、足早に通り過ぎてゆく。

この街の人々も例外ではないが・・・どんなに凍て付く夜でも笑い声がこだまする場所がある。

 

 

「 こんばんは・・・ 」

大きなすりガラスのドアを引き開けると、どっと・・・温かい空気と笑い声があふれてきた。

 

「 今晩は!あ〜来たね! ささ、そこは寒いんだからはやくお入りよ。」

「 ほい、マリっぺは ばあちゃんにお任せな・・。」

「 まあ、すみません。いつもいつも・・・ 」

「 な〜に・・・この子の笑顔を見られりゃそれで最高さね。 ほ〜れ・・・ 」

抱いてきた赤ん坊はたちまち近所の顔見知りたちの腕に抱きとられ、

きゃらきゃらとご機嫌な笑い声を上げている。

フランソワーズは微笑んで娘を見やり、大急ぎで着替えのベビー服と新しいオムツを広げた。

 

「 お〜い・・母さんも早くおいで・・・」

早くもお湯殿の方から賑やかにお呼びがかかる。

「 はぁい〜〜 」

声高に返事をして、フランソワーズは手早く服を脱いだ。

べビー石鹸やらシャンプーやらを洗面器いっぱいいれてお湯殿に入れば、

娘はもう泡だらけになってはしゃいでいる。

「 今日は・・・トメばあちゃんの番だからね〜 マリっぺ・・・気持ちいいだろう? 」

「 トメさん、本当にお上手ですわね。わたしがやると顔に泡を飛ばしちゃったり、

 お湯を跳ねかしたりして泣かせちゃうことも多くて・・・ 」

「 あははは・・・こんなのは慣れ! フラン母さん、次の子の時には余裕だよ? 」

「 ・・・え・・・次って・・・その・・・ 」

首の付け根まで真っ赤になっている若い母親に 周囲からはどっと笑い声があがる。

 

がらり、と重たいガラス戸が開いて中年の女が小さな男の子の手を引いて現れた。

「 今晩は。 アレ今日はマリっぺの方が早かったかい。 」

「 おお〜 イワン坊か。 ささ、こっちにおいで。 お前のがーるふれんどが来ているよ。 」

「 コンバンハ。 わあ〜〜 まいたん・・・」

銀髪の幼児がよちよちと老婆の抱く赤ん坊によってきた。

「 あら、イワンちゃん、今晩は。 マリ〜、イワンちゃんよ? 」

母親はにこにこと幼児を抱き上げて自分の娘の隣に座らせる。

「 まいたん・・・ま〜いたん♪ 」

ちいさな手が赤ん坊のばら色の頬をそっとなでる。

「 いや〜 イワン坊はマリっぺが本当にお気に入りだね〜。 どうだね、母さん、将来嫁にやったら? 」

「 ま〜もう婚約者ができそうよ? いいわねえ、マリ? 」

 

  「 ・・・じょ〜だんじゃないぞぉ・・・・! 坊主!一発なぐらせろ − − − −」

 

壁の向こうから湯気にくぐもった声が飛んできた。

 

「 あら・・・聞こえちゃったのかしら。 」

「 あはは・・・! 島村の父さん! あんたに勝ち目はなさそうだよぉ〜〜 」

「 そうそう。 花嫁の父はいつも涙で終わるのさ。」

「 うふふふ。 きっと・・・本当の時には大騒ぎしますわね〜。 何年先のことやら・・・ 」

「 あっという間さ。 みんな大きくなって幸せになるんだ・・・ 」

 

わあ・・っと笑い声がお湯殿の高い天井にこだまする。

外は木枯らし。

でも。 この街にはどんなに寒い夜でも

人々がほっこりこころのそこまであったまれる場所がある。

 

やがて、若い父親と母親はすうすう寝息を立て始めた娘を中にぴったりと寄り添って

愛の巣へと夜道を辿っていった。

 

 

 

 

ねえ あなた、 おぼえてる?

 

 流れに浮かぶ うたかたの それでも束の間 輝いていた あのころ

 

 なにもなかった 何も持っていなかった でも 怖いものもなかった 

 

 きみの笑顔が あなたのぬくもりが あればそれで充分だった

 

 

 

 ねえ、あなた。 おぼえてる?  

 

 そんな二人の  うたかたの日々

 

 

 

 

*****   おしまい   *****

 

Last updated: 09,13,2005.                         back     /     index

 

 

****  言い訳 ****

やっと終わりましたっ! も〜ご都合主義の急展開に終始してしまったです。

それも70’s風??? いえいえ〜ひとえにわたくしの力量のなさ、でございます。

神田川』で始まって 『卒業』で終わる・・・はずだったのですが、

後半は 【原作落穂拾い < 未来都市編> 】みたくなってしまいました。(-_-;)

ながながとお付き合い下さいましてありがとうございました。

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                           ばちるど 拝