『  わだつみの都    − (1) −  』

 

 

 

 

 

 

凪いだ海は暗い鏡の面にも似て、満天の星々の煌きを掬い取り瞬き返している。

静かに進む航路は まるで宇宙 ( そら ) へと続いている路にも見えた。

 

「 夜のクル−ズもいいもんだね。 」

「 ええ。 なんだか ・・・ ものすごく神秘的 ・・・・

 ほら ・・・ 星屑だって拾えそうよ? 」

フランソワ−ズは舷側に屈むと つい・・・と手を海面に伸ばした。

「 そうだね。 これで月が出ていたらまた、違っていただろうけど。 ちょうど新月か・・・ 

 あ ・・・ 冷たくない?  ほら ・・・ 」

「 ありがとう、ジョ−。 」

差し出されたタオルで フランソワ−ズは冷えた指先を拭った。

「 思ったよりもずっと冷たいのね。 この地域の海って冬でも穏やかでしょ、

 なんか・・・ 海水も温かいかな、なんて思っていたわ。 」

「 もうすぐ・・・ いや、もう外海 ( そとうみ ) に出たからね。 

 風も出てきたな。 お〜い・・・ ピュンマ? 代わろうか。 」

ジョ−は甲板から操舵室に声を掛けた。

「 いや。 大丈夫だよ。 ・・・ ゆっくりしておいで、お二人さん♪ 」

「 ・・・ ヤダ ・・・ ピュンマったら・・・ 」

フランソワ−ズは夜目にも艶やかに頬を染める。

ジョ−は黙って微笑み、そんな彼女を引き寄せた。

細くしなやかな身体は ・・・ やはり冷えてきっていた。

 

「 寒いんだろ。 ・・・ きみは船室に入っていたら。  

 ぼくは もう少ししたらピュンマと交代するから。 」

「 もうちょっと ・・・ 一緒にいてもいい。 」

「 ・・・ もちろん。 」

ジョ−は傍らの柔らかい身体に腕を回し、しっかりと抱き締めた。

「 ・・・ ほら。 こうすれば・・・ 寒くないね? 」

「 ええ ・・・ あら、これはなあに。 綺麗なペンダントね。 」

「 ああ・・・ これかい。 」

ジョ−は自分の胸元から零れでた金鎖の先を手繰った。

「 ギリシアの硬貨なんだって。 うん、以前のね、ユ−ロになる前。 」

「 まあ ・・・ 本物の硬貨なの。 模様が素敵・・・・ これはポセイドン? 」

「 当たり。 よくわかったね。 海にでるから御守になるかなって思ってさ。 」

「 そうね。 綺麗だわ・・・ 」

「 気に入ったかい。 」

ジョ−は鎖を外すと フランソワ−ズの首にそのまま掛けた。

「 ・・・ あら。 」

「 きみの方が似合うよ。 ・・・ ぼくのかわりに持ってて。 」

「 ジョ−・・・・ いいの? 」

「 うん。 こうやって ・・・ 眺めるのもいいもんさ。 」

ジョ−の指がフランソワ−ズの襟元に忍び込む。

「 ・・・ あ ・・・ や ・・・ 」

「 寒いんだろ。 ・・・ ねえ? 」

ジョ−の唇が探し当てた桜色の唇は冷え切っていた。

「 ・・・・・・ 暖めてあげるよ ・・・ 」

「 ・・・ ジョ− ・・・ あ ・・・ ぅ ・・・・ 」

ジョ−の舌はつめたい桜貝をこじ開けするり、と忍びこみ絡みつく相手を探る。

おずおずと桜貝も縋り付き始める。

冷えて強張っていた彼女の唇が火照りだした頃・・・

密やかな呻き声が咽喉の奥から迸り始めた。

 

・・・ 風のない、新月の夜。 まだ、海は知らん顔して

恋人たちをゆっくりと揺らしていた。

 

 

「 お待たせ。 さあ、交代するぜ。 」

「 ああ、ジョ−。 いいよ? 僕はまだ平気だもの。 」

「 ダメだよ、後できつくなるよ。 あ、これ。 フランソワ−ズが、お疲れ様って。

 コ−ヒ−だ、熱々〜〜 」

「 お。 サンキュ。 」

ジョ−は小型の携帯ポットを、軽く放った。

ぱしり、とピュンマの手がそれを受け取る。

セピアの目と夜色の目が に・・・・っと笑いあった。

「 どうだい、博士とイワンの力作は? 」

「 それは僕が乗り心地はいかが?と君に聞きたいよ。 うん、操舵関係はすごいね。

 一見普通のクル−ザ−だけど・・・こりゃ、ミニ・ドルフィン号だ、最新式マシンだよ。 」

「 ふうん ・・・ 動かすのがちょっと楽しみだな。 」

「 まあ・・・ 堪能してくれよ。 わざわざ大潮の夜を選んだんだし。 」

「 そうだね。 真冬のクル−ズなんて、と思ってたけど海も穏やかだ。 それにね、

 星が凄いよ。 今度はピュンマ、空を眺めてくるといい。 」

「 うん。 今回はぐずぐずあそこに滞在していて得しちゃったよ。 」

「 ふふふ・・・ ま、3人で真冬の海を楽しもう。 」

じゃあ、頼むよ・・・とピュンマはジョ−とコンソ−ル盤の位置を交代した。

「 ちょっと甲板に行ってくるね。  あれ、フランソワ−ズは? 」

「 ああ・・・ まだ船尾の方にいるよ。 星空がね、素晴し過ぎて見飽きないって。 」

「 ふうん。 じゃあ ・・・ 僕も一緒に鑑賞してこよう。 ・・・ 心配ないからね? 」

「 このぉ・・・・ 」

ジョ−は笑って手を上げ、ピュンマを見送った。

一応、古風にも操舵輪が付いていたが、どうもそれはお飾りらしかった。

ジョ−はゆっくりとパネルに目を落とし、レ−ダ−を確認し始めた。

その時点では 空は満天の星を抱え大海原は穏やかにたゆたっていた。

 

 

 

 

新年を迎え一連の年中行事を終えたある日、お茶タイムにギルモア博士が得意顔でリビングに現れた。

仲間達はそれぞれの地域に戻っていて、ピュンマだけがまだのんびりとこの邸に滞在していた。

 

「 諸君 ・・・ クリスマスには大幅に遅刻してしまったのだがね。

 ちょいとワシとイワンからのプレゼントがあるんじゃ。 」

「 プレゼント? 僕らに、ですか。 」

ピュンマは拡げていたノ−ト・パソコンから、少し驚いて顔を上げた。

「 まあ、なにかしら。 あ、博士、紅茶がいいですか? 」

「 ああ、コ−ヒ−で結構 ・・・ ありがとう、フランソワ−ズ。 

 時に、ジョ−はどこだね? 今日は仕事じゃないはずだろう。 」

「 ガレ−ジです。 もう ・・・ 何回もお茶よって声をかけたのですけどね。 」

「 ははは ・・・・ あいつは本当にカ−・キチ、いや、乗り物狂だからな。 」

「 まるで小さな子供みたい。 車いじりに熱中していると何を言っても

 うん、うん ・・・ だけですもの。 」

「 それじゃ、こんなオモチャはよくないかの。 」

「 オモチャ? 」

これじゃ・・・・ と博士は得意満面な面持ちで手にしていたCDを振ってみせた。

「 ピュンマ・・・ ちょいとそのパソコンを貸してくれんか。 

 ・・・おお、ありがとう。 ・・・ と。 ほれ・・・ どうじゃ? これがワシらからの

 諸君へのプレゼントじゃ。 そうさな・・・・ やはり <フランソワ−ズ号>じゃな〜 」

「 え? えええ・・・・? 」

「 なんですか・・・? ・・・わぁ〜〜 これってクル−ザ−ですね? 」

「 まあ ・・・ すごい・・・。 これ、博士とイワンが? 」

フランソワ−ズとピュンマは目を丸くしてモニタ−に見入っている。

「 ふふふ。 ちょいとイワンと悪戯してみたんじゃが。 どうじゃな。

 これを諸君らに進呈しよう。 気軽なレジャ−・ボ−トだと思っておくれ。 」

「 わお♪ 凄いな・・・。 」

「 おお、気に入ってくれたかの。 」

 

「 ・・・・ 遅くなってゴメン。  あれ? なにを見てるのかい。 」

油のシミだらけのツナギを着て、ジョ−がリビングの入り口にやっと現れた。

「 やあ、ジョ−遅いぞ〜。 お茶が冷めてしまうよ。 」

「 ねえ、ジョ−、ちょっと見て♪ 博士とイワンがね・・・ ほら、すごい。 」

「 ジョ−も ・・・ 気に入ってくれると嬉しいがの。 」

「 ・・・ なに ・・・? 」

口々に声を掛けられ、面食らっているジョ−を フランソワ−ズは手を引っ張って

パソコンの前に座らせた。

 

「 うふふ♪ フランソワ−ズ号、ですって。 」

「 ・・・え? ・・・ あ・・・ クル−ザ−? ・・・でも装備が凄いね、外洋向けかな。 」

「 世界一周はちと、無理じゃが。 日本の近辺なら1週間くらいのクル−ズは可能だぞ。 」

「 まあ素敵! 」

「 へえ ・・・凄いですねえ。 イワンと設計を? 」

「 ふふふ・・・ 設計だけじゃないぞ。 後で ・・・ 地下のドックへ降りてご覧? 」

「「「 ・・・・ 二人で作っちゃったんですか??? 」」」

 

三人の嘆声とびっくり顔を、ギルモア博士はにこにこと見つめ、大きく頷いたのだった。

 

 

そして。

あれこれ、積み込むグッズを揃えジョ−とフランソワ−ズとピュンマは

意気揚々と <フランソワ−ズ号> で真冬のクル−ジングに出航したのだ。

 

 

 

「 フランソワ−ズ・・・・? コ−ヒ−をありがとう。 ・・・ あれ? 」

「 ピュンマ。 ジョ−と交代したの。 ・・・ねえ、ちょっと・・・海がヘンよね? 」

「 ? ・・・ うん。 海図ではこの辺りには潮の急流とかはないはず・・・」

ピュンマは後部甲板に上がり、フランソワ−ズの隣にしゃがみ込んだ。

 

ついさっきまで鏡面のごとく穏やかだった海面が急に波立ってきていた。

ほとんど揺れを感じていなかったクルーザーが緩やかにロ−リングし始めた。

 

明らかに 強い流れに引きこまれ始めているようだ。

空は ・・・ 相変わらずの満天の星が輝き、天候に急変の兆しは見当たらない。

 

「 おかしいな。 なにか・・・ 人為的なものかもしれない。

 でもなあ・・・ この辺りに大型の潜航艇が通るはずはないんだけど。 」

「 ちょっと待って。 ・・・・ それらしいモノは見当たらないわよ? 」

フランソワ−ズは 海面にじっと目を凝らす。

「 それなら ・・・ 自然現象かなあ? ともかく、中に入ろう。 ここは危険だよ。

 少し様子を見て、僕が潜ってみるよ。 」

「 あら、それこそ危険だわ。 慎重に行動しましょう。 」

「 オ−ライ、そうだね。 」

二人は操舵室に向かった。

 

「 ジョ−? 」

「 ピュンマ。 なにかあるね。 ・・・ 舵が取り難くなった。 」

「 うん、海面が荒れてきた。 でもフランソワ−ズが付近に船影はないって。 」

「 ・・・ レ−ダ−にも映ってないしね。 コンピュ−タ制御に切り替えた方がいいかな。 」

「 そうだね。 ・・・ 代わるよ、ちょっとプログラムをいじってみる。 」

「 頼む。 ぼくは甲板の荷物とかを固定しておくよ。 

 ああ、フラン、悪いんだけど、船倉にある予備のロ−プを取って来てくれる? 」

「 ええ、いいわ。 ・・・ う〜ん ・・・ 本当に ・・・視力をMAXにレンジを拡げても

 ・・・ 何も人工物は見当たらないわよ? 」

「 そうか。 ありがとう。 じゃ・・・ 先に甲板に上がっているから。 」

「 ジョ−、気をつけろ。 」

アイアイサ− ・・・ とジョ−はフランソワ−ズとピュンマにウィンクを残して操舵室を出て行った。

出掛けにちょっと振り向いた彼の視界に、フランソワ−ズの少し心配気な顔があった。

 

  − ・・・ 相変わらずの 心配性だなぁ ・・・・

 

ククっと口の中だけで笑い、ジョ−は気軽にステップを登っていった。

なぜか・・・

彼女の心持ち眉根を寄せた表情が いつにも増して印象的だった。

 

   ・・・ ジョ−は 彼女のその顔をいつまでもいつまでも忘れることができなかった。

 

 

 

「 うわっ!  なんだ?! 」

 

突然、グラリと船体が傾いた。

操舵室にいたピュンマは、不意をくらって床に投げ出されてしまった。

レ−ダ−画面をちらちら見つつ、コンソ−ル盤の操作を自動制御に切り替えている最中だった。

 

「 どうしたんだ・・・ わ〜ッ !! 」

飛び起きた途端にドアをやぶってドッと海水が流れ込んできた。

次の瞬間、再び大揺れが襲い、彼は操舵室から甲板まで水に押し流されてしまった。

船は傾いたまま、制御不能で何かに曳き込まれているのか勝手にどんどんと走り始めた。

 

「 ジョ−!! どこだ? 」

傾いた甲板に人影はない。

ピュンマは辛うじて救命ボ−トにしがみ付いた。

「 フランソワ−ズ?! 大丈夫かい?? 早く上がって ・・・ うわ〜〜 」

船倉にいるはずの彼女に怒鳴ったときに、大波がクル−ザ−に覆いかぶさって来た。

甲板に固定したあったボ−トやらベンチともども、彼は海に放りだされた。

 

・・・ なんだ?! 一体この大波はどうしたっていうんだろう?

海中に潜って、むしろピュンマは平静さを取り戻した。

海の中は 彼の独壇場だ。

( ・・・ ジョ−? 009! どこだ? 返事してくれ---

 フランソワ−ズ?! まだ船かい? 通信回路をフル・オ−プンにしろ! )

ピュンマは海中で四方に気を配り、脳波通信を飛ばした。

感度を最大限にアップし神経を集中していたが、返信はない。

 

 ・・・ ゴゴゴゴ ・・・ ゴ〜〜〜〜

 

肌を通して底知れない音が響いてくる。

回りの海水がどんどん急激に一定方向に向かって流れだした。

 

・・・ これは なんだ? ・・・ 渦潮? いや・・・大渦巻き・・・か? 

 

彼の目前で 海水は大きな大きな漏斗状になり不気味な音をたて

全てのものを深海へ、海底へと引きこみ始めていた。

 

( ・・・ ピュンマ ・・・ )

( ジョ−! おい、大丈夫かい。 どの辺りにいる? )

( ・・・ 一発目の大波を喰らって・・・ 海の落ちて ・・・

 クル−ザ−にぶつかってしまった ・・・ )

ようやく返って来たジョ−からの脳波通信はひどくノイズが混じっている。

ピュンマは流れに逆らいつつ、じっと目を凝らした。

( ジョ−? どこだ? 流れが急になったんだ、気をつけろ。 )

( どうも ・・・ 頭を打ったらしくて目がダメなんだ。 一旦潜って何とか岩にしがみついてる。 )

( よかった! 今・・・ 捜すからしっかり捕まってろよ! )

( ピュンマ! フランは?! フランソワ−ズはどこだ? 一緒じゃないのか? )

ピュンマは はっとして首をめぐらせた。

 

クル−ザ−が、フランソワ−ズ号が  ・・・ 海中にゆっくりと、しかし確実に沈んでゆく。

いや、沈むのではなく大渦巻きに曳き込まれてゆくのだ。

 

・・・ フランソワ−ズは・・・! あの・・・ 中に!!

 

( ジョ−! 悪い、もうちょっとそこで頑張っていてくれ。

 僕は ・・・ クル−ザ−を追うよ! )

( おい? どうして・・・  フランソワ−ズは・・・船の中、か?! )

( とにかく! 出来る限り追うから! )

( ピュンマ----! 無茶するな! )

ピュンマからの通信はぷつり、と途絶えた。

 

 

 

 

「 ・・・ それでその大渦巻きはお前の目の前で忽然と消えてしまった、というわけか。 」

「 ええ、そうなんです。 僕が渦の中に飛び込んだのとほぼ同時だったと思います。 」

「 そうか・・・・。 位置はわかるかね。 大体でいいのじゃが・・・ 」

「 はい、僕自身のデ−タから割り出せると思います。 

 大渦巻きが消えた後で浮上した場所もわかっていますから。 」

「 天候に変化はなかったか。 」

「 はい。 ・・・もう海面も穏やかで・・・風もほとんど・・・ 」

ピュンマは言葉を切り、大きく吐息をもらした。

 

目を閉じれば、あの信じられない光景がありありと浮かんでくる。

クル−ザ−を飲み込んだまま、海中の<竜巻>は突然消え去ったのだ。

海底に近い場所にいたジョ−を援け再びピュンマが海上に戻った時、

海面はウソのように凪ぎ・・・ ほんの30分前と同じに星の瞬きを映しだしていた。

 

「 あの・・ ジョ−は? 」

「 ああ、こっちもなんとか。 クル−ザ−にぶつかった損傷と視神経回路のダメ−ジは

 直した。  もうすぐ目覚めるだろう。 」

ふう・・・っと大息を吐き、ギルモア博士はソファに身体を沈めた。

「 ・・・ フランソワ−ズは ・・・ 」

「 ・・・・・・・ 」 

ピュンマは首を振りぐっと唇を噛んだ。

「 僕が ・・・ あの時、間に合っていれば。 クル−ザ−に追いついていれば

 ・・・ なんとかなったのに・・・! 」

「 ピュンマ・・・ そんなに自分を責めるでない。 お前こそ大丈夫か。

 尋常の海中ではなかったからな。 」

「 僕は平気ですよ。 ・・・ ジョ−に ・・・ 何て言ったらいいのか・・・ 」

 

 

「 ・・・ まだ ・・・ コンタクトは ・・・ 取れないのですか ・・・ 」

 

 

腕と首からコ−ドを繋げたまま、ジョ−が幽鬼のごとくゆらりとドアの前に立っていた。

「「 ジョ−?! 」」

博士とピュンマは驚いてリビングの入り口を振り返った。

「 ジョ−!! おい、大丈夫なのかい? 」

「 こら、まだ出歩くな。 無理をしてはならんよ。 」

「 は・・・かせ。 ピュンマ ・・・ フランは・・・ フランソワ−ズは・・・! 」

ジョ−は低く呻くと どっとドアに身を投げかけた。

「 ほれ・・・いわんこっちゃない。 」

「 ジョ− ・・・ ほら、僕につかまれよ。 さあ・・・ ゆっくり・・・ 」

ピュンマは慌てて駆け寄り、ジョ−をなんとかソファまで連れて行った。

 

「 ・・・ 博士。 いつ・・・海に潜れますか。 」

「 怪我人がなにを言うか。 無理はいかんよ。 」

「 ぼくが・・・ こうしている間にも ・・・ フランは・・・! 」

ぐったりとソファに身を預けたまま、ジョ−は切れ切れに呻く。

「 ジョ−。 僕が捜すから。 君はまず、回復を目指せ。 全てはそれからだよ。 」

「 ・・・ ピュンマ。 ・・・ ぼくの せいなんだ・・・ ぼくが ・・・ 」

「 ・・・え ? 」

「 あの時・・・ あの第一波の大波が来る直前に ・・・ ぼくが  ・・・ 

 フランソワ−ズに ロ−プを ・・・ 船倉から ・・・ 取ってきてくれって ・・・ 」

「 ジョ−・・・ 」

「 船倉に降りていたばっかりに ・・・!  せめて一緒に ・・・ 海にでも

 投げ出されていれば ・・・ 助けた ・・・のに! ぼくの命に 代えて・・・も 助けたのに!」

「 ジョ−。 それは ・・・ 君のせいではないよ。 」

「 ぼくは ・・・ ぼくは。 肝心な時に ・・・ 彼女を救えなかった・・・! 」

ジョ−はそれだけ呟くと じっと虚空に視線を据えたまま押し黙ってしまった。

 

「 ・・・ ジョ−。 」

「 ・・・・・・・ 」

ギルモア博士とピュンマも 成す術もなくひっそりと口を噤んだ。

陰鬱な空気とはうらはらに 新春の穏やかな光がリビングいっぱいに差し込んでくる。

波の音さえ すこし華やいできたようだ。

庭に根を下ろした梅が ほころび始めるのもそんなに遠い日ではないだろう。

次の季節の足音は すこしづつ近づいてきている。

 

 ・・・ ただ。 その光を、 その花を。 巡ってくる季節を

    一番に愛でる人が ・・・ いない。

 

 

 

 

 

  − ふうう -----

 

ジョ−は大きく息を吐いた。

今朝は ・・・ 少し寒いな。

その必要もないのだが、彼はウィンド・ブレ−カ−のジッパ−を上げた。

 

しばらく順調に進んでいた季節の歩みが ここ数日足踏みしている。

それどころか、今日は大分逆戻りしたカンジである。

空は重い雲で覆われ、海はその色を映して灰色になり時々白波を覗かせていた。

 

 

ジョ−のメンテナンスは予想外に時間がかかってしまった。

焦る彼を押し留め、ピュンマは単身ドルフィン号を駆って海中の捜索を続けた。

博士も彼からのデ−タを元に あらゆる検証を試みたが

二人の懸命の捜索はことごとく徒労に終ったのだ。

 

あの大渦巻きの発生源はナゾのまま クル−ザ−の行方も依然として判らない。

ただ

どこにも 残骸らしいものが発見されないことが彼らにとって唯一の救いだった.

・・・・ 手がかりは ない。

彼らの焦燥をよそに 月は満ち・・・そしてまた欠けていった。

 

 

ジョ−は博士の許可が下りたその日の内に海に潜った。

そして

いつもの、どこまでも穏やかにたゆとう波の下で

じっと ・・・ 彼の限界まで頭を垂れ祈り続けていた。

その翌日早朝からジョ−の海岸歩きが始まったのだった。

 

 

 

 

色彩に乏しい風景の中で その一点が強烈にジョ−の目を惹いた。

 

 ・・・ なんだ?  ああ・・・ 貝殻か。

 

指先で掘り出したそれは 小さなピンク色の片貝。

桜貝。

たしか ・・・ そんな名前だった。

 

彼女の唇にも似たほのかな色。 桜色・・・とはなんとゆかしい表現なのだろう。

ジョ−はじっと掌に救い上げた可憐な欠片を見つめる。

 

  ・・・ なんという歌だっけか。 きみがお気に入りだったあの和歌・・・

 

さくら色の欠片は ちかり、とまたたくだけだった。

 

 

 

「 ほら・・・。 これは どうかい。 」

ジョ−は一心に波打ち際を見つめているフランソワ−ズに声をかけた。

「 え・・・ わあ・・・・ 綺麗ねえ! 」

「 うん、多分 ・・・ 桜貝、だと思うよ。 」

「 さくらがい ・・・ そうなの。 この色もかたちも・・・そうね、桜の花びらみたい。 」

フランソワ−ズはジョ−が渡してくれた小さな貝殻を そうっとそうっと掌で包む。

潮に洗われた貝は すこしまわりが丸くなっていた。

冷たいはずの海水が ほんのりと温かく感じられる。

 

「 ・・・ こんな貝だったのかもしれないわ。 」

「 ? なにが。 」

「 うん ・・・ これはピュンマに教わったんだけど。

 日本の古典の中にね、愛しい人 を亡くして。 でもどうしても思い切れなくて・・・

 忘れることが出来るっていう貝を拾おう・・・っていう和歌があるの。 」

「 へえ・・・? 」

「 わすれ貝 ・・・ そんな名前の貝だったと思うわ。 」

「 なんだか ・・・ 哀しい名前だね。 」

「 そう・・・ でもね。 時には ・・・ 忘れなくちゃいけないことって あるんじゃないかしら。

 何かに ・・・ そう、こんな貝殻に頼ってでも・・・ 」

「 ・・・ きみは? 」

「 ・・・ え ・・・・ 」

フランソワ−ズはちょっと驚いた風にジョ−を見つめた。

 

  − わたし。 ・・・・ わたしは ・・・・

 

水平線の彼方に 空と海とを溶け込ませた瞳を彼女は向ける。

さわさわと薄い色の髪が 風に乗って潮に合わせて揺れた。

 

「 そう・・・ね。 あったかもしれないけど。 ・・・ 忘れちゃったわ。 」

「 ・・・・・・ 」

不意に振り向くと、 彼女はしずかに ・・・ 淡く微笑んだ。

 

  ・・・ ああ。 この貝に 似ている・・・

 

彼女の微笑みを、笑顔を ジョ−は訳もなくそう感じた。

 

「 ・・・ フランソワ−ズ ・・・! 」

「 なあに。 あら・・・ 急にどうしたの。 」

ジョ−はきゅっと腕を引き寄せ彼女を抱き締めた。

そうしなければ。

この淡い髪の 海の瞳の 白い肢体の 温かい身体は

あわあわと空に溶け 海に潜み ジョ−の手元から去ってしまう気がしたのだ。

 

「 ・・・ ねえ? どうしたの、ジョ−ったら。 」

「 フランソワ−ズ。 どこへも ・・・ 行くな! 」

「 え? なに言ってるの。 可笑しな・・・ ジョ− ・・・ あ ・・・ 」

不意にまた、ジョ−の唇がフランソワ−ズの唇を塞いだ。

足元に波音を聴き 空に風の音が流れ・・・

恋人達は ただ お互いの温もりに溺れていた。

 

 

 

・・・ あの時。 確かにこの腕の中にあったのに。

あの身体  あの暖か味   あの ・・・ 微笑

いま 彼の手の中にあるのは 吹き抜けてゆく風とすこしの思い出だけなのだ。

 

あれは・・・ いつの事だったか。

彼女は 何を思ってあの歌を想い異郷の海辺を歩いていたのだろう。

空と海と 全てを溶かし込んだ深く・青い瞳はいつも穏やかだった・・・

 

  ぼくは。

  彼女の なにを見ていたのだろうか。

  あの瞳は 深い青に温かな光を湛え、彼女はなにを見つめていたのだろう。

 

こんなにも長く側にいてくれたその人のことを 自分は少しも理解していなかった、

いや、知ろうとしなかったことに ジョ−は愕然とする。

 

  なあ。

  きみは  ・・・ 誰のことを なにを忘れたかったかい。

  ぼくは きみのそんな想いを受け止めることすらしなかった。

  ごめん ・・・ ごめんね。

  ぼくは いつも失ってから気が付くんだ ・・・ どんなに大切だったかって ・・・

 

 

ジョ−は掌の桜貝にそっと語りかけた。

「 今度会った時に ・・・ きみにプレゼントするから。 

 楽しみに ・・・ 待っていてくれよ・・・ ね・・・? 」

 

 

「 ジョ− ・・・! 」

「 ・・・ ピュンマ?! 潜っていたのか・・・! 」

いきなり海から声が飛んできた。

「 ああ。 朝か夕方か、とにかく日に一回はね。 」

ざぶざぶとピュンマが波を蹴立て、波打ち際までもどってきた。

防護服からどっと海水が滴り落ちる。

「 ・・・・ ありがとう  」

「 ジョ−。 これは僕自身の問題なんだ。 僕の僕への懲罰さ。 」

「 ピュンマ。 」

「 明日あたり大潮だね。 昨夜、ずいぶんと細い三日月だったし。

 あっという間に一月経ってしまった。 」

「 ・・・ ! ・・・ そう、だね。 」

 

( じょ− ・・・! )

( ・・・ イワン?!)

突如、ジョ−の頭のなかにイワンの声が飛び込んできた。

( ・・・ 生キテルヨ ・・・  ワダツミノ都  ・・・ )

( え?! なんだって? もう一度言ってくれ、イワン!)

( ・・・ コレデ 精一杯ダヨ ・・・ ゴメン ・・・ 眠クテ ・・・ )

( イワン!! )

 

イワンからの声は途切れてしまった。

 

「 ・・・ ピュンマ。 わだつみ って何のことか知ってるかい。

「 え? ・・ ・ああ、海の神、とか海のことじゃなかったかな。

 君の国の古い言葉だよ。 」

「 ・・・ 海 ・・・ そうか。 」

「 うん。 急になに? 」

「 ・・・ いや。 なんでもないよ、ちょっと・・・ 」

「 ふうん ・・・? 」

 

ぐしょ濡れのピュンマの後を歩いていたジョ−の拳が きゅ・・・っと握られた。

彼はもう一度口を開けたが ・・・ すぐに閉じきつく結んでしまった。

そんなジョ−の様子を 海だけが眺めていた。

 

 

 

「 博士! 大変です、ジョ−が・・・! 海に! 」

「 なんじゃと? 」

「 こんな書置きがあって。 ドッグへ行って見たら探索用の小型潜航艇が

 無くなっていました。 」

「 む ・・・ あれで潜ったというわけか!」

「 ジョ− ! どうして僕にも声をかけてくれなかったんだ! 」

ピュンマはジョ−の残したメモに怒鳴りつけた。

 

  博士、 ピュンマ へ

  今晩はあの晩と同じ気象条件です。

  行って 捜してきます。 ・・・ 海の都を

                 ジョ−

 

 

 

 

海は 先ほどまでとろり、と凪いでいた夜の海は今、不気味に軋み始めた。

流れが少しずつ そしてどんどんと変りはじめあっと言う間に

巨大な漏斗が ごうごうと渦巻きはじめた。

 

  ・・・ やっぱり!   今、行くから・・・ フランソワ−ズ ・・・!

 

ジョ−は小型潜水艇を繰り 大渦巻きに飛び込んでいった。

 

 

Last updated : 01,09,2007.                        index       /       next

 

 

 

*****  途中ですが 

え・・・ モチ−フは原作のあの物語から拝借しました。

でもぜ〜んぜん別のハナシになってしまったので ( 泣 ) コレは

<そうだったらいいのにな♪>バージョンではないです。

 

作中、フランソワ−ズがお気に入りの和歌は

< 寄する波うちも寄せなむ わが恋ふる人忘れ貝下りて拾はむ >

土佐日記より。 以前にも拙作中で使ったのですが・・・大好きなので・・・つい(^_^;)

宜しければあと一回、お付合いくださいませ <(_ _)>

あ! 管理人は船の事とかま〜〜〜〜ったくのト−シロ−ですので

その点はどうぞお目こぼしくださいませ〜〜〜〜