『 おくり火 』
このSSは、拙作『 あきの日のヴィオロンの 』の続編にあたります。
大変申し訳ありませんが、お時間に余裕がおありの方は『 あきの日の〜 』に目を通して
頂けますと、とても嬉しいです。
「 おかあさん・・・・・!」
僕の視線は その女性に釘付けになった。
夏祭りの賑わいを少しさけて 街灯もまばらな川のほとりへと歩いている時だった。
「 ・・・なに? あなた。 」
かたわらを行く妻が けげんそうに僕を見上げた。
− あれは。 あの女性(ひと)は。 たしかに。 ・・・いや、そんなはずはない、 しかし。
僕は 川辺にたたずみひっそりと灯籠を流すその女性(ひと)から 目を離すことができなかった。
− おかしいわ。 アナタっていつも <おかあさん>って言うのね。
ハナシの途中でもなんでも、黒い瞳をすうっと細めて 君はクスクス笑う。
「 ヘンかな・・・・。 どうも、子供のころに覚えたことって自然と出てきてしまうんだよ。 」
僕はちょっと照れ隠しに、おおいにマジメな顔をしてみせた。
「 だって。 そのコトバだけ日本語で言うんですもの。 ふふふ・・・あなたらしいけれど、ネ?」
確かに。 どうみても外見は 1/4 の日本人の血が少しも感じられない僕に それは不似合いなコトバだろう。
僕は両親の記憶がほとんどといっていい程、ない。
そもそも 父親という人は僕が生まれる以前に亡くなったそうだし、母親とも幼い頃に別れたきりだ。
− おかあさん
ソレはそんな僕にとって 唯一、肉親の記憶と繋がる響きなのだ。
そのコトバを初めて教わったのは。 そう、 あの頃・・・
「 ね、 おかあさん って呼んで。 」
「 お・・かあ・・さん・・・・? 」
まだよくまわらない口で 耳慣れぬコトバを繰り返す僕を 蒼い瞳がやさしくのぞきこむ。
「 そう・・・。 ママン、のことよ。 あなたのパパの国のことば。あなたのパパが 一番焦がれていたことば。」
「 お ・ か ・ あ ・ さん! 」
「 はい。 」
ぱあっと花が開いたようにあでやかに微笑む母の顔は 今でも鮮明に記憶に残っている。
幼いころ、僕は母と二人きりで中部フランスの田舎町に住んでいた。
遠くに金色に波打つ小麦畑や たわわに実をつけた葡萄棚をのぞみ 秋には林で栗拾いに興じた。
なだらかな丘陵がどこまでも続き、周りではやさしい素朴な人たちが穏やかにくらしていた。
− パパの星を さがしましょうよ。
− 今夜は パパの星、 みえるかなあ
冬には 毛布にくるまり 夏には 浅い夜が白みかけるまで。
屋根に昇り 肩をよせあって僕と母は夜空にながれる幾多の星々を見上げていた。
「 ・・・あ! ほらほらっ 今 すう〜って! あれがそうかなあ? 」
「 え・・・ ああん、 見損なっちゃった〜 次はおかあさんがみつけるわ! 」
「 ちゃんと見てないと。 パパに笑われちゃうよぉ 」
「 こ・ら〜 」
母は いったい幾つで僕を生んだのだろう。
子供ごころにも ずいぶんと若い、少女のような人だとは 思っていたけれど。
− 僕のおかあさんは みんなのママンよりずうっとキレイだ! おねえさん、みたい・・・
満天の星を見上げる、その白い横顔をみるたびに僕はなぜかいつも 胸がきゅん・・・っとした。
森陰の質素だが堅牢なわが家には 天窓のある部屋があり そこからもよく星を眺めた。
「 ・・・・あれ、あれが白鳥座。 こっちのが カシオペア。 繋げてごらん? Wの字になるだろう? 」
多分 母の縁続きの人たちだったのだろう、ぽつりぽつりと訪れる客人たちは たいていがその部屋を使う。
夏、中天に見事な銀河がさしかかる頃、いつも彼はやってきた。
夜になると 僕らは一緒にベッドに寝転がり共に天窓をみあげて <小旅行>にでる。
「 ざっぶ〜〜んって。 ほうら、もう星の河に飛び込んじゃったぞ? 」
「 あははは! つうめた〜い、のかな、 う〜んと。 あ、ごつごつ星のカケラが当たるよ? マカロンみたい♪」
「 そら、気をつけろ、おおきな星が流れてきた! よけて、よけて 〜 」
「 わ〜! あ、 アレはもしかしたらパパの星かもしれないね?」
泳ぎが達者だというその人は 精悍な顔に輝く白い歯をみせて笑った。
「 お前も もっと速く泳げるようにならないとね。 あ〜 親父の星はもう、あんな彼方だ! 」
「 わ〜い! 待って〜 」
秋も半ばに差し掛かると 母はすぐに暖炉の用意をした。
ぱちぱちと良いにおいを漂わせ ゆらめく炎は子供の目にはたいそう魅惑的だった。
「 いきなり、そんな太い薪をくべてはいけない。 」
寡黙なその巨躯の持ち主は いつもおだやかな目をしていた。
「 細い枝をまず火付け用に集める。 ・・・ああ、最初はコレだ、この香木。 」
「 こうぼくってなあに? あ・・・・いいにおい! 」
「 これは。 精霊へのささげもの。 この家を、お前とおかあさんを護る精霊への感謝のしるしだ。 」
「 ふうん? このおうちには 精霊がいるの? 」
「 ああ。 ここには。 とてもとても強い精霊がいる。 」
「 うん、きっとあのヒトだね! よくね、おかあさんの傍にいるんだ、茶色い髪のやさしい笑顔のヒト。 」
目をまんまるにして 問いかける僕のアタマにその人は黙ってその大きな温かい掌を当てた。
茶色の髪の 茶色の瞳の そのヒトは。
− あ。 また、あのヒトがいる・・・ とっても やさしく笑うんだね・・・・
たいてい そのヒトは母の傍らに佇んでいた。
僕はごく自然にその存在を受け入れ、 なぜか 母に問う事はなかった。
たまに僕が熱を出して寝込んだりすると、そのヒトは必ずいつのまにか僕のベッド・サイドにいてくれた。
「 ・・・・おかあさん・・・ お喉が痛い・・・・ 」
− 大丈夫。 男の子だものな、今夜ゆっくり眠れば 明日には元気になってるさ!
「 ・・・・うん・・・・。 」
− おかあさんに心配かけちゃいけないよ。 ほら、手をかして ・・?
「 ・・・うん・・・・・。 」
不思議に ひんやりした気がするその手に包まれて 僕は安心して眠り、翌朝には元気になっていた!
そろそろ雪の気配がただよい始めると 彼はやって来た。
「 いらっしゃい。 ちゃんとピアノは調律してあるわ。」
「 すまんな・・・・。 」
冬空を映す淡い目の色を いっそう薄くしてその人は 母を見詰めていた。
「 そら・・・・。 耳を澄ませてよく聞いてごらん・・・ なにが聞こえる? 」
「 ・・・・ん・・? 」
銀の髪をゆらせて その人は僕とピアノの前に並んで目を瞑る。
「 ・・・・木々の葉擦れ、 橡の実がはぜる音、 風が裏の森を駆け抜けてゆく足音・・・・ 」
「 うん・・・ すごいね みんなで歌ってるみたいだ! あ・・・誰かが 僕を呼んでる・・? 」
「 みんなが お前を呼んでいるんだ。 一緒に音を奏でよう、歌おう、ってね ほら。」
触れるととても固いけれど 不思議としなやかなその指でその人は まろやかな音を紡ぎ出す。
「 おかあさんを しっかり助けるんだぞ? お前はおかあさんの<騎士−ナイト−>なんだから。 」
「 ちゃんと、お手伝いしてるよ! 僕ね、薪も運べるようになったんだ。 あのヒトと一緒にね 」
「 ・・・あのヒト・・・? 」
「 あ・・・。 ヒ ・ ミ ・ ツ、 だった! ・・・でも、きっとあのヒトがおかあさんの <ナイト>
じゃないかな? いっつも傍にいるもの。 」
「 そうか・・・・。 そう、きっとそうなんだよ。 」
やっぱり手とおんなじように固い背中に でも僕は気持ちよく寄りかかっていた。
「 ほ−い。 みんな元気アルか? 」
雪も深くなる季節、僕たちの<サン・ニコラス>がやって来る!
まんまるの身体に 山のような美味しいプレゼントを担いで にこにこの赤ら顔をして。
「 わぁ〜〜〜! おいしいな〜、僕、これ大好き! 」
「 ・・・・・ これは。 ウン、 大好物だった、からネ・・・ 」
「 あら? わたしもよ、知らなかったの、大人? 」
悪戯っぽく笑う母のわきで 太っちょの彼はそっと目頭をぬぐっていた。
「 ね、 みんなで食べると もっと美味しいよって! 」
「 ほう、坊主、偉いコトを知ってるじゃあないか? すべからく、談笑は臓腑の働きを助けるのだ。 」
いっしょにやって来るもうひとりの<サン・ニコラス>は つるつるの頭をふりたててムズカシイことを言う。
「 ? う・・・んと。 だってね 一緒に食べようねってあのヒトがいつも言うよ? 」
「 ・・・・・ 坊主のところにも、 いたずら子鬼がやってくるのかな。 」
「 ふふふ・・・。 子供にはなんでもが 友達のようよ? 影法師とかもね。 」
母はちょっと肩をすくめて ふたりの<サン・ニコラス>たちと笑みをかわしていたけれど。
− かげぼうし、なんかじゃないよ。 ずっと一緒だもの、うんとちいさな頃から。
僕は大好きな蒸しぱんをほお張りながら、 おとな達の会話に聞き耳をたてていた。
春も 夏も 秋も 冬も。
穏やかで やさしい日々が母と僕のかたわらを ゆっくりと過ぎていった。
母は いつも微笑みを浮かべ いきいきと瞳を輝かせていた。
そんな 母の涙をみたのは。 憶えている限りでは たったの二回。
いつものように 二人で屋根にのぼり 夜空をみあげていた。 その夜は格別に空気が澄んでいたのか、
ひときわはっきりと 大きな流れ星が空を横切ってゆくのが 眺められた。
− ふいに。
きゅっ・・・・と すこし冷たい母の手が 僕の手をにぎった。
「 ・・・・ いつも ここに いるよ って・・・言って・・・・」
それきり 口を噤み 母はひっそりと涙をながし続けた。
「 ・・・・ ( おかあさん ) ・・・・・ 」
僕は く・・・・・っと コトバを呑み込んで。 その白い手をしっかりと握り返した。
「 − いい子でいられるわね? ジャン伯父さまの言う事をよくきくのよ。 」
「 うん・・・・」
笑顔をつくっても その蒼い瞳からは涙がつぎつぎに溢れ頬を伝っていた。
「 もういちど。 おかあさんって 呼んで・・・ 」
「 ・・・・・ おかあさん ・・・・・ 」
母は 黙って僕をきゅうっと抱きしめた。
「 愛しているわ・・・・ いつもいつも どこにいても いつまでも ・・・・ あなたを 愛しているわ! 」
学齢に達するころ、 僕は母の手許を離れ伯父夫婦の養子となった。
小学校からリセへ、そしてバカロレアを経てパリ大学へ。
そんなめまぐるしい、しかし おおいに楽しい年月を過ごすうちに いつしか母との、そしてあの夢みるような
田舎家での日々は 次第に思い出の中に沈んでいった。
「 ・・・やはり、な。 親父の血、か。 」
在学中に日本へ留学したい、と申し出た時、ジャン伯父は ぽつりと呟きふいっと視線をそらせた。
「 これを。 お前の両親だ、これ一枚だけだ。 持っておゆき。 」
「 僕の・・・両親・・・? 」
鬢に白いものが目立ちはじめた伯父が 差し出した一葉の写真。
それは 端がぼろぼろになり、変色しはじめていたけれど。
その古い 画像には。
− このヒト。 あのヒトだ、 あの 森陰の家にいた・・・! いつも おかあさんの傍にいた、 あのヒト!
母と寄り添い やわらかく笑っている茶色の瞳の青年を 僕は食い入るように見詰め続けた。
留学中に知り合った黒い瞳の乙女と結婚し、僕はこの国に住むことになった。
ある夏、避暑をかねて地方の街に出かけ 僕らは ふらりと夏祭りの見物にいったのだ。
「 どう? 日本の田舎もなかなか情緒があるでしょう?
「 うん・・・。 お祭りっていっても。 なんだか もの哀しいね。 賑やかにしていていも淋しさが漂うよ。」
僕たちは 華やかな祭りのにぎわいを遠目にして、ここちよい夜風を楽しんだ。
人々の喧噪のなかにも ひとすじ流れる透明な、この静けさはなんだろう。
ほの暗い辻々には ちいさな火が焚かれ、 また灯火を持ってあるく人々もいる。
「 そうね。 ・・・・今日はお盆のさいごの日だし。 みんなで 仏さまたちを見送るの。 」
「 仏さまを? 」
「 お盆にね、三日間こちらにいらした仏さま、そう、亡くなった方たちの魂が 今日、お還りになるのよ。
それを 送り火を焚いてお送りするの。 」
「 ・・・・それでか。 わかれのともし火なんだね。 」
賑わいをさけてのんびりと歩むうちに 僕たちはいつしか暗いながれのほとりにでた。
川面には いくつかの灯火がゆらゆらと流れていた。
かさっ・・・・・。
だれか、またひとり 灯籠をささげて岸辺におりてゆく。
まだ 若い女性がそっと手にしていたその小船をながれに放つ。
ぽう・・・っと ちいさな炎がいっしゅん、華やかに燃えあがり、あたりを照らしだした。
− おかあさん ・・・・ !
流れてゆく 小船をひっそりと見守るその姿は。
白い頬に亜麻色の髪が やわらかくその影を落としている。
伏せた濃いまつ毛の 奥には。 どんな晴れた空よりも澄んだ瞳が輝いているのを 僕はしっている。
あの、森陰の家で過ごしたころと 少しも変わってはいない ・・・・ 僕の ・・・ おかあさん。
− そんな バカな。 そんなことは 有り得ない ・・・! ・・・・でも。
「 ・・・ どうしたの ・・・? 」
妻がそっと 腕をからめて来た。
「 − いや・・・・。 ただ、 ・・・ きれいだなあって・・・・思って。 」
「 え、まあ、ほんとうね。 火影が水面に写ってゆらゆらゆれて・・・帰ってゆく魂が 手を振っているみたい 」
− おくり火、 か。
僕は 息をひそめ 川辺にたたずむその懐かしい、華奢なすがたに じっと見入っていた。
やがて。
精霊舟はすうっ・・・と流れにのって夜の中にとけこんで行った。
あの流れは。
空へ 天へ 星々のかなたへ 船をはこんでゆくのだろう。
おかあさん。 貴女と あなたの愛した人の 人生を ゆらめく炎にゆだねて・・・・・・・
***** Fin. *****
Last update : 8, 9, 2003. index
***** 後書き by ばちるど *****
平ゼロ・ベ−スで<第一世代設定>無視、というご都合主義設定で申し訳ありません。<(_ _)>
旧盆の頃のちょっと暑さも峠を越えかけた夜、そんな中での送り火はいつも切なくゆれています。