『 にんぎょの涙 ― (2) ― 』
***** 往生際の悪い言い訳 *****
度々申しますが。
ジョー君の <仕事場風景> の滅茶苦茶ぶりにつきましては
どうかどうか 寛大にもお目を瞑ってくださいませ<(_ _)>
カタン −−−
小さな音をたてただけで南側一面に取った窓は左右一杯に開いた。
すう ・・・っと 吹き込んだ風が昨夜来のよどんだ空気を追い出してくれる。
酒の 食べ物の 香水の ― 一夜を過した 匂いも ・・・ なにもかも全て・・・
昼に近い時間になってもこの高台にあるフラットには爽やかな風が 吹き抜けるのだ。
この風が この空気が 気に入って ジョーはこのフラットを借りた。
作りつけの家具以外ほとんど何も置いてない部屋だが、 彼にはその素っ気無さが心地よかった。
何もいらない 何も残したくない ・・・・
それは彼の生き方のそのものなのかもしれない。
・・・ ふう ・・・ ああ ・・・ やっとアタマがすっきりしたかな・・・
素肌にガウンをひっかけ、何回か深呼吸し すこしはさっぱりした気分になってから、
外の風景とはうらはらに雑然とした室内を ちらり、と振り返る。
高級リネンが折り重なる大きなベッドには すでに人影はない。
ジョーはのろのろと窓辺からもどり、シーツを引き剥がしたが 枕まで転げ落ちた。
拾いあげれば ピンで留めたメモが目にはいる。
― 冷たい王子サマへ love M
「 ・・・ うん? ふん・・・ 」
ちらり、と目を通し 口紅に痕もそのまま握りつぶした。
M・・・? なんという名だったかな どうでもいいが。
・・・冷たいわね、か。 ふん、どっちもどっちってことさ・・・・
放り投げたメモは ゴミ箱の外に飛び出して転がってしまった。
勿論 そんなコトに彼は目もくれず気にも留めてはいない。
やっと 余計な匂い の消えた室内を気だるげに眺めていたが、隅に引き出したスーツ・ケースに目が止まる。
ああ ・・・ 今日中には準備しなくちゃな。
・・・ 日本GP か・・・ ダメだって言っておいたのに
ちくしょう ・・・ 今は 帰りたくないんだ・・・!
ふうう −−−−
特大の溜息が またまた風に飛ばされてゆく。
風はついでに彼のセピアの髪を掻きまわし くせッ毛はますます四方八方に跳ね上がる。
目にかかる前髪をばさり、と片手でかきあげ、空いている手を伸ばしてベッド脇のチェストをあけた。
一番上の引き出しの奥から ジョーはそっと一枚のフレームを取り出す。
なんの変哲もない、ありふれた金属のフレームにごく普通の写真が収められている。
何気ない素人スナップなのだろう、被写体の人物はとても自然な表情をしていた。
お早う ・・・ なんていったら叱られちゃう時間かな。
・・・ きみ とならずっと・・・ 一日中だって ベッドの中だったかもしれない・・・
見つめる写真の中で 亜麻色の髪の乙女が微笑んでいる。
・・・ この温かい微笑から 随分と遠い処に来てしまった、と思う。
彼の目にも うっすらと笑みの陰が浮かんできていた。
本当はさ。 ・・・ 会いたい。 きみの微笑みが見たい、 きみの側にいたい。
きみを 抱き締めたい・・・!
ふうう −−−−
もう一度 身体の奥底から澱んでいる想いを吐き出す。
でも。 ぼくは。 ぼくは ・・・ きみの笑みを失いたくないんだ・・・!
ばさり、とシーツを床に投げ出すとジョーはそのままバスルームに消えた。
「 すまないねえ〜 シマムラ君〜〜 本当に恩に着るよ! 」
ぱん・・・!と柏手 ( かしわで ) を打ち、その男性は頭を下げた。
「 ・・・ヤマダさん。 よしてくださいよ。 ・・・ほら、皆びっくりしていますよ。 」
「 え、あ・・・うん。 いやァ ここは日系のオフィスだもの、あのコ達は見慣れて・・・ないか。 」
ヤマダ、と呼ばれた中年の男性は 少々気弱に笑ったが、すぐににんまりと、表情を変えた。
「 ともかく! ハリケーン・ジョーが控えてくれれば 万全だ、 うん! 」
「 ・・・ 今度だけですから。 ぼくとしては次のモナコGPに絞りたいんです。 」
「 いや〜〜 本当にすまない! ・・・ 君って日本GPのコースは性に合わないか。 」
「 そういうわけじゃないですけど。 ・・・ それじゃ。 」
「 あ、ああ・・・ 宜しく頼む。 後の委細はこちらに任せてくれ。
細かい日程は今日中にでも メールさせるから確認をたのむ。 」
「 ― 了解です。 ・・・ それじゃ・・・ 」
「 あ、おい〜 たまには一杯・・・って もういっちまったか・・・ 」
ヤマダの目の前で オフィスのドアがゆらり、と揺れて ― 閉まった。
「 あれ? ジョーさん、もうお帰りですかァ〜 」
「 ・・・ うん? ああ・・・ もうアイツの無愛想さはしょうもないなあ・・・相変わらず用件のみ、さ。 」
「 あらあ〜〜 そのクールさがいいんじゃないですかァ〜〜 」
「 そんなもんかね? ま、ウチのチームとしては彼の人気は大歓迎なんだけど。
以前は突発的に姿をくらましたりしたらしいがな。 」
「 あ〜 知ってますゥ〜 なんか、どこかへ行って怪我してたらしいんですって。
けっこう長いあいだ療養してたって。 」
「 ほう? よく知ってるなあ。 ま、過去は過去。 今さえよければ文句なし、さ。
う〜ん やっぱりもうちょっとお愛想してくれれば ・・ファンの集い、とかもっと儲かるのにな。 」
「 ヤマダさ〜ん ファンの集い、いつやります? あ、向こうでもやりますよね。 」
「 ああ! ヤツはまだ決まった彼女も居ないし・・・ こりゃいい、ウケるぞ〜〜 」
ヤマダは俄然、張り切ってなにやらカタカタメールを打ち始めた。
「 ふ〜ん・・だ! だからオッサンはイヤなのよねえ〜〜 」
「 そうそう! ハリケーン・ジョーのナイーヴさを全然理解してないもんね! 」
「 ってか 想像もできないんじゃないの? ・・・ねえ、彼女っているんでしょ。 」
「 ハリケーン・ジョーに? う〜ん なんかはっきりしてないらしいよ。
日本にもウチがあって そこにカノジョがいる、とかいない、とか・・・ 」
「 へえ・・・ ますますそそられる〜〜 ゥ! 」
若い女性スタッフたちは お喋りに夢中になっていた。
地中海沿いの瀟洒な王国にも 夏の訪れを告げる風が吹き初めた。
「 ・・・ ここよ。 」
「 ・・・・・・・ 」
低く流れる音楽のむこう側で レェスの手袋が軽く合図をしている。
ジョーはテーブルの間をぬけて、一番奥の席に向かった。
こじんまりしたカフェだが、 テーブルも椅子も。 周囲のインテリアも ― 全てが高価なものらしいのは
誰の目にも明らかだった。
毛足の長い絨毯には 異国の幾何学模様が織り込まれている。
ゆったりと置かれたテーブルで 優雅にカップを傾けている人々の身なりも同様だ。
抑えた灯りに 貴金属があちこちで硬質の煌きを誇示している。
テーブルに待つ人も 透明な強い光を耳元に、首に、そして指に纏っていた。
「 ・・・ 遅かったのね。 打ち合わせが長引いたの。 」
「 すみません。 」
「 ・・・ なあに、その返事。 相変わらず無愛想ねえ・・・ 」
「 ・・・・・・・ 」
差し向かいの席につき、ジョーは凝った身なりのマダムにぺこり、とアタマを下げた。
す・・・っと足音を立てずにウェイターが寄って来て軽く会釈をする。
「 ああ・・・ ブラックで。 」
「 あら。 ここなら ワインもシャンパンでも大丈夫よ? ドン・ペリでも持ってこさせましょう。 」
「 いえ・・・ コーヒーで結構です。 」
「 ・・・ そう? ・・・それなら わたくしには カフェ・ロワイヤルを。 」
「 かしこまりました ― 」
「 ・・・ どうしたの。 随分とお行儀がいいのね。 」
「 そろそろ調整しないとマズいので。 明日、発ちます。 」
「 まあ。 次のレースまでしばらく休養って言ってたじゃないの。
ヴァカンス前に クルージングに付き合う約束でしょう? クルーザー、特注したのよ。
あなた、なんでも操縦できるから。 ・・・ ほら、 これがキィ。 」
しゃりん、と大振りなキィが テーブルに置かれた。
キィ・ホルダーには ジョーのイニシャルを掘り込んだ銀のプレートが付いている。
「 すみません。 」
「 また すみません、なの? ・・・ 今日はご機嫌斜めなのねえ。 」
「 そんなこと、ないです。 急な仕事が回ってきたからちょっとナーバスになっているだけです。 」
「 ・・・ お仕事なら仕方ないけれど。 じゃァ 今日はすこし郊外までドライブしないこと?
ウチの別荘の一つがあるの。 季節前だけど開けさせるわ。 」
「 すみません ・・・ 準備をしないといけないので、遠出は・・・」
「 ・・・ もう・・・ 愛想のないヒトねえ。 お仕事には勝てないのかしら、このわたくしでも。 」
「 すみません。 急な依頼で断れなかったのです ・・・ 日本GPですが。 」
「 日本 ・・・? ・・・ああ、そうなの。 あなたでもやはり故郷は特別なのかしら。 」
「 そんなことはありません。 ・・・ ぼくは ぼくには 故郷なんか ないです。」
カチン ・・・ 微かな音と共に二人の前に茶器が置かれた。
凝った模様のカップから それぞれいい香りが立ち昇る −
女性の深い緑の瞳がじっと向かいの青年の顔を覗き込む。
「 ・・・ ジョーったら・・・ わたくしよりもクルマがいいの? ねえ ・・・だめ? 」
白い指がす・・・っとジョーの手の甲に触れ彼の指を一本づつ撫でてゆく。
ねっとりと絡みつく感触に、一瞬、彼は眉根を寄せたがしっかりと向かいの女性を見つめた。
「 ・・・・・・・ 」
「 ああ・・・ もうこの街にはアナタを引きとめるものはないのかしら。
わたくし も その辺りにうろうろしてる小娘達と同類? 」
「 ・・・・・・・ 」
ジョーは黙って頭を下げた。
仕方のないヒト・・・
女性は大きな宝石を煌かせた指で ちょん、と青年の頬を撫でた。
「 あなた。 鳶色の瞳をした迷子の仔犬さん・・・・ 早くお家にお帰りなさいね。 」
送らなくて結構よ、と言い捨てると彼女はゆったりと立ち上がった。
「 サヨナラ。 楽しかったわ。 」
くい、とジョーの頤に指をかけ上向かせ ― 不意に彼の唇にキスを落とす。
そして
高価な香水を香りと漂わせ、 彼女は出ていった。
テーブルに残った青年は ゆっくりとコーヒーを飲み干してから悠然と店を出ていった。
・・・ これでココに残すものもなくなったな。
あの時、地下帝国から 宇宙まで行ってしまった。
そして 半死半生でなんとか生還したのち、仲間達はまた各々の道を歩み始めた。
ジョーも完全に回復したのち、彼自身の 道 を選んだ。
彼はモーター・スポーツの世界に戻る、と決めてから、あの海辺の邸を離れた。
仕事柄、世界中を巡らなければならず、海外での調整も多いので仕方なかったのだ。
最初は それだけが理由だった ― はずだ。
ただでさえ口の重いジョーのこと、 < 引っ越し >を切り出すのはかなり勇気のいることだった。
「 ・・・え? 引っ越すって。 いつ、どこへ・・? 」
「 うん ・・・ これから決めるんだ。 」
大きな青いひとみが 精一杯に見開かれじわじわと透明なモノが湧き上がってくる・・・
「 だって、どこへ? どうして・・・? 」
「 あ〜 うん、何て言えばいいのかな世界中へってとこかなあ。 」
「 世界中・・・? あちこちに住むの? 」
「 そんなカンジかな。 あの・・・ぼくの仕事はさ 」
「 ジョー・・・! ここが、このお家が ・・・ イヤなの? わたし ・・・達と住むの、イヤ? 」
「 え・・・ そ、そんなことじゃないよ! あのさ、ぼく達の仕事ってわからないと思うけど・・・
世界各地を転戦してゆくんだ。 そりゃ・・・始めはテスト・ドライバーやら 控えだけど。
現地での調整とかもあって・・・ その地にずっと滞在するんだよ。 」
「 ・・・ そうなの・・・・? 」
「 うん。 だからね、そうそうここの家に、というより日本には帰ってこれないんだ。
う〜ん??? あ、そうだ。 長期海外出張、って思ってみてくれるかな。 」
「 ・・・しゅっちょう・・・? 」
「 あ、ますます解らないかあ・・・ ははは、いいさ、いいさ。
ちゃんとオフにはどんなに短くても ココに、 この家に帰ってくるから、さ。 」
「 ・・・ ほんとう・・・? 」
「 ああ。 帰ってくるよ、ちゃんと。 ・・・ きみの元に。 」
「 ・・・ 約束、して。 」
「 うん ・・・・ んんん ・・・ 誓いのキス・・・ 」
「 ・・・ はァ・・・ ジョーったら・・・ 」
以来、彼はオフになると大急ぎで この海辺の崖っぷちの洋館に帰ってきていた。
そして ― 彼女は微笑んで 待っていた。
長い不在の後、つかの間愛しあう時間はそれだけ濃密で 二人だけの時間を満喫していた。
・・・ しかし。
ある夜。 やっと愛しい身体を離したとき 彼女は全身の想いを籠めた瞳で彼を見上げた。
離れたばかりの身体から細い腕がするりと再び彼に絡み、縋りついてきた。
「 ・・・ ジョー ・・・ 今度いつ ・・・ 帰ってきてくれる・・? 」
「 ・・・ あ ・・・・うん。 」
ジョーは言葉を濁し もう一回彼女にそっと口付けをした。
「 素敵だ・・・・! きみは・・・ 」
「 ・・・ ジョー ・・・ 」
彼はそのまま やんわりと彼女の身体に腕を回すと 亜麻色の髪に顔を埋めた。
「 ・・・ おやすみ ・・・ 」
「 ・・・ え ・・・ ええ ・・・ オヤスミなさい・・・ 」
目尻に涙粒を残したまま、じきに彼女は 穏やかな寝息をたて始めた ・・・・
安心しきった顔は 幼女にも見え愛らしい。
― しかし ジョーは まじまじと天井を見つめたままだった。
同じだ・・・! あの眼、だ・・・ あの顔。だ・・・!
あの時 ・・・ ぼくが やっと目覚めた あの時、 と・・・
見慣れたはずの天井が ぼやけて遠ざかる。
とっくに心の奥の奥に仕舞いこんだはずの光景が ゆらゆらと顕わになってきた。
ああ・・・ もう過ぎてしまったことだと思っていたのに・・・!
・・・ やっぱり ぼくは ・・・ 彼女には 毒 ・・?
ジョーは呻く ― 声よりも低く溜息よりも密かに 怒りよりも重く。
そう ― あの時。 星となって地上に落ちた ・・・のち。
ながい長い眠りから やっと眼あけた時 ・・・ 徐々にはっきりして来る視界の中で
ジョーの目が一番初めにしっかりと捕えたのは 彼女の顔だった。
「 ・・・ あ ・・・・ 」
意識がクリアになるのにつれて おそろしく重苦しい感覚がどっと襲いかかってきた。
首をほんの少し 動かすのも容易なことではなかった。 全身、首まで岩に埋もれたみたいだった。
辛うじて眼だけが 彼の意志に従ってくれたのだ。
・・・ ああ ・・・ 側にいて ・・・ くれたんだ・・・
フラン ・・・ ぼくは やっと ・・・ きみの許に・・・ 帰ってきた・・・
あの 真冬の晴れた空よりも 真夏の朝の海よりも きっかりと輝いていた彼女の瞳・・・
ジョーの眼はあの煌きを捜して そろそろと眼を動かし始めた。
・・・ ? ・・・ フラン ・・・ ??? き み なのか・・・ 本当に・・?
彼がやっと捕えたのは。 彼の眼がようやく見つけたのは ― 涙に濡れくぐもった瞳だった。
どんな時でも どんな状況でも たとえ涙が溢れていても。
― かっきりと見開き前を見つめていた あの青い瞳 ではなかった。
「 ・・・ やあ ・・・ 」
彼は全身のエネルギーを振り絞り声帯を作動させ 一言だけ発する。
「 ・・・ おかえりなさい 」
彼女は 小さく応えてくれた ・・・ けれど。
・・・・!? ・・・ この声・・・? この表情 ・・・
フラン ・・・ どうしたんだ ・・・ ?
ぼろぼろと涙をこぼし、それでも一生懸命の笑みを浮かべ彼女はジョーの頬に顔を寄せた。
ほんのりと 温かさが伝わってくる。
それはとても心地よい感覚だったけれど、ジョーのココロは衝撃を受けていた。
ウソだ・・! 彼女は こんな ・・・ こんな頼りない・縋りつくみたいな ・・・ 表情はしない!
こんな ・・ こんな顔は フランソワーズじゃない。
・・・ ! ・・・ もしかして ぼく、のせいなのか・・・!?
再びゆっくりと靄がかかってきた意識の中で ジョーは必死に否定していた。
唇を噛み 首を大きく振り 拳を固め ・・・ そんな気持ちだけが彼の中で荒れ狂う。
こんな顔 ・・・フランじゃない。
こんな表情を 二度とさせたくない・・・ させてはいけないんだ!
眠りに底に落ち込みつつも ジョーははっきりと決心していた。
ぼくが側にいたら ・・・ 彼女は・・・! ぼくは彼女を不幸にする・・・!
ぼくが 彼女を ダメにしてしまう・・・
・・・ ぼくは。 彼女の側にいてはいけないんだ・・・
ゆっくりと そして確実に ― ジョーが回復して行くにつれて、彼女の表情もどんどん明るくなった。
甲斐甲斐しく身の回りの世話をし、忙しくしていたがその顔は笑みにあふれ輝いていた。
どんな時にでも しっきりと前を見つめることのできる瞳 ―
彼女の青い瞳には 再びあの輝きが、宿り始めていた。
「 もう大丈夫だから、さ。 自分でできるよ。 」
「 あら・・・ だめよ。 無理をしてはいけないって博士が何度も仰ったでしょう?
怪我人はね 大人しくしているものよ。 」
二人は朝に 晩に ギルモア邸付近の海岸を散歩した。
はじめ ジョーはほんの僅かな距離にも手古摺っていたけれど、次第に足取りはしっかりとしてきていた。
そんな彼の側で 彼女の微笑みは日に日に明るく、朗かになってゆく ・・・
「 だからさ ・・・ その怪我はもう治ったってば。 」
「 だめだめ。 そう思い込んでいるだけよ。 博士からお許しがでるまでちゃんと療養してちょうだい。 」
「 そんな過保護にするなよ〜 身体が鈍っちゃうぜ。 」
「 だから。 来月の最終チェックでオッケーが出るまでの辛抱よ。 本当にもう・・・駄々っ子ねえ 」
うん・・・ そうさ。 これが ・・・ この笑顔とこの瞳こそが きみ なんだ。
フランソワーズ、 ごめん ・・・ やっと本当にきみに戻ってくれたんだね・・・!
ジョーは身体の芯から温かく熱い気持ちが湧き上がってくるのをしっかりと感じとっていた。
そう、 この彼女の微笑みを 護るのだ・・・!
「 なんだよ、もう〜〜 姉さんぶってさ。 ふん、自分の身体は自分が一番よく判るんだ。
ぼくはもう 元気だ。 ・・・ 証拠を見せようか。 」
「 そんなこと、言っている間はダメよ。 さあ、そろそろ帰りましょう・・・風が冷たくなるわ。 」
「 ・・・ こっちに来いよ。 きみの方が寒そうだ。 」
「 うん・・・ ありがとう、ジョー・・・ あ ・・・ 」
すとん・・・と彼女の手を引くと ジョーはそのまま彼女の身体を引き寄せ抱き上げた。
「 ぼくが本当に元気かどうか。 ・・・ きみに診てもらうよ。 じっくりと、ね。 」
「 ・・・ジョー ! 無茶をしてはダメよ。 」
「 ふふふ・・・無茶かどうか確かめてみよう。 ああ、あっちの岩陰がいいかな。
・・・ おいで。 」
「 ・・・ ジョー ・・・ ジョー ・・・・ 」
フランソワーズの細い腕がしっかりと彼の身体に巻きついた。
久し振りで顔を埋めた広い胸からは 彼の匂いが発ちのぼる。
・・・ 懐かしいその香りをいっぱいに吸い込みほんの少しだけ混じる薬臭さに
彼女は一抹の不安を感じていた。
「 ・・・ ジョー。 本当に 大丈夫・・・? 」
「 ・・・ 言ったな・・ ふん、よォし・・・! 」
何気ない一言が 彼の男性に火を点けた ― らしい。
彼女を抱いたまま ジョーはずんずん岩陰へ歩いて行った。
「 ・・・ もう ・・・ 本当に無茶なヒト・・・ 」
「 うん ・・・ ? ごめん、背中とか当たっただろ。 ごめんな。 」
「 ううん ・・・ ジョーったら ・・・ あなたってヒトは本当に ・・・ 」
「 本当に ・・・ なに? え、言ってごらん・・・? お嬢さん。 」
「 ・・・ 意地悪・・・! 」
「 ああ、ぼくは 駄々ッ子の悪い子・ジョーだからね。 でも 安心した。 」
「 ・・・ そうよね、 もうちゃ〜んと全快だわ。 こんな無茶が平気で出来るのですもの。 」
フランソワーズは ゆっくりと身体を起こした。
ジョーは下に敷いていたジャケットやらシャツを その円やかな肩に羽織らせる。
「 ちがうよ。 いや、勿論それもあるけど。 きみが、さ。 きみの笑顔と瞳に安心したんだ。 」
「 ・・・ わたしの? 」
「 うん。 いつものフランだ。 ずっと・・・ぼくに勇気とエネルギーをくれてた、あの眼だもの。
もう 安心だよ。 これでぼくは <全快しました> って言える。 」
「 ?? なんだか可笑しな理屈ねえ。 でも ・・・ジョーがそう言うのなら ・・・それでいいわ。 」
「 ― うん。 ― ただいま。 」
「 え? 」
「 今度こそちゃんと 言える。 やっと ・・・ ぼくはきみの元に帰ってきたんだ。 」
「 ・・・ ジョー。 ― お帰りなさい。 」
青い瞳には 涙が溢れていたけれど、 その輝きは少しも曇ることもなく。 かっきりと彼を見つめていた。
― ありがとう ・・・! フランソワーズ。
ジョーはその瞳にチカラを貰い、 新たなる一歩を踏み出したのだった。
遠く離れていても 彼は彼女の微笑みを、青い瞳の輝きを胸に秘め <闘った>。
久々に舞い戻ったスピードの世界は 以前とはかなり様相が違っていたが、
ジョーはすこしづつ すこしづつ 這い上がってゆき頭角を現し ― 人々の目を惹くようになっていった。
「 ・・・ また キャンセルなの・・・ 」
ふうう −−−−−
PCの前で 最近フランソワーズは溜息ついてばかりいた。
「 おや、どうしたね? ― ああ、 またジョーのやつ・・・? 」
「 博士。 ・・・ ええ、また、ですの。 次の休暇もこちらには帰れないそうですわ。 」
「 ふむ・・・ まあ、ヤツも忙しいのじゃろ。 仕事が順調な証拠じゃよ。 」
「 ええ ・・・ それは そうですけど。
最近 直にジョーに会うよりも こっちで見ることの方がずっと多くなって・・・ 」
フランソワーズは ソファに散らばった雑誌にチラリと眼をやった。
「 ああ、 なかなか人気モノじゃな。 ・・・・ なに、心配はいらんよ。
ヤツはな ― ヤツの 帰る場所 は お前のいるところ しかない。 」
「 ・・・ 博士・・・ そう、だといいのですが。 」
「 そうだとも。 さあさあ もうお休み。 明日もレッスンで早いのだろう? 」
「 はい・・・ もう 寝ますね。 お休みなさい ・・・ 」
もう一つだけ溜息を残し フランソワーズはしょんぼりと二階へ上がっていった。
― そんな日々が増えてきて。
でも だから。 なおさら やっと帰ってきてくれるのが嬉しくて・愛しくて。
久々の逢瀬に フランソワーズは身も心も ・・・ 熱く蕩ける想いだった。
これも、愛の形なのだ・・・ と思っていたのだが。
ある時を境に彼の足は次第に 崖っぷちの洋館から ― いや、 この国そのものから遠退きはじめ
それと共に 華やかで軽い女性達とのウワサが増えていった。
車関係の雑誌や 大手の新聞に始まり、 だんだんとゴシップ専門雑誌や スポーツ新聞にも載るようになった。
ジョーは地中海沿いの瀟洒な街にフラットを借り <一人住い> をしている、と風の便りで知った。
彼は いつの間にか 写真やテレビの向こう側のひと、になり、
フランソワーズは彼のことを口にすることは ほとんど無くなっていった。
「 博士! 行って来ます! 今日、リハーサルがあるので少し遅くなります。
お先にお休みください。 」
「 行っておいで。 ああ、そうか。 気をつけて・・・ そうじゃ 帰りはな、
ワシが迎えにゆくぞ、駅につく前に電話をしなさい。 」
「 あら 大丈夫ですわ。 最終のバスには間に合うように帰りますから・・・ 」
「 ・・・ そうか? いや・・・それならいいが。
若い娘には この近辺は暗すぎるじゃろう。 」
「 あら、博士ったら。 大丈夫・・・ わたし、強いんですもの。
いざとなったら ― 思いっきり蹴飛ばしちゃいますから。 」
「 ・・・ いや ・・・ なに。 アイツが留守の間はなにかと心配なのでな。
今度は いつ帰ると言っておったかい。 」
「 ・・・ さあ・・・? ゴシップ紙にでも出ているかもしれませんけど。
あ、いけない! バスの時間〜〜 ! 博士、イッテキマス! 」
ばたん!
玄関のドアを鳴らし 彼女は軽い足取りで邸の前の坂を駆け下りていった。
おやおや・・・ ヤツとはちゃんと連絡を取り合っておるのかな。
・・・ 余計なクチバシを挟む気はないが ・・・ 気にかかるのう・・・
レッスンに熱中しているのは結構じゃがなあ・・・
表面は穏やかに流れる<普通の日々> を 静かにすごしている彼女を ギルモア博士も
それとなく 気にしていた。
フランソワーズは微笑みを浮かべつつも、 もやもやしたこころを持て余し ― 溜息をついていた。
そんな頃、 イワンは <メッセージ> を伝え始めたのだ。
バサ・・・! バサリ・・・
大きく開いたスーツ・ケースの中に 衣類が続々と放りこまれてゆく。
皆 ぱりっと仕上がりクリーニング屋のタグがついたままだったけれど、ジョーは全く頓着していない。
チェストの中身をそっくり空ける勢いで 彼は乱雑に荷造りをしていた。
必要最低限のものを詰め込み終えると、 バタン! とケースを閉じた。
ほとんど何も置いていない室内を ぐるりと見渡す。
よし。 ・・・ ああ、 スケジュール、メールするって言ってたな。
ジョーは手荷物用のバッグから ノート・PCを引っ張り出した。
カタカタと がらんどうに近い寝室にキー操作の音だけがひびく。
「 ・・・ ふん。 ああ ・・・ 今回はあっちなのか。 ・・・ちょっと懐かしいな。 」
ほんの少し ジョーの目に笑みが浮かぶ。
それは最近の彼がまったく忘れていた表情だった。
「 ・・・ うん? 博士からかな。 」
メールBOXを閉じる間際に ジョーは見慣れたアドレスに眼を止めた。
「 ・・・ え。 来るって・・・ サーキットまで 来るつもりなのか・・・
本気かよ・・・?! ・・・ まいったな。 」
ジョーは知らずに声をあげ 眉間にシワを寄せた。
「 ・・・ 博士からの伝言? ・・・ しょうがないな・・・ パスを用意しておかないと。
いや、現地で待ち合わせは無理だよなあ・・・ 迎にゆくか・・・ 」
・・・ あれ・・・? なんだ・・・?
なだって ・・・ こんな気分になるんだ・・?
空港に向かう間際、 彼はじんわりと湧き上がってくる温かい気持ちに狼狽していた。
「 ・・・ あの ・・・ ジョー ・・・ あのゥ。 怒ってる・・・? 」
「 え? なんだってここに来た、こと。 ジョーってば ・・・ 来なくていいって言ってたでしょ。 」
「 ・・・ ああ・・・ いや。 わざわざありがとう。
ごちゃごちゃしてて埃っぽくて・・・びっくりしただろ。 こっち・・・この中なら少しは落ち着くから・・・ 」
チームごとのブースに彼女を案内し、奥の方にある席に座ってもらった。
「 あら・・・ なんだかコテージみたい・・・ 」
周りは圧倒的に男性が多く、みな同じデザインの作業着を着ていた。
ちょっと待ってて・・・ とジョーは出て行ったが すぐにドリンク・ボトルを持って戻ってきた。
「 ・・・ はい。 咽喉、乾いたろ? ここってすごく乾燥しているからね。 」
「 あ・・・ ありがとう! ねえ、これはなあに? お水? ・・・わ、冷たい! 」
ジョーの置いたボトルは水滴を全身につけて、容器自体も冷え冷えだった。
「 今、cooler box から出してきたから。 あ、水じゃなくて・・・ぼく専用の飲み物でさ・・・
う〜ん、スポーツ・ドリンクみたいなものかな。 」
「 まあ。 ジョー専用? ・・・ いいの?わたしが頂いてしまって・・・ 」
「 大丈夫、たくさん用意してあるから。 埃っぽいし、暑いからちゃんと水分、取ったほうがいいよ。 」
「 ええ ・・・ありがとう。 ・・・ あら、美味しい♪ 」
フランソワーズが思わず声をあげると それを契機にチームの人々が寄ってきた。
「 ジョー? 随分可愛らしい彼女じゃないか〜 紹介しろよ〜 」
「 お嬢さん・・・ あ、日本語じゃダメかあ? 」
「 うわ〜〜 キレイなヒトですねえ〜〜 ジョーさんってば〜 」
方々から ジョーに・・・と見せかけ、<彼女>に声がとんでくる。
「 ・・・ あ あの。 こんにちは。 はじめまして・・・ はい、日本語で大丈夫です・・・ 」
「 はい、あの・・・ フランソワーズ・アルヌール といいます。
ええ・・・日本に住んでます、もうずっと・・・ はい・・・ あの。 ― 家族と一緒に・・・ 」
一生懸命に答える < 彼女 > に、どんどん好意的な視線があつまってゆき、
同時に チームの仲間達のキビシイ目が < 彼氏 > に集中する。
― ジョー ?! ちゃんと フォローしろよッ !!
本番ともなれば あ・うんの呼吸で動くチーム・メンバーの大半からの無言の催促に
この朴念仁も やっと気がついたらしい。
「 ・・・ あ・・・うん。 あの・・・ 彼女、フランソワーズ・アルヌール ・・・さん だ。 」
「 それは! もうみ〜んな知ってるって! そ れ
で
? ジョー!!! 」
「 あ・・・ う、うん。 ぼくの ともだち。 」
「 それはワカッテル! 友人・・・ってもいろいろあってだな〜〜 」
「 ・・・ う ・・・あ! そ、そうだ! 彼女、し・・・仕事でさ、ちょっと話をしなくちゃならないんだ。
うん! そのためにわざわざ来てくれたし・・・ どこか・・? 」
「 ふ〜〜ん??? ・・・ じゃァ 裏のロッカー・ルームを使えよ。
今 誰もいないはずだから。 ― おい? 妙なこと、するなよ? 」
「 ・・・ ! あ、当たり前じゃないか・・・! ぼ、ぼくたちは別にそんな・・・ ! 」
「 ああ、ああ・わかったわかったから。 ほら・・・ 使え。
気掛かりなコトはすっきりさせとけ。 予選の二の舞はゴメンだぞ!
ちゃんとビデオ・チェック、しておけよ! 」
「 ・・・ あれがぼくの実力なんだ。 」
「 ジョー。 お前 ― 」
「 あのゥ・・・・ よかったら ちょっと・・・場所を貸していただけますか?
彼と仕事の話、もありますし。 本当にお邪魔してすみません。 」
フランソワーズはすっと立ち上がり、 日本風にアタアを下げた。
「 あ・・・ ど、どうも。 すみません、ちょっとこのニブチンをからかっただけですよ。
どうぞどうぞ! 使ってください。 」
一番年嵩の男性が アタマを掻きつつ、場所を示してくれた。
「 はい、 ありがとうございます。 それじゃ・・・ 」
「 ・・・ あ。 う、うん ちょっと・・・ すぐに戻るから・・・ ・・・いて! 」
どぎまぎしているジョーの背中を 何本もの腕が ばし! と叩いてゆく。
「 ・・・ て! ・・・あ、な、なんでもないんだ、 ほら、そっちだよ? 」
なあに? と振り向いた彼女に ジョーは慌てて駆け寄ると一緒にブースの裏手へと回った。
臨時のロッカー・ルームは それでもある程度の広さがあり窮屈ではなかった。
ジョーは真ん中のテーブルの脇に椅子を持ってきた。
「 ここ。 更衣室なのでしょう? 」
「 うん・・・・ 着替えたりちょっとした打ち合わせしたり。 ビデオを見たりもするんだ。 」
「 そうなの。 ふうん ・・・ 」
「 あの ・・・ ごめん! 皆で煩くして・・・ きみがあんまりキレイだからびっくりしちゃって。
皆 もう好き勝手、言ってくれちゃってさ。 」
「 そ、そんなにわたし・・・キレイじゃないわ・・・ でも紹介してくれて ありがとう! 」
「 え・・・ あ、 うん。 ぼくこそ ごめん・・・ 」
「 あら、なにが? 」
「 うん ・・・ あの、ともだち、 なんて言って。」
「 あら、お友達でしょう? ・・・ サイボーグの仲間、なんて言えないでしょ。 」
「 え・・・ああ。 まあそうだけど・・・ 」
「 あ、そうだわ! 忘れてた! あの・・・差し入れ、持ってきたの。 」
「 差し入れ? ああ、博士からの伝言だね。 」
「 それもあるけど・・・ はい、これ! これは わたしからの<伝言> よ。 」
フランソワーズは小さな包みをバッグから取り出し、 ジョーの前に置いた。
「 ??? なんだい。 」
包みの布には ジョーも見覚えがあった。 彼女のお気に入りのナプキンで、よくランチを包だりしていた。
「 あの・・・ ジョー、好きでしょ。 それに博士がね、この時期にはちょうどいいって・・・ 」
「 開けていいかい? 」
「 いいけど・・・ あ、ねえ、さっきあの・・・ちょっとオジサンっぽいヒトが
ちゃんとビデオをチェックしておけって言ってたでしょう? あれ・・・ 先にして? 」
「 オジサン・・・ ははは・・・ 彼はね、チームのメカニック・・・・う〜んと?車の整備チームのチーフなんだ。」
「 まあ そうなの? それなら なおさらよね。
わたし達もリハーサルのビデオを見るのって一番イヤだけど一番勉強になるのよ。 ね??
ああ、ここにはちゃんと モニター があるのね。 」
「 ・・・ うん ・・・ 」
ジョーはなぜか言葉濁し、 手元のビデオを弄くっているだけだ。
「 ほら。 普通にセットしていいのでしょう? あ・・・わたし、邪魔なら席を外すわ? 」
「 ・・・ いいよ。 一緒に見ろよ。 昨日の予選の時のヤツさ。
ふふん ・・・ やっとぎりぎりで通ったんだ。 」
「 ・・・ ジョーが? ・・・どうして? 」
「 あ ほら。 始まるよ。 煩いから、音量、絞るね。 」
ジョーは手を伸ばして音を最小にした。
「 ・・・・・・ 」
フランソワーズはかっきりと眼を見開き、小さなモニター画面の釘付けになっていた。
「 ・・・と、これで終わり。 つまらなかったろ? ごめんね。 」
ジョーはさっさと画面を落としてしまった。
フランソワーズは暗くなったモニターを見つめたままだ。
「 ・・・ あの、疲れちゃったかな。 」
「 ・・・ ジョー。 どうか してたの。 」
「 え・・・ なにが。 」
「 だって ちがうもの。 ・・・ これは ・・・ ちがうわ、 ジョーじゃない。 」
「 なんだって? 」
「 これ。 このビデオのジョー。 この顔 ― こんな顔、ジョーじゃないわ。
わたし、レースの様子って初めて見たけど。 これ・・・ このヒトは・・・
わたしの知っている 島村ジョー じゃない。 島村ジョーは こんな眼、じゃないもの。 」
「 ・・・ どういうことさ。 」
「 ジョー。 この時・・・ 本気だった? 」
「 ・・・ ! 」
「 わたし、レースのことは全然わからないわ。
でも。 ジョーのことは誰よりもよく知っているつもりよ。
― このジョーは ・・・ 生きてないわ。 」
す・・・っと青い瞳が 真正面からジョーを捕えた。
・・・ う ・・・!
ジョーの背筋に 強烈なショックが走る。
彼女の眼差しに一瞬、 彼はアタマの中まで真っ白になった。
そのインパクトが 一種の恐怖・驚愕なのか歓喜なのか ― 彼にはわからなかった。
ただただ、そのあまりな衝撃に 彼はたじろぎ固まっていた。
やっとなんとか身体をずらすと 彼は自嘲的につぶやいた。
「 ・・・いいのさ、別に。 ぼくは ― 生きている価値なんかないやつだもの。 」
「 なんですって? 」
「 ぼくの眼、と言ったね。 ぼくも思ったよ・・・きみの眼をみて。
すがり付いて泣くきみを きみの瞳をみて・・・ こんなのはフランソワーズじゃないって。
ぼくは ・・・ きみをダメにするやつなんだ。 ・・・ ぼくは恐い。
ぼくは ― きみを失うのが 恐いんだ・・・! 」
いくじなし ・・・ッ !
パン −−−−! と小さな音が響き ジョーの頬に鋭い痛みが走った。
「 ・・・な・・ なにを・・? 」
「 意気地なし! ジョー・・・だから 逃げるの? 本気でぶつからないの?
そんなの ・・・そんなの、わたしのジョーじゃないわ! 」
「 ・・・ わたしの ジョー ・・・ 」
「 そうよ。 わたしだって、恐くて。 ずっとずっと恐くて。 ジョーの本当の気持ち、聞くのが恐くて。
眼を逸らせていたわ。 でも・・・ それじゃ なんにも進まない。 」
「 ・・・ フランソワーズ ・・・ 」
「 恋の踊りも 大事なレースも。 闘う前から 負けるのは ・・・いや。
ジョー。 わたし、 あなたが ・・・去っても。 活き活きと <生きて> いれば、わたしも幸せよ。
・・・ 人魚姫も そう思って・・・海の泡になったんだわ。 」
「 ??? に、にんぎょ ひめ ?? 」
「 あ・・・ ごめんなさい、こっちのこと・・・。
ともかく! 逃げないで! ・・・ほら、 これ! 」
「 ・・・な、なんだ?? 」
フランソワーズは 先ほどの包みをジョーに押し付けるとロッカー・ルームから飛び出していった。
「 ・・・ あ ・・・ これ。 」
ジョーは包みを開けしばらく呆然と見つめていたが。 やがてその一つを取り上げるとがぶり、と頬張った。
「 ・・・ うわ・・・ 酸っぱ・・・・ ! ああ・・・効くぜ、最高の気付け薬だ・・! 」
ジョーは 梅干入りのお握りを 一人黙々と頬張っていた。
― そして その眼は。 ハリケーン・ジョー の眼差しだった。
≪ ハリケーン・ジョー 復活!! ダントツの一位! ≫
≪ 突如踊り出た伏兵! ジョー・シマムラ 優勝! ≫
≪ 予選は腕慣らし? 別人のレース運び ジョー、優勝 ≫
当日と翌日の新聞紙面は お堅い全国紙も大騒ぎだった。
モーター・スポーツに関心のない人々も ちらり、と嬉しそうな青年の顔に目を留めた。
さらに ゴシップ専門誌やらスポーツ新聞のその手の紙面には またまた大きな文字が躍った。
≪ ハリケーン・ジョー シャンパン・シャワーで婚約発表!!! ≫
≪ 日本GP勝者、リングの替わりに 熱いキス♪♪ ≫
≪ お相手はパリジェンヌ! ジョー・シマムラ 電撃婚約! ≫
大騒ぎのチーム・メイト達にもみくちゃになっている ・・・ 誰が誰だかよく判らない写真が
かえって人々の微笑を誘った。
指輪の用意もない、質素で突然の婚約発表に多くの女性ファンは感嘆の溜息をもらした・・・らしい。
そして 数日後 ―
≪ ハリケーン・ジョー 休息宣言か。 モナコGPは?? ≫
≪ 休息中? ハネムーン?? お熱い二人はどこへ ≫
あまり気のない見出しが 週刊誌の隅っこに載ったが注意を払うヒトはほとんどいなかった。
その頃 ―
とある宇宙基地から白い優雅な宇宙船 ( ふね ) が 星々の彼方へ飛び立っていった ―
******** 楽しい・裏話♪ ********
ここは ふぁんたりおん星です。
一人の青年を挟み、 美女がふたり見つめあっています。
「 ・・・ 009? こちらの方は・・? 」
「 タマラ。 彼女は 003。 ぼく達 サイボーグ戦士の仲間です。
003、こちらは タマラ。 この星の王女様だ。 」
「 ・・・ 初めまして ・・・ 003です。 」
「 タマラと申します。 」
異星の姫君は うす紫の裳裾を揺らし優雅に会釈をした。
「 タマラ。 ・・・ 彼女はぼく達の優秀なメンバーで ― ぼくの妻です。 」
「 ・・ ジョー ・・・ 」
「 ・・・ え ・・・ なんですって・・? 」
「 ぼくの、島村ジョーの妻です。 はっきりしておいた方がいいと思うから。 フランソワーズ? 」
「 ジョー ・・・ はい。 わたし、この人の妻として彼を支えて行きたいと願っています。
王女様にも 是非、そんなお方が現れることをお祈りしておりますわ。 」
「 ああ、そうだね。 二人で、いや、ぼく達皆で貴女の幸せを祈っていますよ。 」
「 ・・・ それは ・・・どうもありがとう。 ・・・失礼しますわ・・・ 」
姫君は 懸命に微笑み、くるりと踵を返した。
ふぁんたりおん星の空はそれはそれは見事な夕焼けに染まっていたのでした。
さて、 その後、この星と王女サマは滅茶苦茶な運命になりましたが、
009 が ☆にお願いしたので、めでたく復活したのでした。
・・・ めでたし ・ めでたし♪
********* 裏話 ・ おしまい *********
優美は曲線を描いた宇宙船 ( ふね ) が夕焼けの海にその羽根を休めていた。
ゆら ・・・ ゆら ゆら・・・
白い船体が波に遊んでいる ・・・・ あの船で星々の彼方に飛んだのだ・・・
ジョーとフランソワーズ は黙って海と船を眺めていた。
「 これから どうするんだい。 」
「 ・・・ ジョーは? 」
「 うん。 モナコGPさ。
ぼく達、随分長い間留守にしていたと思ったのだけど・・・なんだか地球上の時間はそんなに
経っていなかったらしいよ。 」
「 ・・・ ええ、そうみたいね。 ピュンマが驚いていたわ。 」
「 うん・・・ なあ、一緒に ・・・来ないか。 」
「 わたし。 わたしはね。 ― 日本で踊るの。
お友達の発表会で ― 『 ジゼル 』 と <にんぎょ姫>の王女さま なの。 」
「 そうかあ。 それじゃ、必ず観にゆくからな。 」
「 ありがとう! ジョー、次のレースも・・・! 」
「 ああ、 任せとけ! ・・・奥さん。 」
「 ジョー! 」
フランソワーズはぱっとジョーに飛びついた。
二人の足元で 夕暮れの海が揺れている。
ゆら ・・・ ゆら ゆら・・・・
茜色にそまった波間が きらり、と光る。
それは ・・・ 恋しいヒトの身代わりに海の泡と消えた にんぎょの娘 の涙なのかもしれない。
あのヒトにも。 幸せな日々が訪れていますように・・・
フランソワーズはジョーの腕の中で 小さく呟いた。
******************************* Fin.
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Last updated:
11,03,2009. back / index
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ひと言 *************
/ああ ・・・ やっと終わりました・・・・
ええ、 超銀の場面は アノ場面 しか出てきませ〜ん!
<超銀前夜> 99% + ただいま〜 の風景 なのでした。
ど〜しても出発前に しっかり絆を結ばせたくて・・・じたばたしてみました。
<そうだったらいいのにな〜> の気分で楽しんで頂ければ嬉しいです<(_
_)>
え〜 ・・・ F1GPって。 日本GP の次はモナコじゃないんですよね。
( 初めて知ったです〜〜 ) でもさ、 映画のラストにあわせないと・・・(^_^;)
いろいろ矛盾てんこ盛り〜〜ですが、 どうぞどうぞ 93らぶ・メインの話、と
寛大にもスルーしてくださいませ〜〜 <(_ _)>
ご感想の一言でも頂戴できましたら 幸せでございます <(_
_)>