『   にんぎょの涙   ― (1) ―   』  

 

 

 

 

 

******  はじめに  *****

こんなタイトルですが。

原作の あの人魚 とも この人魚 とも 無関係なお話です。

 

 

 

 

「 フランソワ−ズ ・・・・ ! 」

よく透る声が 賑やかにうしろから追いかけてきた。

「 ・・・ ユリエ。 なあに? 」

梅雨の晴れ間、 灰色の雲からこぼれ出た光は思ったよりもずっと強い。

フランソワ−ズは 振り返って目を眩しげに瞬かせた。

レッスン帰り、大きなバッグはずしり、と肩にかかる。 彼女は足元に下ろし、声の主を待った。

「 ・・・ああ、よかった・・・・ 追いついたわ・・・」

かなりの速さで駆けて来た女性は はあ〜〜っとおおきく息をついた。

「 なあに・・・そんなに急がなくてもちゃんと待っているわ? 」

「 ・・・ ウン・・・ そうなんだけど、・・・」

「 うふふ・・・。 ユリエはやっぱりセッカチね。 」

「 あは♪ ・・・たしかに、のんびり〜は性に合わないな・・・。 ねえ、フランソワ−ズ? 」

すう・・・っと深呼吸をひとつ。

ユリエ、と呼ばれた若い女性はにっこりフランソワ−ズに微笑みかけた。

「 <隣国のお姫様>やってくれない? 」

「 ・・・ はい??? 」

  ― ちかり、と六月の陽が亜麻色の髪に留った・・・

 

 

 

運命の巡り合せ、などという生易しい表現ではとうてい言い尽くせない激動の日々の果て、

二人の仲間達が 瀕死状態で宇宙から戻ってきた。

一時は回復どころか生存さえ覚束ない状態だったが ― なんとかこちらの岸に留まった。

「 ・・・ やあ ・・・ 」

愛しいひとは やっと目覚めたとき、ずっと側についていた彼女にただ一言つぶやいた。

「 ・・・ お帰りなさい 」

彼女も 当たり前の一言を返し 微笑を返した。

それで 充分だった ・・・

 

  今 ― 彼らも含め 仲間達は それぞれの道を歩き始めている。

 

世俗の日々に埋もれ、<にんげん>として生きる生活から 集まり再び赤い服をまとい。

地下に住む人々を知り ― ヤツラの野望をあばき、闘い・・・ 星になって流れた ・・・

そして 今 ・・・

そんな時間以前の暮らしに 彼らは静かに戻っていったのだ。

 

フランソワーズは相変わらず 崖っぷちにあるギルモア研究所に住んでいた。

博士とイワンと。  そして一月のうち、数えるほどしか <帰って>こない ジョーと・・・一緒に。

仲間達のほとんどは祖国に戻っていたし、博士も帰郷を勧めた。

「 はい・・・ ありがとうございます。  でも ご迷惑でなかったら。 ここに置いてください。 」

 ・・・ 待って いたいのです。  ― フランソワーズはほんのり頬を染め、そう言った。

「 ・・・ そうかの。 お前がそう望むのなら。 いや、ワシらの方が世話になるよ。 すまんなあ・・・ 」

「 あら、そんなこと、仰らないでください。 わたし ― ここが好きなんです。 」

「 そうか・・・  うん・・・ 静かに暮らしてゆければ いいのう。 」

「 ・・・ ええ、 本当に ・・・ 」

そんな <家族> のもとに、 ジョーは世界各地から大急ぎで帰ってくる。

彼はマシンと共に スピードの世界に生きる道を選んだのだ。

ほんの数日、のんびりと過すと 再び<自分自身の世界> に戻ってゆくのだった。

 

   ・・・ いいの、それで。 ジョーが幸せなら 元気なら ・・・ 生きているのなら・・・

   わたし。 ずっと ・・・ずっと待っているから。

 

崖っぷちの館で共にする夜は少ないけれど、濃密で芳醇な愛の飛沫を全身に浴び彼女は幸せだった。

<遠征>に出かける彼の後ろ姿を見送りつつ・・・ いつも呟く。

 

   ・・・ 待っているわ。   還って きて・・・!

   本当は  行かないで・・・! って。 言いたいのに。 でも 言ってもいいの・・・?

   もしも  ・・・ 本当にもしも ある日。

   ジョーが ・・・ 永遠に去ってゆく、と判った時も わたしは黙って見送る・・・のかしら・・・

 

彼は本当に自分を愛しているのか・・・  そんなことは考えたくはなかった、でも。

・・・ 身体だけの関係が欲しいからなのか。

一抹の不安が 小さな隙間風となり彼女の心に吹き込んでくる。

そして 彼は  ―  彼女の気持ちなどには全く頓着せず、相変わらず何も余計なことは言わずに

静かに出かけてゆくのだった。

 

 

 

 

 

そんな日々の間、 やはり踊ること、への想いを彼女は捨てることが出来なかった。

たまたま見つけた都心の中規模なバレエ団に、フランソワーズは熱心に通い始めた。

「 あのね・・・! また ・・・ 踊れるの! 」

「 そうか! よかったね! 」

頬を紅潮させ 報告する彼女に ジョーも共に喜んでくれた。

「 今度こそ、ゆっくり・・・きみの舞台を見るよ。 ふふふ・・・大丈夫、居眠りなんかしないから。 」

「 まあ・・・  でもねえ、いつになるか・・・わからなくてよ? 

「 いいさ。 待つ楽しみがあるもの。 」

ジョーは彼女の笑顔がなによりも嬉しかったのだ。

華やかな舞台に立つチャンスはなかなか巡ってはこなかったがフランソワーズは満足だった。

毎朝 レッスンに通い、同じ年頃の友達も増えごく普通の楽しい日々をすごしていた。

 

 

「 こっちよ。 きっと気に入るわ。 」

フランソワーズを追いかけてきた女性は そのまま先に立って道を折れた。

オシャレな通りから二筋引っ込めば、そこはもう普通の住宅街だ。

しかし <人気すぽっと> とやらは そんな生活圏へどんどんと侵入してゆき、

ごく当たり前の住宅の間に洒落たカフェがぽつぽつ現れ始めていた。

その中の一軒に ユリエは異国の友を案内した。

「 ・・・ まあ。 こんなところにカフェがあったの? ちっとも知らなかったわ・・・

 わあ・・・随分年期の入った建物ね。  昔からあるお店なのかしら。 」

パリジェンヌは青い瞳を輝かせ、 黒光りにする梁が渡る店内を見上げている。

「 フランソワーズって。  ほっんとうに日本人よかずっと日本人ねえ。

 <年期の入った> なんてコトバ、若いコ達は知らないんじゃない? 

 レトロとかアンティ−クとか・・・ 昭和風、とか言ったりするみたいよ。 」

「 ショウワ風? ・・・ そうなの? でも・・・素敵な言葉だと思うのだけど・・・

 わたし、ずっと年月を過してきたものって好きよ。  ここのカフェも古くからあるのかしら。 」

キシ ・・・ と木製の椅子がかすかに軋む。

店内はテーブルも椅子も全部木製で どことなく角が丸くなり年月を経ている風情だ。

使っている茶器も やわらかな線をえがく昔風のデザインだった。

「 う〜ん・・・折角気に入っているのに申し訳ないんだけど。

 これはね〜 全部 <ウケ狙い>。 わざわざ廃材とか古くなった家具をそろえているだけ。

 この建物はずっとここにあったけど。  普通のお家だったはずよ、カフェになったのは最近よ。」

「 まあ・・・そうなの。  でもなんとなく懐かしいわ。

 パリで、ウチのアパルトマンの近所にも古いカフェがあって・・・ ちょっと雰囲気が似てるの。 」

友人は肩を竦めるが、フランソワーズはその店の雰囲気が大層気に入っていた。

「 ほ〜ら それよそれ。 そういうの、狙っているわけ。  中身は普通のカフェよ。 

 穴場だしまだあんまり知られていないから 空いていていいけどね。 」

「 静かで・・・ 素敵だわ。 」

青い目の乙女は ゆっくりとカフェ・オ・レ ボウルを口元に運んだ。

「 ふふふ・・・ やっぱりアナタってお姫さまだわね。  ねえ、それで。 さっきの話だけど。 」

「 あ、そうだったわね。 その相談をしにココに来たのよね。 

 ふふふ ・・・ ごめんなさい、ユリエ。  それで お姫様が・・・ どうしたの。 」

白い手がはらり、と肩にかかった亜麻色の髪を抑えた。

「 ・・・ フランソワーズ。 ああ もう〜〜・・・ その優雅さは誰も真似できないわ。 」

「 え・・・ わたしってのんびり屋さんだから・・・ 」

「 ふふふ ・・・ せっかちな私にはとてもとても・・・ 素敵ねえ・・・

 あ! また話が逸れちゃったわね。  あのね、私のトコの教室でね、発表会するのよ。 それで・・・ 」

「 ・・・ はっぴょうかい??? 」

「 うん。 ああ・・・そういうのってパリではないのかな。 子供たちのパフォーマンスって言えばわかる? 

 それでその時に 『 にんぎょ姫 』 をやるのよ。  」

「 ああ、ユリエは子供たちのお教室を開いているものね。 凄いわねえ・・・ 

 にんぎょ姫って・・・ あのアンデルセンのお話の? 」

「 そうそう、アレよ。 あは・・・ ウチなんてちっちゃな教室だけどね。  

 でね、プログラムは小品集と 『 にんぎょ姫 』 なのよ。 

 『 にんぎょ姫 』 は 子供たち、生徒たちがやるの。 う〜んとちっちゃい子達も出るしね。

 その中で、ほら。 人魚が想いを寄せる王子サマの婚約者のお姫様いるでしょ、

 あの役を フランソワーズ〜〜 お願い。 」

「 え。 わたし が? 」

「 そうよ、ぴったりだもの。  フランソワーズなら絵本のお姫様そのまんまだし。 」

「 ・・・ そんなこと、ないわよ〜〜  でも それで ユリエは? 」

「 あたし? あたしは〜〜 <魔法使いのお婆さん>♪  」

「 まあ〜〜 ああいうキャラクター・ダンスって難しいわよねえ。 

 ユリエみたくテクニックのあるヒトじゃないと出来ないと思うわ。 」

「 ふふふ・・・私も実はちょっと楽しみなんだ♪ 

 にんぎょ姫は ウチの生徒がやるわ、王子はセイイチ がやるの。 」

「 そうなの? 素敵な王子様ね、きっと。 ・・・ いいわねえ、ダンサー同士のカップルって・・・ 

  ご家庭もお仕事も一緒で羨ましいわ。 」

「 ・・・ どうだかね? いい面もあるけど しんどい面も二倍かも・・・

 とにかく、二人でなんとかやって行きたいし・・・ 行かなくちゃならないし。  

 ね? いい役どころでしょ、踊りはほとんどないけど、引き受けて、お願い〜〜  

 本番はね、夏休みの終わりの頃なの。 まだ結構日にちはあるけど。 」

パン・・・とユリエは手をあわせ 拝む恰好をしてみせた。

「 ユリエさんの会のためですもの、喜んで参加させてください。 わたしこそ勉強になるわ。 」

「 わあ〜〜 ありがとう、フランソワーズ♪ よかったあ〜〜 

 うふふふ・・・ う〜んと綺麗なお姫様で 王子サマ を誘惑してやって? 」

「 まあ・・・ お宅の王子サマは <魔法使いのおばあさん> しか眼中にないもの、無理よ〜 」

「 あはは・・・アヤシイものよ? ねえ、それで小品集ではお好きなヴァリエ−ションを どうぞ♪

 う〜ん・・・できれば 綺麗どころを踊って? 私は、セイイチとエスメなの。 」

 ( 注: 『 エスメラルダ 』 のこと )

「 あら素敵。 ユリエのエスメは絶品ですものね。 テクニックのあるヒトにしか踊れないもの。

  楽しみだわ。 」

「 ふふふ・・頑張りマス。  フランソワーズこそ う〜〜んと優雅に気品のある踊りを

 ウチのチビ達に見せてやってください。 白鳥 でも 眠りでも。 」

「 うわ〜〜 それは 大変だわ〜〜 う〜んと練習しなくちゃ。 」

「 お願いシマス。  ・・・ねえ、 そういえば。 あなたのカレシ、最近すごいわねえ〜〜

 セイイチがね、ほらここに載ってるこのヒトだろ、ってこの前車雑誌を見せてくれたのよ。 」

「 ・・・え、そうなの?  ずっと海外転戦で・・・調整とかあって。 全然会えないの。 」

「 ふうん・・・ レーサーって どんなコト、するのか私には全然見当もつかないけど・・・

 大変なのでしょうねえ・・・ 危険とかもあって・・・・ 」

「 わたしも全然・・・彼の仕事はわからないの。 彼も話してくれないしね。

 まあ、向こうもわたし達の仕事なんて ま〜〜〜ったく判らないでしょうし。 」

「 それは言えるわね〜 ・・・ ねえ、たまにはあなたの方から会いにいってあげたら?

 日本に居る時には一緒に暮らしているのでしょう? 」

「 ・・・ええ。 でもどうして? 」

「 あのさ。  お節介かもしれないけど。 恋愛は やっぱり側にいないと・・・ね?

 というか、 近くに居るものが一番インパクトがあるみたいよ。  」

「 え・・・ そうなの?  休暇にはいつも帰ってきてくれるのだけど。 」

「 だから。 サプライズ!ってことで、突然訪ねるのもいいと思うわ。 」

「 そう・・・ねえ。 出来れば・・・ 」

「 それにね。 カレシって超〜〜素敵だから。 気をつけなくちゃ。 」

「 ・・・ え? 

「 あ、ごめんなさい、余計なコトを・・・。 それじゃ 舞台の件、ヨロシクお願いします。

 音は決まり次第すぐに 渡すわね。 」

じゃあね、お先に ・・・と ユリエは笑顔を残して店を出ていった。

 

  カチン ・・・  細いスプーンが凝ったデザインの茶器に当たる。

 

フランソワーズは ぼんやりとカップにのこる液体に目を落としていた。

「 ・・・ にんぎょ姫、 かあ ・・・ 

微かにゆれるカフェ・オ・レが どこか暗い海に見えてしまう。

 

夜明け。 愛するヒトの命を奪えずに 海に泡となってゆく・・・にんぎょ姫。

愛したヒトの幸せのために わが身を捨てた娘・・・

 

  わたし ・・・ もしも ジョ−が他に愛するヒトができたら ・・・ 

  あんな風に身を引けるかしら・・・

 

ずっとずっと胸の奥の奥で こっそり隠していた気持ちが顔を出す。

絶対口には出さない、と思っていたコトを そっと呟いてみる。

 

 ― ふうう ・・・・

 

さっきまでとは違った色の吐息が ・・・ 高い天井に吸い込まれていった。

長い長いあいだ。 多くの人々が多くの思いを燻らしてた天井は ―

この亜麻色の髪の乙女の 想い も やんわりと受け止めてくれた。

 

 

ジョ−の周囲には いつも女性の姿がちらちらしていた。

そういう仕事なのだ、と割り切っているつもりだったけれど・・・

「 ・・・え? ああ、彼女たちだって仕事の一部なんだし。 きみが気を揉む必要なんかないよ。 」

フランソワ−ズの不安な眼差しに ジョ−はいつも笑って あっけらかんと応えた。

「 きみが・・・ きみ達が舞台で<恋人同士>を踊るのと同じことさ。 」

・・・それは。 理屈はとしては そう、なのだけれど。

グラビアやTVカメラの向こうでの親しげに寄り添った姿は まだ我慢ができる。

たしかに、あれはジョ−やその周囲の人々の<仕事>なのだ。

女性たちだって <仕事>なのだ。 

 

・・・だけど。

同性のカンで それはすぐに判る。 

 

   ・・・ お仕事、ね。  でも  この目は本気も混じっているわよね?

 

ジョーが全く歯牙にもかけてはいない素振りなのが救いだ・・・と思ったり。

わざと気のないフリをしているか・・・と勘ぐってみたり。 

考えだせばキリがなく。 あからさまに訊ねることもできず、彼女はただ黙って微笑んでいた。

 

 

  カラーーーン・・・ 

 

ドア・ベルが鳴り 賑やかな足音が入ってきた。

「 わあ・・・ すご〜い♪ 雰囲気 ある〜〜〜 」

「 ほんと! なんかさ〜 アニメの舞台みたいだね〜 あそこにさァ 〜 」

「 きゃあ〜〜 あの窓、縦に開いてる! メイドがいる家みたい〜〜 」

「 ねえねえ〜〜 あのヒト! ここにぴったり〜〜 」

「 ああ〜〜いいなァ ガイジンになりたい〜〜 」

黄色い声がたちまち高い天井いっぱいにこだました。

 

   いけない。 ぼんやりしてたわ。

   ・・・ 早く帰って晩御飯、作らなくちゃ。 

   

フランソワーズは静かに席を立ちその店を出た。

表通の喧騒に混じれば余計なことを思う煩うヒマもなく、フランソワーズは足早に人混みを縫っていった。

 

  初夏の陽射しが彼女の足元に 濃い影を落とした。

 

 

 

「 おお・・・これは鮮やかな取り合わせじゃな。 ・・・ うん、味もいいな。 」

博士はサラダを一口頬張り、たちまち相好を崩した。

「 まあ、よかった・・・! 胡瓜とトマトと大葉なんです。 大葉って・・・ジョーに教わったのですけど。

 不思議な味ですわね。 ワイン・ビネガーとお醤油で和えてみました。 」

「 ほう・・・ お前、料理の腕をあげたなあ。  うん うん・・・これは美味いわい・・・ 」

「 嬉しいです。 この国もお野菜が沢山あって楽しいですわね。 」

「 ほんになあ・・・ 小さな国だ、と思っていたがなんと豊かな自然に溢れたトコロよなあ。 」

「 ええ・・・ここの町や このお家が大好きなんです。 

 空と海って。 こんなに近くで眺めて 静かに暮らすのは初めてだし・・・ 」

「 ・・・ 穏やかな場所であって欲しいものじゃな。 」

「 ええ ・・・ そうですね。 

ジョーが遠征に出てしまうと、岬の家には 博士とフランソワーズの静かな生活になる。

一番の重要人物 ・・・・ と本人も自覚しているスーパー・ベビーは月の半分は寝てばかりいる。

二人きりの食卓は、お喋りが途切れれば潮騒の音ばかりが賑やかに響く・・・

「 ああ。 そうじゃった。 来週にな、アルベルトを呼んだ。 すまんが用意をたのむよ。 」

「 あら。 もう彼の順番でしたか?  それとも なにか不具合でも? 」

箸を運ぶ合間に ぽつり、と博士が言った。

彼らは順番にほぼ年に一回はこの研究所にメンテナンスにやってくる。

ミッションなどがなければ損傷したりすることはないが、 やはり機械とて万全ではない。

できるだけ快適に 人間らしく生活してゆけるように・・・と 博士はメンバー達の機能保持に精魂を

傾けていた。

 

   ワシがいなくなっても。 お前達が困らないように・・・

 

そんな言葉を胸に 博士は彼らを順番に呼び寄せていた。

もっとも ・・・

「 ・・・ なんともねェって。 不具合なんぞねえからよ! 」

と 再三の要請にもかかわらずとんと顔を見せない不精モノも約一名いたけれど・・・

だいたいの順番は決まっていて、この邸を切り盛りするフランソワーズはきちんと把握していた。

 

   また・・・ なにかキナ臭い事態が起こるのかしら・・・

 

予定外のメンテナンスは不安を掻き立てる。

ミッションの影が一生付いて回るのは覚悟の上だが、やはりこの平凡な日々は愛おしい。

そんな不安の陰を読み取ったのだろう、博士は陽気な声で応えた。

「 あ、いやいや・・・・心配せんでいい。

 なに、現在よりも軽量で強固な機材を開発してな。 まあ、発展的メンテナンス、ということじゃ。 」

「 ・・・ 発展的?  性能アップ、ということですか。 」

大きな青い瞳がじっと博士に注がれる。  

「 ! あ・・・ああ。  ・・・ 最終的には ・・・ そう考えてもらっていい。 」

「 ・・・ そうですか。 

「 フランソワーズ。 なにもすぐに実践に応用しろ、というわけでは・・・ 」

「 ええ、わかってます。 わたし達はわたし達自身を護ってゆくためにも・・・

 能力アップは不可欠ですものね。 」

「 ・・・ フランソワーズ ・・・ ワシは ・・・ 

「 それにアルベルトが OKしたのでしたら わたしがどうこう言う筋合いじゃありませんわ。

 ・・・わかりました、準備しておきますね。 」

「 あ ・・・ ああ、 いつもすまんのう。 お願いするよ・・・・ 」

「 はい。 ・・・ ごめんなさい、お先に休ませて頂きますね。  お休みなさい・・・ 」

「 ・・・ ああ・・・ ゆっくりお休み ・・・ 」

 

   わかっとる。 これ以上闘いたくないお前の気持ちは 百も承知じゃ・・・

   しかし・・・ しかし、な。

   ・・・ イワンがのう ・・・ 妙な寝言を言うのでなあ・・・

 

ほっそりした姿がリビングから出てゆくのを、博士はなんともやり切れない思いで見送っていた。

 

   ― 嵐ガ 来ル。  準備セヨ。 嵐ガ ・・・ 季節外レノ 大嵐ダ ・・・

 

一週間ほど前から <夜> に入ったイワンが寝言を言うのだ。

脳裏にぴんぴん響いてくる <ことば> に博士は思わず、クーファンの中を覗き込んでしまった。

「 ・・・ 起きておるのか イワン。 随分早いお目覚めじゃの・・・ んん? 

そっと声を掛けても 赤ん坊はすやすやと眠っているばかりだ。

「 おや。 ワシの空耳じゃったかの・・・  ジャマしたのう・・・ 」

上掛けをなおし ちょん・・・とまん丸な頬をなで、博士はまたデスクに向かった。

「 ふうん ・・・ イワンも 寝言 を言うのか・・・  」

少々微笑ましい気分にさえなっていたのだが  ― それは翌日も そのまた次の日も続いた。

三日目の夜には 博士は固唾を呑んで <ことば> を待っていた。

はたして、その夜も赤ん坊はすやすやと眠ったまま呼びかけてきた。

「 寝言 じゃない。 夜の時間 の中から イワンはワシらに必死でメッセージを送っているのじゃ。 」

博士は きゅっと口を引き結ぶと、世界中に散っている<息子達>と連絡を取り始めた。

 

   こんなコトで呼び寄せたくはない。 しかし・・・

   ワシに出来ることは 彼らの身に安全を保つための <改良> だけじゃ。

 

フランソワーズの瞳が 脳裏に焼きついている。

可愛いただ一人の 娘 を これ以上哀しませたくは ない。 しかし。 

 

   ・・・ すまん。 憎んでくれ、誹ってくれ。 何を言われてもかまわん。

   ワシは ・・・ みすみすワシの可愛い子供たちを見殺しには ・・・させん!

 

博士は素早く全員の緊急メンテナンスの計画を組み立ていた。

 

 

 

一週間後、 数日来の曇り空の元、銀髪の男性が崖っぷちの洋館を訪れた。

「 ・・・ お帰りなさい。  元気そうね。 

「 おう。 ただいま。 ・・・ 相変わらず綺麗だな。 」

玄関のドアを開けてくれた <妹> の頬にアルベルトは軽くキスをした。

「 ふふふ・・・メルシ。 ごめんなさい、空港までお迎えに行けなくて・・・

 ジョーったら まだ遠征中なのよ。 」

「 ああ? いいさ、別に。 この国の交通事情は素晴しく正確だからな。 電車で来るのも面白い。 」

「 ええ・・・でもやっぱり大変だったでしょ? ゆっくり休んでね。 」

「 ダンケ。 今回は臨時メンテだからな。 いろいろ・・・ 気にするな。 」

「 おお。 お帰り、アルベルト。  ・・・ 急に無理を言って・・・すまんなあ。

「 博士。 ご無沙汰してます。 いや 俺はむしろ楽しみにして来ましたから。 」

「 ・・・ そう言ってくれて嬉しいよ。 期待に沿うよう全力を尽くすぞ。 」

「 ・・・・・・ 」

博士とアルベルトは がっしりと握手を交わした。

 

   ・・・ アルベルトは。  能力アップが嬉しいのね・・・・

 

フランソワーズはそっと席を外した。

 

「 ふん、相変わらず、ですな。 」

「 ああ? 無理もないことなんじゃが。 しかし ・・・ 判ってくれ。 」

「 了解してますよ。 アイツを あの朴念仁が戻るまでちゃんと護ってやるためにもね。 

 それで・・・メンテはいつから。 」

「 お前の調整もあるだろう? 明日は一日体調を整えて明後日から、ではどうかな。 」

「  ― 了解。 」

アルベルトは・・・っと口の端をねじ上げた。 

そんな彼を眺め、博士はどこかほっとする思いだった。

 

 

 

   ・・・ ふん。 波の音ってのは。 こんなに耳につくものだったかな。

 

さんざん寝返りを打ち、読み止しだった本を読み返し終わったとき、アルベルトはついに観念して

ベッドから起き上がった。

枕元の時計はとっくに日付を跨いでおり、ちらり、と覗いた窓の外は完璧な暗闇だった。

 

   ったくなあ。  この身体で時差ボケか? ・・・ちょいと一杯ひっかけるか・・・

 

素足にスリッパをつっかけ、生暖かい暗闇の中、彼はリビングへと下りていった。

潮騒だけが単調にひびく廊下を抜け階段をおりると、一階の廊下には細く灯りが漏れていた。

他にも誰か眠れないヤツがいるのか・・・と思ったが、この邸に居るのは博士とフランソワーズと自分だけだ。

 

   ?? 消しわすれたか?  ・・・ん? ピアノ・・?

 

ほんの短いフレーズが、それも右手だけがメロディーを拾っていた。

彼は 足音を忍ばせ、できるだけそっとドアを開いた。

 

「 ・・・ あら? アルベルト・・・ 時差ぼけ? 」

隅にあるピアノの前に 乙女がひとり、佇んでいた。

カーディガンを羽織った下にはレッグ・ウォーマーを穿いた脚がすらりと伸びている。

「 なんだ。 お前か ―  

「 なんだ・・・って 随分失礼ねえ。 一応、この邸のニンゲンですけど? 

「 ふふん、すまんな。  では 少々・・・寝酒を調達させてくれ。 」

「 まあ・・・ はい、どうぞ。 あ、 もしかして。 煩かったかしら。 わたしの音で眠れなかった? 」

「 いや。 全然音は聞こえなかった。  レッスン、していたのか。 この時間に ・・・ 」

こりゃ、あの朴念仁が見たら 真っ赤になるだろうな・・・とアルベルトは笑いを噛み殺した。

「 ええ・・・ちょっとだけ。 自習の準備、かしら。 今度、お友達のトコロで踊るの。 

 できるだけ 準備しておきたくて。 」

ぽつぽつと白い指が音を拾う。

「 ほう? ・・・ なにを踊るんだ。  ああ 『 ジゼル 』 か。 」

つかつかとリビングを突っ切り、アルベルトはピアノの前に来てスコアを覗き込んだ。

「  〜〜 ふんふん・・・と、これは一幕の ヴァリエーションか。 」

「 そうよ。 まあ、アルベルト。 よく判るのね。 」

「 ふん、俺だって音楽学校の学生だったからな。  バレエ音楽、オペラは必修だ。 」

「 そうなの? すごいわね。  ええ、あの一幕のを踊ろうと思うのだけど。

 なんだかどうも・・・こう・・・気持ちがぴったりこないの。 それで・・・ウチでも自習したくて。  」

「 ぴったりこない? この 恋する乙女の恋の踊りが、か。  ふふん、まさにお前そのものじゃないか。 」

「 ・・・いやだわ、 アルベルト。 からかわないでよ・・・ 」

「 ふん? なんだ、 お前たち、上手くいってるんじゃないのか。 」

「 ・・・ 帰ってこないもの。 忙し過ぎて。 たまに帰国してもなんにも言ってくれないし・・・ 

 なにを考えているのか どう思っているのか ・・・わたしには全然わからないの。 」

 

    それでも 彼を思い切れない ・・・ 彼の ・・・ 愛撫にわたしは身を任せて・・・

    ・・・ 彼の蕩ける愛の仕草を 忘れることが出来ないの・・・・

 

ひそかに心の中だけで付け足し、フランソワーズは首の付け根まで赤くなっている。

「 ・・・ ふん? 」

アルベルトは わざと無遠慮に彼女の押しのけ、ピアノの前に座った。

「 ・・・ ちょっと弾かせてくれ。  〜〜 ここから、だろ? 」

彼の無骨な手が なめらかに鍵盤をはしり、 優しい音が響きだした。

「 ええ! そう、そうなの。  ちょっと待って! ・・・ プレパレーションから もう一度! 」

ぱっとカーディガンを脱ぎ捨てると、フランソワーズはリビングの中央に飛んでいった。

ソファだのテーブルが片寄せてあり、 ちょっとした空間が広がっていた。

「 わかった、わかった。 ちゃんと合わせてやるから。  よかったら合図しろ。 」

「 メルシ♪ ・・・ はい・・・ はい、どうぞ。 」

  ―  やがて 柔らかい音が鳴り出し、亜麻色の髪の ジゼル が踊りだした。

 

「 ・・・ と。 ・・・ こんなもんか。 」

「 ・・・ ハア ・・・ハア・・・ あ・・・ありが・・・とう・・・! やっぱり  生の音は・・・いいわ・・! 」

荒い息をしつつ、フランソワーズはタオルに顔を埋めている。

「 ふん・・・ なかなか達者に踊ってたじゃないか。

 こんな場所でもちゃんと回転してるしな。  ま、伊達にキャリアは積んでないってことか。 」

「 ・・・ それだけ ?  」

「 ・・・・・・ 」

ふん・・・と唇の端をねじ上げ、 アルベルトはぱらぱらと今弾いた曲の数小節をくりえす。

「 感動的だった! とか ブラヴォ〜〜  とか言ってほしいのか。 」

「 イヤァねえ・・・ ハア・・・ 意地悪! 」

「 ふん ・・・ 一度 思い切ってぶつかってみたらどうだ。 」

「 ・・・ え? 」

ぱららら ぱららら・・・と 『 ジゼル 』 の音がリビングに零れ散る。

「 さっぱりわからない  ― そんな 声 が聞こえた。 

 音たちがお前の踊りに跳ね飛ばされて呆然としていた ― そんな恋の踊りはないぞ。 」

ぽろん ぽろん ぽろん ・・・ 見た目は無骨な指が柔らかい恋の旋律を紡ぎだす。

 

   ・・・ あ ・・・ わたし。 うきうきした 楽しい気持ちを忘れているわ・・・

   微笑んでおきながら   アイシテル? 本当に?   って 疑ってるわ・・・

   このヒトを愛していいの?   って 迷ってる

 

「 わたし ・・・ 」

きゅ・・・っとタオルを掴んだまま、彼女の視線は宙を泳いでいる。

「 さて ・・・ そろそろ退散するか。 早いトコ、こっちの時間に馴染まないとな。 」

「 ・・・ アルベルト・・! 」

「 ふん。 なにがあったか俺は知らん。 知る気もないが・・・

 本人が迷っていては ヒトの心を動かすことは出来ない。 演奏でも踊りでも。

 綺麗ごとで済ますのは容易いが・・・ 本質はからっぽだ。 」

「 本質 ・・・ 」

「 これは俺もヒトに言えたギリじゃないが。 黙って抱え込んでも何の解決にもならんさ。

 それとも ・・・ 恐いのか。 ぶつかるのが。 」

「 ! 恐いなんて そんな! 

宙を彷徨っていた青い瞳が ひた、とアルベルトを捕えた。

 

   ようし・・・ その目だ。 それこそが お前の瞳だぞ。

 

ふふふ・・・ 低く笑って、アルベルトは静かに立ち上がった。

「 まあな、順送りってヤツで。  ― 誰もがそんなコトには過ぎてしまってから気づくんだ。 

 自分の中で迷子になるな。 

「 ・・・ 迷子? 」

「 おい、お前も もう寝ろよ? 」

「 ・・・ え  ええ ・・・ 」

それじゃあな、 と アルベルトは鍵盤を丁寧に拭うとピアノの前を離れた。

 

「 あ ・・・ ! ねえ、寝酒は。 そこのキャビネにウィスキーがあるわ。 ワインならキッチンに・・・ 」

「 おう。  ま、もうやめておこう。  ・・・久々に指を動かして眠くなってきた。 」

「 ・・・ まあ・・・ ありがとう、アルベルト。  こんな時間にごめんなさい。 

「 なんでもいいから もう寝ろ。  じゃ オヤスミ。 」

「 お休みなさい・・・ ! 」

カタン、とドアが閉まると、 急に波の音が大きく聞こえてきた。

 

「 そう、ね・・・・ 一人であれこれ勘繰って。  仮定に妄想を広げていってもなんにもならないわね。

 ・・・  こわい?  ええ、本当は恐いの。 

 ジョーに 聞くのが 彼の本心を 聞くのが ・・・ たまらなく恐いのよ・・・!  」

ぺたん・・・と座り込んだしまった床は 夜の気温に意外なほど、冷たくなっていた。

先ほどまで火照っていた身体もすでに収まっていたから、その感触に ぶるっと身が震えた。

「 ・・・ でも。 見ないフリ、してすませるつもり? 

 こっそり覗いて 一人でまた抱え込むつもり?  

 ―  フランソワーズ! あんたってこんなに優柔不断だったの? 

きゅ・・・っと両手でわが身を抱きかかえ、彼女は辛吟する。 

「 ・・・ そうよ!  人魚の娘みたいに 黙って海のあぶくになってしまうのは ・・・ いやだわ。  

 わたし ・・・ 自分のこころを ちゃんと見つめなくちゃ・・・いけないんだわ。 」

床に飛び散ったのは 汗か涙か・・・ 彼女はそっとタオルで拭った。

「 いつまでも逃げていては ダメよね。 ・・・ 想いが定まらなければいい踊りもできないもの。 」

 

   ぽっぽ〜  ぽっぽ〜 ぽっぽ〜 ・・・・

 

リビングの壁で鳩時計が くぐもった声で時を告げた。

「 ・・・ いっけない。 もうこんな時間・・・・! 今週は忙しいのに ・・・ 」

慌てて立ち上がり、彼女は動かした家具を元に戻した。

「 そうよね・・・ 思い込んでいるだけじゃ、前に進めないわ。 そうよ・・・! 」

今度こそリビングの灯りを全部おとし、彼女は静かにドアを閉めた。

 

  ― 明日。  ジョーに連絡を取るわ。 ともかくまず、第一歩よ!

 

ギルモア邸の上には その夜も多くの星々が冷たい炎の河を描いていた。

・・・ その彼方に赴くことになろうとは まだ誰ひとり知る由もなかった。

 

 

 

イワンの < 嵐 > はまだ訪れる気配はなかった。

その週、メンテナンスを終えると アルベルトは一旦帰国した。

「 ・・・ 健闘を祈る。 」

「 ! ・・・ 了解! 

見送りの挨拶は ごく簡潔だ。

「 なんじゃなあ、お前たち。  ・・・ 今、ここでそんな言い方は止めておくれ。 」

彼らの口ぶりに 博士はすこしばかり眉を顰めた。

なんでもない・当たり前の日々を大切に思うのは博士もメンバーたちと変わりはしない。

「 あら ・・・ごめんなさい。  わたし、エールを貰いましたので・・・ 」

「 エール? 

「 ええ。 アルベルトはわたしの大切な応援団長なんですもの。 」

「 ・・・・・・ 

勝手に決めるな冗談じゃないぞ・・・と銀髪の独逸人は肩をすくめ、彼女に頬にキスを落とす。

「 博士。 それじゃ ・・・ 」

「 うむ。  ありがとうよ。 」

がっしりと握手をかわし、彼は迎えの車に乗り込んだ。

次に顔を合わせる時は  ―  博士はそっと頭を振った。

 

   今から不確定な未来を杞憂して何になる?  

   そんな余力があるのなら 今やるべきことに向けるべきじゃな。

 

「 次は在日組だな。  そうそうピュンマからの返事は来ておったかの。 」

「 確認しておきます。 グレートと張大人、どちらが先になりますか。 」

「 うむ、グレートだ。 張大人は店の算段もあるじゃろうからな。 こちらはワシから確認をしておく。 」

「 はい、わかりました。 」

しゃっきりと背筋をのばし、博士は元気な足取りで研究室に下りていった。

 

   皆 ・・・ 会えるのは嬉しいけど・・・

   あ、いけない。 またわたしったら。  さあそんなヒマないのよ!

   皆からの返事にチェックをしておかなくちゃ。

   ・・・ きゃ・・・ いやだわ、 また降ってきた ・・・

 

フランソワーズは 博士の後を追い玄関に駆けていった。

  ―  風が 吹き始めた。 嵐に ・・・ なるのか・・・?

梅雨明け前の空からぽつぽつと雨粒が落ちてきた。

湿っぽい風が玄関脇にある花壇で さわさわと百合の蕾を揺らしていった。

 

 

 

 

 

「 ・・・ うわあ・・・ すごい ・・・ ! 」

そこに降り立ったとき、フランソワーズは思わず感嘆の声をあげてしまった。

灰色の雲の合間から 時折ぎらり、と光が漏れてくる。

そんな不機嫌な空でさえ いつもより数倍 ― とてつもなく大きく広がっている風に思えた。

 

  日本GP 開催 !!!

 

そんなポスターを前後左右に山ほど見つつ それでも迷い・迷いやってきた。

やっと <指定場所> に着いた、とバスを降りて ―  彼女はほとんど棒立ちになっていた。

 

 そこは  ―  ぽっかりと空にも穴が開いた・・・かと思うほどの空間だったのだ。

 

何回かTVや写真で見たことは あった。 ジョーが送ってくれたものも見ている。

多分 ものすごく広い場所なんだろうな、ということはわかっていたけれど切り取られた映像からは

現実の広さは ぴんと来なくてよくわからなかった。

 

「 ・・・ すご。  それに なんてヒト ヒト ヒト ・・・ ここで ・・・いいの? 

 ジョーってば いったいどっちから来るの? 」

一瞬、本気で < 眼 >  を使おうか・・・と思ったとき ―   ♪♪♪ 〜 ♪♪

「 あ。 ・・・ ジョーだわ!  ・・・ アロー? ジョー?  」

お気に入りの着メロが鳴り、彼女を救済してくれた。

 

 

 

アルベルトが帰国した日、 フランソワーズに ― いや、正確には 研究所宛だったけれど ―

サプライズなメールが届いていた。

「 え〜と。 ピュンマから・・・ あ! ちゃんと連絡は届いているわね。 うん・・・予定通りね。

 ジェロニモも・・・オッケー。 ・・・ <問題児>は音信不通! 知りませんからね! 

 これで全部かしら。   あら? ・・・ ジョーから?? まさか・・・ 

ジョーは数日前に博士宛に当分帰国はできない、と返信をしてきていたのだが。

「 ・・・ え。 なにか あったのかしら・・・   ・・・・ まあ!  きゃあ、本当なの?? 

 え・・・ 来なくていいって ・・・どういうこと? 」

フランソワーズはPCの前で ぶつぶつ声で <返事> をしていた。

 

「 ・・・ フランソワーズ? ・・・大丈夫かね。 なにかあったのか。 」

「 え!? ・・・ あ、は、博士・・・ ああ ・・・びっくりした・・・ 」

突如 ぽん、と肩を叩かれ彼女はまさに飛び上がりそうになってしまった。

「 なんじゃ、驚いたのはワシのほうじゃよ。 なにやら人声がするから誰かいるのかと思ったぞ。 」

「 あ・・・ ああ・・・ あの。 ジョーから、メールが入ってて・・・

 急遽 帰国するって。 なにか・・・チームの都合で急に日本GPに参加することになったんですって。 」

「 ほう〜〜 それは凄いな。 ヤツはレースに出場するのか。 」

「 ・・・ さあ? 控えって言ってますけど? アンダースタディ みたいなことかしら。 」

( 注 : アンダースタディ ・・・ 舞台などでの代役 )

「 いや・・・それはちょっと違うと思うぞ。 それでヤツはいつ帰ってくるのかの。 」

「 それが・・・日程がキツクて直接会場に向かうって・・・ 」

「 ほう ・・・ 大変じゃなあ。 まあ、終ってからゆっくりこっちに帰ってくればいいさ。 

 そうじゃ、フランソワーズ。 お前、観戦に行ってやったらどうだ?  ここからなそんなに遠くないぞ。 」

「 あの ・・・  来なくて いいって。 わたしなんかが行ったら邪魔なんですわ、きっと。 」

「 邪魔ってそんなことないぞ? ははは・・・ジョーの奴、相変わらず照れ屋だのう。

 本心はな、 お前に来て欲しいにきまっとるよ。 」

「 ・・・ そうでしょうか ・・・ 邪魔しに来たって・・・ますます嫌われてしまうかも・・・ 」

「 おいおい、なにを一人で勘繰っておるのじゃな、このお嬢さんは。

 ジョーはそんな奴じゃないだろう?  それはお前が一番よく知っておると思うがな。 」

「 え ・・・ ええ ・・・ 」

 

    恐いのか。  ぶつかるのが。

 

不意にアルベルトの声が脳裏に甦った。 

・・・ そうよ。 恐くなんか・・・ないわ。  そうよ、一人で勝手に思い込んで ・・・どうするの?

「  ― わたし 」

フランソワーズは 大きく深呼吸し 宣言した ―

「 ジョーの応援に 行って来ます! 」

 

 

 

滅多やたらと広い空の下、

携帯を耳にした途端に、ぽん・・・と後ろから肩を叩かれ、あわてて振り向くと ― 彼がいた。

「 ?? ジョー ・・・!! 」

「 やあ。 待たせちゃった? 」

なんやら派手なロゴ入りのツナギみたいな服をきた ジョーが笑っている。

「 ううん・・・でも!  ありがとう〜〜 もうどうしようかと思ったわ ! 」

「 ・・・ 待ち合わせなんて不可能だからね。 ピック・アップに行くのが一番確実なのさ。 」

「 そうよねえ・・・ こんなに広い場所って初めて・・・! ねえ、ここはどこなの?

 ジョー達の車はどこで走るの?? 

「 うん ・・・ ちょっとあっちへ行こうよ。 ここは混雑するからね。 」

「 え・・・ええ・・?  あら。 」

ジョーはすっと彼女の手を取ると先に立ち、歩きだした。

「 ・・・ あ、 ごめんなさい・・・ きゃ・・・ ああ 失礼しました・・・ 」

ぎっしり人がいるわけではないが 皆てんでの方向にぷらぷら歩いているので余計に混雑している。

ジョーは振り返りもせず、すたすた歩いていて、彼女は引っ張られ小走りになり・・・

行き交う人たちにぶつかつったり躓いたりしてしまった。

 

「 ・・・きゃ ・・・ ジョー・・・ちょっと ・・・待って・・・ 」

「 うん?  ああ、もうちょっとだから・・・ あれ? きみ、どうしたんだい。 」

キャップからセピアの髪をはみ出させたアタマがようやく振り返った。

彼は振り向きつつも歩き続けようとしていたが、驚いて目を見張っている。

「 ジョー・・・ そんなにどんどん行かないで・・・ 」

「 あ・・・ごめん・・・ 人混みを早く抜けようと思ってさ。  あの・・・転んだのかな。 」

「 転んではいないけど。  あ〜あ・・・くしゃくしゃ・・・ 」

フランソワーズは お気に入りの麻のスカートをひっぱり溜息をついた。

 

   ・・・ せっかくピシっとアイロンかけてきたのに。

   ジョーってば この色が好きって言ってくれたでしょう・・・

 

「 ごめん・・・ あの、あっちに入ればもう少し人が減るから・・・ もうちょっと頑張ってくれよ。 」

「 あっち? 」

「 うん。 あ、これ。 これを・・・ 着けてくれるかな・・・ はい。 」

ごそごそポケットから引っ張り出したヒモを彼はふわり、と首に掛けてくれた。

「 ?? なあに・・?  あら パスが必要なの? 」

「 ウン・・・ 一応 関係者 オンリーってとこなんだ。  ・・・ どうぞ? 」

ゲートを通ると ジョーの歩みは格段に遅くなった。

相変わらず 手を繋いだまま、彼はフランソワーズの歩調に合わせてくれた。

 

   あら・・・ ふふふ・・・ いつものジョーね。

   ・・・ ふうん ・・・ ここが ジョーの世界 なのか・・・

 

「 お! ジョー、 彼女かい? いやァ 相変わらずだな、お前〜  」

「 やあ。  ちがうよ、そんなんじゃない。 」

「 ふうん? ま、そういうコトにしておこうか。 お嬢さん、どうぞごゆっくり〜 」

 

「 ジョー! 取材が入ったんだ、あとで・・・ おっと、彼女ォ、ごめんね。 」

「 わかった。 後で行くよ。 ちょっと彼女を案内するから。 」

「 はいはい、わかったよ。  じゃあネ〜 彼女♪ 」

 

方々から声がかかる。

ジョーは無視するわけではないが、実に素っ気なくあしらってゆく。

「 ジョー・・・ あの・・・? 」

「 うん? あ、ごめん、いろいろ煩くて。  あっちがチームのブースなんだ。 

 あそこなら少しは静かだから・・・ 」

「 え ・・・ええ・・・ 」

 

   ジョー ・・・。 

   わたしが来たこと・・・ 怒ってる? やっぱり迷惑だったのかしら。

 

   それに  あなた、ちっとも楽しそうじゃない。

   ええ 笑っているけど ・・・ これは ジョーの笑顔じゃないわ

   ここは アナタの世界 なのに。  

 

   ・・・ どうして ・・・? 

 

 

初めて垣間見る <彼の世界> で、フランソワーズは全身でジョーを追っていた。 

 

 

 

Last updated : 10,27,2009.               index         /         next

 

 

 

********   途中ですが

すみません~~~~ またまたまた 終わりませんでした <(_ _)>

肝心な話は全然始まっていないのですが・・・ 

ええ、例のハナシをなんとかしたくて。 ・・・どうなることやら??

お宜しければ あと一回お付き合いくださいませ <(_ _)>

 

えっと! すぐにお判りかと思いますが。

わたくしは モータースポーツはて〜んでまったく トーシロー です!

開催地に行ったことも当然ありません。

<通>な方々には噴飯モノな描写の連続と思いますが

なにとぞ寛大にもお目を瞑ってくださいますよう、平に御願い申し上げます<(_ _)>