『 あの雲の果て  − (2) − 』

 

 

 

 

おさらい: 時代背景を再確認お願いします。 昭和10年代初めです、外国に、欧州に行くには船旅です。

電話も交換台を通していたそうです。(勿論〜携帯なんぞ影もカタチも・・・ )

 

 

 

 

秋の長雨は結局その日も一日中降り続けていた。

昼はただ鬱陶しいだけの雨も 夜に入ると身体の芯に沁み込む冷たさが含まれる。

 

島村ジョウは勧められるままに、丘の上の別荘に長居してしまい、

張夫人の心尽くしの晩餐のあと、こっそりとコテ−ジに帰ってきた。

 

  ・・・ よかった・・・ 誰にも気づかれなかった・・・

 

サナトリウムの裏門からコテ−ジへ、真っ暗な林の所々に燈る街灯を横目にジョウは足を早めた。

例の巨漢の従僕が送ってゆく、と申し出てくれたが、さすがに断った。

 

「 大丈夫ですよ。 ぼくのことよりも・・・ フラ・・・いえお嬢さんを守ってあげてください。 」

「 ・・・ ありがとう ・・・ ございます・・・ 」

寡黙な従僕はそれだけ切れ切れに言うと、ぼろぼろと涙をこぼした。

 

  あのばあやさんと言いこの従僕さんといい ・・・ 彼女の周りには忠義なヒトばかりだな。

  ・・・ いや、彼女の笑顔や優しい心配りが自然と 周りに影響しているんだ・・・

 

「 島村さ・・・・いえ、ジョウ? どうぞお気をつけて・・・ 今晩は暖かくして早めにお休みなさい。 」

「 そんな・・・ ぼくのことよりも、フランソワ−ズ? きみこそ、風邪を引かないように・・・

 それに、その足、無理をしてはダメですよ。 」

「 ええ。 ばあやが湿布クスリに秘伝の薬草を混ぜてくれましたの、

 家の薬草園でジェロニモが栽培しているものですから きっとすぐに治りますわ。

 ・・・ふふふ ランチを配れないと困りますものね。 」

「 今度から 毎日ランチが楽しみだな。 ・・・ ねえ? 9号室を最後にしてくれませんか? 」

「 え・・・ なぜですの? 」

「 ・・・ あの、ですね。 その ・・・ たまには 一緒にランチを食べたいな・・・って・・・・

 9号室を最後にすれば 少しくらい遅くもどっても咎められはしないでしょう? 」

「 ・・・ まあ ・・・ ええ ・・・ そう、ね。 」

フランソワ−ズは頬を染め、こっくりと小さく頷いた。

「 じゃあ ・・・ お邪魔しました。 ご馳走様でした、本当にすごく美味しい晩餐でした。 」

「 島村さま、どうぞまたいらして下さいまし。 ・・・ 嬢ちゃまの恩人です。 」

張夫人が控えめに口を挟んだ。

「 そうですわ、どうぞ、どうぞまたいらしてくださいね。 」

「 ・・・ いいのですか。 」

「 わたし達 ・・・ お友達でしょう? 」

「 ・・・・・・ 」

ジョウとフランソワ−ズは ただお互いの微笑みを見つめあい、また微笑んだ。

令嬢の後ろで 張夫人がそっと目頭を押さえていた・・・

 

外ではまだ雨が細かい霧となり夜気の中に漂っていた。

足元から巻き上がってくる冷たさは 背筋を這い上がりぞくり、と不気味な震えを誘った。

 

  ・・・ 早く帰ろう。 こんなことで調子を崩しては 彼女に余計な心配をかけてしまう。

 

ジョウは別荘で借りたランプで足元を翳し、9号コテ−ジに向かった。

 

「 ・・・ やっとご帰還だな。 不良患者くん。 」

「 ?! 」

コテ−ジの手前で低い声が響き同時に懐中電灯の光がぱっとジョウの顔に当てられた。

光の輪の向こうに白衣が見える。

「 ・・・ アルテミス婦長 ・・・? 」

「 当たり。 君の耳はたいしたもんだ。 」

「 婦長さん、こんな時間にどうしたのですか。 」

「 は! どうしたもこうしたも・・・ 無断外出の不良患者を待ち伏せしていたのだ。

 さあ! 早くコテ−ジに入りたまえ。 」

「 ・・・・・ 」

す・・っと光の輪がジョウの顔を外れ、足元の小路を照らした。

「 こんな時間まで出歩いて、君は療養の成果を台無しにしてしまうつもりか。

 ほぼ完治しているとはいえ、油断は禁物だぞ。 」

「 ・・・ はい、婦長さん。 」

アルテミス婦長は9号コテ−ジのドアを開け、ジョウを押し込むとてきぱきと指示をした。

「 とりあえず、検温だ。 まあ・・・ その顔色なら大丈夫とは思うが。

 そして、明日、朝一番で院長の診察を受けること! 」

「 はい。 」

「 ・・・ どうした、なんだかやけに素直だな、島村くん。 」

「 いえ・・・ 規則を破ったぼくが悪いのですから。 」

「 はははは・・・ マドンナの感化かな? あの天使の笑顔はどんな薬や療養にも

 勝るなあ。 病原菌も虜になってあっさり降参ってわけだ。 」

アルテミス婦長は豪快にからからとわらった。

ナ−ス帽の下できっちりと結い上げれた緑の黒髪がつややかだ。

 

  ・・・ この女性 ( ひと ) も綺麗なひとだ。

  目的を見据えて生きているひとは みんな・・・なんて綺麗なんだろう・・・

 

ジョウはベッドで体温計を挟みつつ、婦長の姿を目で追っていた。

「 マドンナって・・・ 」

「 心配無用だよ、島村くん。 アルヌ−ル家のばあやさんからちゃんと連絡を

 頂いている。 きみが大活躍してお嬢さんを助けたってね。 」

「 あ・・・ いや、そんな、ぼくはべつに・・・ 」

「 ふふふ・・・ あの雨にずっぽり濡れてもオッケ−なんだ、きみはちかぢか卒業だな。

 今晩は見回りかたがた、ちょいと脅かしに来たけだ、心配するな。 」

「 ・・・ はあ・・・ 」

「 体温計を ・・・。  お〜お、立派に平熱だ。 

 さて ・・・ では私は巡回に戻るから。 君はこのまま休み給え。 」

「 はい。 ・・・あ、婦長さん。 ・・・ ご心配おかけしました。 」

「 ははは・・・ これが私の仕事だからな。 では、お休み。」

「 あ・・・あの婦長さん。 伺ってもいいですか。 婦長さんはどうしてナ−スに? 」

ジョウの不躾な問いに、アルテミス婦長はふと、足を止めた。

しかし気分を害した風もなく、ベッドサイドのランプに手を伸ばした。

 

「 ランプの光は ・・・ いいものだ。 引き寄せられる ・・・ 」

 

淡い飴色の光は アルテミス婦長の整った横顔をことさら赴き深く彩る。

黒目勝ちな大きな瞳には今、温かなかがやきがやどっていた。

 

   ・・・ こんなに穏やかな彼女を見るのは 初めてだ・・・

 

ジョウはベッドの中から婦長の静かな微笑みに見とれていた。

「 この炎のような色の髪をしていた・・・ 」

「 ・・・ え ? 」

「 そして太陽みたいに明るく聡明な弟だった・・・ 

 抱えきれないほどの夢と希望に溢れていたが。 この病に捕まってしまった。 」

「 弟さんが・・・ 」

「 私は生涯をかけてこの病と闘う。 それが、私が弟のために出来る唯一のことだ。

 あれも ・・・ 喜んでくれていると思う。 」

「 そうですか ・・・ 」

「 さあ。 もう口を閉じて。 ・・・ お休み、島村くん。 」

「 お休みなさい。 アルテミスさん。 」

ふ・・・っと婦長の黒い瞳に涙が光った ・・・ とジョウは思った・・・

 

   このヒトも いろいろな想いを抱えている・・・・  

 

高原の夜は しんしんと全てのヒトの 全ての想いを優しく包んで更けていった。

 

 

 

 

「 お嬢さま! まだ、その足ではご無理ですよ、おやめなさいまし。 」

別荘の玄関ホ−ルで張夫人は困り顔でうろうろとしていた。

「 大丈夫よ、ばあや。 ジェロニモが作ってくれた杖もあるし。 

 サンダルしか履けないのはちょっと不便だけど・・・ なんとか歩けるわ。

 わたしが行かないと、ランチを配るヒトが足りなくて他のナ−スさん達に

 ご迷惑がかかるの。 3日もお休みしてしまったし・・・  」

「 でも・・・ 今朝は少しお顔色が・・・ お熱は・・・? 」

「 ・・・ お願い、ばあや。 ・・・ 動ける間に出来るだけのことをさせて。 」

「 お嬢ちゃま・・・・ 」

 

カツカツカツ・・・・

ノッカ−の硬質な音が 玄関ホ−ルに響いた。 そして・・・

「 こんにちは! 御機嫌よう、島村です。 」

 

「 あら・・・! ジョウさんだわ。 」

ぱっと顔を輝かせ、フランソワ−ズは別荘の重厚な樫のドアを開けた。

 

「 こんにちは。  ようこそ・・・ 」

「 ・・・ わ !  ああ、びっくりした。 急にドアが開くから・・・ 」

「 ふふふ・・・ ごめんなさい、ちょうどねお玄関にいましたの。

 まあ・・・! お風邪ですか? やはりあの雨が・・・ 」

ドアの向こうから現れた島村青年に フランソワ−ズは小さく声を上げた。

彼は大きなマスクで顔の半分を覆っていたのだ。

「 あ、違います、違いますよ。 これ・・・ ぼくはまだ完全に<卒業>してないし。

 あなたの身体に障ったら ・・・ その、感染症には充分気をつけないと ・・・ 」

「 ・・・ ドクタ−・ギルモアにお聞きになったのね、わたしの病気のこと。 」

「 ・・・・ 」

ジョウはマスクの陰から頷いた。

「 大丈夫ですのよ。 今は緩解期間といって・・・その間は普通の生活ができます。

 この病気特有の <中休み> なの。 」

「 そうなんですか。 でも 余計な負担はかけないほうがいいでしょう。 」

「 ・・・ 負担だ、なんて。 わたし、島村さんのお友達のつもりなのですれど。 」

フランソワ−ズはまっすぐにジジョウを見つめた。

 

  ・・・ なんて真摯な瞳なんだろう

  この女性 ( ひと ) は、 いつも現実をはっきりと見据えている・・・

 

「 すみません、余計なコトを言いました。 あの、これからお出掛けでしたか? 」

コ−トを羽織ったフランソワ−ズに ジョウはやっと気づいたようだ。

「 ええ。  これからランチのお手伝いに行こうと思ってました。 」

「 え・・・ その足で大丈夫ですか。 それに やはり出来るだけ安静にしていた方が

 いいのではありませんか。  」

「 ・・・ 島村さん 」

「 ジョウ、ですよ? 」

「 あ・・・ごめんなさい。 ジョウ・・・ わたしのこと、心配してくださってありがとうございます。

 お願いをひとつ、聞いて頂けます? 」

「 どうぞ、なんなりと。 ぼくに出来ること・・・いや、何だってあなたのためなら

 やってみせますよ。 」

「 それでは・・・・ 」

フランソワ−ズはにっこりと微笑むと、ジョウの腕を取った。

「 ご一緒にサナトリウムまで参りましょう。 」

「 ・・・ あ。 これは ・・・ 参ったな。 

 うん ・・・ それでは。 エスコ−トさせて頂きます。 」

仲良く腕を組んで 二人は玄関のポ−チへ出た。

 

「 お嬢様、お帽子を! ・・・ 島村様、フラン嬢様をどうぞ宜しくお願いいたします。 」

「 はい。 ちゃんとまた、ここへお送りしますから、ご心配なく。 」

涙を流し、頭を下げる張夫人に手を振り、ジョウとフランソワ−ズは

サナトリウムへの小路に向かった。

 

「 ああ・・・ ここは景色が素晴しいですね。 この前は雨でわからなかったけれど・・・ 」

「 ええ。 丘の上、というより山の中腹ですから・・・ 自然がとても豊かでしょう?

 あ ・・・ ほら、雉が二羽いますわ。 」

「 え・・・ どれ? どこに・・・? 」

「 あそこ・・・ ほら、あちらの斜面の松の木の根方に。 」

「 ・・・ あ、ああ! 本当だ。 あれは ・・・ ツガイですね。 恋人同士かな。 」

「 ええ。 仲良しでいいですわね。 」

「 ・・・ ぼく達も。 」

「 え、ええ・・・ 」

ジョウはそっとフランソワ−ズの肩を引き寄せた。

花よりも甘い香りが 微かにジョウの鼻腔をくすぐる。

「 あの雉達も一緒に散歩しているのかもしませんよ。 

 それにしても・・・ よく見分けられますね。 ぼくだけでは全然わかりませんでした。 」

「 わたし、眼が良いんですの。 兄と栗鼠やら小鳥達を見つけて遊んだものです。 」

「 ・・・ 楽しい子供時代だったのですね。 」

「 ええ ・・・ 父と母と兄と。 ・・・しあわせでした。 」

「 ・・・ 今、は? 」

「 ・・・ え ? 」

「 今 ・・・ あなたは、フランソワ−ズ ・・・ しあわせ、ですか。 」

ジョウは立ち止まると そっと隣の華奢な身体に腕を回した。

ぴくり、と細い肩が震えた。

「 ・・・ はい。 ジョウ、あなたに巡り逢えてわたしはしあわせですわ。 」

「 フランソワ−ズ ・・・ 」

 

サナトリウムへの小路にはまだ夏草が枯れかけてあちこちに残っている。

踏み拉く二人の足元で、黄土色にかわった草達は夏の名残を匂わせていた。

 

「 ・・・ 軽率なヤツだと思わないでください。 あなたを愛しています。 」

「 ・・・ ジョウ ・・・ 」

「 ぼくに あなたのために生きさせてください。 

 そして あなたもぼくのために生きてください。 」

「 わたしの・・・ ため? 」

大きく頷くと、 ジョウは腕の中の少女をしっかりと抱き寄せた。

「 ごめんなさい。 今はこれで我慢してください。 ・・・ もうすぐ・・・ 」

「 ・・・ え ? 」

ぼそり、と呟くとジョウはフランソワ−ズの頬にキスを落とした。

 

バサ・・・・ッ ・・・・ !

路肩の藪から 百舌鳥が大きく羽ばたいて飛び立っていった。

 

「 ・・・ ごめん ・・・ 」

「 ・・・・・・・ 」

ジョウの腕の中で フランソワ−ズはそっと首をふった。

そして 彼の胸にぴたりと頬を寄せた。

「 ・・・ 暖かいわ ・・・ パパやママンやお兄様と暮らしたいた時よりも ・・・ もっと ・・・ 」

「 フランソワ−ズ ・・・ 」

蒼白かった頬がほんのりと染まる。

不思議な感動と愛しさがジョウの全身を痺れさせた。

 

   ・・・ この女性 ( ひと ) を守りたい!

   この暖かさを失いたくない・・・ ぼくは ・・・ ぼくに出来ることは ・・・

 

「 ・・・ さあ、行きましょう。 お手伝いが間に合わなくなってしまうわ。 」

フランソワ−ズは彼の顔を見上げ、微笑んだ。

「 きみというヒトは ・・・ 」

二人はぴたりと寄り添ってサナトリウムへの路を辿って行った。

 

 

 

「 どうぞ、入りたまえ。 」

「 ドクタ−、失礼します。 」

「 ・・・ふん、このごろはいやに殊勝な態度じゃないか、不良患者の島村くん。 」

ジョウはフランソワ−ズをサナトリウムの食堂に送ってゆき、その足で院長室を訪ねた。

広いはずの院長室はトコロ狭しと本やら資料が積み上げられていた。

もっともギルモア院長が日中この部屋に納まっていることはほとんどなく、

彼は常に率先して患者の間をまわり、医師や看護婦達と治療に心を砕いていた。

 

「 早速だがな。 君は<卒業>だ。 おめでとう。 よく辛抱したな。

 今朝の検査で喀痰にも菌は発見されなかったよ。 」

「 ・・・ そうですか。 」

「 なんじゃ? あまり嬉しそうではないな。 冬が来る前に東京に戻れるぞ。 」

「 ええ・・・ そうですね。 」

浮かない返事をくりかえすジョウに院長は優しい眼差しを向けた。

「 ・・・・そんなにフランソワ−ズ嬢が 気になるか? 」

「 え ・・・ ! そ、そんなぼく達は別に・・・・ 」

「 そうかな。 」

「 あ・・・ すみません、正直に言います。 ぼくには・・・あの女性 ( ひと ) のために

 なにか ・・・ なにか出来ることはありませんか。 」

「 島村君。 」

ギルモア院長はジョウをじっと見つめ、つ・・・と席を立つと窓辺に歩み寄った。

窓の外にひろがるどこまでも青い空を院長は見上げ・・・ 深く溜息を吐いた。

 

「 ワシは ・・・ 無力だ。

 ここの患者さん達の力に少しでもなれる、と思っていたが・・・

 目の前で消えてゆく生命を 黙って見送るしか・・・できんのだ。 」

「 ・・・ 彼女の病気は ・・・ 絶望なのですか。 」

「 ワシがあと20年、いや10年若かったら・・・! 

 新しい治療や薬の開発にこの身を捧げるのだが・・・ この老いぼれの身ではなあ。

 それに ・・・ 微力だがワシを必要としてくれる患者さん達もいる・・・ 」

「 ドクタ−! 微力だなんて、とんでもない! ドクタ−のお蔭で

 ピュンマさんや多くの人々が完治しています。 ぼく自身もこうして救って頂きました。 」

「 ・・・ そう言ってくれるか。 ・・・ ありがとう、島村くん。 」

「 お礼を申し上げるのはぼくです。 

 ドクタ−。 ぼくに ・・・ 出来るでしょうか。 その ・・・ 彼女の病気との闘いが。 」

ドクタ−・ギルモアは窓辺から振り返るとジョウを真っ直ぐに見つめた。

「 あの病は今現在の医学では有効な治療法が無い。

 しかし 先進国の独逸の大学病院では研究が進んでいるそうだよ。

 あちらの病院にいる友人が時々知らせてくれるが・・・ 若い研究者を必要としている。 」

「 独逸ですか・・・ 」

「 ワシは先代のアルヌ−ル氏とは懇意でな。 このサナトリウムの建設にも

 大いに力になってもらったのじゃ。

 旧友の遺児を見守って行きたかったのだが・・・ 

 ワシは ・・・ こんなにも無力じゃった・・・ 」

「 ドクタ−。 」

島村ジョウは 患者用の椅子から立ち上がるとギルモア院長の前に

つかつかと歩み寄った。

そして。

かっきりと院長と向き合い、彼は一息深く息を吸い込むと口を開いた。

 

 

 

 

 

「 こんにちは。 ランチをお届けに来ました。 」

コツコツと小さなノックとともに 明るい声が響く。

「 ・・・・ わ! ごめん〜〜 もうそんな時間なんだ?!」

がたがたと賑やかな音がして島村ジョウがドアから飛び出してきた。

「 ジョウ ・・・ お勉強中にお邪魔してしまったかしら。 」

「 いや! ありがとう、検査室の手伝いの時間、忘れるところだった。 」

「 ずっと根を詰めてお勉強なさっているわね。 どうぞお身体に気を付けて・・・ 

 このランチ、全部召し上がってね。 ・・・ じゃあ わたし、これで。 」

「 フランソワ−ズ! あ、あの! 一緒に食べませんか。 

 ここ・・・散らかってるけど、どうぞ? 」

ジョウは立ち去ろうとする彼女を慌てて引きとめた。

「 お邪魔ではありませんの。 」

「 とんでもない! ねえ ・・・ もっと一緒に居たいなあ。 」

「 ・・・ ジョウったら・・・ 」

島村ジョウはサナトリウム本館にある一室に フランソワ−ズを招じ入れた。

患者を<卒業>した彼は、今ここに寝起きして治療に関する仕事の手伝いをしている。

「 ごめん ・・・ とてもレディを招待できる部屋じゃないね。

 あ、でもここ! この椅子に掛けて ・・・ うん、このテ−ブルをそっちに運ぶよ。

 ・・・ さ、これでいい。 あ、今、熱いお茶を淹れてくるから! 」

ジョウはまたどたばたと出て行ってしまった。

 

  ・・・ふふふ ・・・ 可笑しな方。

  でも 元気そうでよかったわ。 あの方の側にいるとわたしも元気になれそう・・・

 

フランソワ−ズは椅子に座ったままで彼の部屋をぐるりと見回した。

乱雑に本やら参考書、ノ−トの類が机の上だけではなくベッドや床の上にまで散らばっている。

ベッドのリネン類は辛うじて清潔さを保っていたが、その上にもYシャツが乱暴に投げてあった。

そういえばコテ−ジにいる時分には随分と洒落た身なりをしていたのに、

今のジョウは すこしシワの縒った白衣をいつも羽織っているだけだった。

 

  お勉強とこちらのお手伝い ・・・ 両方では大変なのではないかしら。

  ああ・・・ わたし、せめて身の回りのお世話ができたらいいのに・・・!

 

フランソワ−ズは そっと ・・・ 左手の指輪に唇を当てた。

 

  ごめんなさい ・・・ なにもして差し上げられなくて

  ・・・・ フィアンセとして失格ね。

 

 

ジョウはサナトリウムの臨時職員になる時、フランソワ−ズと婚約をした。

頬を染め、嬉し涙を浮かべつつも 首を振る彼女をジョウは半ば強引に説き伏せたのだ。

「 お願いです、フランソワ−ズ。 ぼくをあなたの一番近くに居させてください。 」

「 そんな ・・・お願い、だなんて・・・ だめですわ、わたしは ・・・ 

 あなたを、ジョウ・・・ 幸せにはしてあげられません。 」

「 あなたが居てくれるだけで それがぼくの幸せなのです。

 ほら ・・・ この、暖かさをぼくは守りたいんだ・・・! 」

「 ジョウ ・・・ 」

ジョウはフランソワ−ズの手を両手で包み込んだ。

「 あなたのご家族やご親戚が反対なさるわ。 こんな病気の・・・ 」

「 フランソワ−ズ。 あなたの運命もなにもかも、すべてをぼくは愛しています。 

 お願いです、うん・・・と言ってください。 」

「 ・・・・ ジョウ ・・・ 」

「 これ・・・ ぼくの母の形見です。 新しいものじゃなくてごめん。

 ぼくにはとても大切なものだから・・・ きみに填めていて欲しい。 」

ジョウはポケットから取り出した指輪を フランソワ−ズの薬指に填めた。

「 きみの兄上にはお願いの手紙を書きます。」

「 ・・・ お預かりしますわ。 お母様のお形見を・・・ 」

 

 

  ジョウのお母様 ・・・ 

  こんなフィアンセで ごめんなさい・・・

 

あの日からずっと一緒にいる指輪はちかり、とフランソワ−ズに微笑みかけた。

 

あ・・・

 

ぎしぎしと盛大に階段を鳴らし、ジョウの足音が聞こえてきた。

フランソワ−ズは慌てて目尻からこぼれた涙をぬぐった。

 

 − きみの笑顔ってぼくには最高の<元気の素>なんだ

 

だから、いつも笑っていて、とジョウは常々口にする。

 

  わたし・・・ なにもできないから。

  せめて あなたの前では微笑んでいるわね。 

  わたしの ・・・ ジョウ ・・・・

 

「 お待たせしました。 ほら・・・ 淹れ立てのほうじ茶です。

 あ・・・ 嫌いかな。 」

「 いいえ、香ばしくて大好きですわ。 ・・・ いい香り・・・ 」

「 よかった。 ・・・ わお、なんだかレストランみたいだ〜 」

「 ふふふ ・・・ ただ並べただけよ。 可笑しな方・・・・ 」

テ−ブルの上に広げられていたランチに ジョウは目を輝かせた。

 

「 ・・・ 夢みたいだ。 きみと一緒に こうして二人きりで食事ができるなんて。 」

「 ・・・ ジョウ ・・・ 」

「 今に毎日、一緒だよ。 朝も昼も晩も・・・ ずっと。 」

「 そう ・・・ そうね。 そんな風にできたら ・・・ 素敵ね。 」

「 出来るよ! かならず ・・・ 

 さあ〜〜 頂きます! 何から食べようかな〜 」

「 あの、これね。 このサラダ・・・ 家の菜園でジェロニモが作ったレタスが入っているの。

 院長先生にお願いして、使っていただいているのよ。 

 わたしも ・・・ 調理を少しはお手伝いしたわ。 」

「 フランソワ−ズの手作り? わ〜〜〜 感激だな。 

 ・・・・ うん、 美味しい♪ 」

「 よかった・・・! どうぞ沢山召し上がってね。 

 お勉強やこちらのお手伝い・・・大変でしょう? わたしも何かお手伝いできればいいのに。 」

「 フランソワ−ズ 」

ジョウはフォ−クを置くと テ−ブルごしにフランソワーズの手を握った。

「 きみは ・・・ きみ自身のことだけ考えてください。

 きみが こうしてぼくの側に微笑んでいてくれるだけで ・・・ それがぼくへの最高の応援です。 」

「 ・・・ でも ・・・ なんにも出来ないフィアンセなんて。

 わたし ・・・ 自分自身が歯がゆいわ。 」

青い瞳には たちまちのうちに涙がもり上がり白い頬を伝い落ちる。

「 泣かないで。 ぼくはね、フランソワ−ズ。 今、希望でいっぱいなんです。 

 ぼくがフィアンセとしてきみのために出来ることを見つけて夢中です。

 次の春、帝大の医科を受けなおし独逸に留学して ・・・ きっときみを元気にしてみせる。 」

「 ・・・・・・・ 」

「 だから ・・・ 生きてくれ。 だから それまで ・・・ 生きて・・・! 」

フランソワ−ズは流れる涙を拭いもせずに、ただ ・・・ 優しい眼差しでジョウを見つめ続けていた。

 

「 ・・・ わたし。 あなたと出逢えてよかった。 」

「 ぼくもだよ、フランソワ−ズ。 」

「 あのね・・・ どうしてかしら。 もう ずっと諦めていたのに。 その日を 待ってさえいたわ。

 なのに。 なぜかしら ・・・ わたし、生きてみたくなったの。 ええ、もっともっと・・・・」

「 きみはその答えを知っているね。 」

「 ・・・ええ。 」

「 ぼくが言ってあげようか。  ・・・ 愛を知ったから。 」

「 ・・・ええ そう。 わたし ・・・ ジョウ、あなたを・・・ 」

「 し。 ぼくから言わせて欲しいな。  フランソワ−ズ、ぼくはきみを 」

 

  ・・・ 愛してる ・・・

 

二人の声が 同じコトバを唱和した。

 

「 ・・・ 今日は良い天気だね。 綺麗な青空だ。 」

「 ええ。 林の樹が随分と紅葉してきたわ。 空がね ・・・ 毎日高くなってゆくの。

 あの雲の果てから パパとママンの笑顔が見えるみたい。 」

「 ・・・・ いつか、きみと一緒にゆくよ! 一緒に行こう。 

 それできみのお父様とお母様にお願いするんだ。 お嬢さんをぼくに下さいって。

 だから。  ・・・・ 生きろ、生きてくれ。 」

「 ・・・ ありがとう ・・・ ジョウ ・・・ 」

ジョウは立ち上がり、フランソワ−ズの隣に立った。

寄り添ってくる細い身体には どこか芯熱の熱さがあった。

 

  ・・・ まってくれ。 待っていてくれ・・・!

  ああ、他になにもいらない! きみが きみさえ こうして生きていてくれれば・・・

 

「 ごめん ・・・ ちょっとだけ ・・・ 」

「 ・・・ そんなこと おっしゃらないで・・・ 」

 

秋の午後、透明な光の差し込む一室でジョウとフランソワ−ズは 熱く唇を重ねた。

 

 

 

 

昨日からの雨は相変わらず同じ調子で降り続いている。

・・・ そういえば、一昨日も一昨々日も・・・ こんな天気だった。

 

フランソワ−ズは曇った窓ガラスに映る自分の顔をぼんやりと眺めていた。

熱の気だるさと時々ぞくり・・・と背を這い登る悪寒が交互に彼女を苛んでいる。

 

「 ・・・ 変ですねえ・・・ 今日は朝から電話がうまく繋がらないのですよ。

 何回呼んでも交換が出ませんのです。 」

張夫人がトレイを捧げて入ってきた。

「 ・・・ そう? この雨のせいかもしれなくてよ。 」

「 そうですねえ・・・・ 地盤も随分緩んでいるらしいです。

 ああ、今日はジョウ様が東京からお帰りになる! お嬢ちゃま、よかったですねえ。 」

「 ええ・・・ もっと元気でいたかったのだけれど・・・ 」

フランソワ−ズはぐったりと枕に身を沈めたままだ。

「 ・・・ お嬢ちゃま。 さあ、これを召し上がって・・・ メイプル・シロップ入りですよ。

 すこしでもお元気なお顔をジョウ様にお見せにならなくては・・・ 」

張夫人はそっと彼女を抱き起こした。

「 ・・・ そうね ・・・ ジョウのためですものね・・・ 」

「 そうですとも ・・・ 」

「 お昼すぎの汽車でお帰りになるはずよ。 それまで・・・休ませて。 」

「 ええ、ええ。 その間にばあやはちょっと下の村まで買出しに行ってきます。

 この村の美味しい鶏料理をジョウ様に差し上げますからね。 」

「 ・・・ ありがとう、ばあや。 ・・・ お願いね。 」

「 ジェロニモが居りますから。 なにか御用がおありでしたらお言いつけ下さい。 」

「 ええ。 気をつけて ・・・ いってらっしゃい。 」

 

陽気な張夫人が出かけてしまうと、別荘はにわかに静まり返った。

雨の音だけが ・・・ 相変わらず同じ調子で響いていた。

一回は手に取ったカップも フランソワ−ズはすぐにサイド・テ−ブルに戻してしまった。

南側に大きく取った窓にぼんやりと視線を投げかける。

吹きつけ窓ガラスを伝わっては落ちる水滴の跡の間から もはや代赦色になり始めた山が見える。

中腹には鉄橋が渡り、この高原への入り口となっていた。

 

  もうすぐ・・・ もうすぐね。 あなたのお顔が見られるわ・・・

  ジョウ ・・・ 早く 帰ってきて・・・ わたし 心細いの

 

 

「 あんな親父でも一応ぼくの父親ですからね。 

 ともかく、あなたとの事を正式に報告して、今後の計画も承諾を得てきます。

 なあに・・・ ぼくは所謂妾腹の次男ですから大抵のことは目を瞑ってもらえます。 」

「 ・・・ お父様、きっと反対なさるわ。 こんな女と・・・ 」

「 フランソワ−ズ? ぼくの人生はぼくが決めます。 ぼくの伴侶も。

 それよりも、きみの兄上に早くお許しを頂かなくては。 」

「 それは大丈夫ですわ。 兄は わたしのお願いはなんでもきいてくれますもの。 」

「 うん ・・・ でもなあ ・・・ 一発は覚悟していますよ。 」

「 ・・・ まあ。 」

「 さあ、ぼくが帰って来るまでにその頬をふっくらさせておいて欲しいな。 」

「 ・・・ はい。 」

 

ほんの二週間前の会話が懐かしフランソワ−ズの胸に蘇る。

・・・ ごめんなさい、ジョウ・・・

わたし ・・・ もう ・・・

骨の浮いた手で フランソワ−ズはそっと窓の曇りを拭った。

 

  ・・・ あら・・・?

 

山肌が ・・・ 

フランソワ−ズはベッドから起き上がると窓越しに目を凝らせた。

ネグリジェの袖で窓ガラスを拭きなおし、さらにじっと見つめた。

 

  やっぱり・・・! このままでは・・・ 鉄橋が危ないわ!

 

駅に知らせなければ。 

・・・ああ、電話は通じないってさっきばあやが言っていたわね。

それなら・・・ !

 

「 ・・・ ジェロニモ! お願い、ちょっと来てちょうだい。 」

細いけれど張りのある声が忠実な従僕を呼んだ。

 

 

 

 

「 いやあ・・・ 驚きましたよ、本当に。 」

高原駅の駅長はぐっしょり濡れた制帽を脱ぎ、禿頭を手ぬぐいでぬぐった。

「 真っ青な顔で飛び込んで来たお嬢さんがいきなり、鉄橋が崩れます!って

 一言叫んで ぶっ倒れてしまったのですからね。 大丈夫ですかな。 」

駅長は表情を曇らせ、応対にでているジョウに尋ねた。

「 駅長さん、ありがとうございます。 お世話をおかけしました。 」

「 いやいや! とんでもない。 御礼を言うのは小生の方です。

 こちらのお嬢さんが急を知らせてくださらなかったら大惨事になるところでした。 」

「 ええ・・・ ぼくもあの列車に乗っていましたから。 彼女に命を救われました。 」

「 こちらの従僕さんも現場に駆けつけて合図してくれましたし。

 本当に早い発見が何十人もの命を救ってくださいました。 御礼を申し上げます。 」

「 彼女をここまで運んできて下さってありがとうございました。 

 きっと彼女に 伝えておきますね。 」

「 お願いします。  お嬢さん、・・・ お加減はいかがですか。 」

「 ええ・・・ サナトリウムの院長、ドクタ−・ギルモアが来て下さっていますから。 

 どうぞご心配なさらずに。 お気使い、ありがとうございます。 」

「 そうですか ・・・ 時にあなたは? こちらのご親戚ですか。 」

「 ぼくは。 ・・・ ぼくは彼女の婚約者です。 」

「 おお〜 そうでしたか。 立派な婚約者をお持ちだ。 どうぞお幸せに。 」

それでは・・・と、駅長は何回も頭を下げると帰っていった。

 

・・・ なんてことだ。

きみってヒトは ・・・ ほんとうに・・・・!

 

ジョウはバンッ!! と玄関のドアを思い切り叩いた。

 

「 島村さま ・・・ 」

「 ・・・ ジェロニモ・・・?  ああ、君も着替えて暖かくしたほうがいいですよ。

 ありがとう、君のおかげで汽車は転覆せずに済みました。 」

「 わたしではありません。 すべてはフラン嬢様がお指図なさいました。 」

「 ・・・ そうだけど・・・。 」

「 島村さま。 どうぞフラン嬢様のお側に居てください。

 嬢様を ・・・ 嬢様のお生命を護ってあげてください。 」

「 ・・・・・・・ 」

ジョウは忠実な従僕に頷くと、重い足取りでフランソワ−ズの寝室に戻って行った。

 

 

「 ・・・よしよし・・・ 偉かったなあ・・・ フランソワ−ズ。

 ちょっとこの注射を我慢しておくれ。 ・・・さあ これで・・・少しお休み。 」

「 ・・・ ギルモアのおじ様 ・・・ 」

ジョウがそっとドアを開けると、ドクタ−・ギルモアはフランソワ−ズのベッドサイドから

立ち上がり、彼を手招きした。

「 ・・・ ほれ、お前のお待ちかねのヤツが来たぞ。 

 すこしだけお喋りするのを許可してやろう。 」

「 ドクタ−・・・ 」

 

「 ・・・ ジョウ ・・・ ご無事で ・・・ よかったわ。 」

「 フランソワ−ズ 」

ジョウはベッドの中から差し伸べられた細い手をしっかりと握った。

「 きみのお蔭で 沢山の人たちが助かったよ。 

 本当に ・・・ きみは素晴しいひとだ・・・ ! 」

「 ・・・ ちがうの。 」

「 え ? 」

「 わたし ・・・・ ジョウに会いたくて。 ジョウのことしか考えてなかったわ。

 鉄橋が崩れたらジョウに会えない ・・・ って それだけ・・・ 」

「 ・・・ きみってヒトは・・・ ああ、なんて愛らしいひとなんだ・・・! 」

ジョウは思わずフランソワ−ズの身体をかき抱き  そしてその熱さにたじろいだ。

「 ごめん・・・ あんな大活躍したんだもの、ゆっくり休まなくちゃね。 

 乱暴なことして、ごめんね。 さあ・・・ 」

「 ・・・ ありがとう ・・・ ジョウ ・・・ もうちょっと側にいて。 」

「 いいよ。 きみが眠るまでここにいる。 」

「 ・・・ 嬉しい・・・」

 

 

半時間ほどしてフランソワ−ズの眠りを確かめたあと、ジョウは応接間に降りていった。

ドクタ−・ギルモアは まだ降り続く雨を眺めていた。

 

「 あの娘は ・・・ なんという事を・・・!」

「 ドクタ−・・・ 」

「 緩解期間が終わりかけている。 まだもう少しは、と思っていたが・・・ 」

「 ・・・ それ ・・・ じゃ ・・・ 」

「 あとは 彼女の体力と気力の問題じゃ。 ・・・ ワシから彼女の兄に連絡をしよう。 」

「 ・・・ ドクタ−。 ぼくに出来ることはありませんか。 なにか、なんでも・・・! 」

「 ・・・ フランソワ−ズの側に居てやっておくれ。 それが ・・・ 一番じゃ。 」

「 ・・・・・・・・ 」

 

 

その日から、ジョウはアルヌ−ル家の別荘の一室に詰め切りになった。

それでもフランソワ−ズのたっての願いで 午前中はサナトリウムの手伝いに通った。

 

「 ・・・ 引き受けたお仕事は ・・・ なさらなくては・・・ 」

「 そうだね。 きみの言うとおりだ。 無責任なことをしては皆に迷惑だね。 」

「 ・・・ ふふふ ・・・ 毎日ジョウに行ってらっしゃい、って言って・・・

 お帰りなさいって言って ・・・ 本当の奥様になれたみたい・・・ 」

「 本当の奥さんだよ。 ぼくの妻は きみだけだ、フランソワ−ズ。 」

「 ・・・ 嬉しいわ ・・・ 今だけ でも ・・・ 」

「 今だけじゃない。 ずっとだよ、これからずっと。 一生さ。 」

「 ・・・・ ジョウ ・・・・ 」

フランソワ−ズは頬に透き通った笑みを 淡く浮かべた。

 

 

「 ・・・ 雪 ・・・・ 」

「 え? 」

「 雪が降ってきたわ・・・・ ほら ・・・ 」

「 ・・・ ほんとうだ ・・・ 相変わらずきみ目がいいね。 」

ジョウはベッドの側から窓辺に寄った。

「 寒いかな。 カ−テンを引いておこうか。 」

「 ・・・ ううん ・・・ 大丈夫。  雪が ・・・ 見たいわ。 」

「 そう? それなら 一緒に雪見をしよう。 」

「 え ・・・? あら・・・ 」

ジョウはフランソワ−ズをしっかり毛布に包むと抱き上げ 窓辺の長椅子に座った。

「 ほら。 ここならもっとよく見えるだろう? 」

「 ジョウ・・・ ありがとう・・・ お兄様の御船は 今 ・・・ どの辺りかしら ・・・

 元気でいるっていうお約束が ・・・ 守れなかったわ ・・・ 」

ジョウの腕の中の身体は すこし力を入れればほろほろと壊れてしまいそうだった。

こみ上げる熱い塊を ジョウはく・・・っと呑み下す。

「 兄上の到着までまだ・・・日があるから。 元気になれるよ、ね? 」

「 ・・・・・・ 」

細い指が そっとジョウの手を求めた。

ジョウは 両手でそのか細い指を包み込んだ。 

 

「 ・・・ すこし ・・・ 眠ってもいい ・・・ ? 」

「 疲れたのかい。 ほら・・・ もっとぼくの腕に凭れて・・・ 」

「 ありがとう ・・・ ジョウ。 ああ・・・ 暖かくて・・・ 良い気持ち ・・・ 」

「 ゆっくりお休み、フランソワ−ズ。 」

「 ・・・ ええ ・・・ 雪がやんだら ・・・ 起こしてくださる? 」

「 うん。 それまでずっと・・・ こうやっているから。 安心してお休み。 」

「 ええ ・・・ あ ・・・りが ・・・とう ・・・・ ジョウ ・・・ 」

「 ・・・・ フランソワ−ズ ・・・・ 」

すう・・・っと微笑みの影が彼女の唇を過ぎると ・・・ 青い瞳は静かに閉じていった。

 

「 ・・・ 眠ったのかい。 ぼくの ・・・ フランソワ−ズ ・・・ 」

 

ジョウはじっと ・・・ 腕の中の華奢な身体を抱き続けていた。

雪は その日一日降り止むとことはなかった。

 

 

 

 

*********

 

 

 

 

   − ピュンマさんの飛行機は もうこの国の空を飛び立っただろうか。

 

島村ジョ−は 院長室の窓から秋晴れの空を仰ぎ見た。

季節の早いこの高原では ススキが穂を出し虫の音が日ごとに高くなっている。      

 

「 院長、研修医さん達への資料はこれでよろしいですか。 医局から集めて来ました。 」

婦長のしるしが入ったナ−ス帽を被った女性が顔を出した。

「 はい。 ・・・どうもありがとう。 ヘレン婦長、君は本当に万能ですね。 」

「 いえ・・・。 私はアルテミス婦長さんのご遺志を継ぎたいのです。 」

「 あの方も立派な方でしたね。 」

「 ・・・ 私はあの方の弟さんと将来の約束をしていました。 」

「 そうだったのですか。 」

「 ・・・ふふふ もう20年近く昔の話ですわね。 院長先生こそ、ずっとお一人で・・・」

 

「 ぼくですか。 

 いえ ・・・ 一人ではありません。 

 ぼくのフィアンセは ちゃんとここにいます。

 あの雲の果てに ・・・ そして  ぼくの胸の内に。 」

 

 

  ・・・あの方はいつも、いつまでも島村先生の心に生きていらっしゃいますのね。

 

さあ、ピュンマさんの国からの研修医さん達の講義を始めましょう。

ぼくが ・・・ あの病と闘う最後のヒトになれば・・・と願っています。

 

 

ジョウは ヘレン婦長と並んで窓辺に立った。

山々は少しずつ華麗な色彩を見せ初めている。

山の向こう、雲の果ての空は どこまでも澄み切って 青い。

今年は 雪が早く来るのかもしれない。

 

 

 

*********    Fin.   ********

Last updated : 03,13,2007.                          back        /       index

 

 

*****  ひと言  *****

長々とお付合いありがとうございました。

萌え〜〜な場面も濃厚ラヴ場面もなくて退屈だったと思います、すみません〜〜

時代が時代ですので ・・・ 本当は 許婚( いいなずけ ) とか 接吻 とか

書きたかったのですけどね (^_^;)  たまにはこんな純愛モノも・・・いいかも???

一言なりとご感想を頂けましたら幸いです。 <(_ _)>