『 遠い子守り歌 − ( 1 ) − 』
《 あれ ・・・・ ? 》
その日、目覚めたときからイワンはどうも妙な気分だった。
いや、目が覚める前、夢の中からなんとなく居心地が悪かった・・・ような気もする。
半月ぶりの<昼の時間>、いつもなら心地よい空腹とふつふつと沸いてくる<元気>を
その小さな身体いっぱいに感じる目覚めはイワン自身、気持ちの良いときなのであるが・・・
《 ・・・どうしたのかな。 どこか・・・具合が悪いのかなぁ・・・ 》
超能力ベビ−は意志のパワ−で瞬時に自分自身の身体を点検する。
《 身体機能の不具合は・・・ナイな。 ふぅ・・・ ちょっと暑いな。 汗で寝巻きが気持ちワルイ・・・ 》
《 ・・・エリがちくちくするよ。 あ、ヤだなぁ、この寝巻き、キライだって言ったじゃないか。》
新作なの♪とフランソワ−ズが大得意で買ってきた、デザイナ−ズ・ブランドのベビ−服は
華麗なレ−スが首周りを取り巻いていて・・・煩い。
ひらひらの端っこを ちんまりした指が苛立たしげに引っ張った。
《 この部屋は空気がこもっているね。 ・・・あれ。 ク−ファンになんだって
こんな飾りを付けるのかな。 レ−スに・・リボンまで! ・・・ボクは男なんだよ? 》
もぞもぞと手を動かしてみるが ちいさな手がク−ファンの被いに届くはずもなく。
《 ・・・ちぇ。 ・・・それにしても、お腹空いた! 今日あたりボクが起きるのって
判っていると思うんだけど。 フランソワ−ズ、気が利かないなぁ・・・ 》
《 てれぱし-で呼ぼうかな・・・ う〜ん、なんだかソレもシャクにさわるし・・・ 》
「 ・・・ふ・・ふふぇ〜〜 ふぇ〜〜ん! うぇ〜〜〜!! 」
岬の端にぽつんと建つちょっと古風な洋館・ギルモア邸。
いつもは静かな空気を震わせて 赤ん坊の泣き声が響き渡った。
・・・要するに。 彼はその日、 < ムシの居所が悪 > かったのである。
ざくざくざく・・・
足元から響いてくる音が変わった。
しめった砂が靴の下で 賑やかな音をたて始めた。
− ふう・・・。
小ぶりのトランクを下ろし、ピュンマは空を仰いだ。
もう、すぐだ。
目に映る空も太陽も 彼の故郷での姿とは比べ物にならないくらい淡く、優しい。
大気はしっとりと透明なヴェ−ルとなって 彼の精悍な肌にまとわりつく。
初めてこの地に来た時は その鬱陶しさに驚きネをあげたが
今、その感覚がピュンマには懐かしいものになっている。
− ここの海は 空気は 本当に優しいな。
あとすこし。
海に突き出した断崖の上に 見慣れた屋根が見え隠れしはじめた。
もうひとつの故郷( ホ−ム )へ - 彼は軽い足取りで歩んでいった。
「 ・・・タダイマ。 」
登録済みのオ−トロックがカチリ、と小さな音をたて見た目には少々古びた、しかし
どっしりと風格のある木製のドアが開く。
ジョ−から教わった日本式の帰宅の挨拶が いつの間にか仲間内でも定着してしまった。
− ただいま。
− お帰りなさい。
さりげない言葉のやり取りの中に ふんわりと漂う温かさがピュンマは好きだった。
それに。
世界中で ここ だけだ。 僕が<ただいま>と言えるホ−ムは・・・
普段は意識もしていない想いに 彼はふと気づくのだった。
「 ・・・? あれ・・・?」
玄関ポ−チにトランクを置いて、ピュンマは首をかしげた。
今日、到着することはちゃんと知らせてある。
玄関の開く音になんの応えもないのに、勿論気にはなったが、それ以上に
ピュンマの眉を顰めさせるコトがあったのだ。
ヘンだな・・・?
ポ−チの隅に砂埃が溜まっているし。 ・・・あれ。 花瓶の花が枯れかけている?
・・・なにかあったのか、誰かどうかしたのかな。
僕が国を出てから、なにか起こったのだろうか。 ・・・博士でも具合が悪いのかな。
この邸を事実上その指揮下に収めているフランソワ−ズの性格を、そしてその有能ぶりを
彼はよく知っていた。 ・・・身を以って熟知していた。
だから少々大袈裟に言えば、家の荒廃ぶりに驚き生真面目な彼が悪い方へ悪い方へと
気を回したのも当然の成り行きだったのである。
「 フランソワ−ズ? ・・・ ジョ−? なにか・・・あったのかい? 」
ピュンマは玄関に荷物を置いたまま大股で 邸の中へ入っていった。
「 ・・・ ジョ−? 誰か・・・いるかい?! 」
「「 わ!?・・・なに??!?」」
ばん・・・っといささか乱暴にドアを開けリビングに入ったとたん、
中にいた人物たちは 本当にすこし飛び上がったようだ。
「 博士が・・・ どうかしたの、具合でも?? 」
「 ・・・え、ギルモア博士に ・・・ なにかあったの? 」
「 え? 」
「 ・・・え? 」
「 だから、ジョ−? 」
「 あ、ああ・・・、ピュンマ。 お帰り・・・ 」
《 ・・・うぇ・・・え・・・ふぇ〜ん・・・! 》
「 ・・・もう! せっかく!やっと少し大人しくなってたのに〜〜 」
怪訝な面持ちをつき合わせている男二人を 赤ん坊のぐずり声と
苛立ちを隠せない − そして かなり疲れた − フランソワ−ズの声が
現実に引き戻した。
「 あ・・・ ごめん! イワン、寝てたんだ? 」
「 ええ・・・。 あ〜 ・・・ ピュンマ、お帰りなさい。 ごめんなさいね、
気がつかなくて・・・。 いま、コ−ヒ−でも淹れるわ。 」
「 フラン。 ぼくがやるよ。 とにかく、きみはすこし寝てこいよ。 」
「 大丈夫・・・ ・・・ あ ・・・ 」
立ち上がった瞬間に ふらり、とよろめいたフランソワ−ズを抱きとめ、
ジョ−はかなり強い調子で言った。
「 ・・・と! 大丈夫じゃないだろ? こんなに手が冷たいじゃないか。 」
「 ・・・ ごめんなさい ・・・ じゃあちょっとだけ。 」
「 うん、ゆっくり休んで。 さ・・・ぼくが抱いているから。 」
「 お願い・・・ もう、いい加減で・・・寝ると思うの。 」
タオルに包まれた小さな身体を ジョ−はそっと受け取った。
「 なんだか・・・大変だね。 イワン、どうかしたのかい?
もう<昼の時間>のはずだよね? 」
寝室に引き上げるフランソワ−ズを見送って、ピュンマはそっとジョ−に尋ねた。
「 ・・・うん、本当にそうなんだけど。 どうしてか、泣いたりぐずったり・・・
話しかけても全然応えないし・・・ 夜中もぐずぐず言うしさ。 」
そろ・・・っと腕の中の赤ん坊を抱きなおし、ジョ−は盛大にため息をついた。
「 フランソワ−ズが一晩中寝ないで付き合って・・・ 抱っこしたりおんぶしたり・・・ク−ファンで
揺らしてみたり。 ・・・でも、全然ダメなんだよ。 」
「 ふうん・・・。 どこか、身体の具合が悪いのかもしれないよ? 博士は? 」
「 ウン・・・ でも熱もないし食欲もないわけじゃない。ギルモア博士はコズミ博士と一緒に京都なんだ。
なにか学会絡みのレセプションだって。 」
《 ・・・うっく・・・ふぇ・・ふぇ〜〜〜ん! 》
「 ・・・あ〜〜 また 始まった・・・! 」
ジョ−はあわててイワンの背中をとんとんと優しくたたいた。
「 なにか重大な事件の予知でもしてるのかな? 」
「 う〜ん・・・初めはそうかな、とも思ったんだけど。 でもこちらからの問いかけに全然答えないし。 」
「 それは変だね。 事件ならたとえ夜の時間でもなんらかのコンタクトはとるよなあ。」
「 うん。 だから、ミッションとは関連はないと思う。 」
「 じゃあ、いったいどうしたって・・・? 」
「 それは! それこそぼくが聞きたいよ! 」
一段と不機嫌さんが増したイワンの泣き声に ジョ−とピュンマは深いため息をついた。
「 じつはさ。 イワンったら目が覚めたときからずっと・・・こうなんだよ。 」
ぐずぐず・くちゅくちゅいう小さな身体をゆるくゆすりつつ、ジョ−は自分こそが泣きたい気分なんだ、
と のんびり屋の彼には不似合いな深い・ふか〜いため息をついた。
・・・ 昨日の朝なんだけど。
ジョ−は ぽつぽつとこの大騒ぎの経過を話し始めた。
「 おはよう! イワン。 あら・・・お腹空いた? 」
彼の泣き声に呼ばれてフランソワ−ズが小走りに入ってきた。
「 ・・・ イワン ? 」
なんの答えも返さないイワンを フランソワ−ズは真顔になって覗き込んだ。
「 どうか・・・したの? 具合でも悪い? 」
ちょっと汗ばんだ額に手を当てから そっとクーファンから抱き上げた。
「 あら・・・暑かったの? じゃあ・・・朝御飯の前にお風呂に入る? 」
《 ふぇ・・・ふぇ〜ん・・・え〜ん・・・ 》
彼女の腕のなかで小さな身体が 思いっきり反り返る。
「 ・・・わ・・・びっくりした・・・ ねえ、どうしたの? オムツ? 」
慌ててさわった可愛いオシリはご機嫌マ−クである。
「 ・・・へんねぇ。 でもお熱もないなら、お風呂にしましょ。 」
まだぐずぐず言っているイワンを抱きなおし フランソワ−ズはバスル−ムへとむかった。
「 おはよう、イワン。 ・・・あれ・・・? 」
ちょうどリビングから出て来たジョ−が ちょん、とワインの頬に触れてから妙な顔をした。
「 ・・・ どうかしの、イワン? それとも、ぼくの手がヘンなのかな・・・? 」
「 ・・ね? ジョ−も・・・そう思うでしょ。 なんか・・・ヘンよねえ。 」
「 ウン。 いつものイワンとは・・・ちがう? あ、これからお風呂?
だったら、ぼくがやるよ。 ちょっと汗かいちゃったから、一緒にシャワ−浴びよう♪ 」
「 そう? じゃあ、お願い。 イワンの着替え、出しておくわね。 」
「 さんきゅ。 さ〜 イワン♪ いっしょに ざぶ〜ん・・・だよ? 」
ジョ−は自分自身はご機嫌で 気軽にイワンを抱き取った。
ふふふ・・・
なんだか お兄ちゃんみたい。
ちっちゃい頃、よく一緒にお風呂に入ったっけ。
面倒見の良い彼が兄の面影と重なりフランソワ−ズは一人ほほに淡い微笑を浮かべた。
さあ、これでさっぱりすればイワンのご機嫌もなおるわね。
ミルクの用意をしておきましょ。 昨日 ちゃんと<お気に入り>の、買っておいたし・・・
フランソワ−ズはほっとしてキッチンに向かったが・・・
せっかく用意したミルクがすっかり冷めてしまった頃、少し心配になり出したフランソワ−ズに
ジョ−のSOSが切れ切れに脳波通信で飛んできた。
− フランソワ−ズぅ〜〜 ちょっと・・・来て! 頼むよ〜〜
「 ・・・どう? ほら、タオル替えて・・・ 」
「 ・・・ウン ・・・ あ・・・ありがとう・・・ 」
リビングのソファで伸びているジョ−に フランソワ−ズは新しいタオルを渡した。
「 珍しいわね、ジョ−が。 」
「 ぼくだって・・・ はじめてだよ。 」
ふう〜〜と大きく息を吐いて ジョ−は受け取ったタオルでごしごしと顔をぬぐった。
「 ・・・ああ。 冷たくて気持ちいい・・・ 」
「 そんなにのぼせるまで何をしていたの? 」
もう一杯飲む? とフランソワ−ズはなみなみと麦茶の注がれたコップを差し出した。
「 うん、のむ! ・・・・ ああ ・・・・ 美味しい〜〜 」
ジョ−はごくごくと咽喉をならし、あっと言う間にコップをカラにした。
「 何って・・・。 ず〜っと。ず〜〜〜っとぼくは金魚と一緒に浮かんだり潜ったり
させられてたんだ。 」
「 えええ ?? 」
「 だってさ。 やめるとぐずぐず泣き出すし。 イワンを抱っこして、潜るときは水面から
持ち上げて・・・ そうしてるとご機嫌なんだ。 手足をぱたぱた・・・はしゃいでたよ。 」
「 ・・・それで、ジョ−、あなた、のぼせて目を回すまで・・・やってたの・・? 」
「 うん。 」
・・・ぷっ。 くくくく・・・・
くるりと後ろを向いたフランソワ−ズの背中が小刻みに震えている。
「 ・・・あ〜 ・・・ 笑うこと、ないだろ〜 」
「 くくくく・・ あ・・・ごめんなさい。 でも・・・なんか可笑しくて。 」
「 ちぇ。 ぼくは一生懸命だったんだよ? ・・・あ〜 ぼくはつくづく水中戦には
向いてないってことがようくわかったよ。 」
「 ・・・はいはい。 でも、ほら。 おかげで大人しくねんねしてるわ? 」
「 ああ・・・ そうだね〜 」
「 ご苦労さま、 ジョ−。 」
「 ・・・ フランソワ−ズ ・・・ 」
頬に唇を寄せてきた彼女の肩を ジョ−はすばやく捕まえた。
「 ・・・ご褒美・・・ 欲しいんだけどな・・・ 」
「 ジョ−ったら・・・ あ・・・ ダメよ・・・ こんなところで。 イワンが・・・ 」
「 イワン? 寝てるよ、大丈夫・・・・ 」
くるり、と体勢を変え ジョ−はフランソワ−ズを抱えたままソファに沈み込んだ。
「 明日は ピュンマが来るだろう? 二人っきりなのは今日までだよ。 」
「 あ・・・・ん・・・。 ジョ−・・・ や・・・ あっ 」
「 し。 ・・・ おしゃべりな唇は ・・・ こうして ・・・ 」
「 ・・・ん〜 ・・・」
・・・かたり・・・と、空のグラスがサイドテ−ブルの上で倒れた。
《 ・・・ ふぇ ・・・ふぇえ〜ん ふぇええええ〜〜〜〜 》
突如、リビングに赤ん坊の泣き声が響きだした。
「 ・・・・と! 」
「 きゃ! ・・・・ イワン? ・・・ どうした・・の・・・ 」
慌てて起き上がった二人は 向かい側のソファに載せてあるク−ファンを覗き込んだ。
タオル地の湯上り一枚で イワンは顔も身体も・・・真っ赤になっていた。
何か気に障るのか 泣いた挙句か、それはよくわからなかったけれど、
とにかく 彼はいままでにも増して猛烈に機嫌が悪い・・・ように見えた。
「 あらあら・・・ ごめんなさいね。 さあ、お洋服を着ましょう? ちょっと待ってて・・・ 」
彼の服を取りに出てゆくフランソワ−ズの姿と ぷすぷすもがいているイワンとを交互に見て・・・
ジョ−はそっと呟いた。
・・・こいつめ。 わかって・・・る? 確信犯かい?
「 それで・・・。それからどうしたんだい? ミルクは? 」
目をぱちぱちさせ、ピュンマは懸命に吹き出したいのを我慢してた。
ジョ−の淡々とした口調が よけいに笑いを誘う・・・。
「 ・・・あのね。 笑い事じゃあないよ? 」
「 ・・・ごめん、ごめんって・・・。 で? イワンも咽喉渇いたんじゃないかな。 」
「 それが、さ。 」
ふたたび・みたび、ジョ−は大きなため息をつき、彼の足元に積んであったモノを
ひょいひょいひょい・・とテ−ブルの上に並べてみせた。
「 ・・・な・・。 なに? こんなに沢山?? 」
それは。
ミルク ・ みるく ・ ミルク ・・・・
様々なデザインのベビ−用ミルクの缶のオンパレ−ド、だった。
「 ・・・え? これ、全部? 」
Last updated: 07,19,2005.
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