『 風たちぬ   − 6 − 』  

 

 

参列者はごく少なかったけれど 静かな本当に追悼の意に溢れたセレモニ−だった。

誰もが彼の才能を惜しみ、その短かすぎた生涯をこころから悼んだ。

<最後に共にしていた女性(ひと)>として、彼の仲間たちはフランソワ−ズに暖かい視線を送っていた。

 

路肩に残る雪をよけつつ、ジョ−とフランソワ−ズは肩を並べゆっくりとその公園墓地を抜けてゆく。

「 ここで、この国でよかったのかしら・・・。 日本で眠りたかったかも知れないわ・・・・ 」

「 彼の望みだったんだろう? ・・・・なら、大切な人の傍が一番なんじゃないかな・・・ 」

「 ・・・そう、そうね・・・。 」

墓地の出口で、フランソワ−ズはもう一度ゆっくりと振り返った。

 

「 ・・・・・ さようなら・・・・ ありがとう・・・・ ユウジ・・・・ 」

 

 

 

 酷いスリップ事故だった。

雪曇の、見通しの悪い視界に加え昨夜来の雪はアイス・バ−ン状になり道路にへばりついていた。

歩道を行き交う人々の間をぬって、学校へ急ぐ子供がちょろちょろと走り出た。

 

 − キッ・・・・・キキキキキィ・・・・・・・!!!

 

信号が変わる寸前に飛び出した車が 勢いあまって妙な方向へ滑った。

「 ・・・! あぶないっ・・・!! 」

子供が突き飛ばされ・・・次の瞬間、ひとりの青年の身体が跳ねとんだ。

 

どうしてだか、まるで自分でもわからずにフランソワ−ズは走りだしていた。

<いやな予感>はしらじらと妙に醒めた確信となり、唇をかみしめて彼女は人込みを掻き分けた。

 

「 ! ユウジっ・・・! しっかりしてっ! ・・・・・・え? ええ、ええ、子供は無事よ、あなたのお陰でね・・・ 」

踏み荒らされた雪道に横たわるユウジに フランソワ−ズは駆け寄るとそっと身を寄せた。

「 ・・・・あ・・・あ・・ きみ、フ・・ランソ・・・ワ−ズ・・・ よかった・・・ 」

「 そうよ、わたしよ・・・大丈夫よ、ユウジ、もうすぐ救急車が来るわ! ・・・ああ、動かないで・・・・ 」

自分も道に這うようにして フランソワ−ズは彼の土気色の顔にほほを押し付けた。

妙によじれてしまった腕を ユウジはフランソワ−ズへ懸命に差し伸べようとしている。

「 ・・・・・ こ・・・れ・・・・ 」

「 ・・・・え・・・・ なに・・? えっ・・・ これは・・・・! 」

掌に押し込められた固いもの。 それは。 

「 あなたが・・・・持っていたの・・・。 持っていてくれたの、ね。  ずっと・・・・この、鍵を・・・ 」   

ユウジの腕が ゆっくりと動きフランソワ−ズの頬に優しい指が触れる。

「 ・・・・ もう・・・はなしちゃ・・・だめ・・・だ・・・よ・・・ 」

「 ユウジ、動いちゃダメよ、お願いだから・・!」

彼のしなやかな長い指が そっとフランソワ−ズの髪に伸びた。

「 きみの・・・・髪に雪がついて・・・る・・・よ・・・ 」

 − ふう・・・泥と雪にまみれた彼の胸が大きく上下し、やがてその動きは緩慢になってゆく。

彷徨っていた彼の視線が ふわり・・・とフランソワ−ズの瞳に還ってきた。

「 きれい、だ・・・・ こんな綺麗な 空、 初めてみる、よ・・・・ 天上の・・・蒼・・・・ 」

「 ・・・! ユウジっ・・・・ おねがい、 おいて・・ゆかないで! 」

「 ・・・・・ああ・・・ 風、が・・・ 風が吹いてきた・・・・ 」

 − やがて、ユウジは すうっと溶け込むように微笑むと静かにフランソワ−ズの腕の中に沈んだ。

 

近づいて来る救急車のサイレンに 息を潜めて二人を取り囲んでいた人々は次第に散っていった。

 

 

 

 − 空も 彼の死を悼んでいるのだろうか・・・・ 

ジョ−は鈍色の雲におおわれた空に ちらりと視線をなげた。

 

「 これから、どうするのかい。 ・・・出来たら、一緒に来てくれないかな。 日本で、一緒に暮らそう。 」

「 ・・・・ジョ−。 」

 − こつっ・・・。 石畳の道を鳴らして、フランソワ−ズは立ち止まった。

肩を並べていた彼女はつい、と向きを換え真っ直ぐに真正面からジョ−を見詰めた。 蒼い瞳がくっきりと注がれる。

喪の装いが 尚一層彼女の物静かな、しかしりんとした雰囲気を際立たせている。

 

ジョ−。 彼は、ユウジは。 ダメだったの、出来なかったのよ・・・・ 一緒にいるあいだ 一度も。

「 ・・・・ うん?   」

「 わたし達。 一度もひとつになれなかったの、身体はね。 ・・・・でも。 」

「 フランソワ−ズ・・・・! じゃあ・・・きみ達の同棲って、それって・・・・ 」

「 ・・・・・ 身体で確かめるだけが・・・・ 愛、なの・・・・? そして・・・それが、あなたのやさしさなの? 」

穏やかだけれども、つよい光をその瞳にたたえてフランソワ−ズは ただひたすらジョ−を見詰めてくる。

「 ・・・・・・ 」

そのたおやかな視線に ジョ−は初めて彼女の持つほんとうのつよさを感じ圧倒されていた。

と、同時にぞくぞくするほどの艶やかさに 我知らず背筋に彼自身に緊張が走った。

 

 − 彼女に・・・ここまでのつよさを、これほどの深みと艶を与えた、あの青年は・・・いったい・・・

 

ジョ−はこぶしを固く握り締め、唇を噛んだ。

男としてその身体を抱く事なく 彼女にここまでの深みと艶を与えた、ユウジ。

自分より遥かに彼女を思っていたユウジ。 

すべてを置いて逝ってしまった今 そんな彼に・・・自分は永遠に勝てないのだ。

 

自分はこの女性(ひと)の身体は得られても、はたしてそのこころも掴んでいたのだろうか。

彼女に自分はいったい何を与えられたというのだ・・・・!

 

みつめあって・・・・互いのこころまで見透かすかのように、二人はじっと佇んでいた。

 

 

「 ・・・・あの、失礼ですが、マドモアゼル。 貴女は、ユウジの・・・セレモニ−にいらっしゃった? 」

遠慮がちにかけられた声に、ふと我にかえりフランソワ−ズは振り返った。

「 ・・・あ、 はい。  」

喪の印をつけた、中年の紳士がしずかに話しかけてきた。

「 惜しいことです、ほんとうに。  例のテロ事件以来、画筆を捨ててしまうのか、と心配していたのですが・・・。

 ああ、わたしは画廊を経営しておりましてね。 彼の作品には以前から注目していたのですよ。

 ・・・ でも・・・ 彼は、ユウジは・・・ いい顔をして眠っていましたね。 以前の、彼よりももっと・・・・。」

「 そう、ですね。 ほんとうに・・・穏やかで・・・ 微笑んでいるみたいで・・・・ 」

「 あの事故の少し前に 偶然お目にかかりましてね・・・・。 また、少しずつ製作を始めてるって、伺ってました。

 なにか・・・・ 風をモチ−フにしている、とか・・・ちらっと言っておられたんですが。 」

「 ・・・・ 風、を・・・?・・・・ 」

 − 彼の作品のことで 情報があったら教えて欲しい、とその男は名紙を渡し去っていった。

 

 

去ってゆく男を見送りながら フランソワ−ズの瞳は鈍色の空を彷徨っていた。

 − 風 。

そうだわ・・・・ジョ−と過ごしたあの日も。 そして 最後の時も。

ユウジには・・・・風が見えていた。 彼は ちゃんと風を、風が吹くのを感じていたんだわ。

わたしは・・・・なにも気付かなかった・・・ なにも見ようとしていなかった・・・・

・・・・そんな わたしにジョ−を責める資格なんて・・・・ない!

わたしだって・・・・偉そうなことは 言えないわ。 

わたしは、わたしの身体は・・・ジョ−、あなたに抱かれて嬌喜の叫びを揚げたもの・・・・

わたし・・・・夢中で・・・・あたなの身体を貪ったもの・・・・

あなたに・・・・抱かれて・・・・嬉しかったもの, 待っていたもの・・・・

そんな わたしに。 ユウジ、あなたは・・・・微笑かけてくれたのね、そして。 離しちゃだめって・・・鍵を。

 

ふっ・・・と 重なり合った雲間にかの人の微笑みを垣間見た・・・気がした。

 − わたしは。 今度こそ、きちんと受け止めなければいけないわ。 ・・・もう、逃げない・・・・!

フランソワ−ズはきゅっと唇を噛み、自分の胸元に再び戻って来た鍵にそっと手を当てた。

 

「 ・・・あの・・・・さ。 彼は。 手を離してくれた、と思えないかな・・・ 」

「 ジョ−・・・・ 」

「 きみ達のことについて、僕がどうこう言う事は許されないよ。 ・・・・ただ。 彼は・・・もう、いないんだ。 」

ジョ−の腕が肩にやわらかく廻されてきた時、 フランソワ−ズの身体に思わずぴくりと震えがはしった。

「 ・・・・!  待って、お願い、ジョ−。 」

「 なにを 待て、というんだい。 ・・・・なにが きみをそんなにも捕らえているの・・・ 彼・・・? 」

「 ・・・・確かに・・・・ユウジは もういないわ。 でも。 わたし、いま、あなたに付いてゆくことはできない。 

 忘れるためじゃなくて、しっかり覚えているために、彼のこと一生忘れないために 時間を頂戴。

 彼を想うために、そして 彼の想いに応えるために 時間がほしいの・・・

 いま、あなたに付いてゆくことはできないわ。 」

 

フランソワ−ズはすっとジョ−の腕を外すと、まっすぐに彼の瞳に微笑みかけた。

 − 明日、 ここへ来て欲しいの。 ええ、この部屋で・・・わたし達暮らしていたの。

「 フランソワ−ズ・・・ わかった。 いま、これ以上何も言わないよ。 ・・・・僕も、考えたい。 」

「 ・・・・ありがとう ジョ−・・・・ 」

す・・・・っと差し出された白い手を ジョ−は壊れ易い砂糖菓子を手にとる気持ちでそっと包み込んだ。

「 僕こそ。 ・・・・じゃあ・・・・ 明日。 」

「 ・・・・A demain ・・・・・ 」

「 ・・・ん・・・・・ 」

黙って踵をかえし、大またで石畳の道をゆくジョ−をフランソワ−ズも言葉無く見送った。

ゆっくりと遠ざかってゆくその後姿は。 ちょっと右肩を下げる歩き方まで、慣れ親しみ知り抜いているはずなのに。

 

 − はじめて、 ジョ−の背中を見た気がするわ・・・・・。

 

懐かしい栗色の髪はすぐに雑踏にまぎれてしまった。

 

 

 − バサッ・・・・

ホテルの部屋へ戻るなり、 ジョ−はベッドに上着を放り投げ自分も沈み込むように腰を落とした。

すでに夕闇が迫る時刻でカ−テンを払っていても部屋の中は ほの暗い。

 − かちゃ・・ん

時計を置こうと手を伸ばすと サイド・テ−ブルに置きっぱなしだったウイスキ−の小瓶にふれた。

ジョ−はのろのろと立ち上がりその小瓶を取り上げるとグラスに琥珀色の液体が満ちてゆくのをじっと眺めていた。

 

・・・・ グレ−トが言ってたよなあ・・・・ 風を見極めろって。 風、か。

 

ふうう・・・・・っ  

ストレ−トで煽ったウイスキ−だけが醒めた身体の中でその熱さを主張している。

再びボトルに伸ばした手の下で なにかの紙がかさかさと音をたてた。

 

ああ。 置きっ放しだった・・・・ そうだよな、今更 読む気にはならないよな・・・・

あれだけのコトをしておいて 手紙なんか送って来る方も、来る方だ・・・・

何回目かわからない溜め息と共に ジョ−はフランソワ−ズが二つに破った封筒を手に取った。

・・・・ツマミ喰いをされたのは・・・・僕自身の方だったってコトさ・・・。 

ほんとうに二人して、いいように遊ばれたってワケか・・・・。 はん!お笑いだ・・・・・!

彼女に限らず・・・慕い寄ってくる女性(ひと)を無下に扱わないのが、優しさだと思っていた

・・・・とんだ・・・ピエロだな。 皆、僕の下で嬌声を揚げながら・・・その実、冷笑していたのか・・・・?

 

ジョ−はその瀟洒な水色の手紙をさらに細かく引き裂いていった。  自分のこころを 引き裂くかのごとく。

 

 

 − ただいま。

もう待つ人のいない部屋だけれど、いつのまにか身についた習慣でフランソワ−ズは小さく呟いてドアを開けた。

 

た・だ・い・ま − アナタに こう言ってココへ帰るのも今日が最後ね。 今晩は、語り明かしましょうか。

フランソワ−ズは絵の中の自分に にっこりと微笑みかけた。

この前の夜は アナタを見詰めるだけで、ちっともお話できなかったわね。 今日は、沢山聞いて欲しいことがあるの。

ええ、アナタのお話も。 勿論聞かせて頂戴。 ほらね、おそろいでしょ? この鍵も。

 

・・・・ユウジは。 どんな顔をして どんな思いで アナタを、いいえ、わたしを描いたのかしら。

ひとりっきりなのに、なぜか少し温かい気持ちよ・・・ ユウジ、 あなたのこころは、ここ にいるのね?

 

早い夕闇が部屋に満ちてくるのも忘れ、フランソワ−ズは楽しそうにキャンバスと向かい合っていた。

 

 

 

翌日は 相変わらず冷え込みは厳しかったが冬の巴里には珍しく、くっきりと晴れあがった空が望めた。

伝統的に今もなお、多くのア−ティスト達が住む一郭へ ジョ−は脚を踏み入れた。

たくさんの情熱と、挫折と、成功と。 

建物は古びていはいるが いまもいつもそんな若々しい息吹がただよっている街。

生まれて初めて訪れる街のはずなのだが。  どこかしら懐かしい雰囲気を感じるのはなぜだろうか。

 

フランソワ−ズは・・・・この街で。 あの青年とどんな夢を見ていたのだろう・・・・

 

ジョ−は彼女の思い出を辿る気持ちで歩を進めた。

 

 

− Bonjour ・・・・・・ 来てくださって、嬉しいわ。

躊躇いがちな彼のノックに応えて、 すぐにフランソワ−ズが古びたフラットのドアをあけた。

「 どうぞ。 ・・・・もう、なんにも無いんだけれど。 」

フランソワ−ズは淡く微笑んで彼をリビングへ通した。

 

漂うテレピン油の匂いと部屋の中央におかれた30号のキャンバス。

それ以外は 何もなかった。 

− いや、彼女の足元に・・・・小振りなス−ツケ−スがひとつ。

 

「 ・・・・・考えなおしてくれたんだね ! 」

「 ・・・・・・・ 」

滲むように、そして溢れるように微笑み、フランソワ−ズは黙って首を横に振った。

「 フランソワ−ズ・・・・・きみ・・・ 」

 

つっ・・・と部屋の中央に歩み寄ると彼女はキャンバスに手を添えた。

− ねえ、ジョ−。 この絵を持っていて頂戴。 あなたの許に置いてほしいの。

現実と画像と。 同じ人物が、ならんでジョ−をみつめている。

「 この・・・ユウジがわたしに与えてくれた微笑、この笑顔に相応しいわたしになれる日が来たら。

 この、わたし にすこしでも近づくことができたなら。 

 わたしは、この絵を道標(みちしるべ)に 帰ってきます、きっと。 」

「 帰ってくるって・・・どういうコトなんだ! 」

思わず詰め寄るジョ−に、彼女は優しくほほえみキャンバスの一点を指した。

「 ほら、みて。 この鍵。 ユウジがね・・・・最後に渡してくれたの。 もう離しちゃだめだよって・・・。

 わたしは失くしたと思っていたんだけど。 ユウジが拾ってとって置いてくれたのね。 」

この鍵がわたしの元に、そしてこの絵の中にある限り、ジョ−、わたしはあなたの許へ帰ってくるわ。

わたしの想いは、あなたへといつもつながっているのよ。

 

 

 − だから。 今は お別れしましょう。

 

 

ジョ−は黙ってその肖像画と真正面から向き合った。

 

ユウジの最後の作品。 

描き手のモデルへの愛は それを見る全てのひとのこころに伝わってくる・・・

すこし 身体を捻じ曲げてまろやかな白い肩を惜しげもなくさらし その女性(ひと)はほほえむ。

首からのほそい金のネックチェ−ン、その先には。 乳房の影に見え隠れする ちいさな鍵。 

 

彼女のこころを 身体を 捕らえている男との結びつきである、その鍵。

そのことに 気付きながらも彼はどんな思いでそれを描きくわえたのだろう。

それを あえて描き加えた かの青年の想い・・・・・

ジョ−は ただじっと、喰い入るように眺めた。

 

 

そんなジョ−と並んで画の中の自分に語りかけるがごとく フランソワ−ズは穏やかに話し始めた。

 

「 わたし。 やっぱり・・・ユウジのこと愛していたんだ、と思うの。 

 ごめんなさい、ジョ−。 でも・・・わたし、自分のこころにはウソはつけないわ。 つきたくない。

 身体で愛は語れなかったけれど。 でも。 これもひとつの愛のカタチだと信じているわ。 」

「 ・・・・うん・・・・。 それを 認めるのは僕にはとても辛いことだけれど。 

 でも。 この絵を見ればそれは誰にでも解る、と思うよ。 」

 −ジョ−。

フランソワ−ズはそう、呼びかけると彼の手をしっかりと握った。

「 わたしね。  あなたの 不実も、真実も。 その全てをそのまま ぜんぶ 愛してゆくわ。

 ・・・・そんな女性(ひと)になりたいの。 <もらう>事だけ望むのは、卒業しなくちゃ。

 キレイごとかしら。 はっきり言いましょうか?  」

煌く大きな蒼い瞳が、悪戯っぽく尚いっそうきらきらと耀きを増す。

「 あなたを 一生、許さないわ  でも・・・一生、愛しているのよ 」

 

  − わたし達、いまはこの手を離すけれど。 別々の方向へ進んでゆくけれど。

    それは。 そう、いつか、かならずまた、巡り合うための出発、なの

 

「 だから、だからね。 わたしは笑ってあなたに Au revoir ( また 会う日まで )って言うわ。 」

 

「 フランソワ−ズ・・・。 」

く・・・っと唇を噛んで ジョ−は懸命に彼女の瞳をみつめ続けた。 

・・・ああ。 僕は。 少なくともいまの僕は、この女性(ひと)より・・・・数段、志の低い人間なんだ!

待っていて欲しい、と言うのは、本当は僕の方なんだ。 僕が・・・きみにふさわしい男になれるときまで。

 

ジョ−はその細いけれど、つよくたおやかな彼女の指を握りかえし、もう一度 キャンバスへ視線を走らせた。

絵の中の女性(ひと)の瞳に、そして 自分の傍らの女性(ひと)の瞳の蒼に ジョ−は遠からぬ春の訪れを見た。

「 わかった・・・・・。 本当は、このまま浚ってでも一緒に帰りたいんだけど。 」

 

 − ふふ・・・っとジョ−は小さく笑った。

 

そんなコトしたら。 この絵のひとに、この絵を描いたひとに 永遠に勝てないし。

きみが いま、僕の許を発つというなら。  僕は いつまでもきみを待つ、ということで僕の愛を表すよ。

この・・・風に髪を靡かせ、風をみつめているきみが ふたたび僕のもとへ戻ってくる日まで、僕はまつよ。

待って・・・・風が 僕へと吹いて来るのを、見極められるように。 そして その風にきみと共に乗れるように。

 − いつかは、風に置いて行かれる時がやって来る・・・・

そうだ、そんな日が来る前に。 いや、たとえそうなってもきみと一緒なら、 僕は。

 

「 もっと。 もっと大きな愛になりたい。 そうして きみを護ってゆきたい。 

  僕の、僕だけの、 フランソワ−ズ。   だから。 僕も きみに言うね。 

   また、逢える日まで ・・・・ さようなら。  

 

「 ジョ−・・・! 」

 

ふわりと自分の胸に寄り添って来た、泣きたいほど愛しい懐かしいその身体を。

ゆったりと自分を抱きとめてくれる、大好きな大きくて暖かいその身体を。

ジョ−は。 

フランソワ−ズは。

こころを込めて抱きとめ・・・・・  ゆっくりと唇を重ねた。

 

 

春の遅い欧州の古い街で その日、ジョ−とフランソワ−ズは

自分達に新しい季節のはじまりを告げる微風が吹き始めるのを 確かに感じていた。

 

 

 − 風 たちぬ   いざ 生きめやも − 

 

 Le vent se leve,  il fout tenter de vivre.         PAUL  VALERY

 

******** FIN. ********

Last update: 7,20,2003.               index  /  back  /  afterword