『  冬がきた ― (2) ―  』

 

 

 

 

 

 

 ― その朝。

 

     わ〜〜い お日様〜〜〜  おはよ〜〜

     元気 くださいね〜〜

      

フランソワーズは ますます高くなってゆく空を仰ぎ大きく手を振った。

 

 「 いってきま〜〜す ! 」

「 おお 気をつけてな 」

「 はい 」

玄関先で博士に手を振って 元気に家を出た。

 

     わあ〜〜 空気 冷たいけど、気持ちいい!

     さあ 今日は頑張るわ!

     うふふ〜〜 お気に入りのレオタードだし

     ポアントも ちゃんと点検したわ。

 

     さ〜〜あ 今日は ぶんぶん回っちゃう♪

 

 ふんふんふ〜〜〜ん♪

 

ハナウタ混じりに 家の前の坂を降りた。

「 う〜〜ん 足の具合もいいし♪ ふふふ〜〜ん♪ 

 あ ちょうどいい時間ね〜〜  」

いつもの バスがやってきた。

 

 

朝は さすがに寝過ごすこともなく電車を乗り継いだ。

「 ふんふ〜〜ん♪  いつもより一本早いメトロに乗れたわ。

 よゆ〜〜で〜す 」

毎朝走っている道も ちょっと周りを見回す余裕もあった。

 

    ふう〜〜ん ・・・ 街中でも紅葉、キレイね〜

    ・・・ あ? なんか実が生ってる〜〜

    赤いのと 紫もあるわ!

    あれ  なんだろ?

 

いつもの道にも 小さな発見があった。

 

「 おはようございま〜す 」

元気よく更衣室のドアを開ける。

 

「 あ おはよう〜〜 フランソワーズ 」

「 おはようございます〜〜 」

「 フランソワーズ〜〜〜 おはよっ 」

隅っこからみちよも手を振っている。

「 おはよ〜〜 みちよさん。 

「 元気になったね〜〜 

「 ウン!  昨日のね〜 がりがりくん、また食べましょ 」

「 あはは ほんと 好きなんだね〜 」

「 大好きよ〜〜  青っていうのがびっくり、だったけど 」

「 そう? ソーダって なんか青ってイメージだよ? 」

「 そうなんだ〜〜  あの味 好き〜〜 」

「 皆 好きかもね 

「 そ〜ね あ 急がなくちゃね 」

「 うん 」

二人は 手早く着替えスタジオに入った。

 

 

「 おはよう。 さあ 始めましょう 」

 

マダムはいつだってどんな時だって 元気に、情熱をもって

クラスを始める。

ダンサー達は クラス・レッスンを通し、バレエのテクニックと共に

彼女の情熱も身に着けてゆく。

・・・ フランソワーズは まだまだ元気をもらえる程度だけどれど。

 

きゅ。    バ― を軽く握るといつだってなんとなくドキドキする。

フランソワーズは 髪のピンを刺し直し、気を引き締めた。

 

    はい! 今日こそ  ・・・ !

 

        ・・・ 失敗しない よね・・・?

    頑張れる ・・・ よね

 

 

「 二番から〜〜 」

ピアノの音が流れだし ダンサー達が一斉に同じ動きを始める

 いつもの光景。

勿論 フランソワーズも深呼吸して ― バー・レッスンを始めた。

 

    嫌な気分 リセット〜〜〜

    わたしの 脚さん お願いね

 

身体のあちこちに話しかけ 集中したつもりだ  ―  けれど。

 

    は あ ・・・ 

    なんか 緊張してる? わたしってば

    いつもと同じレッスンなのに・・・

 

    あ だめだめ そんなこと、気にしてたら・・

    いつもと一緒でしょ 

 

    フランソワーズ、ず〜〜っとやってきたことよ?

    ほら いつもの通りに !

 

意識すればするほど、動きがぎこちなくなってゆく気がする。

いけない いけない ・・・ !

気分を変えようと 何回もタオルで顔を拭った。

 

 ・・・ 決して短くはないバー・レッスン、 あっという間に

終わってしまった。

 

    ・・・ は あ ・・・

    なんかちっとも引き上がってない ・・・?

    バランス ・・・ どうなんだろ?

 

バー・レッスンは 上手くいったのかどうか・・・ それも

わからなかった。 

順番を間違えたり 派手にバランスを崩したわけでもないので

バーの前後の仲間たちも 気付いてはいないだろう。

 

  − でも。

 

    ・・・ 身体 ちっとも温まってない・・・

    足先が 冷えてる・・・

 

    ダメじゃん フランソワーズ !!

 

フランソワーズは 一人、焦りまくっていた。

 

  ザワザワザワ ・・・

移動バーを片づけささっと水分補給をしてから センター・ワークに移る。

 

「 はい いい?  まずねえ 」

 

ダンサー達は さっとマダムの言葉に、動きに集中する。

 

    せ センター  頑張らなくちゃ・・・

    集中 集中 〜〜〜

    ほら このアダージオ、 好きな振りだわ?

 

先輩たちの動きを見て フランソワーズも少し笑顔になった。

 

「 〜〜〜で ・・・ あ ラスト・・・なんだっけ? 」

「 アラベスク バランス! じゃない? 」

「 あ そか。 ありがと フランソワーズ 」

「 さあ 次ね 」

隣のみちよと コソコソ・・・っと言葉を交わし

ラスト・グループのメンバーとして センターに出た。

 

    さあ この振り、得意でしょう?

 

 ふ ・・・っと。 なにか冷たい風が心に差してきた。

 

    ・・・ あ  また失敗したら どうしよう・・・

    回れないかも しれない・・・・

 

「 はい どうぞ 」

すぐに前奏が始まり フランソワーズ達のラスト・グループが

踊り始めた。

 

     ・・・ で ・・・ エカルテ・デリエール から

     ここで 脇を戻して ・・・

 

        ―  あ。

 

   カタン。   ポアントのカカトが落ちてしまった。

 

ダブル・ピルエットで勢いをつけなくてはいけないのに・・・

当然 次のフェッテには入り遅れてしまった。

 

     ・・・ う〜〜〜 なんで???

     ここ 得意なのに〜〜〜

 

フランソワーズはあわてて 仲間たちの振りの追いつき

なんとか 最後まで踊り終えた が。

 

「 フランソワーズ どうしたの、腰が 引けてるわよ!  」

マダムの声が飛んできた。

 

    え ・・・?

 

思わず 両手で腰を触ってしまった。

「 どっちの意味でも ね。 みちよ、首の返し、もうちょっと早くね 

 じゃ 次ね〜 」

クラスは どんどん進んでゆく。

 

    腰 ・・・?  わたし、どうかしているかしら

    え ・・・ どっちの意味 って どういうこと?

 

後ろに下がってからも 彼女は首をひねっていた。

 

バレエ、特にクラシック・バレエは 根本が アンディオール

つまり 股関節を外側に回す、という動作なのだ。

そのためには 腰が、背中が真っ直ぐになっていなければ不可能。

後ろに腰を引いた状態では 決してアンディオールはできない。

これは バレエを始めたチビの頃から最初に叩き込まれ 

レッスンを続けてきている。

アンディオールをしていなければ それは クラシック・バレエとは

別の 違ったモノになる。

 

「 フランソワーズ ・・・ 次だよ 

「 あ ・・・ 」

こそ・・っとみちよが声をかけてくれた。

「 ありがと ・・・ ! 」

 

あわてて ぱっと顔をあげて皆の動きを見つめる。

 

    ああ もう〜〜〜 こんなんじゃ ダメじゃない!

    ・・・  クラスに出る資格、 ないわよね

 

「 はい 次〜〜 」

 

精一杯 笑顔を作ってセンターに出たけれど ―

 

    ・・・ !  ああ また 落ちた ・・・

 

フランソワーズは仲間たちの陰へ 陰へと周っていた。

 

「 最後まで気を抜かない!  いい? 」

 

どんな些細なコトも 指導者のマダムは見落とさない。

フランソワーズは 顔を伏せたまま後ろに下がった。

 

   ・・・ なんで ・・・?

   どうして 落ちるの・・・

 

後ろでタオルに顔を埋めつつ どんどん身体が冷えてゆく、と感じていた。

 

   ・・・ なんか 寒い ・・・

   ねえ ちっとも脚が温まらないの

   ぜんぜん汗が 出ないの

 

   ねえ なんで ・・・?

 

   ・・・ もう 踊りたく ない 

 

そんなコトは初めてなのだが ― ここに居たくない、と思った。

 

「 はい 次ね〜〜 アレグロは〜〜 」

マダムの説明は てんで頭に入らず ・・・

でも クラスから抜ける勇気もなく、彼女はただ ただ

漫然と動いていた。

 

 

 

  ― カタン。 

 

フランソワーズは一番最後に 更衣室に入ってきた。

シャワー・ブースから出てきたみちよが 明るく声をかけてくれた。

「 ね? アイス 食べてこっか? 」

「 ・・・ みちよ ・・・・ 」

「 は〜げんだっつ もいいかも〜 ぱ〜〜っと さ

 美味しいモノ 食べようよ 

「 ・・・ ありがと 〜〜 みちよ ・・・ 」

さりげない彼女の気遣いが めちゃくちゃに嬉しい。

 

    ・・・ トモダチがいるって 幸せ!

    みちよ〜〜  ありがとう !

 

滲んできた涙を ぐっとタオルで拭う。

「 うふ ・・・ だらしないわよね、わたし。

 今日は じっくり反省します。 」

「 そう?  あんまし 気にしな〜〜い !

 皆ね〜 マダムにいろいろ言われて来てるよ 」

「 そうそう  私なんかさ〜 泣き出しそうになったら

 泣いても上手くはならないわよって 」

隣で髪を直していた先輩が に・・・っと笑ってくれた。

「 え ・・・ そうなんですか?  それで ・・? 」

「 ま〜 確かにクラス中に泣いてもしょうがないしね〜

 むりやり営業用にっこり で続けたわ 」

「 すご ・・・い ですね〜 」

「 だあってさあ〜 そうするしかないし ・・・

 レッスン続けているうちに 落ち着いたし ・・・

 ま〜 ね ホント、あんまり気にしないことよ。 

 わらって〜〜〜 フランソワーズ 〜〜 」

「 え  あ  は  はい ・・・ 」

「 うん そだね〜〜  今日はさ〜 ゆっくりして

 ケーキでも食べて ・・・ また明日 ! 」

「 ・・・ ありがと みちよ ・・・ 」

できるだけ自然に笑顔をつくってみた。

 

  コツコツコツ ・・・ 自分の足音がやけに耳につく。

 

フランソワーズは 普通に歩いているつもりだったけれど

どんどん視線が落ちてゆき 足元ばかり見ていた。

 

    ・・・ 落ち葉 いえ 枯葉だらけ ・・・

    冬のコート 出しておかなくちゃ・・・

 

    あ。  手袋とマフラーも 

 

    寒いな ・・・ さむい・・・

    クラスの後なのに ・・・

    さむい なあ ・・・

 

    ・・・ ねえ?

 

    腰が引けてる ・・・って ・・・

    なにか他にも意味があるのかしら

 

「 ・・・ 腰って。 この腰 よねえ・・・?

 < どっちの意味でも > ってことは 意味が

 ひとつじゃない ってことだわよねえ? 」

いくら考えてもわからないので これはもう

地元民に聞くしかない、と 諦めた。

 

 

 ― その夜。 

 

岬の家では晩御飯のテーブルは いつもより静かだった。

シチュウはほかほか湯気をあげ とても丁寧に煮込んであった。

ジョーの好きな ミモザ・サラダに 炊きたての御飯・・・

博士も ジョーも おおいに堪能し大満足・・・ ただ いつもの

フランソワーズの明るいおしゃべりが 少なかった。

 

「 あ〜〜 美味しかっあ ご馳走さまでした 」

「 うむ フランソワーズ、 料理のウデを上げたなあ

 とても美味しいシチュウだったよ ご馳走様。 」

「 あ ・・・ ありがとうございます。 」

フランソワーズは にっこりしつつ食後のお茶を淹れる。

「 ねえ 作り方 教えて〜〜 今度はぼく、作る!

 あ・・・ そんなに難しくないよね? 」

「 ウン。 大丈夫。 

「 よ〜し 次の当番の日に ちゃれんじ〜 

「 そう? ・・・ はい お茶です。 

「 ほ〜〜 ・・・ いい味だな。 」

「 しずおかのおちゃ ですって 」

「 ふ ん ・・・ ああ 美味しい 」

博士は 満足そうに湯呑みを抱えている。

ジョーも お茶を飲み香りを感じている らしい。

 

    ・・・ ・・・  

 

そんなに気づまりではないが 小さな静けさが三人を蓋った。

「 ・・・ あ のさ フラン。 どうか した? 」

「 え・・? 」

「 なんか ちょこっと元気 ない よ? 」

「 そんなこと  ない けど・・・ 」

「 風邪っぽいのかい? 」

博士も気になっていたとみえる。

「 いえ 大丈夫ですわ。  あ ・・・ 」

「 ?  なに ?? 」

「 ええ あの ・・・ 」

フランソワーズは ちょっと言葉を切ったが、すぐに顔を上げた。

「 なに フラン 」

「 ねえ ジョー。 教えて ・・・ 

 あのね 腰がひけてる って どういう意味? 」

「 こ 腰?? 腰って ここ? 」

ジョーも 自分の腰に手をやった。

「 そう。 レッスンで言われたの。 」

「 こう〜〜〜 なることかなあ 」

ジョーは腰を後ろに突き出し 妙な恰好をしてみせた。

「 そう よねえ?  普通 ・・・ 」

「 多分 ・・・  レッスンで言われたの? 」

「 ウン ・・・ なんかね〜〜 絶不調なの〜 」

「 ・・・ ま そういうコトもあるさ 」

「 そうなんだけど ・・・ 」

「 車だってさ いつでもいつでも快調〜〜 ってわけじゃないし。

 どんなに整備してもさ、 ドルフィン号だって不調になること、

 あるじゃん? 」

「 そう だけど ・・・ 」

「 あんまし気にするなってことじゃないかなあ 」

「 ・・・ う〜ん  博士? ご存知ですか 」

「 う〜む・・・? 正しい意味は わからんなあ 」

「 そうですか ・・・ 」

「 ね 美味しい晩御飯だったし。  お風呂で温まってさ〜

 今晩は早く寝なよ?  あ ぼく 明日、 早出だからさ

 弁当はいいよ。 」

「 え そうなの? 

「 うん。 きみにばっかり頼ってごめん。

 コンビニ弁当も結構おいしいんだ。 いつもホントにありがとう 」

「 ふふ ・・・ 寝坊しないようにね 」

「 うん。 アラーム、みっつ掛ける! 」

「 健闘を祈る! 」

「 ら らじゃ 」

 

 やっと笑顔を見せた彼女に 博士もジョーもほっこり・・・

皆 穏やかな笑顔で寝室に引き上げた。

 

 

   チュン チュン ・・・・

 

次の朝 ―  窓辺の雀たちの声で目が覚めた。

「 ・・・ ああ ・・・ 雀さん ・・・

 おはよう 〜〜〜  」

パジャマのまま 窓を開けてみた。

 

    ひゅるる〜〜〜〜  ん ・・・

 

「 きゃ 寒 ・・・ !  ああ でもイッキに目が覚めたわ 

 ふ〜〜〜ん ・・・ 」

冷たい朝の空気を ふか〜〜くふかく吸いこんだ。

「 ・・・ いい気持ち ・・・

 このまま ふう〜〜っと空気に溶けてしまえたらなあ ・・・ 」

 

 はっくしゅ!!   

 

「 冷えちゃった〜〜 」

くしゃみに促され 慌てて窓を閉めた。

さあ 着替えて出かける用意よ〜っと思った瞬間 ― 

 

    ・・・ レッスン 行きたくない なあ ・・・

 

不意に そんな言葉が口からこぼれた。

「 え?  そ んなこと ・・・ ない よね?

 さあ フランソワーズ。 レッスンできるのよ 〜〜

 幸せに思わなくちゃ だめじゃない? 」

ぷるん、とアタマを振って 気分を替えた。

 

    さ 着替えて。 朝ご飯、作ります。

    

いつもと同じ時間に フランソワーズはキッチンへ降りていった。

 

 

「 ・・・? 」

博士は 怪訝な顔で壁の時計を見直した。 リビングの鳩時計も確かめた。

時計は両方とも今朝も正確に時を刻んでいた。

「 ・・・ まだ 家にいるのか・・・? 

 今日は レッスン、休みなのかのう 」

フランソワーズが キッチンで料理をしているのだ。

いや 朝のオムレツはもうちゃんとテーブルに並んでいて 

彼女は どうもランチ用のサンドイッチを作っている らしい。

 

    おや?  あの服は いつもの普段着ではないか?

    ・・・ なにか あったのかの ・・・

 

「 博士〜〜 朝ご飯 できてますよ〜〜 どうぞ? 」

彼女の声は 妙に明るい。

「 あ ああ ありがとう。 やあ 美味しそうだな 

「 うふふ・・・ 一緒にいただきます。  

フランソワーズは にこやかに博士の向かい側に座った。

 

食後も 彼女は後片付けをきちんとやっている。

 

    ふむ・・・・?

    

博士は少し考えていたが 書斎に行き、すぐに戻ってきた。。

「 あ〜  フランソワ―ズ ちょいとコズミ君の研究所に用事があってなあ

 もし 時間があるなら一緒に来てくれんかね 」

「 え ・・・ わたしでいいんですか 

「 ジョーは バイト、早出じゃったし。 コズミ君と久々に

 ゆっくり話すのもいいだろうさ。

 ほれ 昨日の・・・ あれも彼に聞いてみるといい。 」

「 あれ? 」

「 ほれ あの 腰がどうとか・・・ いう言葉の意味さ。 

「 あ そうですねえ   ご一緒していいですか? 」

「 勿論じゃ というより 一緒に来てくれると嬉しいのじゃがなあ 

 なにか差し入れを と思っているのだが なにがいいかな 」

「 はい  あ 下の和菓子屋さんでお菓子、買ってゆきますね 」

「 おお いいな。 」

「 それと・・・ 裏の柿の木、実をすこしもってゆこう 

 確か 彼の好物だったはずじゃよ

「 あら いいですね〜〜 わたし、取ってきます 

「 頼む。 」

「 はい! 」

 

    ああ 笑ったな ・・・

 

午前中の明るい光の中 二人でコズミ邸に出かけた。

案の定 コズミ博士は柿の実を殊の外、喜んでくれた。

 

「 ふぉふぉふぉ・・・ 柿は大好物でしてな〜〜

 生で食するのも、干し柿も 」

「 ほしがき ですか? 」

「 これで作って ・・・ 後日、ご馳走しますよ 」

「 わあ 嬉しい 」

「 フランソワーズ  伺ってごらん? 」

ギルモア博士がそっと口を挟んでくれた。

「 あ・・・ でも 博士のご用事は 」

「 なに、後からゆっくり、で十分じゃ。 

 なあ コズミくん ちょいと、この子に教えてやってくれんか 」

「 なんですかな? 」

「 はい あの・・・ 実は ― 」

コズミ博士は 相変わらずにこにこ・・・ 話を聞いてくれた。

 

「 で わたし < どっちの意味でも > ってわからなくて。 」

「 お嬢さん。 もし貴女が綱渡りをするとしたら どんな恰好に

 なりますかな  

「 つ 綱渡り ですか??? 」

「 そう。 細い高い橋でもいい 」

「 う〜〜ん ・・・ 多分 ・・・ こう〜〜 屈んで 」

「 そうじゃね。  そういう時、だれでもそんな恰好をしますな。

 腰を後ろに引いて 後退りしそうな感じで 」

「 ええ  ・・・ 」

「 そんな時 どんな気分だろうか。  」

「 ・・・  どんなって こう〜〜 気分的にも後ろ向きで 

 ・・・ あ! 」

「 ふぉ ふぉ ふぉ ・・・ お判りかな。

 そういう心理的状態を  腰が引けている と言うのじゃよ。

 その件についてアイツは腰が引けている とかな 」

「 ・・・ そうなんですか! ・・・

 わたし 現実の、身体のことだけを言うのかと思ってました。 」

「 まあ 両方を表現するじゃろうな。

 貴女の専門、踊りの世界でも 腰が引ける のはダメなのでしょう? 」

「 はい。 よくご存知ですのね 」

「 踊りはなあ ・・・ どの踊りでも 腰が肝心 だと思っとりますよ。

 貴女の先生は 貴女の心理的状態も見抜いておられるな。 」

「 ・・・ そ っか ・・・

 マダムは、 あ 先生のことをわたしたちはそう呼ぶのですが・・・

 すごい方なんです 」

「 ほう〜〜 ご年配の方かな 」

「 はい。 でも若い頃は フランスに留学してずっとパリやロンドンで 

 踊っていた方です。 

「 ほうほう  胆が据わっておられるのじゃな。 

 いい師と巡り逢われましたなあ〜  」

「 うふふ・・・ とっても怖いんですよ〜 」

「 怒ってくれる人がいるとは 幸せなことです。 

 いい環境にいらっしゃる・・・ 舞台、楽しみにしていますよ。 」

「  はい !  あ ・・・ ギルモア博士 わたし・・・ 」

「 ああ ああ 先に帰ってよいよ。

 今からなら  午後のレッスンに間に合うのではないか 」

「 はい! 」

 

    失礼します、ありがとうございました!  

 

フランソワーズの明るい声が コズミ邸の玄関に響いた。

 

「 おやおや 元気になりなすったな 

「 ありがとう コズミ君。 ・・・ オンナノコはいろいろと

 ムズカシイな。 」

「 そうじゃのう〜〜 いや いい笑顔じゃった 」

「 うむ うむ 」

彼女を見送り、老人二人はのんびりと語り合っていた。

 

 

 

「 それでね  午後の一般クラス に飛び込んだのよ〜 

「 あは そっか〜〜 よかったねぇ 」

その夜 ・・・

ジョーの遅い晩御飯に付き合いつつ 彼女は賑やかにおしゃべりをしている。

「 なんかね ・・・ ぱあ〜っと霧が晴れた気分だったの。

 ず〜っと いろいろ・・・上手くできなかったんだけど・・・ 」

「 まあな〜 不調の時って 誰にでもあるさ。

 気にするなって言っても 無理だよね ・・・

 ぼくは 全くバレエのこと、わかんないけど 」

 でも と ジョーはしばらく口を噤んでいたが。

「 きみはさ 003の時はミスなんかしないよね。

 いつだって冷静で 正確だ。

 だけど フランソワーズ は ミスもすれば不調の時もある。

 泣いたり不機嫌な時だってあるよ。 」

「 ・・・ そりゃ そうでしょ 」

「 そうだよ。 きみは ううん ぼく達は機械じゃないんだもの。

 きみもぼくも ニンゲンなんだから さ。 」

「 ・・・ あ  」

「 泣いて笑って 失敗して ・・・ それが人間だろ 」

「 そ そう ね ・・・ 」

「 調子悪いときだってあるさ。

 晴れた温かい日 ばっかじゃないもん。 冬だってくる 」

「 わたし ね。 冬 ・・・ キライじゃないのよ 

「 え ああ そう? 

「 ええ。  失敗して 後ろ向きになってたわ

 ・・・ 腰が引けてる って。 マダムはやっぱりスゴイ方だわ。」

「 あ ・・・ 意味 わかった? 」

「 ウン、教えて頂いたの あの・・コズミ先生に。 」

「 へえ  ねえ ・・・ どういう意味なのかな 

 ぼく 全然わかんないよ。 

「 あら ジョー。 母国語なのに知らないの 」

「 ・・・ごめん わかりません。 」

「 あとでじっくり説明して差し上げます。

 で ね。 コズミ先生に  いい環境にいますね って。

 わたし ―  忘れてたのよ。

 ず〜〜〜っとずっと 踊りたくて 踊りたくて。

 もう一度 踊るために 生きてきた ってこと ・・・ ! 」

頬を紅潮させ 瞳を煌めかせ話す彼女は 最高に魅力的だった。

ジョーは 息をひそめて見つめてしまう。

「 ・・・ きみは ステキなヒトだね 

「 え〜〜 なに それ〜〜 」

「 なんだっていいじゃん とにかく ステキだあ〜〜〜 

 

   冬がくるね。  冬が来ても ― 一緒さ。 

   ぼく達は きみも ぼくも もう 一人じゃないんだ。

 

「 なあに? いきなり 」

「 いや ・・・ きみの笑顔っていいなあ〜って 」

「 え そう? あのね! わたし、 腰が引けないように する、 

 人生でも ね! 」

「 ??? わかんないよう 」

「 ふふふ ・・ いつか説明して差し上げます。」

「 お願いします。 」

 

  はい。  ちゅ。  ―  不意にキスが降ってきた。

 

     わお!? わっほほ〜〜〜〜〜ん  !

 

ジョー君 一足飛びに 春 になった ・・・ らしい。

 

 

****************************       Fin.       **************************

Last updated : 11,12,2019.                   back      /     index

 

***********    ひと言   ********

不調の時って なんか連鎖的に なにもかもが

不調になったりしますよね〜〜 ★

フランちゃん、 貴女は独りじゃないよ (^^)