『 フェ−ヴ ― feve ― 捜しものはなんですか (1) 』
******* はじめに *******
フェーヴ ( feve ) とは <王様のお菓子> ( La Galette des rois )
の中にいれる小さな陶器の人形のことです。
切り分けたケーキの中にコレが入っていたヒトは <当り>で
その日の 王様 になれます。
フランスに古くから伝わる一月の行事なのですって。
肝心の フェーヴ は前編では全然出てきませんが ・・・ (^_^;)
え〜〜 このお話はクリスマス企画 『 クリスマス・キャロル 』 の
続編になります。
「 ・・・ ええ!? 」
雑然とした更衣室の隅っこから 頓狂な声が上がった。
「 ・・・ あ ・・・ ご、ごめんなさい ・・・ なんでもナイです・・・ 」
すぐに蚊の鳴くみたいな小声が続いたが ― 聞こえたのは抜群によい耳を持つ発言者本人だけのようだ。
もっとも 最初の叫びも気に留めた人物がいたかどうか怪しいものだ。
ここは都心近くにある中堅どころのバレエ団の更衣室。
朝のクラスが終わり、誰もがやれやれ・・・と開放感に浸っていて、自然にお喋りのトーンも上がっている。
加えてシャワー・ブースとか更衣室そのもののドアの開閉の音も頻繁なのだ。
隅っこから上がった悲鳴?は すぐに雑音の海に飲み込まれてしまった・・・・
「 あ〜・・・? どうかしたの、フランソワーズ・・・ 」
「 あ・・・みちよ・・・ 聞こえた? ごめん・・・ 」
「 別に謝らなくてもいいけどさ。 なんか ・・・ あったの? 」
悲鳴の主のすぐ隣でシャワー上がりの身体を拭いていた小柄な女性が振り返った。
果たして悲鳴の発信源は 携帯を握り締めたまま固まっているのだ。
「 ううん ・・・ でも、うん! なの。 ・・・ どうしよう〜〜 どうしたらいいのかしら! 」
「 なに? なんか困ったこと? ・・・ あ、聞いてもいい? 」
「 ええ、ええ! どうしたらいいの、ねえ みちよ、どうしよう、わたし・・・ 」
「 落ち着きなってば。 ねえ、なにがあったのさ。 あの・・・チビちゃん達に・・・なにか? 」
「 え?? ・・・ ううん、そうじゃなくて。 ・・・ ジョーが。 ジョーがね・・・! 」
「 え。 ジョーって、ご主人が? ・・・じ、事故 とか・・・? 」
「 ううん ううん! でも もっと困ったわ〜〜 どうしたらいいのかしら・・・あああ・・・ 」
「 だ〜から! どうしたの?って聞いてるでしょ! ねえ、なにか悪い知らせのメールでも来たの? 」
「 そうなの! ジョーってば、 ジョーってばね!予告ナシでいきなりメールしてきて・・・!」
「 ・・・ 予告付きメール なんてないと思うけど? 」
「 あ・・・そ、そうね。 でもね!ジョーったら急にね! お昼、待ち合わせて食べようって・・・ 」
「 ???? それが ・・・ そんなに困るコト ?? 」
「 ええ! だってね、 だって・・・わたし。 ほとんどすっぴんなのよ!
今日は教えもなんにもないから・・・・ お化粧道具、持ってこなかったの。
服だって ジーンズにセーターに ダウンよ? これで・・・どうすればいいの?? 」
「 別にいいんでないの? フランソワーズ、すっぴんだってキレイだし。
・・・ってか、おデートはダンナ様とでしょ。 」
「 だから〜〜 困るのよ! ねえ、みちよ。 どうしたらいい? ああ・・・ 時間がもうない〜 」
フランソワーズはまだ稽古着のまま、おろおろ・うろうろしている。
「 ・・・ とりあえずシャワー浴びてくれば? 」
「 あ! ええ、そうよね。 汗臭いままで・・・なんて! きゃ〜〜急がなくちゃ。 」
― バタン!
もうほとんど空いているシャワー・ブースのひとつに彼女は飛び込んだ。
「 ?? な〜に騒いでるの〜彼女。 珍しいねえ。 」
「 え〜? ・・・ ああ、なんかね、化粧道具を忘れてきたらしいよ。 」
「 な〜んだ・・・言ってくれれば貸すのに。 ぱんつでも忘れてきたのかと思った。 」
「 ウン、アタシの、使ってくれて全然構わないんだけど。 やたらパニクってて・・・アタマ真っ白らしい。 」
「 ふうん? いつも淡々としてるのにね。 」
「 うん。 ちょっとアタシもびっくり ・・・ 」
「 みちよッ! あの〜 お願いがあるの! 一生のお願い〜〜 ! 」
バッ! ・・・とシャワー・ブースが開き、びしょくたの ・・・ 髪からもぽたぽた水を滴らせて
話題の主が飛び出してきた。
「 これ、使って。 あ〜あ・・・髪、洗ったの? 急ぐのでしょう、乾く? 」
化粧ポーチをずい・・・っと彼女の押し付け みちよは呆れ顔だ。
「 え?? ど、どうしてわかったの? ああ〜〜でもありがとう!
え・・・髪? だってアタマにも汗かいたから・・・ あ! 時間! どうしよう〜 」
フランソワーズはそのままの姿で またもやおろおろしている。
「 はいはい。 まずは服を着る! それから 」
― 結局。 化粧道具を借り、ドライヤーも借り髪を乾すのを手伝ってもらい。
そのままで充分 可愛い! と皆に太鼓判を押してもらい。
彼女は大きなバッグを担いで 駆け出していった。
どうしよう〜〜・・・・の声が足音を一緒に遠ざかってゆく。
「 ・・・ ねえ。 アレが7歳の双子の母 ・・・ かねえ・・・ 」
「 デートの相手って。 ダンナだよ? 」
「 もしかして。 究極の ノロケ だったわけ?? 」
「「 ようわからんコだよねえ〜〜 フランソワーズって・・・ 」」
みちよや彼女の仲間達はあっけにとられつつ、夢中で走ってゆくフランス娘を見送っていた。
「 ― やあ。 ここ、ここ〜 フラン・・・ 」
「 ・・・ あ! ジョー ・・・・! 」
乗降客でごったがえす大きなターミナル駅 ― その一角で茶髪の青年が手を振っている。
彼をめざして亜麻色の髪の乙女が 駆け寄ろう・・・とした。
メトロからの出口に近く、ヒトの波が絶えず行き来していて、なかなか突っ切ることができない。
うろうろ そわそわ ・・・ 二人はヒトの流れのむこうとこっちで困り顔をしている。
あら。 イケメン・カレシじゃん? ・・・うわ〜〜 アレってカノジョォ?
ガイジン同士か。 うほ。 すっげ〜〜 カワイイ子〜〜
・・・ 東京はヒトが多いからな。 ガイジンさんには大変だろう・・・
そんな二人を 多くの乗客達がチラチラと眺めてゆく。
そう ・・・ 誰ひとり、 この二人が実は9年近くも連れ添った夫婦であり さらに!
どう見ても学生風なカノジョは二人の子持ちである ・・・とは考えてもみなかっただろう。
「 ごめんなさい・・・! 遅れてしまったわね。 う〜んと 待った? 」
「 ウウン・・・ ぼくこそ 急にメールして・・・ごめんね。 」
「 ううん・・・ びっくりしたけど。 嬉しかった♪ ジョーと外でデートなんて・・・久し振りなんですもの。 」
「 あは、ごめんな〜 最近ちっとも付き合ってやれなくて・・・ 」
「 いいのよ、だって・・・お仕事、忙し過ぎるもの。
今日 こうやってお出掛けできたから・・・ すごく嬉しいわ。 」
「 ぼくもさ。 ウチも大好きだけど・・・ たまには二人っきりってのももっと好きなんだ。 」
「 わ た し、も♪ ・・・ ふふ・・・ウチは今、ちょっとした動物園風ですものねえ。 」
「 あは・・・そうかもな。 動物園もたまには休業さ。 ・・・あれ・・・きみ・・・? 」
「 え? あら、なあに。 」
彼女は じっと自分を見つめている彼の視線にちょっと首をかしげる。
「 あ ・・・ いや! ううん・・・・! な、なんでもない。 あの ・・・そのゥ・・・いつものきみと違うなって。
どうしたんだろう、なって。 今朝はいつもと同じだったのになあ。 」
「 ・・・あの、ね。 ちょっとだけ ― お化粧してるの。 朝は・・・ いつもの通りリップ・クリームだけ・・・ 」
「 ああ、そうか! うん ・・・ キレイだよ♪ 勿論いつもだってカワイイけど。 」
ジョーはするっと彼女の腰に手をまわす。
「 ありがと、ジョー。 せっかくジョーとデートなんですもの。 おめかし、したくて・・・
ふふふ・・・バレエ団のお友達に借りて大急ぎでお化粧したの。 」
「 そうなんだ? キレイな奥さんでぼくはハナが高いなあ〜 さ・・・行こうか。」
「 ええ♪ ― ねえ、どこでランチ? 」
「 うん ・・・ 実はね・・・ 」
どう見ても熱々な恋人同士・・・みたいな二人は ぴたり、と寄り添って人波の中に埋もれていった。
本当に! このカップルが ・・・ 戦闘用サイボーグ・・・だとは正にお釈迦様でもご存知あるまい。
「 ジョー 今日、お仕事は? こっちの方で取材でもあったの。 」
「 うん、でもそれは終ったんだ。 実はね、編集部にきてたチケット、貰ってさ ・・・ ほら。 」
「 なあに。 ・・・ 美術展? 」
「 そうなんだ。 この人は結構有名な画家だそうだよ。 ダンサーを描いたものが多いんだって。
主にヨーロッパで活躍したヒトなんだけど 日本でも根強い人気があるらしい。 」
「 ・・・ まあ、そうなの。 それで誘って下さったの? 」
「 ウン。 せっかくだから きみと一緒に見たいな〜って思ってさ。 」
「 ふふふ・・・ ジョーに絵画の趣味があるなんて知らなかったわ〜〜 」
「 え・・・えへへへ・・・ じつは、さ。 全然わからないんだけど。 ・・・ きみとデートしたかっただけ!
たまには コブつきじゃなくて。 」
「 お父さん業 と お母さん業 もたまにはお休みね♪ 」
「 そういうこと。 さあ・・・行こうよ。 」
二人はどこにでも見かける恋人同士・・・になり、都心の瀟洒な通りを歩いていた。
この地域特有の冬晴れな空には 雲ひとつ見当たらない。
きらきらした陽射しのもと、時折一陣の寒風が吹きぬけてゆく。
二つの短い影が くっついたり離れたり。 熱々の二人には北風など気にならないとみえる。
― ふわ・・・ 彼女の髪がお昼の光を煌かせ ゆれる。
「 あ・・・寒くないかい。 ウチの辺りよか随分気温が低いだろ。 」
「 そうね。 でも大丈夫。 ・・・わたしが生まれ育った街の寒さ、覚えているでしょう? 」
「 ・・・ ああ、そうだったね。 雪が ― 降っていたっけ・・・ 」
「 ええ ・・・ 一緒に眺めたわね ・・・ キレイだった・・・ 」
ジョーはきゅ・・・っと彼女の手を握る。
この前のクリスマスに。 二人はとてもとても不思議な ― そして素晴しい半日を過した。
あれは ・・・ 夢 だったのかもしれないけど。
最高に 幸せな夢だったわ ・・・・
フランソワーズはそっと吐息を飲み込む。 忘れない、忘れるわけはない・・・ あの日々へ想い・・・
それは決して溶けない小さなタネとなり、彼女の心の奥に沈んでいる。
「 だから。 こんなにお天気がいい冬の日も いいなあ〜って思うの。 」
「 そっか。 ・・・ ふふふ・・・きみって本当に ・・・ 素敵だ! 」
「 ジョーも ・・・ とってもかっこよかったわ・・・ お兄さんにちゃんと言ってくれて・・・ 」
「 ありがとう。 うん・・・ず〜っとず〜〜っとお願いしたい!って思ってたからね。
チビ達も楽しそうだった・・・覚えているかどうかイマイチだけど。
あ、なあ、チビ達 ・・・ 平気なのかい? 留守番だろ。 」
「 ランチは作ってあるのよ。 いつも博士が一緒にお昼を食べてくださるの。
午後はすぴかはレッスンだし、すばるはわたなべ君のお家に遊びに行く約束してたわ。 」
「 そっか・・・ よかった。 うん、一応博士にメールをしておくね。 帰りにお土産、買ってゆこうな。
え〜と、たしかこの辺りに有名な梅干屋があるはずだよ。 ケーキじゃすぴかが可哀想だろ。」
「 そうね、梅干、喜ぶわよ〜〜 ・・・ ああ、ほら。 美術展はあのビルじゃない? 」
「 うん・・・・? ああ、そうみたいだね。 帰りにこの近くでランチしよう。 」
「 嬉しいな。 ふふふ・・・ちゃんとお化粧、してよかったわ〜〜 」
「 いつものきみも素敵だけど。 今日のきみも・・・ 最高さ♪ 」
「 アリガト・・・ジョー♪ 」
二人はいちゃくちゃしつつ・・・会場に入っていった。
平日の昼過ぎなので 会場にはあまり人の姿は見えなかった。
二人はゆっくりと 会場をめぐり落ち着いた静けさの中、作品を観てゆく。
「 ・・・ふうん ・・・ 凄いねえ。 うん ・・・ 」
「 素敵だわ・・・ あら、 なあに。 」
ジョーは珍しくフランソワーズの先に立って順路を回っている。
彼女が展覧会などに誘えばいつでも快く付き合ってはくれるが ― ジョーは大概彼女の後ろに立っていた。
鑑賞している彼女を鑑賞して満足している・・・みたいなところがあったのだが。
今日は ジョー自身も興味をもって作品を眺めていた。
「 ジョー。 この画家さん、お好み? 」
「 ・・・ う〜ん・・・ 好み、というか。 凄いなあ・・・って思ってさ。 」
「 凄い・・・ ってなにが? 」
「 うん ・・・ ぼく、ダンス・・・いや、バレエはよくわからないけど・・・
彼の作品って こう〜〜 なんて言うかなあ。 絵の中が動いている・・・みたいだ。 」
「 動いている ? 」
「 そうなんだ。 こう・・・じ〜〜っと見てるとさ、 ぼくも実際にスタジオにいて・・・
目のまえで誰かが踊っているみたいな気がしてきた・・・ 」
「 ・・・ そう・・・ ジョーは ・・・ ジョーこそすごいわね。 」
「 え? あは、いっつもきみのこと、見ているからかもしれないけど・・・ 」
「 まあ・・・ わたしはこんなに素敵じゃないわよ。 」
「 ステキだよ! ここの・・・どの絵よりもぼくにはフランが一番キレイでステキさ! 」
「 ・・・あらあらまあ・・・ ジョーったら・・・ 」
周囲に人がいないので 珍しく彼も堂々と? 甘〜い言葉を連発している。
まあ・・・ 人が変わったみたいねえ・・・
でも ジョーの感受性って。 ・・・すごいわ。
芸術は苦手、なんて言うけど。 この人って実はすごく繊細なんだわ・・・・
フランソワーズは 改めて彼女の夫を、恋人を見直す気持ちになっていた。
「 ・・・ 舞台の様子もいいけど。 これは練習風景かな・・・こういうの、いいなあ。 」
ジョーは 隅の方にあった大きなキャンバスの前に立っている。
「 ああ ・・・ それはね、リハーサルなのね。 ほら・・・皆稽古着の上にお衣裳を着けているでしょ。
よくわからないけど・・・これって 『 ジゼル 』 とか 『 白鳥〜 』 みたいなグランド・バレエの
リハーサル風景、なのだと思うわ。 」
「 ふうん ・・・ 全部をきっちり写実的に描いているわけじゃないけど。
こう〜 さっと描かれた一本の線がさ、ああ ここにもヒトがいるんだ・・・ってわかるんだ。 」
「 そうね・・・ なんだかポアントの音が聞こえてきそうよ、わたしには・・・
あ、ほら。 こんな隅っこにも こっちにも ダンサーが ・・・・ あ あら・・・? 」
「 ふふふ・・・ 音が聞こえる、か。 きみらしいね。 あれ、どうした? 」
ジョーはふと振り返り、 彼女がすぐ後ろにいないことに気がついた。
フランソワーズは ― 先ほどの隅にあった大きな作品の前に立っていた。
― じっと・・・食い入るように一点を見つめて。
「 ・・・? おい、 フランソワーズ・・・? 」
「 ・・・ ジョ ・・・ − ・・・ これ ・・・ 」
「 うん? さっきの絵がどうかしたかい。 リハーサル風景、だっけ?
ふうん・・・ 最近の作品かと思ったら、違うなあ。 < リハーサル 196X年 > か。 」
ジョーは膝を屈め、絵に添えられたプレートを読んだ。
「 ・・・ ! これ ・・・ わ ・・・たし ・・・! 」
「 え? ・・・ これ・・・? 」
ジョーは彼女が指した箇所に じっと目をとめた。
それは ― 絵の端の方で・・・構図からみてかなり後ろの隅、という場所だ。
大勢のダンサー達に混じり、数本の線が一人の踊り手を描いている。
す・・・っと刷いた色彩が その人物の髪の色と衣裳の色彩を印していた・・・
「 え・・・ これが・・・ きみ?? ・・・う〜ん・・・・ そう、かなあ・・・ 」
確かに じーーーっと見つめていると、フランソワーズに似ている気もしないでもない。
「 似てるといえば似てる、けど。 でも ・・・ どれも皆きみみたいな雰囲気だよ? 」
ジョーはそっと彼女の肩に手を置いた。
あれ・・・? どうした? もしかして、震えているのかい・・・
「 フラン? 気分、悪いのかい。 ああ、寒いのか・・・ 」
「 ・・・ あの、ね。 思い出したの。 この・・・ この人のこと。
そうなの。 スタジオに、ね。 あの・・・あの頃、パリのスタジオに いつもデッサンの練習にくる
画学生がいたの。 いつも ・・・ひっそり稽古場の隅っこやら舞台の袖に座って・・・
スケッチしていたわ。 」
「 ・・・ この人なのかい? でも・・・ デッサンに通う画学生なんてたくさんいるだろう。 」
「 思い出したわ。 ・・・ 彼、なの。 ああ ・・・ こんなトコロで。
アナタの描いた わたし に 会えるなんて・・・! 」
フランソワーズはひくく呟き ただひっそりとその絵の前に佇んでいた。
おい・・・? なんだか・・・絵の中に引きこまれそうな気までしてきたぞ・・・
ジョーは言葉を飲み込み 彼女の側に ― 彼女を守るために立った。
二人はぴたりと寄り添っていたが、その間には何十年という時間が横たわっていた・・・・
― カシャン ・・・
小さな音がして 稽古場の隅でなにかが接触した。
「 あ! ごめんなさい! 」
「 ・・・ あ、いや。 僕の方こそ・・・ リハーサルの邪魔して、ごめん・・・ 」
「 ううん。 ねえ 大丈夫?? ああ・・・木炭がこっちにも・・・ 」
ダンサーの一人が床に転がった木炭を拾いあげた。
「 あ・・・メルシ。 すいません・・・ 邪魔ですよね、ここにいちゃ・・・ 」
青年は大きなスケッチ・ブックを抱えてあわてて壁際にへばりついた。
「 そんなところじゃ・・・デッサンできないでしょう? 大丈夫、いつもの場所にいてください。
さっきはわたしの後方不注意、ですもの。 」
「 ・・・ ありがとう。 マドモアゼル・・・ 」
「 フランソワーズ、よ。 皆は ファンって呼ぶけど。 ・・・もうコドモじゃないのに・・・ 」
「 ファン、か。 可愛いじゃないか。 あ・・・ ほら、続き始まるよ。 」
「 あ。 本当・・・ あの、えっと? 」
「 僕、 ロベ−ルです。 マドモアゼル・フランソワーズ。 」
「 ファン でいいわ。 よろしく! アーティストのたまごさん。 」
「 こちらこそ。 未来の大バレリーナさん。 」
二人は素早く笑みを交わし すぐにそれぞれの <世界> に戻っていった。
芸術を愛する街だったから 稽古場にはよく画学生達がデッサンやクロッキーにやってきた。
ダンサー達も描かれることを楽しんでいた。
「 ・・・へえ〜〜 これがオレかい? ふう〜ん・・・こんな風に見えるか・・・ 」
「 あの。 このポーズの前はどうなっているのかな。 正面から見せてもらえるかい。 」
「 いいよ。 ・・・ まず こう・・・踏み込んで・・・ 」
クラスの後に廊下の隅でスケッチ大会が開かれてたりもしていた。
分野は違っても 芸術 ( アート ) という共通の世界を目指す彼らは <仲間> だった。
合同リハーサルが終わり大きなスタジオからダンサー達がどやどやと出てきた。
「 ・・・ あの。 ・・・ファン? 」
「 え? ・・・ ああ、ロベ−ルさん。 さっきはごめんなさいね。 」
スケッチ・ブックを抱えた青年は最後の方に出てきた小枝みたいに細い少女に声をかけた。
「 ううん。 君の踊りを邪魔してしまって・・・ 僕こそごめん! あ、 ロベ−ル でいいよ。 」
「 邪魔だなんて・・・ わたし、まだコールド ( 群舞 ) の端っこですもの・・・
客席からはきっと見えないわね。 」
「 そんなこと、ないよ! ― 僕は見つける! 必ず。 」
「 まあ・・・ありがとう。 わたし達、まだバレエ学校の学生だからコールドの後列にしかなれないの。 」
「 ふうん・・・ 僕だってまだ美術学校の学生だよ。 今はひたすらデッサンに励む!
いつかきっと大作を ― って思ってね。 」
「 ふふふ・・・一緒ね。 わたしも いつかきっと。 あの真ん中を踊りたい・・・! 」
「 うん。 いつかきっと。 」
「 ええ。 」
碧い瞳と青い瞳、ともにその奥に秘める炎を認め 仲間として微笑みあった。
「 ― ただいま〜 あら、お兄さん。 今日は早いのね。 」
「 お前が遅いんだ。 ・・・ リハーサルでも伸びたのかい。 」
フランソワーズが軽い足取りでアパルトマンの階段を登り・・・ ドアを開ければ 兄がもう帰宅していた。
「 え・・・ そ、そう? ・・・ そんなに長い間お喋りしてなかったつもりだけど・・・ 」
「 ― いいけどな。 そのつもり、ならちゃんと紹介しろよ。 」
兄はやたらと煙草を吹かし 見た目にもご機嫌は最悪なのがよ〜〜くわかる。
いっけない・・・ お兄さん、煩いからなあ・・・
フランソワーズはこっそり肩をすくめ ちょっと驚いた顔をしてみせた。
「 あら。 カトリーヌとお茶してたのに・・・ わざわざお兄さんに紹介するの? 」
「 ふん。 そのカトリーヌがな、さっき忘れ物だって・・・届けてくれたぞ。
ほら。 これからのリハーサルの日程表だと。
お前、受け取らないでさっさと帰っちゃったから・・・ってな。 」
「 ・・・ あ ・・・ 」
ずい、とデート帰りの妹の前にプリントが差し出された。
「 ヘタな誤魔化しはするな。 オレだってそんな理解のないアニキじゃないぞ? 」
「 ・・・ ごめんなさい。 ロベ−ルとお茶してたの。 あ、あの・・・ 美術学校の学生さん。 」
「 美術学校?? へえ〜〜 また随分と変り種だな。 」
「 あら。 そんな言い方、しないでよ、お兄さん。 ロベ−ルはね、アーティストを目指して・・・ 」
「 はいはい、わかったよ。 まあ ・・・ せいぜい仲良くしろ。 今度一度つれてこい。
ばっちり検分してやるから。 」
「 ・・・ わかったわ。 でも・・・あんまり意地悪、しないでね? 」
「 ばぁか・・・! ガキじゃあるまいし・・・ さ、早くメシにしよう。
旨いパテの店を見つけたんだ。 お前、ポタージュでも作ってくれ。 」
「 うん! 荷物、置いて手を洗ってくるわね。 ・・・ メルシ、お兄さん・・・! 」
フランソワーズは 兄の頬にキスをするとまたまた軽い足取りで自分の部屋に行った。
「 ・・・ふん。 いつまでもコドモだコドモだ・・・ と思っていたんだが ・・・ なあ。 」
― お前が幸せなら。 お前の笑顔が見られるなら オレはそれで いい。
お前の幸せが オレの生きがい、かな・・・
兄は紫煙を 派手に燻らせるのだった。
「 ・・・ ジャンさん! 」
ドアが開くと、ロベ−ルは弾かれたみたいに立ち上がった。
「 ・・・ どうでした!? 軍関係からの情報は・・・ 」
「 だめだ・・・! 手掛りは どこにもない。 キレイさっぱり・・・消えていた・・ ! 」
ジャンは吐き捨てるみたいに呟き どさっとソファに身を投げた。
「 消えていた・・?? 」
「 ・・・ ああ。 あの時間にパリ上空を飛行していた民間機は 旅客機だけだと。
あの自家用機クラブでも 飛行許可の記録なし、といわれた。 」
「 そ、そんな バカな! ジャンさんは確かにヤツらを追ったのでしょう?!
途中まで飛行機で ・・・ ! 」
「 ああ! ヒトサマの機に強引に乗って、な。 だが ・・・ その事実さえ消されていた・・・ 」
「 ・・・ なぜ・・・? なんで どうして。 フランソワーズがなにをしたってんだ?! 」
「 それはオレが叫びたい。 ・・・ 絶対に 絶対に諦めない。
オレはどんなことをしても妹を 捜しだす。 何年かかっても・・・! 」
「 ・・・ ジャンさん・・・ 」
ロベ−ルはじっとジャンを見つめていたが 突如スケッチ・ブックを取り上げた。
そして あたらしい紙面を開くと ― 猛然と描き始めた。
「 ・・・・? おい、お前 ・・・なにを・・・・ あ・・・・!? 」
「 ・・・・・・・・ 」
ジャンは目を見張り息を呑み ― みるみるうちにスケッチ・ブックの上に現れるデッサンを凝視していた。
バサ・・・! 新しいページが捲られた。 ロベ−ルの手は勢いを増す。
微笑むフランソワーズ 真剣な顔のフランソワーズ 汗を流すフランソワーズ
一点を見据えるフランソワーズ 拗ねたみたいなフランソワーズ 涙を浮かべたフランソワーズ
ジャンの目の前に あらゆる表情をした彼女が いた。
「 ・・・ これ ・・・ ロベ−ル。 お前、これを・・? 」
「 僕は! 有名になります! 有名になって・・・ この絵を持って世界中を回るんだ。
そして ・・・・ フランソワーズを 捜す。 」
「 ・・・ ロベ−ル ! 」
べリ ・・・ !
ロベ−ルは描き上げたばかりのデッサンを スケッチ・ブックから剥ぎ取った。
「 ― 忘れえぬ女性 ( ひと )。 僕の代表作にします。 」
「 ・・・・・・ 」
そこには。 満面の笑みを浮かべ舞うジャンの妹が ロベールの恋人が いた。
「 なあ、 ここのランチ、なかなか美味いだろう? 」
「 ・・・ ええ そうね。 ステキなインテリアね。 優しい色の壁紙がいいわ。 」
「 ? ・・・ああ、そうだな。 全体に淡い色調がほっとするよ。 隠れた人気スポットらしいよ。 」
「 そうねえ・・・ ランチにはちょうどいいボリュームね。 あら、ジョーには足りないかしら。 」
「 ・・・ そんなこと、ないけど。 おい フラン。 大丈夫か? 」
「 ・・・ え。 なにが。 」
「 いや。 なんでもないよ。 それじゃ・・・ デザートはどうするかい。 」
ジョーは取り上げたメニュウの陰に そっと溜息をかくした。
彼の前には彼の愛妻が ランチを口に運びつつ魅惑的な笑みを浮かべているのだが。
やっぱり ・・・ どうかしているな。
あの絵は 本当に彼女だったんだろうか ― その・・・40年前の、さ・・・
楽しみにしていた久々の夫婦水入らずのランチは ちぐはぐな雰囲気で終ってしまった。
ほう・・・っと宙にぼんやりと視線を投げる妻に ジョーはだんだん心配になってきた。
「 ・・・ デザート・・・ なにか買ってウチで食べようか。 チビ達も喜ぶだろうし・・・
博士ともご一緒できるしさ。 」
「 ・・・ そう? いいけど。 お父さん業 は休業じゃなかったの。 」
「 う、うん ・・・でも皆で食べるのが一番美味しいな〜って思うんだ。
ほら・・・ あそこにケーキ屋があるよ。 寄ってゆこう。 」
「 あ・・・ 待って・・・ もう〜〜 」
ジョーは彼女の手をしっかりと握ったまま店を出ると ずんずんと道を渡っていった。
ジョーが誘った絵画展を フランソワーズは最後までちゃんと鑑賞していった。
隅に展示してあった絵の前で しばし呆然と眺めてはいたが・・・
ジョーはそっと彼女の背を庇ったが ほっそりした身体はしゃん、として立っていた。
「 ・・・ 行きましょうか・・・ 」
「 ・・・ いいのかい? あの ・・・ ギャラリーのヒトに聞いてみようか。 」
「 ・・・・・・ 」
黙って首を振り、彼女はしっかりとした足取りで歩きだした
その後もひとつひとつの作品を丁寧に眺め ジョーの歩調に合わせゆっくりと会場を回った。
ああ・・・ やっぱり思い違いだったのかな。
それとも 懐かしい思い出 って気分だったのかな・・・・ それならいいんだけど・・・
ジョーはほっとした気分で 妻とともに会場を出、少し遅めのランチへと彼女を案内した。
美味しいランチでお喋りでもすれば いつもの彼女 に戻るだろう、と期待していたのだが。
「 どれにしようか。 え〜と・・・5個でいいのかな。 うわ・・・高い!これって本当に一個の値段かい?! 」
「 し〜〜 ・・・ ジョー。 お土産はケーキじゃなくて 梅干し でしょ? 」
シックな店構えのケーキ・ショップ、そのショー・ケースの前で 夫婦はぼしょぼしょと小声で話しあっている。
「 あ! そ、そうだった・・・! マズったなあ・・・ こっそり出てゆこうか。 」
「 そうね・・・ ここのはウチには高すぎて、手がでないわ。 どうりで空いているわけね。 」
「 ホールのなんか 値段を見るのも恐ろしいよ。 」
「 ほんとう・・・ あら。 La
Galette des rois があるわ。 うわ〜 懐かしい・・・! 」
フランソワーズは パイ風なケーキをうっとりと眺めている。
「 ぎゃれ・・・・なに? 」
「 La Galette des rois そうねえ、 <王様のお菓子> かしら。
毎年一月にね、これを食べる行事があるの。 ふうん・・・日本で見られるなんて嬉しいわ。 」
「 買ってかえるかい。 ・・・ う ・・・ちょ、ちょっと なあ・・・ でも ・・・ 買えないこともない・・・か? 」
「 ? ・・・ ジョー、だめよ、止めて。 さあ、脱出大作戦よ! 」
「 了解、 003。 」
二人は後ろのショー・ケースにある焼き菓子を眺める風を装いゆっくりと出口に近づいてゆき・・・
やっと次の客が入ってきたときに するり、と脱出した。
「 ・・・ ふうう・・・ どうなることかと思った・・・! 」
「 本当・・・! あんな高いケーキは買えません! 」
「 うん・・・ いや〜〜 パティスリー ってロゴだけ見て入ちゃったから・・・ 」
「 ふふふ・・・ そそっかしいのはコドモの頃と変わらないのねえ、 お兄さんったら。 」
「 ・・・・ え ・・・? なんだって。 」
「 ?? なあに。 何にも言ってないわよ? え〜と。 梅干屋さん、だったわね〜
あ。 あの・・・角のお店じゃないかしら? ほら・・・ 」
フランソワーズは先にたってどんどん歩いて行った。
「 あ・・・ うん。 待てよ、フラン・・・ 」
思い過ごし、じゃないな。 やっぱりあの画家とは 親しかったんだ・・・
心の半分を どこかに置き忘れてきたみたいなんだけど・・・
ともかく。 早くウチに帰ろう。 チビ達の顔を見ればきっと気持ちも切り替わるさ・・・
ジョーはマフラーを掛けなおし、妻の後追った。
「「 うわ〜〜〜 お土産だぁ〜〜 」」
双子の子供たち、 すぴかとすばるは揃って歓声をあげた。
夕食後、お父さんは < ちゃんとお留守番していたごほうび >、と小さな包みを持ってきた。
「 お父さん、お母さんと でーと だったんでしょ〜〜 」
姉娘がわかったような顔で父に聞く。
「 え・・・ で、でーと って・・・ぼく達はそんなんじゃなくて ・・・ いて・・! 」
スリッパの脚がす・・・っと伸びてきて ジョーの向う脛をしたたか蹴飛ばした。
「 そうよ〜 お父さんがね、メールをくださって。 お仕事終ったからお昼御飯を一緒に食べましょうって
誘ってくださったのよ。 お母さん、と〜〜っても楽しかったわ。 」
「「 そうなんだ〜〜 」」
同じ日に生まれた姉弟はまだ小一、 でーと のなんたるか、など判りはしない。
ただ ・・・
< うん! ぼくのお父さんと〜お母さんは らぶらぶなんだ〜 >
あの街であの部屋で ― 小さな息子は無邪気に伯父の問いかけに答えてくれた。
ジョーは照れ臭かったけれど、妻の兄に誇らしい気もしたし、フランソワーズは後から聞き、
兄のためにも嬉しかった・・・・
「 えっへん・・・ そ、そうだよ。 それでね・・・ ほら、お土産。 」
「 あなた達が良い子でお留守番しててくれたから。 さあ なにかな〜〜 」
両親はにこにこ顔で 子供たちの前に包みを置いた。
「 あけていい。 お父さん! 」
「 ああ いいよ。 」
「 上手に開けられるかしら。 くちゃくちゃにしてはダメよ、すぴか。 」
「 うん! 」
ちいさな手が一生懸命にテープをはがし、包装紙を外してゆく。
うわ〜 これ、しょっぱくておいしい〜〜 こっちの、あまいね〜おいしいね〜〜
子供たちはちっちゃなお土産 に大喜びだった。
いろいろな味付けのものが取り混ぜてあったので、辛党な姉も超甘党の弟も満足していた。
博士もお気に入りの逸品を賞味して ご満悦な様子である。
家族そろっての晩御飯はやはり 島村さんち では特別に <ステキなこと> なのだ。
双子はご機嫌でベッドに入った。
「 ああ・・・ 梅干にしてよかったなあ〜 お土産。 」
「 そうね、すぴかもすばるも美味しい〜って言ってたし。 ケーキだったら・・・ねえ? 」
「 ふふふ・・・ 辛党姫がオヘソを曲げていたかも、な。 」
「 本当ね。 すぴかの甘いモノはちょっとな〜 ・・・って お兄さん似かもしれないわね。 」
「 ・・・ ふうん、そうなんだ? 」
「 そうなんだ・・・って、 なあに、自分のことなのに可笑しいわ、お兄さんってば。 」
「 ・・・ え ・・・ あ ああ・・・ 」
フランソワーズは にこにこしつつお茶を淹れている。
あれ? ・・・ ただの言い間違いかな。
気がついていないみたいだけど ・・・
ジョーは できるだけ彼女の側に寄った。
「 ? なあに ジョー。 寒いの? ・・・ あら。 」
「 え? ― あれ。 すぴか。 どうしたんだい、あ、おしっこかい。 」
リビングの戸口に 彼らの小さな娘がパジャマ姿で立っている。
「 ううん。 おしっこじゃない。 ・・・ お母さん あの、さ。 」
「 なあに。 ・・・ ほら、寒いからこっち いらっしゃい。 」
「 ほら〜〜 風邪ひくぞ。 おいで、すぴか。 」
「 うん。 」
パタパタパタ ・・・・ 小さな足音が両親のもとに駆け寄ってきた。
「 どうしたの。 恐い夢でも見たのかな、 うん? 」
すぴかは走ってくると、フランソワーズの膝にぴた・・・っと抱きついた。
「 あれれ・・・ すぴか。 甘えん坊さんだなあ〜〜 」
「 ・・・? なあに。 可愛いすぴかさん・・・ 」
フランソワーズは娘の亜麻色の髪を優しく撫でる。
「 うん・・・ あの、ね。 あの・・・ 」
「 寒くないかい。 ほら・・・ お父さんのカーディガン、着てなさい。 」
ジョーは自分のカーディガンで 娘をすっぽりと包む。
「 ・・・ お父さん。 ジャン伯父さんと一緒だね。 」
「 え? あ ああ・・・ そうだったかな。 」
ジョーはちょっとぎくっとしたが 何気ない様子ですぴかの背中をさすってやった。
「 あの・・・ アタシ。 すかーと・・・ きてもいいよ? ひらひら〜なぶらうすも きる。 」
「 ・・・え? ひらひらの・・・ブラウス? 」
「 うん。 そうすれば お母さん、にこにこするもん。 ジャン伯父さんちの時みたく。
お母さん ― さみしいの ? 」
「 ・・・ え ・・・ 」
膝にすがってきた娘の真剣な眼差しが じっと・・・ フランソワーズを見上げている。
この・・・子は・・・。 感じているんだわ・・・
わたしの心のなかの ・・・ 空白を・・・
すぴか。 お前にはわかるんだね。
お母さんの気持ちが なにかに囚われているっていうことが・・・
父と母は言葉にはださないけれど、同じ思いで彼らの小さな娘を見つめた。
「 さ・・・ いらっしゃい。 よい・・・しょ。 」
フランソワーズは膝に縋りついていた娘を抱き上げた。
「 ・・・ お母さん ・・・ あの ・・・ 」
「 すぴか。 お母さんはね、ちっとも淋しくなんかないわ。
だって・・・お父さんやすぴかやすばるがいるんだもの。 ほうら・・・ にこにこしているでしょう? 」
「 ・・・ う ・・・うん ・・・ 」
「 お母さんはさ、 いろいろ忙しくて・・・ ちょっとくたびれたかな〜って思っただけだよ。
でもね、すぴかやすばるがいい子だったから、 もう元気〜だって。 」
「 お父さん ・・・ 」
ジョーは腕を回して 娘を抱いたフランソワーズを抱き締めた。
「 お家が一番だわ、って。 お父さんもお前達と一緒が一番さ。 」
チュ・・・っとかなり大袈裟に、娘の目の前でジョーは妻の頬にキスをした。
「 あらら・・・ もう〜〜お父さんったら。 ね? 皆 にこにこ・・・でしょ?
すぴかもにこにこ〜〜って。 それでもうお休みなさい、しましょうね。 」
ちゅ・・・ 今度はお母さんのキスがすぴかのほっぺに降ってきた。
「 うん ・・・ お母さん。 お母さん、もうさみしくないね・・・ 」
「 ええ、ええ。 さ・・・ もう一回お父さんにお休みなさい、して? ねんねしましょう。 」
「 アタシ。 赤ちゃんじゃないもん。 」
「 あら・・・ごめんね。 でも、たまには抱っこさせてね。 さあ・・・お休みなさいって。 」
「 すぴか。 お休み・・・ 」
ジョーは妻の腕の中で丸まっている娘にキスをした。
「 ・・・お父さん ・・・お休みなさ〜い。 お父さんも〜 にこにこ・・・だよね。 」
「 ああ、そうだよ。 ウチはね、み〜んながにこにこ・・・なのさ。 」
「 ・・・ うん ・・・ 」
すぴかは ほっとした様子でにっこり笑うと母の胸に顔を押し付けた。
「 じゃ ちょっと寝かせてくるわね。 ・・・ こちらも早仕舞いしましょう・・・ 」
「 あ・・・ うん。 じゃあな、すぴか・・・ 」
「 うん お休みなさ〜い お父さん。 」
すぴかがフランソワーズに抱かれたままひらひら手をふっていた。
「 ・・・あは・・・ なんだかアイツらがもっとチビの頃を思い出しちゃったな。
ふふふ 今夜は久し振りにベッドでゆっくり・・・♪ うん、そうすればフランも元気になるさ。 」
ジョーはテーブルに広げてあった包みやら新聞を片付け始めた。
梅干の包みの下に、あの美術展のパンフレットが置いてあった。
彼は手にとり ぱらぱらと捲ってみた。 作品と共に作者の経歴も載っている。
「 あ・・・そうだ。 これ・・・明日ちょっと問い合わせてみるか。
このギャラリーなら 画家のことも詳しいだろうし。 ・・・! 故人なのか・・・ 」
ジョーは静かにパンフレットを閉じ、深い溜息をついた。
「 ・・・ やっぱり ・・・ 疲れているんだね・・・フラン。 」
ジョーは 腕の中でぐっすりと寝入っている彼女にそっとキスをした。
その夜 島村夫妻は大変に情熱的なひとときを過したのであるが・・・
島村夫人は あっけなくもそのまま眠りに落ちてしまった。
ときどき ぴくり・・・と白い肢体だけが揺れる。
「 う〜ん・・・ちょっと残念・・・もう一回・・・ まあ、なあ。 クリスマスのこともあるし・・・
そうそう簡単に忘れたり割り切ったりできることじゃないよなあ・・・ 」
ジョーはお気に入りの彼女の髪に顔を埋めた。
しなやかな髪の冷たい甘さ・・・ そして 彼だけが知る彼女のにおい・・・
最高の香りを深く吸い込みジョーは満ち足りた吐息をもらす。
・・・ お休み。 ぼくはきみが居てくれれば。
それだけで 最高に幸せさ。
お休み ・・・ ぼくの ひと ・・・
冬の星々がギルモア邸の頭上に煌々と光の大河を描いていた。
「 お早う〜〜 フランソワーズ! 昨日はちゃんと間に合ったの? おデート♪ 」
「 あ、お早う、 みちよ。 昨日はありがとう〜〜 すごく助かっちゃった♪
ふふふ ・・・ ジョーったらねえ、 いつものきみとちがうねえ、ですって♪ 」
「 はいはい・・・朝からゴチソウサマ。 ま〜相変わらずオタクはらぶらぶだわねえ・・・ 」
翌朝、バレエ団の稽古場でフランソワーズとみちよはストレッチをしつつぼそぼそお喋りをしていた。
「 いや〜だ・・・ そんなんじゃないわよ。 でもね、久し振りのデートで楽しかったわ。 」
「 このォ〜〜 シアワセものがァ〜 」
「 えへへへ ・・・・ あ、始まるわよ。 」
つん・・・と突かれ、二人はくすくす・・・笑いあっていた。
「 お早う、 はい、始めますよ。 ・・・・ 二番から! 」
ザ −−− ダンサー達は一斉にバーにつき、 軽やかなピアノの音ともに朝のクラスが始まった。
「 はい、 next ! ・・・ え〜と ちょっと待って?
フランソワーズ、 あなたね〜 なんでまた昔のクセをひっぱりだしてきたわけ? 」
センターでのアダージオを終えたとき、主宰者のマダムがフランソワーズを呼び止めた。
「 ・・・ は・・・い? 」
「 最近、とってもよくなっていたのに。 ヘンなクセはすっかり忘れてくれた、と思ってたわ。
今日のあなたの踊り方、 どうしたの? ひどくオールド・ファッションよ? 」
「 え・・・ あ・・・ はい・・・ 」
「 こんなアームスはね! 前世紀の遺物! もうゴミ箱に捨てなさい。 はい next! 」
「 ・・・ はい ・・・ 」
フランソワーズはそっと後ろに退き、タオルに顔を埋めた。
前世紀の遺物 ・・・?
ちっとも意識なんかしてなかったのに。 忘れたつもりだったのに ・・・・
・・・ ああ、 やっぱり わたしって。 ここにいるべき人間ではないのね・・・
ピアノの音がすう・・・っと遠のいて行く。
毎朝 慣れ親しんでいるスタジオが 仲間達が どこか余所余所しく感じられた。
その日 彼女の稽古着は冷たい汗に濡れていた。
「 ・・・ そうですか。 ありがとうございました ・・・ 」
フランソワーズは丁寧にアタマをさげると 重いドアを開け、外に出た。
ふうう −−−−
気がつかないうちに溜息が口からもれてゆく。
「 ― がっかり。 でも このギャラリーに聞いてみれば何かわかるかもしれないわね。 」
彼女は手にしていたパンフレットの裏を見つめた。
「
あ〜あ・・・ 今日はクラスでも叱られっぱなしだったし。
ついてない日、ってこんなことなのかしら・・・ 」
パンフレットを大事にバッグに収め、彼女は早足で歩き始めた。
― パパ −−− パ ー !
「 ・・・え? あら!? ジョー! 」
聞き覚えのあるクラクションに 振り向けば ― 目の前に見慣れた車が寄せてきた。
「 ジョー! どうしたの? こっちの方にお仕事? 」
フランソワーズは大きなバッグを抱えたまま 夫の車に駆け寄った。
「 フランソワーズ! レッスンの帰りかい。 ・・・ ほら 乗って。 」
「 え ・・・ だってお仕事じゃ・・・? 」
「 うん、でも途中まで送るよ。 ちょっとね、用事があってここいらまで来たのだけど・・・・ 」
― きみは? とジョーの目が聞いている。
「 あ・・・わたし。 もう一回 あの美術展が見たくて。
クラスが終ってすぐに来てみたのだけど ・・・ 残念、 昨日までだったのですって。 」
「 ああ ・・・ そうだね。 残念だったね。 」
「 ええ ・・・ 」
「 あのな。 ― 聞いてきたんだ。 」
「 え? なにを。 」
「 あの画家のこと。 パンフレットに彼の作品を扱うギャラリーが記してあったからね。 」
「 まあ・・・ そうなの。 わたしもいつか行ってみよう、って思ってたのよ。 」
「 そうか。 ・・・・一緒に行けばよかったかな。
これ。 買ってきたんだ。 コピーでごめん、ホンモノはとても手がでる値段じゃなかった。 」
ジョーは車をパーキングに寄せた。
「 あら・・・ 作品のコピーなのね? あの美術展では絵葉書しかなかったわよね・・・
― え ・・・・ こ これ・・・? 」
フランソワーズは手渡されたれた複製デッサンをひろげ ― 息を呑んだ。
彼女の手の中には 満面の笑みを浮かべ舞う彼女自身 がいた。
「 これは彼の代表作だそうだ。 ただ ・・・・ もう一般には公表していない。
そうして欲しいって ・・・ 遺言なんだって。 」
「 ・・・ ゆいごん ・・・・ ? 」
フランソワーズの手の中で 彼女の笑顔が小刻みに震えている。
「 うん。 198×年に 亡くなった。 」
「 ・・・ そ・・う ・・・ あ ・・・ 」
はらり、とデッサンが彼女の手から落ちた。
「 ・・・ あ ・・・ いけない・・・。 あら? 裏にもなにか・・・? 」
忘れえぬ女性 ( ひと )
このデッサンを見てくれた世界中の人々へ
お願いです、どうか 彼女を探してください!
拾いあげた紙片の裏には 木炭で書かれた筆跡までもがコピーしてあった。
・・・ ! ロベール ・・・・! ロベール・・・
どんな想いで アナタはこのデッサンを 描いてくれたの・・・
フランソワーズはぺらぺらのコピーを 両手で辛うじて捧げもっていた。
― その手に 彼の人の想いと 歳月の重みを ずしり、と感じつつ・・・
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updated: 01,12,2010.
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********* 途中ですが ・・・
はい、 島村さんち・ストーリーです♪
そして 前書きにも記しましたがクリスマス話の続編になります。
季節的には up したリアル・タイムでお考えくださいませ。
<王様のお菓子> については後編にでてきます。 あ、フェーヴも・・・
ジョー君とフランちゃんが行った絵画展は 現実のものです(#^.^#)
( あ・・・フランちゃんと云々・・・は勿論捏造ですが〜〜 )
前編だけだとハナシが見えん??のですが ご感想の一言でも
頂戴できますれば ・・・ 感謝感激雨アラレ♪
お宜しければ あと一回、お付きあいくださいませ <(_ _)>