『  旅路  − (1) − 』
ぱたぱたぱた ・・・・  
・・・ ぱたぱた ・・・ ぱたぱたぱた ・・・

リビングだけではなくて、朝から家中に軽やかな足音が響いていた。
春もまだ浅い三月の半ば、島村さんちにはどうもなにやら落ち着かない雰囲気が満ちている。

町外れの岬にぽつんと建つちょっと古びた洋館・ギルモア邸、
ご当主のギルモア老は数年前に鬼籍に入ったけれど、そこにはずっと一組の家族が
住み着いている。
茶髪のご主人とフランス美女の奥さんはいつも若々しく双子の子供たちはもう高校生、
女の子の方が暫く姿を見せないのはなんでも母親の祖国に留学しているからだ、
と町の人々は納得していた。


バタン・・・!
リビングのドアが大きな音をたてて開いた。
真っ白なエプロンを翻し、フランソワ−ズが飛び込んできた。

   ・・・ なんだ ?? 今朝は、いや昨夜からどうしちゃったんだ?

ジョ−はまだ食堂のテ−ブルで新聞を広げていたが、その陰からそっと
彼の奥さんを見つめた。

「 ねえ、すばる。 やっぱりダウン・ジャケットのがいいんじゃない?
 むこうは まだ寒いかもしれないもの。 」
「 ・・・ いいよ。 嵩張るの、イヤなんだ。 」
「 でも・・・ 風邪ひいても困るし。 
 ・・・ああ、ジョ−! まだ新聞なんか読んで・・・ ねえ、梅干! 梅干も持ってゆきましょう。
 あなた、食べたいでしょう? 」
「 ・・・ いいよ。 たった10日間じゃないか。 」
「 でも・・・ 疲れた時には欲しいでしょ。 
 ・・・ああ、もう・・・ すぴかったら少しは向こうの様子を電話でもして来れば助かるのに! 」
「 フランソワ−ズ? ・・・ ちょっと落ち着いてお茶でも飲んだら。 」
「 え ・・・? 」
ジョ−はばさり、と新聞を閉じると うろうろしているフランソワ−ズの腕を引いた。
不意を衝かれて、フランソワ−ズはぺたん・・・と椅子に座ってしまった。
「 ・・・ あ ・・あら。 ええ・・・ そうね。 」

  ・・・ くすくすくす ・・・

向かい側からちょっと低い声の笑いが聞こえる。
「 ・・・ 母さん、ヘンだぜ? どうしたのさ、そわそわしっ放し。
 自分の生まれ育った国に帰るのに どうしてそんなにテンパってるのさ。 」
「 え・・・ ・・・ ああ、そうなんだけど・・・ね。 」
「 それに旅行ったってほんの10日間じゃないか。 向こうには姉貴いるじゃん。
 着るものなんかどうにでもなるよ。 」
「 でもね・・・ ほら、外国で具合が悪くなっても困るし。
 すばる、あなただって入学式の前に風邪なんか引きたくないでしょう? 」
「 ・・・ もう〜〜  外国、なの? 母さんの生まれた国はさ。 」
「 だって。 お母さんはもう日本にいるほうが長いもの。
 ジョ−? 梅干と・・・あと日本茶のティ−バッグでしょ、そうそう、海苔も持ってゆく? 
 ・・・ あら。 なによ、そんなに二人して笑わなくてもいいじゃない。 」

 ふふふ・・・・
 ・・・ ははは 

良く似た声が一緒に笑いだし、フランソワ−ズはちょっと膨れッ面をした。

「 大丈夫だよ、何もいれなくてもいいさ。 
 きみ、昨夜もほとんど眠ってないだろ? 一晩中なにかごそごそやってたし。
 出発までまだ時間があるから・・・ ちょっとソファで休んでいろよ。 」
「 まあ、そんなヒマないわ。 ダメよ、出かける前に皆でおじいちゃまにご挨拶してこなくちゃ。 
 ちゃんとね、行って来ます、お留守をお願いしますねって。 」
「 ・・・ あ、オレ、昨日掃除しといたぜ、祖父サマのお墓。 」
「 ありがと、すばる。 ・・・さ、こんなトコでぐずぐずしてないで・・・ ジョ−も新聞畳んで! 
 ほらほら 行動開始よ〜〜〜 」
島村さんちの奥さんは勢いよく立ち上がると、テ−ブルの上にあった食器をまとめ
さっさとキッチンに運んでいった。

「 ・・・ はいはい。 それじゃ・・・ そろそろオミコシをあげるか。
 我が家の指令塔には従わないとね。 」
「 ・・・ あとがウルサイしね・・・ 」

「 なあに? オミコシとかうるさいとか・・・? 」

「 し・・・っ。 聞こえちゃうよ。 」
「 ふふふ・・・ 父さん、なんとかフォロ−しとけよ? 」
キッチンから飛んできた声に、父と息子は良く似た顔を見合わせてくつくつと笑った。



その墓標は 岬のはずれ、遥かに大海原を望む場所にある。
すこし古びた御影石の十字架は 海とそして少し離れた洋館と両方に向かって立っていた。
どこにも、名前すら刻まれていない。
その石碑に近い墓標の下、ギルモア博士が眠っている。

博士は 晩年、可愛い双子達の おじいちゃま として穏やかに過し それでも
最後の最後まで 彼の息子達や娘のことを気にかけていたのだった。

「 博士 ・・・ どうぞ 守ってください。  ・・・・ さあ。 これでご報告もしたわね。 」
「 うん。 それじゃ ・・・ 行こうか。 」
「 あ・・・ オレ、戸締りのチェックしとくから。 父さん達はゆっくり来なよ。 」
すばるは両親の返事も待たずに 我が家めがけて駆け出してしまった。

「 ・・・ あら・・・ なんなの、あの子ったら・・・・ 」
「 ふふふ ・・・ アイツなりに気を使ってるんだろ。 」
「 そうね。 」
「 ・・・ ここは ぼく達には特別の場所だから、さ。 」
・・・ うん。 
こくり、と頷いて フランソワ−ズはもう一回海に向き直った。

「 ねえ ジョ−。 20年 ・・・ あなたとここで一緒になって・・・
 もう20年近くにも なったわ・・・ 」
「 ・・・ うん ・・・ もうそんなになるかな。 あっと言う間だったね。 」
「 わたし。 ほんとうにこの国で過した年月の方が長くなってしまったわ。
 ・・・ ジョ−と一緒の日々の方が ・・・ 」
「 ・・・ ずっと一緒だよ。 これまでも これからも。 」
「 ジョ− ・・・ 」
「 いつでも ずっと愛してる・・・ ぼくはきみの側に居るために生まれてきたんだもの。 
 きみと出会うために ・・・ この身体になったって今では確信してるよ。 」
「 ・・・・ わたし ・・・ 幸せだったわ。 ずっと・・・そうよ、これからも・・・ 」
「 パリに行きたくない? 」
「 え・・・ どうして。 」
「 うん ・・・ なんかそんな風に感じたんだ。 
 すばるの進学も決まったし、すぴかにも会いたいからって ぼくが決めてしまったけど・・・ 
 ごめん、今度の旅行、気が向かないかな。 」
「 そんなこと・・・ パリはわたしの生まれた街よ。 でも・・ちょっと ・・・ 怖いのかもしれない・・・
 ふふふ・・・ <外国>って言ってすばるに笑われちゃったけど。 」
フランソワ−ズは振り向いて、ジョ−の側にぴたりと寄り添った。
「 ・・・ わたしが居る場所は ・・・ ココしかないの。 」
「 フランソワ−ズ ・・・ 」

爽やかな朝の風が二人の周りを吹き抜ける。
まだ浅い春、それでも足元に広がる大海原は日の光を一杯に受け止め
きらきらと波打っている。

  ・・・ そう。 きみってヒトは この海みたいにいつも輝いているんだね。
  ぼくは 永遠にきみの虜さ。 ・・・ ぼくのフランソワ−ズ

ジョ−は傍らのたおやかな身体を抱き寄せ 
フランソワ−ズは寄り添った広い胸に身体を預け
・・・ 輝ける早春の朝、二人は熱く深く口付けを交わした。

「 ・・・ やっぱり こわい? 」
「 ううん。 ジョ−、あなたと一緒なら怖くなんかないわ。 」
「 うん。 ぼくも。 」
「 ・・・・・ 」
唇を離しても二人はしっかりと見つめあい、手を握り合った。


  さあ。 行こう ・・・! 明日へ。



カクン ・・・ 
軽いショックを感じると あとは身体全体がふわり・・・と軽くなった気分がした。

  まあまあ ・・・ ドルフィン号以外の飛行機って何年ぶりかしら。
  旅客機の take off ってこんなに大袈裟なのねえ・・・

ジョ−の隣の座席で フランソワ−ズはそっと息をついた。
「 なんだ、緊張したのかい。 ・・・こんなの、慣れてるだろ。 」
「 まあ・・・・いいえ。 こんな乱暴な操縦には慣れていませんの、
 ドルフィン号の名パイロットはいつも滑るみたいに発着しますのでね。 」
「 ははは ・・・ ドルフィンと比べちゃ気の毒だ。 」
「 そうねえ、性能がちがうし。 勿論パイロットの腕が全然違います。 」
「 ・・・ 恐れ入ります。 」

「 母さん。 」
「 なあに、すばる。 」
「 これ・・・ イワン兄さんからのメ−ル。 出掛けにプリント・アウトしてきた。 」
通路を隔てて座るすばるが手荷物からごそごそ紙を取り出した。
「 すばる宛でしょう? 読んでもいいの。 」
「 うん。 オレ宛ってかこれはウチ中宛てだよ。 」
「 ・・・ イワン ・・・ なんて。 」
「 読んでいいよ? 」
「 なんだか怖いの、すばる、話して。 」
「 え、別にどうってことない内容だよ。 元気だって。楽しい家族旅行をってさ。 」
「 ・・・ そう ・・・ 」
「 イワンには今の環境が合っているらしいね。
 この前、ジェロニモからメ−ルが来たけどまたいろいろとパテント( 特許 )を取ったり
 してるんだって。 随分遠くまで歩けるようになって時々二人で散歩してるそうだ。 」
「 まあそうなの。 元気でなによりだけど ・・・ たまには会いたいわ。 」
「 今度、会いに行こう。 」
「 そうね ・・・ ああ、どんなに大きくなったかしら・・・ 」
フランソワ−ズは窓から外を眺めるふりをして そっと涙を拭った。
不思議な赤ん坊のイワンは、今見かけ上は一歳半くらいで<あんよはじょうず>、といった頃らしい。
数年前から アメリカでジェロニモと一緒に暮らしている。

「 ・・・ ああ ・・・ なんだか眠くなってきちゃったわ・・・ 」
「 ほら〜〜 昨夜から大騒ぎしてたからだよ。 食事になったら起こすから
 ちょっと寝ろよ。 ・・・ ぼくのブランケットも使っていいから。 」
「 ありがとう、ジョ−。 じゃあ ・・・ ちょっと眠るわ。 お休みなさい。 」
「 ああ、お休み・・・ 」
ジョ−はこそっと身を寄せてフランソワ−ズにキスをした。

  バイバイ、トウキョウ。 そして Bonjour Paris !
  目が覚めたら わたし・・・ 19の小娘にもどっているかもしれないわ・・・

島村さん一家を乗せて ジャンボ機は機首を上げ西の大陸めざして行った。





「 すばる〜〜〜 ここよ、ここ! 」
「 ・・・ すぴか 」
カフェの入り口できょろきょろしている若者に すぴかは店の奥からわさわさと手を振った。
亜麻色の髪を短く刈り込んだすばるが テ−ブルの間を縫ってくる。
「 なんだ・・・ 外の席にいないからさ。 」
「 あら、まだこの時期は寒くて・・・ 外に座って喜んでいるのはオノボリさんだけよ。 」
「 ふん・・・ どうせオレはオノボリさんだよ。 」
「 あはは・・・ そうだったわね。 今はまだパリは冬なのよ。
 日本のあの街よりも随分と寒いの。 ・・・ あんた、そのジャケットで寒くない? 」
「 う ・・・ ちょっと寒いかも ・・・ 」
「 ダウンとか着てくればよかったのに。 あとでアウト・レットの店に行こ。 」
「 うん。 ああ・・・ 母さんに怒られそ。 」
「 ふふふ ・・・ お母さん達は? 」
「 うん、父さんと ・・・ あのアパルトマンを見に行った。 」
「 そう・・・。 」
「 ・・・ うん。 オレらは遠慮したほうがいい。 」
「 うん・・・ それにね〜 もう午前中で懲りたわ〜〜 お母さんと歩くの。 
 あんた、お父さんにくっついて行って正解よ。 」
「 へへへ・・・ 母さんのお供はな〜 日本でもなるべくご遠慮さ。 」
姉と弟は 色違いの瞳を見合わせくつくつと笑った。

昨夜遅くシャルル・ドゴ−ルに着いた一家は 迎えに来ていたすぴかとともに
とりあえずホテルで一泊、今日の午前中は娘は母親と、そして息子は父親と別々に
パリの街に繰り出した。
そして 昼下がりに姉と弟はこの凱旋門に近いカフェで落ち合ったのである。

「 もう、ね ・・・ お母さん、いちいち大感激なのよね。 それも八百屋さんの前とか
 小さな露天の花屋さんとか・・・ 裏通りのお菓子屋さんとか。 <普通>の店先で
 まあ・・・って言ったきり涙ぐんでいるのよ。 」
「 ・・・ 懐かしいんでないの。 ホラ、<昔>のまんまね・・・とか。 」
「 多分ね。 でもさ〜 周りのヒトは妙な目で見るし。 」
「 そりゃな〜。 母さんはどう見てもパリジェンヌだし。 」
「 うん。 あんたの方は? お父さん、仕事がらみだったんでしょ。 」
「 ああ。 ちょっとだけモ−タ−系の出版社に顔出してた。 」
だけどさ・・・と、すばるはちょっと呆れた顔をして見せた。
「 父さんってさ。 こう・・・なんてか、一種のオ−ラがあるのかな。
 滅茶苦茶にモテるんだ。 女のヒトの方で放っておかないってカンジ。」
すばるは運ばれてきたカフェ・オ・レをずずず〜〜〜っと啜った。
「 すばる。 それ、やめて。 ココは巴里なの、日本の町外れの一軒家じゃないのよ。 」
「 ふん ・・・ な〜、コレちっとも甘くないじゃん。 」
「 ・・・ ほら。 」
すぴかは手元のシュガ−・ポットを押しやった。
「 ウチのカフェ・オ・レは最初っから甘いものね。 アタシ、何回も何回も砂糖は入れないで、って
 ちっちゃい頃、お母さんに頼んだけど ・・・ 全然ダメだったわ。 」
「 あはは・・・ 母さん、もう習慣で砂糖を入れてるから。 本人、意識してないよ。
 なにせ、父さんはミルクと砂糖たっぷり♪ がお好みだからね。 」
「 お父さんだけじゃなくてあんたもでしょ。 
 それで ・・・すばる君、あんたは? お父さんの息子として、やっぱりモテモテなの。 」
すぴかはくつくつ笑って自分の前にある細いグラスに口をつけた。
「 すぴか、それ ・・・ ビ−ル? 」
「 そうよ。 こっちではカフェにもビ−ルがあるの。 アタシ、甘いの苦手だし。
 バゲットにはビ−ルが一番合うわ。 」
「 へえ・・・ 母さんの前で飲むなよ? また怒られるぜ。 」
「 ・・・ったくね〜〜 固いんだもの、お母さん。 自分だって昔この街にいた頃はビ−ルくらい 
 飲んでいたと思うんだけどな〜〜 」
「 ふふふ・・・ すぴかもさ、母さんと似てるのは顔だけ、か。
 オレもさ〜〜・・・。  どうも似ているのは顔形だけみたい。
 オレはダメだな。 父さんのあのオ−ラはないよ。 」
「 お母さんもね。 そこだけスポットライトが当たってるみたく、綺麗なのね〜
 午前中、一緒に歩いてて・・・すれ違うオトコは10人が10人とも振り返るのよ。
 この!ぴっちぴちの18才のアタシじゃなくて プラス20年のお母さんの方にね。 」
ふう〜〜〜 と すぴかは大仰に溜息をついた。
「 あはは・・・ すぴかもか〜。  あの二人は ・・・ ホントに凄いよ。
 この頃思うんだけど、なんかこう・・・ 人間離れしたム−ドがあるのな。 」
「 ええ、そうね。 それは お父さん達の歩んできた人生から生まれるのかもね。
 それにね ・・・あんたは知らないかもしれないけれど。
 アタシたちが中学生の頃、お母さん時々こっそり溜息ついてたのよ。
 お父さん、モテるから・・・ いろんな女のヒトから手紙とかメ−ルとかプレゼントとか・・・
 バレンタインなんて凄かったのよ。 表面はお母さん、笑って見てたけどね。 」
「 知ってる。  オレらがチビの頃、父さんにくっ付いていた間はそうでもなかったけど。
 いまだに父さんって独身だと思われたりしてるぜ。 」
「 ふうん・・・ あんたさ、チビの頃みたくまたいつも一緒にいて <お父さん> を連発したら。 」
「 ・・・・ よせよ。 マジで言ってるのかよ。 」
「 ば〜か。 お父さんっ子のあんたをちょっとからかっただけだって。
 あら・・・ 相変わらず甘党ねえ。 あ〜あ・・・ミルフィ−ユにアイスクリ−ムなんか乗せて・・・ 」
「 いいじゃん。 オレ、腹へって・・・ 」
「 これで医学部の学生になれるのかしらね? そうだわ〜 ねえ、わたなべ君は? 
 あのコはどうしたの。 」
すばるはこの春、見事に難関の国立大医学部を突破した。
「 あいつは 一ツ橋に余裕でストレ−ト。 経済やるんだって。
 あいつさ・・・いまだに姉貴のこと、怖いんだぜ? 」
「 あはは・・・ あの時、小二だったっけ? 結構マジで泣かしちゃったものねえ。 
 <泣き虫・毛虫〜〜 はさんで捨てろ〜〜 > って言って・・・・ 
 アタシ、あのあとお母さんに滅茶苦茶に叱られたんだ。 
 そんなことレディが言うものじゃありません!ってね 」
「 レディねえ・・・ 母さんって幾つになっても <お姫サマ> なんだよな。 」
すばるは目の前のミルフィ−ユ ( プラス アイスクリ−ム ) を頬張って満足そうだ。
わたなべ君はすばるの <しんゆう>、双子達がフランソワ−ズのスカ−トを両側から
握り締めていた時代からの付き合いである。
「 うん、なんかこう・・・ 浮世離れしたトコがあるのよね、あの夫婦は。 」
「 そうそう・・・ あ、オレ、あのヒトが食べてるの食いたい。 」
「 ・・・え? ああ、クレ−プ・シュゼットね。 ・・・garcon? 」
すぴかは手を上げて給仕を呼んだ。
相変わらず蟻さんみたいなすばるは カフェ・オ・レの追加も姉に頼んでもらった。










「 まったく・・・。 よく太らないわね。
 そうだ、明日はさ、ビシっと決めてよ? 島村家としては大切なイベントなんだから。 」
「 わかってる。 ・・・ ほら、これ。 」
すばるは足元のバッグからなにやら引っ張り出した。
「 ? ・・・え ・・・ そのネクタイって・・・ 確か? 」
「 へへへ・・・ 父さんの一張羅。 どう? 」
「 それ・・・昔おじいちゃまがロンドンのお土産に買ってきてくれたヤツじゃない?
 お父さん、宝物みたく大事にしてた・・・ 残念ね〜 アンタには似合わないわヨ。 」
「 すぴかには見る目がないのさ。 」
「 ったくな〜〜 相変わらず な ・ ま ・ い ・ き ! 」
ピン・・・とすぴかは弟のオデコを突っついた。

ふふふ・・・
へへへ・・・
笑みを含んだ色違いの瞳を見合わせ、やっぱり色違いのアタマをくっ付け合い、
島村さんちの双子は 久し振りの口喧嘩を楽しんでいた。





「 ・・・ ごめんなさい、ちょっと ・・・ 待ってくれる? 」
「 うん。 ・・・ 大丈夫かい、フランソワ−ズ。 」
そろそろ早い夕闇が降りてきた街角で、フランソワ−ズはジョ−の腕を引いた。
まだ春も浅いこの街では、石畳の路から冷たさが這い登ってくる。
フランソワ−ズはコ−トの襟を併せなおし、小さく息を吐いた。
「 ええ ・・・ ごめんなさい。 わたし ・・・・ 」
「 ぼくがいるよ。 いつだってどこへだって一緒だから。 ・・・ ね? 」
「 ええ ・・・ ありがとう、ジョ−。 」
きゅ・・・・っと傍らの夫の腕に縋り、フランソワ−ズはゆっくりと歩きだした。

  ・・・ この角を曲がって。 一番初めに目に入るの。
  そう・・・ あのアパルトマンの一番上の部屋。 お兄さんと・・・ わたしの・・・部屋。

カツンカツンカツン ・・・ カツン。
足音が その古びたアパルトマンの前で止まった。
ジョ−はそっと腕をまわして、フランソワ−ズの肩を抱いた。
小刻みに震えていた細い肩は その腕に寄りかかる。

「 ・・・ まだ ・・・ あったのね。 このアパルトマン・・・ 」
「 そうだね。 」
「 あの部屋、カ−テンが引かれてる ・・・ 誰かがちゃんと住んでいるんだわ。 」
「 ・・・ 行ってみる? 中には入れなくても・・・ 」
「 ・・・ ええ。 」

ジョ−とフランソワ−ズは寄り添ったまま目の前のアパルトマンに入っていった。
傍目には 恋人同士がどちらかの部屋に訪れたのか若夫婦の帰宅に見えただろう。
石畳の路を行き交う人々は 別段視線を向けもしない。

「 ちょっと断っておこうか。 」
「 ・・・ そうね、お友達を訪ねてきた・・・とか ・・・ 」
「 うん。 ・・・ ぼくのフランス語で通じるかな・・・ 」
ジョ−はぶつぶつ言ってコンシェルジュ ( 管理人 ) の部屋のドアをノックした。

  ・・・ そうよ ・・・ その部屋に ラルチ−ヌおばさんが住んでた。
  あの日。  お寝坊して階段を駆け下りるわたしに声をかけてくれたのよ。
  もし。 もうちょっとおばさんとおしゃべりをしていたら。
  もし。 あの朝、お寝坊しなかったら。

  ・・・ わたし。

フランソワ−ズはアパルトマンの階段の薄暗がりにじっと佇んだままだった。
まだ寒い季節なのに・・・ そろそろ窓に灯りが点る頃なのに ・・・
フランソワ−ズは じっとりと汗ばんだ掌を握り締めていた。

「 どうぞって。 多分留守かもしれないけどってさ。 ・・・ どうしたの。 」
「 ううん ・・・ どうもしないわ。 」
「 とにかく行ってみよう。 」
「 ・・・ ええ ・・・ 」
咽喉がカラカラに干上がり、フランソワ−ズは妙な声で応えた。

コツ・・・ コツ・・・ コツ・・・ コツ・・・

一段一段、磨り減って角が丸くなった階段を踏みしめる。
ここを ・・・ こんなにゆっくり昇ったことなんて ・・・ なかった。
いっつも飛び上がるみたいに駆け上がり 雪崩みたいに駆け下りていた。
壁のシミも 黒光りがしている手すりも ・・・ ちっとも変ってないみたいに見える。
でも
歳月はしずかに降り積もり、建物は確実に朽ち出していた。

・・・ コツン ・・・コツン ・・・コツン 

フランソワ−ズは昇る。
20年分、いや60年近い年月を踏みしめ、時の流れを噛み締めて

ジョ−はそんな彼女をそっと後ろから見守り、付いていった。

   ここは ぼくには入れない世界なんだ。
   彼女はどうしても、この階段をもう一回昇らなくちゃならない。
   そうなんだ、 一人で。 もう一回・・・・
   
 ・・・・ カツン。

フランソワ−ズの足音が止まった。
一番上の階、アパルトマンの端っこの部屋の前に彼女は辿り着いた。
昔と変らず掃除は行き届き、年季は入っているけれど清潔である。
飴色になったドアに フランソワ−ズはそっとアタマをつけた。

  ただいま。 ・・・ わたし ・・・ 帰ってきたの、帰ってきたのよ。


下の路からは路行く人々の足音やら話し声が遠く響く。
そろそろ皆が家路を辿る時になってきたらしい。

  帰ってきたの ・・・ 帰って ・・・

黄昏の薄明の中、 懐かしいドアの前でフランソワ−ズはひくく呟き続けていた。



















「 あ〜あ ・・・ 久し振りで全員揃っての晩御飯もいいもんだね。 」
「 ・・・ そうね。 」
「 きみ ・・・ 疲れた? なんだか食事中も元気がなかったよ。 」
「 ううん、大丈夫よ。 ふふふ・・・すぴかのおしゃべりに圧倒されてたのかもしれないわ。 」
「 あは。 あいつ、よく喋ってたものな。
 多分日本語でしゃべり散らすのって滅多にないんじゃないかい。 
 今日は相棒もいるし。 」
「 ほんとね。 すばるも結構しゃべってたし。 ふふふ・・・やっぱり双子なのねえ。 」
「 そうだね〜。 ぼくには兄弟がいないからさ、ちょっと羨ましいな。 」
「 そう? ・・・ そうね。 」
フランソワ−ズはそっとベッドに腰を下ろした。

パリ二泊目、島村さんち一家はひさびさにみんなでゆっくりと食事を楽しんだ。
すぴかは去年のフランソワ−ズの誕生日に帰国して以来、クリスマスにもお正月にも
日本の我が家に帰ってこなかった。
一家はちょっと気張って、上等なレストランで本場のフランス・ディナ−を味わった。

・・・ オレ、ウチの晩飯のが美味いと思うな〜
し。 給仕さんに聞こえるよ。
日本語、わかるワケないって。

子供たちはぼそぼそと喋りあい、両親はそんな光景をちょっと懐かしい気分で眺めていた。
こんな風に家族全員で食卓を囲むのは本当に久し振りだった。
10代も終わりの子供達と一緒の時、ジョ−とフランソワ−ズは<それなりに>装うことにしている。
ジョ−は眼鏡をかけフランソワ−ズは押さえた髪形にし、二人とも地味な服装をした。
・・・ それでも。
息子いわく、ジョ−は <女のヒトの方で放っておかない> 存在であり、
娘いわく、フランソワ−ズは <すれ違うオトコの10人が10人とも振り返る> のだった。


「 先にバス使えば。 きみ、やっぱり疲れているんだろ。 」
「 ・・・ そう、かもしれないわ・・・ 」
部屋に戻ってもベッドに腰かけたままのフランソワ−ズに ジョ−は気がかりな視線を向けた。
いつもならドレスがシワになるの、ジャケットが型崩れするの、といろいろ気を使う彼女が
今夜はなにもかも ぽん、とサイド・テ−ブルに置いたきり、ぼんやりとしていた。
きっと 張詰めていた気持ちが緩んだのだろう、とジョ−は黙って着替えていた。

あの古いアパルトマン、フランソワ−ズは帰りも一段、一段 踏みしめて階段を下りた。
それは。
別れの足取りだった。
一歩、一歩、フランソワ−ズは過去から 今度こそ本当に去っていった。
ジョ−の腕に縋り、ジョ−に寄り添い ・・・ ジョ−とともに。
新しい人生に向かって 生涯を共にする人と一緒に。
そう ・・・ 挙式後、教会のヴァ−ジン・ロ−ドを歩む花嫁みたいに・・・。


「 ・・・ ねえ、 ジョ−。 」
「 うん? なんだい。 」
「 あのね・・・。 今日・・・ あのアパルトマンの階段で・・・
 わたし、もしかしたらって思ったわ。 
 あの日・・・ 兄と一緒にあの階段をまた上って部屋に帰れていたら・・・・って。 」
「 ・・・そのほうが しあわせ だった? 」
「 わからない・・・ わたしには わからなかったの。 」
フランソワ−ズは腕を伸ばして ジョ−にしがみついた。
「 でも。 でもね。 
 そんなこと ダメなの。 そんなのって ・・・ 有り得ないの。
 わたしは ・・・ わたしの運命はこの胸に飛び込むように決まっているから。 」
「 フランソワ−ズ ・・・ 」
「 ジョ− ・・・ 愛してるわ。 わたし、今日はっきりわかったの。 」
ジョ−はフランソワ−ズを抱き上げると そのまま一緒にベッドに座った。
彼が一番よく知っている甘い香りが ジョ−の腕の中から匂いたつ。
「 なに・・・ 今頃わかったの? 」
ジョ−は微笑んで フランソワ−ズにキスをする。
「 ・・・ んんん ・・・ 意地悪・・・! 」
彼女はそのまま ジョ−の胸に頬を摺り寄せた。
「 そんなんじゃなくて・・・ 今日、あのアパルトマンで、あの階段を昇って・・・
 それで 降りて。 わたし ・・・ あの頃を<卒業> したの。 やっと・・・卒業できたのよ。 」
「 ・・・・・・・・ 」
ジョ−の長い指が ゆるゆるとフランソワ−ズの髪を愛撫する。
彼はその柔らかでどこか冷たい甘さを含んだ彼女の髪が大のお気に入りなのだ。
「 そうして ・・・ あなたの許に あなたの腕の中めがけて駆け下りたの。 」
フランソワ−ズは細い腕をジョ−の首に絡めた。
「 ・・・ わたしも はっきりとわかったわ。
 わたし ・・・ あなたの許に来るために、あなたを待つために・・・
 この身体になったんだ・・・って。 これは わたしの生まれる前から定まっていた運命なの。 」
「 きみがそう思うなら きっとそうなんだよ。 」
ジョ−は亜麻色の髪に、円やかな頬に さくら色の唇に キスを落としてゆく。
そして悪戯な指が 白いうなじから胸元へそっとすべりこむ。
「 ・・・ あ ・・・ ジョ− ・・・ や ・・・ だ ・・・ 」
「 ぼくはね。 この女性 ( ひと ) にめぐり逢うために、すこし風変わりな人生を歩んだのさ。
 それはぼくの運命、生まれる前から決まっていた。 きみと同じだ。 」
「 ・・・ ジョ− ・・・ 愛してる ・・・・! 」
フランソワ−ズはしっかりとジョ−に抱きつき ジョ−と唇を合わせた。
「 ・・・ フラ ・・・   ドレスが・・・ シワ ・・・ 」
「 ・・・ たまには いい ・・・ わ ・・・ 」
二人は縺れあったまま、ベッドに倒れこんだ。

・・・ 明日は きっと 晴れるわ・・・

ジョ−の腕の中で 熱い奔流の真っ只中で フランソワ−ズはちらり、と思った。

欧州の古い街で 早春の夜は穏やかに更けていった。








・・・ ここ ・・・ どこ ・・・?
ウチじゃ ・・・ ないわ。 日の光の色が ちがうもの・・・

重厚な緞子のカ−テンの隙間から 淡い陽射しが一筋床に落ちている。
普段とちがう肌触りのリネンの中で フランソワ−ズはぼんやりと目を開いた。

どこにいるの、わたし・・・ ああ、でも ジョ−が一緒ね・・・

馴染んだ香りと いつもの温かさが彼女を取り巻いている。
そうっと顔をあげれば 誰よりもよく知っている顔がすぐ隣でぐっすりと寝入っていた。
セピアの瞳は まだ夢の中、 フランソワ−ズはこそっと彼の頬にキスを落とす。
手をのばして、ちょっと長めの前髪を梳いてみる。

  ・・・ だ ・ い ・ す ・ き ・・・! 

フランソワ−ズは口の中で呟いた。
愛しあった翌朝は 身体の芯から瑞々しさが滲みでてくる。
隅々にまで 活力が行き渡り、フランソワ−ズはそんな爽やかな朝が大好きだった。

・・・ ゴソ ・・・ 
ジョ−が少しだけ身体の向きを変えた。
彼も <いつも> とは違う環境を感じているのかもしれない。
ぴくり、と瞼がゆれセピアの瞳が ゆっくりと開く。

「 ・・・ おはよう、ジョ−・・・ 」
「 ・・・ フランソワ−ズ ・・・ おはよう ・・・ 」
二人は 再び腕を絡ませ合い、 見つめ合い 微笑あって 朝のキスを交わした。

「 ・・・ 今日は いいお天気みたい・・・ 」
「 そうだね。 」
ジョ−はもう一度 フランソワ−ズを抱き締めると軽くキスをした。

「 さあ。 今日はきみのお父さんとお母さん、そしてお兄さんに会いに行こう! 」




Last updated : 03,20,2007.               next      /    index



*****  途中ですが・・・・
双子達も18歳になりました。
うふふふ・・・・ <老けづくり・シマムラ>〜〜〜〜(#^.^#)  それでもジョ−君はジョ−君なのです♪
さて ・・・ フランちゃんのご両親とお兄さんに会う??? 
あと一回、お付合いくださいませ〜〜〜〜 ( 深々 )

イラスト : めぼうき
テキスト : ばちるど
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