『 あひる ― (2) ― 』
ザザザ −−−−−−
ザザ −−−−−− ・・・
停留所でバスを降りると まず耳にはいってくるのが波の音だ。
そんなに大きな音ではないし、その気になって聞き耳をたてなければ気づかない程度の音量なのだが ―
それは四六時中、やむことがない。
「 ふうう 〜〜〜 ただいまっと・・・・ 」
フランソワーズは 停留所でほっと大きく息を吐いた。
これから買い物に商店街にも寄らねばならないし、例の家の前の急な坂道も待ち構えている。
本当に ただいま をいえるのは全てをクリアした後だ。
「 う〜〜〜ん ・・・ ああ やっぱり疲れたわあ〜〜 脚がね、ガクガクしているわ・・・
本格的なレッスンなんて・・・ 何十年振りかしら ・・・ 脚だけじゃないわね、
身体中がびっくりしているわよねえ ・・・アタマだってくたくたかも 」
ふううう 〜〜〜〜 空に向かって深呼吸かため息か ・・・・
ともかくお腹の底から息をすると 少しはすっきりした。
「 ぁ・・・ いい風〜〜 海の色もちょっぴり明るくなってきたかしら。
そういえば 波の音も軽くなったみたい ・・・ 」
この地に住み着くことになって まだそんなに月日を重ねたわけでもないのだが
風が運んでくる潮の香と ず〜っと、そう眠っている間でも聞こえている波の音が
もう < 懐かしい > 存在になっていた。
「 ふんふんふ〜〜ん♪ やっぱりここの眺めは最高よねえ ・・・
すっきりするし ・・・ うふふ 波の音って聞こえていないと淋しいわ。 」
さて 買い物に行きましょ! ・・・と 彼女は大きなバッグを持ち直すと国道を渡り、
ガシガシと 海岸通り商店街 へと歩いていった。
― え ・・・ こんな海のすぐそば なの?
初めてこの地にやって来たとき、 彼女はそっと眉を顰めたものだ。
博士が旧知の友を頼って辿りついたのは 東の果ての島国でその国の首都より少し離れた場所だった。
崖っ淵に洋館がほどなく完成し、彼女はそこに 博士とイワン そして!
そう ちょっとシャイな茶髪の青年 と一緒に暮らすことになった。
「 まあ 素敵なお家ですね。 あらあ〜 景色が最高〜 あ どうぞヨロシク。」
「 いやいや こっちこそ宜しく頼むぞ 」
「 うん! ぼくもいろいろ手伝うからね。 どうぞヨロシクお願いします。
あ 買い物もさあ メモさえ用意してくれれば ぼくが行ってくるよ。 」
優しい瞳の青年ははにかみつつ それでもきちんと挨拶をしてくれた。
「 まあ うれしいわ ありがとう〜〜! じゃあ すぐにメモを書くわね。
晩御飯用のお買いものをお願いしたいの。 」
「 メモ、お願いします。 あの ぼく さ ・・・普通の家庭ってよくわからないから・・・
食品とかどのくらい買うのか さっぱり なんだ。 」
「 え ・・・ 普通の家庭 ・・・? 」
「 あ〜〜 言ってなかったっけ? ぼくは孤児でさ、教会の養護施設で育ったんだ。 」
「 まあ ・・・ ごめんなさい、余計なこと聞いて・・・ 」
「 別にいいよ〜 あは 施設っても、そんなヒドイとこじゃないよ。
食事は十分だったし衣類とか学用品なんかもね。・・・ただ好き勝手には選べなかったけど 」
「 そうだったの ・・・ そこでお食事の支度とかやっていたの? 」
「 ただの手伝いだよ〜 寮母さんに言われるままに切ったりあらったりしてたけど ・・・
味付けとかはやらせてもらえなかったし。 だからね、ちゃんとした料理はできません。
あ その代わり皿洗いは得意だからね〜〜 任せて! 」
「 わあ 〜 頼もしい〜〜 わたしだってね、お料理は得意じゃないのよ。
この国の美味しい食材とか教えてね。 」
「 うん! きみの注文は え〜と ・・・ こるにっしょん?? お〜べるじ〜ぬ???
あのう ・・・ これスパイスの名前ですか? 」
「 え! お野菜よ。 わたし、この前駅前のマーケットで見たもの、大丈夫、
ちゃんとこの国にもあるはずよ。 」
「 え〜〜〜〜 ・・・ 聞いたこと、ないよ?? 」
ジョーは渡されたメモを眺めつつ首をひねっている。
「 ふうん ・・・ あ じゃあ ね? 一緒行きましょ! 」
「 え! い いいのかい??? 」
「 ??? いいけど・・・ なぜ? 」
「 だ だって ・・・・ その ・・・ ぼ ぼくなんかと一緒にその買い物って
その〜〜 ぼくなんかと一緒に歩いて その〜〜〜 ぼくなんかと 」
「 だって一緒に行かないとワケわかんないでしょ? 買い物カートもって行けば
たくさん買ってこれるわよ〜〜 さ 行きましょ。 」
「 あ う うん ・・・ ちょ ちょっと待っててくれる? この恰好じゃな〜
ジャンパーと帽子 取ってくるから〜〜 」
「 ええ。 わたしはカートを出しておくわね。 」
「 うん! じゃ 3分待って! 」
ダダダダダダ −−−−− !!!! 彼は爆音?を立てて階段を駆け上っていった。
「 ・・・ なんじゃあ アイツ〜〜〜 子供みたいなヤツじゃな。 」
博士は 派手に響いてきた騒音に顔をしかめている。
「 うふふ ・・・・ ジョーもお出かけが好きなのかしら。 」
「 あ〜 そうじゃな。 お前さんと一緒だから舞い上がっておるのじゃろうよ。 」
「 ??? なんでですの? こんなおばあちゃんと一緒で ・・・ 」
「 まあまあ そんな風に思わんで ・・・ちょいと買い物にでも行っておいで。
気分が替わってよいじゃろうさ。 この国の食べ物事情も覗けるしな。 」
「 はい。 行ってきます。 」
「 おいおい・・・ まだ風は冷たいよ、コートを羽織っておいで。 」
「 はい ・・・ 」
・・・ 可笑しなジョーねえ …と彼女はまだ呟きつつ出ていった。
「 はあ〜〜〜 ジョーよ? ・・・ がんばれや〜 」
博士は呆れるやら微笑ましいやら ・・・自然に口元が綻んでいた。
なんとなく笑いを誘ってしまう存在。 フランソワ―ズにとって < 島村ジョー > という
男の子はそんな存在だった。
初めて会ったあの島では彼のひたすら驚愕しつつもその瞳にずっと宿っている冷えた光に
どきっとした。 その冷たい光がなぜかとても彼女の胸に響いた。
この人 ・・・ どんな日々を送ってきたのかしら ・・・
あっという間に戦闘空間に投入され、戸惑いの極致に居ながら彼は着実にサイボーグとしての
実力を発揮し、 < 戦力 > になっていった。
彼は ― 優しいセピア色の目をもっていながら 冷徹に彼らを阻むモノを破壊していった。
・・・ 恐いヒト ・・・? いえ よくわからないヒト ね・・・
彼女は彼に直観的に好感を抱きつつも どこかひんやりしたものを感じていた。
その彼 ― 009 は 島村ジョー に戻った時、彼女の微笑みの対象となったのだ。
だんだんとよくわからないヒト は なんだか安心できる人 となっていった。
全くの他人が4人、文字通り 老若男女 の取り合わせなのだが ・・・
日々を送ってゆくうちに岬の洋館には次第に ごく自然な雰囲気が生まれてきていた。
レッスン帰りに買い物をして 一生懸命に晩御飯を作った。
料理に熱中している間は レッスンでのショック、というか 落ち込み を忘れていられた。
いや ・・・ 一時でも忘れていたくて 料理に没頭したのかもしれなかった。
奮闘努力の末 ― 鍋いっぱいの ほかほか肉じゃが が出来上がった。
晩の食卓を にこにこ顔で囲んだ。
「 あ〜〜〜〜 美味しかった〜〜〜 ごちそうさまでした♪ 」
ジョーは心底満足した顔で箸をおき、小さくお辞儀をした。
「 あ よかった〜〜〜〜 気に入ってくれた? あの ・・・ 本当に不味くなかった? 」
フランソワーズは箸をもったまま心配そうな顔つきで聞いた。
「 不味いなんてそんな! と〜〜〜〜っても美味しかったよ〜〜 あ〜〜〜シアワセ♪
あは〜〜〜 満腹 満腹 〜〜〜♪ 」
ジョーは本当に幸せそう〜〜な顔で ゆっくりとお腹をなぜている。
「 そう? それなら・・・すごく嬉しいけど。 」
「 いやいや 本当に美味いぞ。 肉ジャガ とはよく名づけたものよなあ〜 うん ・・・ 」
博士も満足の吐息をもらしている。
「 うふふ〜〜 嬉しいです〜〜〜 初めて作ったからちょっと自信なかったけど ・・・
ジョー、肉ジャガってこの味でいいのね? 」
「 あ ・・・ うん。 ぼく、この味が好きだもん。また作ってくれる? 」
「 ええ 勿論。 わたしのレパートリーが増えて嬉しいわあ〜 」
「 えへ ぼくも嬉しい♪ ねえ フラン、きみってとってもきれいにお箸を使うね〜 」
「 え?? おはし? あらあ これ ジョーの真似をしているだけ よ? 」
「 ぼくの? 」
「 そうよ、ジョーはとってもきれいにお箸を使うわよねえ 滑らかに器用に・・・
素敵だなあ〜って思って ・・・ マネしたのよ。 」
「 へええええ ?? すごいなあ〜〜〜 フラン〜〜〜 尊敬しちゃうよ。 」
「 尊敬だなんて そんな。 それにね、和食にはやっぱりお箸が合うと思うのよ。 」
「 あ ・・・ それは そうだねえ。 」
「 ねえ ジョーがお箸を使って食べるのって 見ていて気持ちがいいの。 」
「 そうじゃなあ。 うん、ワシも練習するぞ。 そうさな、年寄には箸の方が軽くてよいしな。」
博士も使わなかった箸を手に取ってみている。
「 でもねえ なかなか難しくって。 まだジョーみたいに自然にはつかえないわ。 」
「 え〜〜 そんなことないよ〜 でも本当に器用なんだね〜〜 うん、すごい!
あ じゃあ 後片付けはぼくがやるね。 」
ジョーは そそくさと立ち上がりテーブルの上を片付け始めた。
「 あ ジョー まって。 あのね、デザートもあるのよ。 今もってくるわね。」
「 え〜〜〜 デザートもあるの〜〜 」
「 ええ でも簡単なものだけど ― イチゴのミルク・ジェリーよ。 」
「 うわ うわ〜〜♪ あ! ぼく手伝うよ〜〜 」
「 はいはい じゃあお願いします。 」
フランソワ―ズは笑って立ち上がった。
ああ ・・・ こんな風に楽しい晩御飯のテーブルに付けるなんて ・・・
夢みたい ・・・ ええ 夢じゃないわよ ね
< 家族 > 皆がほんわかした晩御飯となった。
ことん。 ― そうっとドアを開ける。
廊下はしーーんとしていて、もちろん誰もいない。
常夜灯も消してあるが 窓の外にはまだまだ凍てつく冬の空が広がっていた。
ヒュウウ ・・・・ カタカタカタ ・・・・
冷えた風に 窓が微かに音を立てている。
「 ・・・ うわ ・・・ 寒 ・・・ ! 」
フランソワ―ズは慌てて羽織っていたコートの襟を掻き合わせた。
「 ふう ・・・ 夜になるとまだまだ真冬と同じねえ ・・・
あら? 灯は消したわよねえ ・・・ なんだか明るいわ? 」
廊下にでれば 仄かに足元が明るい。 ぼんやりとした影も床に伸びている。
「 ? 今夜は三日月のはずだし ・・・・ あ お星様 ! 」
彼女は窓辺に寄り 真っ黒な空を見上げた。
「 ・・・ わあ〜〜〜〜 なんてたくさん ・・・ !
パリではこんなに見えてなかったわねえ ・・・ 凄いわあ〜〜 」
寒さも忘れ しばし満天の星空を楽しんでいたが
「 ハックション ! ・・・ いっけない〜〜 星見をするため じゃないでしょ! 」
きゅっと口元を引き締めると、 フランソワーズは足音を忍ばせ階段を降りて行った。
夜 ― 自室に戻り一人になって 反省した。
昼間、意のままに動かない自身の身体にこぼした口惜し涙の苦い味が むらむらと蘇る。
「 そうよ! 自習しなくちゃ。 」
ぱっと立ち上がると 手早くスウェットに着替えた。
そうっとドアを開けると 廊下はし〜んとしていて博士もジョーももう寝入っているらしかった。
ぐっと冷えてきた廊下を辿り、階段を降りてレッスン室のドアを開ける。
「 さあ。 頑張るのよ、フランソワーズ! 」
しっかりドアを閉めてから 彼女は音を最低に絞ってレッスン用のMDをスタートさせた。
きゅ。 バーを左手で握ると ― 深呼吸をひとつ。 そして
「 二番ポジション。 ドウミ・プリエ から。 」
フランソワーズは深夜のバー・レッスンを始めた。
外には凍てつく空のもと、星々が優しい光を投げかけていた。
シュッ ・・・・ ドタン! ドン! キュ〜〜〜 ドン!
「 ・・・ いった 〜〜〜 も もう一回 ・・・ ! 」
床に転がってまた立ち上がり始めから踊りだし ・・・ 回転の組み合わせで見事に転んでしまった。
「 う〜〜〜 ・・・ なんで??? ピルエットとアチチュード・ターンの組み合わせは
得意だったはずでしょう? どうして転ぶの??? 」
さっきから何回も同じシークエンスを踊るのだが その度にバランスを崩したり脚をもつれさせたりして
彼女は床に転がっていた。
「 どうしてなの??? この靴 ・・・ 合ってないのかしら???
・・・でも これ ・・・ 昔履いていたのと同じメーカーのよねえ・・・ 」
バレエ・ショップで 以前に使っていたのと同じ靴を発見し、ものすごく嬉しかった。
昔よりもずっと軽くそして丈夫になっているのにも驚いた。
なかに詰めるパッドも種々様々あって本当にびっくりした。
あの頃は皆ストッキングを切ったりして詰めていたから・・・
そしてなによりもまたその靴を履いて踊れることが嬉しくて仕方がなかった。
アナタはちゃんとわたしのことを待っていてくれたの ね ・・・
サテン地を指先で愛でつつ、フランソワ―ズはそっと涙を拭っていた。
初めてポアントをもらった日の感激にも似た涙だった。
気分を変えて・・・と ポアント ( トウ・シューズのこと ) を脱いで履き直し
もう一回チャレンジしてみる。
「 ・・・・で 回って〜〜〜 んん〜〜 あ ッ・・・ ! 」
ドタ ッ ! またしてもバランスを崩してひっくり返ってしまった。
「 いたたたた ・・・・ なんで??? タイミングが悪いの???
あ・・・ そうだわ、ちゃんと音に乗って踊れば・・・うまくゆくかも ・・・
そうよそうよ 知ってるヴァリエーションを皆踊ってみるわ! 」
オシリをさすりつつ、彼女は数枚のMDをセットした。
「 ・・・と、これでよしっと。 ぶっ続けはキツいかなあ〜 でも やってみるわ!
ふん ・・・ それこそね、サイボーグの体力で ぶっちぎり よ! 」
自分自身に腹を立てて、その怒りのパワーでぽっぽと熱くなり ― 彼女は踊り始めた。
「 ふんふん〜〜〜 ま〜ずは リラの精〜〜〜♪ たららら〜〜〜〜♪ 」
ご機嫌でステップを踏みだした が。
( いらぬ注 : リラの精 『眠りの森の美女』での有名な踊り )
「 ・・・! また ・・・! どうして! ここでダブルでしょう??
もう〜〜 ・・・ 〜〜〜〜 ! 遅い! 遅いのよ〜〜〜 ああ ・・・ 」
まだリセに通っている頃から得意だったはずの踊りは ボロボロと取りこぼしの連続だった。
「 なんで??? 振りなんてもう完全に覚えているのに ・・・ 」
ハア 〜〜 ・・・ タオルに顔を埋めて今は遠慮なく叫んだ。
「 どうして! どうして ・・・ 失敗するのよ??? これは ・・・ そうよ、
14の時のコンクールで完璧に踊ったわ。 先生にもとても褒めてもらったのに ・・・
なんで出来ないの? どうして身体が 脚が 動かない のよっ? 」
ダンッ ! 苛立ち紛れに床を踏み鳴らした。
「 この脚 ・・・ あ ・・・ そうよ、頭からの指令に 脚が反応しない のかも・・
そうだわ! そうよ、タイミングやバランスの問題じゃないのかも ・・・・ 」
フランソワーズは タオルを置くと、もう一度センターに歩みでた。
「 音ナシでやってみよ・・・ まず ・・・ ダブル・ピルエットからアチチュード・ターン
に繋げて〜〜〜 ・・・・! 」
何回繰り返しても頭の中でのイメージは ― 彼女の四肢にはまるで反映されない。
彼女の手足はぎこちなく一回 ふら〜〜〜っと回転しただけ だった。
「 な ・・・ んで??? そんなことって! ダブル・ピルエットなんて考えなくても
回る・・・ってそう思えば 回れるはずでしょう??? 」
自分の意志に反応しない自分自身の脚に 身体に 彼女は怒りすら感じていた。
「 もう一回やてみるわよ? ほら〜〜 黒鳥 ヴァリエーションの出だしでよ?
あのGP ( グラン・パ・ド・ドゥ ) は 何回も踊ったじゃない?
それにあのコンクール用に特別レッスンまでして ・・・ 得意なはずでしょ!
そうね やっぱり音があった方がいいわね〜〜 ・・・ と 」
リモコンのスイッチを押し、彼女は部屋の中央に走り出、プレパレーションから始めた。
「 〜〜〜〜 ん〜〜〜〜 ・・・・・! 」
ゴト。 トトトト ・・・ ズン。
回転は一回、そしてアチチュード・ターンは軸が曲がったので失速し、見事にひっくりかえって
しまった。
「 う〜〜〜・・・・・ いったあ〜〜〜・・・・・ 」
一瞬、足首をひねったか? と思いひやり、としたが ― まっすぐな白い脚は平然としていた。
擦り傷も アザの痕も ない。
「 ああ よかった・・・・ ふふ サイボーグですものね、このくらいの衝撃はなんでもないの かしら。
いいことなのか どうか わからないけど ・・・
でも! なんで?? ・・・ どうして この脚・・・ 動かないの!?
ねえ アナタ、ダブル ・ ピルエット も忘れてしまったの? 」
床に座り込んだまま 彼女は自分自身の脚をじ〜〜〜っと眺めてみた。
すんなりと細くて真っ直ぐで。 真っ白な陶器人形みたな脚だ。
「 ・・・ わたしの脚は こんなにキレイじゃなかったわねえ・・・
子供の頃の転んだ痕とか切り傷の痕とか。 それに膝の横には軟骨が飛び出していたし・・・
足だってね、指は曲がっていたしタコもあったわ。小指なんて爪は無くなってたっけ 」
まっすぐな素直な足は ― どう見ても他人の脚だ。
「 ・・・ こんな足でポアントを履けっていう方が無理なのかもしれないわ ・・・
そうよ こんなの、わたしの フランソワーズ・アルヌールの脚じゃあないんだもの。 」
転んで打った膝をさすりつつ、こぼれてくるのは愚痴ばかりだ。
ふと ― 今朝のレッスンでもらった言葉が浮かんできた。
いくつかの注意を受けた後、主宰者のマダムは真っ直ぐに彼女を見つめて言った。
「 ねえ フランソワーズ? 貴女、とてもキレイで真っ直ぐな脚をもっているわ。
どうしてソレをもっと使わないの? 」
「 ・・・ え ・・・ あ あの ・・・ 」
「 勿体ないわよ。 ねえ 知ってる? そういうの、 宝の持ち腐れ っていうの!
せっかく恵まれた条件なんだから もっと有効に使いなさい! じゃ 次はね〜 」
言われたその時は ピンと来なかった。 が。
「 アタシなんて〜〜 ほら こ〜〜んなO脚だよ? 」
更衣室で仲良くなった みちよ という小柄な娘は彼女自身の脚を指して笑った。
「 あたしもよ。 だいたいねえ〜 日本人はO脚なんだよ。
フランソワーズはいいなあ〜〜 真っ直ぐでキレイな足♪ 」
「 私だって〜〜 自慢じゃないけどほら! 6番で立つと向うが丸見えだよん♪ 」
周りにいた娘たちも ちょいと自虐君にそれぞれの悩みを披露し、でも気軽に笑っている。
「 いいじゃん、そんなにキレイな脚なんだもん。 」
「 ・・・ ううん 持ってるだけで全然 ・・・ 思い通りに動かないもの ・・・ 」
「 み〜〜んな動かないってばさ〜〜 まずは怪我しないことが第一かなあ〜 」
「 そ だよねえ〜〜 怪我すれば治療費もかかるし・・・ 」
「 そ〜 そ〜〜 ま がんばるべ〜〜 」
「 そ。 それっきゃないもんねえ〜 」
「 そ〜だよ〜 醜いアヒルの子はねえ いつか白鳥に〜〜♪ 」
「 きゃはははは〜〜〜 オデットはあひるさんだったのぉ〜〜 」
「 う〜〜〜 言う〜〜〜 あははは 」
きゃらきゃら笑う彼女たち ― どの子も多少曲がってはいても しなやかな脚の持ち主で
なによりも元気で明日を夢みている。
いいわ・・ね わたしは ― 白鳥には なれない ・・・
周りの明るい声が笑顔が余計にズン・・・と胸に突き刺さった。
「 そうよ ねえ ・・・ これは バレエなんて全然知らない脚 なのよね ・・・
一生懸命にレッスンで造りあげてきた・想いの籠った脚じゃないわ。 」
ふうう〜〜〜 ・・・ ため息ばかり吐いても な〜んの解決にはならない。
そんなこと、わかっているけど。 わかっているはず ! なんだけど。
ゆらり。 彼女はもう一回、立ち上がった。
「 そう ・・・ よ。 だから 頭の中のイメージが全然 ・・・ 組立あげるコトが
出来なくなっているのかしら・・・・ わたしの脳はたくさんのステップをちゃんと
記憶しているわ。 踊ったヴァリエーションの振りも覚えている。
でも ・・・ 脚が 身体が反応しない。 どうしてなの?? 」
たたた・・・・っとセンターに走りでて ピルエットからグラン・フェッテを始めた。
で できる はず! 32回初めて回れたのは 11歳の時なのよ!?
シュッ −−−− ・・・・・ ずって〜〜〜ん ・・・!!!
彼女はほんの数回も回ることができずに 派手に床に転がった。
「 ・・・ く ・・・・ 」
床の上で苦い涙があとからあとから噴き出してきた。
「 こ こんな脚! ・・・ いらない いらないわ ・・・! 」
伏せた顔で泣きわめきつつ ふっと 視線の端になにかが鈍く光った。
? あ あれは ・・・ 確かモンキー・スパナ ・・・?
バーを設置した時にでも使ったのだろう、部屋の隅に大きなスパナが置き忘れてあった。
「 ・・・ すごい ・・・ 」
這って行き、拾いあげたその工具はひんやりと冷たく、そしておもいっきり重かった。
「 ふうん ・・・ こんなんで攻撃されたらいくらサイボーグだって ねえ? 」
ソレは普通の女性が片手で軽々と操れる といったお手軽工具ではないのだ。
― いや 003には 朝飯前 の仕事だろうけれど。
ふうん? ひんやりしてちょびっと独特な鈍い光を反射する工具を 彼女は改めて
手にとってながめていた。
「 そうよねえ ・・・ こんなんで殴られたら。 人工皮膚だって人工筋肉だって
人工骨だって ひとたまりもないわね。 ふうん ・・・ 試してみよっか?
ねえ こんな脚、わたし要らないもの。 003に必要なのは 超視覚と超聴覚だけでしょ。
そんなの、他の誰かが受け持ってくれるし。
こ こんな 脚! わたしの脚なかじゃ ない わ! 」
シュ。 003の腕が難なくモンキー・スパナを振り上げると に放り出していた
白い脚めがけて 思いっきり振り下ろされ ・・・
― シュッ !!!
ドン ! 突然、空気の中からなにかが彼女を突き飛ばした。
「 !?!?? きゃあ 〜〜〜 」
「 わ〜〜〜 だめだよっ ! 」
「 え ?? 」
床に転がっている彼女の目の前には ― 焼けこげたパジャマ姿のジョーが 立っていた。
「 ジョー??? ど どうしたの??? なんだってここにいるの? 」
「 ふう ・・・ ほら、こんなもの、女の子が振り回しちゃだめだよ〜〜
あ これぼくが置きっぱしたのかなあ ごめん ・・・ 」
「 ・・・ ジョー ・・・・ 」
「 戸締り、確認してないって思い出してさ、玄関までいったらなんか地下から音が聞こえて・・
ごめん・・・ 覗くつもりじゃなかったんだけど ・・・ 」
「 ・・・ 見てたの? わたしが転んでばっかりいるの、面白かった? 」
「 どうして ・・・ そんな風に言うの? ぼく、感動したよ。 感心したよ?
何回も何回もチャレンジするきみに さ ! 」
「 だって! 全然 ・・・ 全然できないの。 踊れないのよ! 」
「 ぼく バレエのことは全然わからないんだけど ・・・ 難しいテクニックなの? 」
「 あの ね。 前にはふつうに なんにも考えなくても出来た、踊れたことがね、
何回練習しても上手にできないの。 ひとつひとつのポーズは出来ても・・・
つなげてひとつの踊りにならないの ・・・ 」
「 やり方を忘れていたの? 」
「 ううん ・・・ 頭の中ではちゃんと覚えているの。 イメージも浮かぶの。 」
「 でも 踊れない? 」
「 ・・・ そう ・・・頭でわかっていることが全然腕やら脚に伝達しないのよ
腕やら脚が ・・・ 身体がわたしの指令通り動かないの!
こんな脚 ・・・ こんな腕 ・・・わたしの腕やら脚じゃないわ !
だから だから ・・・ 壊して無くしてしまいたくなって ・・・ 」
「 ・・・・・・ 」
ジョーは きゅ・・・っと彼女の手を両手で握ると ただ黙って首を横に振った。
「 ・・・ ジョー ・・・ あなたにはわからないでしょうけど でも! 」
「 あの さ。 」
穏やかないつもの笑顔で 彼は珍しく彼女の言葉を遮った。
「 じゃあ さ。 もう一回 一から 腕や脚に教えたらどうかな。 」
「 ・・・え なんですって? 」
「 あは あの ・・・白状すると さ。 ぼく お箸の使い方、できなくなってたんだ。 」
「 え??? おはし ・・・?? 」
「 ウン。 ドルフィン号の中じゃ、ナイフとフォークとかスプーンだったから気が付かなかった。
この家にきて大人が食事にお箸も出してくれた時 ― ぼくの手は指は動かなかった。 」
「 え ・・・ だってずっと・・・生まれた時から使っていたのでしょう? 」
「 うん。 でもこのサイボーグの身体にはその < 記憶 > がなかったんだ。
ぼくの脳には記憶はあったけど ・・・ 身体は指は・・・箸を使えなかった。 」
「 まあ ・・・ 」
「 さすがにさ〜〜 ショックってか衝撃だったよ〜〜
だってさ ずっと当たり前みたいにやっていたことが 全然できないんだもの。
・・・BGのゼロゼロ・ナンバーサイボーグ用のアプリには<箸の使い方> なんて
なかったんだろうね 」
ジョーは冗談めかして言ったけれど フランソワーズはまじまじと彼を見つめている。
「 ― それで どうしたの。 あなた、とっても上手じゃない? 」
「 練習した。 箸を指に挟んで持つところから この新しい手と指に覚え込ませたんだ。 」
「 そんな ・・・ こと、できる? 」
「 できるさあ〜〜〜 この身体はさ、ツクリモノにしちゃあなかなか優れモノだよ?
何回も繰り返せばそれなりにちゃんと学習する。 」
「 ・・・ 学習 ・・・する? 」
「 うん。 そりゃ・・・ 生身みたく表面上変化することはできないけど ・・・
動き方とかは発展してゆくさ。 」
「 ・・・ そ う ・・・ なの? 」
「 理屈はわかんないけど 経験上。 だから あんなこと ― ダメだよ。 」
ジョーは足元に転がっているスパナをちらり、と見た。
「 ・・・ ごめんなさい ・・・ 」
「 謝る必要なんてないさ。 あ・・・ ほらそろそろ日の出だよ〜〜 」
「 え もうそんな時間なの ? 」
「 ねえ ちょっと散歩に行かないかい。 まだ寒いかもしれないけど・・・
早朝の散歩ってのもいいよ〜〜 な? 」
「 ええ ええ そうね。 あ ちょっと待ってて〜〜 着替えてくるわ。
ジョー・・・あなたもソレ ・・・ 」
彼女は遠慮がちに彼の焦げかかったパジャマを指した。
「 え・・・? あ〜〜〜〜 忘れてたよ ・・・あ〜あこれ気に入ってたんだけどなあ〜 」
「 明日、 いえ 今日新しいのを買ってくるわ! じゃあ ・・・10分後に玄関 ね! 」
「 ウン。 あ ・・・ もう行っちゃったよ・・・ 一緒に上まで行きたいのになあ〜 」
彼はずっこけてきたパジャマのズボンを引っぱりあげつつボヤいていた。
昇ったばかりのお日様の光が 海原を薔薇色に染めている。
海岸沿いの砂地にも若い緑が勢いを増し始めていた。
「 やっぱりここは暖かいんだねえ 〜〜 」
「 う〜〜ん ・・・ いい気持ちねえ 〜〜 」
「 朝の空気ってさ ラムネみたいだよな〜〜 」
「 らむね ?? 」
「 あ〜〜〜 あの〜〜 清涼飲料水の一種デス。 」
「 ええ? ・・・ 可笑しなジョーねえ・・・ あ アレはなあに? 」
彼女が指さしたのは日当たりのいい土手だ。 黄色い花が一面に広がっている。
「 わあ〜〜 タンポポがすごな〜〜 金貨をばらまいたみたいだ〜 」
「 金貨? うふふふ ・・・・ 」
ジョーのあまりに現実的なたとえにフランソワーズはまたまた笑ってしまう。
ふわり ・・・・ 小さな風に花がゆれる 葉っぱも揺れる
「 わあ ・・・ 踊ってるわ。 ― あ。 」
なにか が彼女の中で チカリ と煌めいた。
踊りたい 風に乗って揺れる花びらみたいに ― そう思っていた。
それが ― 巧く踊ることに テクニックにだけこだわっていた・・・
そう よ ね。 あんな風に 楽しそうに 微笑んで 踊ればいい
あひるは きっとあひるとして楽しく生きているのよね
「 ・・・ うん 。 決めたわ! 」
「 え なにを? 」
「 だから ね。 また明日から ― やるわ。 わたし。
わたしは あひる だけど。 白鳥にはなれないけど でも・・・ 踊れるんだもの !
」
「 あひる ??? あひるの踊り があるのかい?? 」
「 ねえ ジョー? あの松まで競争よ! 負けた方が朝ごはん、作るの。
よ〜〜〜い どん! 」
きゃあ♪ 華やかな声を上げて亜麻色の髪の乙女は一目散に駈け出していった。
「 ! あ〜〜〜 お〜〜〜い 待てよ〜〜〜 フライングだよ〜〜〜 」
最強の戦士・サイボーグ009は セピアの髪をゆらしドタバタ追い掛け始めた。
********************************* Fin. ***********************************
Last updated : 03,11,2014.
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********** ひと言 *********
ダンサーとしてのフランちゃん を書いてみたかったのです〜
一回赤い靴を履いてしまうと一生脱げないものなんですよ〜
フランちゃんもきっと一生踊っているでしょうね〜〜