『  あひる  ― (1) ―  』

 

 

 

 

 

 

   きゅ ・・・。  

 

フランソワーズは髪をしっかりと結いなおしてから もう一度鏡の前に立った。

つい今しがた心を込めてぴかぴかに磨き上げた鏡の中に 不安な顔の乙女がいる。

 

   ふうん ・・・ すごくキレイな鏡だわねえ ・・・

   なんだか心の中まで写し出されそう ・・・ って

   もうばっちり映っているわねえ〜〜 不機嫌なマドモアゼル?

 

鏡の中の自分にちょっとばかり愛想笑いをしてから、バカ丁寧にレヴェランスをして見せた。

「 ふふふ ぼんじゅ〜る?   ほらいい加減でそんな顔、やめたらどう?

 そうして さあレッスン よ! まずはストレッチから ・・・ ああ ・・・ 」

重い吐息を漏らすと 彼女はバーに両手を置いた。

「 ・・・ この感覚 ・・・!  ああ ああ ・・・ なん百回夢にみたかしら・・・

 あの地獄の島で いつだって心の中でレッスンしていたわ・・・

 そうしなければ わたし ・・・ 心が壊れてしまったもの ・・・ 」

 

今日。 本当に何十年振りかで、ここに立った。

左手は新しいバーにおかれ 床には一応リノリウムが敷いてある。

「 ・・・ そうねえ  この床、あんまりよくはないわね。 本当はフローリングがいいんだけど ・・・ 

いえ 贅沢を言ってはだめよね、 ここはもともとロフトだったんですもの。 」

 

 

 

もし何も計画がないのなら空いているロフトの隅を使ってもいいか、と博士に尋ねた。

「 ロフト? 地下の ・・・ あの物置かね? 」

本を置き 博士は思わずメガネをずり落としかけた。

「 はい。 いくつかあるうちで半分以上空いているのがありました。 

 あそこを使ってもいいですか? 」

「 勿論構わんが ・・・ 何につかうのかね? 自室の収納場所が足りないのであれば 」

「 あ いえいえ〜〜 あのう ・・・ レッスンしたいんです。 」

「 ―  レッスン?  ・・・ ああ ああ! 踊りの、か! 」

「 はい。 わたし ・・・ どうしてももう一回踊りたい、踊ってみたいのです。

 この前町に出たときに あるバレエ公演のオーディションのチラシを見て・・・

 受けてみたいな ・・・って ・・・ 」

「 それならひとつ全部空けるぞ。 お〜〜い ジョー ? ちょっと頼まれておくれ! 」

博士は彼女の話を全部聞き終える前に もうジョーを呼んでいた。

「 博士〜〜〜 あの ぅ 〜〜〜 ・・・・? 」

「 なに、暇をしている青少年に ちょいとチカラ仕事を頼もう。

 お 来たか〜〜  」

「 は〜〜い、およびですか〜 博士〜〜 」

ジョーが ぬっとドアから顔を突き出した。

「 おお ジョー 忙しいところちょっとすまんが。 君の力を貸してくれたまえ。 」

「 ちから?  ああ なにか持ち上げるんですか? また書棚とか? 」

「 いやいや ちょいと引っ越しの手伝いを頼もうと思ってなあ 」

「 引っ越し? ええ オッケーですよ。  あれ でも誰がどこへ・・・? 」

「 フランソワーズのために ちょいと荷物運びをやっておくれ。 」

「 え!?!? ふ フランソワーズ ・・・ ここから引っ越すんですか・・・

 あ ・・・ パリに帰っちゃうのか・・・ そっか ・・・ そうだよねえ ・・・

 やっぱり故郷がいいよね。 ぱりぱりのバゲットがあって 青い美味しいリンゴがあってさ。

 チーズだっていろんな種類があるんだろ? ああ チョコだってさ 日本のなんか味が薄いよね ・・・ 」

「 あのなあ ジョー  ・・・ 」

「 ・・・淋しくなるなあ・・・ ああ きみにさ お帰りなさい って言ってもらえるのが

 毎日すごくすごくすご〜〜〜く楽しみだったんだけど ・・・ ああ そうか ・・・

 帰っちゃうのか ・・・  うん ・・・ 仕方ないよねえ  ・・・ 」

「 ジョー? あの ・・・ 」

「 あ フラン。 それで出発はいつ? 成田まで送ってゆくよ。 うん さみしいけど ・・・

 ね ・・・ たまにはここに帰ってきくれるかな ・・・ ここもきみの家なんだから さ 」

「 ジョー あのね だから 」

「 うん いいんだ。 きみだってやりたいことをどんどんやってさ。 

 きみの望む道を進むべきだよ。 なにもさ〜 こんなトコで家事に明け暮れる必要はないんだか ら ・・・ さ・・・ 

 うんうん・・・と一人で頷きつつも、ジョーはため息・吐息 ・・・ 浮かない表情だ。

セピアの瞳は 淋しい色になって虚空を見上げている。

「 うん ・・・ きみはきみ自身の幸せを追う権利があるんだもんな・・・ 」

「 もう〜〜 全然聞いてないのね!  ジョー!! だから! わたし! 」

「 うん? だから帰国するだろ。 ・・・元気でね フラン・・・ 」

「 あのね! わたし、ここでずっと暮らすつもりです! 」

「 ― へ??? 」

 ジョーはやっとこ焦点の合った瞳で 初めて博士とフランソワーズを見た。

「 な  んのことかい? 」

「 ! そ〜れは! こっちのセリフよ! あのね〜〜 お願いがあるの。 」

「 ジョー。 お前 ちょっと一度カウンセリングするか?  なにか不満でもあるのかね?

 青春の悩みってヤツかね? 」

「 はあ ??? 」

「 だから〜〜〜 ね! 」

「 ああ よいよ、ここはわしがとっくり説明しておく。 

 だから、フランソワーズ、きみは必要なモノをリスト ・ アップしておいておくれ。

 まず・・・床と・・・そうさな、壁には鏡が必要なのだろう? 」

「 博士!  ええ ええ その通りですわ。 」

「 よしよし。 床といえばあそこはコンクリートの打ちっぱなし、だぞ?

 なにか敷くかね? 絨毯・・・ではまずいのう? 」

「 あ ・・・ そうですねえ 床にはリノリウムを敷けばなんとか ・・・ 」

「 おお そうか。 リノリウム ・・・な?  あ〜 それなら ・・・ う〜ん確か

ドルフィ ン号の内装に使った残りがあるはずじゃ。 ちょっと見て来よう。  おい ジョー? 」

「 はあ? 」

「 お前 一緒に来い。 それで力仕事を頼む。」

「 え・・・ もうフランソワーズの荷物を運びだすのですか!? そんな あんまり 」

「 いいから! 来い! 」

「 うわっち 〜〜〜 ! 」

博士は むんず! とジョーの腕を掴むとどんどん地下へと降りて行った。

「 くす ・・・ ジョーって本当に普段は可笑しな男の子ねえ 009とは別の人みたい。

 なんでわたしが引っ越すってことになるのかしらねえ?  」

彼女はしばらくくすくす笑っていたが やがてキッチンに戻った。

「 さあ〜て。 それなら力仕事あとの青少年のために特製サンドイッチでも作って

 おきましょうかね? あ  ・・・ おにぎり がいいかしら? う〜〜ん ・・・

 あ そうよ〜 両方作っておけばいいのよね! 」

 

    ふんふんふ〜ん♪   

 

やがてキッチンはご機嫌ちゃんの鼻歌と美味しそうな香りで満杯になった。

 

 

 

 

  がたがた ごとん。  わっ!? わ〜〜〜 えい!  ごとん。

  どたばたどん!  う〜〜〜っとぉ 〜〜〜  どん!

 

埃がもうもうと立ち上る中で威勢のよい声やら荷物を引きずる音なんかが しばらく盛大に

聞こえていた。

「 う〜〜〜  これでいいかなあ〜 荷物ってかガラクタやら資材の余りは隣に運んだし。

 ・・・ ふうん? 何もないと結構広いんだなあ〜  えいっ! 」

  ぽ〜〜ん !   彼は身軽にジャンプすると 難なく天井にタッチして降りてきた。

「 へへへ なんかいい気分〜〜〜  お? なんだ? 」

ポケットでスマホが音をたてている。

「 ん〜〜っと  はい? 博士〜 なんですか?   ・・・・ え? 取りにゆく? 

 なにを・・・ え? りのりうむ???  ドルフィン号の格納庫まで?? 

 ええ はい、すぐに行きますよ〜〜  は〜い。 

 ・・・ りのりうむ ってなんだ?  あ 薬品かなんかかなあ〜〜? 」

スマホをポケットに仕舞いつつジョーは身軽に格納庫へとさらに階段を下っていった。

 

 

   よい・・・っしょ ・・・ !  うん しょ・・・  っとぉ〜〜〜

 

サイボーグ009はしっかりと足を踏みしめつつ 一歩一歩階段を登って来た。

「 う〜〜〜 ・・・・ 格納庫って確か 地下5階くらいだよなあ〜〜

 ・・・ 次の改築の時に! 絶対に資材搬送用のエレベーターもつけるぞ! 

 う〜〜〜 んしょ・・! っと〜〜〜 」

 

  ―  そう ・・・ 最強の戦士の背中には ぐるぐる太巻き?にしたリノリウムが

 どでん!と乗っかっているのだった。

 

 

 

「 ・・・ すてき ・・・! 」

フランソワーズはロフト、 いや レッスン室の真ん中で感歎の吐息をついた。

博士のアイディアとジョーの懸命な仕事で ほこりまみれの薄暗いロフトは 

前面鏡でリノリウムを敷き詰め、照明も取り替え音響設備まで完備したレッスン室になった。

「 ふんふん ・・・・ どうじゃね? ちっとばかりこれは床が固いかのう・・・ 」

「 そうなんですか?? これ・・・敷いてあるからずいぶんクッションがある風に

 感じますけど ・・・ 」

ジョーは博士と並んで床を踏み ちょっと怪訝な顔をしている。

「 うむ ・・・ お前の足にはよくてもここで踊るとなるとなあ ・・・

 いずれはフローリングにしよう。  なあ フランソワーズ? 」

「 博士 ・・・!  今はこれで十分ですわ。  まだまだ わたし、ストレッチで身体を解して 

足慣らし から始めますから。 」

「 からだをほぐす??? 」

ジョーがやっと口をはさんだ。

「 ええ そうなの。 そうねえ・・・スポーツの前の準備運動みたいなことかしら。 」

「 ああ そうか〜〜 それじゃ ぼくも一緒にやろうかなあ〜 」

「 こらこら 邪魔をしてはならんぞ。 」

「 あら 大丈夫ですわ。 ホントに 準備運動 しないと ・・・ 」

「 わあお ・・・ それじゃすみっこで混ぜてくれる? 」

「 どうぞ どうぞ〜〜  じゃ 今日の午後から始めるわね。」

「 じゃあ混ぜてくれるかな? ついでに床とか音響の具合、検証したいからね。 」

「 お願いします。 うわ〜〜〜 夢みたい♪ 

「 気に入ってもらえるといいがのう・・・ 

「 もう最高です! ありがとうございました 博士♪ 」

フランソワーズは 博士の首ったまに飛びつくと頬にキスをした。

「 おお〜〜 こりゃなによりの褒美じゃな。  がんばりなさい、フランソワーズ。 」

「 はい・・・! 」

ジョーの引っ掛くみたいな視線を存分に背中に感じつつ 博士は懸命に笑いをこらえていた。

 

  くくく ・・・  まあ がんばれよ、ジョー

  お前にとっては高嶺の花 かい ?

  しかし オトコなら狙わにゃなあ〜〜 

 

  ま 健闘を祈るぞ! 

 

 

 

 ・・・ と まあ こんな経緯があり、ギルモア邸の地下ロフトはあっという間に

フランソワーズのレッスン室に変身したのである。

 

  カツン ・・・。  足音が心地よく響く。

 

「 さあ 今日が第一歩よね。 うよ、まずはこの身体に思い出させなくちゃ!  

ええ 今日がわたしの レッスン始め ですものね。 」

ようやっと薄く笑ってから 床に座りこむと、彼女はがっしがっしとストレッチを始めた。

 

 

 

 

悪魔の島から脱出してのち、この東の島国にたどり着いた。

彼女が今、住んでいるのはやはり海がすぐ真下に見える場所だった。

その地が彼ら 00ナンバーサイボーグの第二の故郷となっている。

 

「 ふふふ〜〜ん♪  きゃあ 〜〜〜いい お天気♪

 さ〜あ・・・ これで洗濯モノはぱりっと乾くわね〜〜 ふうん ・・・ いい風♪ 」

まだ二月、故郷では暗い空の下、寒さに縮こまっている時期だが この地は違っていた。

気温こそそんなに高くはないが なによりも明るいのだ。

「 ふう 〜〜〜  うふふ・・・身体の隅々まで新鮮になった気分ね 」

裏庭に洗濯モノを乾しに出て 彼女は深呼吸をして早い春を楽しむ。

やっと落ち着いた日々が送れるようになった。

住み着いた地は温暖な気候の静かな土地だった。

青々とどこまでも広がる空と 目路はるか揺れる大海原が それまでの凄まじい日々の記憶を

次第次第に薄れさせていった。

「 わあ ・・・ タンポポ!  これ タンポポね!  スミレもあるわ! 」

 

   ふわり ・・・ と吹く風が 花びらやら綿毛を宙にもちあげる。

 

くるくるくるり 〜〜  ひらひら ひらら・・・ 小さい可憐なものが青空に舞う。

  

「 あらら 踊ってるわ・・・ まあ あなた、綺麗なピルエットね ・・・

 そっちの花びらさんは アラベスク・ターンかしら。  うふふ さあご一緒に。 」

ひらひらひら くるくるくる ・・・ 亜麻色の髪の乙女も舞い踊る。

「 うふふ ・・・ ちっちゃいころ、よくこうやってお花や葉っぱと踊っていたわ。

 そうそう 秋の公園でいつまで〜も落ち葉と踊っていて・・・お兄ちゃんが心配して

 探しに来てくれたこともあったっけ ・・・ 」

記憶に残る兄の姿は いつまでも青年のままだ。 ― 彼女と同じように ・・・

「 ・・・ ここは 素敵な場所ね。 わたしのお家なのね ・・・ 」

生活も落ち着き、瑞々しい気持ちが生き返ってくると ― ずっと封じ込めてきた想いも蘇った。

 

        わたし。  もう一度 踊りたい ・・! 

 

早春の風は 今まで心の奥の奥に封じていた彼女の切ない想いをふるふると揺さぶった。

それは やっと人間としての日々を生きてゆける、という安堵から芽生えたのだ。

 ― 彼女は やっと ・・・ 完全に解放された のかもしれない。

 

しばらくこっそり自室でレッスンの真似事をしていた。

スウェットの上下に着替えてストレッチの真似事をした。 しかしやはり狭い。

床で脚を伸ばしたら ベッドを蹴飛ばしてしまった。

「 〜〜 いたぁ!  あ〜〜 やっぱりストレッチするには無理かしらねえ 」

あちこち気をつけつつ・・・少しはほぐれたかな、と思った。

「 さあて。う〜〜〜ん ・・・ バーがないから〜〜 いいわ 椅子の背につかまって・・ 」

バー・レッスンのつもりで 椅子を引っ張ってきてバーの代わりにした。

   〜〜〜♪    バリ − ンッ !    グシャ!   ・・・ ごん。

「 きゃ 〜〜〜〜〜  いたたた・・・・ 」

椅子は見事にひっくり返り 背もたれの部分は壊れてしまった。

「 ・・・ いたたた・・・ あ〜あ・・・ 壊しちゃった・・・ 」

フランソワーズは 椅子の残骸の中でお尻をさすりつつ ため息 吐息。

 

  ドンドン !     フランソワ―ズ!!  無事かい?!

 

ドアの向こうでジョーが怒鳴っている。

「 え ・・・  ジョー?  なあに? なにかあったの? 」

返事をしつつ、急いで手近においてあったコートを羽織りドアを開けた。

「 フラン!?  大丈夫か??? 敵襲かい? 」

ジョーは部屋に飛び込んでくるなり、彼女を後ろ手に庇い油断なく身構えた。

「 む!?  こ これは・・・敵の仕業かい? きみは無事なんだろうね?? 」

椅子の残骸を睨み付けてから 彼はやっと彼女を振り返った。

「 あれ?? きみ、どこかへ出かけるのかい? 」

「 え? 」

「 ふう〜〜ん ヤツらはきみの留守を狙ったのか?? う〜〜ん 」

ジョーは腕組みをし、壊れた椅子をじ〜〜〜っと見つめ考え込んでいる。

「 あ ・・・ あの ね、 ジョー? その椅子はわたしが 」

「 ああ! この椅子、きみのお気に入りだったよねえ〜・・・残念だったな。

 うぬ、罪のない椅子を破壊するとは許すまじき敵だな! 

 安心したまえ、きみのことはぼくがきっと護る! 」

「 あ ・・・ ええ ・・・ ありがとう ・・・ 」

「 なあに、ぼくは009だからね。  ああ 念のため付近をパトロールしてくるから

 しばらく不要不急の外出は控えるように。 いいね。 」

「 ― ハイ。 」

ジョーは気象庁みたいな発言をすると、にっこり笑って出て行った。

「  ・・・・ あ〜〜〜 敵はいない、と思いますが。 とりあえず。 」

ふううう〜〜〜〜 ・・・ 彼女も椅子の残骸を見てじっと考え込む。

「 やっぱり、ちゃんとレッスンする場所を見つけなくちゃ。

 この家はやたらと広いからどこかに どこかに余分なスペースがある はず ・・・

 ちょっと失礼〜〜〜 」

003は その<目>を 最大レベルで稼働し始めた。

 

     !  み〜〜つけたっ♪   

 

・・・そして ジョーの力仕事 が始まったのだった。

 

 

 

 

 

 ― 第一歩は ストレッチから。 

 

これは初めてバレエ・シューズを履く子供もプロフェッショナルなダンサーも一緒。

「 う〜〜〜ん ・・・ と。 では 〜〜 

軽いリクライゼーション用の音を流し フランソワーズはリノリウムの床に座った。

「 ・・・! 

それだけの動作でも身体が以前の< 本当の自分 > とは まったく違ってしまっている、

とすぐに感じてしまった。

「 わかっていたでしょう? 一からやり直しだ、って。 その覚悟はできているはずでしょ。」

きゅっと唇を噛み、 思い通りに動かない肢体をゆっくりと動かし始めた。

「 ええ ええ そうよ。 わたし、みにくいアヒルの子 なのね 」

 

  飛べない鳥 あひる。 子供のころ、ずっとそう思っていた。

 

自分も今は 最初は  あひる  だけど、いつかは 白鳥 になれる、いや、なる!と信じていた。

白い翼を広げ 大空を優雅に舞う・・・そんな日が来ると、思っていた。

  しかし   あの日 ― 全てが崩れ去った。

生きてゆくことだけで精一杯の年月だった。 もう・・・ 夢にすら舞う自分の姿は見えなくなった。  

過去のことだ、と心の奥に押し込めていた。

 

 それが 今 ―  ぱあ ・・・・っと解き放たれたのだ。

 

それなのに。

「 ・・・・・ !!! 」

黙々とストレッチをしつつも 彼女は心の内で舌打ちを繰り返し続けていた。

 

    なんで???  ・・・ こんなの、わたしの身体じゃない!

    わたしの脚じゃ ないわ!

    

ジョーが部屋の隅にいるのは ちゃんとわかっていた。

別に気にする必要もない と思っていたけれど、今は泣きそうになっているのを隠すのに

必死になった。

「 ・・・・ ふう ・・・ 」

何気なく深呼吸をしたりして 相変わらず意志通りに動かない四肢に舌打ちをしていた。

  

    でも ・・・ ともかくやらなくちゃ!

    踊れるのよ! フランソワ―ズ、あんたの夢が叶ッたのよ?

    そんなことで めげるなんてだらしないよッ フランソワ―ズ!

 

「 きゃ ・・・!  おっと ・・・ 」

多少 < お荷物 > が 多くなっているし、何よりも関節の柔軟性はまるっきり違っていた。

「 ・・・ 仕方ないわ。 やり直すわ!  そう よ ・・ 泣いてる暇なんか

 ないのよ、フランソワーズ! 」

滲んできた涙を そっとタオルで汗と一緒に拭い何気ない風を装いつつ 

まるで他人のモノみたいになった四肢と格闘を続けた。

 

「 ・・・ すごいねえ ・・・ フラン ・・・ 」

「 ― え?? 」

ジョーがさっきから部屋の隅で彼流の準備運動をしているのはちらり、と見ていたが

やはり少し驚いた。 

「 すごい ・・・ よ ・・・ どうしてそんなに脚とか腕とか・・・動くの? 」

「 え ・・・ あ わたしの? 」

「 そうだよ〜〜 ぼく 全然 ・・・ う〜〜〜〜 うわ! 」

彼は必死で開脚に挑戦していたが 途中で見事に後ろにひっくり返ってしまった。

「 いってぇ〜〜〜〜〜 」

「 うふふ・・・大丈夫、ジョー? 」

「 う ・・・ な なんとか ・・・ 破損はしてない らしいけど ・・・ 

 ね〜〜 どうしてきみはそんなことができるわけ? 」

「 え ・・・ ああ このストレッチはね コツがあるのよ。 」

フランソワーズは 前後左右にスプリッツ ( 180度の開脚 ) してみせた。

「 コツ? 」

「 ええ。 こう〜 ね、脚の付け根をアン・ディオールにして 」

「 あんでお〜る? 」

「 あ あのねえ 外向きに回す、ということかしら。 自分で自分の脚の付け根を

 外側に回すの。 そうすると関節の位置が替わって ・・・・ ね? 」

 すとん、と何気なくスプリッツする彼女に ジョーはまたまた 目が点 である。

「 うわ〜〜〜〜 やっぱすごいよ〜〜〜 ひええ〜〜〜 」

「 そう?  これってねえ、覚えてしまうと一生できるわよ。 自転車とか水泳と同じ。

「 う〜〜〜 ・・・・ ううううう やっぱぼくには無理っぽ ・・・

 あ! 邪魔してごめん!  れっすん、続けてください。 」

「 うふふ 大丈夫、気を使ってくれなくてもいいわよ〜〜。  さて ・・・と ・・・

 ちょっと曲を替えるわね。 」

「 どうぞ。  ぼく、遠慮します。 」

「 あら 居ても全然おっけーですが? 」

「 う ・・・ ぼくの身体が壊れそうですから。 」

「 いきなり無理しないでね? 」

「 ハイ ・・・・ 」

ジョーがそっと出てゆくのを見送りつつ、彼女はMDを入れ替えた。

そしてレッスン室の真ん中に置いたバーに 左手を置いた。

「 では 二番ポジションから ―  ドゥミ プリエ 〜〜 」

彼女は バーレッスンを開始した。 相変わらず他人みたいな自分の身体と格闘しつつ・・・

 

 

  カッ  シュッ  カッ  シュッ !

 

脚を大きく 前に8回 後ろに8回 横に8回、振り上げる。

反対側に向き直り 同じことをする  ―  

 

 〜〜〜〜 ♪♪  rest  !   ・・・ MD の音は消えた。

 

 ふうう ・・・・ しばらく荒い息づかいだけが聞こえていたが。

カツン!  強く床を蹴飛ばし、フランソワーズはタオルに顔を埋めた。

「 全然平気なんかじゃないわ。 こんな脚 ・・・ わたしの脚じゃない! 」

ギシ ・・・ !  バーに両手でつかまり 身体を思いっきりストレッチさせた。

「 脚なんて ・・・ 意識しなくても上がって耳の横でキープできたのに ・・・!

 アラベスクでどうして上体が起きないのっ! ・・・ こんなの ・・・

 こんなの わたしじゃない ・・・ !  」

すんなりした脚が床をぎりぎりと踏みしめている。

「 ・・・ わたしの脚を − わたしの身体を  返して !!! 」

 

  カタン。  入口のドアが細めに開いた。

「 あの ・・・ フランソワーズ?  あの ・・・ お茶の用意、しておくから さ。

 終わったら食べて。  ぼく、買い出しに行ってくるね。

「 あ  ジョー。 買い物ならわたしが行くわ。 」

「 いいよ いいよ〜 今日はぼくが晩御飯作るから。 任せて〜〜・・・ってもさ

 カレーだけど ・・・ あ あとサラダも! 」

ジョーはやたらと張り切っている。

「 え そんな 」

「 いいって いいって。 いっつもず〜っときみが食事作ってくれてるじゃん?

 そんなのってないよね、ぼくだって出来る限り手伝うさ。

 とりあえず〜 今晩はカレー♪  これだけは自信あるんだ〜 期待してて! 」

それだけ言うと 彼はぱっと飛び出して行ってしまった。

「 あ・・ ジョー 〜〜〜 お金 〜〜  ああ もう行っちゃった・・・

 ― ありがとう〜〜〜 ジョー。 」

カツン。 ・・・ バーにもう一回脚を乗せてみる。 

「 泣いている場合じゃないわね。  とにかくやるのよ!

 オーディション・・・ダメ元だけど 挑戦するって決めたんですもの ね! 」

フランソワーズはもう一回タオルに顔を埋め 汗と一緒に涙も拭った。

「 ―  やってみる。 もう一回踊りたいから ・・・ ! 」

 

   コツ。  ポアントに履き替えてセンターに立つ。

 

「 やるわ。 やってみる! この日をずっと夢みて生きてきたんだもの。 」

再び白鳥を目指して 涙を拭いた女の子はレッスンを続けるのだった。

 

 

 

 

結局 挑戦したオーディションは見事に玉砕してしまった。

当然の結果、と納得したけれど、やはりかなり気落ちしていた  が。  ― 新しい運命が開けた。

フランソワーズは そのバレエ団の研究生としてレッスンに通えることになったのだ。

 

 

 

  トクン トクン トクン ・・・!

 

さっきからうるさいほどに心臓が飛び跳ねている。

「 ・・・ 耳のスイッチ、offになってないのかしら??  

 ううん、 今朝ちゃんと耳も目もoffにしたはずでしょ。 もう〜〜しっかり! 」

フランソワーズは自分自身を叱り飛ばしつつ ・・・ 何気ない風にバーに脚をかけていた。

 

  研究生としてのレッスン 初日。

亜麻色の髪のパリジェンヌは きっちりシニヨンに結い水色のレオタードで 稽古場に入った。

「 ・・・ あの ・・・ ここ 空いてますか? 」

真ん中の移動バーにいた小柄な女性に聞いてみた。

「 はい どうぞ。 」

大きな目をさらに大きく見張って 彼女は答え、ちょっと笑いかけてくれた。

「 ありがとう ・・・ 」

 

   ギシ ・・・。   ああ やっとバーまで辿りついたわ。

 

ほっとする間もなく ピアニストが席に付き、間もなく初老の女性が現れた。

 

 「 おはよう。 始めますよ。 ― 二番から 〜〜〜 」

 

ピアノが軽快に前奏を奏で始める。

すう〜〜〜・・・っと大きく息を吸ってフランソワーズは  ダンサーになった。

 

 

 

 バタ− ン ・・・  更衣室のドアが勢いよく開く。

 

「 お疲れサマでしたあ〜〜〜 バイバイ〜〜 」

「 うん またね〜〜〜 」

朝のクラスを終えたダンサー達がてんでの方向に― バイトやら教えやらに 散ってゆく。

皆 疲れているけれど、清々しい充実した表情を見せていた。

「 ・・・・・・ 」

人が減った更衣室の片隅でフランソワ―ズは こっそりため息を吐く。

シャワー・ブースからそっと出てそそくさと着替えているのだが ― 時々手が止まってしまう。

 

   ふうう ・・・・  ああ あ ・・・・

 

虚ろな視線が窓から半分みえる空にぼんやりと彷徨う。

「 ? どしたの〜〜 気分 わるい? 」

隣で着替えていた小柄な娘が声をかけてくれた。 バーで前に付いていたあの娘だ。

「 あ・・・ え  ううん ・・・ 」

「 そ? なんか元気ないねえ〜〜? 疲れた? 」

くるり、と大きな瞳が微笑みかける。

「 え  ええ ・・・ もう なんにもできないから ・・・ わたし ・・・ 」

「 え〜〜〜 なに言ってんの〜 上手じゃん、フランソワーズさん? 」

「 全然ダメよ。 注意されてばっかりだし ・・・ アレグロ ( 速い動き ) は

 全然ついてゆけないし ・・・ 」

「 あは。 皆、初めはそ〜なんだってば。 アタシもさあ、 もうダメだあ〜〜

 ここにはついてゆけないって思ったもん。 」

「 え ・・・ そ そうなの??? 」

「 そうだよ〜〜 ねえ ? 」

小柄な娘は回りにいた同じような年頃の娘たちを振り返った。

「 そ〜だよ〜〜 皆ね〜 初めは泣くの。 」

「 そ〜そ〜 私、目が腫れて困ったもん。 」

くすくす きゃらきゃら ・・・ 彼女たちは軽快に笑い飛ばす。

「 今だってさ〜 出来ないし 怒られてるけど ね〜 」

「 そ そんなこと ・・・ 皆さん とっても上手で 」

フランソワーズは着替えの手も止めて茫然としている。

「 上手だったら! こんなトコでボヤいてないって〜〜 今ごろどこかのステージで〜

 でも なんかうれしいな〜〜 」

「 え うれしい・・? 」

「 そ。 アナタでも悩むんだな〜〜って思って 」

「 そ〜よね〜 あたし達と同じなんだなあ〜って 」

「 わたし ・・・ 同じです・・・ ただの バレエが好きなだけのオンナの子 」

「 うふふふ〜〜〜 皆 そうなんだよ〜〜 ね 仲良くしようよ〜〜

 あたし、みちよ。 去年ここの研究生になったばっかり。 」

「 まあそうなの? わたしは 」

「 フランソワーズさん でしょ。 み〜〜んな知ってるって〜 」

「 え ・・・ 」

「 実はさ〜 ずっとさ話かけたいけど 何を言えばいいかわかんなくて・・・

 ごめんね。  皆もそう思ってるよ、フランソワーズさんと友達になれればな〜って 」

「 え ・・・!  そ そんな ・・・」

「 ちょっとね〜 やっぱとっつきにくいってか・・・日本語、わかるかな〜とか

 思ってたし。 」

「 あ わたし ・・・ おしゃべりなら大丈夫です。 」

「 わ〜〜〜 よかったあ〜 ねえねえ パリから来たのでしょう? 」

「 え  ええ・・・ 」

「 ステキ! ねえねえ あちらのレッスンのこと、教えて? 」

「 あ  あのね ・・・ わたし、ちょっと事情があってしばらくバレエがから

 離れていたので ・・・最近のこと、よく分からないのです。 」

「 ま〜ま〜 疲れてるからさ〜 」

「 ・・・ありがとうございます、みちよさん。 」

「 あは♪ みちよ でいいって。 それにね、敬語もいらないよ〜〜 フランソワーズさん。 」

「 そ〜そ〜。 皆 同じよん。 あたしは萌。 」

「 よろしく・・・ あ フランソワ―ズ って呼んで? 」

「 おっけ〜〜〜♪ 」

「 あ〜〜〜 でも今朝は難しかったね〜〜 」

「 うん ・・・ 

フランソワ―ズはまたしてもため息〜〜だ。

クラスの始めに こっそり自動翻訳機を稼働させた。 やはり少し不安だったから ―

しかし。

すぐにそんなコトに頼っている余裕はなくなった。

 

   う〜〜〜 言葉で理解しても 身体がちっとも言う通り動かない〜〜!!

   ・・・ もう 真似っこするしか ないわ !

 

バーレッスンはともかく、後半のセンター・ワークは ― かなり悲惨だった。  

 

「 わたし ・・・ なんにもできなかったわ・・・ 」

「 慣れればなんとかなるって〜〜 」

「 そうそう。 マダムのクラスは難しいのよ〜〜 」

黒い瞳の娘たちは 笑って励ましてくれた。 

「 今だって出来ないコト、いっぱいあるよ。 けど 踊りたいから もっともっと上手に

 踊りたいから  やってるもんね〜 」

「 あはは そうだよねえ〜〜 怒られながら でも やめらんない〜〜 

「 そ〜そ〜♪  ダンサーってさあ 皆、マゾかも〜〜〜 」

「 きゃははは〜〜〜〜 もっと怒ってぇ〜〜 とか? 」

「 だからさ〜〜  一緒にレッスン しよ? 」

「 え ええ ・・・!  ありがとう ・・・ 」

 

今度さ、一緒にお茶しようね〜〜 と彼女たちもそれぞれの方向に散っていった。

 

   コツ コツ コツ    コッ コッ コッ  ・・・!

 

なんだか足音が軽い。

「 うふ? もうくったくたなのに ね?  でも身体が軽いわ〜〜〜

 やっぱり踊るって ステキ 〜〜〜!! ありがとう〜〜〜 皆ぁ〜〜〜 」

 

都会の春はまだまだ浅く、街路樹もごつごつとした裸木ばかりだ。

「 さあ〜て ・・・ 今晩は肉ジャガに挑戦よ! がんばっちゃうもんね♪ 」

 

解いた髪をさあ〜〜っと揺らす風は まだ冷たい。

そんな中、 亜麻色の髪の乙女は足取りも軽く海辺の家へと帰っていった。

 

 

ast updated : 04,03,2014.                  index         /       next

 

 

 

***********   途中ですが

今までもにも書いてきましたが フランちゃんの復帰話です☆

ダンサー目線で書いてみたいなあ〜と思っていまして・・・・

彼女の苦闘話、あと一回続きますです〜〜〜〜