『 落下 ― (2) ― 』
昨夜の風がウソのように ― 翌日は綺麗に晴れ上がった朝を迎えた。
ざわざわと潮騒にも似た音を立てていた松並木は ぴたり、と沈黙し、
常緑の葉で海辺に彩りを添えている。
遠くの景色は写真か映画みたいに見えるし 視線をもどせば庭の花壇の色彩が目に入る。
ベッドに寝たままでもよく見える。
「 ここは とってもきれいなところなのね ・・・ ここのお庭も、とっても綺麗 ・・・! 」
< 彼女 > は。 ゆっくりと身を起こしベッドから降りてみよう! と決めた。
「 ・・・ うん 大丈夫。 ふらふらしないし どこも ・・・ 痛まないわよね? 」
ベッドに腰掛けたまま 彼女はしばらく躊躇っていた。
「 ・・・ しばらく養生しなさい・・・って あの親切な老ドクターは仰ったけど・・・
ああ でも 早く連絡してもらわないと ・・・ 心配してるに決まってるし。
そうよ、わたしが元気でいます、って証拠に歩いて階下 ( した ) まで行ってみれば
いいのよ。 元気で歩いているのを見れば ・・・ 信じてもらえるわよね。 」
そっと 脚を床に置いてみた。 左の脛に包帯が巻いてある。
上から触れてみても傷があるとは感じない。
「 ・・・ これ 怪我 ? でも ・・・ 痛みは ・・・ ないわね?
ああ きっと打ち身でも作ったんだわ。 ― わたし 落ちたとき ・・・ 」
ファサ ・・・。 彼女はリネン類と毛布を押しやり 床を両脚で踏みしめた。
「 ・・・ ほうら ・・・ 大丈夫。 立てる ・・・ あ ・・・! 」
― ドタ ・・・ 一歩踏み出そう、とした瞬間 脚が萎え転んでしまった。
「 きゃ ・・・ ああ! 」
思わず宙に迷った手が サイドテーブルの上の花瓶を叩いてしまった。
・・・ ガッシャ −−− ン ・・・・!
ガラス細工の瀟洒な花瓶は 床で割れ、 活けてあった白い小花が散乱した。
「 ああ 〜〜〜 た たいへん ・・・ ! 」
彼女は倒れたまま 花と花瓶の方ににじり寄った。
「 いっけない ・・・ ここのお部屋の方の花瓶なのに ・・・ 大切なものでしょうに ・・・
・・・ 欠片だけでも拾って ・・・ 」
カチン カシャン ― 床に這い蹲り 彼女はガラスの破片を集め始めた。
ドンドン ドン !! 大きなノックでドアが突然揺れた。
「 あ あの!? どうしました? 大丈夫ですか!? 」
「 ・・・ あ あのう ・・・ 花瓶を落としてしまって ・・・ 」
「 花瓶? 怪我、してませんか? あの ・・・ 入ってもいいですか!? 」
ドアの向こうの声は真剣そのものだ。
あのヒト ね。 あの茶色の瞳の ひと。
ずっとわたしのことを見ていた ・・・ ひと。
「 ・・・ あ は はい。 どうぞ ・・・ 」
答えてしまってから 床に倒れていることを思い出したが ― 遅かった。
「 失礼します ! ・・・ ? ああ! 大丈夫ですか!? 」
勢いよくドアをあけ 駆け込むみたいに入ってきた < あのヒト > は 顔色を変え、
彼女の側に飛んできた。
「 あ・・・ 平気です。 歩いてみようと思ったら 転んで ・・・ 」
「 え? どこか打っていませんか? 痛むところは? 」
「 大丈夫ですわ。 ・・・あの この花瓶 ・・・ ごめんなさい ・・・
このお部屋の持ち主の方に謝らないと ・・・ 」
彼女はガラスの破片を指し 情けない顔をした。
「 転んだ拍子に 手が当たって。 叩き落としてしまったのです。 ごめんなさい。 」
「 ケガは? 指とか切ってないですか? 」
「 ええ ・・・別に 」
「 よかった ・・・! さあ 手を貸しますから ・・・ ベッドに戻りましょう。 」
「 ・・・ はい ・・・ 」
青年は 心底ほっとした様子で彼女をそうっと抱きかかえた。
「 このまま ほら ・・・ ベッドに座ってみてください。 」
「 はい ・・・ すみません ・・・ 」
「 謝ることなんかないですよ。 ・・・ どうです? どこか痛みますか? 」
「 いいえ ・・・ でも あの ・・・ 」
「 はい? 」
彼のとても真剣な様子に なんだか気おくれしてしまう。
「 あの ・・・ わたし、脚をどうかしたのですか? 痛みはないのですが 力が入らなくて 」
彼女は左脚の包帯を示した。
「 ・・・ あ ・・・ ちょっと捻ったらしい・・・と博士が言ってました。 」
「 博士? ・・・ ああ あのご年配のドクターのことね? 」
「 ・・・ え ええ そうです ・・・ 」
「 ・・・ 捻った・・・だけ、ですよね。 骨折とかじゃ ないですよね? 」
「 骨折はない、そうです。 」
「 まあ よかった! わたし・・・脚は大切なんです。 」
彼女は心底ほっとした様子だ。
彼は しばらくそんな彼女を見詰めていたが ― おずおずと口を開いた。
「 あ・・・ あのぅ なにか ・・・ 思い出しましたか? 」
「 ・・・ ううん ・・・ ごめんなさい ・・・ 」
「 あ そ そんな ・・・ ぼくの方こそ 無神経な言い方して ごめんなさい・・・ 」
「 ううん ううん ・・・ そんなこと ないわ。
あの ね。 今朝は あのご年配のドクターはいらっしゃらないのですか。 」
「 え ・・・ あ あ〜〜 博士は いえ もうすぐ来ますよ。 なにか? 」
「 ええ あの わたし。 どこも怪我はない、と思っていたのですが。
この左脚以外にもどこか ・・・ 内臓とか傷めたところがあるのでしょうか。 」
「 ・・・ あ あの ・・・ ここでは詳しい検査はできないので ・・・
でも 大きな損傷 ・・・いえ 怪我はない、と言っていました。 」
「 そうですか。 じゃ 後は アタマの中身だけ ね。 」
「 ・・・ え?! アタマの な なかみ ?? 」
「 うふふ そんな顔、なさらないで。 いろいろ忘れちゃったのは事実ですもの。 」
「 ・・・ は はあ ・・・ 」
「 ゆっくり養生すればきっと思い出す・・・って。 あのドクターも言ってくださいました。 」
「 あ そ そうですよね。 あの こんなトコでよかったら うちで療養してください。
ウチは全然構いませんから。 」
ジョーはものすごく熱心に誘った。
「 まあ ・・・ うふふふ ・・・ 」
「 ・・ は? なにか 可笑しなこと、言いましたか ぼく ・・・? 」
「 え いいえぇ ・・・ 笑ったりしてごめんなさい。
だって アナタ ・・・ なんだか下心あり、のオオカミさんみたいなんですもの。 」
「 ?? お オオカミ さん ・・・? 」
「 そ。 純真なヒツジとか仔豚とか ・・・ 赤頭巾ちゃんなんかを誑かすの。
下心ばりばりです、って思えちゃうわ。 」
「 あ あかずきん ?? 」
「 うふふ そうよ〜〜〜 あのねえ、わたし、子供の頃に 赤頭巾 を踊ったことがあるの。
その時の オオカミさんがねえ ・・・ うふふ ちょっとアナタに似ていました。 」
( いらぬ注 : オオカミと赤頭巾 の踊り は 『 眠りの森の美女 』 第三幕にある )
「 え ・・・ あ は はあ ・・・ 」
「 あら ごめんなさい、わたしったら勝手におしゃべりばっかり。
あの。 花瓶、割ってしまってごめんなさい。 持ち主の方に直接お詫びしたいのですが。 」
「 ・・・ え え〜〜〜 あ〜〜〜 この部屋の主は その ちょっと留守にしてて・・・ 」
「 まあ。 ご旅行ですか、いつお帰りですの? 」
「 あ〜〜〜 そ その ・・・ 外国なんで しばらくは ・・・
あ でも! すごくいいヒトですから。 全然気にしないと思います。 」
「 そう ・・・? でも とっても綺麗な花瓶だったわ ・・・ わたしも好きですもの。 」
「 あ はあ〜〜 」
そうなんだよなあ ・・・ あの花瓶、きみの大のお気に入りでさあ・・・
う〜〜ん ・・・ でもわざとじゃないし。
割っちゃったのは ・・・ きみ自身なんだし ・・・ う〜〜ん???
ジョーは自分自身でもなんだかよくわからなくなってきた。
「 あ あの。 それで 怪我はないのですよね? 」
「 ええ 全然。 」
「 よかったです。 あ そのう〜〜〜 着替えとかなんですけど ・・・
この部屋のもの、使ってください。 そっちがクローゼットになってますから。 」
「 え。 お洋服とか勝手に拝借してもいいんですか? 」
「 はい。 あ ! すいません! 朝食〜〜 すぐにもってきますから! 」
ジョーはまた一人で飛び上がった。
「 まあ・・・ あの。 バス・ルームを使いたいのですが ・・・ かまいませんか? 」
「 あ! は はい そうですよね! 廊下の突き当たりの右なんですが ・・・
・・・一人で歩けますか。 あの 無理なら車イスとか持ってきますけど 」
「 待って。 ちょっと頑張ってみます。 さっきより元気になった気がします。 」
彼女はにっこり笑うと そろそろと立ち上がり始めた。
わ ・・・ だ 大丈夫か ・・・?
・・・ いや、 機能的な損傷はない、と博士は言ってたし ・・・
< 怪我してる > と思い込んでいるだけ か・・・?
「 ・・・ う ・・・ん・・っと。 あ ほら 立てました。 」
「 すごいなあ ・・・ あ でも無理しないでくださいね ! 」
「 ・・・ 大丈夫。 ・・・ 前に捻挫とか疲労骨折したこと、ありますけど あの時みたいじゃ
ないわ。 痛みもそんなにないし ・・・ 」
「 でも ・・・あの ・・・ 」
「 歩けそう。 ゆっくりなら ・・・ 」
「 え。 ああ 危ないですよっ あの ぼくに捕まってください! 」
ジョーはもう見ていられずに 彼女の腕を掴んだ。
「 あら ・・・ 」
「 あ! ご ごめん ・・・ い いえ すいませんっ いきなり・・・ 」
彼はもっと慌てて 細い腕を放した。
「 ふふふ ・・・ ヤケドでもしました? 」
「 ・・・ え ・・?? 」
「 だって ・・・ ジョーさんったら 真っ赤な顔でわたしの手を放り出すんですもの。 」
「 え あの その あの え〜〜 」
ジョーはもう唐辛子も顔負け! なほどぽっぽと赤くなっている。
「 うふふ 冗談ですってば。 ちょっとからかってみただけで〜す。 」
「 ・・・ ふう ・・・ きみって い いえ! フランソワーズ ・・・さん ・・・ ってば ・・・ 」
「 ごめんなさい♪ でも ね? ほら。 わたし ゆっくりなら一人で歩けますわ。 」
実際 彼女はしっかりした足取りで数歩 ― とてもゆっくりだったが ― 進んでみせた。
「 ・・・すごい ですねえ ・・・ 」
ジョーは心底感心し つくずくと彼女の顔を眺めてしまった。
フラン ・・・・ きみってヒトは ・・・!
どんな状態でも いつだって前向きなんだなあ ・・・
「 すごくなんかないです。 だって ・・・ 肝心なこと、思い出せないし ・・・ 」
「 あ で でも。 この調子なら直に 思い出せますよ! 」
「 ・・・ だといいのですけど。 いつまでもこちらにご迷惑をおかけすることは 」
「 そ そんな! 迷惑 だなんて。 」
ジョーは本気でぶんぶんと首を振った。
「 でも ・・・ わたし ・・・ 本当にどうして 崖から落ちたりしたのかしら ・・・ 」
す ・・・っとたった今まで浮かべていた笑みが消えた。
「 わたし ・・・ まさか じ 自殺 ・・? 」
「 それは! それだけは違います! きみは ― 事件に巻き込まれただけです! 」
「 ・・・ ジョー さん ・・・ 」
彼女はジョーの剣幕に驚き 彼をじっと見つめるのだった。
昨夜 ジョーが加速装置全開で駆けつけたとき ― < 事件 > は 消えていた。
いや 消えた、というか 後始末 をされ僅かな遺留品は地下のロフト隅っこに放り込まれた。
「 フランソワーズっ !! 」
ドアを蹴破る勢いで飛び込んできた 009 を、博士は軽く往なした。
「 ― ジョー か。 大丈夫じゃ。 命に別状はない。 」
「 ・・・・! なぜ!? 」
「 ジョー。 アイツは自分のチカラで自らを消滅させた。 俺とイワン、確認しただけだ。 」
病室に詰めていたジェロニモ Jr.が静かに言った。
「 ・・・ アイツ ? 誰のことだ? 」
「 静かにせんか。 ともかく今は彼女を休ませてやらねばな。 」
「 ・・・ すみません ・・・ けど なんだって!? 」
「 詳しい説明は後でするがな。 フランソワーズは巻き添えを喰った・・・というところだろう。 」
「 巻き添え!? いったいなにが起こったのですか!? 」
「 ジョー。 外に出よう。 」
激昂しているジョーを ジェロニモ Jr.はずるずると引きずってゆく。
「 !? ちょ ・・・ 待てよ! フランのそばに 」
「 お前、興奮している。 外で話す。 彼女は安静が必要だ。 」
「 ・・・ 頼むぞ、ジェロニモ Jr. 」
「 博士。 わかっている。 」
「 あ・・っ! ちょ ・・・ うわ ・・・ 」
ジェロニモ Jr. は 抵抗するジョーを軽々と担いで病室から出ていった。
「 ふう ・・・ ジョーがあんなに感情的になるとは ・・・ なあ ・・・
それもこれも ・・・ お前のことが心配で、ってことじゃ・・・ なあ・・・ 」
博士は溜息をつきつつ 蒼ざめて眠るフランソワーズの髪を撫でるのだった。
「 ― それじゃ ・・・ そのオトコが? 」
「 うむ。 彼女が見つけ俺助けた。 超能力者、らしい。 」
「 裏にヤツラが絡んでいるのか? 」
「 わからない。 しかしユウジ、 そのオトコは自分で自分自身の始末をした。 」
「 じゃ なんでフランソワーズが 」
「 彼女はアイツを庇おう、としたのかもしれない。 わからない。 」
「 ・・・ かばう ? 」
「 ジョー。 もうそれは過ぎたことだ。 今大切なのは彼女の回復 だ。 」
「 ・・・ う うん。 そうだね。 明日からはぼくが世話をするよ。 」
「 うむ。 ― よい風 吹けばいいが ・・・ 」
「 ― え ? 」
ジェロニモ Jr. は 夜空に視線を向け、ジョーの問いには答えない。
「 博士に夜食、つくる。 ジョー お前も食べるか。 」
「 いや ぼくは ・・・ あ じゃあ 博士に代わってフランを看ているよ。 」
「 うむ それがいい。 博士も疲れている。 」
「 うん ・・・ じゃ 博士を頼む。 」
「 ジョー。 着替えろ。 」
「 え? 」
「 その服 」
太い指が深紅の特殊な服を指している。 確かに < 普通の > ヒトには奇異に映る。
「 あ ? あ ・・・ うん すぐに! 」
ジョーは大急ぎで自室へと出ていった。
「 ・・・・・・・・ 」
ファサ −−−−− ・・・・・
海風が ゆるゆると亜麻色の髪をゆらす。
「 いい気持ち ・・・ ! 海ってステキですのね。 こんな香りなのね〜 」
「 ・・・ え ? 」
ジョーは 彼女の先になってしまったことに気がつき 立ち止まる。
「 海 ・・・ あまり行きませんか。 」
「 ええ。 パリは内陸の都市でしょ、 セーヌはあるけど川だし ・・・
夏のバカンスは中部地方の田舎にゆくことが多かったの。 」
サワサワサワ ・・・ 金の髪がきらきら日の光を集め 彼女の顔に纏わりつく。
「 うふふ ・・・ まっぶしい・・・ ああ こんな太陽 ・・・ 初めてかしら。 」
「 そ そうですか ・・・ 今 もう秋も深い時期なんですけどね。 」
「 明るくて暖かい地域なのね ・・・ ふうん ・・・ 」
「 あ あの。 こんなに歩いて大丈夫ですか。 脚 ・・・ 痛みません? 」
「 ゆっくり歩けば大丈夫ですわ。 リハビリしなくちゃ。 筋肉が落ちてしまうわ。 」
「 あ ・・・ あの あまり無理 しないで ・・・ 」
「 はい、 大丈夫ですから ・・・ ああ 本当にステキな場所ですのね。
ジョーさんは ずっとあのオウチに住んでいらっしゃるの? ドクターのご親戚? 」
「 ・・・ あ い いえ ・・・ ぼくは身寄りがないのでこのウチで一緒に暮させて
もらってます。 」
「 まあ そうですの? じゃあご家族と同じことね。 」
「 え ・・・ ええ まあ。 」
「 そう? じゃ あの大きな優しい方も? 」
「 あ 彼は ・・・ ジェロニモ Jr. といいますが。 アメリカに住んでますが
ちょうどこちらに遊びに来ていて。 彼は博士の知り合いですが・・・ 」
「 ふうん ・・・ あの方にね、海の風に当たってお日様と遊んでくるといい、って薦められました。」
彼女は また大海原に視線を飛ばし 本当にステキ ・・・と呟いた。
「 彼は 空や海や山とか・・・自然界のことに詳しいから・・・・ 」
「 そうみたいね。 自然の中にいる方が早く回復する って。 」
「 そう ・・・ですね。 あ ・・・ こんなに歩いて疲れませんか。 脚 ・・・大丈夫? 」
ジョーは またもや先に立って歩いてしまい、何回も歩を緩めた。
「 平気です。 わたし、そんなにひどい怪我なのですか? 」
「 い いや そんなことは ・・・ 」
「 でしょ? ドクターも 重傷じゃないよって仰ったわ。
ねえ 教えてください。 わたし どうして崖から落ちたりしたの? 」
「 ― え ・・・・ そ それは ・・・ 」
「 ジェロニモさんが助けてくださった・・・って。 でも なぜ? なぜわたしは ・・・
知らない土地で 崖から落ちたの? 」
「 ・・・ そ それは ・・・ ぼく達はその ・・・ きみを見つけて救出しただけで ・・・ 」
「 ― そう でしたね。 わたし もしかしたら 自殺 ・・・? 」
ずっと笑みを浮かべていた顔が 初めて曇った。
「 わたし ・・・ 自分から と 飛び降りた ・・・ のかしら・・・ 」
「 ! ち ちがう! それだけは断じて違うよっ ! この前も言ったけど! 」
ジョーは 我を忘れて声を荒げてしまった。
「 ・・・ え ・・・ で でも ・・・ どうして わかるの? 」
彼女の瞳が怯えて彼に向けられる。
「 ・・・ あ ご ごめん。 大きな声で ・・・ 」
「 ・・・ ううん ・・・ 」
「 ぼくは きみの事故の後で帰宅したんだ。 だからこれは博士から聞いたことなんだけど 」
ジョーは 簡潔にこの < 事件 > のあらましを説明した。
― もっとも 博士と口裏をあわせておいた ・ 創作 だったけれど。
「 ・・・ そ う だったんですか ・・・ その方は ・・・? 」
「 ・・・・・・・ 」
ジョーは黙って首を振った。
「 ・・・ ま あ ・・・・ 」
「 きみが気にする必要はないです。 きみは ゆっくり養生して・・・
いろいろ ・・・ きっと思い出しますよ。 」
「 ・・・ そ う ですか ・・・? 」
「 きみは全てを忘れてしまったわけじゃないでしょう? 部分的には覚えているじゃないですか。
ほら ・・・ バレエをやっていた、 とか 家族のこと とか 」
「 え ええ ・・・ でも いつ? いつ ・・・ 記憶は戻るのかしら。 」
「 それは ・・・ わからないけど。 だからのんびりここで暮してください。 」
「 ・・・ ありがとう ございます ・・・ ジョー さん 」
「 いや そんな ・・・ 」
こそ。 白い手がためらい勝ちに伸びてきて ― ジョーのシャツの裾を掴んだ。
「 ( あは ) そろそろ戻りましょうか。 お腹 空いたでしょう? 」
「 え? あ。 うふふ ・・・ 本当。 お腹 空きました。 」
「 じゃあ お茶タイム。 あのね、美味しい紅茶とかあるんです。 」
「 あら嬉しい。 あの ・・・ わたし お手伝いします。 」
「 わあ ありがとう! 助かります。 」
「 うふふ ・・・ わたしも楽しいわ。 」
二人は ― 彼女は彼のシャツの裾を持ったまま前後に連なってぽくぽく 砂浜を戻っていった。
「 ・・・ すごくステキね。 このオーブンとかすごく便利そう ・・・ 」
フランソワーズはキッチンに入ると 回りを見回し目をまん丸にしている。
「 え ・・・そ そうですか? ぼくはオーブンとか・・・わからなくて・・・ 」
「 あら お料理、 なさらないの。 」
「 します、けど。 けど ・・・大抵 チン! だけだから・・・ははは 料理じゃないですよね。 」
「 そんなことはないけど ・・・ でもこんな立派なキッチン、使わないのはもったいないわ。
あの ・・・ わたし、使ってみてもいいですか? 」
彼女は博士とイワンが開発した スーパー・オーブンをしげしげと見詰めている。
「 え ええ どうぞ ・・・ 」
「 まあ 嬉しい♪ すぐにできるモノって・・・ ああ そうだわ、 ドロップ・クッキーなら・・・ 」
「 どろっぷ・くっき〜 ? 」
「 ええ。 あのう ・・・ パントリー ( 食料庫 ) はどこですか。 小麦粉とか ・・・ 」
「 あ こっちです ・・・ 」
フランソワーズは 使い慣れたはずのキッチンで 戸惑いつつ ・・・奮戦しはじめた。
「 あの ぼく ・・・ 邪魔じゃなければ ・・・手伝います! 」
「 嬉しい〜〜 兄なんてね、いっつも食べるだけ、なのよ。 」
「 あ はあ ・・・ 」
「 え〜と ・・・ じゃあ 粉を計ってくださいな。 」
「 はい。 」
兄? ・・・ ああ 家族構成とかは思い出してるんだっけ。
あ れ? これって。 フランお得意のジンジャー・クッキー だよな?
ふうん ・・・ こういうことはしっかり覚えているのか・・・
キッチンで ― ほんの数日前とよく似た状況となった。
そう ・・・ あの時もこんな風に彼女の指示で粉やら砂糖の分量を量っていた。
同じ声 同じ笑顔を 今、ジョーは相手にしている。
ただ 違うのは。 彼女のこころ ・・・
ジョーの想いなど知るよしもなく、彼女は楽しげに手を動かしている。
「 ・・・ あとは、っと。 え〜と バターはどこかしら ・・・ ああ ここね。 」
「 こっちは完了。 粉と砂糖を混ぜたよ。 」
「 ありがとう! ジョーさんってお料理、好きなんですか? 」
「 え・・・ 別に ・・・? なぜ。 」
「 だってとても手馴れているもの。 兄なんて粉を篩うこともできなかったわ。 」
「 ・・・ あ 〜〜 あの 何回か手伝っているんで ・・・ 」
「 あら。 ・・・うふふ もしかして恋人の? 」
「 え!? 」
ジョーが 一瞬にして固まった。
「 きゃ〜〜 図星だったみたい〜〜♪ うふふ いいなあ〜〜 彼女さん。 」
「 ・・・ そ そんな ぼ ぼくたちは別にそんな ・・・ 」
「 はいはい、そ〜いうことにしときましょ。 うふふふ・・・ 」
「 ・・・ まいったなァ〜〜 」
「 ふふふ・・・ ね? ジョーさん。 」
愛して止まない笑顔が < ジョーさん > と呼び、彼の顔を覗き込む。
「 聞いてもいいかしら。 」
「 ・・・ え、 なんですか。 」
「 あの ね。 あなたは ・・・ どんな方 ? 」
「 ・・・・? 島村 ジョー ですが。 仕事は 一応 カー・ジャーナリスト の駆け出しかな。」
「 やだ、そうじゃなくて。 どんな食べ物が好きで どんなことが好き?
将来とか理想とか ・・・ どんなことを夢みているの? 」
「 え。 え〜〜〜 あ〜〜〜 す 好きな食べ物は ・・・ あ。 カレー。 」
「 へええ?? インド料理が好きなの? ・・・ さあ これであとはテンパンに落とすだけ。 」
彼女はおしゃべりしつつ どんどんクッキーを作ってゆく。
「 インド・・って ( あ。 日本のカレー、知らないのか ・・・ ) う うん まあ・・・ 」
「 ふうん? わたし、食べたことないわ。 美味しいの? 」
「 あ うん。 今度! ぼくが作るよ。 」
「 わあ〜〜 すごい〜〜 楽しみにしているわね。 へえ インド料理ね? 」
「 あ! あとはね カップ麺とかマックとか ・・・ 」
「 ??? それもエスニック料理なの? 」
「 う うん ・・・ あ! す 好きなコトは 車。 レーシング・カーだけじゃなくて
普通の車とかにも興味あるんだ。 」
「 ふうん ・・・好きなことがお仕事になっているってステキね。 」
これでいいわ、と彼女は テンパンをオーブンの中に入れた。
「 あとは〜〜 待つだけ♪ 」
「 すごい・・・手際 いいだね。 」
「 兄が好きで ・・・ よく焼くの。 ウチは両親ともにもう亡くなってて・・・兄と二人暮らしなの。 」
「 ・・・ いいお兄さんなんだね。 」
「 ええ とっても。 空軍所属だからあまり家にいないけど ・・・ わたしの憧れよ。 」
「 ・・・ かっこいい? 」
「 勿論♪ わたし、お兄ちゃんみたいなヒトと結婚したいの。 」
「 あ ・・・ そ そうなんだ? 」
「 ええ。 ね ジョーさんは? この国のヒトなのでしょう? 」
無邪気に青い瞳が ジョーの顔を覗き込む。
う ・・・ わ ・・・! か 可愛い ・・・・!
このコ なんて可愛いんだ!
おい! 彼女は フランソワーズ なんだぞ?
この浮気モノめ! ・・・ いや 彼女自身だよな?
暖かい微笑みに 一瞬 クラ〜っときてしまったジョーは もう混乱の極みだ。
「 あ ごめんなさい、聞いてはいけませんでした? 」
絶句している彼に 彼女は少し表情を曇らせた。
「 え!? あ い いいえ そんなことは!
あ あの ・・・ ぼくはこんな外見だけどこの国出身です。
でも 半分だけ かな。 母親は赤ん坊の頃に亡くなってしまい、顔も覚えていません。 」
「 ・・・ まあ ・・・ 」
なぜか彼女の無邪気な問いに ジョーは思わず正直に生い立ちを話していた。
この邸の当主、ギルモア博士は後見人として 彼をバックアップしてくれている、と
最後に付け加えた。
「 ・・・ まあ そうですの。 」
「 そんなワケだから ・・・・ ぼくは少しでも博士の手助けができるようになりたいと思ってます。
あ ・・・ 車いじりも好きですけどね。 」
「 ふうん ・・・ それがジョーさんの夢 なのね。 」
「 ・・・ え ええ まあ ・・・ そんなトコかなあ 」
ふぁ 〜〜ん ・・・・ オーブンからいい香りが漂ってくる。
「 くんくん ・・・ すごくいい匂い ・・ 」
「 あら 焼けてきたかしら・・・ 上手く焼たかな。 」
彼女は楽し気にオーブンを覗き込む。
「 あ ・・・ ぼく、お茶の用意、します。 」
「 お願いします。 あの ・・・ ジョーさん? 」
「 はい? 」
「 わたし ・・・ ここにお世話になっている間 お食事の世話とか・・・やらせてくださいませんか。 」
「 ・・・ え で でも 怪我人にそんなこと 」
「 もう怪我人じゃありませんわ。 それに・・・じっとしているよりお手伝いしていれば
何か思い出す気がして・・・ 」
「 思い出す ・・・ 」
「 はい。 一日も早く思い出したいです。 怪我を完全に治して ・・・
ええ そしてちゃんと思い出したら 帰ります。 」
兄がきっとものすごく心配していると思う ・・・と 彼女は呟くみたいに付け加えた。
「 ・・・ そ そう ですよ ね ・・・ 」
チン ・・・! オーブンのタイマーが焼きあがりを告げる。
「 あ 焼けたかしら。 ・・・ うふふふ さあ 〜〜 あけますよォ 〜〜 」
キッチン・ミトンを填めて 彼女はオーブンのドアを開け ― テンパンを引き出した。
トン トン トン −−−− ・・・・
ジョーの足取りはどんどん重くなってゆく。
キッチンでの、二人の時間があまりに楽しすぎて ジョーは慌てて脱出したのだ。
皆を呼んでくる ・・・ そういって彼女から離れた。
・・・ なんだってこんなに魅かれるんだ ・・・
そうさ、 フランはフランだもの、当たり前じゃないか。
いや。 ちがうぞ、ジョー。 お前は あの・何も知らないフラン に
惹かれているだ!
そ それは ・・・ だって同一人物だもの。
違う。 あの彼女はお前が今まで知らなかった・フランソワーズだろ。
お前は 別のオンナに心を奪われたのさ
・・・・!
心の中で自分が自分自身を激しく糾弾している。
「 ・・・ ちがう ・・・ いや。 違わない ・・・か ・・・ 」
彼の歩みはどんどん遅くなり、ついに階段の手前で止まってしまった。
ぼくは ― どうしたら ・・・ ?
ポン ・・・ と 大きな掌がジョーの肩に当てられた。
「 ? あ ああ ・・・ ジェロニモ ・・・ お茶の時間 」
「 ジョー。 彼女は フランソワーズ ではない。 」
「 ・・・ う? 」
「 博士、俺たち そして お前が愛するフランソワーズ ではない。 」
「 ・・・ そ それは ・・・ わかって ・・・・ 」
ジョーは俯いてもごもごと応える。 わかってない、 ことがあからさまだ。
「 彼女、 今だけ だ。 」
「 ・・・ え 」
「 博士、言っていた。 記憶が戻ったときには ― 今のことは消えている。 」
「 ・・・・・・・ 」
「 深入りすれば お前、もっと 傷つく。 」
「 ・・・ で でも 」
「 お茶 頂こう。 」
彼はますます固まってしまったジョーをリビングへと促がした。
焼き菓子の香ばしい香りが リビング中に満ちている。
博士も ジェロニモ Jr. も 彼女の <作品> を絶賛した。
「 ほう〜〜 これは懐かしい味じゃなァ・・・ うん、口当たりがいい ・・・ 」
「 クルミが香ばしい。 秋の味だ。 」
「 ありがとうございます。 我ながら上手く焼けたと思いますもの。 」
「 本当になあ・・・ 美味しい。 なあ ジョー? 」
「 あ!? え ええ。 とっても美味しい・・・ 」
ジョーはどぎまぎしつつ ・・・ 褒め言葉を捜せずにやたらとクッキーを口に運んだ。
「 気に入ってくださって嬉しいですわ。 」
「 美味しいです。 あ 誰か来た ・・・ 」
彼は脱兎のごとく玄関へ飛び出していってしまった。
「 え?? 玄関のチャイム 鳴りました? 」
ピンポーン ・・・ ! ジョーがリビングを出てから チャイムが聞こえてきた。
「 あら ・・・ ジョーさんって耳がいいのね? 」
「 いや ・・・まあ その ・・・ うん? 宅配屋さんらしいの。 」
博士がなんとか取り繕ってくれた。
「 そうですの? あら ・・・ 」
ガラガラガラ。 ジョーがキャリッジ・ケースを引いて戻ってきた。
「 お届けものですか? 」
「 あ ・・・ いや。 これ、ぼくの忘れ物なんです。 出張先に置いてきてしまって・・・
先方が気を利かせて送ってくれました。 」
彼は苦笑しつつ ケースを持ち上げた。
「 まあ 忘れていらしたの? こんな大きなものを ・・・ 」
「 え ・・・ あ まあ。 帰りを急いでたので ・・・ 」
「 そうですか。 届けて頂けてよかったですね。 」
「 ええ ・・・ あ 今から洗濯してもいいかな。 」
「 あら 今から? 今日中に乾きますかしら? 」
「 乾燥機に放り込みますから。 作業着とかドロドロなモノが多いので 」
「 お手伝いします。 」
「 え! あ い いいですよ〜〜 そんな。 ほんと、泥とオイルに塗れてるものが多くて 」
「 ふふふ ・・・ 兄と同じね? 兄もそんな洗濯物をよく持って帰ってきますもの。
あのね 大丈夫、兄の身包み剥がして洗ったりしてましたから 慣れてます。
え〜と? これですね。 」
「 え 〜〜 あ ・・・! 」
彼女は臆する様子もなく、ジョーのキャリッジ・ケースの中身を取り出し始めた。
「 わ わわわ ・・・ あ〜〜 あの! ぼく、自分で洗濯機に放り込んできますから。
その・・・ 後、お願いします〜〜 」
ジョーは大慌てで汚れ物を抱えるとバス・ルームに逃げていった。
「 あらあ ・・・ そんな遠慮すること ないのに・・・ 」
ぷ ・・・! ぷぷぷ ・・・ ついに笑いを堪えかね、博士が噴出した。
「 ドクター ・・・? 」
「 い いや ・・・ そのゥ〜〜 ぷぷぷ ・・・ちょいとジョーには気の毒・・・ 」
「 気の毒? 」
「 洗濯モノ、任せてやれ。 」
ジェロニモ Jr. までが微笑してとりなす。
「 ・・・ そう ?? それなら ・・・ このケースを片付けておきますね。
・・・ あら? まだポケットに何か ・・・? 」
彼女は工具と思しき油じみた包みだけが入っているケースに手をつっこんだ。
「 ・・・ あ。 忘れ物だわ。 なにか箱が ・・・ あら ? 」
取り出したのは ― 艶のある紙に包まれた小さな箱。
「 ジョーさんの、かしら。 う〜ん これは ・・・ きっとお土産 ね。
どなたかへのプレゼント かな。 」
彼女はその小箱をそっとテーブルの上に置いた。
ドタドタ ・・・ ジョーがガシガシと大股で戻ってきた。
「 はあ〜〜 ・・・ なんとか洗濯機に放り込んだよ ・・・ 」
「 あの ・・・ ジョーさん。 ごめんなさい、勝手にシツレイなこと、言って ・・・ 」
ほっとしているジョーを 困った顔 が迎えた。
「 え?? なにが・・・? 」
「 え あの。 だから ― 洗濯物のこととか ・・・ 」
「 え〜〜〜 なんでシツレイなのかなあ? 」
「 あの! あとで干すの、お手伝いします! 」
「 あ・・・ うん、 乾燥機にかけちゃうから大丈夫。 ・・・ でもありがとう! 」
「 そ そう ・・・? あ! そうだ、 これ。 ケースの中に入ってました。 」
フランソワーズは テーブルに乗せた小箱を指した。
「 あ ・・・ ! いっけねぇ 〜〜 これ、一番大切なんだったのに・・・
ありがとうございます! 」
ジョーは慌てて小箱を手に取った。
「 うふ? それ ・・・ アクセサリー? 指輪 でしょ。 」
「 え!? ど どうしてわかったのかい? あ ・・・ 透視 ・・? 」
「 とうし?? なんのこと? これはわたしのカンです。 女の子のカンよ。 」
「 カン? あ ああ そうなんだ? ウン これ ・・・ 指輪なんです。
どうしても真珠のが欲しくて。 ちょっと遠征してきたんだ。 」
「 まあ やっぱり恋人がいるのね? う〜〜ん 残念 その方が羨ましいわ。 」
「 ・・・ え ? 」
「 ジョーさんって。 兄にちょっと似てて・・・ うふふ わたし、タイプなんだけど ・・・ 」
「 そ そんな ・・・ 」
「 あら 大丈夫。 泣く泣く諦めますから。 その方を大切にして上げてくださいね。 」
「 ・・・ え ええ ・・・ 」
「 いいなあ〜〜 ああ わたしもステキな王子サマが出現しないかしら♪ 」
彼女は屈託なく、楽し気にきゃらきゃらと笑う。
彼は きゅ・・・・っと小箱を握る。
こ これは ― きみのため なのに ・・・
ああ ・・・! なんて 眩しい笑顔なんだ ・・・!
ううう ゾクゾクしてきた ・・・
けど。 真実 ( ほんとう ) のこと、思い出させる必要、あるのかな・・・
ジョーは何も言えずに ただただ花みたいに笑う彼女を見詰めていた。
真実を ― 自分自身はサイボーグであり 兄は生存していないかも ・・・
そのことを 知る必要はあるのだろうか
あの まだシアワセしか知らない笑顔を ― 奪え というのか。
「 ほら ・・・ お茶。 淹れ直しました。 どうぞクッキー、沢山食べてくださいね。 」
ぼうっとしている ( 風にみえる ) ジョーの前に 新しいカップが置かれた。
「 あ。 ありがとう ・・・ 」
「 あ でも やっぱりあまり沢山はダメだわ。 晩御飯が入らなくなりますものね。 」
「 いや ・・・ これ、本当に美味しいですね。 」
ポリリ ・・・とかじるクッキーは フランソワーズがよく焼いていたのと < 同じ味 >だ。
いや まったく同じものなのだ。
このままでも ― フランソワーズは フランソワーズ だよなあ
カリリ ・・・ ジョーにとって < 懐かしい味 > が口中に広がる。
この味は もう生活に一部なのだ。
このままでも ・・・ 彼女がシアワセなら ・・・!
「 あ あの ・・・ フランソワーズ さん。 」
「 はい? 」
「 貴女は ― 思い出したい ですか。 」
「 ジョー ! お前、なにを ・・・ 」
博士が驚き ジェロニモ Jr. もジョーに視線を当てる。
「 ・・・ どういう意味ですか ジョーさん。 」
「 ですから。 今 飛んでしまった記憶を ― 忘れていることを ・・・ 取り戻したいですか。 」
「 勿論ですわ。 当然でしょう? 」
「 ― それが ・・・ つまり真実が どんなことでも? 」
「 ? おっしゃる意味がわからないわ。 」
「 だから その ・・・ どんな悲惨な内容でも思い出したいですか。 」
「 ジョーさん。 あなたは あなた方は わたしのことを以前から知っていたの?
崖から落ちたのを偶然 助けた ・・・って仰いましたよね。 」
「 ・・・ う ああ その。 例えば ということで ・・・ 」
まっすぐに見詰めてくるフランソワーズに ジョーはたじたじである。
「 わたし。 真実が知りたいです。 それが ・・・どんなことであっても。
わたし自身のことですから ― 知りたいです。 」
「 知りたくなかった ・・・と後悔するかもしれません。 」
「 知らないで・・・ このままで生きてゆく なんてできません。 わたしの記憶です。 」
「 ・・・・・・・・ 」
ジョーは ついに口を閉じてしまった。
「 お嬢さん。 あのなあ ・・・ コイツが拘っておるのな ですな。
もしお嬢さんが その ・・・ 以前のことを完全に思い出した時には
今の・・・ ここでの数日間の記憶は消えてしまうからなんですワ。
コイツは あなたに忘れられたくないのでしょう。 」
「 博士 ・・・! 」
博士が やんわりとフォローしてくれた。
「 え? ジョーさんや あなた方のことを?
忘れてしまったら ― 教えてください。 知らなかったこと、 にしたくありません。 」
「 ・・・ フランソワーズ ・・・さん ・・・ 」
「 あ いけない、もうこんな時間。 わたし、晩御飯の準備、してきますね。 」
「 ・・・ あ ・・・ 」
彼女は 皆に素直な暖かい微笑を残し、キッチンに消えた。
「 ・・・・・・・ 」
リビングには 後味の悪い沈黙が残っている。
えっへん ・・・ 博士が何回か咳払いをしやっと口を開いた。
「 ジョー。 なぜあんなことを言うのだね。 」
「 博士。 ・・・ 彼女は忘れている方が 幸せなんじゃないですか!?
ごく普通の ・・・ 女の子として生きている、と信じているほうが・・・ 」
「 忘れられてしまった者の存在はどうなる? < いなかった > ことにされてしまうんだぞ。
ジョー、 彼女の恋人としてのお前も だ。 」
「 けど ・・・ 」
「 ジョー。 彼女、弱くない。 」
「 え? 」
「 彼女、 フランソワーズは弱くない。 真実、受け止める。 受け止めることが出来る 」
「 だけど! その身体は ・・・ ツクリモノのサイボーグでずっと歳もとらないってことを !?
故郷にいる兄は 生きてはいないかもしれない ってことを!?
そりゃ真実だよ、 けど ・・・ 今 彼女はあんなにシアワセそうに笑っているのに ・・・ 」
そう ― 一番冷酷なのは 事実 なのだ。
「 ― そ ・・・ それが真実なら。 わたし ・・・ 受け止め ます ・・・! 」
キッチンへのドアから 声が響いてきた。
「 !? フランソワーズ! ・・・ いつからそこに? 」
「 わたし自身のことです。 教えてください。 いえ 思い出させてください。 」
「 聞いてしまった ・・・ のか ・・・ 」
「 ごめんなさい・・・ ライスってどうやって調理するのか聞きたくて・・・
ドア、開けたら ― 聞こえました。 」
「 ・・・ ごめん。 ぼくが不用意だった ・・・ 」
「 いいえ! 教えてください! さ サイボーグって ・・・ なんですか?
なぜ 兄が い 生きてないかもしれない なんて ・・・ 」
「 あ それはだな お嬢さん 」
「 そもそもわたし、どうして崖から落ちたのです?? 教えてください! 」
「 ― 知ってもいいのかい。 」
「 ええ。 わたし自身のことです! 」
「 わかった。 それじゃ 一緒に来たまえ。 」
ジョーはフランソワーズの手を引いた。
「 おい ジョー!? 」
「 博士。 大丈夫だ。 二人に任せろ。 」
思わず腰を浮かした博士に ジェロニモ Jr.が静かに言う。
「 二人の問題、二人で解決する。 大丈夫だ、 いい風、吹いている。 」
「 ― 風 ?? 」
ふわ 〜 ん ・・・・ もう冷たい、と感じる風がリビングのカーテンを揺らした。
茜色の空を眺めつつ ジョーは彼女の手を掴みどんどん歩いてゆく。
「 ・・・ あ あの ・・・? 」
「 あの場所へ行こう。 」
「 あの場所? 」
「 そうだ。 < きみ > が発見された場所、 あの崖っぷちだ。 」
「 ま 待って ・・・ ジョーさん!? 崖に行ってどうなさるの。 」
「 話すよ、全部。 落ちる前のきみのこと。 」
「 なら ここでもいいわ。 わたし ・・・ ちゃんと聞けます。 」
そうか ・・・と彼は彼女の手を放した。 松並木の中、 倒木をみつけ並んで腰を降ろす。
「 きみは他人を庇って 落ちた んだ! きみを ・・・ 殺そうとしたヤツを庇って! 」
「 ・・・ なぜ ・・・? そんなに怒っているの 」
「 愛しているから! ぼくは ・・・ きみを心から愛しているから さ!! 」
「 ・・・ ジョー ・・・ さん ・・・ 」
「 < ジョーさん > なんていわないでくれ!
ぼくは ― ぼく達は。 この身体はツクリモノでも 愛し合っていたんだ! 」
「 ・・・・・ ! 」
「 信じられないかい? でも本当 ・・・ アレ?どうした? 」
フランソワーズは突然 頭を抱え蹲ってしまった。
「 大丈夫かい?? フラン !? 」
「 アタマが ・・・ い 痛い ・・・! ・・・ い いた い ・・・ 」
「 !? フランソワーズ !? 」
彼女はくたり、とジョーの腕の中に倒れこんでしまった。
彼女自身のベッドの中で フランソワーズはその亜麻色の髪を枕に散らし昏々と眠っている。
「 博士 ・・・ 」
「 ふん ・・・ 心配ない。 しばらく休ませてやれ。 目覚めたら ・・・
おそらく記憶は戻っているだろう。 確証はないがな、その可能性は大、じゃ。 」
「 ・・・ 戻っている ・・・? 」
「 ああ。 もともとがショックによる部分的健忘症 だからな。
なにかのきっかけで元に戻ることが多い。 」
「 ・・・ そう ですか。 よかった ・・・ 」
「 そう 思えるのかね。 」
「 ええ。 彼女のひたむきな強さに ・・・ 負けましたよ。 」
「 ふふふ ・・・ あの真摯な瞳にはなあ ・・・ 誰だって抵抗なんぞできんよ。 」
「 ですよ ね。 」
― コトン。 ジョーは指輪の小箱を彼女の枕元に置いた。
「 ・・・ フラン。 そうだよね ・・・ ぼくも しっかり受け止めるよ。
あの笑顔のきみ ・・・ステキだった! うん、ちゃんと話すさ。
だから 早く目覚めてくれ ・・・ これ。 きみの指にしか合わないよ フラン ・・・ 」
カタン ・・・ カタ カタ ・・・ 夜風に窓が小さく音を立てていた。
翌朝は 冷え込んだけれど綺麗に晴れ上がった。
< いつも通り > に朝食を終えると フランソワーズはじっと自分の手を見詰めている。
彼女の白い手、その左手には ― 真珠の指輪が輝く。
「 フラン? 気に入らないかなあ・・・ 」
「 え? ううん ううん! そんなんじゃないの。
これはステキ! 物凄くステキ! わたし、こんなに綺麗なパールを見たのは 初めてよ・・・ 」
「 えへ ・・・ 気にいってくれて嬉しいよ。 」
「 ・・・ でも ね ・・・ 」
「 でも? 」
「 だから ・・・ その。 < 忘れていた > わたしって どんなヒトだったの? 」
「 だから 〜〜 いつもの君だったってば。 ちゃんと話しただろ。 」
「 ・・・ ほんとう? 」
「 本当。 それにね、どんなきみも愛してる ♪ 」
「 まあ〜 なんだかいい加減ねえ ・・・ 」
「 そんなこと ないよ! なんなら 崖から飛び降りて見せようか? 」
「 そうね、ジョーとなら 落ちてもいいわよ? 」
「 ・・・ もう〜〜〜 きみってヒトは・・・! 」
「 ふふふ ・・・ ジョーと一緒ならなにがあっても生きてゆけるわ。 」
「 あは ・・・ 大丈夫さ。 今度きみが落下したら ぼくがしっかり受け止める。 」
「 ― ジョー ・・・! 」
きらめく朝の光の中 ― 恋人たちは熱く口付けを交わした。
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Fin. *****************************
Last updated
: 10,15,2013. back / index
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ひと言 *************
まあ こんな感じに裏で甘々〜〜 だったのじゃないかなあ〜〜
と思わないでもないのですが ・・・