『 大根・人参 セロリにトマト ― (2) ― 』
rrrrrr rrrrrr ・・・・・!
「 ・・・は〜い ・・・ 誰かしら。 この電話が鳴るなんて珍しいわねえ。 はい、はい ただいま〜 」
フランソワーズはあわててリビングに駆け込んだ。
ちょうど 買い物に出ようと玄関まで行った時、 リビングにある固定電話が鳴り出したのだ。
「 はい・・・島村でございます。 ・・・ え あ、あら。 ジョー?? 」
「 ・・・ ああ、ぼくだ。 頼みがある。 悪いが持ってきて欲しいものがあるんだ。 」
少々気取って出たら、相手は誰よりもよ〜く知っている声だった。
向こうも少々カッコつけているので彼の周囲に他人が居ることがすぐにわかった。
・・・ ヘンねえ。 どうして携帯、使わないのかしら。 あ・・・オフィスにいるね
それにしても 仕事中にウチに電話してくるなんて。 何かあったの・・?
フランソワーズは不思議に思いつつも受話器をしっかり握りなおした。
「 え? ・・・ ジョーの部屋の? ・・・ ええ ええ。 一番下の引き出し、ね。
全部? え? 写真の袋と ・・・ ちょっと待って! メモするから。 うん ・・・ ええ ・・・ええ 」
しばらくは彼女がぶつぶつ復唱する声だけがリビングに響いていた。
「 はい、わかりました。 ああ、 メトロの駅ね? 改札口・・・ でいいの? 北口ね?
あの・・・ オフィスまで届けましょうか? え ・・・ 駅でいいの? はい わかったわ。
あ・・・ あの、 ジョー 時間があるなら一緒に ・・・ ああ ・・・切れちゃった・・・ 」
しょぼん、と彼女は受話器を持ったまま ソファに沈み込んだ。
「 ちょっと ・・・ がっかり。 せっかく都心に出るのに・・・ジョーとステキなカフェとか行ってみたいなあ。
・・・あ。 でもそんなコト言ったら ふふ、ジョーのことだもの 今度は缶コーヒーを買ってくれるかも・・・ 」
若妻は溜息ひとつで肩を竦めると寝室にとって返した。
「 え〜と。 ご注文の品をそろえなくちゃね。 それから・・・ちゃんとした恰好、して行かなくちゃ!
ジョーに恥をかかせないように・・・! わたし、妻なんですもの。 ・・・ きゃ♪ 」
自分自身の言葉に 頬を染めて彼女はクローゼットのドアをあけた。
「 それで次の企画の資料なんですけど 少し待ってください。 家から届けさせますから
― あ ・・・ すいません、ちょっと。 」
ジョーはモニターの横に置いていた携帯を取り上げた。
「 ・・・ はい。 ああ うん、ぼく。 今 どこ。 駅? ああ ・・・ それじゃすぐに行くから。
え〜と・・・ 改札を出たトコで待っててくれるかな。 うん、そのゴミ箱の横にいてくれ。
え? なんですか? あ、ごめん、こっちのコト・・・ 」
「 島ちゃん! し〜まチャンってば。 そんな素っ気ないこと、言うもんじゃないわよォ〜〜
わざわざ持ってきてもらったんだから。 ココに御案内、しなさいよ。 」
「 え。 チーフ ・・・ だってそんな。 ・・・ ああ フラン、ちょっと待って・・・ あ! 」
ずい・・・っと充実した肉付きの腕が伸びてきて ジョーの手から携帯をいとも簡単にもぎ取った。
「 え〜〜 もしもし? ど〜も〜・・・ 島村さんの奥様ですか?
初めまして・・・・ ワタクシ、編集部のアンドウ・ミキといいます。
あの〜よろしかったらこちら、ウチの社にいらっしゃいませんか。 ええ、ええ。
今すぐに若いのを迎えにやりますので、 はい。 はい。 では後程。 」
「 ・・・ チーフ ・・・・ 」
「 ふん。 島ちゃん! 今時 あ〜んな凝ったお弁当を作ってくれる奥さんなんていないよ?
ゴミ箱の横にいろ、やて?! ふん! 何 言うとるねん。 大事にせんとバチ、当たるで!
会議はね、奥さんの持ってくる資料が来てから、よ。 ほい。 」
「 ・・・あ わわ・・・! 」
ぽい・・・・と投げられた携帯を ジョーは慌てて受け止めた。
ここは ジョーが勤める出版社の編集部。
今日も次回の企画会議の真っ最中なのがだが ―
彼の古い資料や写真が急遽必要となり、 フランソワーズがお届けにくることになった。
「 ・・・ そんな。 皆忙しいのに迷惑ですよ。 ウチのはすぐに帰しますから。 」
ジョーは精一杯顔を引き締め面倒くさそうな様子をしている。
「 ふふふ〜〜 ダメです。 これはチーフとしての命令です。 奥方にアンタの仕事場を見て頂きなさい。」
「 見てもわからないですよ。 出版社とか今まで全然縁もないし。
だいたい、日本語の読み書きとかまだあんまり得意じゃないですよ〜、彼女。 」
「 わからない、なんて随分失礼なんじゃない? 島ちゃん、家で日本語でしょ。 」
「 そ、 そりゃそうですけど。 う〜ん・・・編集部なんてアイツ・・・興味ないんじゃないかなあ。
「 それは 奥方自身が決めることでショ。 タカハシがお迎えに飛んで行ったからすぐにご到着よ。 」
「 は ・・・ はあ ・・・ 」
気乗りのしない様子な <島ちゃん>、 実は俯いた口元が微妙に緩んでいるのだ。
「 ・・・ ふん。 ミエミエだわよ、島ちゃん。 ・・・お?ウワサをすれば〜〜 」
ザワザワザワ −−−−
編集部の入り口付近から声にならないどよめきが押し寄せてきた・・・!
「 ・・・ し、し、島村さんの お、奥さん?? 」
「 うっわ〜〜〜 お人形サンみたい・・・! うわ〜〜 生きてる〜〜 動いてる! 」
「 だ、だ、だれ・・・?! え?? ・・・ そ、そうなの?? うそ・・・! 」
「 え〜 え〜 え〜〜〜 絶句! 」
無数の賞賛の声を背に ― 金髪碧眼の美人が立っていた。
「 ジョー。 あの・・・遅くなってごめんなさい。 はい、これ。 」
白い手が 大きめの封筒を彼に差し出す。
「 あ うん。 ありがとう、フラン。 ご苦労さん。 あ、もうこれで ・・・ 」
「 奥様! ど〜も〜・・・! 先ほどはお電話で スイマセ〜〜ン! 」
ずい・・・っとアンドウ・チーフがジョーを押しのけて出てきた。
「 まあ こちらこそ。 島村の家内でございます。 主人がいつもお世話になっております。 」
金髪碧眼の美人は流暢にそう挨拶をすると優雅に・そして丁寧に深々とアタマを下げた。
おおおお −−−−−
またしても、いや 今度ははっきりと感嘆のどよめきが編集部中から湧き上がった。
「 いやあ〜〜 いらっしゃい。 編集長のスズキ・イチローです。 」
とうとう奥の小部屋からのっそり熊ちゃん ・・・ いや編集長までやってきた。
「 まあ! 編集長様でいらっしゃいますの。 主人が大変お世話になっております。
あの ・・・ お噂はかねがね伺っております。 お目にかかれて嬉しゅうございますわ。 」
またまた美女の最敬礼と微笑に 白髪交じりの紳士は相好を崩しっぱなしである。
「 いやいや・・・ 彼には活躍してもらってます。 奥さんもなにかと大変でしょう?
異国での暮らしはいろいろとご苦労があると思いますなあ。 お察しします。 」
「 いえ ・・・ 至らないことばかりでございますわ。 お恥ずかしいです。 」
「 いやぁ〜〜 実に行き届いた美人さんのお嬢さん ・・・いや 失礼! 奥さんだ。
うん、ウチの若いもんらに ツメの垢でも煎じて飲ませたいですな〜 うんうん・・・ 」
え へへへへ・・・・ その行き届いた美人は。
ぼくの奥さんなんだ♪ ふふふ・・・
編集長の影で ジョーは得意満面、彼女への賞賛の言葉を全て我が事、と聞いていた。
「 島村さ〜ん! ねえねえ奥さんって。 モデルさんかなんかなんですかぁ? 」
「 え? あ・・・ちがいますよ。 ウチのは ・・・ ただの専業主婦です。 」
「 え〜〜 もったいな〜〜い! 」
「 オレ! いいプロモーション、紹介しますよ〜 マジ、トップ・モデルだよ! 」
「 なになに?? モデル? いや〜〜 そんなんよりタレントとかがいいんじゃない?
日本語上手な美人のガイジンさんって。 すぐに人気キャラだわさ〜 」
「 タレントなんかより! 知的美女だもの〜〜 ニュース・キャスターとかばっちし! 」
「「「 いいなあ〜〜〜 島村さんて 〜〜 」」」
「 え ・・・ えへへへ ・・・ そ、それほどでも・・・ 」
編集部中からの 羨望の眼差しを注がれジョーはまさに舞い上がっていた・・・!
「 ・・・フラン? あれ・・・どこに行ったのかな。 あ 編集長のとこか。 」
ジョーはともかく届けてもらった資料を広げつつ 辺りを見回した。
編集長のデスクの側で 彼女はなにやらにこやかに話合っている。
「 フランソワーズ? あの 編集長は忙しいから さ・・・ 」
「 あら ・・・ そうでしたわね。 お仕事中に失礼しました、ムッシュ・スズキ。
では これでお暇いたしますわ。 お話、伺えて楽しゅうございました。
あのコンクールのパンフレットを目にしたものですから・・・つい余計なお喋りをしてしまいました。 」
「 いやいや、 僕もね、彼の音は素晴しいと思っていますよ。
そうだ、昔のレコードから MD に落としたものがあります、よかったらお貸ししますよ。 」
「 まあ・・・ 宜しいのですか? 」
「 ええ、ええ 喜んで。 いやあ〜〜 こんなお若いお嬢さん っと失礼! 若奥さんと
あのピアニストについて熱く語れるとは思ってもみなかった・・・!
ああ、 お父上とか伯父上がファンなのですか。 」
「 え ・・・・ ええ。 父は ・・・もう亡くなりましたが レコード収集が趣味でしたし。 」
「 ほう! ますます羨ましい・・・ うん、それじゃ今度 MD、ご主人に渡しますよ。 」
「 まあ ありがとうございます。 嬉しいです ・・・ 」
あ ・・・ あのピアニストのハナシか・・・
ふうん ・・・そうか〜 編集長は だいたい似たような世代かも・・・な ・・・
ジョーはちょっとばかり憮然とした面持ちで立っていた。
「 それじゃ 奥さん、どうもご苦労様でした。 ? お〜 島村〜 なに仏頂面してるんだ? 」
「 え! え ・・・ い、いえ そんな。 あ・・・ウチのがお邪魔してるなって・・・ 」
どぎまぎしているジョーを眺め スズキ・イチロー氏は にんまりと笑った。
「 はっはっは・・・ ヤキモチかい? だ〜いじょうぶだって。 取りゃしないヨ。 あははは・・・・
そうだなあ こんな美人の嫁さんじゃ、ダンナさんも気が気じゃあないよな。 」
「 え ・・・ あ そそそそ そんな コト・・・
さ、フラン。 もう失礼しなさい。 皆 これからまだたんまり仕事があるんだから。 」
「 そうね。 本当にお邪魔いたしました。 あの・・・ どうぞ主人を今後とも宜しくお願いいたします。 」
フランソワーズは改めて編集長氏に 丁寧にアタマを下げた。
「 これはどうもご丁寧に。 島村君、今日はもういいからさ、奥方と一緒に帰宅しろ。 」
「 え!! へ・・・編集長! そりゃないですよ! ぼく これから企画会議が・・・
あ・・・ そ、それとも り、リストラ・・・ですか。 」
「 おいおい・・・ そんなはずないだろ。
君の企画書は自宅からメールだ。 奥さんを一人で帰せるのか?
気になって 気になってどうしようもない、って顔だぞ、おい。 仕事になんかならないだろ。 」
「 ・・・え ・・・ あ ・・・ そ、そんなことは ・・・ え〜と・・・ 」
「 申し訳ありません。 ご迷惑をおかけしてしまったようですね。 失礼いたしました。
あの わたし、一人で帰りますので。 主人のこと宜しくお願いいたします。 」
ジョーの後ろから りん、とした声が響いた。
「 ・・・ ふ、フランソワーズ ・・・ 」
「 これで失礼いたします。 皆さま お仕事中にお邪魔しまして本当に申し訳ございませんでした。 」
島村夫人は またまた丁寧にお辞儀をするとぴん、と背筋を伸ばし編集部を去っていった。
ほう −−−−−
再び、 いや 三度、感嘆の吐息が編集部中に広まった。
誰もが ― 男性は当然、女性たちも 彼女の去っていったあとを ぼ〜っと見つめていた。
編集長氏の咳払いで 部員たちはやっと我に返った。
「 ― こりゃあ・・・参った! 一本やられたなあ。
おい、島村? 君〜〜 ビシっ!と頑張らんと。 奥さんについてゆけんぞ、うん。
姉様女房ドノ、だろう? 」
「 あのゥ〜〜 一つ・・・年上なだけですけど。 わ・・・わかりますか。 」
「 当たり前だよ。 いや、実年齢がモンダイなんじゃない。 精神年齢さ。
どうも君のトコは 女房ドノの方がはるかに上だな。 」
「 せ、精神年齢、ですか ・・・ 」
「 ああ。 姉様女房は金のワラジを履いてでも捜せ、というじゃないか。 大事にしろよ! 」
「 は・・・ はぁ ・・・ 」
「 お〜っと 無駄口はここまで。 さ、奥方からのご要望もあるんだ、企画会議、頼むぞ。 」
「 は・・・ はい。 では 10分後に企画会議続行します。
資料、 ただちに作成しなおして皆さんに配布しますから。 」
ジョーは ぐ・・・っと口を結び PCの前に座った。
― その日、島村氏は規定ぎりぎりまで残業をしていた。
「 ・・・・ あら? ちょっと待って。 」
「 お。 音が違ったか。 」
フランソワーズの呟きに アルベルトは手を止めた。
彼のピアノに合わせ 軽くステップを踏んでいたフランソワーズが声を上げたのだ。
夕食後、明日からのメンテナンス前にピアノを弄りたい、と珍しく彼がリクエストをした。
「 どうぞ どうぞ。 ふふふ・・・きっとそう言うと思って。 ちゃんとお掃除はしてあるのよ。
あ ・・・ ごめんなさい、調律はしてないけど・・・ 」
「 いいさ。 ここは設置状態がいいからそんなに狂っちゃいないだろ。
・・・ 久々にあの音を聴いちまったんで 指がむずむずしてるんだ。 」
「 そうよねえ。 あ ・・・ ねえ、最後でいいからショパンを弾いてくださる? 」
「 了解。 ショパンの ― エチュード、か。 」
「 ええ。 『 レ・シルフィード 』 あ、わかる? ワルツでもマズルカでもいいわ。 」
「 ― これだろ。 」
ほろほろと旋律が零れだした。
「 そう! あ ・・・ ちょっとここで動いてもいい? 」
フランソワーズは彼の返事も待たずに スリッパを脱ぎ捨て素足で踊り始めた。
ギルモア邸のリビングに 空気の精が降り立った・・・
空気の色さえも変わり そこはたちまち木々に囲まれた森の奥深い地になった。
白銀の月が照らす中、詩人と妖精達が踊っている。
「 ・・・ 生の音って ・・・ ステキね ・・・ 」
「 ふん。 運転手をクビになったら バレエ・ピアニストにでもなるか。 」
ふわり ― 白い腕 ( かいな ) が翻る
「 ・・・ 恐いからやめて。 皆 逃げちゃうわ・・・ 」
繊細な音がヴェールになって流れてゆく
「 コイツ! ・・・なら これはどうだ。 ああ もう指が動かないが・・・ 」
突如、力強い調がリビングに響き渡る。
「 わあ・・・ チャイコフスキーのピアノ・コンチェルトね! あの曲ね、コンクールの。 」
「 ふん ・・・ もう一度 この旋律を弾けるとは思ってもみなかったな。 」
「 ・・・ ずっと続けて弾いて。 ああ ・・・ こんな音だったわね。 そう・・・ああ そうよ・・・ 」
フランソワーズはピアノの横に寄りかかりうっとりと目を閉じている。
「 ははは・・・ とても とても。 ヴァンクライバーンの百歩手前にも及ばんさ。
しかし ・・・ 音は いい・・・ 」
「 ええ そうね。 そう ・・・ 音は時間も場所も飛びこえてしまうわ。 」
「 ・・・・・・・・・ 」
二人は同じ世界に 浸っていた。
口も開かず、 目も合わせず。 もちろん指一本、 触れ合っているわけではない。
しかし。 同じ音の海で二人のこころは寄り添っていた。
「 ― フロイライン・・・ っと、失礼、 フラウ・シマムラ。 こっちがお好みか。 」
今度は同じ作曲家のお馴染みな旋律に変わった。
「 ・・・ あら。 オデットね。 二幕のソロがいいな。 ・・・そう、それよ。 」
素足の白鳥姫が 踊りだした。
・・・・ 二人はずっと 音と戯れ時間の経つのも忘れていた。
「 ― あ。 」
「 ・・・ん? ちがったか。 」
「 ううん ・・・ ピアノじゃなくて。 ジョーが帰ってきたみたい ・・・ 」
「 ああ。 毎日遅くて大変だなあ。 しかしな、ヤツも一人前ってことだ。
オトコの仕事にいちいちクチバシを挿むなよ? それが賢夫人というものさ。 」
「 ・・・ ええ ・・・ でもね、今日は・・・ ちょっと・・・ 」
「 なんだ? なにかあったのか。 」
「 ううん、なんでもない。 ・・・ 今 ドアのとこに居た、と思ったのだけど。 」
「 そうか? きっと疲れてバス・ルームにでも直行したんだろう。
お。 もうこんな時間か。 お遊びは終わりだ、ほら、ヤツに飯でも温めてやれ、奥さん。 」
「 ええ、そうね。 ジョーの好きなけんちん汁だし・・・ でも ヘンねえ・・・ 」
「 俺ももう休む。 ・・・ 楽しかったよ。 」
「 わたしもよ。 また ・・・ メンテナンスが終ったら聴かせてね。 」
「 了解。 じゃあな。 」
アルベルトは丁寧に鍵盤を拭うと 静かにピアノの蓋を閉めた。
「 ・・・ジョー ・・・? もう寝てしまったのかしら。 あら・・? 」
フランソワーズは そう〜っと夫婦の寝室のドアを開けた。
てっきりベッドに入っていると思ったのだが ― 彼女の夫君は熱心にPCに向かっていた。
「 ジョー。 お仕事なの? だったらリビングでやればいいのに。 ここじゃ暗いでしょう? 」
「 ・・・ やあ。 うん ・・・ きみ達の邪魔しちゃ悪いなって思って。
ああ ごめん、もう寝むのかい? それじゃ・・・ぼくはリビングに移ろうかな。 」
ジョーはモニターを見つめたまま 振り返ろうともしない。
・・・ カタカタカタ
キーボードの音だけがやけにはっきりと響く。
ジョー ・・・! ねえ、 お帰りなさい、のキスもしてないのよ・・・?
ねえ ・・・ どうしたの。 なにが あったの。
・・・ やっぱり わたし・・・あなたのオフィスに行っちゃいけなかったの・・・?
そうね、こんなオバアチャンが奥さんだなんて・・・、皆さんに見られて ・・・ 恥ずかしかったの?
つ〜ん・・・とハナの奥が熱くなってきてしまった。
彼女は慌てて、でもさりげなく指で涙を払い ― そうっと声を掛ける。
「 ね。 お夕食は? 今晩ね、けんちん汁、つくってみたの。 ジョー、好きだって言ったでしょう?
あの・・・ いろいろお野菜、いれて。 ジャガイモも入れたのだけど・・・ 」
「 ・・・ ああ 夕食は食べてきたから。 ごめん、ちょっとこれ、急ぐんだ。 」
「 あ ・・・ ごめんなさい・・・! あの・・・ 夜食だけでも ・・・ あの、これいかが? 」
「 じゃ。 お休み。 ぼくはもう少しリビングで続きをするから。 」
ジョーは立ち上がると ノートPCと資料を持ってすたすた寝室を出て行ってしまった。
「 あ ・・・ お お休み ・・・ なさい ・・・ 」
― ころん。
若妻の持つトレイの上で ちょっと歪なお握りが倒れた。
・・・ さむい ・・・ 一人の夜って。 こんなに 寒かった・・・?
ギシ ・・・ カツカツ コツッ カッ カッ カッ カンカン! ガン!!
一面に鏡を張った広いスタジオで 硬い音があちこちから響いている。
今は 朝のクラス前。 ダンサー達はそれぞれにストレッチをしたり女性はポアントを調整したりしている。
「 えい!! ・・・ うう〜〜 固いなあ・・・ うっくゥ〜〜 ! 」
「 ・・・ みちよ、大丈夫? おニューなんでしょ。 」
「 うん。 くくく・・・いってぇ・・・ どこまでガマンできるかなあ。 」
すみっこのバーで 黒髪と亜麻色の髪がごそごそやっている。
「 う〜〜 バーだけでも履いて 慣らさないと・・・ く〜〜 硬い! 」
「 みちよはいつもそんなハードなの履くの? どこの? 」
「 うん グリシコ。 ( 注 : GRISHKO ロシアのメーカー ) 硬いけど、保つからさ。
くくく・・・ 貧血が起きそう〜〜 フランソワーズは? 」
「 わたし? もうずっと レペット ( 注 : REPETTO フランスのメーカー ) なの。 」
「 ふうん ・・・ ああ〜 やっぱさ、フランソワーズの足って幅が狭くて甲があってキレイだね〜〜
いいなあ・・・ ホント、お人形サンみたいな足だよねえ。 羨ましい〜〜
もう日本人ってば 幅は広いわ、甲はないわ・・・・で本当に苦労するんだ。 えい! 」
背の低い方は それでもなんとか靴を履ききゅ・・・っとリボンを結んだ。
決してキレイな足ではないけれど、鍛えたしなやかさを備えた足だ。
フランソワーズは みちよの脚をじっと見つめている。
キレイなのは ・・・ みちよ、あなたの足よ。
本当の足 ホンモノの足。
切れれば血が出るけれど 鍛えればどんどん変わってゆく・・・
ず〜〜っと変わらない こんな作り物の紛い物はとうてい敵わないのよ。
「 よし! もう ・・・ 気にしないっと。 あれ、フランソワーズ、早く履きなよ〜〜
ピアニストさん、もうピアノの前に座ってるよ〜 」
「 え? あ・・・ いけない・・・! 」
フランソワーズは慌てて 馴染んだポアントに足を入れた。
朝のクラスはどんどん進んでゆく。
バーを終わり、センターへと移りスタジオの温度も上がってきている。
「 〜〜 で ピルエット パッセ後ろ、手はアンオーでね。 その後アンデダン そのまま 4番に降りて〜
・・・・ わかったわね。 それじゃ ファースト・グループから。 」
初老の女性が パン!と大きく手を叩く。
ピアノの音が優雅に流れだし ダンサー達が数人づつ踊り始めた。
「 ・・・ そう・・・悪くないわ。 パッセ、もっと高く! はい next ! 」
また違うダンサー達が前に進み出る。
フランソワーズは そっと皆の後ろに回った。
・・・ うわ・・・ これって苦手かも・・・
ああ ・・・ それにしても暑いなあ。 やだ、汗が・・・目に ・・・
・・・ ジョーってば 今朝もなんだか機嫌悪かった・・・
いってきます、のキス・・・ ちょこっとほっぺを掠めただけだったわ
お弁当、気に入らないのかな <ぎゅうどん> とかの方が好きなのかしら。
それとも わたしが あの・・・すけすけなネグリジェ・・・ 着ないから・・??
・・・ だって やっぱりあんなの・・・恥ずかしいの・・・・
でも。 夫の希望には従うのが 良い妻 の条件なのかしら・・・
あとからあとから邪念が噴出してきて なにがなんだかよく判らなくなってくる。
フランソワーズは相変わらずすみっこで ぼ〜〜っと皆の踊りを見ていた。
「 はい、ラスト・グループ! ・・・ ほら、早く! ぐずぐずしない! 」
フランソワーズ・・・? やったの?
・・・ いっけない・・・!
みちよに とん・・・! と背中を押され フランソワーズはあわててセンターに飛び出した。
ピアノの音に 懸命にキモチを集中した。
「 はい、もっと音をよく聞く。 あ。 ねえ フランソワーズ? 」
「 ・・・ は、はい・・・? 」
こそ・・・っと後ろに下がろうとしていた彼女は ぴく!っと顔を上げた。
「 ちょっと 最初の・・・プレパレーション、してみて。 」
「 は、はい・・・ 」
「 ふうん・・・ そうよ。 ちゃんと顔を上げて! 床、見て踊らない。
どうしたの、若奥さま?
結婚生活について いろいろ思い悩んでいるのですか。 」
「 え あ ・・・い いえ ・・・・ 」
クラス中が笑い ― 当の本人は真っ赤になりタオルに顔を埋めてしまった。
・・・・ やっぱり わかっちゃう・・・の??
「 そんな顔して下、向いていると!
バランスもピルエットも、上手くできないわ。 実生活も同じですよ! 」
「 あ ・・・ は、 はい・・・ 」
「 そうよ、顔、上げてまっすぐ前を見る! じゃ 次ね。 」
かお あげて ・・・?
ぱ −−−ん ・・・ となにかが彼女の中で弾けた。
たった一つにコトバが明るい光となり風となって ― もわもわ澱んでいたモノを吹き飛ばす。
そうよ ね。 顔、上げて。
わたし、 19歳よ。 ぴかぴかの19歳だわ。
それでもって ジョーの奥さんなのよ・・・!
フランソワーズはきゅっ!とタオルで顔を拭い、 た・・・っとセンターに戻って行った。
スタジオの熱気はさらに増えていったけれど 彼女はもう気にならなかった。
彼女自身もしっかりとその中溶け込んだ。
そうよ! わたし、 19歳なの !
大好きなバレエができて。 大好きなヒトの奥さんなの・・・!
今日は 大きな声で言うわ。
お帰りなさい、 愛してるわ って・・・!
ええ、 だってわたし。 シアワセなんだもの!
キュ ! 彼女はしっかりとポアントのリボンを結び直した。
― シュ ・・・!
メンテナンス・ルームの気密室のドアが開き レーベン姿のジョーが出てきた。
夜を徹した緊張する作業を終え、さすがの彼も疲れた顔をしていた。
「 博士は ・・・? 」
「 先に休んで頂いたわ。 あとはジョーとわたしとに任せて下さいってお願いしたの。
なにかあったらすぐにたたき起こせ!って仰っていたけれど。 」
「 うん、そうか。 それはよかったね。 一番大変なのは博士だものな。 」
「 ええ。 わたしももっとお手伝いができれば、と思うのだけど・・・ 」
「 ぼくもさ。 これでも少しづつは勉強しているけど・・・ まだまだだよ。 」
翌日、ほぼ丸一日をかけて アルベルトのメンテナンスが行われた。
ジョーもフランソワーズも 出来る限り博士の助手を務めるが代わりができるには程遠い。
それでも出来るだけ博士の負担を軽くしようと 頑張っている。
今回もメインの作業が終ったところで、徹夜明けの博士には先に休んでもらったのだ。
ジョーは 残りの作業を済ませ、アルベルトの状態が安定しているのを確認してから
やっとメンテナンス・ルームを離れた。
・・・ そうさ。 いつまでも博士の任せっきりにしていては ダメだ。
仲間のメンテナンスくらい、ぼく達で出来るようにならないと。
ぼくは ― ぼくは。 一家の主人なんだから!
ジョーはいつになく気負っていた。
「 ・・・ ジョー、本当にご苦労さま。 お仕事も忙しいのに大変だったでしょう?
ああ 何か作るわね。 熱々のお味噌汁とかがいいかしら。 」
「 ありがとう。 でもいいよ。 ぼく、これから残ってる仕事、片付けないといけないから。
悪いけど ・・・ 後始末、頼んでもいいかな。 」
「 ええ それは勿論よ。 でも ・・・ ジョーも大丈夫? 」
「 このくらい平気さ。 ・・・ふふ・・・こんな時には生身じゃないことに感謝、かな。
ああ、アルベルトにさ なにか・・・好きそうなもの、作ってあげたら?
ぼくには彼の好みはわからないけど。 きみならよく知っているだろうから・・・ 」
「 ・・・ ええ。 ジョー ・・・ ? 」
「 じゃ 頼むね。 あ、ぼく、寝室に篭って仕事してるから。 もしなにかあったら報告してくれ。 」
「 はい。 あの ・・・ あとで差し入れ、するわね。 」
「 ん。 ありがとう。 ちょっとシャワーでも浴びてくる。 」
ジョーはほんの一瞬 笑顔を見せたがすぐにバス・ルームに行ってしまった。
「 あ ・・・ ジョー ・・・・ 」
こっそり呼び止めたかった彼女の呟きは ・・・ どうもカレシの耳には届かなかったらしい。
ジョー・・・・ どうしたの。
ねえ なにかあるのなら 言って。
どんなことだって わたし、受け止めるから。 わたしにも 分けて・・・
わたし。 あなたの奥さんなのよ
ハナの奥がまたまた つ〜んとしてきてしまったが。
「 泣かない、わたし。 いつもジョーに気を使ってもらってるじゃない?
いちいちメソメソしないわ。 そうよ、 この前のクラスで言われたじゃないの。
下を向いて暗い顔してたら。 なんにも上手く行かないわよね。 」
ぷるん・・・! と彼女はアタマを振ると きゅ・・・っと自分の頬と抓ってみた。
「 ・・・ 痛〜〜 よし、それじゃ。 これで笑って〜 まずはメンテナンス・ルームの点検よ。
それから。 どうしたって夜食を作るから。 ジョーにも アルベルトにも!
美味しいお野菜やらお肉を使って。 そうよ、うん!
大根に人参に。 セロリやトマトも煮込むともっとおいしいのよ。 ええ みんな一緒よ! 」
誰もいない地下の研究室で 彼女はにっこり微笑んで ― 彼女自身の <戦闘> を開始した。
パタパタパタ ・・・・
今朝も キッチンで足音が軽やかに響いている。
お。 遅刻なんじゃないのか、若奥さん。
ダンナはまだおネンネかい。 ふふん・・・相変わらず寝起きが悪いんだろ
・・・ いつまで経っても お子ちゃまだな。 お前も苦労するか・・・
リビングの外でアルベルトは自然と口元が緩んでしまう。
メンテナンス明けの気だるさは <いつもの朝> がかなり払拭してくれていた。
う・・・ん! と大きく伸びをしてから 彼はリビングのドアを開けた。
「 お早う。 ・・・ ジョーはもう出勤か。 」
「 あら、お早う、アルベルト! ご気分はいかが? 」
「 ああ 上々だ。 博士は? 」
「 ふふふ・・・ もうとっくに朝御飯もすませられて ちょっとその辺まで足を伸ばしてくるって。
お散歩なの。 多分 下の煙草屋さんまでいらしたのじゃないかしら。 」
エプロン姿のフランソワーズが 菜箸を持ったまま振り返る。
アルベルトは リビングを横切るとダイニング・テーブルに着いた。
「 ・・・ いい香りだな。 新しい豆か。 」
「 そうよ、今朝封を切ったの。 はい、どうぞ。 教わったとおりに淹れたわ。 」
「 ダンケ。 うん ・・・ 美味い。 」
「 メルシ、ムッシュウ。 博士はね、このところずっと早朝散歩がお気に入りなのよ。」
「 ほう? 下の煙草屋・・・ って。 あの国道へ出る角の店かい。 そりゃまた随分遠出だな。 」
「 そうねえ。 でもね、 ワシも身体を鍛えんと・・ってなんだか張り切っていらっしゃるのだけど。
どうやらあの煙草屋さんのお爺さんといい碁敵らしいの。 」
「 なるほど・・・ そりゃ オレも一局お手合わせ願いたいな。 」
「 あら、それ いいわね! お帰りになったらお願いしてみれば? 」
「 そうしよう。 ・・・ん? お前 レッスンは。 早くしないと間に合わないだろ。 」
「 今日は休むわ。 メンテナンス明けの誰かさんの完全復調をチェックしないと ね。 」
「 おいおい、オレはもう <通常通り> だぞ。 定期メンテくらい、どうってことない。
ジョーはどうした。 アイツ、まだ寝てるんだろう? 」
「 ううん。 もうとっくに出勤したわ。
今朝はね 博士よりも早かったわ。 ええ、このごろいつもこんなカンジなの。
ふふふ・・・ この頃ね、なんだか張り切っているみたい。 」
「 そうか。 それじゃ ― 10分 待つ。 」
「 はい? 何か始めるの。 」
「 オレが送ってゆくから。 ちゃんとレッスンに行け。 開始は10時だろ?
それなら ― 今から最短距離をぶっ飛ばせば 間に合う。 加速装置がなくて残念だが。 」
「 ・・・ え そそれって。 」
「 ふん、あと9分だな。 それ以上は ― よし。 」
大きな瞳を 精一杯に見開いて こっくん! と頷くと彼女は二階へダッシュした。
バタン ・・・!
ドアを閉めると す・・・と片手を上げ合図をして。アルベルトの車はバレエ・カンパニーの門から出ていった。
メルシ ・・・! 彼女も大きく手を振って応えた。
「 お早うございま〜す! 」
「 きゃ〜〜〜 フランソワーズ! 見た見た見たわよぉ〜〜〜 」
「 あ、お早う、みちよ。 はぁ・・・・なんとか間に合ったわね! さあ大急ぎ・・・ 」
「 ねえねえねえ! 今の誰??? ダンナさん じゃないよねえ。 」
「 あら・・・ 見てたの。 ええと・・・・ あの、身内なのよ。 ちょうどこっちに来てて。
今朝ね、 寝坊したからもう休むって言ったら車飛ばして送ってくれたの。 」
「 うわ〜〜〜♪ カッコいい〜〜 チラっとしか見れなかったけど。
超〜〜〜 イケメンでない?? 銀髪でしょう?? 瞳は・・・青ね、きっと! 」
「 え ええ ・・・ ごめん、わたし着替えないと〜〜 」
フランソワーズはぱたぱた更衣室に駆けて行った。
「 見〜〜ちゃった♪ フランソワーズ〜〜〜 ご主人?? 」
「 アタシもしっかり見た〜〜 へええ??? フランソワーズのご主人って素敵ねえ〜〜 」
「 え ・・・あ あの・・・ 」
「 なんだ〜〜 いつか一緒に来た茶髪君は? ああ、もしかしてご主人の弟さん? 」
「 白皙 って。 ああいうことを言うのね。 大人なムードがいいわあ〜〜 」
更衣室はもう ― 大騒ぎ だった。
フランソワーズは騒ぎの真っ只中で大急ぎで着替え ― そして にこやかに宣言した。
「 わたしの夫は。 年下の茶髪クンです。 さっき送ってくれたのは ・・・ 兄みたいなヒト。 」
― きゃ〜〜〜!!!
またまた黄色い歓声があがった。
「「「 ねえねえねえ〜〜〜 お兄さんに 紹介して〜〜〜 」」」
その頃 ・・・ ― へーーーックシュ!!!
「 ・・・ンンン ・・・ メンテ明けで風邪でも引いたか? ・・・まさか、な。 」
その頃 アルベルトは車中でクシャミ連発、憮然として呟いていた。
「 ― ただいま。 」
「 お帰りなさい、ジョー !! お仕事、ご苦労さま。 」
その夜、 ジョーが静かに玄関のドアをあけると彼の奥さんが飛びついてきた。
「 うわ・・・ ああ フラン ・・ ただいま・・・・ まだ起きていたのかい。 」
「 ええ。 だって旦那様のお帰りはちゃんと待たなくちゃ。
まだ夜は冷えるでしょう? お食事は? ・・・ もう食べてしまった? 」
「 いや ・・・ まだ だけど・・・ 」
「 まあ、よかったわ。 すぐに暖めるから。 ジョー、手を洗って待っていてね。 」
「 あ ・・・ 簡単なものでいいよ。 」
ジョーの新婚夫人は 彼のつぶやきを聞くまえにぱたぱたキッチンに駆けていってしまった。
・・・ いつでも完璧なんだね・・・・ よき妻、の見本だよな
ぼくなんか ・・・ 頼りなくて物足りないのだろうなあ・・・
ジョーはコートを脱ぐと重い足取りでリビングに入っていった。
「 よう ・・・ お帰り。 ご苦労さんだな。 」
アルベルトは新聞を広げていたが、機嫌のよい顔を覗かせた。
「 ァ ウン・・・ ただいま。 経過はどう? 不具合はどこかあるかな。 」
「 いや。 万事、変わりナシ、だ。 お前、助手に入ってくれているんだろ? 腕、上げたな。
博士もな、喜んでいたぞ。 」
「 え・・・ あ・・・ まだまだだよ。 勉強しなくちゃいけないこと山積みだもの。 」
「 ・・・ まあなあ。 ご老体に追いつくのは容易なこっちゃないな。 」
「 ウン。 ・・・でも頑張るから。 ぼくに出来るのはソレぐらいさ。
アルベルトみたく・・・ なんでも出来るわけじゃない。 教養とかも・・・全然ないし。
芸術なんて これっぽっちも判らないしさ。 」
「 なんだ? いやに突っかかるじゃないか。 」
「 ・・・ そんなこと、ないさ。 ぼくはこれが 普通だよ。 ぼくはこんなヤツなんだ。 」
「 お前 何を言いたい? 」
ばさり、と新聞をたたみ アルベルトはジョーを正面から見据えた。
「 ― 別になにも。 正直な感想を言っただけだよ。
さ ・・・ ぼくは一風呂浴びて お先に寝るよ。 もうクタクタだしね。
後は 気のあった者同士で楽しく過してくれよ。 じゃ ・・・ 」
「 おい。 何言ってる。 」
「 ジョー? 手を洗ってきた? お食事、温まったわよ。 あら・・・ どうしたの。 」
エプロンで手をぬぐいつつ フランソワーズがキッチンから顔を出hした。
「 あ ううん なんでもないよ。 ちょっと疲れちゃったからさ、 先に寝るから。 」
「 え? だって・・・ お食事、まだなのでしょう? 熱々にしたわ、今夜はジョーの大好きな 」
「 あ ごめん。 適当に食べてきたから。 ごめん ・・・ じゃ ね。 」
「 ジョー どうしたの、ねえ なにがあったの?? 」
ジョーは今にも回れ右 をしてリビングから出てゆこうとしている。
フランソワーズは 慌てて彼のブルゾンの裾を握った。
大きな碧い瞳が じわ・・・っと濡れてきた。
そんな彼女に アルベルトはごく普通の調子で言う。
「 フランソワーズ。 悪いが ・・・ 博士にお茶を持っていってくれないか。 」
「 ・・・え?? だって もう・・・ お休みでしょう? 」
「 そうだが・・・ 寝しなにな、頼まれていたんだ。 夜 目が覚めたときに飲みたいのだと。
悪いが ・・・ いつもの湯呑茶碗にいれてあげてくれ。 」
「 ・・・ わかったわ。 ジョー、 ねえ ちょっとだけ待っていて? すぐに行ってくるから。 ね、ね! 」
「 ・・・ う うん ・・・ 」
パタパタパタ ・・・・
白いエプロン姿は さっとキッチンに引っ込むと程無くしてトレイに大振りな湯呑を乗せ出ていった。
「 ― さて と。 お前 ・・・ なにをヘソ曲げているんだ。 」
軽快な足音が遠ざかると アルベルトがすぐに口を切った。
「 ヘソ・・・って なんだよ。 そんなこと、ないさ。 本当に疲れているんだ、ぼく。 」
ジョーは なんでもない風を装っているが視線を逸らせっぱなしだ。
まともに相手を見られないのは 決まり悪いのか 照れ臭いのか・・・
アルベルトには茶色の長い前髪しか見えない。
ふん ・・・ とアルベルトは鼻を鳴らす。
「 何を拗ねているのか知らんが。 彼女に八つ当たりするのはやめろ。
いくらお子チャマでもな、いい加減にしたほうがいい。 」
「 八つ当たりって ・・・ なんだよ、それ。
ぼくは別に ・・・ ああ、 どうせ気の利かないお子チャマさ。 君とは違うよ。 」
「 ・・・ おい? 」
「 さっきも言ったろ? ぼくは年下で経験も教養もなんでもかんでも・・・ 全然足りないさ。
彼女とは趣味の話だってできないもんな。 ・・・最低なヤロウさ・・・ 」
「 ・・・・・・・ 」
「 いい気になってたけど。 彼女だって ・・・ 内心は呆れているんだよ、きっと。
こんなヤツと一緒になって早まったなあ〜って思っているんじゃないかな。
・・・ そうだよね。 まだやり直せるさ、うん。 やっぱり共通点の多い人間との方が 」
「 ジョー。 お前 酔っているのか。 」
「 酔ってなんか! 真面目に話しているんだ。 真剣に考えているんだ・・・・
そのう ・・・彼女のシアワセを さ。 」
「 そうか ― 」
カチリ。 アルベルトは煙草を銜えるとライターを鳴らした。
「 そこまで思い詰めているのなら 仕方ない ― と言いたいところだが。 」
ぴくり・・・と ジョーの肩が揺れセピアの髪がますます顔を隠す。
微かに ― しかし彼の身体全体が震えている。
それは 彼のこころの慄きが こころの悲鳴が 身体の外にまで滲みでてきたのかもしれない。
目の前に立つアルベルトには セピアの髪の揺れまでもはっきりと見える。
・・・ ったく。 ほっんとうにコイツ。 フランのことになると ・・・
心底 惚れてやがるんだなあ ・・・ 敵わんな
「 あのな。 俺とアイツは 40年 ・・・ いやそれ以上の付き合いなんだ。 」
「 ・・・ ん。 わかってる。 」
「 もう一つ つけ加えるとな。 ジェットとアイツなんかそれ以上の付き合いだぞ。 」
「 ・・・ ん。 それも 知ってる。 」
ふうううう −−−−
アルベルトはゆらり・・・と煙草を燻らす。 紫煙が銀髪に纏わり漂ってゆく。
「 なんだ、物分りがいいじゃないか。 」
「 ・・・ ん ・・・・ 」
ジョーは さっきから自分の足先ばかりじっと見つめている。
知ってるよ。 ちゃ〜んと 知ってるってば。
・・・ だから やっぱり。 ・・・ 返せって ・・・ 言うのか・・・
だから やっぱり。 君とかジェットの方が彼女には相応しいって ・・・ 言うのか
・・・ そう かもしれないよな・・・ うん ・・・
ぽたり。 ― ついに ついに水滴が一粒、 足元に落ちてしまった。
いいさ。 これでも覚悟は出来ているんだ。
・・・ ほんのちょっとだけ いい夢見させてもらって。
幸せに舞い上がっていた だけ ・・・ そう、それだけ さ・・・
きゅ・・・とアルベルトは吸い差しを灰皿に捻る。
彼は 目の前の茶髪ボーイをとっくりと見つめ おもむろに口を開いた。
「 それで、だ。 その上でアイツは お前 を選んだんだ。
出会って それこそほとんど間もないお前を、アイツ自身の意志で選んだんだぞ?
・・・ そこんとこ、よ〜〜く考えてみるんだな。 」
「 ・・・ え。 」
ジョーの身体が 彼の全身が 一瞬硬直した。 いや びしり・・・!と衝撃が走った。
彼は かちんこちんになり次の瞬間、 鋭く息を呑む音が聞こえた。
「 今晩はな。 おでん だぞ。 彼女、昼過ぎからず〜っと準備して煮込んでたな。
野菜やらオレには初めて口にするモノばかりが いい味になっていた。
博士もオレも 本当に美味いと思ったぞ。 まろやかないい味だった・・・
いいか。 お前には慣れたモノでも ― 彼女にはまったく初めてのもの、なんだぞ。
それでも 一生懸命に楽しそうに準備してたな。 」
「 ・・・ あ ・・・・おでん って ・・・ 」
「 オレたちは皆 ばらばらな出身だ。 いわば異文化の集合体だ。
そんなこと、判りきっていると思っていたがな。 」
「 異文化 ・・・ 」
「 違いがどうだっていうんだ? そんなこと、些細なモンダイだと思うが。 」
「 ・・・ う ・・・ん ・・・ 」
「 ヒトは皆 誰でも違う。 みんな 一人一人が異文化を持っているようなものさ。 」
「 みんな ・・・ そ、そうだ・・・よね うん。 」
ぼくだけじゃない よ!
フランソワーズだって。 彼女は 異文化の真っ只中に飛び込んだんだ・・・・!
「 どうしよう・・・ おでん、今からでも食べれば。 ぜ〜んぶ食べれば
フラン ・・・ 喜んでくれる・・・かな? ねえ、喜んでくれるよねえ!? 」
「 ふん。 だからお前は。 お子ちゃまだ、というんだ。 オレはもう寝る! 」
「 あ ・・・ アルベルトォ〜〜 ・・・ 」
「 オレは単なる外野だ。 直接本人に聞け。 ・・・ なあ、フランソワーズ? 」
「 ・・・え あ!? 」
アルベルトは リビングのドアを開けると 戸口に脇に立ちん坊になっていた亜麻色のアタマを
くしゃり、と撫ぜた。
「 ・・・ アルベルト ・・・ 」
「 お や す み ! 」
ガシガシガシ !!!
スリッパが床を蹴立てて二階へ消えていった。
「 ・・・ ジョ ・・・ − ・・・ 」
「 ・・・ あ あの。 う〜〜〜 ごめん!! フラン・・・・ ごめん!!! 」
「 ジョー ・・・ ジョー〜〜〜 」
「 あ ・・・ わわわ ・・・な、泣かないでくれよ・・・ ねえ、フランってば。 ねえ? 」
二人きりになった途端に フランソワーズはリビングの戸口にしゃがみ込み泣き出してしまった。
「 ひど・・・い ひどい ジョーってば。 やり直すってなによ?
わたしのシアワセ、なんて言って。 ちっとも ・・・全然わかってない ! 」
「 わ・・・ねえ 泣くなってば。 ごめん ・・・ 本当にごめん。
ぼくがさ 勝手に一人で拗ねて。 きみの気持ち ちっとも考えなくて・・・ 」
「 せ・・・せっかく がんばっておでん、作ったのに・・・
大根とセロリの煮物も ・・・絶対 ジョーが好きな味!って思って ・・・ 」
「 うん ・・・ うん、きっと大好きだよ! ごめん、 ごめんね フランソワーズ。 」
ジョーはそう・・・っと彼の奥さんの側に 一緒になって屈み亜麻色の髪に触れる。
「 ごめん。 きみの趣味にも付き合えないし、完璧なダンナさんにもなれないよ。
きみには全然相応しくない・・・そのゥ・・・お子ちゃまだけど。
でも ぼくは。 好きなんだ。 きみが世界でいっちばん好きなんだ! 」
「 ・・・ ジョー ・・・・ 」
涙でぐしょぐしょの顔が じ・・・っとジョーを見上げている。
「 だから! ・・・ おでん、食べる! 」
「 ジョー・・・ってば。 ジョーってば・・・ おでん、だなんて・・・ 」
「 ごめん。 気の利いたコトバ ひとついえない。 かっこよくピアノも弾けない。
でも ! ぼくは ッ !! 」
ジョー・・・? と白い腕がするり、と彼の首に巻きついてきた。
「 そう そうよ。 このヒトはね。 本当に本当にどうしようもない朴念仁なの。 」
「 あ・・・ ひどいなあ。 そりゃそうだけど、さ・・・ 」
「 ふふふ・・・ でも ね。 わたし ― ジョーがいいの。 どうしても、よ。
8人の仲間から選んだのじゃないわ。
― 世界中のヒトの中から ジョーひとりを選んだの ・・・! 」
「 ・・・ フランソワーズ ・・・ きみってひとは。 本当に・・・ 」
「 そうよ、わたしって。 こんなに自信満々なオンナなのよ。 こんな女、きらい? 」
「 ・・・・・・・・ 」
二人はそのまま ― リビングのソファに縺れあい倒れこんだ。
そうして。 その夜の美味しい・美味しい おでん は。
とうとう 島村氏の口には入らなかったのだった。
「 ほう ? 随分といろいろな野菜があるんだな。 知らないものの方が多い。 」
「 そう? でもねえ、皆 すご〜〜く美味しいの。 ねえ、ジョー? 」
「 うん。 特に冬にはね、大根とか美味いよ。 煮込むと最高さ。 」
相変わらずの冬晴れの日、 ジョーとフランソワーズはアルベルトもひっぱって
地元の商店街まで買出しにやってきた。 もちろん買い物カートのお供つきだ。
お馴染みになった八百屋の店先で 3人はあれこれ品定めを楽しんでいる。
賑やかな声に店のオヤジも顔をだした。
「 お。 まいど〜〜 岬の若ダンナ。 今日は大根かい?
美味いのがあるよ〜〜 この地でしか取れねんだ、ほれ ! 」
「 うわ〜〜お ・・・ すっげ・・・太いんですねえ すべすべしてる。 」
「 ははは・・・ 御宅の奥さんの脚には到底勝てないけど。 なかなか魅惑的だろ?
いろんなモノと煮てみて。 いろんな味が楽しめるから〜 」
「 ウチは セロリと煮込むんです、美味しいですよ!
う〜んと・・・ じゃあ、その大根とセロリと。 人参とじゃがいもと。 タマネギもお願いします。
あ。 アルベルト〜〜 なあ、ジャガイモはこの種類でいいのかな。 」
おう・・・と店先から彼が手を上げている。
「 ・・・ おや ・・・ アレは奥さんの兄さんかい。
コワモテだね〜〜 若旦那もなかなか大変だねえ・・・ 」
八百屋の主人はアルベルトをチラ・・・っと眺め クビを竦めてみせた。
「 あは。 そうかも。 え〜と ・・・ それじゃまた全部箱に入れてくれますか? 」
「 はいよ! 毎度〜〜 若ダンナ、なんだか今日はちょこっと貫禄だねえ。
若ダンアんちはさ、楽しそうだね。 ほい、この焼き芋は おまけ! 」
「 ま こんなもんですよ〜 わあ ありがとう! 」
うんしょ・・・と ジョーは野菜を買い物カートに積み上げた。
うん そうさ。 ウチはごた混ぜだもの。
それで、さ。 うん、全然違うモノ同士でも 味付け次第で美味くなるんだ〜〜
な、大根クン?
フランソワーズがトマトの袋を抱えて にこにこしている。
「 ジョー。 ねえ 明日のお弁当、なにかリクエスト、ある? 」
「 リクエスト? ・・・う〜ん?? あ、そうだ!
フラン、 この前のヤツって。 あれ ・・・ うるとらまん なのかな。 」
「 そうなのよ。 ちゃんと本に載っていたの。 凄いわよねえ。 」
「 ふうん・・・ またあんなキャラ弁がいいな。 」
「 あら、そう? ・・・・うふふふ・・・ それじゃ、楽しみにしていてね♪
さあ〜て 今晩はサバの味噌煮に そうそう 鰤大根 って作ってみようかしら。 」
「 わあ〜 楽しみだなあ。 あ、ほら。 八百屋のおっさんがおまけ、だって。 」
「 あら♪ 焼き芋ね! ふふふ・・・ これ、だァ〜〜い好き♪ 」
「 ぼくは ― フランの方が好きさ。 」
「 いや〜〜ん ジョーってば・・・♪ 」
ガラガラガラ −−−−−
今日も 新婚さんは仲良くお手々つないで。 満載の買い物カートをひっぱって。
いちゃくちゃ・・・ 焼き芋みたいに熱々で。 岬の我が家に帰っていった。
「 ・・・ やっちゃらんね〜な・・・ 」
銀髪の独逸人は 盛大に煙草を吹かしつつはるか後ろを歩いていた。
***** おまけ ******
ふんふんふん 〜〜〜♪
今日も楽しいお昼時、編集部の島村さんはハナウタまじりに給湯室にやってきた。
「 ・・・ あの お茶を ・・・ あれ? 」
先客が二人、 湯呑を洗っている・・・・はずだが お喋りに夢中なのだ。
「 ・・・ え? ・・・ ふうん・・・? 」
流れてきた何気ない女の子達の会話が ふと、ジョーの耳に留まった ―
「 ・・・ でね。 彼女はず〜っと東京っ子で。 ダンナは関西人なんだって。
それで、さ。 もうウドンの汁からして大騒ぎ なんだって。 」
「 あは。 アレはねえ・・・ お互いに衝撃だよね。 」
「 そ。 結婚って。 つくづく・・・異文化との遭遇だなあ〜って言うのよォ ・・・ 」
「 異文化 かァ・・・ 大変だよねえ・・・・ 」
「 うん ・・・ 考えちゃうよねえ・・・ 」
異文化 ・・・ そうだよね。 うん。 全然違うんだ。
大根とセロリみたいでさ。
でも 一緒に煮込むと美味いんだぜ。
そうさ。 だから 異文化ってことは。
・・・楽しいことがう〜〜とあるってことなのさ♪
ふんふんふん 〜〜〜 ♪ さ〜て。 ご〜はんだ 御飯〜だ〜〜♪
島村さんはまたまたハナウタまじりにデスクに戻っていった。
席に座って。 ジョーはわくわくしつつ愛用の弁当箱を開ける。
「 ・・・ うわ〜〜お・・・ すげ〜〜。 いっただっきまァ〜す! 」
彼は ご満悦で箸を取り上げた。
弁当箱には 本日は ―
ケチャップ味とケチャップ色のチキン・ライスに四つの鶉卵の黄身が輝く
― 防護服御飯 ― がぎっしりと詰まっていた。
********************* Fin.
***********************
Last
updated : 03,02,2010.
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************* ひと言 *************
あはは・・・や〜〜っと終わりました ・・・ (^_^;)
よ〜するに・なんてことない 新婚痴話喧嘩?? なのかも。
ジョー君?? 精進するんだぞ!
フランちゃんは 君が 金のワラジ を 40 + 1 足も 履いて捜した
オクサンなんだから ね!
はい、今回は珍しくも ジョー君にとっくり悩んでもらったのでした♪
・・・ ァ、 大根とセロリに煮物・・・・ 美味しいかどうか 保証ナシです★
ご感想のひと言でも頂戴できれば 狂喜乱舞〜〜♪