『 Le  Cygne   − 白鳥 − (2) 』

 

 

 

 

 

 

「 あれ? フランソワ−ズ! もう起きて平気なのかい。 」

「 お帰りなさい、ジョ−。 ごめんなさいね、スパゲティ−・サラダ、作っておけなくて・・・ 」

「 え? ああ・・・ そんなこと・・・。 ねえ、本当に大丈夫?

 今日はゆっくりしていなよ。 」

 

 

その日の午後ティ−・タイムも大分過ぎた頃、ジョ−はさてコ−ヒ−でも淹れようか、

とキッチンに下りてきた。

今日はだれもいないはずのそこには ・・・ 見慣れた姿がくるくると動きまわっていた。

 

 − ? フランソワ−ズ ・・・!

 

バタンっと大きな音をたててドアを開けたジョ−に フランソワ−ズは艶やかな笑顔を向けた。

 

「 大丈夫よ。 本格的なメンテナンスじゃないし。 

 ゆっくり眠れてかえってすっきりしたわ。 晩御飯にジョ−の好きなサラダ、作るわね。 」

「 そうなんだ? ・・・でも あんまり無理するなよ〜 

 おでこ、まだ痛む? 」

ジョ−はひょいと手を伸ばして 彼女の前髪を掻き揚げた。

「 ・・・ あ〜あ ・・・ ねえ・・・? 」

「 やだ、ジョ−ったら。 ちょっとまだ痛いけど・・・ 大丈夫よ。

 うん ・・・ 皆の前で転んじゃったでしょう? 急に傷が治ってたらマズイだろう、って博士が・・・

 派手目にガ−ゼでも当てておいて しばらくして<完治>ってことにするの。 」

「 ふうん・・・ ま、きみのおでこに傷が残らないならぼくはいいけどね。 」

ふわり、と目の前のしなやかな肢体を抱き寄せると ジョ−は彼女のおでこにキスを落とす。

 

「 ・・・ <完治>へのおまじない♪ 」

「 ふふふ ・・・ あら〜 痛くなくなっちゃったわ。 」

「 もっと治してほしい・・・? 」

「 ジョ−ォ? わたしはこれから晩御飯の支度です。

 そうだわ〜取材旅行の洗濯物、ちゃんと出して? ・・・ バッグに入れっぱなしじゃない? 」

「 ・・・・あ ! ご、ごめ〜ん ・・・ すぐ、持ってくるよ! 」

 

ばたばたとジョ−は自室へ駆け戻って行った。

 

 − 本当に 大丈夫なのかなぁ・・・

 

口調はいつものフランソワ−ズだったけれど、ジョ−にはどうも彼女の顔色が

沈みがちに見えてならなかった。

 

メンテナンス明けだしな。 やっぱりいろいろ疲れてるんだよ、うん。

・・・ そうだ! 明日・・・

 

ジョ−は無理矢理に自分を納得させていた。

 

 

 

「 おはよ〜う。 」

「 おはようございます。 」

「 あれ〜 ・・・ フランソワ−ズ、大丈夫? 」

「 わぁ・・・ 切れなかったの? よかったね〜 痕になったらちょっとねぇ。 」

「 病院、ちゃんと行った? 頭は危ないわ。 」

 

おでこに大きなカ−ゼを当てて現れたフランソワ−ズに、バレエ団の仲間たちは

わ・・・っと集まって心配そうに聞いてくれた。

 

「 ありがとうございます。 ええ・・・ コブになっちゃって、ちょっと腫れてるけど・・・

 うん、中味は無事みたいよ? 」

「 よかったね〜〜 」

「 ごめんね、心配かけて・・・ もう、大丈夫。

 もうすこし、コレは貼っておいたほうがいいって。 ・・・笑わないでネ。 」

フランソワ−ズは自分でも笑っておでこのガ−ゼを指差した。

「 ほんと、びっくりしたよ。 フランソワ−ズがあ〜んなに派手に転ぶの、初めてみたもの。 」

「 えへへへ・・・ ちょっと力みすぎたかも。 」

「 脚は? 平気? 」

みちよがまだ心配そうな顔をしている。

「 ウン。 おでこが全部引き受けてくれたみたいで・・・ 脚は全然。

 ・・・ ありがとう、みちよ。 」

「 よかった〜 ふふふ・・・案外石頭なんだね。 」

「 イシアタマ ? 」

「 そう。 頭が頑丈なコト。 また、今日から頑張ろうね〜 」

「 へえ・・・ 面白い表現ね。 イシアタマか〜。  」

 

まだまだ<宿題>は全然解決していないのだが、仲間達の笑顔に

フランソワ−ズはすこしほっとした気分だった。

 

 − そうよ。 ひとりでくよくよ悩んでいても・・・ね。 

   まずは 踊ってみなくちゃ。 

 

それに・・・ 昨夜。

 

「 フラン〜 明日ってやっぱり遅いの? 」

「 え? 」

夕食後、片付けを手伝って食器を拭いているジョ−が ひょいと訊ねた。

「 明日さ〜 レッスンのあと、またリハ−サル? 」

「 ええ。 でもそんなには遅くならないと思うわ。 」

「 そっか。 ・・・あの、さ。 よかったら、そのぅ・・・ お茶しない? 」

「 午後のお茶には間に合うように帰るわよ? 」

「 そうじゃなくて・・・ ぼくも仕事で都心に出るんだ。 午後なら空くから・・・

 どっかさ、そのぅ ・・・ カフェとかで待ち合わせようよ。 」

「 ・・・・・・ 」

「 ・・・あ、そうゆうの、嫌い? レッスンの帰りはイヤかな〜 」

フランソワ−ズは 黙ってまじまじとジョ−の顔を見つめている。

「 ごめん・・・ きみと外でお茶するのもいいかなって思ったんだけど ・・・ 」

ジョ−はひたすらどぎまぎと 汗まで浮かべ、手にしたお皿を

やたらと擦りまくってしまった。

 

「 ・・・ ジョ−、お皿、壊さないで。 」

「 ・・・ あ ・・・ ご、ごめん ・・・ 

 あの ・・・ 気を悪くした? ごめんね。 ぼくってその ・・・ 二ブくって・・・ 」

「 ううん、ううん、ジョ−。 ごめんなさい、はわたしの方だわ。

 ・・・ すごく嬉しいわ〜 もちろんオッケ−よ♪ わあ〜嬉しいわぁ・・・ 」

「 ・・・ フランソワ−ズ ・・・ 」

泡だらけのスポンジを握ったまま フランソワ−ズは胸の前で手を握り締めている。

「 ね? 外で一緒にお茶・・・って。 ジョ−と一緒って初めてだわ。

 ふふふ・・・なんだか 嬉しくてびっくりしてしまったの。 」

「 ・・・あ、 なんだ〜。 ぼく、気に障ったかな・・・ってどきどきしたよ。

 そうか・・・ 初めてだっけ? 」

「 ウン。  ・・・ ねえ、どこで待ち合わせ? ジョ−、どこか素敵なお店知ってる? 」

 

 − わ・・・ こんなに喜んでくれるなんてな・・・

  そうか ・・・ 外で逢おうって言ったこと、なかったっけか。

 

ジョ−はフランソワ−ズに負けずにこにこ顔で お皿をそっと重ねた。

 

「 じゃあさ。 ××ヒルズの近くにね・・・ 」

 

 

だってね、ジョ−。

わたし達 ・・・ みんなであの邸に住み始めてから随分になるけど。

あなたと外で、それもわざわざお茶するのって ・・・ 本当に初めてなのよ?

 

・・・ クス ・・・

 

小さな笑みが自然にこぼれてしまった。

フランソワ−ズはあわてて口元をタオルで隠した。

 

そう。

茶色の温かい瞳をした青年と一つ屋根の下で暮らすようになり

いつの間にか ごく自然に 二人は手を取り合いともに過す夜を重ねてきた。

 

それは 別々の源流からあふれ出た水が独りでに一箇所に流れこむのと似ていた。

ジョ−はフランソワ−ズにとってもっとも身近な男性 ( ひと ) となり、

フランソワ−ズはジョ−にとっては大切な<自分の半分>となった。

 

ヘンなの。

・・・ こんなに一緒にいるのに。

外でお茶したことすら、なかったなんて・・・・

・・・ もしかして。 わたしって。 案外ジョ−のこと、判ってないのかもしれない・・・

いろんなおしゃべり、したいな。 ・・・うふふ・・・聞いてくれるだけでもいいわ。

 

おでこのガ−ゼを気にしつつ、フランソワ−ズは稽古着に着替えた。

まだ張り替えていないおでこの打ち付けた皮膚がちょっと熱い・・・ような気がする。

 

ヘンなの。

・・・ そんなこと、有り得ないのに。

急に昔の感覚を思い出すなんて・・・

・・・ もしかして。 わたしって。 やっぱり<昔>に戻りたがっている・・・?

 

 − ・・・ だめだめ、ぼんやりしていては・・・

 

フランソワ−ズはさっと頭を振り 気持ちを切り替えた。

いま、やらなければならないコトは ・・・ 目の前にあるのだ。

 

深呼吸をひとつ。

ひとりのダンサ−に戻って、フランソワ−ズは稽古場に入っていった。

 

 

 

 

穏やかな音色が 優しい曲を奏でている。

なめらかな調にのって三人のダンサ−が優雅に動く。

ゆっくりとした踊りは、でも淀みなく流麗で見るものの目に心地よい。

 

<パ・ド・トロワ >のリハ−サルは 順調に進んでいる。

 

 

「 え〜と。 あら、牧子は今日N.G.なの? え・・・試験? まあそれは仕方ないわね。 

 じゃあ ・・・ えりちゃん、 第一 の代役お願いできる? 」

「 はい、マダム。 」

「 ああ、第一のヴァリエ−ションは曲だけながして・・・ それじゃ、お願い。 」

 

緊張した面持ちのみちよが えり先生とともに男性に手を取られて稽古場の中央に進み出た。

 

 − みちよ! がんばって・・・

 

フランソワ−ズは隅っこから固唾を呑んでみつめていた。

 

・・・ えり先生は どんなトロワを踊るのかしら。

 

仲良しのみちよの踊りも勿論気になるが、えり先生の踊りにも興味があった。

はっきりしたテクニック系の踊りが得意な彼女が

三幕の主役である自分の黒鳥よりも 印象的な<スペインの踊り>を舞う彼女が

いったい どんなパ・ド・トロワを踊るのだろう。

 

フランソワ−ズは一振りも見逃すまいと かっきりと目を見開いていた。

 

 

優雅な中にも華やかな音が重なって<パ・ド・トロワ>は コ−ダを迎えている。

男性を真ん中に 両脇の女性達はぴたりと息をそろえて踊ってゆく。

 

・・・ これが ・・・ えり先生? あの、激しいスペインを踊る・・・えり先生なの・・・

 

ラストのポ−ズもぴたり、と決まり稽古場からは自然に拍手が沸き起こった。

 

「 ・・・そうね、悪くないわ。 みちよ、これは貴族の娘の踊りよ。 村娘じゃないの。

 そこを忘れないこと。 そうすれば もっとよくなるわ。 」

「 ・・・ はい。 」

「 あ〜 えりちゃん、ありがとう。 ご苦労さま。 

 トロワはまずまず、ね。 でも気を抜かないで。 もうひとつ上を目指しなさい。

 はい、10分休憩。 あと、一幕のコ−ダをやりましょ。 」

「 ありがとうございました〜 」

マダムは穏やかな表情でパ・ド・トロワのリハ−サルを終わらせた。

ざわざわと稽古場の空気自体も動きだす。

急に賑やかになった中で、フランソワ−ズはまだじっと脚を抱えて座ったままだ。

 

 − ・・・ すごい。 えり先生、全然別のヒトみたい・・・

 

みちよや男性とは突然一緒に踊ったはずなのに 彼女はごく自然に<パ・ド・トロワ>の

一員になっていた。

優雅でちょっと大時代的な踊り ・・・ でも、あれは間違いなくえり先生自身の踊りだった。

 

 − 自分自身に合っているとか・・・そんな問題じゃないんだ・・・

 

出入り口近くに傍目にはぼう・・・・っとして座り込んでいるフランソワ−ズの前を通り過ぎた時、

マダムはふと足を止めた。

 

「 ねえ? えりちゃんのトロワ、どう思った? 」

「 ・・・ あ ・・・ はい。 素晴しいなって・・・ 」

「 そう? 今度のリハで その答えをあなたの黒鳥に生かしてみて。 」

「 ・・・ はい。 」

「 期待したてるわ。 じゃ・・・ 」

「 あ・・・ありがとうございました。 」

フランソワ−ズは慌てて立ち上がり会釈をした。

 

・・・・ っつ ・・・!

 

なんともないはずのおでこが ズキン、と疼いた。

 

気のせいよ。 なによ、弱虫・フランソワ−ズ?

あんた、いつからそんな弱虫になったの。 おでこなんてなんともないでしょ。

それって単なる逃避よ!

 

くっと唇をかみしめて。

フランソワ−ズは足早に自習室に向かった。

 

 

 ・・・ カタン 

ちょっと引っかかりのある重いドアを フランソワ−ズはゆっくりと開けた。

 

 − ・・・ あれ。

 

誰もいないと思ったその部屋で。

音ナシで 一羽の白鳥が舞っていた。

二幕、 オデットのソロ。

ゆったりとした前半、そしてハイ・テンポな回転が続くラスト。

前半のア−ムスの運びを何回も何回も白鳥は繰り返していた。

 

フラソソワ−ズは慌ててドアを閉めようとしたが、 一瞬目を奪われ手が止まってしまった。

音はかかっていなくても フランソワ−ズの耳にはあの曲がちゃんと聴こえる。

 

 − ユリエさん ・・・ 凄いわ。 いつもとは全然違う・・・

 

「 ・・・・ ? 」

白鳥は ようやく気づいて羽を ・・・ いや、舞を止めた。

 

「 ・・・あ。 ごめんなさい ・・・ 今の時間、空いてると思って・・・ 」

「 あら。 あ・・・どうぞ? 私はもうやめるから。 全然勝手に使ってたのよ、どうぞ。」

「 いえ・・・ あの。 続けてください。 」

「 そう? それじゃ。 ああ、フランソワ−ズ、あなたもどうぞ? 」

「 あ・・・ わたし、ちょっとストレッチしたかっただけですから・・・ ごめんなさい。

 失礼します。 」

「 ねえ。 」

「 ・・・ はい? 」

 

会釈して回れ右をしたフランソワ−ズをユリエは呼び止めた。

彼女はこのバレエ団の若手ではピカ一の存在なのだ。

フランソワ−ズも知っている海外でのコンク−ルにも何度か入賞をしている。

 

次にココの芯を踊るようになるのは ユリエね。

 

誰もが そう思っている優秀なダンサ−である。

きっちりとしたテクニックで どちらかといえばはっきり個性の強い役柄を得意としている。

一方見た目も、受ける雰囲気も、お姫様然としていて優雅な踊りを好むフランソワ−ズとは

気性も対照的なようだった。

 

ユリエとフランソワ−ズ。 

一応は<同い年>、というコトになっているので なにかと好対照に見られている。

 

「 フランソワ−ズ、あなた、苦戦? 」

「 はい・・・ わたしに黒鳥は ・・・ 無理かも。 」

ユリエの黒い瞳がかっきりとフランソワ−ズを見据え・・・ くすっと笑みくずれた。

「 やぁだ・・・何、言ってるの? 

 へへへ・・・本当言うとね、私も苦戦よ。 もう全然 ・・・ わからない。 」

それに〜 ・・・ とユリエはちょっとイタズラっぽく笑い続けた。

「 実はちょっぴり悔しいんだ。 私、ちゃんと黒鳥も踊りたかったから。

 普通、ウチの『 白鳥〜 』は ダブル・キャストにはしないでしょ。 」

「 ええ・・・ そうですね。 」

「 マダムはね、お見通しみたい。 私が え? って顔してたら・・・

 まず苦手な方から挑戦しなさいね・・・って。 」

「 ・・・ 苦手な方から ・・・ 」

「 そ。 だから。 負けないよ? フランソワ−ズ。

 苦手だけど・・・私は私の白鳥を見つけてみる。 あなたの白鳥とはちがった踊りをね。 」

「 ・・・・・・ 」

「 ねえ? 私、あなたの黒鳥を楽しみにしてるから。 」

「 ・・・・・ 」

じゃあね、とユリエは再び自分の世界に没頭していった。

 

 − ・・・ わたし。 もう負けてる・・・

 

そっとドアを閉め、フランソワ−ズは自分自身がたまならく歯がゆかった。

 

 

 

・・・あ、違うわ。 今日はこっちじゃないんだっけ。

無意識にいつもと同じ道を辿り、メトロの駅付近まで来てフランソワ−ズはやっと立ち止まった。

 

いっけない。 えっと・・・ ジョ−が教えてくれがカフェは・・・

 

あんなに楽しみにしていたジョ−との約束、すっかり忘れてしまっていた。

今日は予定があって・・・と もごもご言い訳をして稽古場を出た。

熱心に自習している仲間達に後ろめたい気分だったけれど

なぜか ・・・ 今日は抜け出すことにほっとしている。

 

 − その答えをあなたの黒鳥に生かして・・・

 

マダムの声がこころの中でずっとこだましている。

生かすって。 どうやって。 

だって わたし。 どうしていいのか全然わからない。

えり先生のあの踊り。

まるで魔法にかかったみたいに 別のヒトになってた。

でも、それでも、 アレはえり先生の踊りだわ。

 

 − あなたの黒鳥を楽しみにしてるからね。

 

ユリエの言葉も同時に浮かんできた。

苦手だけど、白鳥に挑戦よ、と彼女は笑っていた。

本当は黒鳥も踊りたかった ・・・ 彼女ははっきり、そう言ってたわ。

そうよね、彼女の得意な踊りだもの。

 

どうしてこんな・・・キャストなの。

・・・ わたしはどんな黒鳥を踊ったらいいの。

 

平日の午後、そんなに多くはない人出なのだが ぼんやり歩くフランソワ−ズは

どんどん人波からはじき出されてしまう。

 

あ・・・ え〜と ・・・ あれ、もう一本手前の通りかな・・・ あ、あそこかも。

 

ジョ−が書いてくれたメモを頼りにフラソワ−ズはようやっとそのカフェを見つけ出した。

表通りから一本奥に入ったその小道は意外なほどに静かだった。

車の往来や人々の喧騒が 潮騒のように遠くでざわめく。

シェ−ドを深く張り出した奥に、艶が出た木製のドアがあった。

小道に出してある地味な看板も 下手すれば見落としてしまいそうなカフェだ。

 

 ・・・ ちり --- ん ・・・

 

あ・・・ この音・・・ 昔お気に入りだったお店のと似ているわ。

 

ひとつだけ下がっているドアベルが 遠慮がちに音を出した。

一歩ふみこんだ店内は ひくくなにかヴァイオリン曲が流れていて落ち着いた雰囲気だ。

なんだか懐かしい想いで フランソワ−ズは店内を見回した。

 

え〜と。 ジョ− ・・・? まだ来てないのかな・・・

 

フランソワ−ズは そっと肩に掛けたレ−スのスカ−フを直した。

今日は 自分としては随分とおめかしをしてきたのだ。

 

ジョ−が この前・・・ 似合うね、って言ってくれた水色のワンピ−ス。

ちょっと胸が開きすぎているわ・・・って思ってたけど。

お誕生日にジョ−が買ってくれたレ−スのスカ−フをしてみたの、どうかな。 

とても映えると思うの・・・

 

フランソワ−ズはちょっと背伸びしてもう一回店内を見渡した。

お客の大半は黙ってお茶を楽しむか本を読んでいる。

なかに話をしているヒトもいるが、ひくいささやきしか聞こえてはこない。

 

「 え〜 こうゆうトコ、シブくってイイですよね〜 」

「 ・・・・・ ・・・・ 」

「 え? あ、ごめんなさ〜い。 アタシって声、おっきっくてぇ〜 」

「 ・・・・・・・ 」

「 え?え? ・・・ああ、はい。 ・・・・・? 」

 

一瞬場違いに大きな声がして、フランソワ−ズは反射的にそちらに眼を向けた。

 

奥まった席に、背中の下半分と下着をジ−ンズからのぞかせた若い女の子が座っている。

彼女の金茶に染めた髪の向こうに 見慣れたセピアの髪がちらりと見えた。

 

  − ・・・ ジョ− ・・・

 

フランソワ−ズは なぜかその場を動くことが出来なかった。

足が 床張り付いている。

ジョ−は 目立たなように深くCAPを被り、ジ−ンズにTシャツ、パ−カ−を引っ掛けた

ごく普通の格好をしているのだが・・・・

 

「 え〜モデルさんじゃないんですかぁ? ウソウソォ♪ 」

「 ・・・・・・・・ 」

「 い〜じゃない、そんなの。 ねぇ、アタシってぇ、ヒルズ、初めてなんですぅ。

 も〜全然わかんなくってぇ。 案内してくれませんかぁ〜 」

「 ・・・・・・・ 」

 

ジョ−の声は ほとんど聞こえない。

ごく低い声で最小限の受け答えをしているのだろう。

彼は この種の扱いをとても迷惑がっているのが誰の目にも明らかだ。

フランソワ−ズには 彼の気持ちがはっきりと察しられた。

 

 ・・・・ でも ・・・・

 

「 ・・・お客様? お待ち合わせですか。 」

ちかくのカウンタ−から マスタ−と思しき中年の紳士がひっそりと声をかけてくれた。

その声で フランソワ−ズはやっと身体を動かすことができた。

「 ・・・あ、ごめんなさい。 お店、間違えたみたいです。 ごめんなさい・・・・ 」

「 そうですか・・・ 今度、また是非いらしてください。 」

「 ・・・ はい。 ごめんなさい ・・・ 」

マスタ−の穏やかな笑顔がわけもなく心に沁みて・・・

フランソワ−ズは俯いたまま、そっとそのカフェから出て行った。

 

 ポト ・・・・ 足元に水玉模様が散った。

 

・・・ヤダ・・・

なんで泣くのよ。 ううん・・・勝手に涙が落ちただけ。

ジョ−がわたしを待っててくれるのもわかってる。 

彼の回りにはいつも、自然とあの種の女の子が集まるのもわかってる。

なんでもないんだ、しょうがないんだ・・・って、わかってる。

・・・でも。

なぜか、今日は、今は素直になれなくて。 ・・・そしてそんな自分がとてもイヤで。

 

フランソワ−ズは店を出ると大通りに足を向けた。

人通りの激しい舗道から街路樹の陰にそっと身を避けると彼女は携帯を取り出した。

 

< ごめんなさい。急用で ・・・ カフェには行けなくなりました >

 

送信ボタンを押す指先がすこし・・・震えていた。

 

 

 

 

「 その手を離せ。 」

ビン・・・と、ジョ−の声が響いた。

 

「 ・・・・・! ・・・ 」

たった今まで薄ら笑いを浮かべ野卑な言葉を口々に投げつけていた男達が突如口をつぐんだ。

「 ・・・聞こえないのか。 離せ。 」

「 ! ・・・ 」

ジョ−はほんの少しだけCAPを上げ、周囲の男達に視線を投げた。

不意にその場の空気が凍りついた。

 

・・ ジャリ・・・ 

 

わぁっ・・・・

 

彼が半歩踏み出したのを合図にしたかのように 男どもは後ろも見ずに退散していった。

フランソワ−ズは、ジョ−にむかって突き飛ばされ思わず踏鞴を踏んだ。

 

「 ・・・ ほら。 着ろよ。 」

ばさり、とジョ−は自分のパ−カ−をフランソワ−ズの肩に掛けた。

「 ・・・ ん ・・・ 」

「 さ、帰ろう。 」

「 ・・・ ん ・・・ 」

半分引き千切れたキャミソ−ルをおさえ、ロ−ライズのパンツを引っ張り上げ・・・

フランソワ−ズはぶかぶかのパ−カ−をしっかりと羽織った。

 

「 ・・・・? 」

パ−カ−を着たのを見届けると、ジョ−はフランソワ−ズの腕をしっかりつかみ

ずんずんと歩き始めた。

 

「 ・・・ ジョ− ・・・? 」

 

「 ・・・ なんだって そんな・・・! 」

人通りが多い場所まで来たとき、ジョ−はやっとフランソワ−ズの腕を離した。

それでもしっかりと寄り添ったまま、ぼそり、と口を切った。

「 ・・・ え ・・・ 」

「 そういう格好して・・・ あの近辺の路地をうろうろしてれば

 どうなるか。 わかっているはずだよね? 」

「 ・・・・・・ 」

「 急用って言うから・・・ 練習が延びたのかなと思ってた。

 もう少しで帰るところだったんだ。 ・・・そしたらいくら脳波通信しても間に合わない。

 街中で加速装置は使えないだろ。 」

「 ・・・ ごめんなさい ・・・ 」

「 だから、どうして。 」

「 ・・・ ああいう格好すれば その・・・男のヒトを誘惑できるかなって・・・ 」

「 はぁ??? 」

ジョ−は思わず声をあげ立ち止まった。

人波が急に止まった二人に かるくぶつかったり迷惑気な視線をとばし通り過ぎてゆく。

「 ・・・おい、こっちへ・・・ 」

再びフランソワ−ズの腕をつかむと、ジョ−は歩道の隅に引っ張っていった。

 

「 誘惑って ・・・ どういうことさ。 」

「 ・・・ ジョ−の側にもいたわ。 あのカフェで・・・

 わたし ・・・ 王子を誘惑する気持ちって ・・・ 

 どうやったら表現できるかわからなくて それで・・・ 」

「 ??? 王子 ?? 」

ジョ−はフランソワ−ズの切れ切れの言葉に それこそ眼を白黒させている。

「 ・・・そうよ。 黒鳥は 王子を・・・ ヒトの恋人を誘惑するの。 」

「 こくちょう?? ・・・・あ、ああ! きみの ・・・ 舞台のハナシか! 」

「 そうよ! 舞台のハナシか、じゃないわ。 わたしの大切な<仕事>なのよ! 」

「 ごめん・・・ でもどうして? え・・・きみ、カフェに来たのか。 」

「 ええ。 ジョ−の前に座ってた女の子・・・ あんな風にしたら黒鳥の気持ち、わかるかなって。

 わたし・・・ どうやったらわたし自身の黒鳥が表現できるか・・・全然わからなくて・・・ 

 それで ・・・ だから ・・・ 」

「 ・・・ それで そんな格好してみたってわけ? 

 あのテのギャルはちょっと目立つ男ならなんだっていいのさ。 ゲ−ム感覚なんだろ。

 きみは ・・・ そういうつもりだったわけじゃないだろう? 」

「 ・・・・・・・ 」

ジョ−の苦い笑みを含んだ視線に フランソワ−ズは耳まで真っ赤になって俯いた。

きゅっと掻き合せたパ−カ−の下で下着みたいなキャミソ−ルがとても恥ずかしかった。

 

「 ・・・ バッカだなぁ 」

「 どうせ ・・・ バカですよ、・・・だってわたし。 どうしたらいいか ・・・ うっく ・・・ 」

必死でこらえていた涙の堰は一旦崩壊すると後は ・・・ 止め処なくあふれ出てしまった。

 

「 あれ・・・ ちょ、ちょっと・・・ こんなトコで泣くなよ〜 ・・・ あ〜あ・・・ 」

「 ・・・ だって ・・・・ 」

「 ・・・・・・ 」

ジョ−は声を上げて泣き出したフランソワ−ズをそっと胸に抱き寄せた。

バッカだなぁ ・・・ そんなちいさな呟きを繰り返しながら・・・。

 

 

 

「 あ〜。 やっぱりこっちは気持ちいいね。 空気が全然ちがうよ。 」

「 ・・・ ウン。 」

ジョ−はう〜んと伸びをすると 足元の小石をひろってひゅん・・・っと海原に投げた。

「 ふう・・・ ああ、やっと晴れたね。 ほら・・・ 星が綺麗だ。 」

「 ・・・ ウン。 」

ざん、と砂浜に腰を下ろしジョ−はほとんど寝転がるくらいになって夜空を仰いだ。

その隣に フランソワ−ズはのろのろと座り、膝を抱えた。

 

路上で泣き出した彼女を まさかタクシ−に押し込めるわけにもゆかず・・・

( それじゃ 拉致・誘拐である! )

ジョ−は彼女が泣き止むのを辛抱強く待った。

通行人の冷やかしや好奇の視線は ・・・ この際、徹底的に<見ないフリ>を決め込んだ。

 

そして。

 

おそい初夏の夜がとっぷりと暮れるころ、二人は電車を乗り継いで

ようやく 地元の海岸まで帰ってきたのだ。

 

「 ・・・ ねえ、CAP返して? もういいだろ? 」

「 ・・・ やだ。 」

「 え〜 ・・・ ソレってぼくのお気に入りなんだけどな〜 」

「 ・・・ こんな顔、ジョ−に見られたくないの。 ぐしゃぐしゃだもの・・・ 」

フランソワ−ズは慌てて もっと目深にジョ−のCAPを被りなおした。

 

ふふふ ・・・ ジョ−が低く笑った。

・・・ ふふ ・・・ フランソワ−ズが ようやく小さく笑った。

 

 

  − ねえ。

 

  − なに。

 

  − ・・・ねえ、聞いて。 ジョ−・・・

 

  − うん。

 

 

あの、ね。

黒鳥だって ・・・ 王子のこと、好きだったのよね。

ほんとうはオデットの真似なんかしないで <これが あたし>って

それで ・・・ 王子の気を引きたかったかもしれないわ。

 

わたし。

・・・ そうよ、わたしだって 白鳥が、オデットが踊りたかったの!

ユリエに嫉妬するわ。

 

わたし。

・・・ あなたが微笑みかけるすべての女性が

あなたに微笑んでくるすべての女性を

・・・ 憎むわ!  わたし・・・・。

あなたが心引かれる全ての女性から あなたのこころを奪いかえしたい。

そんな ・・・ ひどい気持ちを飲み込んで、知らんフリして

笑っているのに ・・・ 疲れたわ。

 

 

一息にしゃべり通すと フランソワ−ズはまた膝を抱いて俯いてしまった。

ジョ−はどさ・・・っと完全に砂浜に仰向けに寝転がった。

 

 

・・・笑わなくてもいいよ。

 

・・・え ・・・?

 

無理に笑っていることなんか ないさ。

怒りたければ 怒っていいし・・・

その ・・・ 泣きたいときには 泣けばいいんだ。

さっきみたいにさ。

ぼくがいるよ。 泣きたければ ・・・ ぼくの ・・・ ぼくのトコで泣きなよ・・・

 

でも ・・・ そんな弱虫なコ、嫌いでしょう?

 

ねえ? 気がついてる? う〜ん、多分全然気がついてないよね。

きみって 弱虫なんかじゃない。

回りのニンゲンも、そうだけど、きみ自身もきみの見かけに騙されてる。

優しくて・・・そのう ・・・ちょっとの事でもくた〜ってなっちゃいそう、に見えるかな。

でも。

中味は。 きみの、本当のフランソワ−ズは とても強い。

もしかしたら ぼくなんかよりもずっと、ね。

 

ぼくは。 

ぼくは ・・・ いつもきみの側にいて きみが最高に輝ける存在であり続けることを

サポ−トしたいんだ。

そう・・・ ちょうど戦場できみがぼく達をその 眼と耳 でサポ−トしてくれるのと同じだよ。

 

わたし ・・・ いつも足手纏いじゃないの?

 

そうじゃないって! でも・・・たとえきみがどんな状況に陥っても

ぼくはずっときみを応援して支えてゆきたい。

・・・そのぅ ・・・ あの、さ。 人生の戦場でも・・・・ね。

 

 ・・・ ジョ− ・・・・

 

 

ジョ−は 腕を伸ばしてフランソワ−ズから自分のCAPを取り戻した。

そして そのまま ・・・ 彼女自身を抱き寄せた。

 

 

満天の夜空には 星々の河が大きく華麗に流れていた。

夏も もう眼の前である。

 

 

 

 

 

盛大な拍手に送られて スペインの踊り を踊ったダンサ−が袖に戻ってきた。

「 えり先生、お疲れ様です。 」

「 ・・・ ふう〜〜  ・・・ フランソワ−ズ・・・ふふふ♪ あなたの黒鳥楽しみにしているわ。 」

「 はい。 わたし、負けませんよ。 」

「 期待してるネ。 」

「 はい。  ・・・ 出ます。 」

 

 

前奏が始まった。

黒鳥は王子と舞台上で挨拶をかわす。

 

ピルエット・アンディオ−ルから アチチュ−ドでのポ−ズがぴたり、と決まる。

 

 さあ、王子様?  わたしはオディ−ル、悪魔の娘。 

 あなたのオデット姫じゃありません。 ・・・でも、わたしだってこんなに魅力的なのよ?

 どうぞ、しっかりわたしを見てくださいな。

 

いつの日か。 きっと。

白鳥を踊りたい。 わたしの、わたしだけの白鳥を・・・ 

どんな試練にも負けない、わたしのオデット姫を!

そうして それを ジョ−、あなたに見て欲しいの・・・!

 

 

  フランソワ−ズ・アルヌ−ルの 黒鳥 が魅惑の踊りを舞い始める。

 

 

 

*****   Fin.   *****

Last updated:   07,11,2006.                     back     /     index

 

 

 

***   ひと言   ***

前半に比べジョ−君、急にオトナっぽくなってしまったかも・・・(汗)

実際の 『白鳥の湖』  は長ったらしくて退屈ですが( 見るのも踊るのも・・・)

こんな妄想を浮かべて頂ければ 楽しめるかもしれません(^_^;)

 

この素晴しい 華麗 にこのSSを捧げます。 ( クリック・プリ−ズ♪ )