『   帰還   ― (2) ―   』


 〜 part 2  星の恋人たち 〜

 

 

 

 

 

 

   ビ −−−  ビ −−− !  ビ −−−−− !! 

 

エマージェンシー・コールが鳴りっ放しだ。

艦内の照明もすべて非常用のものに切り替わった。

その赤い光の下で ジョーとフランソワーズは必死にコンソール盤を操作していた。

タイム・リミットが迫っている ・・・!

努めて表情を殺しているつもりなのだが 二人の顔はどんどん険しくなってゆく。

 

   カタ・・・ン ・・・

 

ジョーが 操縦席から立ち上がった。

「 ?? ジョー?? 」

「 だめだ。  この船は制御不能だ。 」

「 制御不能・・・って ・・・ そんな。 それじゃ この船は・・・ 」

「 ああ。 このまま大気圏に突入する。

 最後に突入角度を操作すれば ― 地球に迷惑はかからない。 」

「 ジョー!  それって・・・ 」

「 そうだ。 他に影響を及ぼすことなく。  このファルコン号だけが消滅する。 」

「 ― 消滅 ・・・! 」

「 うん。 跡形もなく 流れ星になって大気圏で燃え尽きる。

 いま ぼく達のできることはそれだけだ。 」

「 ・・・ そう。 わかったわ。 ジョー、最後の点検をしましょう。 」

フランソワーズもコンソール盤の前から立ち上がった。

さっと髪を肩から後ろに払い 彼女は彼女の夫に微笑みかけた。

「 わたし達の最後の仕事は 完璧じゃなくちゃ。 ね? 」

「 ・・・ フラン ・・・ きみってひとは・・・!

 ああ、その通りだ。

 しかし、きみには別のミッションがある。 」

「 別の ・・・? 」

「 そうだ。 これはきみにしか出来ない。  ― 子供たちを脱出させろ。 

 そして きみも行くんだ、 いいね。 」

「 ジョー?!?  イヤよ、そんな。 わたしはあなたと一緒にこの船に残るわ! 」

「 だめだ。 」

「 どうして!?  わたし・・・ あなたの妻よ!?  最後まで一緒・・・って誓ったじゃない!

 子供たちは ・・・もう赤ちゃんじゃないし。 地上には博士も仲間達もいるわ。 

 あの子たちは ・・・ 大丈夫よ・・・ 」

ほんの一瞬 彼女は言葉を途切らせ 俯いたが、すぐにきっぱりと続けた。

「 わたしもファルコンに残ります、 009。 」

「 フランソワーズ。  頼む。  

 ぼくの子供たちに ぼくのような思いをさせないでくれ。 」

「 ・・・ ジョー ・・・! 

ジョーは 静かに彼女の手を取った。

「 フランソワーズ。  子供たちを 頼む。 」

「 ・・・ ジョー ・・・! 

ジョーのひと言ひと言が そして 彼の眼差しが ぎりぎりとフランソワーズの胸に食い込む。

必死の、しかし 澄み切ったセピアの瞳が強く輝き寸分の狂いもなく碧い瞳を見つめている。

フランソワーズは歯を食い縛り、その光を受け止めた。

「 ―  わかりました。 」

「 ありがとう・・・! 

 急げ!  時間がない。 二人とも脱出カプセルの中で眠っているはずだ、

 君が搭乗したらすぐに発射する。  」

「 ・・・ ちょっと待って。 ジョー! 来て! 」

「 なんだ・・・おい? 」

フランソワーズは ジョーの腕を引っ張り カプセルの入り口に駆け寄った。

「 ・・・ すぴか! すばる! 起きなさい!!  起きなさいッ ! 」

「 おい・・・ フラン ・・・ なにをするんだ ?」

母はぐっすり眠っている子供達を揺すり起こした。

「 ・・・ う ・・・ん ・・・ あれ・・・ お母さん ・・・? 」

「 う・・・ ねむい・・・よ〜〜  僕ぅ・・・ 」

子供たちは なんとか目を開けたが

一人はきょろきょろ辺りをみまわし、もう一人はぼう・・・っとしている。

「 すぴか。 すばる。 こっち、見て。 二人とも・・・

 お父さんのお顔をようく・・・覚えておきなさい! いいわね!! 」

「 ・・・ フランソワーズ・・・! 」

「 さあ! あなた達のお父さんをしっかり覚えておくの!  すぴか すばる! 」

「 ・・・・! 」

ジョーは 黙って腕を伸ばし すぴかを すばるを しっかりとその胸に抱いた。

「 ・・・ すぴか・・・ すばる ・・・! 」

「「 ・・・ お父さん・・・ 」」

「 ジョー。  ・・・・ ありがとう ・・・ いつまでも愛しているわ いつまでも ・・・よ 」

「 フランソワーズ。 ぼくもだ。 永遠に愛しているよ、ぼくの恋人。 」

ジョーとフランソワーズは 子供たちの目の前でしっかりと抱き合い熱く熱く口付けを交わす。

 

   ビ −!  ビビ ・・・!!! ビビビビ !!!

 

コールの間隔がどんどん短くなってきた。

ジョーは フランソワーズを離した。  二人はもう一度、かっきり見つめあう。

「 ・・・ お願い。 もう一度、声を聞かせて。 」

うん・・・ ジョーは頷いた。

 

「 ―  フランソワーズ。  」

「 あとは   任せて。 」

 

それで充分だ   ―  多くの言葉は要らなかった。

永遠の恋人たちは 最後の一瞥を交わし淡々とそれぞれの任務に付いた。

ジョーは カプセルを分離し  フランソワーズは 子供たちをしっかりと抱き締めファルコン号を見送る。

 

      夜空を華麗に染めて  星がひとつ  流れてゆく  ・・・

 

      ジョー −−−−−−−・・・・・!!!

 

彼女は心の中で 絶叫した。

 

 

 

 

 

 

「 ・・・   ジョー −−−− ・・・・ あ  ・・・・? 」

自分自身の声で 目が覚めた。  細く悲鳴をあげていたらしい・・・

冷たい汗が全身に纏わりついている。 

目の前には ― 見慣れた天井が映り 手にはすべすべしたリネンの感触があった。

そう・・・・っと隣に伸ばした手は 脱ぎ捨てたパジャマに触れただけだ。

ジョーはもう起き出しているらしい。

 

     あ ・・・ 夢・・・・?

 

フランソワーズは自分のベッドに横たわっていた・・・

カーテンの間から 細く日の光がもれ、聞きなれた波の音が微かに伝わってっくる。

いつもと同じ 穏やかで静かな朝だ。

 

    ・・・ あれは ・・・ 夢、だったの・・・・

 

気がつけば。 顔中が涙でべたべたになっていた。

 

 

 

昨夜 ジョーとすぴかと一緒に星空を眺めた。

屋根裏部屋から 天窓をつたい邸の屋根に出た。  

頭上に広がる満天の星空は さすがに圧巻で3人でしばし感動し、見入っていた。

「 ・・・ やっぱり すごいね。  」

「 ええ ・・・ きれい ・・・! 

フランソワーズは あまり乗り気ではなかったが、降るような星たちの煌きにたちまち誘いこまれた。

「 すご〜〜い! ・・・ あ、 もうすぐ たいきけんとつにゅう でしょ、お父さん。

 すばるが言ってた時間だよ。 」

両親の足元からすぴかの声がひびく。 彼女も興奮しているらしい。

「 ああ ・・・そうだね。 でも 日本からは見えないんだ。

 オーストラリアの上空に突入予定だからね。 」

「 ふうん ・・・ でも さ。 やっぱ この空なんだよね、同じ空だよね〜 お父さん。 

 この空のさ う〜〜〜んと向こうだけど。 はやぶさは地球に帰ってくるんだよね。 」

「 うん そうだよ。  凄いよなあ・・・ 」

「 うん。 」

すぴかは ひょいと立ち上がり天上に向かって両手を上げた。

「 お・・・おい !  すぴか、危ないよ! 」

ジョーは 慌てて手を伸ばし娘のパーカーの裾をぐ・・・っと掴んだ。

「  ・・・ お〜〜かえり〜〜〜!!! おかえりなさ〜〜〜〜い !! 」

すぴかはそのまま ぶんぶん両手をふりつつ声を張り上げる。

甲高い少女の声が するすると星空に吸い込まれてゆく・・・

 

「 ・・・ きこえたかな。  きこえたよね、お父さん。 」

「 ああ。  ただいま〜〜って。 彼はそう言ってたよ ・・・ 」

「 うん。 そ だよね。 」

「 ・・・ ん? ・・・ フラン ・・・ 寒いのかい? 」

ふと 気がつけば。  ジョーのポロシャツに細い指が絡まっている。

その手は ・・・ ぞっとするほど冷え切っていた。

「 フラン・・・? フランソワーズ!?  おい、どうした?  」

「 お母さん・・・・?  どうしたの、お母さんっ お母さん〜〜 ! 」

フランソワーズは身を硬くし ジョーに縋りついていた。  

そして ・・・ 大きく目を見開き一点をじっと見つめている。

「 フラン・・・! しっかりしろ。 おい・・・! 気分が悪いのかい? 」

ジョーはかるくぴたぴたと彼女の頬を叩く。

「 ・・・ あ ・・・ 」

ゆらり、と彼女の身体が大きく揺れやっと硬直がほぐれた。

「 ん・・・? どうしたんだい。 こんなに冷たい手をして ・・・ 」

ジョーはやんわりと彼女の手を握った。

「 あ  のね ・・・ 見えた ・・・の。  ううん ・・・ 見えた ような気がしただけかもしれない・・・

 大きな 大きな星が ・・・ 炎の鳥になって。  

 広い夜空を横切って ・・・  燃え尽きていったわ ・・・」

「 きみ・・・見えたのかい?  」

「 ・・・わからない。  多分 ・・・ 感じただけだと思うけど ・・・ 」

「 そうか。  うん  きっと。 あの探査機はそんな風な流れ星になったんだよ。 」

「 お母さん! 大丈夫・・・? ねえ 冷たいよ? お手々も お顔も・・・!

 寒いの?  お風邪、ひいちゃうよ! 」

すぴかは母の側ににじりよると きゅう・・・っと抱きついた。

「 ほら・・・ アタシ、あったかいでしょう? お母さん・・・ 」

「 ・・・ すぴか・・・ ありがとう・・・・ ええ ええ・・・とっても温かいわ。 」

「 さ もう戻ろう。  それで皆でなにか温かいものでも飲もうよ。

 初夏だと思って油断したけど・・・ まだ夜遅くなると空気は冷たいな。

 ほら これ着てろ。 」

ジョーはポロシャツを脱ごうとした。

「 ・・・ 大丈夫よ、ジョー。  すぴかが暖めてくれたから。 ね、すぴか・・・ 」

「 うん!  ・・・ お母さん ・・・ 大丈夫? 立てる? 」

「 ・・・ ええ ・・・ 大丈夫よ。 びっくりさせてごめんなさいね ・・・ 」

フランソワーズは夜目にも蒼白な顔をしていたが 微笑んで娘にキスをした。

 

   そう ― それだけのことなのだ。

 

昨夜は屋根の上で親子で星見物をし。 

夜半に息子を迎にきたわたなべ氏に 沈没しかけた・だいち君を 渡し。

これも 眠くてぐらぐらしている双子を ベッドに入れて。

ジョーと一緒に カモミール・ティを飲んでから眠ったのだ ・・・

彼の胸は ― いつもと変わらず温かかった。

それなのに・・・

 

      なぜ・・・ なぜなの・・・   あんな・・・ 夢・・・!

 

 

耳朶の奥には まだけたたましいコールの音が響いている。

目をつぶれば 非常灯の下で必死にコンソール盤を操作するジョーの姿が見える。

そして  目をどんなにきつく閉じても  両手で耳を固く覆っても ― 

フランソワーズの脳裏に浮かぶ映像が消えない。

夜空を切り裂いて 一筋の光が一際激しく燃え上がり そして 散って行くのだ

 

     ― あれは。 探査機なんかじゃない。

     そうよ。 わたし、知っているわ。

     ・・・ あれは   あの時の。  

 

     あの ・・・ 流れ星 ・・・!

 

 

     どうして   ・・・ また あのシーンを見なくてはいけないの・・・!

     ・・・ どうして ・・・  どうして ・・・!

 

 

静かなベッド・ルームに低い嗚咽がいつまでも響いていた。

 

 

 

 

「 博士。  緊急のメンテナンス、お願いできますか。 」

「 ジョー ・・・ 彼女にどこも不具合は ない。 」

「 それじゃ・・・どうして熱が下がらないんですか?  もう丸二日ですよ!  」

ジョーは真剣な顔で博士に詰め寄っている。

 

 

 

  皆で星を眺めた 翌朝 ― 

フランソワーズはいつもと同じ時間に起き出して朝食を作っていた。

ジョーは庭から戻って来て、ちょっと驚いた様子だ。

「 フラン!  寝てろよ。  具合・・・悪いんだろう? 」

彼女のあまりにひどい顔色に、ジョーは心配を通り越し怒った。

腕を掴み、ベッド・ルームに引っ張ってゆこうとした。

「 大丈夫・・・ ちょっと・・・風邪っぽいだけ。 

 子供たちを送りだしたら 休むから。 ほらほら・・ ジョー、あなたも朝御飯早く食べて。 遅刻するわよ。 」

「 う うん ・・・ じゃ、博士にお願いしておくから。

 ちゃんと診ていただくんだぞ。  」

「 本当に大丈夫よ。 昨夜 やっぱり冷えてしまったみたい。

 屋根の上って あんなに寒いって知らなかったわ。 ジョー、今朝は早起きだったのね。 」

フランソワーズはエプロンを着け、いつもと同じにキッチンとリビングをでぱたぱた行き来している。

「 ああ。 すばる達の小屋を一応点検してきたからね。

 フラン・・・ きみ、本当に大丈夫なのかい。 」

「 平気よ、心配しないで。  あら、子供たちを起こさなくちゃ・・・ 」

「 ぼくが起こしてくる。 きみはなるべく静かにしていろよ。 」

「 そう? それじゃお願いするわ。 」

 

    ― バン・・・!

 

リビングのドアが勢いよく開き ・・・

ジョーが立ち上がるより前に 元気な足音が二組、駆け込んできた。

「 おはよ〜〜 !!  お母さんっ! もう大丈夫?? 」

「 おはよ・・・ ふぁ〜〜〜 ねむい〜〜 」

「 おはよう  すぴか すばる。  今朝は早起きさんね。 」

「 うん!  お早う〜〜お父さん。  」

「 おふぁひょう・・・・ ふぁ〜〜〜・・・ 」

「 あらら・・・すばる! ちゃんとお顔を洗ってきたの? 」

「 ・・・ うん ・・・・ 」

「 二人とも御飯、出来てますよ。   ・・・ あら、なあに、すぴか。 」

すぴかはフランソワーズの側に寄って来てぴた・・・・っと抱きついた。

「 お母さん ・・・ もう、寒くない? 」

「 ・・・ すぴか・・・  ええ ええ。 もう平気よ。 だから早く朝御飯を食べなさいね。 」

「 ウン ・・・ でも・・・ お母さん、まだお手々が つめたいよ。 」

「 え?  そう・・・? ああ きっと洗い物をしてたからよ。  ほら・・・ミルク。 」

「 うん ・・・ 」

すぴかはじ〜〜っと母の顔を見ていたけれど ぱっと食卓に付いた。

「 すばる〜〜 !! ほら 早く食べなよ!! 」

「 ・・う ・・ うん ふぁ〜〜〜 」

「 すばる、ミルクこぼすわよ・・・  ジョー? お弁当はここに置くわね。 」

「 ああ ありがとう。  フラン ・・・ 無理するな。 」

「 あら 無理なんかしてませんってば。 ほらほら あなた達、あんまりのんびりしている時間はないのよ。」

「 うん! すばる〜〜 行くよ! 」

「 ・・・ う うん ・・・ ちょっと待って・・・ 」

すばるはようやく朝御飯を食べ終わると TVのリモコンを弄っている。

「 あら 何か見るの? 」

「 ウン ・・・ニュース ・・・  あ! やっぱり !! お父さん、昨夜の ・・・ はやぶさだよ! 」

「 うん?  ああ 本当だ。 」

「 ・・・ うわ〜〜〜・・・・・  」

「 なに??  あ ・・・ すご・・・・・ 」

すぴかも玄関から駆け戻り その映像に見入っていた。

昨夜 南半球の空で流れ星となった探査機の 華麗なラスト・ショーの模様が流れていた。

ジョーも 子供たちと一緒になり画面を見ていたが そっと細君の様子を目の端に入れていた。

フランソワーズは すぴかの後ろから一緒にTVを見ていた。

 

     ああ ・・・ 大丈夫みたいだな・・・

     やっぱり昨夜は 少し冷えたし・・・あの星空に圧倒されただけだったんだ

     

ジョーは少しほっとし、TVの解説に耳を傾けつつ出かける用意をした。

「 いってらっしゃい・・・ クルマに気をつけてね! 」

「 いってらっしゃい ジョー・・・ 」

いつもと変わらぬ笑顔 で。 子供たちを 夫を 彼女は送り出した。

  いつもの朝だ ・・・ 家族は皆 当たり前に思っていた。

今日も明日もずっとずっと いつもの朝 が続くに決まっている・・・

 

 

    だけど ―

 

 

 

「 ただいま!  すぴか ! すばる〜〜 」

ジョーは玄関を開けるなり 声を張り上げて子供たちを呼んだ。

「 お父さん おかえりなさいっ ! あのね あのね  」

「 お母さんが あのね! 」 

リビングのドアから 子供たちが転がり出てきた。

「 お母さんは?  ベッド・ルームかい。 」

ジョーは両腕に縋りつく子供たちに聞くのだが 二人が一緒に喚くのでよく聞き取れない。

「 ― ジョー。  お帰り。 彼女は大丈夫じゃ、安心しなさい。 」

のっそりと博士が 双子を追って現れた。

「 博士!  本当ですか!  ・・・ ああ よかった・・・ 」

「 なに、ちょいと疲れたのじゃろうな。  いつも元気なお母さんが 寝込んでいたので

 チビさん達はびっくりしてしまったのさ。  なあ ・・・ すぴか に すばるや。 」

「 うん! おじいちゃま! 」

「 だってね だってね お母さんってばね・・・ 」

双子はまた一緒に喚きだす。 ジョーは二人の頭をぽんぽん・・・と軽く叩いてやる。

「 あ ・・ そうなんですか・・・

 いや ・・・ いきなりすぴかからメールが来て。 ちょっと焦っちゃいました。 」

「 うん、うん・・・ 先ほどな、鎮静剤を服用させて・・・ 今は眠っておるから。

 静かにしておいてやってくれ。 」

「 はい。 ありがとうございます・・・  

 お前たちも 今晩は し −−− な?  ああ すぴか、メール、ありがとう! 」

「 お父さん ・・・ アタシ ・・・帰ってきたらお家中がしーーーんとしてて・・・

 お母さん、どこにもいなかったんだ ・・・ キッチンにもお庭にも! 」

「 うん うん ・・・ それでお部屋に行ってみたんだろ。 」

ジョーは娘の亜麻色の髪をやさしく撫でた。  

 

    ああ ・・・ この手触り ・・・

    フランの髪と 同じ ・・・

 

「 うん。 すばるも図書館から帰ってきたから ・・・ 一緒にお父さん達のお部屋に行って見たの。

 そしたら ・・・ 」

くしゃ・・・とすぴかの顔がゆがんだ。

いつもしっかり者でちょびっと意地っぱり、弟と喧嘩したって転んだって泣いたこともないすぴかの目から

ぽろぽろ・・・・ 大粒の涙が転げ落ちる。

「 ・・・ お母さん ・・・ お母さん、 起きないんだ・・・・

 ベッドで丸くなってて・・・ 僕とすぴかが お母さん って呼んでも 起きない・・・ 」

くぅ ・・・・  それまでじっと黙っていた弟が ついに泣き出した。

「 お父さんのかいしゃに メールはだめ・・・ってお母さん、言うけど。

 でも ・・・ でも すぴか・・・ 

「 ああ ウン・・・そうか、心配したんだね、二人とも・・・ 

 知らせてくれて ありがとうな。  お父さん、 大急ぎで帰ってこれたよ。

 でも もう大丈夫だよ、 おじいちゃまがちゃんとお薬を飲ませてくださったから。 」

「 二人とも・・・ お母さんはな ちょっと疲れてしまったのじゃよ。

 ゆっくり眠れば ・・・ 明日にはまた元気になる。  安心していなさい。 」

博士は ゆっくりすばるの背をなで すぴかのほほに触れた。

「 お父さんも帰ってきたことじゃし。 もう安心じゃよ・・・・ なあ? 」

「 うん ・・・ おじいちゃま ・・・ 」

「 ・・・ うっく ・・・ ひっく ・・・・ 」

「 すばる〜〜 ほら、泣くな。  ちょっと お母さんの様子を見て来るから。

 そしたら 皆で晩御飯、つくろう。 今晩のメニュウ、考えておいてくれる? 」

子供たちは涙でいっぱいの目で・・・でもちょっとだけ笑って頷いた。

ジョーはもう一回 娘と息子のアタマをくるり、と撫でると寝室に向かった。

 

 

 

 

「 ・・・ ちょっとだけ。  ちょっとだけ 休ませて・・・ 」

フランソワーズは 誰にともなく言ってベッドに横になった。 

いや ― 倒れこんだ、と言ったほうがいい。

子供たちと良人を送り出し、 キッチンをざっと片付け ― それで精一杯だった。

のろのろと這うように寝室まで戻ってきた  そして。

 

    ああ ・・・ 冷たくて気持ちいいわ ・・・

 

清潔なリネン類の感触に ほんの少しほっとした思いだったけれど

枕にアタマを着けると たちまち彼女は眠りの底に落ちていった。

それは 意識を失うこととほとんど変わりはないほどだった。

 

    お願い ・・・ 眠らせて ・・・

    ・・・ 忘れたいの ・・・ みんな みんな ・・・

    忘れてしまいたい・・・

 

    もう  見たくないの  感じたくない・・・

    ・・・ 思い出したく ないのよ・・・

 

エプロンも取らず、腕まくりをしたまま。  フランソワーズは昏々と眠り続けた。

 

 

 

「 ・・・ フラン ・・・? 入るよ ・・・ 」

ジョーは形ばかりのノックをし、ほとんど呟きに近い声で寝室のドアを開けた。

レースのカーテンが引かれ 落ち着いた空気が満ちている。

その中から規則正しい寝息が 微かに聞こえていた。

「 ・・・ ああ ・・・ よく寝ているんだね・・・ 」

ジョーはほっと胸をなでおろし ゆっくりとベッドに近づいた。

 

「 ・・・ なあ 着替えるかい? そのままじゃあ 寝苦しいだろう・・・ 」

博士が外してくれたのだろう、エプロンだけがベッド・サイドに畳んでおいてある。

フランソワーズは 普段の服のまま眠っている。

「 え〜と・・・ きみのネグリジェは ・・・ え・・・どこの引き出しだっけ?? 」

ジョーはしばらくチェストの引き出しを開けたり閉めたりしていたが

やがて やっと目的のものをみつけひっぱりだした。

「 ・・・ あ ・・・ これで ・・・ いいのかなあ 

 ちょっとごめんね。 ・・・ あは、後から怒られるな きっと・・・ 

ジョーはベッドに腰をかけると 彼の妻の半身をそっと抱き起こそうとした。

「 ・・・ そら、ちょっとだけ・・・ガマンしてくれよな・・・ 

 

     ・・・・ あ ・・・ れ ・・・?

 

一瞬。  彼の手が 止まった。

熱が高い、と博士は言っていた。 そういえば今朝、風邪っぽい、と本人も言っていた。

彼女は風邪を引くと 高熱を出すのは例年のことだ。

当然、今日も熱に汗ばんでいるにちがいない・・・ タオルを用意しなくちゃ・・とも思っていた。

  ― それなのに。

 

     ・・・・ つめたい ・・・・!

 

彼女の手は 身体は。  そして 額は。  ぞっとするほど冷え切っていた。

 

「 !?!? フランっ! フランソワーズッ !!! おい! 」

ジョーは彼女をしっかりと抱き締めたまま、大声でその名を呼んでいた。

 

 

 

翌朝。  母の笑顔はキッチンにはなかった。

「 ・・・ お父さん ・・・ 」

「 ・・・ うっく ・・・ 」

張り切って起きてきた子供たちはたちまち 涙ぐんでしまった。

「 ・・・ お母さん ・・・朝ごはん なのに ・・・ 」

「 お母さん 元気になってるって 言ったのに ・・・ 」

「 ほらほら お前たち。 そんな顔しない。 もう一回 お顔を洗っておいで。

 朝御飯はお父さんが作るからな。  遅刻しちゃうぞ〜〜 」

「 ・・・ アタシ、 学校、行かない。 お母さんの看病、するんだ。 

 いいでしょう、お父さん。 」

すぴかが ジョーのシャツをぎっちり掴んでいる。

「 すぴか・・・  お母さんは ・・・・ もうちょっと静かにしている方がいいんだって。

 だから すぴかはちゃんと学校に行きなさい。 」

「 ・・・ やだ。  すぴか、静かにしてるから! お母さんの側にいる! 」

「 すぴかがお休みした・・・って知ったら。 お母さん、余計に心配するよ?

 心配したら・・・元気になるのが遅くなる。 」

「 ・・・ お父さん ・・・ 」

「 な? だからお前たちは学校に行きなさい。 」

「 ・・・わかった。  でも! 一等急いで帰ってくるから! 」

「 お父さんもおじいちゃまも ちゃんと居るから。 お前たちはしっかり勉強してきなさい。

 ・・・ あれ、すばるは? 」

「 ?? すばる〜〜 ? 一緒に降りてきたのに・・・ 」

すぴかはジョーと一緒にきょろきょろ辺りを見回している。

「 まだウチにいるよね・・・ ゴハンも食べてないし・・・  あ! キッチンだ! すばる〜  」

「 あ・・・ それならいいんだ。  すばる、今すぐ朝御飯にするぞ。 」

ジョーは娘を追ってキッチンに行った。

「 すばる・・・ 朝御飯   あれ? 何やってるんだい。 」

「 すばる! アンタ・・・なんでじゃがいも、洗ってるの。 」

二人がキッチンに駆け込んだとき すばるはシンクの前でじゃがいもをごしごし洗っていた。

「 すばる・・・ 朝御飯にジャガイモは使わないよ。

 お父さんがやるから ・・・ お前は登校する用意をしなさい。 」

「 すばる!  はやく用意しなよ。 あんた のろまさんなんだからさ〜  」

「 僕 ・・・ お母さんのゴハン、作るんだ。  お母さんの好きなスープ。  

 じゃがいもの冷たいスープ なんだ。 

 これ 飲んだらお母さん きっと元気になるもん。 」

いつもにこにこ・・・気立ての優しい息子が 真剣な顔でジャガイモを洗っている。

「 ・・・ すばる ・・・!  」

ジョーは こみ上げてくる熱い塊を ぐ・・・っと飲み下した。

「 二人とも!  お母さんのことはお父さんに任せろ。 」

 

 

 

 

「 どうもなあ ・・・ よく判らんのだよ。 」

「 ・・・ 博士 ・・・! 」

博士は廊下に出てきて、大きな溜息をついた。

ジョーはイライラと廊下を歩きまわっていたが ドアの音ですっ飛んできた。

「 よく判らない、って どういうことですか! 」

「 じゃから。 よく判らん、のだ。  フランソワーズに不具合な箇所はない。

 サイボーグ部分も生身も、ともに な。 」

「 でも! 彼女は・・・! 」

 

フランソワーズの容態はあまり芳しくはなかった。

寝込んだ翌日には 意識ははっきりしたが熱が急にあがったり、逆に激しい悪寒に苛まれたりしていた。

朝晩はなんとか起きだし、子供たちの前ではいつもどおりに振る舞っていたが、

日中になるとソファに横になっていたり ベッドに戻っていたりすることが多くなっていた。

子供たちが生まれた後もずっと熱心に続けてきたレッスンも 休んでしまっている。

「 大丈夫よ・・・ 」

そそけた頬に淡い微笑みを浮かべ、彼女はそのひと言を繰り返す。

ジョーも 何も言えず・何もできず、手を拱いているばかりだ。

 

「 わかっとる。  ジョー・・・ ヒトは いわゆる身体の健康だけが全てではない。 

 心がな、 心の状態の方が遥かに強く影響するのだよ。 」

「 ・・・ はあ ・・・ 」

「 フランソワーズは ・・・ 心が弱っているのではないかな。 」

「 こころが 弱る・・? 」

「 うむ。 なにかに 囚われている、といってもいい。 

 なにか・・・とても気に病んでいることがあるのではないか。 」

「 ・・・  そんなこと・・・ 」

「 あの子は 思い詰める性質 ( たち ) だからなあ・・・ なんでも抱え込んでしまう・・・

 お前、 なにか心当たりがあるか? 」

「 さあ ・・・ 別になにも言ってなかった・・・と思いますけれど。 」

「 うむ ・・・ 話せ、と無理強いしてもなあ。  それとなく ・・・ 聞いてみろ。

 彼女の心を 縛っていることについて。 」

「 はい、そうします。  ・・・ あの。 いっしょの部屋にもどっても・・・ 大丈夫ですか。 」

ジョーはしばらく別の部屋で寝起きしていた。

「 ああ 構わんが。  ・・・ おい? 大人しくしていろよ? 

 病人相手に・・・悪さ、するんじゃないぞ。 」

「 ・・・ あ  ・・・は はい・・・! 」

すぐにでも彼女の側に突進しそうなジョーに 博士は一本クギをさした。

 

 

 

   なんでもないわ  ちょっと疲れただけ。

 

   気にしていること? ・・・ なにも。  心配かけてごめんなさい。

 

   大丈夫よ・・・  ええ ちゃんと出来るから・・・

 

なにか気掛りなことがあるのか?  心配なことでもあるのか? 

ジョーが何回聞いても 彼女の答えは同じだった。

すこし困った風に微笑んで 大丈夫・・・と小声でフランソワーズは繰りかえす。

そして 口を閉ざしてしまう。

ジョーはそれ以上 追求もできず、彼もまた ・・・黙ってしまうのだ。

「 本当に 大丈夫なのかい、フラン ・・・ 」

「  ・・・ ええ ジョー。 大丈夫よ・・・ 」

いつもその繰り返しで 二人の会話は終ってしまう。

確かに岬の家に  <いつもと同じ>  日々が また戻ってきていた・・・ 表面上は。 

 

 

「 お父さん ・・・ お母さんさ ・・・ 元気? 」

「 うん?  元気だよ。 毎日ちゃんと御飯つくってくれるじゃないか。 」

「 ・・・ うん ・・・ そうなんだけど。 」

すぴかが毎朝 ジョーに聞いてくる。

「 心配するな、すぴか。  すばるは? また秘密基地 かい。 」

「 うん。 アイツ、 うちゅうごっこ はあっちでやるんだって。 

 ・・・ お母さんがあんまり好きじゃないみたいだから・・・ 」

「 そうか ・・・ 」

ジョーも すぴかも。 そして すばるも。

 

    なにか ヘンだな 

 

    ・・・ なにか ちがうよね ・・・?

 

    ちがうよ。

 

同じことを感じていたのだが ― 誰も上手く言い表すことができないでいた。

 

 

 

 

 

雨の多い日が続いているが 気温は着実に上がってきている。

人々の気持ちとは無関係に 季節はどんどん進んでゆく。

そろそろ 真夏の用意をしなければならない。

「 すぴか達の夏掛けは ・・・と ?  ・・・ああ、そうだわ、屋根裏に仕舞ったはず・・・ 」

フランソワーズは 二階の突き当たりからまた細い階段を登っていった。

 

    ふう ・・・ この階段 ・・・ こんなに急だったかしら・・・

    脚 ・・・ 重いなあ・・・・

    変ねえ ・・・ ちょっと痩せたかなって思っているのに・・・

 

少し息をはずませつつ  彼女は屋根裏部屋に向かった。

あの日 ― ジョーとすぴかと一緒に 屋根にまで出て星を眺めて以来、ここに来ていない。

日常使う場所ではないし なんとなく避けていた。

 

    ・・・・ 可笑しなフランソワーズ!

    なにを気にしているの。

    ・・・ 本当に 少しヘンよ、あんた・・・

    ただの 屋根裏部屋じゃない?

    そうよ、子供の頃 がらくた置き場だった部屋と同じよ。

 

フランソワーズは ちょっとだけ立ち止まり。 深呼吸をしてから そっとドアをあけた。

「 うわ・・・ 空気が ・・・ ええと・・・・ 換気扇は・・・ 」

ドアの側のスイッチを入れてから 彼女は埃っぽい空間に足を踏み入れた。

大きな箱の脇をすり抜け 収納ケースが置いてあ方向へ回る。

 

 

     「 ・・・ あら ??? 」

 

古いソファに 小さな女の子が 座っていた。

 

「 !?  あ ・・・! 」

女の子も驚いた様子で顔を上げたが すぐに笑顔になった。

「 ・・・ わかった!  すぴかちゃんのママンでしょ? わあ・・・そっくりね。  」

亜麻色の髪に白いレースのリボンが揺れている。

「 え ・・・ あ ・・・ あの? 」

「 ねえ、すぴかちゃんのママン? ここは ・・・ どこ?

 わたし、日記帳を捜しにお家の屋根裏にきたのだけど・・・ なんだかここ・・・ちがうの。 」

女の子はきょろきょろと周囲を見回している。

「 ここ・・・もしかしたら すぴかちゃんのお家なの? 」

「 あ あの・・・そうなの。  それで・・・日記帳は ・・・ みつかったのかしら。 」

フランソワーズは くらくらする思いで目の前の少女の顔を覗き込む。

 

   だって ・・・ < わたし > だわ・・・!

   このレースのリボン・・・ お気に入りだったのよ

   パパのお土産で 大好きだった・・・

 

「 ええ。 すぴかちゃんのママン。  わたしね、屋根裏部屋のソファに置きっ放しにしてたの。

 ほら・・・!  」

「 まあ ・・ よかったわね。  綺麗なノートね、ステキ・・・ 」

「 メルシ、マダム。  それで ・・・ ソファで日記を書いていたのだけど・・・ 

 あ わかったわ! ここは 星のお家 でしょ。 

 わたし、もう一度すぴかちゃんに、星の子に会いたいなあ、会わせてください、って。

 毎晩 お祈りしてたから・・・ お願いが叶ったのね!  ねえ すぴかちゃんは。 」

「 あ ・・・ すぴかはね、 もうすぐ帰ってくるわ。  まあ いっぱい書いてあるのね・・・ 」

女の子の手元のノートには ブルーのインクでびっしりと文章が書き込まれている。

「 うふふふ・・・ これはね。  わたしの夢日記なの。 」

「 夢 ・・・ 日記? 

「 ええ!  あのね・・・ こんな風になりたいな〜 とか。 そうなったらいいなあ・・・って

 ことが書いてあるの。 ・・・これ、 ナイショよ? 」

「 まあ ・・・ ステキねえ。 ちょっとだけ・・・読んでもいい? 」

「 う〜ん ・・・ いいわ、 すぴかちゃんのママンなら。 でもちょびっとだけよ? 」

女の子は すこし恥ずかしそうにノートを見せてくれた。

 

    バレリーナになって エトワールになりたい。 なれますように・・・

    オペラ座でオデットもジゼルもオーロラも踊るの。

    そして・・・ わたしだけのバレエ 『  すぴか  』  を踊る!

   

    ママンみたいに真っ白なマリエを着て、ママンみたいなママンになりたいな。

    愛するヒトに愛しい子供たち。

    可愛いおとこのこ と おしゃまなおんなのこ。

    みんなでわらってくらしてゆくの。

 

なつかしい筆跡が涙でぼやけ ・・・ よく読めなくなった・・・

 

    ああ  ・・・  そうよ・・・!

    わたしの夢 ・・・ 小さな・わたしが 夢みていた未来 ・・・

 

    わたし ・・・ ちっちゃい・ファンション ・・・

    あなたの夢はね。  ちゃんと 叶うのよ・・・!

 

 

「 ・・・ まあ  ステキ ・・ ステキな夢ね・・・ それに綺麗な字だこと。 」

「 メルシ〜〜♪ すぴかちゃんのママン。  

 お兄ちゃんの真似っこなの。  お兄ちゃんの日記、ちらっと見ちゃったの。 

 ねえ? すぴかちゃんも 日記、書いてるでしょ? 」

「 ええ。 すぴかも ・・・ 字を書くのが好きで上手なのよ。 」

「 わあ・・・ わたし達、 よく似てるわね。 」

「 ・・・そう ・・・ そうね ・・・ 」

ぽとり・・・ とうとう涙が零れ落ちてしまった。

「 すぴかちゃんのママン ・・・ 泣かないで。 

 わたしのママンが言ってたわ、パリジェンヌはいつだって微笑んでなくちゃ!って。

 わたし、みいんな ・・・ すぴかちゃんも すぴかちゃんのママンも 大好きよ。 」

「 ・・・ そう そうね ・・・ メルシ ・・・ ファンション ・・・   あら? 

 誰かドアをノックしているわ。  ちょっと待っていてね。 すぴかかもしれない・・・  」

「 ええ すぴかちゃんのママン 」

フランソワーズは目尻の涙を払うと ドアの方に戻って行った。

ちら・・・っと振り返ったとき、 あの女の子はソファにちょこんと座って微笑んでいた。

 

 

「  フラン!?  いるかい!? 開けてくれ ! 」

「 ・・・ ジョー?   開いてるわよ・・・ 可笑しなヒトねえ・・・・ 」

ジョーがドンドン・・・ドアを叩いている。

フランソワーズは駆け寄ってドアを開けた。  そもそも屋根裏部屋に鍵など付いていない。

「 フラン!? どうしたんだ? 」

「 どうしたって・・・ 夏物の寝具を出しにきたのよ。 それで ・・・ あの ・・・ 」

「 なんだ ・・・ 帰ってきたらきみはいないし。  博士が屋根裏に行ったみたいだ・・・って

 教えてくださったから慌て飛んできたんだ。  あれ・・・ ? 」

ジョーは そっと彼女の頬に触れた。

「 ・・・ 泣いていたのかい。 」

「 え ・・・ あ ・・・ ううん。 ちょっと・・・眠かっただけ。 」

「 そうかい・・・ それならいいけど。  具合悪いのなら横になっていろよ。 」

「 大丈夫。  本当よ。  あらら・・・ もうこんな時間なのね。 おいしい晩御飯、作るわね。 」

「 あ ・・・ うん。  あれ? きみ、それで夏用のタオルケットとかはどこだい。 」

「 あ ・・・ いっけない、ちょっと待ってね。 今 取ってくるから。 」

フランソワーズは奥に戻っていった。

 

屋根裏部屋の奥 ― あの天窓の下には古いソファがあって。

横には 子供達の使い古したベビー・タンスが置いてある。

 

 

    そこには 埃っぽい光が誰もいない空間を照らしているだけだった。

 

 

「 ・・・ そう ・・・ ちゃんとお家に帰れたのね。  ちっちゃな・ファンション ・・・ 」

フランソワーズは 微かに微笑むとソファの小さなくぼみにキスを投げた。

 

「 フラン・・・?  出せたかい? 手伝おうか。 」

「 大丈夫よ!  今 ・・・ 行くわ。 

奥にある収納ボックスから 夏掛けを5枚、ひっぱりだすと フランソワーズは小走りにドアに向かった。

 

「 フラン・・・ ? 」

「 はい、皆の夏の用意よ。 さあ、 今晩は何にしましょうか。 」

「 きみの作るものなら なんだって最高の御馳走さ。 」

ひょい、と彼女の腕からタオルケットを取り上げ、 ジョーは細君の肩に片腕を回す。

「 きみがいれば  それでいいんだ。 」

「 ・・・ ジョー ・・・・ わたしも。 」

 

    わたし。   こんなに幸せなのに ・・・!

    なにを 恐がっていたの。  なにを 哀しんでいたの

 

    フランソワーズ・・・!

    いつも 微笑んでいなくちゃ。  

    小さなファンションに 笑われてしまうわよ 

 

「 ジョー? 」

「 うん? 」

「 ・・・ アイシテル・・・! わたしのジョー! 」

「 え ・・・わ! な、なんだ〜〜突然 ・・・ 」

廊下の途中で フランソワーズがいきなり抱きついてきた。

ジョーはあわてて抱きとめたが どぎまぎしっぱなし、声まで上ずっている。

 

    ・・・ そうよ・・・! これが わたしの愛するヒトなの

       彼は ちゃんとここに  いるんだわ!

 

「 だから。 愛している  の! 」

「 え? あ ああ そ・・・うわ・・・ 」

二人は 誰もいない廊下で熱く熱く口付けを交わしていた。

 

 

 

 

その晩 久し振りに賑やかな食卓で、子供たちはびっくりするくらい沢山食べた。

「 お母さん これ おいしいね〜〜〜  僕、大好き〜〜! 」

「 あらまあ 嬉しいわ。 すばる、これも食べる? 」

「 あ  ずる〜〜い すばる〜〜  アタシだってこれ、すごく好き!! 」

「 あはは・・・ じゃ、すぴかはお父さんの分、食べろ。 ・・・あ、 全部取るなよ! 」  

フランソワーズの笑顔が 何よりの御馳走 になった。

子供たちだけじゃなく、博士もジョーも そして彼女自身も箸が進んだ。

すぴかとすばるは学校での出来事をい〜〜っぱいおしゃべりした。

皆が にこにこ・・・お腹も心も満腹になった。

 

 

 

 

「 そろそろクーラーの出番かなあ ・・・ 」

ジョーは リビングの窓の具合を確かめている。

「 そうねえ ・・・でも家は風通しもいいから なるべく使いたくないわ。 

 博士の書斎のは整備済みでしょ? 」

「 うん、とっくに。  それじゃ・・・ ここはもう少しあとにするか・・・・ 」

賑やかな晩御飯が終わり、 博士も子供たちも <おやすみなさい> をしていった。

 

広いリビングには ジョーとフランソワーズだけとなり、急に波の音が耳についてきた。

「 ・・・ 静かな夜だな・・・  ああ ・・・ いい音だ・・・ 」

ジョーはテラスへ出るフレンチ・ドアの脇で海を見下ろしている。

「 ・・・うん? 」

ちろろ・・・と涼しい音が聞こえた。

「 ジョー・・・ 水割りでもいかが。  それともオン・ザ・ロックの方がいいかしら・・・ 」

「 やあ ・・・ありがとう、フラン。 」

彼の後ろに フランソワーズがトレイを捧げて立っていた。

「 それじゃ ・・・ 夏の到来に・・・ 」

「 ええ。 新しい季節を歓迎して・・・ 」

夫婦は窓辺に座り込み、チン・・・と軽くグラスをあわせた。

 

「 ・・・ ジョー。 聞いてくれる。 」

「 ・・・ うん? 」

二人は肩を寄せ、しばらく波の音に耳を傾けていたが ぽつり、とフランソワーズが口を開いた。

「 うん。 なんだい。 」

「 わたし ね。 ずっと・・・ 恐かったの。  思い出すのが 恐くて恐くてたまらなかったのよ。 」

「 思い出す・・・? 」

「 ええ。  もう二度と ― あんな光景は見たくない・・・ 流れ星が恐かったの。 」

「 ・・・ フラン ・・・ それで・・・  」

「 なかったことにしたかった、 もうすっかり忘れた、と思ってたわ。

 なのに ・・・ 夢でまた ・・・ 見てしまったわ。 

 あなたが。 あの星が ・・・ 燃え尽きていった・・・  心が凍りつく、と思ったの。 」

  ―  カラン ・・・

フランソワーズのグラスの中で 氷が琥珀色の海に溶け落ちた・・・

「 もうなんにも見たくない・聴きたくない ・・・ って思ったわ。 」

「 そうか・・・ 」

「 ええ。 でも ・・・ でも、ね。 

 ・・・ 気がついたの。 思い出したの! 」

「 思い出した? 」

「 ええ。  わたしは こんなに幸せなの。  

 こんなに こんなに 幸せなのよ・・・! 

 子供の頃の夢はちゃんと叶えられているの。

 わたし ・・・ 何を見ていたのかしら。 何を嘆いていたのかしら。

 ・・・ 自分の哀しみだけに 閉じ篭っていたのね。 」

彼女は ジョーに向き合った。

「 ジョー。  あなたは わたしの愛するヒトは ちゃんとわたしの隣にいるわ。 」

ジョーは じっと彼女をみつめた。 そして 何も言わずに、抱きしめた。

「 ・・・ ジョー ・・・ 」

 

「  うん・・・ あの探査機さ。 」

「 え・・・ ああ  はやぶさ のこと? 

「 うん。  はやぶさ はさ・・・ 哀しんではいなかったと思うよ。

 彼は 歓喜の声をあげて 星になったんだ・・・

  ただいま・・! かえってきたよ・・・って  還ってきたよ! って。 」

「 ・・・ ジョー ・・・ は。 」

「 うん。 ぼくも ・・ あ 言ってもいいかな。 」

「 ・・・・ ええ ・・・ 」

「 あの時 ・・・ 身体が燃えだした時。 ぼくも同じだった。 」

「 ・・・ え? 」

「 ぼくも はやぶさ と同じだったんだ。

 この星に還れる・・・ ただいま・・・って。 還ってきたよ!って思った。

 きみの瞳と同じ この星に溶け込めるなら それでいい・・・ そう思ってた。  」  

ジョーは言葉を切ると 露を結んだグラスを持ち上げた。

 

    ・・・うん   燃え尽きた  のじゃなくて さ。  

    うん 勿論実際はそうなんだけど   ・・・ 還ってきた  んだよ 

 

「 そう ・・・ そうね。 ジョー、あなたは還ってきたのね。 」

「 うん。 」

 

 

     ― お帰りなさい  ジョ−  

  

     ― ただいま  フランソワーズ 

 

 

フランソワーズはジョーをしっかりと抱き締めた。 

ジョーも がっちりフランソワーズを抱いた。

 

中天には 今夜も沢山の星が流れてゆく ・・・ 

彼らは愛しいヒトの元へと還ってゆくのだ。

 

星々は流れ大気に溶け込み 愛は輝き続ける  ―  そう、いつまでも・・・

 

 

 

 

   ******     おまけ    ******

 

「 こんばんは〜〜 わたなべです〜〜 お邪魔します〜〜 」

「 すばるく〜〜ん!  来たよ〜〜 」

庭のテラスの方から 賑やかな声が聞こえてきた。

「 あ・・・いらっしゃったわ。  はぁ〜〜い・・・!  いらっしゃいませ〜〜

 ジョー、 クーラーボックス、お願いね。 」

「 うん。 あとは ・・・ え〜と・・? 」

「 お父さん! 僕のスープ!  スープ、運んで! 」

すばるがキッチンでぴょんぴょん跳ねている。

「 待て待て・・・今ゆくからさ・・・ 」

ジョーはクーラーボックスを抱えたまま うろうろ・どたばた騒々しい。

「 も〜〜 お父さんってば。 先にそれ、お庭に置いてきたら? 」

「 あ・・・ うん ・・・ そ、そうだな・・・ 」

「 すぴかさ〜ん 虫避けは設置してくれた? 」

「 もっちろん♪ おじいちゃま特製のヤツ、テーブルの下と木にもぶら下げといた! 」

「 まあ ありがとう!  それじゃ・・・ 七夕お茶会の始まりね♪ 」

「「「 うん !! 」」」

 

星祭の夜、島村さんち ではすばるのしんゆう・わたなべ君の一家と <星見会> をした。

裏庭の <ひみつきち> の側にテーブルを持ち出し、お茶やサンドイッチを並べた。

コーヒーに凝っているわたなべ君のお父さんは 自慢のサイフォンを持参、お母さんはとっておきの

バナナ・シフォン・ケーキを焼いてきてくれた。

「 えっへん・・・! これは僕の自慢のスープです。 お母さんも大好きです! 

すばるは 張り切って冷たいじゃがいものスープを皆に披露する。

満天の星のもと、皆 <夜のお茶会> を楽しんだ。

 

「 ・・・ あ ほらほら・・・あそこ! 流れ星 ・・・!  」

フランソワーズが 夜空を指さす。 

「 え・・・どこどこ・・? 」

「 え〜〜 どの辺り ・・・ あ!  ああ あれか・・・! 」

「 わあ ・・・  お母さん、すご〜〜い・・・! 」

子供たちも大人も うっとりと夜空を見上げている。

 

「 ・・・ きれいねえ・・・ 」

「 うん ・・・ 」

「 ジョー ・・・ 何を祈ったの ・・・ 」

「 ・・・ 皆の しあわせ  さ。 」

かつて流れ星になった男は 細君の問いに静かに応えた。

 

 

*********************      Fin.   ***********************

 

Last updated : 07,13,2010.                       back        /       index

 

 

**********    ひと言  *********

やっと終わりました・・・・

ファルコン falcon  はやぶさ のことです。 

のほほん・島村さんち、なにがあっても皆で乗越えてゆけます。

今晩もきっと ギルモア邸の上には見事な天の川が流れていることでしょう。

およろしければ ご感想のひと言でもお願いします・お願いします <(_ _)>