『  あなた へ  − Cher Joe −  』





カーテンを勢いよくはらうと、フランソワーズは窓を大きく開け放った。

  − ・・・ ふう ・・・ 。  ああ、この街のにおい この街のおと ね ・・・
    わたし、帰ってきたんだわ・・・!

まだ時おり熱気をはらんだ風が 吹き込んでくる。
ヒトとクルマが入り混じり、行き交う賑やかな音が石畳の道からこの窓辺まで立ち昇ってくる。
 
  − ただいま! わたしのパリ!

胸いっぱいに吸い込んだ大気は どこか盛りをすぎたモノの香りが漂っていた。
目の前に広がる空は 華やかさを幾分か失くしたかわりに深みを増してきたようだ。

  − 新しい季節が始まるのね。 この街に ・・・ そう わたしにも。

顔にまつわる髪を フランソワーズは勢いよく背中にはらった。




「 ・・・そうか。 お前がそう決めたなら 反対はせんよ。 お前の故郷だ、しっかりおやり。 」
「 はい。 ありがとうございます、博士。 」
焼け落ちてしまった家を再建し、なんとか生活が軌道に乗ったとき、
フランソワーズは ギルモア博士に帰国したい、と申し出た。
他のメンバーは すでに故国へ戻っていたり、新天地に根を張ったりそれぞれの道を進んでいる。
ひどい重症だったジョーたちの怪我も 博士の天才的な手腕によりみごとに回復し、
ジェットなど とうに故国の大都会にもどっている。
海辺のこの邸に残ったのは 博士とイワン、そしてこの国の住人、ジョーと自分だけだった。


  − わたしは。 わたしには、なにが出来るのかしら。


穏やかな日常の中で フランソワーズはふと立ち止まった。
このまま この流れに身を任せてよいのだろうか。
この邸での生活は 確かに快適だし気の置けない仲間との日々は、ある意味、気楽だった。
でも。
このままでいいのだろうか・・・。
かつて たった半日の故郷への訪問でシッポを丸めて逃げ帰った自分。
あの時から果たして・・・ すこしは成長したのだろうか。

  − ・・・ 帰ろう。  帰って・・・ 今の自分をしっかり見つめなくちゃ。

澱んだ淵に身を沈めるよりも、フランソワーズは潮流にいどむことを選んだ。


こころ残りがなかった、とはとても言えない。
老人と赤ん坊を置いて行くのだ。

それに・・・

「 大丈夫だよ、ぼくに任せて。 きみはきみの思い通りに生きてゆかなくちゃ。 」
フランソワーズの一番の こころ残り な存在はむしろ熱心に彼女に帰国を勧めた。

・・・ そうれは・・・そうなんだけど。
口先だけでも引き止めてほしい、と願うのは思い上がりだろうか・・・。
生死のはざまを潜り抜け やっと想いが通い合った・・・はずの相手に 
フランソワーズは内心ふくれっ面をしていた。

ねえ。 わたし・・・ここにいたら 邪魔?
ともすれば湧き上がってくる言葉を ようよう呑み込むと フランソワーズはちょっとだけ笑った。

「 ・・・ そう?  それなら お任せするわ、ジョー。 」



この極東の島国を照らす日差しが すこしその煌きを失いだしたころ、
フランソワーズ・アルヌールは 生まれ育った街へともどって行った。




う・・・・んと背伸びをひとつして
フランソワーズは窓辺に据えた机の前に座った。
一番上の引き出しから レターパッドを取り出す。
ラベンダー色のそれは 以前この街にただのごく平凡な女の子として生きていたころからの
お気に入りだった。

淡く落ち着いた色合い  しっとりとした 手触り

ふふふ・・・ これをみつけた時、 うれしかったけど ・・・ びっくりもしたわ。

広げた紙面に フランソワ−ズはしばらく掌を当てていた。
かわらない街の かわらないモノたち。
この街の、この国の頑固さが 今の彼女には心地よかった。

しばらく宙に視線を遊ばせていたが 軸の太い万年筆を握りなおすと、
フランソワ−ズの手は するすると滑らかに動き始めた。




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