『 Breeze − やさしい風 − < 1 > 』      

 

・・カタカタ・・・カタ・・・カタ・・・

 二月初めのその朝、フランソワ−ズは窓を揺らす小さな音で目を覚ませた。

「・・・?・・ああ・・・・風、ね・・・」

咄嗟に備えられた機能をオンにしようとした自分に彼女は苦い笑み浮かべ、窓際に起った。

「 いつもの北風とは すこし違うみたい・・・? 」

海に近い、この研究所周辺は冬の間つよい風が吹く日が多かった。

カ−テンのすきまからまだ寒そうな陽射しの空を見上げ、フランソワ−ズはガウンの襟を掻き合わせた。

 

「 おはようございます。 」

「 ああ、おはよう、フランソワ−ズ。 おや、ジョ−はまだかね? 」

なんとか3人分の朝食が出来上がりほっとした時 ギルモア博士がダイニング・ル−ムに現れた。

「 あら。 ちょっと声をかけてきましょうか・・・」

「 まあ・・・おっつけ起きてくるじゃろ。 放っておいてかまわんよ、子供じゃないしなあ。 」

「 あ・・はい・・・」

( 余計なコト、言っちゃったかしら・・・)

そっと小さく溜め息を漏らし彼女はコ−ヒ−を取りに足早にキッチンへむかった。

− どうも 上手くかみあわないわね・・・。つかみどころがないっていうのかしら。

コ−ヒ−・サ−バ−を手に フランソワ−ズはもう一度溜め息をついた。

− よく分からないのは お互い様なのかしら。 やっぱり、あまりにも違いすぎるの・・・

・・・カタ・・・カタカタ・・・カタ・・・

キッチンの窓も小刻みに音をたてている。

 

 

 全員が無我夢中だった悪夢の日々からの脱出がともかく成功し、ギルモア博士は日本のこの海沿いの

地に自宅兼研究所を構えた。 生活の一応の目処が付くとメンバ−達はそれぞれの道を求めて

故郷へ、新天地へと散って行った。

 この地に留まったことに後悔はないけれど・・・フランソワ−ズは小さく溜め息をつく。 

皆も博士も そう薦めてくれた、その方が自分にはいいだろう、と。

ほんとうに長い時間を共にしてきたジェットやアルベルトと別れるのはやっぱり少し淋しい。

他の仲間たちのように故郷に帰ることも出来たのだ。

でも。 あそこ−パリ−にはもう自分の居場所はない、と思った。 

故郷を見に半日だけ戻った自分を勇気がある、アルベルトは言ってくれたけれど。

ちがうわ。 ほんとうは、怖くて仕方なかった・・・あまりにも変わり過ぎていれば

いっそ諦めがつくと思って、訪ねたのだけれど。

− あの街は、街自身は、驚くほど変わっていなかった・・・

でも。 それがかえって特異な存在になってしまった自分を焙り出すようで。

わたし・・・逃げるように去ったのよ、あの街を。懐かしい故郷のあの街を。 

そして。 この地で暮らすことを選んだ。 老人と赤ん坊、あの栗色の髪の青年と共に。

 

 

 とりとめもないもの想いに引きこまれそうで、フランソワ−ズは慌ててダイニング・ル−ムに戻った。

「 あ・・・・ おはよう、ジョ−。 あら、イワン・・・? 」

テ−ブルの前でジョ−は膝に赤ん坊を抱き器用に着替えさえていた。

「 おはよう、フランソワ−ズ。 うん、夜の時間なのにどうもむずかると思ったら。 暑いみたいだよ? 

 ほうら・・・・これで気持ちいいだろう? 」

脱がせた肌着とタオルをフランソワ−ズはおずおずと受け取った。

「 まだ寒いし、風邪ひかないようにって思ったんだけど・・・」

「 うん、 寒いけど、赤ん坊って大人より体温が高いから。 それにね、あんまり厚着させると汗かいて

 かえって風邪のモトになっちゃうんだ。 」

「 そう・・・なの・・? 」

・・・カタ・・・カタカタ・・・カタ・・・

( だって。 あんなに風が強いのに・・・)

何気ないふりで そっとテラスにつながるフレンチ・ドアに視線をなげた。

「 ほう、なかなか育児に詳しいのう、ジョ−? 」

「 育児って、そんな。 僕は教会で育ちましたから、小さい子たちの面倒はみなくちゃならなかったし。

 小学生くらいの時からオムツ替えとかやりましたよ。 」

「 なるほど・・・ このくらいはまさに朝飯前っていうコトじゃな。 」

「 あは、たしかに・・・」

イワンを抱き取りのんびり楽しそうな博士とジョ−の会話を背にして フランソワ−ズはそっと唇をかんだ。

( わたし・・・なんにもしらない・・・)

 

 

三人と眠ってばかりいる赤ん坊だけの静けさの日々にもようよう慣れてきた。 

ひとつ屋根の下に暮らす者同士、お互いの性格もなんとなく掴めてきた、と思う。

とはいえ、食事どきなどはまだまだぎこちない沈黙が食卓を支配してしまう。

同じぎこちなさでも大人数であればそれなりの喧騒に薄められていたのだが。

・・・カタカタ・・・カタ・・・カタ・・・

窓を鳴らすちいさな音が 意外なほどはっきりと静かな部屋に響く。

「 け、今朝は、風がつよいわね。 」

「 ・・ああ、春一番かもしれないって、さっき天気予報で言ってたよ。 」

「 ・・そう・・? ( はるいちばん・・・? ) 」

「 ほんに・・・日本には優雅な言い回しが多いのう・・・春一番の後は 寒の戻り、じゃったか? 」

「 博士、よくご存知ですね。 」

ふたりのなにげない遣り取りを こわばった微笑で流して、フランソワ−ズはどうしようもない

疎外感をもてあましていた。

 

・・・カタ・・・カタカタ・・・カタ・・・

妙に耳につく音に感じる苛立ちを消したくて彼女は すこし唐突に口をひらいた。

「 いいお天気だし。 カ−テンでもお洗濯しようかしら。 春向きの薄手のものに替えて・・・ 」

「 うん、でもまだまだ寒いよ? かえってこれからの方が寒さが厳しい日があるんだ。 」

「 ・・・そう・・? じゃ。 せめてシ−ツやリネン類をキレイにしなくちゃ。 あと、春物のお洋服とか

 の準備や・・・イワンのモノとか・・・ あ、窓も拭かなきゃ・・・」

「 まだ、今のままで充分じゃない? この風だもの、掃除をしてもすぐホコリだらけだよ 」

「 ・・・・・ 」

・・・カタカタ・・・カタ・・・カタ・・・

絶え間ない不規則な音が だんだん強くなってきた様にフランソワ−ズには感じられた。

 

 食器を洗っている手がともすれば止まりがちになってしまう。

「 ・・・・・・・ 」 

何度目だろう、溜め息でキッチンがいっぱいだわ とフランソワ−ズはさらに溜め息とつく。

見慣れない最新式の電化製品や家事道具類の扱いはなんとか見当がつくようになった。

はじめての食材の調理方もそんなに戸惑わなくはなってきた。

( 今のままで充分、なんて言ってくれたけど。 でも・・・なにかあったらなんでも・・・言ってほしいのに。 )

ジョ−の優しさは嬉しかったが、それがかえってよそよそしさに思えてしまうのは考え過ぎ、だろうか・・・

( なんか・・・遠まわしに拒絶されてるみたい・・・ )

 

 静かな 4人だけの生活が始まって、皆それぞれのペ−スで日々をきざみはじめていた。

ギルモア博士はコズミ博士を介し知り合った人々を訪ね精力的に出歩くことが多かった。

ジョ−もやはりコジミ博士のツテで、車のエンジン開発関係の研究所に勉強兼アルバイトに通い始めていた。

( わたしは どうしよう・・・ )

なんとなく期を逸した焦燥感をフランソワ−ズは家事に追われる事で紛らわせていた。

 

「 ね、お洗濯とかアイロンかけとか、遠慮しないで出してね。 みんな一緒くたにやってしまうから。 」

「 うん、ありがとう。 僕のぶんなんてちょっとだから。 自分でやるよ。 」

 

「 お弁当って言うんでしょ?ランチ、作るわ。 あ、サンドウィッチでいいのかしら? 」

「 あ、いいよ、いいよ。 朝早いから大変だよ、コンビニとかで買うから。 気にしないで。 」

 

博士はともかく、ジョ−はかなり不規則な時間に帰宅するようになり、そんな彼のためにフランソワ−ズは

何度も夕食を温めなおした。

ある夜、湯気のたつ皿を前にジョ−は 少し困った顔で言った。

「 あの、さ。 すごく・・・うれしいんだけど。 夕食、作ってくれるだけでもう十分だよ。 

 遅い日は先に休んでて・・・」

「 ・・・あら・・・だって・・・疲れて帰ってきて・・・温かいお食事がなによりでしょう・・・? 」

「 うん・・・そうなんだけど・・・あの、きみが寝ないで待っててくれると思うと・・その・・気になっちゃって、さ・・」

「 ・・・!・・・そ、そうなの・・? じゃあ、・・・今度からは・・・レンジで温めて、ね。 」

( わたしといるの、気詰まりなの・・・わたしのこと、けむたいのかしら・・・ )

・・・カタカタ・・・カタ・・・カタ・・・

<春一番>って言ってたけど、そのあとも風は強すぎるわ、と相変わらず続く小さな音に

彼女はそっと溜め息をついた。

 

 次の日曜日、自然にいつもの時間に目が覚めてしまった。

( やるコトはいっぱいあるのよ、フランソワ−ズ・・・ さ、まずはお洗濯っと )

考えるのが怖い・・・。何かしていないと とりとめもなく落ち込んで行きそうな気がして。

普段より一層静かな邸内を足音をしのばせ 彼女はランドリ−・ル−ムへと急いだ。

 

 洗い上げた洗濯物を籠にいっぱいにして庭に出た。

おもわず大きく深呼吸して 抜けるような青空を見上げる。

ヨ−ロッパの遅い春から比べれば陽の光はずいぶんと明るくなったとフランソワ−ズは思った。

( でも。 あの風が・・・ 春だっていうのにいつまで吹くのかしら・・・ )

風にあおられ バタバタと纏わり付く洗濯物が鬱陶しい。 

そんな些細なことに苛付いている自分の気分を変えたくて、彼女は小走りにキッチンへもどった。

( さ、今日はがんばって和食に挑戦よ。上手く作らなきゃ。今日はお休みだし、すこし遅くてもいいわよね )

・・・カタ・・・カタカタ・・・カタ・・・

耳から離れない小さな音を 気にかけまいと彼女は勢い良く蛇口をひねった。

 

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