『 青い目の人形 −(1)− 』
霧のようにけむる小雨の日々がこの週に入ってからずっと続いている。
秋晴れ、という言葉などまるで忘れ去ってしまったかのような空模様だ。
梅雨どきと違って蒸し暑さがないぶん、幾分か過しやすいが
肌寒い湿り気は あまり心地よいとは言えない。
今朝も相変わらず灰色に垂れ込めている空を見上げ、島村ジョ−は溜息を吐いた。
耳慣れた波音さえも 湿気った空気に封じ込められくぐもって聞こえてくる。
・・・ また、雨、か。
窓越しに空を見上げていたジョ−は振り返ると ベッドにどさり、と腰をおとした。
そのまま、ナイト・テ−ブルの上に手を伸ばす。
指が手繰り寄せたのは 古い写真が一枚。
いまさら・・・ こんな写真が何になるって言うんだ・・・
第一、コレがほんとうに・・・
一枚の写真を手に ジョ−はまたひとつ、溜息をつく。
もう一度 それこそ穴が開くほど眺め ・・・ 破ろうとしたが、指先に力が入らない。
のろのろと立ち上がり、ベッド・サイドにかけてあったフォト・フレ−ムをはずす。
そして、明るく微笑んでいるフランソワ−ズのポ−トレイトの裏に
ジョ−はその写真を仕舞いこんだ。
− とっておいても どうってコトもないだろうけど・・・
陰鬱な空模様にますます 気分が滅入ってくる。
そういえば、洗濯物がぱりっと乾かなくて・・・とフランソワ−ズがぶつぶつ言っていたのを
ジョ−は思い出していた。
なんだか、足元から冷たい湿気が這い上がってくるみたいだ。
そうだ・・・! こんな日だから・・・。
ジョ−はぱっと立ち上がりカア−テンを勢いよく引き絞ると
軽い足取りで 階下のリビングへ降りていった。
「 ・・・ 珍しいわよね。 」
「 え、なに? 」
窓からの風に髪を流していたフランソワ−ズが ぽつり、と言った。
だんだん増えてきた交通量に気をとられていたジョ−は 思わず聞き返した。
車とともに 人出も増えてきているようだ。
傘の花があちこちに広がり、灰色の空気がすこし華やいで見える。
「 珍しいって言ったの。 買出しとかじゃなくて・・・ジョ−が街へ行こうって言うの・・・
もしかして 初めて? 」
「 ・・・ああ。 そうかな・・・。 こんな天気だから・・・気晴らしに、さ・・・ 」
「 そう? ・・・あなたって、人ごみとか・・・あまり好きではないでしょう? 」
「 うん、まあね。 繁華街とかはね、ちょっと苦手だな。
でも・・・ 久し振りの街も 楽しいかなぁって・・・。 ヨコハマまで、どう? 」
「 いいわね! ありがとう、誘ってくれて。 ・・・わたし、この街が好きよ。
なんだかね。 似てるの。 カレ− とか マルセイユ とか・・・雰囲気が、ね。 」
「 ふうん・・・そうなんだ。 ぼくもここは好きだな。
一応、この地方育ちだしね。 」
「 ふうん・・・ ジョ−は港町育ちってわけね。 」
「 まあ・・・ そういうことになるかな・・・。 」
ジョ−はパワ−・ウィンドウの開きを細目して ワイパ−のスイッチをいれた。
「 だけどさ・・・ こんな天気、嫌いだろ?
秋は、こう・・・ぱぁ〜っと晴れ上がった空が一番いいと思うんだ。 」
「 ・・・そうね。 この国に秋は、素敵だわ。
紅葉が あんなに青い空に映えるんだって初めて気がついたのよ、わたし。」
「 初めてって・・・ 」
急に口篭ってしまったジョ−に フランソワ−ズはさり気なく明るく言った。
「 わたしね。 雨の街が 好き。
この国の秋はほんとうに素晴らしいけれど、霧雨にけぶる日々、
落ち葉がぬれた歩道で 朽ちてゆく秋がもっと好き。
・・・ ふるさとの街を思い出すの。
昼も灯る街燈のまわりに 光が滲んでいるのも懐かしい・・・。
わたしが ・・・ 居た街は秋になるとどんどん暮れるのが早くなるのよ。 」
「 ・・・へえ・・・ そうなんだ・・・ 」
「 あ、勿論ね〜 お洗濯モノなんかがパリっと乾く晴れの日も好きよ。
青い空に からっとした風が吹き抜けて・・・ お洗濯モノがひらひらしてるのを
見てると・・・とっても幸せな気分になるもの。 」
「 うふふ・・・ きみって洗濯、好きだものね。 」
「 いっぱい汚すヒトがいますからネ。 」
「 あ・・・ ごめん。 あのぅ・・・ 」
「 ふふふ・・・いいのよ、ジョ−。 博士のお手伝いは大変でしょう? 」
「 まあね・・・ 出来るコトは自分達でやらなくちゃね。 」
ジョ−は最近、博士に教わってドルフィン号の整備やらギルモア邸の改築に
精を出している。
何事もない、穏やかな日々を願うのは当然だけれども、万が一の備えを
怠るわけにはゆかないのだ。
機械油に塗れ、カギ裂きなんかも作ってくる彼の作業着を フランソワ−ズは
いつも黙って綺麗に洗い上げた。
細かな雨は 霧になったり滴になったり相変わらず街中を被っている。
そろそろ繁華街に入る。
「 ねえ? もし、特に予定がなかったら・・・前から行って見たかったんだけど・・・」
増えてきた人出に ジョ−がスピ−ドを落としたとき、フランソワ−ズは
遠慮がちに声をかけた。
「 え、どこか行きたいところがあるの? 」
ええ、とフランソワ−ズはバッグの中から雑誌のペ−ジを取り出した。
「 どれ・・・? え・・・と。 これなら歩いた方がいいな。
どこか・・・ パ−キングを捜そう。 」
「 ええ。 ・・・あ、2ブロック先にあるわ。 空きも大丈夫。 」
「 さんきゅ♪ 」
ナビを覗くまえに 早速答えが返ってきた。
繁華街をすこしはずれた、裏通りにそれは面していた。
表どおりのにぎわいは 遠いざわめき程度にしか聞こえてこない。
天候のせいか、辺りに人影はほとんどなくその建物は灰色の大気のなか、
ひっそりと佇んでいた。
アイアン・レ−スの門が 小さく音をたてて開いた。
− 人形博物館
焼き板の表札が 二人を静かに迎えてくれた。
空模様のためか、入り口にともされた明かりは穏やかな光を投げかけている。
「 ・・・ コンニチハ・・・ 」
かすかな軋みを響かせて、重厚な樫のドアが二人を招きいれた。
「 ・・・ ジョ−、ごめんなさい・・・ 」
「 え? なんで? 」
「 だって・・・ つまらないでしょ。 こんな・・・女の子向きのところ。 」
最初の展示部屋をでるとき、フランソワ−ズはひそ・・・と呟いた。
他の来訪者はなかったけれど、なんだか大きな声で話すのは躊躇われた。
ひくく・・・静かに流れている音楽のせいかもしれない。
「 そんなこと、ないよ。 たしかに・・・女の子向き、だけどね。
あ・・・ この部屋は<からくり人形>だね? 」
「 からくり・・・? 」
「 うん、古い日本の・・・まあ、いわばロボットかな。 メカの技術が入ってくる前の
技巧なんだけど。 ほら・・・ けっこう凄いだろ? 」
「 ・・・あら、ほんとう。 ビスク・ド−ルみたいなのに、動くのね! 」
ジョ−が示した<お茶を出す>人形にフランソワ−ズは目を見張った。
古くても精緻な、手作りのメカニズムに思わず目を奪われる。
「 わあ・・・ こういうテクニックもあるのねぇ。 」
「 この発想は素晴らしいなって思うよ。 」
立ち止まってしげしげと覗き込んだり、パネルを熱心に読んだりしているうちに
二人の距離は 次第に離れ始めた。
とっくに隣の展示室に移ったフランソワ−ズを追って、ジョ−は足を早めた。
− ・・・あれ。
その部屋を出ようとして ・・・ ふっと足がとまってしまった。
目のすみに ちらり、と映った影がジョ−を引きとめたのだ。
− これ。 ・・・ 見たことが ・・・ ある ・・・?
なぜ、足音を忍ばせてそうっと近づいたのかジョ−は自分でもわからなかった。
ただ・・・ そうしなければいけない・・・ような気がしたのだ。
息を殺すように 見つめたのは −
色褪せたサテン地のドレスを着て、帽子の脇からふさふさとした金髪の巻き毛を垂らし
少女の顔をしながら艶然と微笑む ・・・ 青い目の人形。
「 ・・・ジョ−・・・? ジョ−ったら。 どうしたの。 」
「 ・・・え ・・・ あ、ああ。 このコがさ・・・ 」
そっと腕を引く細い手の感触で、ジョ−はぴくり、身体を動かした。
「 なあに? このお人形さんがどうかしたの? 」
「 ・・・ うん ・・・・ 」
「 そんなに古くはないわね。 これは・・・日本製かしら・・・ 」
展示棚から振り向いたフランソワ−ズを ジョ−はじっと見つめていた。
そのセピアの瞳は ・・・ 彼女の知らない目だった。
「 ・・・きみ。 前に会ったコトがあるよね? 」
「 ジョ−・・・? 」
「 ・・・? ・・・あ。 ・・・フランソワ−ズ。 」
「 ねえ、どうしたの。 こっち、見て。 ジョ−? 」
「 この人形が お気に召しましたか。 」
不意に二人の背後から おだやかな声が響いてきた。
驚いて振り向いた二人に、品のよい初老の紳士が微笑んでいた。
「 あ・・・あの・・・ すみません、騒いでしまいましたわ・・・ 」
「 え? いえいえ。そんなこと、ありませんよ。
ただ・・・たいそう熱心に見ていらっしゃいましたから。 」
紳士は まだ棒立ちになっているジョ−に柔和な顔を向けた。
「 ・・・あ、 どうも・・・その。 この人形ですが・・・ 」
「 気になりますか? アンティ−クでもないし、そんなに値打ちのあるモノではありませんが・・・ 」
「 いえ、値打ちとか・・・じゃなくて。 その。 どういう由来なのかなと思ったので・・・ 」
なぜか口篭るジョ−に この人形館を預かっているというその老紳士は
気さくに説明をしてくれた。
「 この人形は<メリ−さん>、といいましてね。 昭和の初めに平和使節としてアメリカから
贈られたものなのです。 戦争を経て多くが喪われてしまいましたが・・・ 」
「 人形の平和使節・・・ですか。」
「 はい。 『 青い目の人形 』 という歌をご存知ですか? 」
「 ・・・さあ ・・・ 」
「 ・・・ ああ、ほら。 いま、丁度館内放送で流れていますね・・・ 」
「 ・・・・・・・ 」
ヴォリュ−ムを絞った音楽に 三人は耳を傾けた。
長調から短調を経て、なんとなくもの悲しいメロディ−がゆるゆると流れる。
「 ・・・ なんだか・・・ 淋しそうな歌ですね。 」
「 そうですね。 ・・・ ほう ・・・ お嬢さん、よく似ていらっしゃる。 」
「 え・・・ 」
「 金の髪に碧い瞳・・・。 まさに現代の<メリ−さん>ですな。
日本のお友達は 仲良く遊んでくれていますか? 」
「 あは・・・ えっと〜〜 」
「 あら・・・ ええ、まあ。 」
ちょっと揶揄するような老紳士の口調に 二人して真っ赤になってしまった。
「 ・・・ああ、やっぱり無理ねえ。 霧かしら・・・ なにも見えないわ・・・ 」
柵ぎりぎりのところで身を乗り出して、フランソワ−ズはうん・・・と伸びをした。
沢山のパンフレットを貰い、人形博物館をあとにした。
外は相変わらずの小雨模様で、 多くの人々の足は繁華街に向かっている。
人ごみは苦手でしょ、というフランソワ−ズの提案で
二人は港を望むことが出来る高台の公園まで 徒歩で脚を伸ばしたのだ。
案の定、展望台に人影はなかった。
「 ほら、危ないよ? う〜ん・・・ この天気だものね。 ああ、でも気持ちいい〜
こんな風に広がる風景って・・・ すっきりす
「 そうね。 ウチの方の海とはまた別の趣があるわ。 船の出入りが見れるのも素敵。 」
「 うん。 あ、ほら。 有名な豪華客船が ・・・ あそこ。 」
「 あら、ほんとう。 ・・・ わあ、凄いわ、綺麗な船体ね ・・・ 」
「 どこまで行くのかな。 」
「 ・・・ 遠く ・・・ ねえ? 」
「 ・・・ なに。 」
一瞬フランソワ−ズは言葉を途切らせたが、霧のかかる海を見つめたまま続けた。
「 ジョ−がこの国のヒトで よかった。」
「 どうして? 」
「 だって・・・ あなたは <帰って> しまわないもの。
行ってしまった人を ・・・ 一人で待つのは ・・・ いや。 」
「 ・・・ぼくは いつだってここにいるよ。 」
ジョ−は 腕を伸ばしてフランソワ−ズの手を握った。
小雨のためか その白い指はひんやりと冷たかった。
「 ねえ、寒いんじゃない? 手がこんなに・・・ 」
ジョ−は彼女の細い指を 自分の頬に当てた。
− あ。
なにかが ・・・ ジョ−の頭の中でちかり、と閃いた。
そう・・・ こんな風景、 自分は知っている ・・・
それは同時に 甘酸っぱい懐かしさを感じさせる。
− ・・・ なんだ?
「 ・・・ ジ ・・・ ジョ・・− ・・・ 」
「 ・・・ え ・・? 」
ジョ−は遠くから呼ばれた気がして 応えた自分の声にふと、我にかえった。
青い瞳がじっと自分に注がれている。
「 ジョ−のほっぺも冷たいわ? そろそろ戻りましょうか。 」
「 ・・・あ、 ・・・ああ。 そうだね。 」
「 ・・・ ジョ− ? 」
「 あ、うん。 え・・・と。 ・・・ どこか・・・寄る? 」
訝しげに自分を見つめるフランソワ−ズに気付き、ジョ−は慌てて微笑んだ。
「 そうね。 でも、この辺りはとても混んでいるみたい・・・ 」
「 ・・・ う・・ん。 あ、じゃあ、帰り道に 」
「 あ♪ わかった〜 Cafe・Andante でしょ。 」
「 当たり♪ 」
ほら、すべるよ・・・と差し伸べられたジョ−の手をしっかりと握って。
霧雨のなか、寄り添う影がふたつ元気に階段を下りていった。
− Cafe Andante −
飾り文字が浮き出ているプレ−トをゆらして、二人は店のドアをあけた。
ヨコハマの繁華街からは離れた、静かな通りにこの店はあった。
「 あそこのコ−ヒ−は絶品だ。 」
そもそも、ここを見つけ仲間達に推奨したのは アルベルトだった。
味に拘る彼の選眼に間違いはなく、クマさんみたいなマスターの淹れるコ−ヒ−と
いつも笑顔の夫人が作るケ−キは たちまちギルモア邸に集う人々のお気に入りになった。
香りたかいコ−ヒ−と簡単なランチのあと、
フランソワ−ズはジョ−をケ−キのショ−・ケ−スの前に引っ張って行った。
「 お土産、買ってゆきましょ。 今日、コズミ博士が見えるはずだし。
ジョ−、あなたも好きでしょう、ここのケ−キ。 」
「 うん、甘すぎなくてとっても美味しいもの。 」
ジョ−もにこにこ顔で フランソワ−ズと一緒にショ−・ケ−スを覗き込む。
「 え〜と。 ・・・あ・・・ ? 」
「 うん? ああ・・・漢字だね。 う〜んと・・・ にんじんのタルト
かぼちゃのシフォン・ケ−キ せいようなしのム−ス こうぎょくりんごのパイ ・・・ 」
とりどりに並んだケ−キの前には 漢字の名前がついたプレ−トが立っている。
ひとつひとつ指差して、ジョ−が声に出して読んでいると、
この店のマダムがショ−・ケ−スごしにひょっこりと顔を出した。
「 あら、ごめんなさい。 ・・・やっぱり解りづらいかしら・・・ 」
「 あ・・・いえ。 おしゃべりは大丈夫なんですけど・・・
わたし、読むのは、特にカンジは苦手で・・・・ 」
「 ごめんなさいねえ・・・今度からロ−マ字も書いておきますネ。
お嬢さん、お国はどちら? 」
「 あ・・・ フランスです。 」
「 まあ。 あら、じゃあ・・・。 さっきクロック・ムッシュウをご注文になりましたよね。
お味は・・・如何でした? お国で召し上がるのと・・・似てました? 」
笑顔が素敵なマダムは 目とくりくりさせてフランソワ−ズに尋ねた。
「 ええ、ええ。 とても美味しかったです。 昔・・・ 母が作ってくれたのと同じ味・・・ 」
「 まあ、まあ嬉しいこと。 お母様の味にはきっとまだまだでしょうけれど・・・ 」
「 いいえ、ほんとうに懐かしい味でしたわ。 ケ−キもみんな美味しそう♪
ここでカンジのお勉強ができそうです。」
「 <わたしはコトバが解らない>って、そんな歌がありましたっけ。
ああ、本当にお人形さんみたいなお嬢さん、どうぞご贔屓に。 」
− ・・・ あ ・・・ れ ・・・?
女性二人の楽しそうなやり取りを聞いていたジョ−は
ふと・・・マダムの言葉に なにかがひっかかった。
ワタシハ コトバガ ワカラナイ・・・
「 ねえ、どれにする? ジョ−のお気に入りはなあに。 」
「 ・・・ え ・・・ ああ。 」
「 ・・・ ジョ− ? どうか、したの。 具合でも悪い? 」
「 ごめん。 ・・・あは、あんまりどれも美味しそうなんで、困ってたんだ・・・ 」
「 あらあら・・・ ありがとうございます。 」
明るく言葉を添えてくれたマダムに ジョ−はほっとして微笑み返した。
− どうかしてる。 本当に今日のぼくは ・・・ヘンだぞ?
ショ−・ケ−スの前でマダムとケ−キ談義に花を咲かせている
フランソワ−ズを眺め ジョ−はこつん、と自分のアタマを叩いた。
「 いらっしゃいませ。お待ちしてました。
・・・あら、お車ではありませんの? 」
お茶の支度がちょうど整った頃、ギルモア邸の玄関チャイムが鳴った。
迎えにでたフランソワーズは 傘をたたんでいるコズミ博士を見て驚いた。
「 おお、こんにちは、お嬢さん。お邪魔しますよ。」
白髯を揺らしてコズミ博士はいつもの柔和な笑みを浮かべている。
「 なに・・・散歩がてら、そこまでバスで来ました。 適当なお湿りもあって
過ごしやすい気候ですからの。」
「 そうなんですか・・・。 さあ、どうぞ。ギルモア博士もお待ちかねですわ。」
「 ほい、それはそれは。 ・・・時に、ジョー君は、島村ジョー君もご在宅ですかな?」
「 え?ええ。 おりますが・・・なにか? 」
「 そりゃよかった。
・・・うん、コレはお嬢さんにも、そうじゃ、みなさんにお伝えするべきじゃな。」
「 ・・・はあ。 」
なにやら上機嫌のコズミ博士からコートと傘を預かり、
フランソワーズはともかく彼をリビングに通した。
「 ・・・なんと。 本当に・・・? 」
しばしの沈黙を破ったのはギルモア博士の低い歎声だった。
当の本人は膝を硬く握りしめ、唇を噛み締めている。
胸の前で手を固く組んでいたフランソワーズがそっと呟いた。
「 ああ ・・・ Mon Dieu (神様) ・・・ ! 」
「 そうじゃ。 そんなわけで、島村ジョ−君の神父殺害の嫌疑は完全に晴れましたんじゃ。
ジョ−君、君はもうあの事件の被疑者ではないよ。 安心したまえ。 」
「 ・・・ はい。 」
「 神父さんが生前に弁護士に委ねてあった遺言書が証拠として採用された。
出火当時、バスを待っている君を覚えていた人がいて、証言してくれたよ。 」
「 ・・・しかし・・・ 実際には・・・ そうの・・・。
ジョ−は行方不明、ということに・・・なっておるんじゃろう? 」
ギルモア博士が俯いて何度も言い澱む。
「 博士・・・ 」
フランソワ−ズがそっと博士の腕に手を置いた。
「 ふむ、そうなんじゃが。 そちらの方は ・・・ 皆目見当がつかん、ということらしい。 」
「 ・・・ でしたら、やっぱり。 先日お願いしましたように、ぼくの戸籍の抹消手続きを ・・・ 」
ジョ−は 他人ごとのように淡々と言った。
「 ジョ−? そんな ・・・ あなた、<いないヒト>になってしまうわ。 」
「 島村 ジョ−は もういない。 そのほうが ・・・ いいんだ。 」
驚いて口を挟んだフランソワ−ズに ジョ−は静かに答えた。
「 まあまあ。 その件じゃが。 どうだな、このまま。 そっとしておこうの?
7年で失踪宣告じゃ。 自然に、時間( とき )が 流してくれる。 」
慌てることはない、と相変わらずコズミ博士は のんびりと言う。
ギルモア博士の 深い溜息が漏れる。
「 それに、な? 」
「 ・・・ はい? 」
コズミ博士が 明るい声で付け加えた。
「 いつか きみも。 新しい人生を始めるじゃろうし。 」
博士の柔和な笑みが ぴたりと寄り添って座っている二人に温かく注がれた。
「 さ ・・・。 辛気臭いハナシはこれで終りじゃ。
お嬢さん、お手数ですがお茶をもう一杯 いただけませんかの? 」
「 ・・・あ ・・・ はい! まあ、すっかり冷めてしまいましたわね・・・
ちょっとお湯を沸かしなおしてきますわ。 」
「 ああ、ぼくも手伝うよ、フランソワ−ズ 」
ジョ−は元気よく立ち上がると フランソワ−ズとキッチンへ出て行った。
コズミ博士が 無言でギルモア博士の肩をぽん・・・と叩いた。
ゆっくりと顔を上げたギルモア博士は ぎこちなく微笑みようやっと愁眉を開いた。
腕の中の柔らかい身体は 穏やかな寝息をたてている。
ジョ−はしばらくフランソワ−ズの寝顔に見とれていたが、やがてそっと腕を外しベッドを降りた。
ガウンをひっかけて 壁にかけたフォト・フレ−ムに手を伸ばす。
ぼんやりした常夜灯のもとで 古写真はますます心もとない映像を見せる。
− これが ・・・ ほんとうに ・・・?
中央におそらく生後何日もたっていない赤ん坊。
その子を抱く若い母親 ・・・ 赤ん坊の方にピントが合っているので
母の表情はぼやけてしまっているが、彼女の幸せそうな様子は充分伝わってくる。
ジョ−は そっと赤ん坊の顔を撫でた。
裏を返せば、隅に色褪せたインクの ジョ− JOE の文字を確かめる。
そして・・・
なによりもジョ−をひきつけて止まないのは ・・・ 隅の方に写った上着の端。
明らかに男物の、軽いジャケットらしい。
これが、本当にぼくを抱くかあさんなら。
この上着は。
・・・とうさんのだ。 きっと、そうなんだ。 そう、思いたい。
どうしてこの写真が手元にあるのか、ジョ−にははっきりとはわからない。
ただ、夏にふらり、と出かけた一人旅からもどったあと、
持ち歩いていた鞄の奥からでてきたのだ。
どこで、どうして。
さんざん思い巡らしたが、まったく思い当たる節はなかった。
なんとなく、誰にも打ち明ける気にならず、かといって処分することもできずに、
ジョ−はこの写真を今日までこうして手元に置いている。
ほんとうに、今日はどうしたっていうんだ・・・
ジョ−はぶるっとアタマを振った。
初めて見た人形に なぜかとても心引かれ、
初めて聞いたはずの童謡は 懐かしく温かい気持ちがした。
くりかえし くりかえし 自分の耳元で あの歌は やさしく響いていた。
そして ・・・ なによりも。
今、隣に眠る少女が 一瞬全然別のヒトのように感じた・・・
ガウンを脱ぎ捨てると ジョ−は眠っているフランソワ−ズの隣にすべり込んだ。
馴染んだ香りと温かさが ふわり、と彼をつつむ。
もういちど、そっと彼女の身体に腕をまわし、濃い睫毛が落ちる寝顔をじっと見つめた。
フラン、きみは ・・・ 勇気があるね。
きみは ちゃんと行ったんだ。
自分の過去と 本当の自分自身と向き合うために。
思い出の街へ きみの ・・・ 過去が眠る地へ
それも たった一人で。
・・・ ぼくも。
ジョ−は 腕の中に眠る最愛の人に軽く口付けをすると
お気に入りの彼女の髪に顔をうずめ、そのまま眠りに落ちた。
Last
updated:10,25,2005.
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**** 言い訳 ****
もう少し続きます。
・・・なにせ<公式設定>のない方ですので ⇒ ジョ− ・ ママ。
思う存分勝手に妄想させていただきました。 そのへん、ご勘弁を〜(汗)
尚、実際の < 青い目の人形 >については こちら を。
そして 童謡 『 青い目の人形 』 については こちら をご参照ください。
・・・【 人形博物館 】 @ヨコハマ、はフィクションです。 (^_^;)