念のためとか言って、有無を言わさず一番近い病院に連れていかれたボクはめでたく”流行性耳下腺炎”・・・いわゆる”オタフクカゼ”と診断された。

ボクを診察した医師は、「普通はこんな小さな赤ちゃんはかからないものなんだけどねぇ・・・」と首を傾げながらも痛み止めを出してくれた。・・・・座薬を。座薬だって? どんなに痛くなったって絶対使うもんか・・・!

 

それにしても・・・・オタフクカゼなんて。

1週間は外に出られない。無論”お楽しみ”の約束も・・・・ああ、なんて運が悪いんだろうボクは。

耳の下の痛みは少しずつひどくなってくるし。熱もまた少し上がってきたみたい。

 

それなのに・・・・・・・・。

 

 

 

 

「あの病院には二度と行けないわね」

帰りの車の中。

住所氏名は適当に書き、保険証って何のこと?私日本語わかりませーん!というフリをして無理やりボクを診察させたフランソワーズ。疲れてるみたいだけど、それ以上に嬉しそうだ。

「良かったわ・・・! 何か悪い病気だったらどうしようかと思った」

ニコニコとボクの顔を覗きこむ。

「そうだね。オタフクかぁ・・・。全然気づかなかったよ」

ジョーも何やら楽しそうだ。フランソワーズのことを、病院の看護婦たちが『綺麗な人ねぇ』とうっとり眺めていたのがよほど嬉しかったらしい。キミはキミで注目されてたんだけどね、『若いパパはやっぱり少し頼りないわね』って。

大体自分で言ってやれよ!そのくらい。

「いっつもスカしてるお前がオタフクとはな。ハハハッ!」

助手席のジェットが振り返って、面白そうにボクのほっぺたを突っついた。止めろよ!痛んだから!!

 

もう・・・腹立つなぁ! 何はしゃいでんだよ、みんなして・・!!

 

 

「イワン? ひどく痛むの・・・?」

むっつり黙り込んでいるボクに気づいて、フランソワーズが首をかしげた。

『・・・・・・・春なのに』

「え?」

『こんないい季節なのに・・・家の中にいなくちゃいけないなんてひどいよ』

 

「ぷっ・・・あははは・・!!」

またみんなが笑った。何がおかしい。

「いい季節? イワンでもそう思うのかい?」

ジョーがおかしそうに言う。案外失礼だな、キミも。

「お前が弱音吐くなんて愉快愉快・・・・!」

弱音じゃないよっ。あったまくるなぁ!

「大丈夫よ、熱が下がったらお庭くらいには出してあげるわ。それでも十分気持ちいい・・・・・」

『それじゃダメなんだよっ!サーカスは明後日までなのに・・・!!』

 

「? サーカス?」

 

やばいっっ・・!!

うっかり口が滑って、ボクは慌ててフランソワーズの胸に顔を隠した。 

 

「サーカスって・・・・何のことだよ?イワン」

「サーカスがどうかしたのかい?」

 

「イワン・・・・・・」

フランソワーズがぎゅうっとボクを抱き締めて優しく囁いた。

「覚えてたのね・・・・?」

『・・・・・・・・・・』

 

「そういえば・・・・横浜に有名なサーカス団が来てたっけ」

ジョーがハンドルを握ったまま頷いた。それを聞いたジェットがバカにしたように笑い出す。

「・・・何だよ、お前サーカスなんぞ見に行きたかったのか? ぶっはっは・・・! 案外ガキじゃねえか!」

「ジェット!!」

フランソワーズが怖い顔でジェットを睨んだ。

「だってよぉ・・・・あっはっはっは・・・!」

『・・・・・・・・・』

・・・・・ボクがサーカス見たがるのが、そんなにおかしい?

 

 

だって・・・だってこの前の”昼”の時間。フランソワーズとテレビを観ていたら、偶然サーカスの宣伝やってて。

ゾウやトラが人間の言うコトちゃんと聞いてさ、いろんな芸をしていて。すごかったんだ、ボールに乗ったり火のついた輪をジャンプしてくぐったり。どうやって意思の疎通を図ってるのかとか、動物たちはイヤじゃないのかとか、いろいろ興味が湧いて・・・・・。空中ブランコも曲乗りもすごく綺麗だったし。普段みんな戦場で似たようなことやってるけど彼らは普通の人間だものな。すごいよ・・・・。

 

それで夢中になって観ていたら、フランソワーズが突然言うから。

『イワン、これ行ってみたくない? ちょうど次の”昼”の時間にこの近くに来るわ』

『見たい』

即答しちゃったりして。

『そう? 私もなの!』

フランソワーズがとっても嬉しそうに笑って、

『ジョーも博士も仕事でいないはずだから・・・二人でコッソリ行きましょうね』

ボクにウインクした――――。

 

 

 

 

 

 

『・・・・・・・・・』

「イワン・・・・?」

顔は見えないけど、フワンソワーズはきっと心配そうな目でボクを見てる。

『いいんだ、別に』

何か言いかけた彼女から顔を背けて、ボクは思い切り不機嫌な声で言った。

『痛いからボク寝る』

 

いいんだ、もう。

サーカスも、クロッカスも、モンシロチョウも。

梅の香りもキラキラした海も。

二人だけの春の散歩も。

 

耳はズキズキ痛んできたし。

 

みんな思ってる。せいぜい10日かそこらで治るんだからそんなにいじけなくても、って。

でも・・・・そしたらボクはまた否応なしに”夜”の時間へ。

次に目覚める頃には、こんな鼻をくすぐるような花の香りや柔らかで穏やかな日差しはきっともうない。春のはじめの、どこかウキウキするようなそんな風が吹いているのは―――今だけなんだ。

・・・・来年のことなんて、ボクらには考えられないし。

 

 

今のこの季節を、外に出ていっぱい感じたかったな・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

結局ボクのオタフクは10日たっても2週間たっても治らなかった。

みんな口では痛がるボクが可哀想だとか言っていたけど、その実かなり面白がっていたのをボクは知ってる。

『記念だ』とか言ってボクのパンパンに膨らんだ顔を写真やビデオに撮って、わざわざ日本にいない仲間に送ってやったり(それがものすごくウケたらしいのがまたシャクに障る)、『こうすると楽よ』と言ってボクの顔のまわりに湿布を貼って、固定するための包帯を頭の上で結んで『可愛い!うさぎさんみたい!』と喜んでたり(もちろんコレはフランソワーズだ)。

 

サーカスは行ってしまったけど治ったらせめて散歩くらいは・・・と思っていたボクは、まもなく眠りに入るという頃になってようやく気づいた。

ボクの場合、普通の赤ん坊の1日分成長するのに30日かかる。オタフクは普通なら完治するのに約10日・・・・ということは?

 

・・・迂闊だった。

じゃなくて・・・冗談じゃないよっっ!! こんな生活があと何ヶ月も続くなんて!

 

愕然とするボクをよそに、みんなはいつも以上に楽しそうだ。

 

「それにしても一体いつうつったのかしらね? オタフクの潜伏期間は2週間くらいだそうだけど・・・・2週間前は殆ど外に出なかったのに」

「でもホラ、イワンはちょっと特殊だから」

「あ、そうね。えっと・・・イワンの場合、私たちの1ヶ月が1日にあたるんだから、イワンの2週間前っていうと・・・・」

「14ヶ月前か? マジかよ」

「そういえばフランソワーズさ、前の前の冬くらいに、イワンを連れていってた公園でオタフクが流行ってたって心配してなかったっけ?」

「あっ・・・! そうだわ! 確かにそんなことがあったような・・・・・」

「よく覚えてんな、お前ら」

「きっとそのときうつってたんだよ」

「すごいわ、ぴったり計算通りね・・!」

「ある意味マヌケじゃねえか?1年以上前のオタフク菌をずっと持ってたってことだろ?」

 

―――オタフクは細菌じゃありません。ウイルスです。

 

はあ・・・・。もう何も言う気になれない。

いいさ、みんなで好きなだけ面白がればいいさ。どうせもうボクは眠ってしまうんだ。

ホラ・・・・頭の中が霞んできた。もうすぐ”夜”の時間がやってくる兆し。

眠ったら・・・この痛みも消えるといいな。そして次に目覚めるときには・・・・・・・。

いや、もう”次”なんて考えるのはよそう。

 

2週間先の”次”なんて・・・・何が起こってるかわかりはしない。

 

そもそも・・・・”次”の目覚めが必ず訪れるなんて・・・・限らない、し・・・・・・・・。

 

―――急速にボクは眠りの世界に引きずり込まれていく。

 

おやすみ・・・みんな。また会えるといいね・・・・・・そしたら・・・今度こそ・・・・・・ぽかぽか・・・・おひ・・さまの・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・イワン? ああ・・・眠っちゃったのね」

フランソワーズがふわりと微笑んで、そっと薄い毛布をかけてやる。

「何だよ、眠ったとたん平和な顔しやがって」

「眠ったら痛みも感じないのかな」

「ふふ、そうみたい。良かった・・・。―――今回は可哀想だったわね、イワン・・・・」

「まあな」

「でも・・・・・・」

 

頬に微笑を乗せたまま、フランソワーズがイワンの柔らかな銀髪を撫でた。

「嬉しかった」

「・・・・・うん」

ジョーがそんな彼女を見て同じような微笑を浮かべ頷く。

 

「サーカスを見たいとか、散歩に行きたいとか・・・・あんな風に駄々こねることなんて、少し前のイワンからは考えられなかった」

「・・・・・・・・・・」

ジェットも黙ったままじっとイワンを見つめている。

「しかもオタフクですって・・・! 普通の子と同じように・・・・・ほっぺた腫らして・・・・・・・」

笑ったはずのフランソワーズの声が途中で震えた。

「・・・・フランソワーズ」

片手で顔を覆った彼女の肩を、ジョーが優しく抱いた。

「バ・・・バッカじゃねえの? んなことで泣くなよ! ホラ、調べとくんだろ? 例のサーカスの公演先!」

相変わらず乱暴な口調のジェットだったが、ぐしゅっ!と一回鼻を啜ったのを他の二人もちゃんと聞いている。 

「そうそう、半月後のね。サーカス見に海外旅行ってのもすごいけどなぁ」

「たまにはいいだろが。それより治るのかねぇ、そん時までに」

 

「・・・・大丈夫よ、きっと」

まだ涙の乾かない瞳がにっこり笑った。

「ほら、見て・・・・・・」

 

彼女が示したイワンの顔が、さっきよりほんの少し小さくなっている。

「ありゃ?」

「腫れが・・・ひいてる?」

驚く二人に、フランソワーズが華やかに笑った。

「前に怪我したときも、眠りに入ったらみるみる傷が塞がったのよ。それにホラ、赤ちゃんは眠ってるときに成長する、って言うじゃない。次に起きるときにはきっとすっかり良くなってるわ・・・・!」

 

 

 

 

 

ね、イワン。

目が覚めたら旅行の準備よ! ゾウもトラも空中ブランコも、みんなアナタを待ってるわ。

帰ってきたら毎日散歩。桜がちょうどほころぶ時期だもの。イヤっていうくらい外に連れ出してあげる。

 

 

だから・・・・早く目を覚ましてね、可愛いイワン。

 

 

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

******  掲載当時の霜月さまのコメントです  ******

 

<あとがき>

このお話は私にしては珍しくタイトルが先に決まりました。

というのも、いつもサイトに遊びにきて下さっている方から「こんなタイトルのピアノ曲があるんですよ」というお話を

伺ったからなのです(^^)

そう、『イワンは外に出られない』。はじめて聞いたとき思わず吹き出してしまいました。そして妄想の赴くままに

こんな話が・・・・・。Mさん、本当にありがとうございます!

イワンがおもいっきり別人のようですが、たまにはこんなイワンもいいかな〜、なんて(^^ゞ

イワンの成長サイクルや体質?についてはかなりいい加減に考えていますので、そのへんはサクッと流していた

だければ幸いです。そしてジェットは何故か平成版っぽく・・・・。



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