イワンは外に出られない

 

 

 

 

目覚めるときっていうのは、いつも同じじゃない。

少しずつ頭がはっきりしてきて、目は閉じたままでも、ああ、ボク目が覚めたんだと自覚するときもあれば、気づいたら大声で泣いていた、ってこともある。大抵そんなときはものすごくお腹がすいているか、何か重大な出来事を予知したとき。

 

どちらにしろ、目が覚めたらボクはまず周囲にアンテナを伸ばすことにしている。

大体15日間も眠っていると、寝たときと起きたときの状況が同じ、ってことの方が少ないわけで。

家のベッドで眠りに入ったはずなのに起きたらドルフィン号の指定席で、しかも船はぶっこわれる寸前だったり、戦場にいてもうじき敵は全滅、今回は楽勝だったな・・・と目をつぶったのに、目覚めたら相変わらずおんなじ敵と戦っていたり。誰がポカをやったかはちょっとみんなの意識を探ればすぐわかる。ケリをつけるのは結局ボクなんだから、もうちょっとしっかりして欲しいよね。

 

 

で、今回の目覚めはというと。

何となくわくわくするような気分でボクは意識を取り戻した。

目は閉じたまま、このわくわくは何だっけ・・・とまだ半分眠っている頭で思い出そうとする。

いつもならすぐにクリアになる頭の中が、今日はどういうわけかボンヤリしている。暑いからかな。

 

そう、暑い。身体がぽっぽとする。おかしいな、今は春だったはず・・・まさか夏まで寝過ごしたってことはないよね。でも暑い。暖房が効きすぎてるのかな。・・・・咽喉も渇いてる。

 

――あ。

痛い。

 

つばを飲み込もうとしたら咽喉の奥、耳に通じるあたりにキリ、と痛みが走った。

もう一度、ごく。

 

・・・・痛い。

 

「ふぇ・・・・・」

 

自然と涙が出てきてしまう。ボクは痛いのは苦手なんだ。

 

「ふぇ〜〜ん・・・ふぇ〜〜・・ん・・・!」

 

咽喉が痛いからあまり大きな声は出せない。

でもすぐにパタパタと軽い足音がして、かちゃりとドアが開いた。

 

「イワン、起きたのね・・・・おはよう!」

 

そこでようやくボクは目を開いた。チェックするのを忘れていたけど、寝ていたのはギルモア博士の寝室にあるベビーベッドの上。目の前にかがみこむフランソワーズはふんわりした白い薄手のセーターにフレアスカート。

うん、とりあえず何も起こってないようだな。

 

・・・あ!思い出した・・・わくわくの理由。そうだ、約束したんだフランソワーズと。「今度目が覚めて」「何にもトラブルが起こってなかったらね」「ジョーもいないから二人で・・・」って。うん、この分なら大丈夫。ああ、でも・・・・。

 

「・・・・ふえっ・・・っ・・えっ・・・」

「どうしたの?イワン。お腹すいた・・・?」

フランソワーズが着ているセーターみたいにふんわりと笑ってボクを抱き上げる。

 

違うよ、咽喉が痛いんだ・・・・・。

 

テレパシーで伝える前に、彼女があら?という顔をした。

 

「イワン・・・? アナタ何か熱くない?」

 

『・・・うん、暑い。暖房入れ過ぎだよ』

 

ボクの言葉を聞いてるのかいないのか、フランソワーズはボクのおでこやら脇の下やら腿のあたりをせわしなく次々に押さえた。フランソワーズの手のひら、冷たくて気持ちいい・・・・・。

 

「いやだ! イワン、熱があるわ・・・!!」

 

―――え?

 

彼女は驚いた顔でボクを見つめ、すぐにドアに向かって叫んだ。

「ジョー・・・! ジョー、来て・・・! イワンが・・・・・!!」

 

そうか、暑いんじゃなくて、熱いんだ・・・。でね、フランソワーズ。咽喉も痛いんだよ・・・・・。ん?ジョーがいるの? 仕事で留守にしてるはずじゃなかったっけ?

 

大股に歩いてくる足音がする。ボクは何となく彼女の胸にしがみついて、くったりしてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしよう・・・。私のせいだわ。寒いのに外に散歩に連れていったのがいけなかったのかしら」

 

フランソワーズがボクのおでこに冷たい熱さまし用のシートを貼りながらおろおろと言う。

違うよ、君のせいじゃないよ・・・。

 

「うーん・・・でも大丈夫だよ、きっと。ちょっとした風邪じゃないかなぁ」

 

ジョーが心配そうにボクを覗き込む。そうか、先方の都合で仕事は伸びちゃったんだね。でも彼が本当に心配してるのはボクよりも隣で蒼ざめている彼女の方だ。

いつもそうなんだよな、ジョーは・・・・。けして本心を言うことはないけどね。(自覚もないらしいし) 

 

「風邪なんて・・・こんなこと今まで一度もなかったのよ? 何か悪い病気だったらどうしよう」

『心配しなくていいよ、フランソワーズ。大したことないさ』

「でも博士もいらっしゃらないのに・・・今朝なのよ、ここを出たのは」

 

ドイツに行ったんだね。そう言えばアルベルトをお供に知り合いの研究所を訪ねるとか言ってたっけ。

 

「熱は何度?」

ジョーが聞く。

「38度7分」

「う〜ん・・・・結構あるね。大丈夫だとは思うけど・・・」

「病院に連れていった方がいいかしら?」

 

とんでもない! 得体の知れない人間にあちこちいじくられたりしたくないよ!

 

『その必要はない』

「だってイワン・・・! 今はまだいいかもしれないけど、もっとひどくなるかもしれないのよ?」

『大丈夫。解熱剤がある』

「そんなこと言ったって・・・!」

「・・・そうだね。少し様子を見てみよう。あまり軽々しく外部の人間に診てもらうのもどうかと思うし。イワンも調子がおかしかったら我慢しないでちゃんと言うんだよ」

 

うん、やっぱりいざというときは冷静で頼りになるね、ジョー。

それでもまだ心配そうなフランソワーズの肩に手をかけて安心させたりしてさ、彼女も少し落ち着いたみたいだよ。

とりあえず咽喉が痛いことは黙っていよう。これ以上騒がれるのはゴメンだ。

ああ・・・それにしても熱いなぁ・・・これが風邪っていうものなのか。初めての経験だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

外はポカポカいい天気。花壇に水仙、クロッカス。

 

春だなぁ・・・・。さすがのボクもこんな日は外に出たい。

『ねえ、フランソワーズ。ちょっと散歩に行きたいな』

とたんに「だめよ」とにべもない答えが返ってくる。

「熱のある子が何てこというの? 今日はおとなしくしていなさい」

ボクの額に手をあてて、

「まだ下がらないわね・・・・気分はどう?」

 

『・・・・悪くない』

本当はぼーっとするし、咽喉や耳も泣きそうなくらい痛いけど。

『だから、大丈夫だよ』

少しくらい外の空気を吸っても。

 

「いけません」

 

「フランソワーズ・・・・! これどこに植えるの?」

庭の方から暢気なジョーの声。

「ちょっと待って・・! イワン、大人しくしていてね? すぐに戻るわ」

『・・・・・・・・』

 

パタパタと駆けていったフランソワーズ。

やがて窓の外から楽しそうな二人の声が聞こえてくる。

 

 

 

 

 

外はポカポカいい天気。たんぽぽ、すみれ、モンシロチョウ。

 

外に出たいなあ・・・・・。

なんでこんないい陽気のときに風邪なんかひくかなあ。

そもそも・・・約束覚えてる?フランソワーズ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ熱があるわね・・・・・」

”昼”の時間とはいえ、さすがに熱のせいでうとうとしていたボクはフランソワーズの心配そうな声で目を覚ました。

額にひやりとやわらかな感触。

「あ・・・ごめんなさい。起こしちゃった・・・?」

ボクの額から手を離して囁く彼女はネグリジェにガウン姿。今は・・夜中の2時。そうか、今夜はフランソワーズの部屋で寝ていたんだ。

『ううん。だいぶ楽になったよ』

咽喉の痛みは増したような気がするけど。

 

そこへ躊躇いがちなノックの音。

「・・・・フランソワーズ?」

ジョーだ。

フランソワーズがさっと立ち上がってドアを開ける。

「あ・・・・ごめん、こんな時間に。あの、明かりが見えたから・・・起きてるのかと思って。イワン、どう?」

パジャマ姿のジョーがフランソワーズに促されて遠慮そうに部屋に入ってくる。

「まだ熱が下がらないのよ・・・。ミルクも殆ど飲まないし」

二人が頭をくっつけるようにしてボクを覗き込む。近くで見ると二人ともホント大きくて綺麗な目をしてるな。

ジョーのは琥珀色。フランソワーズはエメラルド。ボクのは・・・どんな色だっけ。

 

「熱があるときは水分取った方がいいんだよ、イワン。水は?」

『いや、いい』

お腹はすいたけど・・咽喉が痛くて飲み込むのが辛いんだ。でもそれを言うとまた心配するからな。

二人が顔を見合わせている。

 

「ねえ、ジョー・・・本当に風邪かしら。だって鼻が出ているわけじゃないし、咳もしてないのよ? 何か他の病気だったら・・・・」

「え? ・・・う〜ん・・・・」

『風邪だよ』

だって咽喉痛いもの。

「イワン、本当に他に具合の悪いところはないの?」

『大丈夫。昼間よりは熱も下がってるし。測ってごらんよ』

そうかしら、と首を傾げながら、フランソワーズがそっとボクを抱き上げて体温計を挟んでくれる。

ズルしちゃダメよ?と床にぺタリと座り込んで、いつもよりほんの少し力をこめて抱いてくれるフランソワーズの瞳は心配そうにボクの顔に注がれている。

 

そんなボクらを、ジョーが少し離れたところからじっと見つめていた。

何だか・・・ボクまで切なくなるよ。そんな柄じゃないけどさ。

 

憧憬、羨望、そしてわずかばかりの嫉妬。

 

キミは人一倍母親への想いが強いからね・・・・気持ちはわかるけど。

でもこの嫉妬はどっちなんだろう。”母親がいるボク”に対してのものなのか、”フランソワーズを独占してるボク”に対してのものなのか。こればかりはボクにもわからない。

まぁいいか。悪いね、ジョー。たまにはいいだろ? キミだって怪我したときはボク以上に心配してもらってるんだからさ。

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

今日も朝からいい天気。小鳥のさえずり、誘うような波の音。

昨夜はあのあと強制的に二人を眠らせた。フランソワーズはずっと起きているつもりだったらしいけど可哀想だし。でもちょっと力を使っただけなのにすごく疲れた。やっぱり風邪のせいかな。

 

熱は少し下がってきた。咽喉と、それから耳も相変わらず痛いけど、これは黙ってればわからないしね。

この分ならフランソワーズとした約束も・・・ええと、あれは明後日までだっけ? うん、まだ間に合う。ジョーも一緒ってことになるだろうけど・・・それはそれで仕方ないか。フランソワーズと二人っきり、ってのも魅力だったんだけど。

 

 

あ。フランソワーズとジョーが外で洗濯物を干してる。何もそんなことまで仲良くやらなくてもいいのに。

でも、気持ち良さそうだなあ・・・。

 

『フランソワーズ。ボクも外に出たいな』

シーツのシワを伸ばしていたフランソワーズがこっちを振り向いて首を振る。

『ダメよ。まだ熱があるでしょう?』

『もうだいぶ下がったよ』

『だーめ。もう少し我慢して。今日1日我慢したらきっと明日には良くなってるわ』

 

ボクの熱が下がってきたことでフランソワーズも少しホッとしたらしい。

今日は表情が明るい。

 

『ねえ、フランソワーズ。少しだけ』

『いけません』

 

この「いけません」は絶対なんだよな。ジョーのヤツ、彼女の隣でニヤニヤしている。ちぇ。テレポートしちゃおうかな。

 

でも・・・風邪っぴきのボクがいなくなったら、二人ともきっとすごく心配するだろう。―――うん、それは止めよう。

せめて少し意識を飛ばして・・・・・・・。

 

 

 

 

ボクはアンテナをずーっと遠くまで伸ばしてみた。

海は春の日差しを浴びてきらきらと光っている。遠くに船が一艘。カモメが2羽。

今度は反対側に意識を向ける。山を下って住宅街へ。どこの家も花が綺麗だなぁ。白梅・紅梅、れんぎょう、ゆきやなぎ。きっと町中いい香りがするんだろう。

 

ああ・・・散歩に行きたいな。

 

いつもは博士の書斎や研究室が好きなボクも、こんな季節は。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ン。イワン?」

 

いつの間にかフランソワーズとジョーが居間に戻ってきてた。二人からおひさまの匂いがする。

「どうしたの? また具合悪くなってきた・・・?」

柔かい手がボクの額に当てられる。

『ううん。ただ外に出たいだけ』

ちょっとむくれた顔をしてみる。こんなときだもの、少しくらいワガママ言ってもいいよね。

 

「イワンったら・・・」

フランソワーズが肩をすくめて苦笑する。

「今日だけは家の中でいい子にしていて。熱もようやく少し下がってきたんだし・・・ね?そしたらこの間約束したところに連れていってあげるわ」

 

あ、ちゃんと覚えていてくれたんだ・・・・良かった!

ジョーはきょとんとした顔をしている。こんなこと楽しみにしてるなんて知られるのはイヤだな。子供っぽいと思われるのはシャクだ。

 

『約束? 何だっけ?』

 

「もう・・・やっぱりイワン、忘れてるのね。この前約束したじゃない、今度の”昼”の時間に・・・・・」

 

と、フランソワーズが突然顔を上げた。

「ジェットだわ!」

「え?!」

 

ホントだ。

頭上にキィィン・・・と聞き慣れた飛行音と、それに続く噴射音。微熱でぼんやりしていて気づかなかった。マズイな、敵襲だったらヤバかった。まぁフランソワーズがいるけど・・・。

 

 

特殊ロックの玄関ドアを開ける音がして、すぐに防護服姿のジェットが顔を覗かせた。

「よう、フランソワーズ! 変わりねぇか?」

「ジェット・・・!」

「どうしたんだい? いきなり」

最初こそ驚いた顔をしたものの、ジェットの気まぐれには慣れているジョーが穏やかに応じる。

「あれっ? ジョー、お前仕事は・・・?」

びっくりしているのはジェットの方だ。

「え? ああ、ちょっと向こうの都合が悪くてね、伸びたんだ」

「・・・・ふーん・・・そうか。ああ、いや・・・ギルモア博士も留守にするって聞いたもんでよ、女子供だけじゃ不用心だと思ってな・・・・ま、ヒマだったしよ」

「・・そうか。ありがとう」

 

ジョーは終始にこやかだけど、心の底でほんの少しムッとしたのをボクは見逃さないよ、熱があったってね。

久しぶりにフランソワーズと二人きりで過ごせるはずだったのに、って? ボクの存在忘れてないかい?

ジェットの魂胆は見え見えだし。大体、本当ならこの”昼”の時間はボクがフランソワーズと二人で・・・・・。

 

 

「よっ! 珍しく起きてんのか?イワン・・・・・っと?」

騒々しくボクを覗き込んだジェットが吹き出した。

「ぶはは・・・! コイツ、また顔が丸くなってねえか? ひでえ下膨れ!」

 

失礼だな、相変わらず! キミの鼻こそまた伸びたんじゃない?

 

言い返そうとしたボクを、パッと振り返ったフランソワーズがマジマジと見つめる。

「・・・・そういえば・・・」

「フランソワーズ?」

「ねえ、ジョー! イワンのほっぺた、腫れてない?」

「え? ええっと・・・よく・・・わからないけど・・・・」

フランソワーズの剣幕に、ジョーがしどもどと答える。

「そうよ! 普段からイワンまんまるほっぺだし、毎日見てるから気づかなかったけど・・・腫れてるわ!!」

 

「ぎゃっっ・・・!!」

 

いきなり両方の耳の下を押さえられて、ボクは悲鳴を上げた。

ぐりぐりぐり。

 

!!!!!!

 

「うぎゃあっ・・ ほぎゃああっっ、ほぎゃああっっ・・・!」

 

痛い・・・ものすごく痛いよーっっ!! ひどいよ、フランソワーズ・・・!!

 

「ちょっ、ちょっと・・・フランソワーズ?! 何を・・・」

「やっぱり・・!! そうだわ、きっと・・!」

勝ち誇ったように叫ぶフランソワーズ。何なんだよっ、一体。

 

 

「”オタフク”よ・・・・!!!」

 

             
              next    /    index