『 アメイジング・グレイス  − 1 − 』 

                                                 企画・構成 : めぼうき ばちるど
                                                               イラスト   : めぼうき
                                                               文      : ばちるど




    ・・・ ここ?  ふうん ・・・ 医療の最先端を行ってますってほどじゃないのね。 
    結構 年季も入ってるし。  ・・・・ ま、当てにしてやしないけど。

服部歌帆はふ・・・っと溜息を吐き、周囲を見回した。
超現代的、とはお世辞にもいえない建物だったけれど、隅々まで掃除が行き届いている。
しかし多くの人々が行き来するロビ−ですら、修繕の跡が見受けられた。
都会の高層ビルにはいった有名な病院を見慣れた目には かなり質素、いやはっき言って
みすぼらしい・・・とさえ映る地方の地味な医療機関だった。

ただ。 行き交う人々が ― 医療に従事する人々もそして患者として来た人々も ― とても
穏やかな表情を見せているのが印象的だった。

    本当に優秀な医療機関なのかしら。
    ・・・ ただの風邪引きや歯痛の治療に来たのじゃないんだけど。

あまりに平和な光景に、かえって歌帆は不安になってしまった。
不意に ・・・ 一陣の風が歌帆の長い黒髪をゆらした。
ほんのりと甘香りを含んだ風が 建物の中に吹き込んできたのだ。
・・・ とん!
軽い衝撃を 背中に感じるた。 身体が大きくゆれ思わず声をあげた。

「 ・・・! ・・・・ ( きゃあ・・・! ) 」
「 ・・・ あ! ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか ?? 」

後ろから急に押され 彼女はバランスを崩し床に手を着いてしまった。
風と一緒に駆け込んできた人物と追突事故をおこしてしまったようだ。
ロビ−への入り口でぼんやりと突っ立っていた歌帆の方が悪いのだが・・・
「 す、すいません! 僕が不注意で・・・ 大丈夫? 立てますか?
 あ・・・ 担架か車椅子、もってきましょうか? 」
強い腕が ゆっくりと彼女を支え、立ち上がらせた。
「 どこか痛みますか。 足とか ・・・ 腕とか ・・・ ? 」
後からきた人物はさかんに気を揉んでいる。

   ・・・・ ああ、びっくりした・・・・!
   ふん、ぎゃあぎゃあウルサイわね! なんともないかどうか 見ればわかるでしょ!

「 あの・・・ 通院の方ですか? 科はどこでしょう。 僕、担当医に説明しますよ。 
 ああ、歩けますか。  怪我、してますね 外科の患者さんかな。 送りますよ。 」
「 ・・・・ 大丈夫です。 放っておいてください! 」
「 ・・・・ あ。 す、すみません・・・・ 」
振り向けば 明るいセピアの瞳が心配そうに大きく見開かれている。

   こんな掠れ・・・汚い声に 驚いた?  へえ〜〜って薄笑いしていいのよ。
   若いオンナノコが気の毒に・・・って顔していいんだってば!

「 本当に平気ですか? すみません、僕の前方不注意でした。 」
青年は ― 歌帆と接触してしまった人物は明るい髪をした青年だった ― ぺこり、とお辞儀をした。
「 平気ですから。 ・・・・ 行ってください! 」
「 でも ・・・ 」
「 ・・・・・・・ 」
歌帆はなぜか彼の視線から逃れたくてぷい、と横を向いてしまった。
「 あの ・・・・ あ・・? 」

  < 島村先生。 島村先生。 いらっしゃいましたら至急 ・・・ >

天井のスピ−カ−がさかんに呼び出しをしている。
「 ヤバい! 遅刻だ〜〜  あの、それじゃ。 本当にごめんなさい! 」
もう一回深々と頭をさげると 青年は大股でロビ−を突っ切って行った。
ずいぶん明るい色だと思っていた髪が きらきらとライトに反射している。

   ・・・ なんなの?? あれでも ・・・ 医師??? やだ、金髪なの?

歌帆は呆然とひょろり、とした後ろ姿を見送っていた。
ヘンなヒト。   ・・・・ でも。
そっと歌帆を支えてくれた手は 大きくて暖かかった。

   ・・・ あの・・・ 手。  パパの手と 似ている・・・かも
   大きくて いつもがっしり支えてくれて。 わたしは安心して歌っていられたわ・・・

ハナの奥が つう〜〜んと熱くなり・・・歌帆は慌てて頭を振った。
もう ・・・ 忘れたわ。
あの頃の私は ・・・ あの時、パパと一緒に死んでしまったのよ。 天使の声と一緒に死んだの。

ぽた・・・・
足元にひとつ。 水玉がひとつ。
歌帆はしばらく眺めていたが、やがて顔を上げると今度こそロビ−に入っていった。





                   









「 ・・・ 失礼。 服部教授ですね。 ご同行願います。 」
「 ? なんだ、君たちは。 突然に失敬な。 ここをどこだと思っているのかね。 」
服部教授は突然自分の座席の横に立ちはだかったオトコ達に眉を顰めた。
「 フライト中なのは承知の上です。 さあ。 」
「 君は ・・・ 例の仲間なのか。 」
「 ・・・・・・ 」
黒づくめのオトコは サングラスの下で薄い笑いを浮かべている。
「 パパ・・・? 」
「 歌帆。 お前はじっとしておいで。 」
教授は通路を挟んだ隣から身を乗り出してきた娘を真顔で制した。
「 君たち! 自分の席に戻りたまえ! 他のお客さんに迷惑だろう! 」
「 それは 教授、あなたの態度次第です。 」
「 ・・・ なんだと? 」
「 あの・・・ お客様? いかがなさいました? 」
キャビン・アテンダントの女性が 何事か、と駆けつけてきた。
「 当機はまもなく成田に向けて、着陸態勢にはいります。 どうぞ お席にお着きになって
 シ−ト・ベルトを着用してください。 危険です。 」
「 ・・・ 煩い! 」
「 な、なにを・・・ あ・・・・! く ・・・・ 」
黒服のオトコはCAの女性に軽く当身を食らわせ、通路に転がしてしまった。
そして向き直ると 服部教授の身体を強引に座席から引き立てた。
「 おい! やめろ、やめるんだ!! 」
「 大人しくしろ。  素直にオレ達と一緒に来い。 」
「 ・・・ お前ら・・・ 何者だ? 」
黒ずくめの服の下に 銃口が覗いている。
トラブルか?とざわめいていた客席から 悲鳴が上がる。
「 どこへ連れてゆこうというのだ。 ここは 空の上だぞ! 」
「 極上の研究機関へご案内します。 アナタさえ 諾 とおっしゃれば豊富な研究資金も
 設備もすべて提供いたします。 ・・・ 我々の一員となってくださるのならば。 」
「 なんだと! 」
「 ここから我々の機に <乗換えて> 頂きます。 どうぞ。 」
「 やめろ! この手を放せ・・・!! 」
・・・ カチャン ・・・
オトコが軽く払うと服部教授のシ−ト・ベルトはあっけなく砕け床に飛び散った。
「 ・・・ お前は・・・? 」
黒服のオトコはにやり、と口元を歪めたが ・・・次の瞬間。

   シュ ・・・ !

空気が変わった音をたて ・・・ 何かの、いや誰かが突如姿を現した。
「 ・・・??  あ! オマエは・・・ グゥ・・・・ 」
「 ・・・ あ ・・??? 」
「 大丈夫ですか。 お怪我はありませんか。 」
セピアの髪をした青年が 穏やかな笑顔で目の前に立っていた。
「 あ・・・き、君が ・・・? 」
気がつけば先ほどのオトコは教授の足元に転がっていた。
どうもこの青年がやっつけてくれた・・・・らしい。
「 暴漢は始末しました。 縛り上げておいて成田に着いたら当局に引き渡しましょう。
 とんだ御災難でしたね。 」
「 一体いつ、どうやって ・・・ いや! 君、ありがとう!! とんでもないヤツらだ! 」
「 コイツをご存知なのですか? 」
「 いや。 面識はありません。  しかしある機関がしつこく接触してきていましてな。 
 ずっと突っぱねていたのですが・・・ いやこんな所にまで現れるとは・・・ 」
「 お仕事上のことですか。 ・・・ あなたがご無事でよかった。 」
「 おお、本当にありがとうございます。 私は服部といいましてある大学の教授です。 
 宜しかったら君のお名前を教えてください。 」
「 ぼくは ・・・ 」

「 ジョ−! ジョ−、来て!! 」

不意に後部座席から鋭い声が飛んできた。
固唾を呑んでコトの成り行きを見守っていた乗客達が またざわざわとし始めた。
「 今、行くよ!  ・・・ すみません、ちょっと。 また後でお話を・・・! 」
「 あ ・・・・ それじゃ成田で! 」
青年は整った顔をす・・・っと引き締め急ぎ足で声のする方に戻って行った。
「 お、お客さま! ・・・・大丈夫ですか? お怪我は・・・ 」
やっと駆けつけてきた男性のCAおそるおそる 伸びているオトコを見ている。
「 ああ、大丈夫。 今の青年のおかげで助かった・・・ 
 君、コイツを拘束しておいて警察を呼んでください。 私が事情を話しますよ。」
「 はい。 ご協力ありがとうございます。 しかし・・・テロリストですかね。 」
「 いや。 ・・・・ もっと質 ( たち ) の悪いヤツラだと思うな。 」
「 ・・・はぁ・・・・ 」

「 パパ!! 大丈夫?? どこも・・・ 怪我はない? 」
「 歌帆。 うん、平気だよ。 すごい力で腕を捕まれたが・・・ 異常はないよ。
 しかし ・・・ とても人間の力とは思えなかったが・・・ 」
通路の向こうから教授の娘が 身を乗り出してきている。
「 ああ・・・パパ・・・! もう心臓が止まりそうだったわ。  なんなの・・・ 一体? 」
「 うん。 パパの仕事の事でね。 協力して欲しいとずっとしつこく勧誘してくる組織があってな。
 多分 ・・ その一味だろう。 」
「 でも・・・ パパのお仕事って・・・研究上のこと?  バイオ技術の?? 」
「 まあ、そんなところだ。 最初は金を積んで買収しようとしていたが
 パパが取り合わないので最近はだんだん脅迫まがいのコトを言ってくるようになっていた。 」
「 脅迫って・・・ 研究の結果を横取りするとかなの? 」
「 いや。 ちょっと違う。 パパはな。 パパの研究が人々を幸せにするモトになれば、と思っているんだ。
 病気や怪我で苦しむ人逹の治療に バイオ技術を役立てたい。
 一人でもパパ逹の研究の成果で幸せになってほしい。  
「  パパ 立派だわ、すごい。歌帆はパパが誇りだわ。 」
「 歌帆、パパはいつでも お前の歌のようになりたいと思っているよ。 」
「  私の歌? 」
「 そうさ、皆が幸せな気分になれるような・・・そんな歌にね。 」
「 パパ ・・・・ 」
「 だが・・・ パパ達の研究成果を金儲けの手段にしよう、 という輩がいるのだよ。 
 アイツらのように強引に奪おうとする。 」
「 そうなの・・・! 怖いわねえ・・・・ ああ、早く成田に着かないかしら。
 しっかり警察に警護を頼まなくちゃ。 」
「 歌帆、ごめんな。 折角の旅行・・・・最後にイヤな思いをさせてしまった・・・ 」
「 パパ・・・ ううん、ううん。 こうやってパパは無事だし。
 本当に楽しかった・・・・! パパと二人で旅行なんて ・・・ 何年ぶりかしら。 
 私のステ−ジが丁度ない時期でよかったわ。 」
「 パパはちょっと残念な気もするな。 もっともっと歌帆の歌が聞きたいに。 」
「 ふふふ・・・ これからず〜〜っと 聞かせてあげるわ。 東京とNYと半々で活動して
 ゆくことになりそうよ。 」
「 そうか! よかったなあ。 ママも喜んでくれるよ。 」
「 そうね・・・ 今度の旅行もママはきっと 楽しかったわ! って言ってるわね。 」
「 ああ、そうだな。 私達の ココ で、ね。 」
服部教授は ぽん・・・と胸を叩いた。
父娘は狭い通路を隔て 穏やかな笑みを交わしあった。

< May I have your attention, please・・・? >

機内アナウンスが成田到着が近いことを告げはじめた。
一時、騒然となった機内に ほっとした空気が広がり乗客達は再びざわめきだした。

  ・・・・ パン ・・・・!

「 ?? なに? また? アイツの仲間なの?? 」
「 歌帆。 落ち着きなさい! しっかりシ−ト・ベルトを締めて! 」
「 パパ ・・・! 」

突然 何かが破裂する音がした次の瞬間。 機は大きな衝撃に襲われ ・・・・
服部歌帆は 目の前が真っ白になりそのまま気を失ってしまった。




「 服部正道 ( まさみち ) 教授? ・・・ ああ、バイオ技術の医療方面への研究者じゃないかな。 」
「 ピュンマ、君は彼を知ってるのかい。 」
「 いや、なにかのデ−タで見ただけだよ。 例の万能細胞の研究に邁進してる。その人がなにか? 」
「 うん、ギルモア博士の残したデ−タに関して照会してきたらしい。 」
「 博士の?  でもあれは ・・・ 」
「 うん。 博士は亡くなる前に全ての研究デ−タをオ−プンにしたからね。
 関係学会に所属する人だったら誰でも知ることができる。 」
「 そうだよね、僕もデ−タの整理を手伝ったもの。 」
「 博士が封印していったのはサイボ−グ技術に関することとぼく達の個人デ−タだけだ。
 サイボ−グ技術も しかるべき時がきたらオ−プンにする手筈になっているしね。 」
「 ああ。 イワンが鍵を握っている。 彼が所謂分別年齢に達したら その時全ては
 イワンの判断に委ねられる手筈になっているよ。 」
「 いずれ彼がよし、と決めたら開示すればいいんだ。 」
「 うん。 だけど その教授がなにか? ・・・ 胡散臭い人物なのかい。 背後になにか・・・ 」
「 服部教授自身は その名の通り正道をゆく立派な人物らしい。 
 彼自身の研究結果もすべてオ−プンにしているしね。 ただ、どうも ・・・ 狙われている。 」
「 ・・・ またかい! 」
ピュンマは顔を歪め、きゅっと拳を握りしめた。
「 そうだ。 金で買い取って・・・ いずれはキナ臭い方面に応用するんだろう。 」
ジョ−の声もどんどん低くなってゆく。
「 服部教授は純粋に医療分野への応用のみを目的としているからね。
 今までにも何回も ちょっかいを出されその度に突っぱねてきたらしいよ。 」
「 本当にね・・・ いつになっても起きるのね。 あっちも代替わりして続いてるのかしら。 」
リビングのドアが開き、フランソワ−ズがお茶のトレイを運んできた。
「 フランソワ−ズ! 久し振りだね。 」
「 いらっしゃい、ピュンマ! 忙しいところ、わざわざありがとう。 」
「 へえ? 随分水臭いコト言うんだなあ。  あ。 折角のスウィ−ト・ホ−ムを邪魔されたくなかた? 」
「 スウィ−ト・ホ−ムって ・・・ やだわ。 わたし達何年 ・・・ 」
「 ふふふ・・・ こうやって見ると新婚さんだよ、まったく! 」
「 ・・・ もう! ピュンマったら・・・! 」
フランソワ-ズは頬を染め、テイ−・ポットを取り上げた。
「 ああ、本当に悪かったね。 でも皆の協力が欲しいし・・・ ま、久し振りに会いたいしな。
 それで君がこっちに来るってい言うからサンフランシスコまで来てもらったんだ。 」
「 いや、別に全然かまわないけどさ。
 ・・・ そうだな〜 それじゃその教授の警護は君たち二人に任せるよ。
 僕らはドルフィンでそれとなく追跡するよ。 シ−ルド、ばっちりだからね。 」
「 そうか! ありがとう。 服部教授はお嬢さんと休暇旅行中でね。 来週の末には日本に
 帰国する予定だ。 ぼく達は同じフライトに紛れ込むよ。 」
「 了解。 じゃ、こっちはヨ−ロッパ組を拾って追いかける。  何事もないといいけどね。」
「 うん。 ああ、教授のお嬢さんはかなり有名なソプラノ歌手なんだ。
 ヤツらとしても隠密にコトを運びたいだろうから・・・ あまり手荒なコトはしないと思う。 」
「 さあね。 常識の通用する相手じゃないからな。 」
「 そのお嬢さんね、 天使の声って言われているの。  まだ若いけど素晴しい才能よ。
 面倒なことに巻き込まれないといいのだけれど・・・ 」
フランソワ−ズは静かにティ−・カップを置いた。
「 いったいいつになったら こんなコト無くなるのかしら ・・・
 わたし達が 最後になってほしいのに。 」
「 ・・・ そうだね。 そのためにも、僕たちは出来る限りの手立てを尽くそうよ。」
「 うん。 それじゃこちらから皆には連絡を入れておくよ。
 ピュンマ、申し訳ないけどドルフィンを頼む。 」
「 了解。  ああ、本当に久々のミッションだね。 
 ジョ−、 君達もずっとこの街に落ち着いていたのに・・・ 」
「 ふふふ ・・・ いいのさ。 ぼく達に安住の地はないみたいだから。 」
「 ・・・・・・・ 」
フランソワ−ズが ふ・・・っと視線を逸らせた。
テラスへと大きく開いた窓からは この旧い港街の明かりが遥か洋上まで拡がっている。
「 ・・・ ここに移り住んで・・・ そろそろ10年になるかしら・・・ 」
早春の夜風、海の湿気を含む風は どことなく あの地を あの邸を思い起こさせる。
フランソワ−ズの言葉の後ろにジョ−もピュンマも懐かしいかの地を感じていた。
街外れの 岬の端っこにぽつん・・・と建つ 洋館。
そう ・・・ あそこには皆の思い出が静かに眠っている。
「 ・・・・ そうか。 もうそんなになるんだね、早いもんだ。 」
「 ああ、そうだな。 」
「 ・・・・・・・・ 」
街の喧騒を他所に 3人のサイボ−グ達はひっそりとした夜を過していた。




「 ・・・ と。 これでいいですか。 」
「 ありがとうございます、お客様。 少々拝見いたします。 」
「 どうぞ。 しっかりチェックしてください。 」
青年はペンを手にしたまま、結構大きく上質な紙でできたカ−ドをフロントマンに差出した。
「 ・・・ はい、完璧です、ありがとうごじざいました。
 当ホテルへようこそ、 島村ジョ−様 ・・・・ そして奥様。 」
フロントマンは慇懃に頭をさげた。 
「 ただいますぐにお部屋の方へ ・・・ ロイヤル・スウィ−トへご案内いたします。 」
「 ありがとう。  ハネム−ンには是非この由緒ある日系のホテルに泊まろう!って
 ずっと思っていたのですよ。 ・・・ ねえ、フランソワ−ズ? 」
青年は 寄り添っている亜麻色の髪の美人に笑顔を向ける。
「 ええ。 そうなの。 ジョ−の ・・・ あ、しゅ・・・主人の母国へ行く前にリハ−サルの
 つもりなの。 ・・・ ああ、わたしの日本語、可笑しくありません? 」
青年の新妻は頬をうす紅色に染め幸せの笑みが零れている。
「 いえいえ、奥様。 ご立派でいらっしゃいますよ。 」
「 まあ、嬉しいわ。 」
「 どうぞ素敵なハネム−ンをお過ごしください。 」
「 ありがとう・・・・ 」
「 さあ 部屋へ行こうか。 」
「 ええ。 ジョ−。 」
二人はぴたりと寄り添って エレベ−タ−・ホ−ルへ歩いていった。

「 ほう? タレントかい。 随分と美男美女のカップルじゃないか。 」
「 あ、チ−フ。 いえ ・・・ 普通の方ですよ、新婚さんだそうで。 」
「 ・・・ 新婚? そうかな。 う〜ん、あの雰囲気はちょっと違うな。 」
「 そうですかね? 」
「 ああ。 見た目は若いカップルだけどな。 ありゃあ・・・ かなり年季が入った夫婦ものじゃないか。 」
「 だってあの年齢で、ですか。 」
「 ふん、それがなんとも妙だがな。 ともかくあの二人は昨日や今日一緒になった仲じゃないな。 」
「 ・・・ へえ ・・? 」
若いフロント・マンは手元のカ−ドをしげしげと見直した。
「 ま、世の中いろいろあるってことだ。 我々は必要以上にお客サンのプライバシ−に
 踏み込んではいけないよ。 」
「 そうですね。 ・・・ あ、ようこそいらっしゃいました。 」
カウンタ−に近づいてきた次の客に 彼は慇懃に頭を下げた。
アメリカの海辺の都市はおだやかな夜を迎えていた。


「 こちらになります、どうぞ。 」
「 ああ、ありがとう。 」
ジョ−は荷物を運んだボ−イにチップを渡し、ぱっと振り向いた。 そして ・・・
「 ・・・ きゃ・・・! ジョ− ? なに、どうしたの?? 」
「 ふふふ ・・・だって <新婚旅行> だろ? 」
ジョ−は軽々と彼の <新妻> を抱き上げた。
「 え・・・やだわ、それは・・・ きゃ♪ 」
「 んんん ・・・・ いいじゃないか。 ハネム−ン・ごっこ しようよ。 」
「 あ ・・・ もう!  ジョ−ったら・・・! 」
笑いあい、唇を重ねあい ・・・ 二人はもつれ合ったまま部屋に入った。
ふかふかのベッドは 二人が倒れこんでもまだ余裕がある。

「 ・・・ すごいな〜〜 埋もれそうだ。 」
「 さすがロイヤル・スウィ−トね。 ふふふ ・・・ いい気持ち。 」
「 ふ〜ん ・・・ でもぼくには こっちのが いいなあ。 」
「 ・・・ え? ・・・あ ・・・ もう 〜〜 ジョ−ったらお行儀が悪い! 」
「 だって 新婚サンだもの。 いいじゃないか。 ・・・ な?」 
ジョ−はフランソワ−ズの上着を剥ぎ取り、ワンピ−スのファスナ−を下げ ・・・ 
彼女の白い肢体がほどなくして ベッドに埋もれた。
「 それじゃ。 愛の夜を・・・! 」
「 ・・・ ねえ? 」
「 ・・・ うん? なに・・・ 」
「 < ごっこ > じゃイヤよ? 」
「 ・・・ 了解・・・・! 」
おでこをくっつけ 見つめ合い、 微笑あい 唇を重ね・・・二人はやがて共に昂みへと昇りつめていった。
ロイヤル・スウィ−トには やはりハネム−ンの熱気が一番よく似合う。




絶えず伝わってくるかすかな振動が心地よい。
あまり広くはない艇内で 6人の男達が所狭しと動き回っている。
デ−タをバック・アップするもの、レ−ダ−画面を注視するもの、今後の航路を確認するもの・・・、
それぞれが忙し気にでもなぜかうきうきと任務についていた。

「 よ〜し。 我輩の守備範囲は概ね良好であるな。 」
「 グレ−トはん! 概ね、では困りまっせ。 万全を期さんとあかん。 遊びやないさかい。 」
「 ふん、それは先刻ご承知だ。 ま、端っから気張ることはないさ。 」
「 おい? 気を抜くな。 久々だからな、要注意だ。 」
「 あ〜〜 もう了解、了解。 アルベルト、 お前さんも相変わらずだな。 」
「 ふん。 これが俺の性分だ。 」
珍しくアルベルトは彼としては口数が多い。

   ま。 皆 内心わくわくしてるってっことだよね。
   ・・・ お〜い ドルフィン号? 久し振りだね、よろしく頼むよ・・・

計器をチェックしつつピュンマは湧き上がる笑みをなんとか押さえていた。
「 しゃ〜〜 ・・・ 久っし振りなんでよ、いろいろ忘れちまったぜ〜〜 」
どさり、とパイロット・シ−トに ジェットがひっくりかえった。
「 おいおい。 今回はお前さんがメイン・パイロットなんだからな、しっかり頼むぜ。」
「 うっす! しっかしよ〜〜 旅客機を追跡っちゃ タルくねえ?
 ナンならオレ様が単独飛行でくっついて行ったほうが簡単だよなあ。 」
「 真昼間だぞ。 しかも成田行きだ、お前、領空侵犯で国際問題になるつもりか。 」
「 ジェット、 ならいっそ君の全身にシ−ルド加工しようか? 
 それなら ・・・ 目立たないからオッケ−かも。 」
「 全身にぃ〜 ? 」
「 ひゃひゃひゃ・・・ 金粉ショ−みたくなるアルね〜 」
「 う・・・。 でもよぉ ヤツらがお出ましになったらやっぱ空中戦になるんでねえの。 」
「 いや。 成田近辺でドンパチやらかすほど ヤツらも間抜けじゃあるまい。
 例の教授の拉致が目的だからな。 」
「 ・・・ いつになったら終る。 邪なこころは密かに芽をだす。 」
「 それを摘み取るのが我輩たちのミッションさ、 ジェロニモさんよ。 」
「 おい、無駄口叩いてないで。 今後の手順を確認しておくぞ。 
 旅客機に乗り込んでいるジョ−とフランソワ−ズとの連携がカギだからな。 」
「 アイアイ・サ−・・・ 」
アルベルトを中心に サイボ−グ達はモニタ−・パネルを囲んだ。
久々、大空に舞いドルフィン号も喜んでいるのかもしれない。
空飛ぶイルカは 快調に太平洋上を羽ばたいていった。




ほぼ満席に近い状態でその旅客機は最終目的地の成田を目指していた。
天気も良好、気流に目立った乱れもなくフライトはしごく順調だ。
最後の食事も終わり、 機内にはどこかほっとした雰囲気が漂い始めた。

後部座席に一組の若いカップルが並んでいる。
サンフランシスコから搭乗して来て、楽し気にあれこれお喋りをしていた。
亜麻色の髪の女性はなかなか達者な日本語を話す。

・・・ ああ、 新婚さんか。 ハネム−ンに日本に行くのだな・・・

周囲の乗客達はなんとなく微笑ましい思いで二人を眺めていた。
成田到着時間に近づくにつれ 新婚夫婦は二人とも言葉少なになっていったのだが
そんな些細なことに気がつく暇人はいなかったようだ。

「 ・・・ 成田か。 懐かしいね。 」
ぽつん、とジョ−が一言だけ言った。
「 ・・・・・・ 」
フランソワ−ズは黙って頷くと 静かに目を閉じた。
濃い睫毛の影から 透明な流れが幾筋も白い頬を伝い落ちる。
「 ・・・・・・・ 」
ジョ−も黙って彼女の手を握った。

   あそこに。 ぼく達の愛が・・・・ 愛の証が今も ・・・

目を瞑れば いつだってすぐに見えてくる。
耳を清ませば どこでだってすぐに聞こえてくる。

亜麻色のお下げを振り回し元気に駆け回っていた少女。
セピアの瞳でいつもにこにこ穏やかに笑っていた少年。
そして 家中に響いていた甲高い声 ・ 細い声 ・ 賑やかな声 ・・・・

   お父さん お父さん おとうさ〜〜〜ん!

   お母さん! お母さんってば。 おか〜〜さ〜〜〜ん

自分達の顔を見上げ 飛びついてきた小さな身体の温かさ。
きゅ・・・っと手を握ってきた細い指のしなやかさ。
ジョ−も フランソワ−ズも ちゃんと今でも覚えてる。 はっきり今でも感じられる。
思えば あの地で過した年月は自分達の人生で至福の時間 ( とき ) だった・・・

双子の子供達が学業を終え、一人前になった時
ジョ−とフランソワ−ズは < お別れ > をしたのだ。
外見上の年齢はとっくに自分達を追い越してしまった二人の子供達と いつまでも一緒に暮らして
ゆくことはできなかった。
姉娘のすぴかは留学先の母の祖国で大学を卒業し 出版社に勤めつつもの書きをめざしている。
弟のすばるは無事に医学部卒業し 医師としての歩みを始めていた。

  ・・・ もう、大丈夫だね。
  
  ええ ・・・ そう ・・・ そう ・・・ね。

愛しい子供達が ごく普通の平穏な人生を過してゆけるように。
自分達の 負の部分が彼らに影響を及ぼさないように・・・ 
いつまでも歳をとらない両親は そっと ・・・ 彼らの前から姿を消したのだった。
以来
ジョ−とフランソワ−ズはサンフランシスコに移り、日本に帰ることはなかった。


「 ごめん。 」
ジョ−がまた ぽつり、と呟いた。
「 ・・・ なに? 」
「 ぼく達。 結局 新婚旅行にも行けなかったね・・・・ 
 結婚式も質素で・・・ それっきりだった。 いつかハネム−ンを、って思っていたけど・・・
 そのままになってしまった・・・ 」
「 あら ・・・ そんなこと。 だってほら、皆でパリに行ったでしょう?
 すばるが大学に合格した年に。  あの時・・・ あなた、わたしの両親と兄に ・・・
 結婚させてくださいって言ってくれたじゃない。 」
「 ・・・ ああ ・・・ そうだったね。 」
「 だから・・・・ あの時がわたし達のハネム−ンよ。 ちょっとコブ付きだったけど。 」
「 ふふふ ・・・ 随分と大きなコブだったよね、それも二つも! 」
「 そうね。 あの旅行はいつまでも忘れられないわ。 
 ・・・ね、 わたしもごめんなさい、なコトが一つあるのよ。 」
「 お? なんだい、今更・・? 」
「 あの家を去るとき ・・・ なにもかも。 全部置いてきたでしょ。 」
「 うん。 思い出はアイツらのものでもあるからね。 」
「 ・・・・ それでも。 わたし・・・ どうしてもどうしても ・・・ これだけは持って来たくて・・・ 」
「 ??? 」
フランソワ−ズは首に掛けていた細いプラチナのチェ−ンを引っ張り出した。
きらきら輝くその先には丸いロケットが揺れている。
「 これ。 ・・・・ この写真だけはどうしてもどうしても・・・ 欲しくて。
 アルバムからこっそり持ち出して ・・・ 縮小してここに入れていたの。 」
「 ・・・ どれ? 」
ジョ−は手に受けたロケットをぱちん、と開いた。
「 ・・・ああ ・・・ ! これかあ・・・ アイツらが小2くらい、かな? 」
「 ええ、そうよ。 もう ・・・家中がひっちゃかめっちゃかだったころ・・・ 」
「 ・・・ふふふ  本当だね。 賑やかだった・・・ 」
ジョ−は懐かしげにその写真に見入った。 表面がレンズになっていて拡大して見える。
フランソワ−ズのスカ−トの陰に すばるがへばりついている。
すぴかはジョ−にぶら下げてもらって大喜びの笑顔だ。

   ・・・ ああ ・・・ なんだかアイツらの声まで聞こえてくるよ。

   泣いたり怒ったり笑ったり・・・ 賑やかだったわね。

二人は顔を寄せ合ってたまらなく愛しい面影に見入っていた。

「 うん。 アイツ達が元気で生きているからさ、 ぼく達も頑張れるんだ。 」
「 そうね。 あの子達の笑顔を ・・・ 護りたい・・・・ 」
「 無事にこのミッションが終ったら ・・・ ハネム−ン、するか? 」
「 え・・・ あら。  いいの? 」
「 うん。 ぼくの祖国を案内しますよ? ぼくの奥さん。 」
「 まあ、嬉しいわ。 わたし ニッポンは初めてなの。 」

  ふふふ ・・・ 新婚さん、ですものね。

それ以上なにも言う必要もない。 見つめあって微笑めば全て判りあえるのだ。

「 ・・・ そろそろ スタンバイか? なにも無いはずがないからね。 」
「 了解。 目も耳もすべてオ−プンするわ。 一応貨物室からもう一度サ−チします。 」
「 了解。 ・・・ うん?  早速お出ましらしいよ。 」
「 え? ・・・ あら。 ジョ−。 行ったほうがいいわ。 ・・・銃を持ってる! 
 ・・・ 人間じゃないわ。 変だわ、でも見えない部分があるの。 シ−ルド?? 」
「 アンドロイドかサイボ−グだな。 よし、ずっとスキャンしてデ−タを送ってくれ。 」
「 ・・・  了解! 」
ジョ−はすっと立ち上がり 前方座席のほうへ歩いていった。




 ・・・ パン・・・・!
初めはごく小さな破裂音だった。
誰かが何かを不注意に落としたか倒したのかな ・・・ 誰もがあまり気に留めなかった。
成田が近づいてきて、それぞれに手荷物をまとめたり座席周りを片付けたり
乗客達は自分のことに気が向いていた。
と 次の瞬間  −−−− 

  グワァッ !!!  スガーーーーン !! 

前方座席の付近に激しい衝撃が走り、 がくん! と機体全体が揺れた。
ボワ ・・・!!  
一瞬して白煙があがり 同時に機内に悲鳴が満ちた。

「 くそ! ・・・ アイツ、自爆したな? 」
「 ジョ−、急いで! 怪我人がいる・・・ あ!まだ爆発物があるわ! 」
「 よし。 003、ドルフィンに連絡を! 脳波通信チャンネル、 フル・オ−プンだ! 」
< 了解。、009。  ・・・ ドルフィン号? >
< こちら ドルフィン。  すぐに追いつく。 もしもの時にはサポ−トにはいるよ。 >
< 了解、008。 こちらは 怪我人が出てるわ! >
< 003。 成田までその機体を持ってゆくように最善をつくす。 >
< 004? ヤツらの別部隊は? この機をやはり追跡しているはずよ。 >
< もうな〜 気の早いヤツが火の玉小僧になって飛び出していっちまった。
 おっつけ ・・・ あ。 仕留めた。 >
< Hi  ドルフィン? 任務完了〜〜♪ >
< 002、早く戻れ! 勝手に飛び出して! >
< ドルフィン。 機の援護を頼む。 機内で火災が発生した。 
 爆発だけはなんとしても阻止しないければ・・・ >
< オーライ、009。 任せてくれよ。 君は怪我人の救出を頼む。>
< 了解! >

「 おい。 いい加減で観念しろよ。 」
ジョ−は静かにス−パ−ガンを構えた。
もうもうと煙がたち篭め悲鳴が上がる機内で もう一人の黒服のオトコが操縦室に忍び寄っていた。
小型のメカを手にしたまま ぎょっとしてソイツは振り向いた。
「 これ以上被害を増やすつもりか! ソレを捨てろ! 」
「 ふん。 撃つなら撃てよ。 機内で発砲する気か。 オレの身体には爆薬が仕込んであるんだぜ。 」
「 ・・・ 望みどおりにしてやろう! 」
すい・・っとジョ−はトリガ−を引いた。
 
  ガァ  −−− !

一瞬硬直したオトコは次の瞬間 額の真ん中を穿たれ仰向けにふっとんだ。
「 ふん。 お前らがロボットだってことは003がスキャン済みさ。 」
出力を調節したレ−ザ−は ロボットの身体を貫通することはなかったのだ。
ジョ−は動かなくなったロボットの肩の部分をぐい、と引き上げた。
ばくりと開いた空間から 彼は極小の爆発物を取り出した。
「 こんなところに隠していたのか! ・・・なるほどな、周りをシ−ルドされたら
 003の透視も届かないってことだ。 ふん、アチラさんも進化してるってことか。 」

「 ジョ−! 手を貸して! 」
「 今 行く! 」
ジョ−は悲鳴と煙で一杯の客席にとって返した。 
機体の揺れが一層激しくなった。
自爆したアンドロイドの影響で機体の一部が破壊されてしまった。
パニック状態の乗客を乗せたまま、機はがくんがくんと高度を落としていった。



   ・・・ 痛い ・・・ 痛い ・・・ ここは ・・・ どこ。 熱い・・・!
   背中が ・・・ ううん、咽喉が ・・・ 咽喉が痛い! 声、私の声 ・・・!

「 大丈夫?  気が付いたかい。 」
「 ・・・・・・ う ・・・・ ここ ・・・? 」
「 成田だよ。 ああ、動かないで。 すぐに救急隊がくるからね。 じっとして・・・
 大丈夫、応急手当はしたから。 」

   ・・・ あら・・・ この人・・・ さっき パパのことを護ってくれた ・・・ ひと・・・?

ぼんやりと目を開い歌帆を 少し赤味がかったセピアの瞳がじっと覗きこんでいた。
手の感覚が戻って来て、 自分が床に直に横たわっているのがわかった。
「 ・・・ あ ・・・ パパ?  パパ ・・・は ・・・ 」
「 し〜。 お喋りはダメだよ? 」
「 ジョ−? どう・・・ ああ、あなた! 気が付いたのね、よかった・・・ 」
「 ・・・・? 」
今度はきらきらした髪の女性が そっと歌帆の頬にふれた。
碧い大きな瞳が とても印象的だ。
「 この熱気・・・!  ちょっと・・・ごめんなさい。 」
女性は歌帆の口を覆っていたハンカチを取り除けると 大急ぎで飲料水に浸してきた。
「 爆発の時に咄嗟にあなたの口に当てておいたの。 病院に着くまでもう一度当てておいて?
 こうしておけば・・・ 少しは護れるわ。 あなたの声、天使の声を・・・ 」

   私のこと 知ってる・・? この人たち ・・・ 誰?

「 もう大丈夫。 これ以上の爆発はないから・・・安心して。 」
白い手が歌帆の乱れた髪を額からかきやった。

   咽喉・・・ 咽喉が ・・・ 痛い ・・・!  パパ ・・・ パパ は・・・・?

くう・・・・っと黒いカ−テンが視界に降りてきて、歌帆は再び気を失ってしまった。




「 服部さん。 よかったですね、咽喉の傷と周りの炎症はほぼ治りましたよ。 」
「 ・・・・・・・ 」
「 これでもう 普通の生活をしても大丈夫です。 」
「 ・・・ これで完治、なのですか。 」
「 え・・・? 」
歌帆は全くの無表情で 主治医の顔を見つめた。
「 完治、ということなら。 これ以上私の声は元にもどらない、ということなのですね。 」
「 服部さん ・・・ 」
「 先生。 はっきり教えてください。  私の声です。  」
真っ直ぐな視線に 医師は少々たじろいでいたがやがて彼もきちんと歌帆に向き合った。
「 残念ですが。 あなたの声帯は今のあなたの声をはっすることが限界です。 」
「 ・・・・ そうですか。  はっきり教えてくださってありがとう。 」
歌帆は深くアタマをさげると立ち上がった。
「 私は死にました。 父と ・・・ 私の声と一緒に ・・・ 死んでしまったの。 」
「 服部さん! 」
「 ・・・ なにか? 」
「 貴女はラッキ−なんですよ。 本当ならあの爆風と熱気を吸い込んだら声帯は完全に
 ダメになっていたはずです。 それが 今の貴女は少なくとも話すことが出来る。 」
「 ええ、 話すだけ、はね。  こんな聞き苦しい掠れた声で。 」
「 それでも! 話せるじゃないですか。  
 貴女はここに搬送された時にハンカチでしっかり口を覆っていた。
 そのおかげですよ、声を完全に失うことがなかったのは! 」
「 ・・・・・・・ 」
歌帆はだまってポケットからハンカチを取り出した。
新品ではない。 それどころかかなり使いこんだ代物だ。
女ものでカットワ−クが施してあり、隅に小さな花模様が浮き出ている。

   ・・・ あのヒトだわ。 きらきらした髪の あのひと。
   碧い瞳がとても綺麗だった・・・ あのヒトのおかげ・・・

「 貴女のお仕事の事は伺いました。 ・・・ でも ・・・ 」
「 ええ、ええ。 わかっていますわ。 もう歌手として生きてゆくことは無理。 
 そんなこと、ようくわかっています。 」
「 ・・・ ひとつだけ、可能性があります。 」
「 え ・・・? 」
「 人工臓器についての研究を進めている医療機関があるのです。
 そこでしたら あるいは ・・・  」
「 人工 ・・・ 臓器 ・・・? 」
歌帆は やっと包帯が外れた自分の咽喉にそっと手を当てた。


あの事故から一月余り、 多くの怪我人を出しあわや大惨事になるところだったが、
未だに原因は完全には解明されていなかった。
機内での爆発と火災で惨憺たる有様だったのに よくぞ墜落を免れたものだ・・・と
周囲んは驚愕の声が多かった。
ただ、大事故の割りに死傷者は数名に過ぎず 人々は不思議に思いつつも愁眉を開いた。

服部教授は その数名に入っていた。

病院で意識を取り戻した歌帆を待っていたのはあまりに悲しい知らせだった。
「 ・・・ パパ ・・・ ウソよ ・・・ パパが・・・! 」
「 お嬢さん。 お悲しみの最中に本当に申し訳ないのですがご協力ください。
 教授は誰かと争っていた、と聞いたのですが。 」
「  ・・・・ え ・・・・ ? 」
「 失礼します、事故の調査をしています、警視庁のものです。 」
「 警察 ・・・ でも、どうして・・・ 」
「 あの事故は おそらくテロリストの犯行と思われます。
 あなた方の座席のすぐ側で爆発があったようです。  自爆テロの可能性が高い。 」
「 自爆テロ・・・・! 」
「 ええ。 それで教授はなにかご存知でしたか。 」
「 ・・・・ さあ ・・・  」 
歌帆はそれきり ぴたり、と口を噤んでしまった。

  ・・・ パパ!  パパの研究は人々を幸せにするためのものでは ・・・ なかったの?!
  なのに! 肝心のパパは 命まで落としてしまったじゃない・・・!

  ・・・ パパ ・・・!  ねえ、なんとか言ってよ ・・・!

歌帆の心の叫びに 応えてくれるものはなにもなかった。



      Last updated : 03,18,2008.               index          next 





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