『 さくら ・ さくら 』
− あの日から浮かぶのはいつも決まって −
三月の声を聞くと ・・・ この国の人々は一斉にそわそわしだす。
年齢とか性別、職業にはてんで関係がないらしい。
悠々自適のご隠居さんからばりばりやり手のビジネスマンも、
生意気ざかりのツッパリどももベビ−カ−を押すお母さんも。
み〜んな、その<予報>を見てはそわそわするのである。
− ・・・なんで??? この国の・・・習慣なのかしら。
ひょんなことでこの極東の島国に暮らすことになった亜麻色の髪の乙女は
この地での初めての春、その大騒ぎぶりに目を見張ったものだ。
勿論、その原因となる樹は彼女の母国にもあった。
淡いピンクの花は どこか儚げで頼りない雰囲気だったが
春の花として綺麗だな、とも思っていたし気に入ってもいた。
・・・でもねえ。 そんなに大騒ぎするもの?
盛りの季節には連日TVやら新聞、ネットまでも賑わす報道に
フランソワ−ズは半ば呆れ顔だった。
「 <花見>に行こうぜ! 」
彼女は暮らしている邸にはどんな理由であれ、アルコ−ル類を囲んで騒ぎたい
男たちで満ちているので初めての年から当然のごとく全員で繰り出した。
最高の腕をもつ料理人もいることだし、たまにハメを外して騒ぐのも
案外楽しいものだった。
「 ・・・ああ、楽しかったわね。 お弁当も美味しかったし・・・ 」
リビングのソファにフランソワ−ズはすとん・・・と身を沈めた。
「 ふふふ・・・ きみもすこし酔いが回った?
ほっぺが ・・・ 綺麗だね。 今日の桜みたいだ・・・ 」
追いかけて隣に座ったジョ−は 彼女の頬にキスをひとつ。
「 ・・・あら・・・そう? ・・・・やん ・・・ くすぐったい・・・ 」
「 今夜 ・・・ きみは桜の精になったのかな ・・・ 」
「 ・・・あ ・・・ん。 もう・・・ ジョ−ったら・・・ 」
ジョ−自身も少々気だるい想いを持て余している。
軽い酩酊状態が 今夜はなんだか心地よい。
食べ物・飲み物( 90%がアルコ−ル類だったが )を山ほどかついで一同そろい
この街の<名所>に出かけ、腹も目も大いに満足して帰宅した。
そして。
・・・ほとんどの面子は酔いつぶれやっともどった自室ですでに高鼾である。
「 ねえ・・・ きみはそんなに飲まなかったの? ・・・そんなはず、ないよね? 」
「 ・・・・ふふふ 」
「 なんだよ? あ・・・ もしかして・・・実は物凄く<強い>の? 」
ほんのり染まった頬をして、フランソワ−ズは低く笑った。
「 さあ・・・どうでしょう? 」
「 あ〜 教えてくれないの? ・・・ なら ・・・ ココに訊いてみよう ・・・ 」
「 きゃ♪ ・・・ ヤダ・・・ くすぐったいって言ったでしょ ・・・ 」
「 ・・・ じゃあ ・・・ こっちは ・・・どう? 」
「 あ・・・・んんん ・・・ 」
静まり返ったリビングのソファの上で 二人は仔猫のようにじゃれあっていた。
「 ・・・あ。 見っけ。 ・・・ほら。 こんなトコに ・・・ 」
「 え・・・ あら。 」
押し広げられた襟元の奥に ほんのり薄紅色の花びらがひとひら紛れ込んでいた。
ジョ−はそっとつまみあげると、彼女の白い胸の渓に張り付けた。
「 ・・・ 山間に花びら、さ。 」
「 ・・・ もう・・・ ジョ−ったら。 」
「 ぼくとしては。 もう一回<お花見>がしたいのですが。 」
「 え・・・ 」
「 ぼくだけの 花 を ぼくだけが 観賞して ぼくだけが 愛でたい・・・ 」
「 ・・・ まあ、欲張りさんね。 」
「 さ。 桜の樹さん? お願いします。 」
「 ・・・・・・・・ 」
ほどなくしてくすくす笑いは押し殺した熱い吐息にかわった。
・・・ ゴウッ
どれほど経ったのだろう・・・
ふと、気づいたとき、窓の外で音をたてて風が吹いている。
・・・ああ。今夜で散ってしまうわね。
きつく閉じた瞼の内にフランソワ−ズは白い花の面影を描いていた。
ひらひらと散る花は 早春の名残雪にも見えた。
・・・ 今年の桜も 無事に見られたなあ・・・
眼の内の紅いうねりが溢れそうに昂まった時、フランソワ−ズは
ぼそり、とそんな呟きを聞いた・・・ ような気がした。
・・・・? ・・・ ジョ− ・・・?
すぐに彼女のちいさな疑問は熱い迸りに押し流され・・・呑み込まれてしまった。
この国の<大騒ぎ>の時期はまことにあっと言う間でまさに駆け足で通り過ぎていった。
驕慢なまでの満艦飾は 一晩の嵐で白い雪と化し地上に舞い散った。
そして 人々はその様をも愛で 惜しみつつ感嘆の吐息をもらす。
「 なんだか・・・大急ぎで行ってしまったわね。
いつもこんなカンジなの? 」
「 うん、まあ・・・。 その年にもよるけれど、たいていはこんな風だよ。 」
「 ・・・ ふうん ・・・ 」
ギルモア邸への帰り道、地に落ちた花びらを踏んで良いものやら・・・迷いつつ、避けつつ
フランソワ−ズはジョ−に尋ねた。
「 散ったあとまで綺麗ね。 お花見もとても楽しかったけど・・・ 」
彼女はひらひらと髪に舞い落ちる花びらをそっとふり落とす。
「 なに。 」
「 ・・・ うん。 あの、ね。
どうして・・・みんな、そうこの国の人々は皆・・・ あんなに大騒ぎするの? 」
「 大騒ぎ? 花見の宴会のこと? 」
「 あ・・・ そうじゃなくて。 <桜>に関して。
いつ咲き始めるか、とか満開の日とか・・・日本中が騒ぐでしょう? 」
「 ・・・ああ、 う〜ん・・・ そう言われてみれば・・・。
フランスでは どう? 桜はパリにもあるだろう。 」
「 ええ。 綺麗だな〜とは思うけど。 特別に桜だけを見るっていうことは
ないわねえ。 まして・・・ 宴会とかは・・・ 」
「 ふうん・・・ これはもう日本人の習性かもしれないな。」
「 ・・・ 日本人にしかわからないのかしら。 」
彼女の少し淋しげな顔を ジョ−は笑顔で覗き込んだ。
「 ねえ? 今晩ちょっと出かけないかい。 」
「 ? どこか・・・遠くへ行くの? 」
「 いや・・・ すぐ近くだけど。 う〜ん、気持ち的には<遠く>かもしれない。 」
「 ?? 」
きょとん、としているフランソワ−ズに ジョ−はますます朗かな笑みを見せた。
「 桜の精に会いに行こう。」
海辺のギルモア邸から ジョ−はどんどん山の方に車を進めてゆく。
もともと車も人も少ない土地なのだが、もうほとんど出会うものはない。
かろうじて舗装してある道路に ジョ−の車のライトだけが動いてゆく。
左右に伸びる樹々が多くなってきて、道路に被さって揺れている。
・・・ なんだか世界中で・・・二人っきりみたい。
助手席でフランソワ−ズは妙に身体を強張らせていた。
寒いわけでも、もちろん怖いわけでもないのだが
なにかが・・・彼女を緊張させていた。
彼女自身、その正体はよくわからなかったけれど・・・
出掛けのすこしわくわくとした楽しい気分は 影を潜めてしまったようだ。
約束どおり、その夜夕食後二人はひっそりと玄関を出た。
「 ちょっと夜食、持ってきちゃった。 」
「 ・・・ いいね。 」
フランソワ−ズは小振りなバスケットを持ち上げて見せた。
「 紅茶も持ってきたの。 ・・・ 夜はまだ熱い飲み物が美味しいでしょ。 」
「 ふふふ。 ブランデ−入りかい。 きみともう一回お花見だね。 」
「 静かなお花見もいいと思うわ。 」
他愛ない会話も 車が山間に入るにつれ途絶えがちになっていった。
振動が大きくなり、タイヤが石ころを踏み拉く音が耳につくようになった。
「 あら・・・ 道が・・・ 」
「 うん。 このあたりはもう、私道なのかもしれない。
もうちょっとだから・・・ 」
「 ・・・ ええ。 」
まもなくジョ−は黒々と影を落とす雑木林の手前で車を止めた。
「 ・・・ ここ? 」
「 うん。 」
フランソワ−ズはきょろきょろと周囲を見回した。
稚い葉を付けた樹々だけがヘッドライトの輪に浮かび上がる。
「 このへんは ・・・ ちょっと寒いかもな・・・ 」
車を降りるとき、ジョ−はブルゾンを脱ぎぱさり、とフランソワ−ズの肩に掛けた。
− ジョ−の・・・匂い。
さっと入ってきた冷たい夜気に、それはなおさら際立って感じられた。
外の樹々の匂いにも似た・・・ 樹液みたいな・・・ 彼の香り。
馴染んだその香りが フランソワ−ズを落ち着かせた。
「 ・・・どうしたの? 」
「 いま、行くわ。 」
膝の上のバスケットの手を握り締め、フランソワ−ズは勢いよくドアを開けた。
「 この藪の先なんだ。 車はこれ以上は入れないから・・・ 」
「 葉っぱのいい匂い・・・ 」
「 あ、足元、気をつけて? 石ころとか木の根っことか。 」
「 ええ ・・・ ありがとう。 」
くらり、とよろけた彼女に、ジョ−はさっと手を差し伸べた。
− ・・・ あったかい ・・・
繋ぎあった手が 冷えた外気に余計に暖かく感じられる。
「 ・・・ ほら。 ココなんだけど。 」
「 ? ・・・・ わぁ ・・・・ 」
ざ・・・っとジョ−が歩みを止めた。
雑木林をまわって出た、空間には。
闇のなかに ほう・・・っと白い炎がゆらめいていた。
いや、炎を見紛う幾百幾千もの花が咲き誇っていたのだ。
たった一本の老木が左右に枝を重く拡げ、今夜を盛りと燃え立つ花々は
漆黒の闇を不思議なほど白く・・・淡く ・・・・ 染め上げていた。
深山桜 ( みやまさくら ) は 今が満開。
眼の前にひろがる白い闇に フランソワ−ズは息をつめ・・・絶句した。
「 ・・・・・ 」
「 今年も間に合ったな。 」
独り言のように ジョ−がぼそりと呟く。
ここはさ。
ぼくがガキのころみつけた秘密の場所でね。
中坊のころとか・・・ よく一人で花見をしたよ。
・・・ぼくは一人でいることが多かったから・・・
桜にね、いろいろなことを話してたな。
嬉しかったこととか・・・ 悲しかったこととか。
独り言のようにジョ−はとつとつと語りだした。
藪の向こうの車のライトだけがぼんやりと辺りを照らしている。
かさり、と足元の枯れ草を踏んでフランソワ−ズはジョ−にぴたりと寄り添った。
・・・ちょっと怖かった ・・・ のかもしれない。
「 ・・・桜はジョ−の話を聴いてくれた? 」
う〜ん・・・ 桜はそんなぼくをじっと見下ろしているみたいだった。
桜はねえ。
うん・・・ぼくら、日本人にとっては
じ〜っと長い冬を耐えて・・・ ああ・・・春が来た!って合図なんだ。
実際の季節も そう、気持ちもね。
ほら・・・ 日本って学校とか会社とか・・・4月に新しいトシが始まるだろ。
そんな・・・スタ−トを桜が祝って・・・後押ししてくれる気分がするんだよね。
「 ああ・・・ だから学校の庭に植えてあるところが多いのね。 」
うん。
みんな ・・・ 桜と一緒に<思い出>を心に仕舞っておく、のかもしれないね。
・・・ それにさ。 散り際も・・・ こう。 見事だろ。
潔いってか。 ぱっと・・・。
なぜか彼の口調にはっとして フランソワ−ズは隣の青年の顔に視線を移した。
花を見上げる彼の横顔は 相変わらず端正で穏やかだったけれど。
枝垂れた老木の一本の枝が彼に向かって伸びた・・・ような気がした。
月明かりが落とす花の影・・・だろうか。
蒼く・冷たいかげりが す・・・っと過ぎってゆく。
・・・ やだ ・・・・! 死の・・・影・・・?
すぐ隣にあった彼の手をフランソワ−ズは思わず固くにぎりしめた。
彼の大きな手は 少しひんやりとしていた。
「 ・・・ なに? 」
「 あ・・・ ううん、なんでも・・・ なんだか 吸い込まれそうな気がして・・・ 」
くい、と手を握ってきたフランソワ−ズに ジョ−は少し驚いたようだった。
「 ああ・・・ そうだね。
はなの下にて春死なん・・・か。 」
「 ・・・ なあに・・・ それ。 」
「 うん ・・・ 昔の歌人でね・・・ 桜を愛でるあまり、春の盛りに死にたいって
願った人がいたんだ。 実際、彼は春に亡くなったそうだけど。 」
「 ・・・ ジョ−・・・も・・・? いえ、日本の人は・・・みんなそう思うの? 」
「 さあ・・・ どうだろうね。 」
「 ・・・ あなたは。 」
「 ・・・ わからない ・・・ 自分でも。
でも 散るときには ・・・ ぱっと散りたい・・・ 」
ほう・・・っと吐息をつきジョ−は花を見上げた。
かさり。
また枝が彼に向かって揺れた・・・ような気がした。
「 なに? 」
くい、と自分の手を強く引っ張った彼女にジョ−はやっと視線を戻した。
「 ・・・ ここに、いて。 わたしのところに、わたしの側に・・・いて。 」
「 ちゃんといるじゃないか・・・ どうしたの? 」
「 どうも・・・しないけど。 けど・・・ なんだかちょっと・・・こわい。 」
「 え? ・・・ 可笑しなフランソワ−ズ・・・ 」
ジョ−は笑ってぴたりと寄り添ってきた身体を抱きしめた。
「 ここにいてね。 ずっとずっと・・・ 」
「 ・・・・ 」
黙って微笑むと ジョ−は花びらよりも可憐な彼女の唇を求めた。
ジョ− ・・・ !
あなたは ・・・ 散らないわ。 散らせない。
冷え冷えとした夜気の中で、触れ合った一点がいっそう熱い。
この熱さは。 この香りは。 この ・・・ 快感は。
・・・ わたしのもの。
散らせない。 散らせやしないわ。
あなたは ・・・ わたしのもの。 花には ・・・ 渡さない。
− 桜は。 ジョ−の心の中にいつも咲いているのかもしれない。
くらくらと全身を覆ってきた熱い波に身をまかせ、フランソワ−ズは
ちらり、と思った。
この時のジョ−の横顔は いつまでもフランソワ−ズの心に残った。
「 ・・・ たしか ・・・ この道だったはず・・・ 」
ぼこぼこになった舗装道路の終点から ほとんど道の様相をなしていない
山道を分け入る。
左右からかぶさってくる木々を掻き分け、フランソワ−ズは鬱蒼とした藪の前で車を止めた。
藪、というより小さな林、と言ったほうが正しいのかもしれない。
枝の間から先を見通そうとしたが、入り組んだ様々な緑が行く手を塞いでいる。
・・・ こんなに山奥だったかしら。 ああ、そうね。
みんな ・・・ <大きく>なったのね・・・
フランソワ−ズは記憶を手繰り 落ち葉が積み重なった道を巡っていった。
あの時は。
藪の向こうに車のライトが透けて見えた。
夜だったが、頭上にはまだ空間があり月明かりが辺りを浮かび上がらせていた。
そう・・・ あの時は。
・・・ となりに あなた がいた ・・・
そして、今。
木立は光を遮るまでに生い茂り、昼なお暗い林となりざわざわと揺れている。
そして。
今日は。 ・・・ ひとり。
フランソワ−ズは一瞬足を止め、す・・・っと深呼吸した。
ここの藪をまわれば ・・・
そう・・・・ あの樹がある、はず。
・・・ かさり。
足元に絡みつく枯れ枝を振り払い、彼女は歩を進めた。
巷の桜は とうに花吹雪となり、新緑の季節が始まろうとしている。
街には若い空気が漲り人々は活動的になっていた。
街外れの岬にぽつんと建つ洋館は そんな賑わいからは切り離されていた。
空家になったのか、それともそこにひっそりと住む人々がいるのか
・・・関心を払うものはいなかった。
明るい季節の到来とは裏腹に 邸内の重く垂れ込めた帳の奥では
張り詰めた時間が流れていた。
いや・・・ 特に何かが起きたわけではない。
なにも。 なにも状況は変らず・・・変えようも無く。
数少ない住人が足音を忍ばせてひそやかに行き来していた。
彼らはひたすら ただ、じっと待っていた。
状況の変化を 誰もがじりじりしつつ見守っていた。
− 仲間の一人の<帰還>を 待っていたのだ。
・・・ ジョ−は。
宇宙 ( そら ) から半死半生で帰還した彼は ・・・ まだ目覚めない。
尽くせる手はすべて尽くした、あとは ・・・ 神のみぞ知る・・・だ、と博士は言う。
頼りにしたいイワンも長い・長い眠りに入ったままだ。
日々、ただじっと。
フランソワ−ズは ・・・ 待つ。
昼も夜も。
できる限りの時を 彼女はジョ−の側で過していた。
時に小声で話しかけ ・・・ 時にひくく歌を口ずさみ・・・
彼女は じっと待ち続けていた。
その邸の人々の願いを他所に、季節は確実に移ろってゆく。
− 彼は まだ目覚めない ・・・
「 なにか ・・・ 彼の精神 ( こころ ) に触れる物事があればのう・・・ 」
「 こころに・・・? 」
老博士は雪眉を震わせ、独りごちする。
「 ああ。 科学者が可笑しなコトを言うと思うじゃろうが・・・
彼の・・・そう、魂をここに、この身体に呼び戻してやらねばな。 」
「 ・・・ そうすれば・・・ 回復しますか。 意識が・・・戻りますか。」
「 確実なコトは言えん。 ただ・・・ ジョ−の魂は・・・還りたいのに
還れない・・・ そんな気がするんじゃ。 」
「 ・・・・・ 」
亜麻色の髪の乙女は そっと横たわる青年の手に触れた。
・・・彼の大きな手は少し乾いた感じがした。
ジョ−。 あなたは。 ねえ・・・どこにいるの。
不意に白い細かいモノが彼女の視界を横切った。
はっと彼女は鋭く息を呑む。
− ・・・あ。
・・・ 花 ・・・? ・・・ 桜 ・・・!
あなたの桜は 散ってはいないわ。
ええ、季節が巡れば花は散るわ。 でも。 必ず次の芽が目覚めるわね?
ジョ− ・・・!
次の瞬間、フランソワ−ズは席を立ち戸口に向かった。
− ジョ− ・・・! いま、行くわ。
雪が降っている・・・と一瞬思った。
藪を抜け、目の前に拡がったのは ・・・
花曇の灰色の空をも白く染め、音もなく気配もなく ほろほろ、ほろほろ・・・
降りしきり・舞い落ちる花吹雪だった。
老木はさらに重く枝垂れ、千々の花を咲かせそして散らしていた。
足元が ふわり、と緩く沈み込む。
花びらの絨毯をそっと踏み、フランソワ−ズは深山桜に近づいた。
見上げる樹の天辺はくぐもった空に溶け込んでいる。
− ジョ−! 還ってきて!! ジョ− ・・・・ !
悲鳴にも似た細い叫びが 曇った空に吸い込まれてゆく。
一瞬ざわめきを止めたかのように見えた木々は すぐにまた密やかに動き出す。
きつく手を握り、唇を噛み。
フランソワ−ズは目の前の老木を見つめ続けている。
連れて行かないで・・・ 行かせはしないわ。
ジョ−は ・・・ 誰にも渡さない・・・!
お願いよ・・・ 還してください・・・
彼を・・・ 彼の魂を再びこの地に・・・ わたしの許に。
・・・ お願いです ・・・ ジョ−を・・・ 彼の たましい を還してください。
− わたしの命と引き換えに。
がくり、と膝を付いた彼女の上に ひらひら・はらはらと
相変わらず同じペースで今年最後の桜が舞い落ち続けていた。
深夜、亜麻色の髪に花びらを絡ませてフランソワ−ズはやっと岬の家に戻ってきた。
その夜が明け初めるころ・・・・
ジョ−は ゆっくりと大地の色をした瞳を開いた。
「 ・・・・ ! 」
一睡もせずに看取り続けていたフランソワ−ズは 声もでなかった。
ただ・・・ ずっと握っていた彼の手をそうっと撫でるだけで精一杯だった。
やっと焦点のあった瞳が 彼女を捕らえた。
・・・ ジョ−は ・・・ 笑っている ・・・ ように見えた。
「 ・・・ ジョ− ・・・ 」
かすれた声がフランソワ−ズの咽喉からやっと押し出された。
・・・ 桜が・・・ね。
咲いていて ・・・ ひらひら 散るのが綺麗で ・・・
手を伸ばしたら・・・ ぐん・・・っと引っ張られた・・・
そしたら。
・・・ きみが、 いた。
ふう・・・とふかく息を吐き、ジョ−はまた目を瞑った。
・・・ 花が
「 ・・・え ? 」
「 花びらが ね ・・・ 髪に ・・・ ついてる ・・・ 」
− ・・・ 約束だ。
しん・・・と声がこころの内に響いてきた。
・・・ええ、約束します。 だから・・・
フランソワ−ズは 黙ったまま身をかがめジョ−の頬に 淡いキスをした。
「 ・・・ お帰りなさい ・・・ ジョ− ・・・ 」
夜明けとともに風が止んだ。
その夜、風は一夜にして春の名残を持ち去った。
この地方の木々は ぐん・・・と背を伸ばし青嵐の季節の訪れを告げ
岬の洋館の<時間>もようやく動き始めた。
硝煙の匂いは大分薄らいで来ている。
ほうぼうから立ち昇っていた黒煙も ずいぶんと数が減った。
からん ・・・
足元の瓦礫がたてた音も、もうそんなに注意を払う必要はないだろう。
009はゆっくりと着実な足取りで 建物の残骸の側を抜けた。
破壊だけを目的にしたミッションの後味は いつもよくない。
何年、何十年と繰り返しても それは変ることがなかった。
いったい何時までこんな虚しいことをして行かねばならないのか。
・・・ <争い>のタネというものは尽きることがないのだろうか。
なんのために、と問うても応えはどこからも返ってはこない。
最早自分達の使命・・・と思い切るしかない。
瓦礫の山を回ったところで 009の視界にちらり、と白いものが入った。
− ? ヒトが? ・・・ ああ、ちがうな。 花・・・?!
一面の焼け野原、モノト−ンだけの中でそのほわほわとした白い色は鮮烈だった。
建物の陰になっていたのだろう、一本の桜が花をまだ残していた。
桜・・・か。
ああ・・・ もうそんな季節だったんだな。
最後に花見をしたのは ・・・ いつだったっけ・・・
ほの白い花に009は視線を飛ばした。
すう・・・っと白い闇が自分を包み込む。
− ・・・ !
チカリ、と硬質の光を捉えたのとほぼ同時に 背後からなにかがどん、とぶつかってきた。
そして ・・・ 一条の光線が走り聴きたくはない、イヤな音がした。
ばさり、とぶつかったモノが倒れ込む。
「 ・・・ 003?! おいっ! 大丈夫かっ 」
「 ・・・・・ 」
009は落ちて来た身体を咄嗟に抱きとめてともに地に転がった。
脳波通信もなにもなかったが、後ろに感じた気配は長年知悉したものだ。
「 003?! 」
抱きとめた腕に 生温い液体が伝って落ちてくる。
瞬時に反転し、光線の発射元にス−パ−ガンを打ち込んだ。
どうやら基地の自動追尾装置の残骸だったらしく反撃はなくあっけなく吹っ飛んだようだ。
「 ・・・ 009 ・・・ 大丈夫 ・・・・? 」
「 なんで・・・ ドルフィンに待機してろって、あんなに・・・! 」
「 ・・・ ごめんなさい でも・・・ わたしだって戦士のひとりよ。
最後の ・・・ 確認をしようと思って ・・・・ 」
「 ・・・バカな ・・・ きみってヒトは 本当に ! 」
「 バカは ・・・ どっち。 」
淡く微笑み、華奢な身体はがくりと009の腕に沈んだ。
「 003 ・・・! ・・・ フランソワ−ズっ! 」
抱き締めた彼女の身体は 熱い。
その年に入ってから彼女は著しく体調を崩していた。
どんなにメンテナンスを繰り返しても捗々しい効果はなかった。
メカ部分の不調ではなく ・・・ 生身部分が適応できなくなってきていたのだ。
− 生体の老化による不適合
ギルモア博士も数年前に没したいま、生身の老化には手の施しようもない・・・
いやたとえ博士が存命であっても それは不可能だったろう。
時間 ( とき ) の流れに逆らえるものは ・・・ ない。
ジョ−は彼女のミッションへの参加をなかなか許さなかった。
どうしても仕方のない場合だけ、彼はしぶしぶ彼女を同行した。
それでも、常時ドルフィン号に待機させ<現場>に降り立つことは絶対にさせなかった。
それなのに。 ・・・ 自分の不注意で・・・!
ジョ−は唇を噛み、できるだけ静かに彼女を抱き上げた。
そのか細い身体は予想よりもはるかに軽かった。
ジョ−はさらにきつく唇を噛み締める。
「 ・・・ あ ・・・ 」
「 ・・・ ドルフィンに戻ろう。 ね? 」
「 ・・・ 花 ・・・ 桜 ・・・ 」
「 え? ああ・・・ ごめん・・・ぼくが不注意だったよ。
あんなモノに気を取られて・・・ 本当にバカなのはぼくの方だ。」
「 ・・・ 降ろして ・・・ 」
彼女の手に少し力がこもり、ジョ−の腕をつかんだ。
呼吸 ( いき ) が荒い。
「 苦しいのかい。 ・・・ じゃあ、ちょっと・・・ 休んでゆこう。 」
「 ・・・・ ええ。 少し ・・・ 休めば 大丈夫よ ・・・ 」
血の気が失せた頬で フランソワ−ズはすこし微笑んでみせた。
・・・しかし その唇の色は失せ、吐く息は熱い。
「 ・・・ あ ・・・ 風 ・・・ 」
ほとんど色彩のない大地に ふわりと緩い風が吹いてゆく。
ジョ−は一瞬こころ和む思いだったが、
熱のある身体に 春の風が心地よいわけはない。
ぶる・・・っと震える彼女を ジョ−は自身の身体を折って風から庇った。
不意に・・・
ジョ−は腕の中の彼女に枯れ枝が絡まり その髪に幾千もの花びらが纏わるのを見た。
− ・・・ なんだ?!
慌てて目を凝らせばそれはたちまち消え去り、
ただ・・・ひとひら、彼女の髪に白い花びらが零れおちただけだった。
ジョ−はそっと摘まみ上げ 宙に放った。
亜麻色の髪が数本、一緒に風になびく。
その風を感じたのか、フランソワ−ズはゆっくりと顔の向きを変えた。
「 ・・・・・ 」
「 ・・・ごめん ・・・ 髪を引っ張った? 」
ううん、と呟き彼女はジョ−の手を求めた。
「 ・・・ 手 ・・・ 」
「 ・・・ なに。 」
「 ちょっと ・・・ 握っていて欲しかっただけ。 」
「 ふふふ・・・ このぉ・・・甘ったれが・・・ 」
「 ・・・・・ 」
熱い息の下で 彼女はもう一度ほんのりと滲むように笑った。
ねえ、ジョ−。
わたし ・・・ ずっと前にね 祈ったの
そう・・・ ある約束をしたのよ。
あなたを 連れてゆかないでって。
わたしの許に還してくださいって・・・・
あの花に ・・・ 桜に ・・・ね。
・・・ わたしを 替わりにしてくださいって。
そうね。
そろそろ約束を果たすころ、かしら。
・・・ そうね。
いつか。 いえ・・・じきに。 ・・・ わたしはあの樹に喰われるわ
でもね。 ・・・ そうしてね。
今度は わたしがあの花になるの。
それで・・・あなたを守るわ、ジョ−。 ・・・
そう、 永久に
・・・
そっと抱いてくれている彼に身体を預けたまま
フランソワ−ズは微笑みを浮かべ ・・・ 静かに眼を閉じた。
・・・ねえ、ジョ−。
あの日から ・・・ いつも決まってこの風景が浮かんでいたわ・・・
瓦礫だらけの野に白い花びらが 散った。
***** Fin. *****
Last updated:
04,11,2006. index
*** ひと言 ***
桜はどうしても魔性の樹だと思うのです。
この季節になると 桜を題材にした駄文が書きたくて仕方ありません。
いつか 吉野の<奥の千本>を訪ねてみたいと思っています、それも夜に・・・