特別では、なく |
…よし、気配はない。 眠れずに起きた夜。九桐さんに薦められ、私は湯殿に来ていた。 私は、湯につかりに来る時には、こうして気配を探る。…こんな体、知られたくないから。 帯を解き、服を脱いで、手拭いを持って木戸を開ける。 「おや、たーさん」 ――! 気配なんて、なかったのに! 湯船には、桔梗さんの姿があった。 ばっと身を翻した私の背に、桔梗さんの声がかかる。 「知らない仲じゃないんだし、いいじゃないか。お互い、人間じゃないんだしね」 …え? 恐る恐る振り向いた私の目に、黄金色の体毛の、狐の姿が写った。 「…妖、弧…?」 「そうだよ」 狐がそう口を開き、足元から湯気とは違う煙が立ち昇る。それが晴れると、やはりそこには桔梗さんが居た。 「一応、父親は人間だから、半妖、ってことになるけどね」 …父親…いるんだ。 ちく、と小さな痛みが走る。昔なら気にならなかったのに。 「ほらほら。あたしが話したんだ。次はたーさんの番だよ」 私がためらっていると、ふぅ、と息を一つ吐いて、桔梗さんは続けた。 「…ま、不安になるのはわかるさね。ほら、湯に入りな。風邪をひいちまうよ?」 逃げる事も、かといって打ち明ける事も決められないまま、私は桔梗さんの手に引かれて湯に身体を浸した。 気遣っている視線が降ってくる。ヒトとは違う存在である事の重みを知っているから、できる瞳。 …でも、私は桔梗さんの考えている存在とは、違う… 「ねぇ、たーさん」 いつまでも私が口を開かない事にじれたのか、桔梗さんが口を開く。 「たーさんは人間として生きるか、それとも妖として生きるか、どっちがいい?」 「意味がよく…分かりませんが」 「そのまんまだよ。人間として正体を隠しながら生きるのと、妖としてひっそり闇の中で生きるのと、どっちがいいか、ってことさ」 …私は違う。人ではないという意味ならば妖。だけど… 「…わかりません」 「そっか。まだ悩んでる最中なんだね」 湯に沈んだまま答えの出せなかった私に怒るでもなく、桔梗さんは言った。 「無理もないか。まだまだ若そうだもんね」 ぱちゃ、っと湯の跳ねる音がしたかと思うと、ぽんっと私は頭を叩かれた。 「ともかく、生き抜くことだね。そうすれば、何かのきっかけで決める事が出来るってものだよ」 その手は暖かかった。 …痛い…胸が、痛い。 こんなにも心配してくれているのに、私は応えられない。 …本当に、そうなの? 私は… 気がつけば、私はこう口にしていた。 「桔梗さん…聞いてくれますか…」 消え入りそうな声で、私はそう言っていた。 「たーさんがいいならね」 いつものいたずらっぽい微笑が、今の私には辛かった。 「これは驚いたねぇ」 少し目を見開く、驚きの表情で桔梗さんは言った。 「何か大きそうな存在の力は感じてたけど…まさか《龍脈》、だなんて」 「信じてくれますか…?」 そう問う私に、桔梗さんは、からりと笑みを浮かべた。 「そんな顔で言われちゃあね。信じない方が悪いって思っちゃうじゃないか」 「あっ…」 どう返せばいいか分からず、私はうつむく。 「それにしてもね、たーさん」 ふっと、桔梗さんの声が低くなる。 「もしたーさんが本当に《龍脈》の制御を司るものなら…」 「はい。その通りです」 ――鬼道衆を滅ぼすつもりじゃないのかい? 《鬼道》は《龍脈》を乱すものだからね。 と言おうとする桔梗さんをさえぎって、先に告げる。 「最初は、そのつもりでした」 「じゃあ、なんでだい」 じっと桔梗さんの顔を見つめて、私は言う。 「違うんです。確かに江戸の氣は乱れているけれど、もっと別の原因があるように私は思うんです」 「……。そうだね」 「え?」 なによりも鬼道衆として前線で動く桔梗さんから肯定の言葉が聞ける、などと思っていなかった私は、思わず上ずった声を上げていた。 「考える材料が少しだけあるからね、あたしは。みんな、気付いちゃいないけど」 どうしてそんな悲しそうな顔をするんですか…? 「ごめんね、たーさんにもまだ言えない」 ふっと目を閉じて、首を振る桔梗さんに、私は追求ができなくなっていた。 「あたしの思い過ごしかもしれないからね。幕府がなくなれば、自然と解決するかもしれないし」 |