龍行が立ち上がった。 全ての方角から囲まれているような、さらにそれが少しずつ近づいてくるような、好ましくない気配が漂い始めている。 そして。 先ほどからの風に吹き散らされた木の葉が不自然に向きを変え―― 「ここは鞍馬のお山やないけど、風は天狗の独壇場や!」 その声と共に突如吹いた別の風によって地に落ちる。 さらに。 「姿を隠したままと言うのは関心せんな…。螺旋掌ッ!」 滝の上方で、清冽な氣の渦が炸裂した。 『ちぃっ』 黒い小さな影が宙を横切り、男と女の声が交じり合ったような重なったような、聞きづらい声がそのあとに届く。 “それ”は空中でくるり、と一回転すると、そのままふわりと浮いたまま停止した。 それは…まつりであったものだった。 最後に着せていた薄手の着物は無く、施されていた化粧も剥げ、木目を晒している。所々に残っているのを見るに、無理やり剥いだのかもしれない。 そして、当然ながら背中にある繰り糸をまとめて出している穴も丸見えだったが…そこには糸は一本も絡んでいなかった。 それでも、肩に触れるか触れないかの髪の毛はそのままであった。 まつりであったものが体勢を直す間に、滝の上から壬生が地面をすべり、們天丸が風を利用して降りてくる。 「いやいや、お二人さんお暑いことでんなぁ。わい、妬けますわ」 「い…いつから?」 比良坂の顔がかぁっと上気する。 生来気配を発しない壬生と、神通力を宿した們天丸。気付かなかったのも無理は無いが、恥ずかしい。 「あれの気配を探ってきたところだ。俺たちは逢瀬を邪魔するほど野暮ではないぞ」 そんな二人に、冷ややかな《氣》を龍行が向けていた。視線をまつりであったものに向けているからであろうが、器用な真似をする。 「さ、さて…」 それに気圧された們天丸が仕切りなおし、といった風に口を開く。 「お二人さんにはうまく気配を隠しとったみたいやけど、わいらがおる事には気付かなんだみたいやな」 ふわり、と羽団扇がまつりであったものを指す。 『天狗か。小癪な真似をする』 哄ったのか、それとも怒りか、まつりであったものは身体を揺らした。 「お前の『名』は」 静かな龍行の声が風を断ち切って響く。 つまらなさそうに、まつりであったものは龍行の方へ振り向いた。 木製の頭部に彫りつけ、そこに描いてあっただけの瞳が、赤く輝いている。 『まだ思い出せぬ。なまじ変化しつつあるものを選んだせいか…』 ふぅわりと宙を漂い、“妖”は川向こうに降り立った。 『一つしか芽生えておらぬが為に強い、我には不要のものが邪魔をする。故に、その源たるお主を消しに来た』 「そうか」 腕を開き、龍行は軽く構えを取った。 『ほう…。《力》の全て、取り戻したわけではないが…ヒトごときには負けぬ』 まつりであったものの身体に変化が起きる。 木の体が見る間に膨れ上がり、割れ、ねじくれ、よじりあって全く別の形を形成していく。 変化が収まった時、そこには木で作られた巨大な蜘蛛、とでも呼ぶべきモノがいた。 「それがお前の本来の姿というわけか?」 『わからぬ。…が、《力》を発揮しようとしたらこうなったのだ。そうなのだろうな』 はたして、その影響か。 彼らの周囲には、鬼火や邪霊が出現し始めていた。――無数に。 |