ほぅ、ほぅ、と夜の鳥が鳴き声を上げる、鬼哭村の夜。 那智滝の滝壷のほとりに、比良坂は足を運んでいた。 ゆっくりと、安全を確かめながら進み、そして、 「龍行…?」 と闇の中に声をかけた。 しばらくして、ざばざばと水をかき分ける音の後、「比良坂?」と言う龍行の驚いた声で返事があった。 「こんな時間は危険だ」 「私は…大丈夫」 ぱち、と言う濡れた手が岩を叩く音に続いて、水中から身体を引き上げるざばりという音が夜に響く。彼は、滝にうたれていたのだ。 「もう…三日ね」 幾つか転がっている岩の中から、座りやすそうな岩を選んで比良坂は腰掛ける。何度かここに来るうちに見つけていたらしい。 「それに…もうすぐ、刻が来る…。大丈夫?」 「今のところはな」 一方、龍行は滝壷の縁に腰掛けて、手拭で身体を拭いていた。身体に貼り付いた胴着に、時折顔をしかめる。 「《龍脈》の脈動は強くなってきてはいるがまだ真の活性化を迎えるまでにはなっていない」 「そうじゃないの」 ふるふる、と比良坂は首を横に振った。 「《力》のことは私にもわかるわ。でも、あなたの気持ち…」 「……」 薄まっていた雲が途切れ、月が姿をあらわす。 「弱音を吐く男は嫌いか?」 「いいえ」 そっと比良坂の顔に朱が差す。 「それは…私にだけ、でしょう?」 「君が俺の事を知っているからという理由だけだとしても?」 こくり、と比良坂は頷いた。 「だって、あなたの背負っているものは重いもの…。だから、私が支える事が出来るのなら、力になりたいの」 「敵わないな」 照れ隠しに、龍行は濡れて張り付いてくる前髪を払う。 「今は私たちだけだから…。大丈夫」 軽く首を傾げて微笑みを浮かべ、比良坂は言う。 龍行は空を――月を見上げ、それから水面の月へ視線を移した。 「まつりに関しては手遅れだと思っている」 「え?」 いきなりの言葉に、比良坂が驚きの声を上げた。 「どうして?」 「まつりは母さんから受け継いだものだしそれ以前から脈々と継承されてきたものらしい」 比良坂の表情は戸惑ったもののままだった。 「それが俺という《龍脈》の力を今は享けている者の手にあったのだから楽観もできないさ」 「じゃあ、あの忍びの人の言っていた事とは関係ないの?」 「無関係ではないだろう」 龍行は顔に流れてきた水滴をぬぐった。 「《龍脈》の影響を強く受けているこの地から《力》を得るモノがいても不思議じゃない」 「確かに、そうだけど…」 悲しげに眉をひそめた比良坂から顔を背けたまま、龍行は言う。 「《力》を宿して意識の無いまつりと《力》を失いつつも意識のある存在」 龍行は、月に手をかざす。 指先から、月光色の雫が流れた。 「引き合ったのだと考えている」 「…じゃあ」 比良坂は、胸元に手を添えた。 「“まつり”の意識は…」 「呑み込まれているだろうな」 冷ややかな口調に、密かに苦渋が混ざっていた。 ざざあ、と奇妙に強い風が辺りの木々を揺らしていく。 「あ…」 比良坂が、微かに声を上げた。 ――何か、いる。 |