――翌日。 館長からの呼び出しを受け、壬生は館長室に向かっていた。おそらく、新しい仕事の話なのだろう。卒業前の、最後の仕事になるだろうか… そんな事を考えていると、気付けば部屋の前まで来ていた。 重厚な両開きの扉をノックしようとすると。 (人の声?) 微かだが、確かに部屋の中から声が聞こえる。一人は当然ながら、館長のもの。そして、もう一人は… (龍麻…?) 思わず、息を潜めて壬生は耳を傾けていた。 「そうか…」 鳴瀧は、小さく息を吐いた。 「君のところにまで、迷惑をかけてしまったか」 「知って…いや、分かってたんですか?」 常と同じく静かな鳴瀧に対し、龍麻の声には非難の色がある。 「私が分からないとでも思っていたのかね。…内々に解決するつもりであったのだよ」 「『解決』? どうするつもりだったんです」 わずかな瞬間、沈黙が降りる。 「拳武館で出来る事、と言えば分かるだろう?」 「誰の手を汚させるんですか」 「怒っているのかね。あの時のことを」 「いいえ」 あからさまに怒りを浮かべて、龍麻は答える。 「救えない事もある、と知りましたから。けど、本当にないんですか。助ける方法は」 「在るのかもしれない。しかし、私は、そして君も知らない」 「分かっていますよ!」 龍麻の怒気が膨れ上がる。《氣》を遣う者なら、体感気温が上がったと感じただろう。 それほどまでに、彼は怒っていた。――自分に。 「だけど、本当に何も知らない奴にそれをさせるのはやめてください」 「ならば、変生するまで放っておくつもりかね」 「…そんなつもりは…」 「暗殺組の中で、彼女の事を知らないものはいない。が、暗殺組の中に人が人ならざる者へとなることを知る者はいない。そして、君は」 「分かっています…」 (…何の話をしているんだ? 暗殺組に関わる事のようだけれど…) 問い質そう…と壬生が扉の取っ手に手を伸ばした、 その刹那。 「ぐ…っ…?」 突如、心臓を鷲掴みにされる様な感覚に襲われ、壬生はうずくまった。 背を向けている方向――廊下の向こうに、気配が一つある。だが、体が動かない。今の一撃で麻痺したようだ。 気配の足音が近づいてくる。 (こいつが…僕に《陰気》をまとわりつかせていた犯人?) ついに直接殺しに来たと言う事か。無抵抗の相手ならば、確かにそれも容易い。 (せめて、足が動かせれば…) 暗殺者の本能か。一矢報いる事を考えた瞬間。 うずくまっていた壬生を吹き飛ばす勢いで扉が押し開かれた。 そして、響く声。 「秘拳、鳳凰!」 「裏秘奥、一角ッ」 吹き飛ばされて倒れた壬生の上を、先鋭化された二つの気流が駆け抜けてゆく。 耳障りな人外の悲鳴と、ガラスの割れる音を最後に、辺りに静寂が戻った。 「どういうことだい、龍麻…。昨日は分からないって言ったじゃないか」 「誰か、は分からん、と言ったぞ」 いちいちスタッカートをつけるのが気に障る。 鳴瀧の気功治療によって回復した壬生は、すぐさま龍麻に詰め寄っていた。 「僕は原因を知りたい、と言ったんだ」 「なら俺の勘違いだな。すまん」 そう言って龍麻は肩をすくめる。 「誤魔化すつもりかい?」 「もう出来んだろ」 「なら説明してくれないか」 一触即発(ある意味でいつもの姿だが)の二人の間に、鳴瀧の声が割って入る。 「壬生紅葉」 「は…はい」 今更ながらに館長の前にいた事を思い出し、壬生は居住まいを正した。 「先に言っておこう。この件に君が関われば、君は更なる十字架を負う事になる」 す、と鳴瀧の目が細められる。 「それでも知りたいのかね、真相を」 「僕は既に、その覚悟は」 「すまない、言葉が正確ではなかったな」 その目を受け止めて、すぐさま返事を返した壬生の言葉をさえぎって、鳴瀧は告げた。 「おそらく、知れば君は道を見失うだろう」 「……」 今までに迷いがなかったわけではない。龍麻や、あの人に助けられても来た。だが、もし、それが揺らぐような事が起きたなら、そんな事を知ったなら、自分は立ちくすんでしまう。 その事を自覚していたために、壬生は言葉に詰まった。 龍麻は何も言わず、壬生を見つめてすらいない。 しばらく、そのまま時が過ぎる。 「もうよい。下がりたまえ」 「…はい。失礼します」 悩みに顔を歪ませたまま、壬生は館長室を辞去していった。それしか出来なかった。 「素直だな」 ぽつりとこぼした龍麻の言葉に、鳴瀧が返事を返した。 「分かっているのだろう。どのような事で自分の信念が揺らぐのか、そして、その時にはそれを乗り越えなければならないことが」 「独り言のつもりだったんですが」 そう返す龍麻に、鳴瀧は息を吐き、口を開く。 「感覚が鋭いのも問題だな」 わずかに表情が変わる。口ひげや、変化そのものが浅いために、苦笑なのかそうでないのかすら判別しがたい笑み。 表情を戻して、鳴瀧は続けた。 「賢い少年だよ、彼は。自分の心の強さと弱さ、自分の《力》がどの程度なのか、よく分かっている。…だから、決められなかったのだ」 「時間、ないんですけどね」 あまり表情を変えずに…諦観の顔で、龍麻。 「もう《力》を得てるみたいですし、後一押し、って感じですね」 その中に、苦渋を混ぜた複雑な顔。 「あの女、何者なんですか」 「三年酉組の、原井法子と言う。実家が道場を開いていたため、素質を見込んでスカウトしたのだ」 「ふ…ん。確かに、なかなかのものでしたよ」 大して感慨も無さそうな口調で横槍を入れる。 「淡白な生徒でな。だから分からぬ所もある。なぜ邪気にとり憑かれたのか、まるで調査に上がってこない」 部屋に、沈黙が降りる。 破ったのは、龍麻。 「推論ですけれど」 「何か、知っているのかね」 「原井…でしたっけ。昨日、俺の恋人を攻撃してきました。痛い目に合わせときましたけど。…一時期、あいつ、横恋慕してきてたんですよね。もうありませんが」 「何か妙に過去形を強調しているが…まあよい。…ふむ」 と、鳴瀧は顎の下で手を組んだ。 繋がる事は、繋がる。そう言うそぶりが、なかった訳でもなかった。 「可能性は無きにしも非ず、だな」 「不確定要素は取り除くに限る、です」 と龍麻が立ち上がった。 「どうするのかね?」 「確定なら、俺がやりますよ。…紅葉、優しいですから」 その顔に、わずかな照れの色が宿る。 「一人で、かね」 寂しげな表情が上書きされる。 「皆、それぞれ気にしますから。秘密にしといてください」 “ひと”の命を奪う事を。たとえ、そうしなければ死ぬような事態で、自分が、仲間がそうしてしまうことを。 美徳だと思う。甘いとも思う。だけれども、そう想う心は汚したくはない。 だから、汚れるのは自分だけで、いい。 |
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