「貴人」二幕



「壬生さん、大変ね」
「紗夜が心配する事じゃない」
 そうして、二人の帰り道。
 正月を――あの戦いを――乗り越えてから、時間が合えば龍麻と紗夜は放課後をともに過ごすようになっていた。ある種、至福の時間である。
「要するにあいつを恨んでる誰かをとっちめればすむ話さ。あいつがうじうじ悩んでるだけでな。きっと心当たりがあるはずだぜ」
「けど…恨まれるのって辛いわ。…恨む事も…」
「紗夜…」
 他者には分かりようもない苦しみを抱えてきた恋人の気持ちを少しでも和らげようと、龍麻は紗夜を抱き寄せようとした…その時。
「紗夜、離れろッ!」
「きゃッ!?」
 できる限り加減して、龍麻は紗夜を突き飛ばす。
 一瞬前に紗夜がいた場所に、“風”が突き刺さった。
 たん、と軽量級の何かが着地する音。そして、それはすばやく立ち直ると紗夜に襲い掛かろうとし…
「俺を倒してからにしなッ!」
 その動きの全て見えていた龍麻が割り込む。
 相手を殺さないように加減した蹴りを横合いから放つ。
 …が、瞬間的に目標を変更した伸びやかな足が跳ね上がり、龍麻の蹴りを受け止めた。
「ちっ、《巫炎》!」
 相手が動く前に、火の性を持つ氣壁を打ち立てると、襲撃者は大きく飛びのいた。
(速いな…速さだけなら紅葉や…紅葉?)
 そう言えば、紅葉の技は師に教えられた足技を主としている。そして、この襲撃者も足技を遣った。
 龍麻は襲撃者を観察してみた。
 うまく暗がりに入り込んでいるため胸元からしか見えないが、白いワンピースの制服(真神の女子制服に似ている)を着ているからには女子高生なのだろう。どこのかまでは知らないが…
「拳武館だわ」
 紗夜がそっと囁いた。
「拳武館? …で俺らを狙うってことは、あの副館長派とかか? もう俺らを倒しても報酬は支払われねぇぞ?」
「…関係ない。どいて。私のターゲットは、その女」
 声色を抑えているのか、襲撃者は低い声だった。
 龍麻は構えを取り直す。
「ならどけねぇな。こいつは…って、おい!」
 “どけない”と言った瞬間、襲撃者が攻撃を再開した。
 威力こそたいしたことはないものの、その代わりに手数が多い。つまり、相手に気付かせぬうちに小さなダメージを蓄積していかせる…と言う攻撃手段なのだろう。
 だが。
 いかんせんそうしたものを超越してしまった龍麻には、結局はどうと言う事のないものであった。
「紗夜! 羅刹よこせ!」
 攻撃の合間に声をかける。返事はなく、すぐさま唄声が響いた。どうやら待機していてくれたらしい。
 身体に力がみなぎるのを確認すると、龍麻は龍星脚で襲撃者を蹴り飛ばした。手加減をする事はするが、痛撃も与えておこう、というあまり褒められた事ではない意図が篭っている。
 吹き飛ばされ、ブロック塀に激突した襲撃者の体から微かに嫌な音がするのが鋭い龍麻の耳に届く。
「今日は退けよ」
 冷酷に告げる。
「紗夜を狙わずに俺を狙え。もし紗夜を先に狙ったなら…殺すぞ」
 びくり、と襲撃者の体がこわばった。左肩をおさえたまま凍りついたように動かない。
 殺そうとした相手に負け、その上脅されるなど初めての事だったのだろう。構わず、龍麻は睨み続ける。
 立ち上がり、紗夜もきっ、と襲撃者を見つめていた。

 どのくらい経ったのか。襲撃者がさっと闇に消えていく。
「龍麻…ありがとう」
 安堵の表情で紗夜が礼を言う。
「気にするな。当然の事さ」
 ああいって脅しはしたものの、実のところ龍麻には人を殺めるつもりは毛頭なかった。たとえ、既に己の手が血に塗れていようとも。…いや、だからこそ、「人」は。
「でも…どうして気付いたの?」
「ん? …ああ」
 紗夜の疑問は、なぜ襲撃に気付いたのか、ということだった。
「邪気を感じたから、かな」
「邪気?」
「んーとな、陽気も陰気も、普通は誰もが持ってるもんだろ?」
 だが、邪気はその身を侵すほど強い念を持たなくては発生しないもの。そして、その念が他者を害するようなもの――恨みや憎しみ――であるほど発生しやすくなるのだ、と龍麻は説明した。
 そのついでに、自分もあまり分からなかったものの、《奇蹟の生還》を遂げた時にその感覚も高まった、と告げた。その理由までは言わなかったが。
「じゃあ…大変じゃないの?」
「いや、別に感情を読んだりする訳じゃないしな。それに、邪気を持ってるような奴なんて、そうはいない」
「そう…よかった」
 そう言って、紗夜は微笑む。
 その笑顔に、龍麻は思わず見とれてしまっていた。


三幕