あなたの傍に居たいから、この手を血に染めたのに。 あなたの為なのに。 なのに。 あなたは去ってしまう。行ってしまう。 なら。 なら、いっそ… |
貴人 |
「龍麻、相談があるんだけれど、話を聞いてくれないか」 「断る」 三年生はもうすぐ卒業、という2月の末日、真神学園の校門にて。 壬生 紅葉と木谷 龍麻――仲間たちから“表裏の龍”と称される二人が顔をあわせていた。――ただし、表裏、といっても「相容れない」という意味で、だが。 龍麻のある意味予想範囲内の返事を聞くと、壬生は一つ大きく息を吐き、門にもたれていた少女、比良坂 紗夜に言葉をかけた。 「やっぱり駄目だったね、比良坂さん」 その刹那、龍麻がすばやく壬生を押しのけながら歩み寄り恋人を抱き寄せた。 「紗夜。お前は本っ当に優しい子だな。でも、こんな奴にまで優しくしなくていい」 「た、龍麻、あの…」 下校時間に、校門前。じろじろと好奇の視線その他にさらされ、紗夜は反論できずに頬を染めた。 それでも、壬生の応援請求の視線を背後に感じ、何とか紗夜は口を開く。 「私からもお願い。壬生さん、本当に悩んでるみたいなの」 仲間内ならば、誰でも知っている。龍麻は、恋人の紗夜に非常に弱い。 そして、実は誰よりも情に篤い、と。 「仕方ねぇな…。紗夜にまで言われちゃあな」 それでも、普段から龍麻の罵詈雑言にさらされている壬生としては、こう思うこともある。 (真神の他の4人…特に、彼女が居ればもっとスムーズにコトが運ぶはずだ) …と。 「はぁ? 《陰気》に悩まされてるぅ?」 新宿中央公園に場所を移し、適当なベンチに腰掛けて壬生の話を聞いた龍麻の第一声はこういうものだった。 高い身長に細身の体躯、そこに剣呑な雰囲気を漂わせている高校生男子2人に、その2人にはさまれている少女。端から見ると奇妙この上ないが、当人たちは誰も気にしていなかった。 「お前、元から陰に傾いてるだろ」 「そうだよ。君が強く陽に傾いているようにね。半身だし」 ぴしり、と空間が―この2人の間の、だが―音を立てたような気がして、紗夜は身をすくめた。 (ああ、やっぱり他の人もいるべきだったんだわ…) 今更な泣き言を心の中で呟く。 「…で?」 「僕だって耐性がないわけじゃない。ただ、それが毎晩、悪夢の形で現れるとなると、ね…」 ただでさえ、『仕事』で睡眠時間のない壬生にはそれは致命的なものだろう。 「ほぉう」 壬生の斜め下から、龍麻が睨みつける。実際に数cm負けているからだ。 「で、紗夜に頼ろうってのか。中和する陽気が欲しいなら舞子が居るだろうが。舞子も看護婦だし、もっと親身になってくれるぜ?」 そっちに行け、とばかりに手を振る。 「龍麻」 言いすぎよ、と言わんばかりに紗夜が龍麻の腕を掴んだ。さらに何か言い募ろうとした龍麻はそれで口を閉ざす。 「高見沢さんか…。彼女は僕にはまぶしすぎる」 内心で紗夜に感謝しつつ、壬生は続ける。 「比良坂さんに相談したのは、何より君に話を聞いて欲しかったからなんだ」 「俺に?」 龍麻が顔をゆがめる。普段の彼なら頼みごとなど突っぱねる所だが、真剣であるらしいと感じ取っているために情が沸いてきているのだ。龍麻は、それを見られるのを好まない。 「ああ。攫われたり意識不明になったり死にかけたりする君だから、きっと何かわかることがあるんじゃないかと思って」 一気に龍麻の表情が冷え込む。 「お前、やっぱり喧嘩売ってるだろ」 「さぁ?」 膨れ上がる闘気に、紗夜は仲裁を諦めた。 (どうして2人とも、こうなのかしら…) 別に、売られた喧嘩だからと言って買わなくてもいいと思うのに。 「…で、悪夢、って言ってたな。晴明に夢占でもしてもらったらどうだ。案外、おまえ自身の問題かもしれないぜ」 「笑え、ない…冗談、だね…」 《秘拳・黄龍》―おそらく、手加減有り―を先手で撃たれ、ほぼ瀕死の壬生が息も絶え絶えに応える。 「僕だって、自分に…」 カバンから妖精の燐粉を取り出した紗夜が、そっとそれを壬生に振り掛ける。 「ありがとう、比良坂さん」 「で、続きは」 傷の癒えた壬生がそれ以上紗夜に何も言わせぬが如きに龍麻が口をはさむ。 「…。僕だって剄を使う者だ。自分にまとわり付いている『もの』が自分の発するものかどうかぐらいわかるよ。…ただ、それでも君には負ける」 「まぁな」 剄とは、大雑把に定義すれば氣を操る事。そして、氣とは大地にも流れている。それが《龍脈》である。 龍麻は日本の《龍脈》を、この間掌握したところなのだ。とは言っても、何が変わったのかはまだよくわからないのだが。 「だから、聞きたいんだ。なにか心当たる事はないかを」 「さてな。いくらなんでも、そこまで万能じゃねぇよ」 腕を組みながら、龍麻は口を開いた。 「とりあえず、考えられる事って言やぁ、《陰気》を直接ぶつける事で攻撃する奴。あれもあるけれど、違うだろ?」 ――皮肉だろうか。いや、龍麻の相棒もあの技は使える。きっと言葉どおりの意味なんだろう。 そう自分を納得させて、壬生は答えた。 「それなら分かるよ。もっと、別の…形のないあやふやな感じなんだ」 「ふん? 一応夢魔使いも知ってるが…関係ないな」 「夢魔使い?」 あまり聞きなれない言葉だ。 「ああ、お前の知らん奴だから気にするな」 が、壬生の疑問などないかのように龍麻は一蹴する。 「よく断言できるね」 「よく会ってるからな。…ま、何かわかったら連絡するさ」 ひらひらと手を振りながら龍麻は言った。 (わからないなら、仕方ない、か) 「ありがとう。じゃあ、頼むよ」 そう言い残すと、壬生は夕暮れの陰りに姿を溶け込ませつつ去っていった。 それを見届けて、 「わざわざああしなくてもいいと思うんだが」 「性分なのよ、きっと」 苦笑を浮かべつつ、紗夜がフォローを入れる。その紗夜の頭を抱き寄せ、龍麻はそっと囁いた。 「明日、拳武館に行ってくる」 「分かってたの?」 「いや、原因を知ってるだけさ」 その時の龍麻は、沈痛な表情だった。紗夜には何故だか分からなかったが。 |
二幕へ