最初にその気配を感じ取ったのはシェリーだった。

フォリナー家の2番目の娘、属性は大地。
父との確執からブランタの手先になった過去を持つ。

オリビアがいない今となっては
この国で最も強い魔力の持ち主だ。

早寝早起きが身上の姉はすでにぐっすりと眠っていた。
システィーナも神父と共に貧しい人々の家を回って疲れきって寝ている。

夜の遅いシェリーだけがまだ起きていた。

夜半、ふらりと月の光に誘われるように外を歩く。

その時、
ほんの一瞬この世界と異質の空気を感じた。

「・・・・・・?」

目を閉じてその感触を探す。
が、その時の彼女は再びそれを感じることが出来なかった。









竜が踊る(4)









 オクシオーヌは気分が悪くなってそっとベッドを抜け出した。数時間前にカチュアに勧められるままに飲んだ葡萄酒と日頃食べなれていない御馳走が胸をむかむかとさせていた。
窓を開けて外の冷たい空気を思いっきり肺に入れる。・・・全然変わらなかった。何度も何度も深呼吸していると突然窓の下から声がしたのだ。

 「眠れないのか?」

 ひょいと下を見て思わず叫んだ。
 「あ〜っ! ヴァイス!!」
 「馬鹿!叫ぶな。」
 思いもしない人物に大きな声を出したオクシオーヌは自分の口を両手で押さえてカチュアの方を振り返った。女王は身動ぎもせずに眠っていた。ほっと息を吐いてヴァイスに大丈夫のサインを送った。ヴァイスが安堵のため息をついた。オクシオーヌは声を殺して下にいる青年に聞く。ヴァイスは片手剣を2本抱え館の壁に背を預けて座っていた。
 
 「いつからそこにいたの?」
 「さっきからだ。」

 「・・・お城に帰るんじゃなかったの?」
 「まあ、予定では・・・。」
 
 オクシオーヌは声を出さずに笑った。
カチュアに警護されることを拒絶されたヴァイスは彼女にわからないように、こっそり夜に紛れて女王を守っているのだった。普段持っているアイスブレードに、ニフリードソードを加えていた。攻撃力は格段に上がる。こっそりしていないでさっさと謝ればいいのにとおかしくて仕方ない。

 青年は真面目くさった顔をして言った。
 「あの女に何かあってみろ。モルーバのおっさんから殺されるのはオレだぜ?」
 「そうね。セリエさんたちが直接手を下しそうね。」
 「・・・その名前は出すな。冗談にならねえ。」

 忌々しげに吐きすてたヴァイスにオクシオーヌはくすくすと笑う。ヴァイスもつられて苦笑いを浮かべた。

 「・・・寒くない?」
 「寒さには耐性があるからな。」
 「そっか・・・、ヴァイスも属性は水だったわね。」
 
 ニフリードソードが碧の光を放つ。

 「オレたちが苦労するのはこの属性の所為だと思うぜ。」
 「どうして?」
 「根性悪い復讐の女神から加護されてもなあ・・・。」
 「・・・そんなこと言ったらバチあたるわ。」
 「バーカ、当たらねえよ。」

 後日彼は己の考えが甘かったことを痛感する。

 「ずっとそこにいるの?」
 「ああ。」
 「待っててね、ヴァイス。」
 オクシオーヌはそう言うと窓から姿を消した。そしてすぐに戻ってくると上から毛布を投げたのだった。
 「風邪ひいたら守るものも守れないでしょ?」
 オクシオーヌが言った。ヴァイスは少女の思いやりが有り難かった。いい娘だと思う。カチュアに振られたら彼女でもいいかなとふと思ったとたん、眉間にしわを寄せた不機嫌な竜騎士の顔が浮んであわてて打ち消した。

 「ヴァイス。」
 「あ?」
 「カチュアさんに夜這いをかける時は寝たふりしてるね。」
 「かけねーよ!」
 思わず叫ぶ。オクシオーヌはあははと笑っておやすみなさいを付け加えた。

 笑いながらベッドに戻ると吐き気を思い出して顔をしかめたオクシオーヌだった。








 収穫祭2日目の夜が明ける・・・。








 好天に恵まれた前日と違って2日目は昼前から急に空が黒くなっていった。空気に感じられる雨のにおい。降らないといいが・・・とジュヌーンは厳しい表情で空を見上げる。どんよりと重たい雲が急ぎ足で空を覆い尽くそうとしていた。

 そんな空模様と対照的に広場のステージで寸劇や楽器の演奏が人々を楽しませていた。

 「オクシオーヌ、見ててね!」
 ジャンヌが舞台から女王の横に座っているオクシオーヌに盛大に手を振る。煌びやかな舞台衣装のドレスの端をつまんでくるりと回った。友達?と聞いてくるカチュアに軽く頷くとオクシオーヌは彼女に手を振りかえした。ジャンヌはもう一度手をふるとカチュアに一礼する。ドレスの両端をつまんで腰を低くする貴婦人然とした挨拶だった。その直後に貴婦人は何かを言った隣りの若者を蹴飛ばしたのだが・・・。
 一座の出し物は喜劇だった。二人の男と一人の女の恋の鞘当て・・・。勘違いと思い込みから起こる恋のドタバタ劇だ。笑い声があふれる。大変な盛り上がりを見せて劇は終わった。カチュアも目に涙を浮かべて笑っていた。

 「友達でしょう、舞台のところに行って来たら?」
 カチュアがそうオクシオーヌに言った。きょろきょろと周りを見ると近くにジュヌーンも城の兵士たちも控えている。オクシオーヌはカチュアの言葉に甘えて女王の横から離れ、舞台のそでに急ぎ足で行った。

 オクシオーヌがジュヌーンと諍いを起こして城を飛び出した今年の冬、行く当ての無かった彼女はこの一座に一晩いた。その時、親しくなった同じ年の娘。くるくるとよくかわる表情の、軽やかに踊りのステップを踏む娘だった。

 「久しぶりね、元気だった?」
 「元気だよ。オクシオーヌは?」
 「わたしもよ。」
 「すぐ会いに来てくれると思ってたのに・・・。」

 ぷ〜っと頬を膨らませる娘にオクシオーヌは素直に謝った。

 「ご免なさい。いろいろあって・・・。」
 見つめあい、くすくすと笑う。

 「劇、楽しかったわ。カチュア・・・じゃなくて、女王陛下も大笑いされていたわ。」
 「そう?・・・じゃあ後で陛下のところに行ったらご褒美くれるかな?」
 ジャンヌは目をきらきら輝かせてオクシオーヌに聞いた。
 「・・・・・・・・・多分・・・。」
 基本的にケチなカチュアを知っているだけに、今ひとつ返事に自信が無いオクシオーヌの声は小さかったがジャンヌは気付かず、どんな褒美を貰えるかわくわくしていた。

 舞台は次の出し物があっていた。異国の一座だった。座長と思われる男の言葉はたどたどしかったが異国の楽器が奏でる楽の音は素晴らしいものだった。皆うっとりと聞き入る。

 オクシオーヌとジャンヌが舞台の横に座って音楽を聴いていると男たちが邪魔だと言ってきた。次の寸劇をする者たちらしい。2人はあわててその場を離れる。およそ華やかさとは縁遠い格好の男たちだった。まるで今から戦いに出るような者が数名、残りは貧しい身なりの格好をしていた。いったいどんな劇をするのだろうかとオクシオーヌは思った。

 ジュヌーンを見る。彼も眉間に皺をよせて男たちを注意深く観察していた。








 彼らが演じたのは・・・
 バルマムッサの虐殺・・・・・・。








 それはヴァレリアの歴史上、最も凄惨な事件の一つだ。








 正確に言えば演じられているのは“バルマムッサの虐殺”ではない。国の名も地名も登場人物たちも実在のそれではなかった。だが事実を知っている者は誰もがバルマムッサだとすぐにわかった。

 パム山中に位置する炭鉱町・・・。
 元ウォルスタの自治区があったところだ。
 ここに住んでいたウォルスタ人はすべて・・・、同胞のウォルスタ兵によって殺されてしまった。彼らを支配していたガルガスタンを倒すためにウォルスタの指導者が企てた陰謀だった。
 実行したのは・・・、ゴリアテの英雄と呼ばれる若者だった。後に内乱を終結に導いた解放軍のリーダー、デニム・パウエル。カチュア・パウエルの弟である。

 「ひでーツラの英雄だな。デニムが見たら泣くぜ・・・。」

 ヴァイスがのんびりとした口調で嘯いた。まだ自分らしき男の方がましな顔をしていると思ったが、どっちもどっちのレベルであることに変わりはない。異様な迫力で物語は進んでいく。雨がぽつぽつと降り出してきた。だが、観客は誰も動こうとしなかった。カチュアも座ったままだったが、その顔は強張ったままだ。ジュヌーンが厳しい表情で舞台を睨む。

 あの時も雨が降っていたとヴァイスは思った。バルマムッサで親友と袂を別ったあの夜。
親友は体制側に残る事を決意し、自分は地下に潜ったのだ。

 目指すものは同じなのに、選んだ手段が違うだけで親友同士が殺しあわねばならない空しい現実。

 舞台の上では『英雄』が何の躊躇いも無く老人を殺すところになっていた。これから始まるのは・・・。

 彼の剣が老人に振り下ろされようとした時、

 「止めて!!」

 真っ青な顔でカチュアが立ち上がり叫んだ。やべぇ!とヴァイスが彼女の所に駆け寄った。

 「嘘よ! デニムは・・・」
 悩んで悩んでウォルスタの未来の為に現実から少しずつ変わる道を選んだのよ!と言おうとしてヴァイスの両手に口を塞がれた。

 「黙っていろ・・・、真相は闇の中だ。おまえがデニムの為に弁明してみろ。それこそ虐殺を行ったのがデニムだと認めたことになるぞ。」
 そうカチュアの耳元で呟いた。

 この場に居合わせた民衆の何人がバルマムッサの真実を知っているのだろうか?ガルガスタンが行ったと信じている者もいれば、ウォルスタが仕組んだ陰謀だと言う者もいた。死んだアルモリカ騎士団長が全ての黒幕だという噂もあれば、解放軍のリーダーが出世の為に自ら進んで提言したとも言われていた。様々な噂が飛び交っていたが、人々はあえてこの事実に目を瞑ろうとした。それほど・・・、思い出したくもない悲惨な出来事だったのだ。

 だが、真実が闇の中に葬り去られる事を良しとしない者たちもいたのだ。肉親や友人を殺された者たち。ただバルマムッサにいたと言うだけで無残にも殺されていった人たちの恨みは誰が晴らすと言うのだろう?残された者に力がないのならせめて事実を明るみに出すことで人々に訴えるしかないのだ。

 そこにいる女王の王冠は罪も無く殺されていった無数の人の血で汚れているのだと・・・。

 雨足が少しだけ激しくなってきたが、人々は舞台と女王を固唾を飲んで見守っていた。ヴァイスがカチュアから離れた。カチュアは大きく息を吐くとこう言った。

 「続けなさい・・・。」

 小声でヴァイスが何事かカチュアに囁いたが、カチュアは首を横に振ると席に座った。

 ジュヌーンが舞台のそでに移動していた。彼はバルマムッサの当事者ではなかったがバスク村襲撃を指揮した過去がある。バルマムッサがバスクに重なる。殺された人間の数からいえばバスクはバルマムッサの比ではない。が、罪の重さにかわりはないのだ。オクシオーヌもジャンヌと別れてジュヌーンの横に立っていた。じっと食い入るように舞台を見る少女をジュヌーンはちらりと目の端に入れて思った。少女は罪もなく殺されていく人々に自分の村を重ねているのだろうかと。今すぐにでも舞台に乗り込んで止めさせたかった。力ずくで止めさせるのは簡単な事だ。けれどそれでは今までの支配者たちと同じだ。何も言えない国に自由などない。それがわかるからこそカチュアも劇を続けさせたのだ。

 雨の中、舞台では惨劇が続く。ヴァイスはカチュアの隣りにいた。カチュアの肩が震えているのがわかった。カチュアの手をそっと握る。カチュアがぎゅっと握り返してきた。

 舞台は虐殺から一転して『英雄』の姉と思われる女性が肌も露に彼を誘惑しようとする場面になった。カチュアの顔が蒼白になった。その女性は舞台となる国の元国王の遺児という設定だった。血のつながらない姉と弟。そこにあるのはあからさまな悪意と中傷・・・・・・。ヴァイスとジュヌーンの目があった次の瞬間、ジュヌーンが剣を抜いて舞台に出てきた。

 「そこで終わりだ!」

 ジュヌーンの登場に観客が騒ぎ出す。それでなくてもこの場にいた者たちの多くは、誰もがカチュアと思える女が露な格好で主人公を篭絡する場面になって戸惑っていたのだ。だが、男はジュヌーンを一瞥すると臆する事も無く言った。まるでそれも台詞のひとつであるかのように。
 
 「これはこれは何と、ガルガスタンの竜騎士殿ではありませんか! 罪もない人々を殺した者同士仲良くしましょう。」

 「・・・!」
 
 「でも今は邪魔をしないでいただきたい。わたしはそこの女と道ならぬ関係とやらにおちるのですから。」

 まるでガルガスタンの竜騎士の登場すら予定されていたかのような流れだった。

 「あなたと違ってわたしはまだ虐殺の褒美をもらっていない。」

 「褒美だと?」

 「そうです。あなたはあの生き残りの少女を手元において日夜おいしい思いをしているではありませんか! どうですどうです、若い娘の具合は?」
 さぞかしいいでしょうなと下卑た笑いを浮かべる男にジュヌーンは返す言葉を忘れ唖然とした。



 コリタニの城にバスクの娘がいるというのはこの地方に住む人間なら誰でも知っていた。城にいる4匹のバハムート。時々反乱を鎮圧するための軍隊の中に彼らの姿を見かけることがある。白銀に輝くドラゴンに人々は畏怖の念を持つ者も少なくはなかった。そのバハムートの傍にいるバスクの生き残り。健康的な竜使いの少女。バスクを滅ぼしたガルガスタンのドラグーンが後悔と責任感から彼女を手元に置いて見守っているという噂だった。コリタニの人々の尊敬を集める高潔な竜騎士とバスクの少女は決して下世話な興味の対象ではなかったのだ。

 だが、嘲りの口調でそれが事実だと言わんばかりの男に対してジュヌーンは言葉を失った。まさか?という思いが見守る者の心に浮んだ。こういう類の噂は人の好むところだ。

 「ジュヌーン様が?」
 「・・・まさか・・・?」

 「黙っていないで何か言ったらどうですか? 黙っていると認めたことになりますよ。」
 なおも男が言う。

 その時、重く空気を裂く音とともに男の横を1本の赤い槍が掠めて後ろに突き刺さった。

 「それ以上、口を開いてみろ。一生台詞を言えぬ口にしてやるぞ。」
 フォリナー家の長女が左の手のひらに炎の固まりを浮かべて冷たく言い放った。雨の中消えもせずに燃える炎だった。

 男が言った。
 「おもしろい、やってもらおうではありませんか。」

 まさか本当に衆人の見ている前でどうこうするとは男も思っていなかったのだろう言い切った瞬間、セリエの手の中から放たれた炎が男の口に直撃した。

 「ぐわっ!」
 やられた男からだけでなく、観客からも悲鳴が上がった。セリエは平然として言った。
 「次はない。」

 圧倒的な存在感で登場したセリエに人々の視線が釘付けになる。美貌のフォリナー家の4人の娘はコリタニでも有名だ。その中でもハイムの宮廷で一番危険視されているのがこの冷たい美貌の長女だった。
 
 この場において本当に次はないと言う事がわかっているのはハイムの人間とジュヌーンだった。さっきまで突っ立っていただけのジュヌーンは次の攻撃が男に直撃するのを防ぐために彼女と男の間に立った。カチュアがいつでも男を飛ばせるように魔力を確かめる。衆人が見守る中でセリエが魔力で人を殺めるは避けねばならなかった。例え、この男が自分やジュヌーンたちを侮辱してもだ。

 セリエに炎をぶつけられた男が口を押さえて蹲る。舞台にいた女はとうにそでに引っ込んで、かわりに死んだはずの町の住人たちが男を助けようと出てきた。みな青ざめた表情でジュヌーンを見上げている。

 ジュヌーンはゆっくりと男たちに近づいていった。そして舞台に突き刺さっているイグニスを軽々と引き抜く。死者の宮殿で手に入れた炎の槍だ。男とイグニスを交互に見比べた。その無表情の冷たい目に殺される!と男が息を飲んだのがわかった。だが、ジュヌーンはイグニスをセリエに投げ、セリエは無言でそれを受け取った。姉のところにシスティーナが駆けつけ何かを姉に訴えている。さっきまで一緒にいたシェリーは面倒はごめんだというばかりに姿を消していた。

 雨の中、誰もこの場から去る者はいなかった。皆事の成り行きをじっと見守ってる。

 その時カチュアがヴァイスとともに舞台に表れた。カチュアもびしょ濡れだった。雨に濡れた服が気持ち悪かったが、そんなことは今は関係なかった。セリエに言う。

 「ここは任せてちょうだい。」

 女王にそう言われたら引き下がるしかなかった。セリエは一礼すると妹とともに去って行った。安堵のため息が広場に満ちたのがわかった。ヴァイスが蹲ったまま顔だけ上げている男に言った。

 「女王相手に濡れ場の続きをするか・・・?」

 ぶんぶんと男が顔を横に振った。ヴァイスが続ける。

 「バルマムッサをどのように解釈して何を言おうがそれは勝手だ。だが、この国の女王の品位を貶めることだけはオレが許さん! その悪そうな頭に叩き込んでいろ。」
 ヴァイスは彼らがかつてネオ・ウォルスタ解放同盟にいた者たちに違いないと思っていた。はっきりとした記憶はなかったが、きっとデニムの解放軍と合流するのに反対して抜けた連中なのだろう。

 ジュヌーンが彼らをまとめて舞台から下ろそうとした。ヴァイスが彼らの後姿に言った。
 「あー、一つ忘れていた。」

 何事かと振り向いた一同にヴァイスは、
 「そこのクソ真面目な竜騎士様がオクシオーヌに手を出すのは100年たってもあり得ねーよ・・・。これも覚えとけ!」
 
 広場にいる者全員に聞かせるかのように声を張り上げてさり気ないヴァイスのフォローにジュヌーンは心の中で感謝した。

 突然雷を伴い集中豪雨のような勢いで降リ出してきた雨に人々はわれ先にこの場から立ち去ろうとした。

 「カチュア、これを・・・。」
 ヴァイスがカチュアの手を広げて小さな石のような物を上に置いた。

 「・・・!?」
 
 それはオペロンの涙だった。嵐を静め、晴天を呼ぶオクトパスのクチバシを加工したもの。ヴァイスの意図を読んでカチュアが高く翳した。

 「オペロンの涙よ、嵐を静めて!」

 カチュアガ高く掲げたそれから閃光が周りに広がった。閃光に人々が驚いて舞台の女王を振り返った。叩きつけるような雨が止んだ。人々が空を見上げる。黒い雲の切れ間から青空が覗いたかと思うとあっという間にそれが広がっていく。数分のうちに空は昨日までの秋晴れを取り戻した。民衆はオペロンの涙を知らない。ヴァレリアの女王がフィラーハ神に祈って青空を呼んだと歓声をあげた。カチュアはその歓声に手を振りながらヴァイスに近づいて尋ねた。

 「何であなたがオペロンの涙を持っていたのよ?」
 「盗んじゃいないぜ?」
 「ヴァイス、茶化さないで。」
 「偶然だよ。」
 「・・・・・・・・・。」
 「ま、役に立って良かったな。」
 「・・・・・・・・・。」

 カチュアは非常に小さな声でぼそっと彼に感謝の言葉を言った。ヴァイスが笑った。

 音楽が広場に流れ出した。雨で楽器をしまい込んだ一座が取り出して弾き始めたのだ。即興で流れる陽気なメロディーにヴァイスがカチュアの手を取って踊り出した。それに加わるように人々も踊り出す。大きな踊りの輪が広場に出来、その中心にいるのがヴァレリアの女王と黒い髪の青年だった。

 皆が望むこの国の未来・・・。








 「さっさと歩け!」

 兵士が手荒く男たちの背中を小突く。リーダーの男はセリエに焼かれた口をおさえてまだ唸っていた。他の者も抵抗する気配はなかった。兵たちに彼らをコリタニ城に連行するよう言いつけたジュヌーンは険しい顔をしていた。男たちの背後に何らかの反カチュア勢力が存在すれば事は厄介になる。カチュアがコリタニに来る時襲撃してきた連中とのつながりはどうだ? 調べねばならないことがいくつもあった。
 が、彼の表情が険しいのは別の理由があった。さっき男が言った言葉が重く心に圧し掛かる。自分とオクシオーヌの関係を中傷する言葉。オクシオーヌと一緒にいることを世間はそう見ているのかと思った。自分の名誉などはどうでもいい。どう評価されようと関係ない。が、バスクの娘はそんな醜聞から無縁のところにいて欲しかったのだ。

 舞台のそででオクシオーヌはずっと立ったままジュヌーンの姿を目で追っていた。オクシオーヌがジュヌーンに話し掛ける前に彼は男たちを拘束しようと舞台を下りた。そして兵たちに命じ、また自分も動く。カチュアとヴァイスに何かを告げ、男たちや兵たちと広場を後にしようとした。あえてオクシオーヌを完全に無視しようとしたのだ。それがわかったからオクシオーヌは動けないでいたが、ジュヌーンが自分の馬の方に歩いていくのを見た瞬間、少女は舞台から飛び降りた。今言っておかねばならないことがあった。

 わたし、さっきのことは気にしていないから・・・。それだけは今言わなくちゃと思った。

 「ジュヌーン!」
 彼を呼び止めようと大きな声を出す。馬に乗ろうとして手綱に手をかけていたジュヌーンはその動きを止めた。オクシオーヌは再び大きな声で彼の名を呼んだ。手綱から手を離しゆっくりと振り返る。真剣な目で自分を見るオクシオーヌがそこにいた。

 「・・・・・・。」

 兵士たちが興味津々に自分たちを見ているのがわかった。オクシオーヌはそんな周りの様子に気づきもせず、ジュヌーンだけを見る。ジュヌーンは静かに彼女の視線を受け止めた。オクシオーヌの口が動こうとした時、ジュヌーンの視線が彼女から離れて、固まった。オクシオーヌが視線の先を振り返ると、レッドドラゴンと竜使いの若者が彼女たちの方を見ていた。

 「・・・ヤン?」

 オクシオーヌが注意を彼の方に向けた。と、同時にジュヌーンが馬上の人となる。馬が一声鳴いた。

 「ジュヌーン! 話が・・・!」

 ジュヌーンは少女を見下ろして言った。
 「わたしも話がある、オクシオーヌ。」

 穏やかな声で、
 次に続く言葉を。

 「彼らと一緒に行くんだ。君をコリタニには置けない。」

 「!?」

 それだけを言うと彼はオクシオーヌの答えも待たず、馬の腹を蹴って駆け出していった。








 →