「ジュヌーンは結婚しないの?」
そう聞いたら
ガルガスタンの元龍騎兵団団長だった彼は
「君が幸せになるのを見届けてから考えよう」
そう答えた

彼に言い寄ってくる女性はたくさんいたけど
彼はその全てを丁寧にお断りしていた

「わたしなんかの幸せを見届けていたらおじいちゃんになっちゃうかもよ?」
笑いながらそう言ったら彼は少しだけ苦い顔をして言った
「君のご両親の墓にそう誓ったから・・・」

この顔は知っている
自分の過去を悔いる時、いつも彼はこの顔をする

城の塔に登って彼が見つめる視線の先
その先のずっとずっと向こうにわたしの生まれた村がある

もうわたしに縛られなくていいのに
過去の過ちはもう償ったのに

そう言ったら彼はわたしから離れていくのだろうか・・・





香水






 コリタニ城はゾード川の中州に建設された天然の要塞だ。昔からコリタニ地方の中心で、旧ガルガスタン王国もここが本拠地だった。

 一緒に解放軍で戦ってきたカチュアさんが女王として現在はヴァレリア全土を統治していたけれどその基盤は盤石なものでなく、ここコリタニ地方でも旧ガルガスタン王国の残党が新政府に対して抵抗を続けていた。
 
 解放軍のリーダーだったデニムはヴァレリア解放後、ゼノビアに旅立った。きっとバルマムッサの虐殺に荷担した自分が新政府にいては新政権のイメージが悪くなると考えたからだろうと、デニムの親友のヴァイスが言った。彼は女王の補佐官として新政権に留まっている。
 カチュアさんとヴァイスは仲がいいのか悪いのか・・・、彼は女王を平気で馬鹿女と言うし、カチュアさんは薄汚いクソガキだったくせに!とまあ、およそ女王らしからぬ口調で大声をはりあげている。まわりはそんな彼らをほっとくだけだったけど・・・。

 

 ヴァレリアは変わる・・・、新しい時代へと。
 中央からの変革の押し付けでは駄目だとデニムは言った。だからわたしはジュヌーンに無理を言ってコリタニの地へ来たのだ。ハイムにいてもわたしはあそこでする事はなかったし・・・。
 
 本当はハイムで全軍を率いる将軍になるべき器を持っていたのに・・・、彼はわたしの我侭を聞いて一緒にコリタニに帰ってきてくれた。わたしがそれを望むならと・・・。

 解放軍に入った時は14だったわたしは15歳になっていた。そして・・・年があけるとすぐに16になる。










 この頃、
 旧王国残党の抵抗も少なくなり、城ではのんびりとした日々が続いていた。
そんな中、わたしはジュヌーンときれいな女の人が一緒にいるのをよく見かけるようになっていた。
けむるような金の髪の、色の白い女の人だった。繊細な感じのとても優雅な人だ。最初はいつものようにすぐジュヌーンの横から消えると思ったのに・・・そうではなかった。

「恋人?」
「いや、友人だ。古くからの。」
「ふーん・・・」

 どっちでもわたしには関係ないと思った。
でも・・・、彼女と一緒のジュヌーンを見るのは好きじゃなかった。

 彼女といる時のジュヌーンの顔は嫌い。優しい目で彼女を見ているわ・・・
 彼女といた後の彼の身体から匂う微かな香水・・・

「ジュヌーン、変な匂いがする」
「ああ、彼女は香水が少しきついからな。」
「臭いって言えばいいのに。」
「別に嫌ではないよ、この匂いは・・・」
「わたしが嫌なの!」
「オクシオーヌ?」

 ジュヌーンの馬鹿、ちっともわたしの気持ちなんてわかっていないんだから!
 
 彼の隣りに女の人を感じるのはとても嫌だった。

 彼の特別はわたしなのに・・・

 わたしの村を彼と彼の龍騎兵団が全滅させたあの時から・・・







 旧ガルガスタン王国の指導者、レーウンダ・バルバドス枢機卿は民族浄化を掲げ他民族はもちろんそれに反対する自国民ですら、強大な軍事力で弾圧を続けた。彼の右腕として民族浄化政策を推進していたジュヌーンは枢機卿の側近の嘘の情報におどらされてバス久村の住人を皆殺しにした。

 真実を問いただしたところで死んだ両親や村人たちが生き返るわけではなかったけど、ジュヌーンは全てを話してくれた。
 それを聞いて彼を許そうと思ったわけではない。

 彼はあの時、言ったのだ。
「この戦乱の種をまいた側の人間として後始末だけはしておきたい。わたしに罪を償うための時間をくれ!」

 その言葉通りの彼の生き様に彼を許そうと思った・・・。そう思えるようになった自分が不思議な気がした。







 ジュヌーンとわたしは年が16も違う。
ハイムからコリタニに向かう旅の中で、わたしたちはよく親子に間違われた。ジュヌーンは実年齢より老けて見えたし、一番最初に父親に間違えられた時の彼の憮然とした表情といったら・・・!そのうち諦めて間違えられても違うと言わなくなったけど。

「ジュヌーンのことをこれからお父様って呼ぼうかな?」
「オクシオーヌ・・・、頼むから冗談でも言うのをやめてくれ・・・」
 くすくすとわたしは笑った。ジュヌーンはますます眉間に皺をよせた。

「ね、ジュヌーン。わたしたち恋人同士には見えないかな?」
「君のような若い娘にこんなおじさんじゃつり合わないだろう?」
「う〜ん・・・。ね、ジュヌーン。どんなタイプの人が好き?」
 ジュヌーンはわたしがそう聞くと苦笑した。
「真面目に考えてよ。」
「・・・・・・普通の人。」
「普通の人?顔は美人じゃなくていいの?」
「ああ・・・」
「スタイルは?」
「普通でいいよ」
「ふーん、つまんないのー。」







 ・・・ジュヌーンの嘘つき。
あの人はとても美人だわ・・・・・・。

ジュヌーンがライムに住んでいた頃からの知り合い
わたしの知らないジュヌーンを知っている女性
逆立ちしたって彼女みたいに綺麗になれない・・・










 ある日わたしは彼女とばったり城の回廊で出くわした。
彼女はボランティアで貧しい人たちの手助けをしていて城にもよくそのことで来るみたいだ。

 知らん振りを決め込んで擦れ違おうとしたわたしの目論みは失敗した。
「オクシオーヌ?あなたがオクシオーヌね?」
いきなり彼女が声をかけてきたのだ。違うとも言えず、肯くと彼女は嬉しそうに
「彼から聞いていたのですぐわかったわ。わたし、あなたに会いたかったのよ?」
そう言った。
「ジュヌーンが?」
「そう、とっても可愛いバスクの女の子って。」

 なんか、美人にそういわれても嬉しくない。自分の顔のレベルがどのくらいかわかっているわ・・・。
ああ、彼女の香水が鼻につく。わたしが鼻をひくつかせたのに気がついたのか、彼女は笑いながら言った。
「あ・・・、香水が少しきついかしら?」
・・・きついなんてものじゃない・・・。 
「彼のおばあ様がこの香りをつけてらっしゃったのよ。
わたしも大好きで大人になったら絶対つけようと思っていたの。」
・・・つまり、その頃からジュヌーンと知り合いなわけね。

 黙っていると彼女はにっこり笑いながら手を差し出した。
「わたしたち、いい友達になれると思うわ。よろしくね。」
きれいなしみ一つない白い手。きっと苦労なんて何一つしたことのない貴族のお嬢様なのだろう。
わたしの手は・・・、固くて、擦り傷があって、日焼けで黒いし・・・、月とすっぽんのようだ。
握手するのが恥ずかしかった。ジュヌーンもこの手とわたしの手を比べたのかと思うと居たたまれなくなった。綺麗だとそのやわらかい手をとって口づけたのだろうか?

 わたしは黙っていた。

「ああ、自己紹介まだだったわね。わたしは・・・」
「わたし、これから竜を見ないといけないから!」
 そういって名乗ろうとする彼女をさえぎってわたしは駆け出した。きっと彼女は嫌な思いをしたに違いなかった・・・。

 本当は名前なんて知っている。城にいたら嫌でも2人の噂は耳に入ってくる。お似合いだとか、今度こそ本命だとか、いつまでもバスクの小娘のお守りなんてやってないで、ちゃんと家庭を持って落ち着くべきだとか・・・。

 話してわかった。とても感じのいい女の人 

 嫌な女だったらよかったのに・・・。







 わたしは城の外れにある竜舎に走って行った。

 ドラゴンは普通飼育するものではない。大きいし、よく食べるし、特殊な能力を持っているから・・・。火を吐いたり、毒を吐いたり・・・、危険な動物なのだ。人は彼らを怖がって近づかない。ドラゴンを飼育して生計を立てるバスクの村人が特別だった。

 竜舎にいるドラゴンは4匹のバハムートだった。わたしの・・・ドラゴン。
バハムートは伝説の神竜ディバインドラゴンの末裔といわれている。初めてバハムートを見た人も多い。
 バスク村が壊滅してからわたしの友達はこのバハムートだけだった。一人ぼっちになったわたしはこの4匹がいてくれたから何とかやってこられたんだ。

 バハムートたちはわたしの姿を見ると嬉しそうに身体をすり寄せてくる。わたしは全員のあたまを優しく撫でてた。グルグルと猫みたいにのどを鳴らして甘える巨体。

「おまえたちは大きいのね・・・。わたしも・・・」

 大人になったらきれいになれるだろうか・・・?
ジュヌーンが目を見張るくらいきれいに・・・、
なれたらいいのに・・・。

白銀に発光するドラゴンにそっと身体をよせて目をとじる・・・。

ドラゴンたちが群れをなし、村人が追う風景はもうわたしの心の中にしかないけど・・・

目を閉じればいつでもバスクに帰れるわ・・・

嫌な事や悲しい事があれば

こうやってドラゴンにいだかれて・・・
                   
目を閉じて・・・








「くしゃん・・・」

 いつの間にかうたた寝をしていた。温暖な気候のコリタニだが秋になるとさすがに外でうたた寝すると風邪をひく。中州に立つ城は湿気が多い。バハムートたちも眠っていた。このところ彼らにも出撃はなく、かれらものびきった生活をしていた。

 その時、
「オクシオーヌ?」
「ジュヌーン!」
「やはりここだったな。暗くなる、中に入りなさい。」

 ほら、子供扱いだ。

「ジュヌーン・・・」
「ん?」
「子守りはもういいわ・・・。」
「それはもう君が子供じゃないと言う事かな?」
「そうよ。」
「子供じゃないと言うのなら、人には礼儀正しい態度をとることだ。オクシオーヌ・・・。」
 
 ほっぺたがカァっと真っ赤になるのがわかった。
昼間の事? 
彼女に対する態度の事を言っているの?
あの人がジュヌーンに話したの?

 ぷいっとジュヌーンの脇をすり抜けてわたしは城に走って行った。
ほら、子供じみた態度だわ・・・。わかっているのに、こんな態度しかとれない自分がとても嫌だった・・・。



ジュヌーンはわたしより、きっとあの人が好きなのだろうと
わたしは確信していた。











 コリタニ地方も本格的に冬の季節になった。時々雪も舞う。

 あれから、ジュヌーンとは表面はいつもと同じにやっている。時々香水のにおいをつけて帰ってきたが、わたしは気がつかないふりをしていた。

 そして・・・
 スウォンジーの森で政府に反対する勢力が不穏な動きを見せているとの情報があり、ジュヌーンは少しの兵を率いて発った。目的は戦闘でなくあくまでも偵察で、わたしやバハムートは当然置いてきぼりだ。



 ジュヌーンが発って暫らくしたある日、わたしは城の尖塔に登って外を眺めていた。
冬のコリタニ地方は空が灰色の日が多い。収穫の終わった土地が広がっている。
何とはなしに眺めていると城の3階のバルコニーに彼女がいた。遠くからでは表情はわからない。けれど、思いつめた雰囲気にわたしは興味をそそられ階段を下りていった。







 わたしが行くと彼女は城にいる女騎士と話していた。女騎士は知っている。戦闘に参加はしないが城の警護の責任者だった。年はジュヌーンくらいか。
 わたしは部屋の中からそっとバルコニーで話している2人の会話に聞き耳をたてた。

「もう、自信がなくなってきたわ・・・」
「ジュヌーン・アパタイザの事?」
「ええ・・・、嫌われていないという自信はあるわ。でも・・・彼は友人として以上の目で見ようとしてくれない。」
「それでも良かったのでしょう?」
「ええ、そうよ。同じ古都ライム出身で、親同士が知り合いで、小さい頃から彼を知っていたわ。彼もわたしのことを覚えてくれていた。嬉しかった。ずっとずっと小さい頃から彼が好きだったから・・・。わたしのつけている香水が彼のおばあ様と一緒で彼は懐かしがってくれたし、彼は故郷の話を楽しそうにするわ。彼に話を合わせてきた。彼の邪魔にならないように本当は毎日でも会いたかったけど、わきまえてきたわ・・・。でも、それじゃもういや・・・。彼と一緒にいたい。いつでもそばにいたいの・・・。」
「あせったら、今まで彼に断られてきた女性たちと同じになるわ? 彼にはバスクの娘のこともある・・・。ゆっくりと時間を待つしかないのでは?」
「そのオクシオーヌのことなのよ・・・。」

 わたし?

「ゆっくり時間が過ぎるのを待っていたら彼女が大人になってしまうわ・・・。」

 何故、ここにわたしが出てくるの? わたしは混乱していた。

「彼がわたしを友人としてしか見ようとしないのはオクシオーヌがいるからよ。今はまだ子供だから・・・、ジュヌーンは絶対に彼女をどうこうするなんて考えられない。でも・・・、すぐに大人になる。バスクの村人を虐殺した負い目から、彼は自分のことよりあの子の幸せを一番に考えるわ。オクシオーヌがジュヌーンと結ばれるのを願ったらジュヌーンは絶対・・・!」
「有り得ない。あの子とジュヌーンは年が離れすぎている。第一、オクシオーヌは彼を異性として意識はしてないわ。」
「・・・今はそうだけど、不安なの。オクシオーヌが彼を愛したらわたしはあの子にかなわない・・・。ジュヌーンは彼女が大人になるのを待っているのじゃないかって思うと、堪らなくなるわ・・・。」

 彼女の震える声が胸に・・・痛い。

「それに・・・、一度だけ彼に聞いたことがあるわ。オクシオーヌのことをどう思っているか・・・」

・・・心臓の鼓動が早くなるのがわかった。

「なんて?」
「答えてもらえなかった・・・」

止めていた息をふーっと吐く。

「・・・大丈夫。自信を持ちなさい。あなたがあの娘より劣るなんて考えられない。ジュヌーンの気持ちをゆっくり待てばいいのよ。国中探してもあなたほど綺麗な女性はいないわ」

 いるわよ、ハイムには!

「わたしは醜いわ・・・。心の中でオクシオーヌがいなくなることを願っている。でも、そう願わずにいられないの。ねえ、協力して・・・、彼を愛している。オクシオーヌが大人になる前に、彼を手に入れたい・・・。」

 彼女の声は悲痛だった。でもわたしは恋に思い詰めた彼女の苦しみなんて思いやる余裕もなく、ただジュヌーンは彼女にわたさないとそれだけを思っていた。

 ジュヌーンの特別はわたしだけでいいもの・・・。

 恋とか愛とかそんなの考えたことはなかった・・・。










 それから暫らくしてジュヌーンが帰ってきた。スウォンジーの反政府勢力はまだ武装化されてはいなかった。ジュヌーンは代表者たちと会い彼らの不満を早急にハイムに伝えると約束をした。



「急な変革を望まないのは昔から権力の甘い汁を吸った連中ね。」
「だが、彼らもヴァレリアの民だ。」
「この城にいる人間だって全部が全部、新政府の方針にもろ手を上げて賛成って人ばかりじゃないでしょう・・・」
「そうだな・・・、バルバトスと同じ穴のむじなだった連中もいる・・・」
.もっとも、わたしもそうだったがと自嘲気味に彼は呟いた。
「・・・城から追放できないの?ジュヌーンの足を引っ張る人たちでしょう・・・」
「理由は?」
 わたしはにっと笑い言った。
「適当につけて」

「それが出来たら苦労はしない・・・」
 ジュヌーンがため息をついた。
そして2人で顔を見合わせてくすくすと笑い出した。秘密を共有する者同士の甘い空間・・・。
ジュヌーンがじっとわたしを見つめた。

「何?」
「君は・・・政治家向きだなと思った。」
「ジュヌーンの片腕になれる?」
「今でも充分わたしの片腕だ。」

 心が満たされる・・・。
ジュヌーンに認められるのが一番嬉しかった。

でも、彼にとってわたしは・・・

あの人の言葉が胸をよぎった。
      ”一度だけ、彼に聞いたことがあるわ
       オクシオーヌのことをどう思っているか・・・”
      ”答えてもらえなかったけど・・・”

わかっている。
わたしは自分が全滅させたバスク村のたった一人の生き残り・・・
ただそれだけなのだ。
そばにいてくれるのは罪の意識からだということも・・・



 ジュヌーンはバルムンクを外すと、かわりに火竜の剣を腰にさげた。
「オクシオーヌ、わたしはこれから出かけるから・・・」
そういって部屋を出ていこうとした。わたしとジュヌーンは寝る部屋は別々だったけど、あとは共有していた。
「どこへ行くの?」
「街だ。」
自分でも顔が険しくなるのがわかった。
「あの人と会うの?」
「話があるそうだから・・・。」
「何の話かしら! ジュヌーンは彼女の正体を知らないから」
 だって、彼女の本心を知らないから・・・! 
「オクシオーヌ・・・ 人のことをよく知りもしないでそんなことを言うべきでない。君に嫌われていると彼女は悲しんでいたぞ。」
「・・・・・・!」
「一度ゆっくり会って話してみることだ。彼女は君が考えるような人ではないよ。」
「同じライム出身だから? 香水が懐かしい香りだから? そんなのでいい人ってわかるの?」
「オクシオーヌ!」
「故郷の話が出来るから? わたしにはそんな人いない!
あなたがみんな殺したから!!」
「オクシオーヌ!!」
「あの人嫌いよ! わたしからジュヌーンをとろうとしている!」

わたしからジュヌーンをとろうとしている・・・!
ジュヌーンの前で泣いて愛しているって言うんだ、きっと!
そしたら、わたしは・・・
一人ぼっちになるわ・・・

「オクシオーヌ!」
「ジュヌーンの馬鹿! 騙されても知らないから!!」

 わたしはジュヌーンにそう叫んで部屋を飛び出した。

 ジュヌーンは追いかけてきてくれなかった・・・。
     
     わたしが言ったから・・・
     彼が一番傷つく言葉を・・・・・・







 はやく大人になりたいと思った・・・。
バスク村の少女じゃなくて
ジュヌーンをとりまく女の人たちと対等になりたかった・・・・・・。







 ジュヌーンはその夜遅く帰ってきた。
王都ハイムが巨大な城壁に囲まれた城塞都市の様相をしているのに比べて、コリタニの町は城と少し離れていた。城はゾード川の中州に建てられていて、城に戻るには川を渡らねばならない。わたしは橋にかかる城門の横でずっと彼の帰りを待っていた。川は静かに流れている。

寒いのは平気だ・・・。

 城門の横に立つわたしの姿を見つけると彼はゆっくりと近づいてきた。

「いつからここでわたしを待っていた?」
「・・・・・・」
わたしはぷいと横をむく。言いたいことはいっぱいあった。聞きたいことはもっとあったのに・・・、
何も言えない・・・。

 ジュヌーンはふーっと大きなため息をついた。吐く息は白い・・・。

「オクシオーヌ・・・、前にも言っただろう。彼女とは何でもない。」
「・・・・・・」
「わたしは誰とも結婚はしないし、恋もしない。」
「・・・・・・」
「君がわたしを許してくれても、わたし自身がわたしの過去を許せないから・・・」
「・・・・・・」

 わたしは横をむいたまま黙っていた。



「風邪をひく。城の中に入ろう」
 
 ジュヌーンが城に向かって歩きだした。わたしは彼の後を黙ってついていく・・・。
城門に焚かれたかがり火にてらされる彼の広い背中を見ながら。



 雪が降ってきた。







 寒いのは心なのか、身体なのか・・・・・・










 時々コリタニ城に行商人がやって来る。今日来た商人はドレスやきれいな飾りのついた帽子や小物やら・・・、女の人が喜びそうなのをいっぱい持ってきていた。いつにもまして、城の中庭の臨時商店は賑わいをみせていた。城で働いている女性も多い。彼女たちはもちろん、男の人も恋人や妻にプレゼントするのだろう、女たちに混じってあれこれ品定めをしている。
 あの女騎士も楽しげに声をたてながらみんなの輪の中にいた。

 新年に城で祝賀会がある。きっとその時のためにみんな奮発して買うのだろうと思った。

 あの人もきっと城に来る。ジュヌーンの横にならんで人々の賞賛をうけるのだろうな。

 わたしは・・・、せいぜい壁の花というのがおちだ。ドレス持っていないし、だいいちお金がないから買えないし・・・。
 
 ぼーっと中庭の賑わいを見ていたら城の人がわたしにハイムからという包みを持ってきてくれた。

 ・・・カチュアさんからだった。

   ”オクシオーヌ、お元気?
   相変わらずバスクのボロ服を着ているのでしょう?
   もう16になるのだからちゃんとおしゃれをなさい”

 手紙とともに入っていたのは、服だった。
さらさらと手触りの良い上等の生地で作った素敵な・・・、ぱあっと春が来たみたいなうすい若草色のドレス。

  ”これを着たらきっとジュヌーンがびっくりするわよ。
   ああ、彼の驚く顔が見たいわ”

 ジュヌーンが驚く? 本当にそうだろうか? 

 そのうちハイムにジュヌーンと遊びにおいでと書いて手紙は終わっていた。
わたしはドレスを当ててみる。わたしの誕生日のプレゼント。暖かい気持ちが心の中いっぱいに広がってくるようだった。

 中庭から声が聞こえて、わたしは弾かれた。

 そうだ!

 部屋を飛び出して中庭へ走って行った。あのドレスにあう何か・・・、何かがあればいいと思って。人がいると恥ずかしいのでお客さんが途切れる時までこっそり待ってから、ささっとさりげなく近づいた。

 店先にならんでいるきれいな飾りや、華やかなドレス・・・、みんながきゃあきゃあ騒ぐのもわかる気がする。

 何か、お探しですか?と声をかけてきた店の小父さんにあいまいな返事を返しながら、わたしの目はある小さなガラス瓶に吸寄せられた。それに気付いた彼は
「お目が高いですね!それは外国から入ったばかりの香水です。今大陸の各王宮で流行りの新作ですよ。これがまた最高級品でして・・・。」
そう言ってそのガラス瓶を手に取った。栓をはずしてわたしの鼻に近づけてくる。

「どうです?これぞ、”至福の時”」

 いい香りがした。・・・みかんみたいなそんなの。ラベンダーの香りも微かにするような? 絶対あの人のよりいいにおいだ。

これをつけてあのドレス着たら・・・、きっとジュヌーンはびっくりする。

「お気に召しましたかな?」
おじさんはニコニコ笑いながら聞いてきた。
「ええ、とってもいい匂い・・・」
わたしがそういうと彼は値段もいいのですがと言った。

 彼が告げた値段でオーブが買えた・・・・。

 それは・・・、とてもわたしに買える値段じゃなかった。肩を落としたわたしに彼はヒソヒソと耳打ちした。

 彼はわたしの服を見てバスクの人間だとすぐにわかった。その上でこう言ったのだ。

「城にいるバハムートはあなたのドラゴンですよね?」
「実は・・・、わたしはバハムートの鱗が欲しいんですよ、しかも全エレメントのが。」
「ご存知でしょう。死んだバハムートの鱗はただの白い鱗だけど、生きているバハムートから直接剥ぎ取った鱗は白銀に輝いたままだ。しかも属性の違いによって発光が微妙に違ってくる・・・。バハムートは珍しいドラゴンだし、まして白銀に発光している鱗なんてそう手に入るものじゃない。・・・物々交換でどうです?」

 つまり彼はわたしにこの香水をくれるかわりに雲水たちの鱗を剥げと言ったのだった。

「何十枚も剥げと言っているわけではありませんよ。特別に一匹につき1枚ずつで結構です。バハムートたちもちょっとちくっとするだけですよ・・・。それで、この香水はあなたの物。こんなに可愛らしいあなたがこの香りをさせてお城の祝賀会にでたら、さぞかしみなさんの注目の的でしょうね・・・。」



 香水の小さな瓶・・・、
わたしはこれをつけたら変われるような気がしていた・・・。













 年がかわる・・・・・・。



 新しい国が出来て初めての新年を迎え・・・、ハイムでは式典が行われることになっていた。きっと盛大な式典だろう。ジュヌーンやわたしはハイムに行けなかったけど、ゼノビアから客人も来るという。客人はきっと彼らに違いなかった。



 そして、ここコリタニでもささやかに新年の祝賀会が行われることになっていた。







 祝賀会は午後からだ。城の大広間は何日も前からはなやかに飾られてた。コリタニ地方のいろんな土地からも人々が祝いにやってくることになっていた。城に泊まる人間も多く、城の中はざわついていた。

 わたしは若草色のドレスに袖を通した。カチュアさんからのプレゼント。あったかくて軽くてやわらかい。お城の回廊の壁からこっそり外して持ってきた鏡を見た。見慣れない格好のわたしが神妙な顔をしていた。
 そして・・・、羊皮紙に包んでなおし込んでいた香水をそっととりだす。手にとって耳のうしろにつけてみた。ふわっとさわやかでやさしい香りがわたしを包む。もう少しつけてみた・・・。また少し。あとちょっと・・・。ついでにまた・・・。耳の後ろだけでなく、うなじや手首や、ドレスのそこここに。

 ジュヌーンはわたしを見て何と思うだろうか・・・。香水に気がついていい匂いだと言ってくれるだろうか・・・?

 いつもはくしゃくしゃの茶色の髪にもちゃんと櫛を通したし、わたしは緊張しながら部屋を出た。

 ジュヌーンは先に出て行った。城の礼拝堂で祈りを捧げるために。皆礼拝堂に行っていた。わたしは・・・フィラーハ教の信者ではない。バスクの村人はバスク神を信仰していたから。
 いつものドラグーンの鎧を外し、ヴァレリアの紋章の入った竜騎士の長衣を彼は着ていた。剣と盾を持つ鎧を纏ったドラゴンはわたしたちが掲げて戦ってきた旗印だ。ジュヌーンは長身のたくましい体躯で顔もいいからどこにいても目立つ。コリタニ地方の長官は旧王国の穏健派の貴族の老人だったけど、ジュヌーンの方が全然偉そうに見えた。


「ジュヌーン、先にいってていいわよ。わたしは礼拝堂には行かないし」
「君は?」
「着替えてから後で行く。ね・・・、わたしの格好見ても笑わないでね」
「あれだけ祝賀会には出たくないと言い張っていたのに突然出ると言い出して・・・。どんな心境の変化なのだ?」
「えへへ・・・」



  少し前彼と交わしたそんな会話を思い出しながら、大広間へと急いで行った。香水に頭が少しだけくらくらしたけど、これだけ匂ったらジュヌーンは気がついてくれると思った。



 コリタニ城は何百年も前の古い城に何度かの増築を重ねて作ってある。建築様式も時代によって違っていたが、祝賀会の会場となる大広間は南にあった。階段を下りていって中庭を取り囲むような回廊を通って大広間へ行く。まだ、礼拝が続いているのだろう、中庭にも大広間にも人の姿はなかった。たった一人を除いて。

 彼女、ジュヌーンと親しいとてもきれいな女の人・・・。

 尖塔アーチが多用され、天井まで10何バスの高さがある豪華なつくりの大広間はバルバトス枢機卿の時代に作られたものだ。窓は高く、この季節には珍しく太陽が柔らかな光を空間に差し込ませていた。その中にたたずむ彼女は真紅のドレスを着て金の髪を結い上げ、花を飾っていた。

 彼女はわたしに気がつくとにこりと笑った。

「そのドレス、とても似合っているわ、オクシオーヌ。」
「・・・どうも。」
「香水もつけているのね?」
「・・・」
自分の香りがきつすぎて彼女の香水のにおいがよくわからなかった。
「いい香りだわ。きっと彼が驚くわよ」
「・・・・・・」

「オクシオーヌ」
彼女はゆっくりと男の人なら誰でも見とれてしまう艶やかな唇を開いて言葉を続けた。
「あなたに・・・、話があるの。」







 わたしたちは城の外れの高い塔にいた。めったに人もこない。ジュヌーンが時々ここでじっとバスクのあった方角を見ているのをこの人は知っているのだろうか。彼女はわたしをここまで連れてきたあと黙ったままだった・・・。

 遠くをじっと見詰めていた彼女はわたしに後姿を見せたまま尋ねる。
「・・・バスクはどっち?」
こんなことはどうでもいい、話があるからっていうから来たのに。わたしは彼女の質問は無視して言う。

「話って・・・?」

「彼に言われたわ。二人きりではもう会わないって。」
背中をわたしに向けたまま彼女が静かに言った。

「何が言いたいか、分る? オクシオーヌ。」

「・・・・・・」
わたしは黙ってその先の彼女の言葉を待った・・・。

 彼女はゆっくりとわたしを振り返り言った。



「彼を解放して欲しいの」

「あなたという罪の意識から」

「彼を自由にしてあげて」



 まるで外国の言葉が遠くで響いているような感じだった。
でも、頭が理解したとたん、わたしは叫んでいた。

「わたしはジュヌーンを縛ってなんかない!」


わかっている!そんな事言われなくっても!
わたしがいちばんわかっているわ!
でも、他人になんか言われたくなかった。

「あなたといる限り彼は幸せになれないわ。」

「あなとといたって幸せになれないでしょう!ジュヌーンが自分の物にならないからってわたしのせいにして・・・卑怯だわ!大人のくせに !!」

「子供のくせに知ったようなことを言わないで!!」

彼女は怒りで頬を染めながら大声をだした。

「彼を愛しているの。彼を幸せにしたいの。ライムにいたときからずっと彼が好きだった。わたしなら彼の子供を生んで彼に温かい家庭を作ってあげられるわ。彼に過去を忘れさせる事が出来る!」

「ジュヌーンはそんなこと望まない!」

「いいえ、望むわ! 彼といるとわかる。彼は忘れたがっている!自分の過去を。今でも時々夢を見るって言っていたわ。自分の手は血まみれで、あの時の光景は死ぬまで忘れられないって。あなたが横にいる限り彼は一生苦しむのよ。オクシオーヌ・・・、彼を不幸にしたいの?」



ジュヌーンを不幸にしたいとか・・・
     そんなのわたしが望むわけ・・・ない・・・!



「わたしは今が不幸だとは思っていない。」



 思わぬ人の声にわたしたちは声の方を振り向いた。
そこにジュヌーンが立っていた。

「どうしてここに?」
そう叫んだ彼女にジュヌーンは答えず、わたしに言った。
「オクシオーヌ、部屋に帰っているんだ。」

「ジュヌーン・アパタイザ!」
彼女はジュヌーンに走りよって彼の腕に縋った。

「何故、わたしでは駄目なの?」
「・・・君だから駄目というわけではない。前にもそれは言ったはずだ。」
ジュヌーンの顔が苦しげに歪んだのをわたしは見逃さなかった。きっとジュヌーンも彼女を・・・。
「あなたを愛しているわ・・・。」
ジュヌーンはそう言ってぽろぽろ涙をこぼす彼女の細い腕を掴むと自分からゆっくりと離した。
「・・・すまない」

嗚咽をもらすきれいな女性を残してわたしがそこから立ち去ろうとした時、その人は叫んだ。
「ジュヌーン・・・、答えて!オクシオーヌをどう思っているの?
彼女の前ではっきりと・・・!」

 足が止まる。わたしは彼女たちの方を振り返った。時間さえ止まってしまったかのような沈黙が続いて・・・、ジュヌーンが言った。わたしの目をじっと見つめながら。

いわなくてもいいそれは残酷な真実・・・

「彼女は・・・、わたしが全滅させた村のたった一人の生き残りで・・・彼女の幸せを見届けるのがわたしの仕事だ。」

 ゆっくりと緊張が解かれ時間がまた流れ出す・・・。
わかっていた、そんなことくらい。

 突然彼女が笑い出した。

「く・・・っ、くくく、あはははは・・・。オクシオーヌ聞いた?
おめでたいわね、おしゃれをして香水までつけて・・・。背伸びは似合わないわ、やめなさい」

「そんなことないわ! だってこの服はカチュアさんが・・・」
「カチュアが?」
「・・・誰?」

「カチュアさんがおしゃれしてジュヌーンを驚かせなさいってドレスをくれたのよ。わたしこんな服着たこと無かったし嬉しくて・・・。だからわたし・・・わたし・・・、バハムートの鱗を剥いで香水と交換して・・・!」

そう言った後でわたしはしまったと思った。ジュヌーンが険しい顔をして言った。
「オクシオーヌ・・・、バハムートの鱗を剥いだのは君か?痛みで気がたったバハムートに世話係が攻撃されて怪我をしたのは君も知っているだろう!そんなくだらない香水のために君は君の大切なドラゴンの鱗を剥いだというのか!」

「だって・・・わたしあなたにふさわしい女の人になりたくて・・・、きれいになりたくて・・・、だからわたし・・・」

「きれいにならなくていい・・・!わたしは君に香水もドレスも似合って欲しくない!!」

 頭をダグザハンマーで叩き割られたほうがましだと思った。涙があとからあとから出てきてとまらなかった。

「・・・どう・・・し・・て・・・? どうして・・・そんなことを言うの?
わたしがぼろぼろのバスクの服を着て・・・、きたない格好をしている方がいいの?
その方が自分の罪を忘れないですむから?
わたしがかわいそうな子供だって思えるから?」

 言いながらどんどん感情が高ぶっていくのがわかった。

「ジュヌーンなんて大嫌い! あわれな竜使いの娘なんかにかまわずさっさと結婚でも何でもすればいいんだ!!」
そう叫んでジュヌーンに持っていた香水の瓶を投げつけた!

「ジュヌーン!」
彼女の声がした。ジュヌーンは避けようと思えば避けられただろうに身体を動かさなかった。彼の身体に当たって石の床に落ちた瓶はパリーンと音をたてて香水の匂いがあたりに広がった。

 あれだけいい匂いだと思ったそれは・・・もうちっともいい匂いじゃなかった。

 瓶が砕けてわたしのささやかな夢が終わった。アヒルの子供はアヒルのまま魔法が解けてしまったわ・・・。
「わたし、ここから出て行く!この人のご希望通りジュヌーンをわたしから解放してあげるわ!」

「オクシオーヌ!違・・・!!」
ジュヌーンが何か言おうとしたけど、追いかけて欲しくなくてわたしはとっさに呪文を唱えて・・・アイスブラストを放った。

「きゃあ!」
彼女の悲鳴をあげて倒れたけど、手加減したからどうせ軽い凍傷くらいだろう。これでジュヌーンは追ってこない。わたしは走って階段を下りていった。あまりに急いで降りていったので途中で階段を踏み外してわたしは見事に下まで落ちていった。

 もうどうでもいい・・・。

 血がにじんで痛む足を引きずりながらわたしは歩いていた。
 涙が止まらない・・・。
せっかくのドレスが血で汚れてしまったわ・・・。







 中庭を横切っていると向こうから数人の着飾った貴婦人たちがこちらに歩いてきていた。
彼女たちの中の一人は知っている。ジュヌーンにふられた女の人だ。バツの悪いことにその現場をわたしに見られていた。わたしはすれ違う時に少しだけ頭を下げたけど、彼女たちはわたしを無視した。

 背中から彼女たちの会話が聞こえてきた。

「バスクの小娘がドレスを着て香水をつけているわ」
「いつものドラゴンの生臭い匂いじゃないのね・・・」
「くすくす・・・似合ってないわ。何、あのドレスのダサい事といったら・・・」
「ジュヌーン・アパタイザもあの娘のどこがいいのやら。」

「・・・・・・っ・・・」
声だけは出して泣きたくなかった。声をだせばきっとわたし、歩けなくなってしまうわ。うずくまってジュヌーンが来てくれるのを泣きながら待つことしか出来なくなるから・・・。







 バハムートたちを連れてバスクに帰ろう・・・・・・、そう思ってわたしはドラゴンたちを連れに行った。







 けれど・・・
わたしの姿を見た雲水たちはガルルと威嚇の咆哮をあげた。全身でわたしを拒絶しているのがわかる。まだわたしを怒っているのだ。あたりまえだ、あんな事したから・・・。香水なんかと引き換えに大切な鱗を剥いだから・・・。

「雲水、火影、花嵐、明天・・・ごめんなさい、怒らないで・・・」
泣きながら近づこうとして・・・、大人しい明天がわたしめがけてコールドブレスを吐いた。他のドラゴンも一斉にブレスを吐く態勢に入る。

「・・・・・・!」

完全に彼らに拒絶された!
わたしは今更ながら自分のしでかしたことの愚かさに気がついた・・・。
「う…、うっ…… う…」

本当にもう一人になってしまった・・・












 日が暮れたゾード川のほとりを北に向かってとぼとぼと歩く。
コリタニ城を飛び出してきて、行く当てはなかった。お腹も減ったけれど一文なしで、宿に泊まれるなずもなかった。野宿を覚悟して適当な場所を探しながら歩いていると、風に乗って音楽が聞こえてきた。人々の声も聞こえる。
 
 向こうの方で焚き火が燃えていた。

 そこにいたのは旅芸人の一座。
一晩泊めて欲しいと一座の長に頼むと老人は訳も訊かずに快く受け入れてくれた。何も食べていないとわかると、わたしにパンとスープを運ぶようそばにいた人間に言い、わたしくらいの年の少女がスープと黒パンを持ってきてくれる。彼女にありがとうと礼を言ってわたしはスープを口に入れた。
「おいしい・・・」
身体の中から温まるのが嬉しかった・・・。
 
 少女はわたしの横にどかりと腰をおろすとニコニコしながらわたしに言った。
「あんた運が良かったね。うちら今日お城に招かれて芸を披露したんだ。それが大受けでお祝儀をいっぱい貰ってそれでご馳走があるんだよ。いつものスープはお湯みたいだけどね。」
「お城?」
「そ、コリタニ城。新年の祝賀会の余興でね、お城の庭でいろいろやったんだ。・・・みんなきれいな服着ていたな〜」
そう言いながらわたしの着ている服に気がついたのか、聞いてきた。
「・・・あんた貴族? その服も良く見れば上等そうだし・・・。それにいい匂いするね。香水つけてんの?」

 わたしはゆっくりとかぶりを振って否定した。

 彼女は納得して肯く。
「だよねー。貴族の娘がこんな時間にこんなとこにいるはずないしね。」
おしゃべりが好きなこだと思った。彼女はそれから城ではじめて見たバハムートのことを興奮して話した。わたしのドラゴンだったと知ったらきっと驚くだろう・・・。
「でね、鱗が銀色に輝いているんだよ。それがね、もう・・・」

「ジャンヌ!」
同じくらいの少年が彼女の名前を呼んでこっちに来る。
「踊ろうぜ」
「うん。」
ジャンヌと呼ばれた娘は立ち上がった。
「ゴメンね、彼が呼んでいるから行くね。また後で。」
わたしに手をふりながら走って彼のほうに行くと踊りの輪の中に2人で入っていった。

 どの顔も明るく陽気だった。飲んで騒いで踊って・・・。
本当なら、この人たちとはお城で見る側と見られる側だったかと思うと今、ここにいる自分が不思議な気がした。これは夢で目が醒めたらいつもの日常が始まって、わたしの横にはジュヌーンがいて・・・。そうだったらどんなにかいいのに・・・。
 
 火のそばでパチパチと音をたてて燃える焚き火をじっと見る。ジュヌーンの属性は火だ・・・。

 わたしはジュヌーンの何を見ていたのだろう・・・。彼の激しさ、彼の優しさ、彼の穏やかさ・・・。彼の温もり、彼の声・・・わたしの名を呼ぶジュヌーンの声。そばにいるのが当然で、彼に甘えて、彼のために何もしようとしなかった。我侭ばかり言って彼を困らせて・・・、大人になりたいって上辺だけ飾って、バハムートたちまで傷つけて・・・。今ならわかる。あの人がきれいなのはきっと内面の美しさが外ににじみ出るのだろう。あの人ならジュヌーンを幸せにするのだろう。

「・・・わたしでは・・・、駄目だ・・・」
炎ががゆらぐ。カチュアさんからもらったドレスにぽたぽたと涙の粒が落ちる・・・。



こんな時になってやっとわかった・・・。わたしの幸せはジュヌーンの幸せなんだ・・・。



向こうで女の人たちが城で見たヴァレリアの紋章をつけた竜騎士の噂をしていた。










 真夜中、火のそばで寝ていたわたしは寒くなって目を覚ました。眠る時はあれだけ音楽や笑い声で騒がしかったにに、今はあちこちからいびきが聞こえてくるだけだ。みんな泥のように眠っていた。火が消えかかっていた。わたしは起き上がって薪をくべる。少しだけ強くなった火の勢いを見ながら、これからどうしようかと考えていたその時、

 突然、火矢が射掛けらてきて、ちりちりとテントが燃え始めた。何本も、何本もの火矢が降ってくる。
と、同時に男たちが襲ってきたのだ!

敵襲?って敵ィ? 誰が!?

現状が理解できなくて呆然としていた。真っ黒な空を焦がす勢いでごおおおっと音をたてて火がテントを燃やす。、中で寝ていた人たちが飛び出してきた。子供は泣き出し、女たちは悲鳴をあげ、男たちは手に物をもって襲撃者たちに立ち向かう。

「有り金は全部取れ!男は殺せ!女とガキは売り飛ばす!気に入ったやつは自分の物にしていいぞ!」
男が叫んだ。
「止めるんじゃ!」
そう叫んだ一座の長はその男に殴られ崩れ落ちた。

「オクシオーヌ、何突っ立ってんの、隠れて」
わたしを見てそう叫んだ彼女に男が襲いかかろうとした。
「きゃあ!」
「ジャンヌ!」
とっさにわたしはわたしが使える魔法を放つ。アイスブラストだ。男はぐわっと叫んで倒れこんだがたいしたダメージは受けなかったみたいだった。すぐに立ち上がりわたしを振り返った。

 ここに雲水たちがいたら・・・!と思ったけれど今は自分一人で戦うしかないんだ。ドラゴンのいない竜使いは使い物にならないのはわかっているけど、でもやらなきゃ!

 こんな世の中のためじゃない。戦ってきたのは、みんなが平和に暮らせる世の中を作るためだった。わたしやジュヌーンやデニムやヴァイス、フォリナー家の人たちやゼノビア人の騎士様たちや・・・みんな傷ついて血を流して・・・そうしてやっと新しい国になって、これでみんなが笑ってくらせる世の中になるはずだったのに・・・!

 お金のために人を傷つけ、殺す最低の奴らになんか手加減するものか!襲い掛かってくる男をかわして、わたしは走った。ドレスのすそがさっきの男の剣で裂けたみたいだった。リーダーを倒す。これしか勝てる方法がないと思った。魔力を溜めて一撃で。

 燃えるテントの横で叫び指示を出してる男、あいつがリーダーに違いなかった。男の顔が火に赤々と照らされていた。わたしはその顔を見て・・・驚いた。そして男もわたしに気がつく。彼は面白そうに笑ったんだ。

「これはこれは奇遇ですな、オクシオーヌ様。その節はどうも・・」
「あなたはあの時の・・・」
わたしに香水を売りつけたあの商人だった・・・!
「おかげでバハムートの鱗は大変高く売れました。あんな安物と交換してくれて感謝していますよ。ああ、でももう少し物を見る目を養わないとこれからも騙されますねえ〜。」
「!!」

 騙した男と騙された自分に対する怒りで放った魔法が外れて男はほとんどダメージを受けなかった。わたしはもともと魔法系じゃない。MPだってそんなにない。何度も魔法で攻撃するのは不可能だった。どうやって戦おうかと考えをめぐらす。

 男が燃えおちるテントを背に近づいてきた。
「竜使いの娘ふぜいが貴族の格好をしても似合いませんよ。オクシオーヌ様。」
「あなたには是非一緒に来てもらいドラゴンを我々のために飼いならして欲しいものですな。」
「下衆!」
「この娘を捕まえろ!殺すなよ」
男がわたしの背後にいる仲間に言った時だ。

「兵隊が来た!」
叫んだのはどっちだったのか・・・。その叫びを聞いた悪人どもが一瞬怯んだ隙にわたしは隠れた。

先頭はなつかしいドラグーンの鎧・・・。剣をふりあげ男たちに切りつける。

もう大丈夫だ・・・。

わたしはジュヌーンに気付かれないようにここから遠ざかった。











 暗闇は絵の具を水で溶かすようにゆっくりとうすくなっていった。
そしてミルク色の霧がたちこめる・・・。真冬の冷気が身体を切り裂くようだった。
あれからずっと歩いていた。若草色のドレスは・・・、裾は裂け、血と煤に薄汚れ、よれよれで見る影も無かった。くんくんと右腕を鼻に持っていって匂いをかいでみる。煙の匂いが染み付いて微かに香水の匂いもした。何が”至福の時”だ。結局売れ残っていただけじゃないのかと思うとつくづく騙された自分が惨めになった。何かの話にあったっけ・・、カラスがきれいな鳥の羽をつける話。アレと同じだ。きっと、ジュヌーンも彼女も呆れたのだろう・・・。
 
きれいになりたかった・・・。
ジュヌーンの横にいるために。
全滅させた竜使いの一族の生き残りとして見て欲しくなかったけど
それがジュヌーンとわたしをつなぐ全てだった・・・。

ジュヌーンを誰にもとられたくなかった。
はやく大人になりたかった。
大人になったらジュヌーンはわたしを一人の女性として見てくれる気がしたんだ・・・



水面に顔を映す・・・。
煤に薄汚れたみすぼらしい娘が泣きそうな顔をしていた。

冷たい川の水で顔を洗った。ぱしゃぱしゃと何回も何回も水を手にすくって。

水面が揺れる。わたしが歪む。ゆらゆら、ゆらゆら。

ゆっくりと静かに水面はもどる。おだやかな流れに・・・

そしてそこに映るのは
わたしとドラグーンの赤い鎧・・・



「・・・!」

 立ち上がって後ずさりする。川の中に入った足がとても冷たかったけど。
「どうしてここに?」

「これを見つけた。」
そう言ってジュヌーンが差し出したのはわたしの服の切れ端だった。
「香水の匂いが残っている。君のだ。」

 瞬時に顔が真っ赤になった。ジュヌーンは知っているのだろう、安物だって。恥ずかしくて恥ずかしくてわたしは彼から離れたかった。向こう岸に行こうとしてバシャバシャと川の中に入る。ゾード川の本流じゃないこの川は浅瀬が多く歩いてでも向こうに渡れるはずだった。

「オクシオーヌ、わたしが来た時あそこにいたのだろう?何故逃げ出した?」

わたしは前をむいたままその問いに答える。
「もうジュヌーンに会えないからよ!」

「オクシオーヌ!」

「来ないで、わたしこれから身体を洗うんだから・・・」
そう叫んでわたしはずぶずぶと川の中へ入っていった。服が水を吸って重い。川は凍るように冷たい。けれど・・・、けれど、

ジュヌーンがわたしを追いかけて川の中に入ってきた。水面はわたしには腰くらいの高さでも長身のジュヌーンにとっては膝上の高さだ。追いつかれまいとして走ってもすぐに彼は追いついてきた。

背後から抱こうとしたジュヌーンの腕を全身の力で払いのける。
「オクシオーヌ!」

「わたしこれから身体洗うんだから!こんな・・・」
「こんな香水の匂い、消すんだから!」
「あなたは怒ったし」
「きれいになりたくて…、大人になりたくて香水をつけたのにジュヌーンはわたしにきれいにならないでいいって言った!」
「なって欲しくないって!」
「せっかくドレス貰って嬉しかったのに、ただあなたの驚く顔が見たかっただけなのに・・・!」
「あなたにとっては何の意味も無かった上に、あの香水は安物でわたしはあいつに騙されて・・・」
何を言っているのかもうわからなかった。ただ、ジュヌーンの腕から逃れようとやみくもに叫びながらもがいていた。
「オクシオーヌ!」
「離して!あっち行って!わたしはもうあなたを縛りたくないの!!」
「オクシオーヌ・・・!」
「・・・!」
ジュヌーンがものすごい力でわたしを抱き締めた。そしてわたしを自分の方にむけると、なおもわめこうとしたわたしの口を自分の口で塞いだ。

「…………!」

逃れようとジュヌーンの胸をたたいていた手から力が抜け、わたしは何が起こったか理解できずにいた・・・。そのまま唇を離してジュヌーンが耳元で何かを呟く・・・?

何を言ったのかよくわからなかった。
けれど・・・わたしを抱き締めてくる腕の力強さと視線の熱さに、わたしは涙といっしょに胸の奥底から湧き上がってきた言葉を口にした・・・。
「・・・あなたが・・・、好…き・・・」

息が出来ないくらいジュヌーンが抱き締めてくる。
「ごめんなさい・・・ジュヌーン・・・・・・、でも・・・わたし・・・」

わたしはジュヌーンの腕の中で泣きながら何度もごめんなさいと好きを繰り返していた・・・。












 

 わたしは5日熱を出して寝込んだ。
あれからどうやってコリタニ城に帰って来たのか記憶に無かった。気がついたら16歳の誕生日は過ぎていた。

 昼は目をさましてもジュヌーンは部屋にいなかったけど、夜は横にいてくれた。

「ジュヌーン・・・」
「そばにいるからまだ寝ていなさい。熱がある。」

手をのばすと握りしめてくれた。
わたしの手が熱いせいか、冷たくて気持ちがよかった。目を閉じて握った手の先の彼を感じる。
わたしのそばにいてくれる・・・。
これからどうなるのかわからなかったけど今はこうしてわたしの横にジュヌーンがいる。

あれがなんだったのか訊く勇気はなかったけれど・・・いつか答えてくれる日がくるだろうと思った。

かわりにそっと聞いてみた。
「ジュヌーン・・・、わたしが好き・・・?」

ジュヌーンは大きな手でくしゃくしゃのわたしの髪を優しく梳きながら言った・・・
「・・・娘のように、妹のように・・・君を愛している・・・」



わたしもジュヌーン・・・
あなたを
父のように・・・兄のように
愛せればいいのに・・・







 窓の外に視線をうつす・・・。雪がまた降ってきた。
熱が下がったらバハムートたちに会いにいこうと思った。










終わり(2003.1.18)



<後書き>
書き始めた時はこんなに長くなる予定ではなくて、オクシオーヌの語りでさらりと終わる予定でした。ジュヌーンにラストの科白を言わせたかっただけだし。でもいろいろ書いていたらこんなになってしまいました。内容はないんですけどね…。
バスク村がどの辺にあったのかわかりません。最初はオクシオーヌ初登場のベルもルーぜ台地のあたりだろうとか考えていたのですが、バルバトス枢機卿が弾圧をした時期はあのあたりはバグラム・ヴァレリア王国の領土なのでこれは却下・・・。で、ブリガンテス地方に近い海辺の村かなあ・・・?バスク村って寒村のイメージなので。
それと、バハムートの鱗が云々は捏造です。オリキャラはなるべくイメージ固定したくないので名前なしです。(旅芸人の少女はつけたけど)
最初から3人称で書いていればジュヌーンの視点でも書けたのですが・・・。(2003・1・22)
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