老木の死を悼む
ヘルマン・ヘッセ
V・ミヒェルス 岡田朝雄訳
庭仕事の楽しみ
草思社
・・・・・・以下引用
老木の死を悼む
このかれこれ十年以来、あのさわやかで楽しい戦争が終わって以来、私の日常のつきあい、私の変わらぬ親しい交際の相手は、もう人間ではなくなってしまった。男の友だちや女の友だちがいないわけではないけれど、彼らとのつきあいは、いわば祝祭的な、非日常的な事件である。彼らはときおり私を訪ねてくる。あるいは私が彼らを訪ねる。つまりほかの人たちと継続的に日常の生活を共にする習慣を私はやめてしまった。私はひとりで暮らしている。こうして私のささやかな日常のつきあいに、人間のかわりにしだいしだいに事物が入り込んでくることになったのである。

私がいつも散歩に持って出る杖、ミルクを飲むカップ、机の上の花瓶、果物の入った皿、灰皿、緑色のシェードのついた電気スタンド、インドの小さな青銅のクリシュナ像、壁にかかった絵、そして最もよいものを最後に挙げるなら、私の小さな住まいの壁に並んでいるたくさんの書物である。

それらは寝ても覚めても、食事のときも仕事のときも、よい日も悪い日も私の相手をし、私にとっては慣れ親しんだ顔を意味し、故郷とわが家にいるという快い幻想を私に与えてくれるものである。そのほかに、とてもたくさんの事物が私の親しいものに数えられる。それらを見たり触ったりすることや、それらの無言の奉仕と、それらの沈黙の言葉を私が好み、私にとってはなくてはならないように思われるものが、そしてそれらのうちのひとつが、私を見捨てたり、私のもとから去ったりするとき、一枚の古い皿が壊れたり、ひとつの花瓶が落ちたり、ポケットのナイフがなくなったりするとき、それは私にとっては損失であり、そのとき私はそれらに別れを告げ、一瞬のあいだ瞑目して、哀悼の辞を捧げずにはいられないのである。

私の書斎、すこし歪んだ壁と、古い、すっかり色あせた金色の壁紙と、天井の漆喰にたくさんの亀裂のある書斎も、私の仲間であり、友人である。それはすばらしい部屋で、それが私から奪われるようなことがあれば、私はどうしたらよいかわからないであろう。その書斎の中で最も美しいのは、外のバルコニーへと通じている小さな窓である。そこから私はルガーノの湖を、いくつかの入江や、山々や、あちこちのたくさんの村々とともにサン・マメーテまで見下ろせるだけでなく、古い、静かな、魅惑的な庭を見下ろすことができる。そしてその眺めは私の最も好きなものである。そこでは、年を経た、いかめしい樹木が風の中、雨の中で体をゆすっている。そしてその庭の狭い急傾斜のテラスに美しく丈高いシュロ、美しく豊かなツバキ、シャクナゲ、モクレンなどが生えている。イチイ、アカブナ、インドのヤナギ、丈高い常緑のタイサンボクもある。

書斎からのこの眺め、このテラス、この茂みと樹木は、部屋や家具調度よりもはるかに私と私の生活に近しいものとなっている。それらは私のほんとうのつきあい仲間、私に最も近いものであり、私はそれらとともに生き、それらは私の味方であり、信頼のおけるものたちなのである。

私がこの庭を一瞥するとき、この庭は、ひとりひとりの外来者のあるいは賛嘆の、あるいは無関心のまなざしの対象となる眺めだけでは荏く、それ以上に無限に多くのものを私に与えてくれる。なぜならば、この景色は、何年ものあいだずっと、昼も夜もどんな時間にも、どんな季節と天気にも、私に慣れ親しんできたものだからだ。あらゆる木の葉も、その花も、果実も、その生成と死滅のあらゆる状態において、私が知りつくしているものであり、どれもみんな私の友であり、どれについても私だけが知っていてほかの人は誰も知らない秘密を私が知っているからである。これらの樹木のうちの一本を失うことは、私にとってひとりの友を失うに等しいのである。

春には、この庭がツバキの花で燃えるように赤くなる時期がある。そして夏には、シュロの花が咲き、木々の中へ高く這いのぼっていたるところに青いフジの花が咲く。しかし、小さなエキゾチックなインドのヤナギ、背が低いのにひどく年とって見え、半年は凍えているように見えるインドのヤナギは、春が過ぎてやっと葉を出し、ハ月の半ばごろようやく花を咲かせ始める。

けれどもこれらの樹木のうちで最も美しい木は、もうここにはない.それは数日前に嵐によって折り倒されてしまったのだ。私はそれが転がっているのを見ている。それはまだ片づけられていないのだ。重い巨大な古木の幹は、折れて、引き裂かれている。それが生えていた場所に大きな広い空隙ができた。その空隙の向こうに、遠くの栗の林と、これまで見えなかった二、三の小屋が姿を見せている。

それは一本のユダの木であった。救世主を裏切った者が首を吊ったというあの木である。が、この木にそんな胸のつまるような素性のあることなど想像もできなかった。おお、それどころか、それはその庭で最も美しい木であった。私が何年も前にこの地の、この住まいを借りたのは、実はこの木のせいであった。当時、戦争が終わったとき、私はただひとヶ難民としてこの地にやってきた。私のそれまでの人生は失敗で、私はここで働き、考え、この破壊された世界を私の内面から再建するため、ひとつの宿を求めたのである。そして小さなアパートメントを探した。そして今住んでいるこのアパートメントを視察したとき、気に入らないわけではなかったけれど、最後の決断をくだしたのは、女家主が私を小さなバルコニーに案内した瞬間であった。

そのとき、私の眼下に突如「クリングゾル」の庭が広がり、その中央に淡いバラ色の花をつけた一本の巨木が輝いていたのだ。私はすぐにその木の名前を尋ねた。するとどうだろう、それがこのユダの木だったというわけである。それ以来この木は毎年毎年、たとえばセイヨウオニシバリに似て、樹皮に密着して咲くバラ色の花を何百万も咲かせたのである。しかもその開花期は四週間から六週間も続いた。そして花が終わってはじめて緑の葉が現れた。そのあと、その淡緑色の葉のあいだに、濃い紫色に、神秘に満ちて、ぎっしりとたくさんの萃果(きょうか)の莢(さや)がぶら下がった。

このユダの木について事典で調べてみても、もちろん納得のいくことがたいしてわかるわけではない。ユダと救世主のことは一言も書かれていない!そのかわり、この木がマメ科植物に属し、ケルキス.シリクワストルム(Cercis siliquastrum)と呼ばれていること、その原産地が南ヨーロッパであること、この木があちこちで鑑賞用灌木とされていることなどが書かれている。この木はそのほか「偽ヨハネのパン」とも呼ばれているという。ここで本物のユダと偽者のヨハネがごちゃまぜになったとは、いったいどうしたわけであろうか!

それにしても、この《鑑賞用灌木》という言葉を思い出すと、今,悲嘆にくれているさなかでも、私は吹き出さずにはいられない。《鑑賞用灌木》とはとんでもない!それは巨木であった。私が入生の最盛期にもそんなに太くなったことはないほど太い幹をもった巨木であった。そしてその梢は庭の中の深い谷底からほとんど私のバルコニーの高さまで伸びていた。何とも'。豪華な木で、まさしくこの庭のメインマストであった。それが最近の嵐に倒壊して、まるで古い灯台のように倒れたとき、もしも私がこのいわゆる《鑑賞用灌木》の下に立っていたならば、ひとたまりもなかったであろう。

いずれにしてもこのところ天気はほめられたものではなかった。夏は突然病気になってしまった。夏の終わりが予感された。そして最初のほんとうに秋らしい雨の日に、私は最も愛する友人(樹木ではなく、人間)を葬らなくてはならなかった。それ以来、すでに冷涼な夜々と度重なる雨に私はすっかり心が冷えてしまい、どこかへ旅立ちたいとしきりに考えた。秋の匂い、滅びの匂い、枢と墓の花輪の匂いがしていた。

そしてある夜、アメリカの海洋性のハリケーンのような季節外れの嵐が、凶暴な南からの嵐が吹きすさんで、ブドウ畑を破壊し、煙突をひっくりかえし、私の小さなバルコニーさえもぶち壊し、その上最後の数時間にあの古いユダの木さえ奪い去ったのである。私は少年のころ、ハウフやホフマンのすばらしいロマンチックな物語の中で、彼岸嵐がこんなふうに不気味に吹き荒れるのがどんなに好きであったかを、よく覚えている!ああ、まったくそっくりであった。それほど重苦しく、それほど不気味に、それほど凶暴に、それほど恐ろしく、その濃密な熱風はまるで砂漠から吹いてきたかのように私たちの平和な谷間へ強引に押し入ってきて、アメリカ的な狼籍を働いたのである。いまわしい夜であった。一分も眠れず、この村中で幼い子
供たちのほかは誰もまんじりともしなかった。翌朝には割れた瓦、粉々になった窓ガラス、へし折られたブドウの木などが散乱していた。

しかし、私にとって最悪のこと、何をもってしても償えないものはユダの木である。一本の幼い弟がそのあとに植えられることになって、その準備もされているけれど、その弟が前の木の半分も立派にならないうちに私はもう、とうにこの世にはいないであろう。

私が先日流れるように降り注ぐ秋の雨の中で私の友を葬って、枢が濡れた墓穴の中に消えるのを見たときには、ひとつのなぐさめがあった。友は安息を見いだしたのだ。友は、彼に好意をもっていないこの世から去ったのだ。彼は、戦いと憂慮から逃れて彼岸へ行ったからだ。ユダの木の場合はこのなぐさめがなかった。私たちあわれな人間だけが、私たちのひとりが葬られるとき、「これで彼も幸せだ。結局のところ、うらやむべきことなのだ」と、せめてものなぐさめに言うことができる。

私のユダの木については、私はそんなことを言うことはできない。彼はきっと死ぬつもりはなかったにちがいない。彼は高齢に達するまで毎年毎年あふれるほど、誇らかに何百万もの輝く花を咲かせ、その花を喜ばしくせっせと果実にして、緑の萸をはじめは茶色に、それから紫色に染めて、誰かが死ぬのを見ても、その死のためにその死んだ人をうらやむようなことは決してなかったろう。おそらく彼は私たち人間をほとんど評価していなかったのかもしれない。
彼は私たち人間をたぶんユダの時代から知っていたのだろう。今、彼の巨大なむくろが庭に横たわっているけれど、倒れるときにもなお、彼より小さくて若い植物の仲間たちをすっかり押し潰して巻き添えにしてしまった。(1927年)
・・・・・・引用終わり
ユダにまつわる木、伝説を含めいろいろあるものです。たまたま読みました本の中に上記の記述を発見しました。
ユダの木 和名セイヨウズオウ(セイヨウハナズオウ) 学名 Cercis siliquastrum,マメ科、ハナズオウ属わが国のハナズオウより花の色は淡く、花数の少ない。
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